箱庭聖譚曲
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「いやー、助かった。危うくレディの制服を盗んだなんていう濡れ衣を着せられるところだったよ」
「オスカー様」
「はっはっは、怒った顔も可愛いなールナは」
校内に侵入したバスカヴィルの民たちは正当防衛ののち撃退ということで後の最終報告となったが、もう片方の侵入者についてはルナやエリオット達が学校に戻る頃まだ騒ぎの真っ只中であった。
なにせ昼過ぎに警笛が鳴らされてから、日が傾くまで侵入者捕縛の知らせがなかったのだ。午後の授業は全て中止、最終的に教師に呼ばれて衛兵が学校に到着する頃にオスカーが捕まって校長室で厳重注意を受け、ようやく事態はおさまった。
「はあ……オズ様達は先に帰ってもらいましたので」
「助かるよ。大人の説教を聞くのはオレの役割だからな」
校長室を訪れたエリオットとルナが揃って制服姿のバスカヴィルの民の侵入を証言したことで、オスカーの女子生徒の制服強奪という疑いは晴れた。しかしながら彼の侵入行為自体は濡れ衣でもなんでもない。結果、責任を取る形で今回ラトヴィッジで見つかった一部の地下通路の整備と封鎖はベザリウス家が行うことが決まり、面識もある校長の説教の末に放免となったオスカーをルナは正門の馬車まで送りに来ていた。
「また来るよ」
「今度こそ普通にお願いします」
「そうだな。というか、そろそろ休暇だろう。二人が遊びに来るのも楽しみにしてるからな」
年々皺が増えてきた手でわしゃわしゃと頭を撫でられ、両肩を抱き寄せられる。こんなスキンシップを受け入れられるくらいルナはオスカーを信頼しているし、逆に憎める人間はそうそういないだろうとも感じる。姪であるエイダにも通じるものがある大らかな人柄だ。
この温かさが決してその身に浴びた喜びや楽しさ、栄光ばかりから作られたものではないとルナは知っていた。
「オスカー様も、お仕事はほどほどに」
陽光の残滓が空の端を赤く染め、頭上には既に星が瞬いている。
色々あった一日だった。忘れられないことがいくつもあった。起こってしまったことはともかく、オスカーもここに来たことで少しは気晴らしができていたら良いと思う。
束の間の安息を手離し、ルナは馬車に乗る背中を見送った。
「あ……」
寮に戻ろうと通りかかった校舎の外壁にエリオットが腕を組んでもたれているのに気がつき、ルナは足を止めた。校長室での説明だけでずいぶんと時間がかかってしまったから、彼は早々に男子寮に戻ったものと思っていた。
「エリオット様……今回は、」
「……足。医務室行けよ」
エリオットはそれだけ言うとさっさと男子寮の方向へ歩き去っていった。その姿に、残されたルナはひとり肩をすくめた。
隠せていたつもりだった。見抜かれていたとして、気にも留められないだろうと思っていた。
おそらくオズの力で吹き飛ばされた際に、剣の演習で怪我をした箇所をまた強く打ち付けたのか、歩くと違和感がある。自覚したのはエリオットの背から降りたあの時だ。あの場の誰にも気付かれないよう……特にオズは知ってしまえば気に病むだろうから、何事もなかったように振る舞っていたのだが。
「どうして、よりによって、あなたにばかり……」
見透かされてしまう気がしている。分かり合えない部分が、お互いに譲れないものが、それなりにあるというのに。
そして、それが、ルナは不思議と嫌ではなかった。
*
部屋には手当てを終えたリーオが先に戻っていつもと同じく床に座り込んでいた。「おかえり」という呑気な声には何も返さず、制服の上着を脱いでベッドに倒れるように横たわる。
オズ=ベザリウスの帰還。
ただでさえルナの件を停滞させたままのエリオットには寝耳に水だった。
公にはオズ=ベザリウスは10年前に不慮の事故で亡くなったことになっている。エリオットは当然裏の事情を聞き及んでいたが、それが突然帰ってきたなど言われてもにわかに信じられない。
いや、なんとなく分かってはいる。彼らは嘘をついていないだろう。エリオットがその事実を咄嗟に飲み込みきれなかった、というだけだ。
"違うの……その人はーー!"
"……ご無事で"
"そいつはオレの主人……オズ=ベザリウスだ!!"
「……なんで責めないんだ」
エリオットは半ば八つ当たりのように口にした。まるで責めてくれと言うように。
「いつもみたいに『あればエリオットが悪かった』って、そう言えばいいじゃねぇか」
「言わないよ」
「なんでだよっ」
「僕が君を責めるのは、君がわかってない時だけだからさ」
目線は本に落としたまま、口調も飄々としているのでリーオの考えは掴みにくい。しかし彼が無造作に投げて寄越した信頼はエリオットをはっとさせた。
まったくこの従者はどこまでを理解して言っているのだろう。特に長くもない付き合いの彼がこういう発言をする度に、エリオットは自分が彼のそういうところを気に入って友人となったのだと再確認する。
「!」
「エリオット…!?」
突然エリオットが息を呑んで顔を伏せると、リーオは本を手離してベッドを振り返った。
「…目眩がしただけだ」
「…また眠れてないんだね…相変わらずあの夢は見ている…?」
あの夢、とは少し前からエリオットを苛む悪夢だった。
内容はいつも同じ、人が死ぬ……人を、殺す夢。
見覚えのない、どこかの古めかしい広大な屋敷の中、赤い炎が壁をつたうように轟々と燃え広がっていく。黒煙を巻き上げながら、カーテンに、絨毯に、そしてーー…
手に握る剣の確かな重さ。
血に塗れて倒れ伏す大勢の人間と、その中に立ち尽くしている自分。
「もう嫌だ、こんな夢…!」
近頃は眠りを妨げられる頻度が増したように感じる上に、夜に限らず目眩と共に光景がフラッシュバックする。自分の記憶ではないにも関わらず、だ。
睡眠不足のストレスは当然のことながら、夢の内容も心理的な負荷が大きく、エリオットの精神は石が穿たれるように少しずつ削れていた。
翌朝、ルナはいつになく居心地悪そうな顔をして教室にやって来た。理由ははたから見ていても明確だ。隣に満面の笑みを浮かべたエイダ=ベザリウスがピタリと付き添っているからである。既に席についている同級生たちも何事かと二人を注視していた。
「……もうここで大丈夫よ、エイダ」
「本当?足、痛くない?」
「今はね」
「お薬は?」
「ちゃんと持ってます」
「その杖、急いで調達してもらったものだけど、どう?」
「ありがとう、問題ないわ」
「他に欲しいものがあったら呼んでね」
どうやって。
昨夜の余韻か、なんとなく重いままの頭でエリオットは思ったが、当のルナは「ええ」などと頷き返している。呼ぶ気なんかさらさらないだろうおまえ。
「じゃあね、ルナ。お昼は迎えに来るから教室にいてね、絶対よ」
ルナが無事席に座るのを見届けて、エイダ=ベザリウスは大きく手を振りながら教室を後にした。傍にいた男子生徒の何人かはその笑顔に当てられているようだった。
上機嫌で使用人の世話を焼く公爵家令嬢はただでさえ目を引いた。それが下級生の教室に来た非日常ばかりが目立っており、原因であるルナの足の怪我や彼女がもたれている杖の存在はどちらかといえば霞んでしまっている。エイダ=ベザリウスの態度が稀有なだけであって、上流階級の人間にとって使用人の扱いなど元来気にするようなものではないのだ。
「怪我、あんなに酷かったんだ……。エリオット、気付いてた?」
「……いや」
「気付いてたんだ」
「杖が必要なほどだとは分からなかったんだよっ。……あいつも、自分で思ってたより大事になって驚いてるだろ」
始業の鐘が鳴ると周囲のざわめきもあらかた落ち着き、ルナが床に杖を横たえて息をつく。その様子を教室の後方から見ていたエリオットも嘆息した。昨日の騒動の中でルナの治りかけていた怪我が再燃したことは分かっていたが、やはり相当無理をしていたようだ。にも関わらず彼女は一連の騒ぎが落ち着いた後も医務室に向かうそぶりを見せなかった。
手当てを受けずとも平気だと思っていたのであれば、自分のことに疎いにも程がある。それはルナがある程度覚悟して己を切り捨てている部分と、そもそも彼女自身の勘定に入っていない部分があるのだが、問題はルナが後者についてまったく無自覚である点だ。自らを犠牲にするような行為を疑問視していないどころか、既に前提化している節がある。
「同じ状況になったらまたやるぞ、あいつ」
「君もひとのこと言えないけど、まあ、目に浮かぶね」
「オレはいいんだよ」
「出た、棚」
「うるせえ」
エリオットは誰が危険に晒されていようが自分が身代わりに犠牲になってやる気などなかった。エドガー派との軋轢は根深い。
何より今エリオットが憂慮しているのは、剣術の訓練の副産物なのか変に打たれ強い質と持ち前の無表情のせいで、下手をすると誰もルナが傷付いていることに気が付かないのではないかということだ。
それは何も物理的な話だけではなく。そして時にはルナ自身でさえ。
……やっぱり、あいつと同じじゃねーか。
エリオットは声に出さずに呟いた。頭に浮かんだのは昨日一緒になって事件に巻き込まれたオズ=ベザリウスを名乗る少年だ。彼にはまだ自分をあえて犠牲にしている自覚があったが、ルナはまずそこから怪しい。
考えなくてはいけないのだ。彼女が自分を守ろうとしないのであれば、彼女以外の人間が、彼女のことを大切にする方法を。
一つ目の講義の終了が告げられると、生徒たちは荷物をまとめて一斉に席を立った。次の授業は別の講堂で行うため移動しなくてはならない。
エリオットはちらりと教室の前方に目をやった。視界の端にレイラの姿が映ったものの、彼女はいつもと変わらない様子で取り巻きたちと話している。たしかにエリオットも、手を貸さなくてはあのルナが歩けないと思っているわけではないが。
するとその時。
「ルナさん、大丈夫?」
「立てますか?はい、杖どうぞ」
「次の授業の荷物、お持ちしますね」
「……いえ」
突然といえば突然。意外なことに、クラスメイトの何人かがルナに声をかけた。
思いもよらない事態にルナは彼女にしては珍しく萎縮したように身を固くしたが、やがておずおずと口を開く。
「あ……ありがとうございます」
クラスメイトたちが何を思ったのかは分からないが、どうやら心配は不用らしい。エリオットが無言で席を立つと、隣にいたリーオも主人に続いた。
13.落日
