Chapter1 深海に迷い込んだ熱帯魚
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「―――……ここであっているのかな」
地図を睨みながら、漸く辿り着いたのは大きな扉の前。
こんなことを言うのはちょっと気が引けるけど、方向音痴で忘れっぽい幼馴染みがいたため、地図を読むのは比較的、得意なほうであった。
あくまでも、その幼馴染みと比べた上での話であって、一般的な目で見たら、得意だと胸を張れるものじゃないかもしれないけど。
まあ、ともあれ、学長室と思しき部屋に辿り着けた訳であるが、驚いたのは扉の大きさ。ざっと見る限り、軽く、五、六メートルはあるだろうか。これほどまでに、大きな扉を使うということは、学園長はよっぽど背の高い人だと推測できる。
「バラクーダみたいに大きくて怖い人だったら、どうしよう」
「誰が怖い人ですって?」
「ひえっ!」
突然、背後から聞こえた声に海鳥のような変な声が出る。
「おっと、失礼。驚かすつもりはなかったのですが……って。なに柱の陰に隠れているのですか」
「……え、あ、すみません。だって、急に後ろから声がしたものですから、本能といいますか、反射的に体が動いちゃって」
「本能とはいえ、そこまで怖がられるとは……。流石に少し傷つきました。いいですか、コーラルさん。ここは陸地です。貴方を襲おうとする輩はいませんから、安心してください」
「どうして、わたしの名前を」
「学園長たるもの、生徒の顔と名前を覚えるのは当然のことです」
学園長。ああ、この人が。
シルクハットに海鳥のような嘴が付いた仮面。墨で染め上げたかのような漆黒のコートを羽織っており、右手には杖が握られている。
クルーウェル先生に引き続き、これもまた、一体何処で買ったのかと尋ねたくなるような恰好。どうやら、この学校の先生たちはお洒落さんが多いみたいだ。
ファッションの授業があれば、是非とも受講してみたいものだと学園長の格好を見つめていると、ふと、ここに来た訳を思い出した。
「あの、クルーウェル先生に言われて来ました。寮わけのことでお話があると伺ったのですが」
「ああ、そうでしたね。こんなところで長話をするのもあれです。どうぞ、部屋にお入りください」
◆◇◆
隙間なく、本棚にぎっしりと詰め込まれた書物。ゆらゆらとワカメのように踊る蝋燭の火。机の上には幾重にも重なった書類と高級そうなインク瓶や印鑑などが所狭しと並べられている。
机を挟んでソファに座って、学園長の話を聞いているのだけど、見た感じ、怖い人ではなさそうでまず一安心。だけど、それと同時に、永遠に長々と話されるものだから、いつ話が終わるのかと今か今かと待ち望んでいるのが
「―――とまあ、コーラルさんにはオクタヴィネル寮に入ってもらうことになりました」
「オクタヴィネル……」
何というか、名前からして強そうというか、ラスボス感があるというか。それこそ、裏社会のドンみたいなのが存在して、寮を牛耳っていそうなそんな気がしてならない。
「そんな怯えた顔しないでください。貴方と同じよう海の出身が生徒が多く集まっている寮ですから、気の合う友人ができるはずです。まあ、少々、厄介なのが……いえ、きっとすぐに慣れるはずです」
「厄介?今、厄介という言葉が聞こえたのですが」
「とにかく!お伝えしなければならないことは、全て話しましたので。その他に知りたいことがあれば、寮長や副寮長に聞いてください」
「あの、厄介って……」
「そうそう、こちらが四年間で教科書。なかなかの分厚さでしょう?新入生はこれをみた途端、毎年、腰を抜かすんですよ。特に貴方のように陸地に慣れていない生徒達は運ぶのに一苦労で―――」
ぐぬぬ……、完全にこちらの質問を無視されてしまっている。この人、初めは良い人そうに見えて、都合の悪いことを突かれたら、言葉を濁すタイプなのかもしれない。
それにしても、さっき学園長の口から飛び出た、“厄介”という言葉がどうも引っかかって仕方ない。
厄介ってどういうこと?
オクタヴィネル寮には手に負えないような、とんでもない問題児がいるってこと?
せめて、そこのところだけでも、はっきりさせたいところだが、また学園長の長話が始まってしまったし、尋ねようにも尋ねられない。
誰でも良いから、この呪文のような学園長の長話に終止符を打ってくれと強く願ったそのとき、扉をノックする音がした。
「お呼びでしょうか、学園長」
聞き心地の良いテノール声と共に扉の向こうから現れたのは、背の高い、青髪の男の人。切れ長の瞳に真っすぐに伸びた鼻筋、穏やかな微笑が結ばれた口元。
なんて、整った顔の持ち主なのだろう。彼の姿を見た途端、キュッと心を掴まれるような感覚に見舞われた。生まれてこのかた、一目惚れだとか恋だとか、甘酸っぱい経験をしたことはないけれど、今思えば、それらに近しい感情だったのかもしれない。
「ああ、お待ちしておりましたよ、ジェイド・リーチくん。こちらは、モニカ・コーラルさん」
ジェイド・リーチと呼ばれた、救世主とも言えるその人は優しく微笑み、そっとわたしの手を取ると、そっと甲に口づけをした。
「よろしくお願いしますね、モニカさん」
恰も、当然かのように行われた行為に思考が止まる。
それだけじゃない。足元から頭の天辺まで、体中の血液が音を立てて、沸騰するような、感覚が高波の如く襲ってきたのだ。
「―――……あ、ええっと、あの」
こちらこそよろしくお願いします。そう返そうにも、思考回路が断線してしまった頭は使い物にならない。口から漏れるのは言葉にならない声ばかり。
ああ、これじゃあ、酸欠の小魚と変わらないじゃない。
「彼はオクタヴィネルの副寮長です。寮長のアーシェングロットくんは用事があるとのことで、代理で来てもらいました。寮までの案内はリーチくんがしてくれます。こう見えても、私、忙しいので。ああ、そうそう教科書も忘れずに」
「……うおっ?!」
何の前触れもなく、突然、教科書を腕に乗せられ、変てこりんな声が絞り出たが、なんとか持ち堪えることができた。
「ふむ。やはり、そうなりますよね。まるで生まれたての子鹿のよう」
「学園長……、もしかして、楽しんでいます?」