箱庭聖譚曲
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ーーはぁ。
相変わらず自分に突き刺さる形のない視線に、少女は胸のうちでそっと溜め息をついた。髪と同じ錆色の睫毛が、翡翠の瞳に薄く影を作る。
貴族の家柄とは程遠い少女がラトウィッジという上流階級の寄宿学校に通い始めてもう3年になる。制服である白いブレザーとスカートも、いつの間にかずいぶんと身体に馴染みはしたものの、今でも貴族の子女のためにあつらえられたそれが自分に似合っているとは少女は考えていなかった。
血統に特別な意味を見出し強く拘りを持つ貴族の世界と言えど、現実には養子縁組の話も少なからずある。しかし彼女の身が引き取られた先は、過去を辿ろうとも決して高貴な血筋と言える家ではなく、学校で教養を得ること自体が未だ自分には分不相応に思えてならないのだ。
今から10年ほど前に少女を養子として迎えた老夫婦は、ある屋敷の庭師をしていた。その屋敷には彼女よりふたつばかり歳が上の令嬢がおり、幼い頃にその令嬢の遊び相手を務めて以来、気に入られて側で仕えている。
あの頃は、木漏れ日溢れる木陰で身を寄せて、揺れる花の色を共に愛でていても誰に咎められることもなかった。まだ生まれの後先に縛られることの少ない年齢。身分の垣根などまるでないかのように笑いかけてくれる主人たち。屋敷の中で巡る時間は穏やかに過ぎていった。
少女の扱いが一転したのは、仕えていた令嬢が貴族の中でも名門として知られるラトウィッジ校を自身の学び舎とすること決意したためだった。
上流貴族の跡取り、そしてその弟妹のための寄宿学校。
従者や侍女を付けるのならば同い年を。そうでないのなら使用人を学校に住まわせ、教室での不便は級友の中から近しい家のものを取り巻きに。
そんな、暗黙に決まっている貴族ーーとりわけ位の高い家の子女としての学校生活の相場を、しかし当の令嬢は受け容れなかった。
少女を自分の付き人として入学させる。
入学資格に年齢の制限があるのなら、学年が同じでなくとも構わない。
普段は風に吹かれただけでも簡単に折れてしまう花のような彼女が、この時だけは頑なに降りかかる非難をはねつけた。それはずいぶんと周囲を驚かせたらしかった。
かくして少女は仕え先の令嬢より2年遅れて名門校へ入学したのだが、当然、授業がある日中に学年が違う教室で職務に従事できるはずもない。貴族でもない少女が、ただの贔屓で学校で勉強する贅沢を得ている客観的事実。
付き人としての役目を充分に果たし得ない少女へ、周囲からは不満の声が募っていった。
なぜ、あんな下賤な人間と一緒に。
側にいられず何もしないのに平然とした顔で。
あの方もこんな者をお選びにならなくても。
身分を弁えていないのではないか。
あれでは、何の為にここにいるのか分からないわ。
好奇と嫉妬の入り混じった、遥か高みから注がれる視線。
遠く近く聴こえる囁き声。
華やかであるぶん影も濃い、そんな社交界の次代を担う生徒達の中で、少女は蹴落とされるべき正当な理由があると判断されたらしい。少女のひたすらに打たれ強い性格が良くない方に差し響いて、この針の筵は3年あまり続いていた。
……もう、慣れてしまったけれど。
それらに少女はひとつも心を動かさず、始業5分前を指す時計を見ていつも通り淡々と授業の準備をする。
その程度のことをいくら言われようとも彼女は何も思わない。なぜなら。
なぜなら、私がいちばん、そう思っているもの。
今までがおかしかったのだ。優しすぎる主人に、恵まれ過ぎた環境。道端に落ちていた薄汚い子供に与えられるには夢のような世界は、やはり覚まさなくてはならない夢だった。
一歩屋敷の外に出たら、普通は、常識は、現実はそうではないのだと思い知る。
どうして私なのだろう。
少女ではない人間を選べば何も悪く言われないのに。
なぜ。なぜ。なぜ。
今日が来るまでに百度、自問した。
少女を選んだ人は、それに百度答えてくれた。
それが全部だった。
考えてみれば、3年間陰口だけで済んでいることは喜ばしいかもしれない。少女の仕え先ーーつまり少女の主の家は国内有数の大家だ。並の家では手が出せない。出そうものなら一族ごと社交会を追放されてしまいかねないからだ。
たとえ自分が暴力の矛先になったとしても一向に構わないが、見えるところに傷があると間違いなく主人が心配すると少女は思った。少女は自分などを理由にあの笑顔を曇らせたくはなかった。
対して現状、自分さえ我慢していれば彼女が気にやむことはない。安いものだ。
……そう。泣き虫なあの人が、どうか。
どうか少しでも、笑っていられるように。
そう願いながら、この窮屈な箱の中で時が過ぎるのを待つ日々が、これからも続くのだと思っていた。
00.前奏
初めまして。お久しぶりです。どうぞよろしくお願いします。
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