箱庭聖譚曲
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「おいおまえ!生徒番号と担当教師を答えろ!」
エリオットは目の前に立つ、見るからに品の良さそうな金髪の少年に指を突きつけた。リーオの諫言には理があるが、それはそれとしてやはり気に食わない。
聖騎士物語のネタバレ云々もそうだし、何よりエドガーが一番好きだなどと……守るために死ぬことが立派だなどと馬鹿馬鹿しいことをぬかすとは、議論の余地があるばかりだ。
"あなたとは色々、意見が合わないと思うけど"
"それでも、また話してくれる?"
「この決着は今度必ずーー…」
「無理だよエリオット。その人さっき騒がれてた侵入者だ、たぶん」
リーオの言う侵入者という物騒な単語とこの少年とがすぐに結び付かず一瞬動きを止めたエリオットは、状況を理解するなり「ほほう……!?」と両手の指を鳴らした。
「リーオ、なんですぐに言わなかった!」
「え……別になんの害もなさそうな人だったから……」
「そういう問題じゃねえだろ!!!」
侵入者がこんな自分と同じような子供だとは思わなかった。堂々と白昼の図書室で特に珍しくもない書物を物色しているとも。
リーオはいつの間に目撃情報を仕入れたのだろうか。確かに害はなさそうではあるが、この平穏な学校で騒動を起こしただけでも捕まる理由としては充分だ。
というか、こいつの足元の黒猫。どこかで見覚えが……
「待ってエリオット君!」
「あれ……ミス・エイダ=ベザリウス?」
……そうだ。
こいつだ。
「違うの……その人はーー!」
"ごめんなさい"
ーーガンッ!!
駆け寄ってくるその女子生徒の姿に、エリオットは手近な備品の椅子を苛立ちに任せて蹴飛ばした。重いオークの椅子は激しい音を立てて閑散とした図書室の床に倒れた。
「……前にも言ったはずだ、エイダ=ベザリウス。オレの名を気安く呼ぶなと……!!」
「エリオット、上級生に対してそれは……」
「うるせえおまえは黙ってろ!」
リーオの制止が間違っていないと分かっていながら、それを一蹴してなおもエリオットは続ける。
「しかもなんだ?あんたこの侵入者と知り合いか?」
「あ……」
「以前問題を起こしたのもあんたの叔父だっていうじゃねぇか。はっ、さすが……英雄の子孫様は好き勝手できてうらやましい限りだな!」
いつも、いつも、いつも。
自分には世間的に許されない自由奔放な振る舞いが鼻につく。それだけじゃない。関わるなと言っているのに騒ぎがある度に現れては場を引っかき回していく。
己の立場をどう心得ているんだ。一体どれだけ甘やかされて育てば侵入者騒動など起こして呑気な態度でいられるのか。
"そんな中で育ったにも関わらず、主人は人を傷付けるには優しすぎた"
窮屈な環境も、知ったことか。その言動一つで人生を左右される人間が山ほどいるのだから、もっと周囲に配慮を持って立ち振る舞って然るべきだ。怒鳴られたところで文句は言えない。
リーオが自分を止めようとしたのは間違っていない。しかし自分の言っていることも間違っているとはエリオットは思わなかった。
だって、こいつはベザリウスなのだから。
「へー、いいもん使ってんじゃーん」
不意に、場の空気をあえて壊すような、計算された呑気な声が割り入ってきてエリオットは振り返る。
「オレの荷物……!?」
「ふっふっふ……これを返してほしければなぁ……オレの神速の逃げ足に追いついてみな!このネタバレ野郎!!」
「てめっ……待ちやがれ!!」
わざと煽るように悪態を残して逃げ去った金髪の少年を、というより大事な自分の荷物を、エリオットは走って追いかけた。呆れた様子の従者とベザリウス家の少女はその場に置き去りにして。
"どちらかと言えばあの人は、あなたに似ているわ"
煩わしく脳裏をよぎる声を振り切るように。
*
「道が分からない先輩たちだけでは、人探しは難しくありませんか?」
先導役を買って出たルナに、分かれた方が効率が良いと言ったのはギルバートだった。オズと、可能であればエイダとオスカーも早急に見つけて合流しなくてはならない。アリスが言うには、10年前にオズをアヴィスに堕とした"バスカヴィルの民"の気配が近くにあるというのだ。
それが分かったのはチェインたるアリスの勘のようなもので、当然正確に距離や位置が把握できるわけもなかった。パンドラの助けを呼ぶ時間の猶予もない。
「オズの場所が分からない以上、案内はあってもなくても変わらない。武器は持っているか?」
「拳銃とナイフ程度なら」
脇に釣ったホルスターと制服のポケット、スカートの下。普通の人間なら充分だが、アヴィスの使者たるバスカヴィル相手ではいいところ牽制で精一杯の武装だ。「さすがに剣は持ち歩けないか……」と苦虫を噛み潰した表情のギルバートを、アリスが急かす。
「急げ鴉!」
「分かってる!ルナ、接敵したら銃を使え。音で位置が分かる」
ギルバートたちと分かれて走り出したはいいものの、正直なところルナにはあてがない。学校の敷地内をしらみ潰しに探す手もあるが、それはむしろ学校の構造が分からないギルバートたちの動きと重複するだろう。
自分はもっと入り組んだ場所や見落としやすい場所、エイダとオズが立ち寄りそうな場所を効率良く探すべきではないのか?しかしどうやって?エイダはともかく、オズの行き先が自分に想像できるのだろうか。
急いでいたとは言え、その辺りはギルバートたちともう少し話しておけばよかった。今さら後の祭りだ。しかし主人たちの安否まで後悔するわけにはいかない。
なにか手がかりはないか、ルナは記憶を辿って、エイダが自分に語って聞かせたオズ=ベザリウスという人のことを思い出す。
"お兄ちゃんは、優しくて、かっこよくて、とても頭が良いの"
"私のことも、いつも大事にしてくれてたわ。家庭教師とのお勉強中に私が部屋に入っても、先生は怒ったけど、笑って許してくれたり"
"本当になんでも出来る人なのよ。楽器も弾けるし、特にヴァイオリンが上手でね"
"本をいっぱい読んでいたし、読んでもらったわ。詩の暗唱もたくさん……"
改めて、エイダにとってオズの存在がどれだけ大きかったのかを思い知る。物心つく前に母親を亡くし、父親も仕事と言って家に帰ってこない中、兄は彼女にとって本当に唯一の存在だったのだ。
「エイダの教室、演奏室と楽器の保管室、あとは……図書室」
もう失わせるわけにはいかない。
「聖騎士物語……最近縁があるわね」
兄が読んでくれたとエイダが大切にしている絵本、それにある同級生と語り合った長編小説を思い出して、ルナは早速オズたちを探しに向かった。
*
図書室でエイダ=ベザリウスと対峙した時より、廊下を走り回らされたエリオットはいくらか頭が冷えた。先ほどの場所を弁えない一方的な糾弾も、最近やたら虫の居どころが悪い自分の前にタイミング悪くベザリウスの人間が現れたからだと、多少は、本当に多少は己に非があることを自覚している。
あいつ……主人に付いていなかったな。
毎日の送迎をまめにしている様子から、授業以外では一緒にいるものと思っていた。まあ自分とリーオも主従だからといって四六時中行動を共にしているわけではないのだから当たり前なのだが。
侵入者のことはどこまで耳に入っているのだろう。エイダ=ベザリウスとあの金髪の少年とは明らかに顔見知りだったようだが、知らないまま主人を探し回っていないだろうか。
……気にしてどうする?
ふと我に返って自問するが、答えが転がっているわけでもない。わざわざ見付けて危険性はないと教えてやるのか?話しかけるなと言ったのは自分だし、言われた当人である主人のほうはともかく、ルナはあの日以来律儀にも話しかけてこないのに。
「…………ちっ」
そうして舌打ちをしつつ歩速を緩めた、入り組んだ廊下の途中だった。
にー
にー
姿は見えないものの、この道は一本道で、先には曲がり角があるだけ。この期に及んで校内で聞こえる猫の鳴き声など、もはや心当たりはひとつしかない。
「おいこら猫!校内でにゃーにゃーうるせえ……ぞ……」
やたらやかましい二匹ぶんの声のするほうへ廊下の角を曲がると、その飼い主が床に倒れ伏していた。先ほどエリオット自身が怒鳴りつけた仇家の令嬢である。
「エイダ=ベザリウス!?」
咄嗟に駆け寄り肩を揺さぶるも、目を開ける気配がない。
「おいどうした!何が……」
「ーーエイダ!!?」
悲鳴のような声が石造りの壁にひどく反響した。エリオットは顔を上げて今自分が来た方向とは逆の通路を見る。
その少女の……ルナのそんな声は初めて聞いた。どんな時も、自分が怪我をした時ですら声ひとつ上げない彼女が。
なりふり構わず走ってきたルナは、エリオットに抱き起こされたエイダに飛び付くようにして顔を覗き込んだ。
「エイダ、エイダ」
「落ち着け。息はしてるし外傷はないだろ」
校舎中を探し回ってきたのだろうにルナの顔は上気するどころか青ざめて見える。倒れている主人よりもよほど血の気がない。
震える手で主人の息やら首の脈やらを確認していたルナは、はっとして周囲を見回すと、エリオットの制服の裾を噛んで引っ張る子猫に目を留めた。
「……エリオット様、お願い、エイダを医務室に」
「あ?」
「教員室でも……とにかく、人がいるところへ」
「おいっ」
「私は、この子を……!」
「だから、落ち着け!!」
一緒にいる相手が焦っていると逆に冷静になる。リーオが喧嘩っ早いエリオットに対してよくそう言うが、実際に取り乱した人間を前にしてよく理解できた。
エリオットは猫と共に今にもまた駆け出していきそうなルナの手首を強く引く。ルナはそのままぺたりと床に座り込んで泣きそうな顔をした。いつかと同じだ、とエリオットは思った。必死で、必死すぎて、周りがろくに見えていないのに、ひとりで突っ走る。
あの時……出会った時、こうして必死になる彼女を見て、自分は。
……本当に、こんな人形がいてたまるかって。
内心で苦笑しながら、エリオットはルナの目を見て言う。
「エイダ=ベザリウスはおまえが連れて行け」
「でも」
「こいつにはオレがついて行く」
ルナが息を呑んだ。エリオットと猫たちの間で視線を彷徨わせて何かを考えている。彼女はおそらく、この猫が案内する先に何があるのか見当がついているのだろう。
そうこうしているうちに多少頭が冷えたのか、ルナは静かに首を振った。
「だめ、やっぱり危険よ」
「なら尚更だな」
「……緊急の警笛を聞いたと思うけど、侵入者は二組いるわ。片方はアヴィスの使者と呼ばれていて」
「バスカヴィルの民か」
エリオットの言葉にルナは目を見開いた。
「なんだその顔は。オレも四大公爵家の嫡流だ。その辺の事情くらい分かるし、本当にそんな連中が校内に侵入ているとして引けを取るつもりはない。それに荷物を取りに行くついでだ!」
「荷物……そういえば、いつもの鞄は?」
「金髪のチビに取られた。……こいつが案内してくれるんだろ?」
これが人為的な緊急事態だとして、このタイミングで"侵入者"が関係していないわけがない。かといって、あの少年が事態の黒幕だとはエリオットは思わなかった。エイダ=ベザリウスを庇うようなそぶりで逃げて行ったし、リーオが評した通り本人にはあまりにも害がなさそうだったからだ。荷物を取られはしたが。
……というか、他人の荷物ごと事件に巻き込まれるなよ。あのチビ。
また数秒思案したルナはエリオットが引き下がらないと判断したのか、意識のない主人の身体を引き受けて腕の中を見下ろした。
「……巻き込んで、ごめんなさい」
「今オレが何かに巻き込まれているんだとして、おまえが謝ることじゃない」
「……怪我はしないで」
「それこそおまえに言われてもな。いいから早く医務室に行け」
エリオットが追い払うような手振りをすると、ルナは自分よりも上背のある主人の腕を肩に回し難なく背負って立ち上がった。
11.暗影