高X子

「ねーあんなのと付き合うとか趣味悪いよね」
「ほんと、顔はいいのに」
「あの身体はヤバいでしょ」
 誰もいないと思ったからか、悪口が聞こえてきた。「高杉くん」の後に名前こそ出なかったが、明らかに自分を指す言葉に心臓がキュッとする。
 どれだけ人気のある芸能人だって、全員に好かれる訳ではない。何もしていないのに、悪意だって向けられる。学校という狭い箱に何百人という人間が集まれば、当然のように「アイツが嫌い」という感情は生まれてしまう。
 法則さえあるのだから、努力してもどうにもならない事柄はある。現に嫌いとはいかなくとも、なんとなく苦手という人間はいる。そんな人間とは出来るだけ近付かない、関わらないようにしているが、向こうからやってくるタイプもいる。
 高杉はバカで顔だけが取り柄とも言われているが、やたら目立つ事から純粋なファンや好意を寄せる者も少なからずいる。告白される事もままあっが誰とも付き合う事はなかった。
 だが、あの高杉に彼女が出来た。しかも一目惚れしてベタ惚れだという。噂はあっという間に広がって、どんな美女かと思えば自分だった。
 純粋に祝福してくれる者もいれば、見た瞬間に興味を失う者。大抵の人間は今までと変わらずに接してくれるのだが、あまり良く思わない者も現れた。いや、元々居たのだろうけどそれが明るみに出たのだろう。
 さっきみたいな悪口は初めてな訳ではない。気にしなかったし、正面から来たやつは返り討ちにするくらいの事もあった。
 ただ、今度は自分だけの問題ではなかった。自分だけならどうとでもなる。ああ、いつものかと流してマヨネーズの一本でも啜ればあっという間に元通りだ。悪意や悪口は受け取りさえしなければ本人に戻っていくのだから。
 やはり高杉と自分は釣り合わない。一目惚れと言われたが、一体自分のどこが良かったのだろうか。 
 最近、高杉がどこかよそよそしい。おまけに残りの3人も何か隠し事をしている様子だった。
 休み時間になる度に教室に来て、お昼は必ず一緒だっし、帰る時もわざわざ待ってくれている。
 それがない。最初の二三日は静かに過ごせていいと思った。でも、それが四日、五日と続くと寂しくなって、休日に連絡すら入らない。
(他に好きな人が出来たのかな……)
 鼻の奥がツンとした。おまけに目尻に涙が溜まる。制服の袖で乱暴に拭いた。泣くような事じゃない。そもそも、高杉なんかが惚れるような相手じゃないのだから。
 
 
『放課後大事な話があるからいつもの場所に来てくれ』
 久しぶりの高杉からメッセージは簡素なもので。絵文字もスタンプもない。
 この状況で思い付くような内容は一つしかない。いつもは「めんどくせぇ」なと口にしても内心は嬉しかった。それがこんなにも辛いなんて思わなかった。
 重い足取りで中庭のベンチに向かう。高杉はすでに着いていたようでコチラを真っ直ぐに見て待っていた。
 久しぶりだというのに、少しも嬉しいなんて感情が沸き上がらない。高杉からもただならぬ雰囲気を感じる。まだ正面から「別れよう」と言ってくれるだけマシだと思うしかなかった。
「あ、十四子。その、これ、まずお返し」
 暫くの沈黙の後に高杉が何やら差し出した。歯切れの悪い話方に益々不安が募る。
「……よかったら、開けて欲しい」
 薄い緑色の不織布に包まれた何か。お返しという言葉で今日がホワイトデーであった事を思い出した。
 別れ話をしようとしているのに、律儀なやつだと思った。そこが良さでもあるのだが、今は下手に優しくされたくはない。
 中から現れたのはハート型のマシュマロだった。本来ならここで「かわいい!」とか「ありがとう!」と返すのが当たり前なのだろうけど。
 何か言いたそうにしている高杉と、ホワイトデーに贈るマシュマロの意味を考えればそういう事でしかない。
「……今までありがとうな」
「……………えっ!?十四子!?」
 まさかこちらから切り出されるとは思わなかったのか、高杉が驚いた表情を見せた。意気地無し。フルならキッチリとフッて欲しい。
 遊びや罰ゲームで告白された事はある。今回もそれと同じだったのだ。可愛い子に飽きたから、少し違う相手と付き合ってみたかったのだ。 
 幸いにも誰にもすれ違わずに玄関まで来れた。こんな顔は誰にも見せられない。
「もーマジでマシュマロ見たくねぇんだけど。嫌いになりそう」
「流石にワシもちょっと辛いぜよ」
「気持ちは分からんでもないが、これは高杉が」
 いつもの三人の声がした。どうやら下駄箱の影で喋っているらしい。
『マシュマロ』『嫌い』『高杉』
 その三つのワード。この三人が知っているのは明らかだし、高杉は別れの相談をしていたのだろう。
「高杉、ちゃんと言えたかなぁ」
「様子見に行くがか?」
「だが、今回は一人でやると言われた手前、勝手な事をする訳には……」
「でも、流石に遅くねぇ?ちょっと様子見るくら……十四子ちゃん!?」
 下駄箱から顔を出した坂田と目が合ってしまった。続けて坂本と桂も顔を出す。
 逃げなきゃ、と背を向けたが走り出す前に肩を捕まれてしまった。
「待って待って!十四子ちゃん!なに!?どうしたの!?高杉が何かやらかした!?」
「離せ!…別にお前らには…関係ないだろっ.…!」
「泣いてる子ほっとける訳ねぇだろ!」
「ワシらで良ければ話を聞きゆう」
「なら、俺は高杉を探してくる。十四子さんは頼んだぞ」
「頼むぞヅラ」
「ヅラじゃない、桂だ!」
 桂はそのまま校舎の方へ向かっていった。こちらは人目を避ける為に一番近い保健室へと移動した。幸いにも中には誰いなかった。
 真っ白なベッドに腰を下ろす。坂田が膝を付いて目線を合わせた。
「えっと…なんで泣いてるか教えてくれる?あのバカがなんかした?」
 知ってるクセに。「罰ゲームで言われるのは慣れてるんだ。今回もそういう事だろ」といつもみたいに言ってやりたかったが、言葉よりも涙の方が溢れそうになる。
 それくらい、こんなに悲しくなるくらい高杉の事を好きになっていたのかもしれない。ようやく別れ際に自覚してしまうなんて。
「あー……マシュマロ貰ったんだよな…?死ぬほど不味かったとか…?」
 坂田の問いかけに違うと首を振った。
「…だって……マシュマロ…、嫌い……って」
「え!?もしかして十四子ちゃんマシュマロ嫌いだった!?」
「さか、た…だって、もう…嫌なんだろ…」
「え、嫌って…?」
「金時ーー!!大変じゃ!!」
「うるせぇ!急に大声出すんじゃねぇよ!!」
 後ろで話を聞いていた坂本が慌てた様子で、坂田にスマホを手渡した。それを見た坂田も「マジかよ!」と声を上げる。
「十四子ちゃん…間違ってたら悪いんだけどさ…もしかしてお返しのマシュマロが『あなたのことが嫌い」って意味…って事だったり…する?」
「だって……お前ら、ずっとコソコソしてて……た、か杉は連絡しても返……事こねぇし……それって……」
 き、まで出てきてそこから先は言えなかった。言ってそうだと肯定でもされたらきっと立ち直れない。
「「ごめんなさい!!!」」
 目の前には土下座した二人。「ごめんなさい」と謝ったのはやはり騙していた事への罪悪感か。
「あーもう本当に……ごめん。俺たちさっきまでマシュマロの意味知らなくて……」
「すまん。こんなに不安にさせとるとは思うちょらざった…これはワシらが悪いぜよ」
「そうだな…今回は俺たちにも責任がある」
「「ヅラ!!」」
「ヅラじゃない、桂だ!」
 保健室の扉が開くとそこには、桂とこの世の終わりのような顔をした高杉が立っていた。その顔はあまりに悲壮感に溢れている。
「すまない……本来なら高杉の口から説明するべきなんだが…見ての通り今のコイツは使い物にならん。代わりに俺から説明させてくれ」
 高杉の表情と桂の様子から騙そうとしているようには感じなかった。同様に坂田と坂本も真剣な顔をしている。
「高杉が暫く連絡を取らなかった理由だが……ずっとマシュマロを作る練習をしていたのだ。包丁も握った事のない男が絶対に手作りして驚かせるんだ、と聞かなくてな」
「その証拠に見てくれよ!このマシュマロの山を!」
 坂田の鞄には教科書も入らない程に、ぎっしりとマシュマロが詰まっている。坂本と桂の鞄も同じ状態だった。近くで見れば分かりやすいはずだと、坂田が取り出したマシュマロは不揃いでお世辞にも綺麗とは言い難い。
「で、ワシらは試食やら何やらでずっとマシュマロ続き……最初は味も酷くてげに地獄だったぜよ……」
「高杉に秘密にして欲しいと言われてな……うっかり言い兼ねないと必要以上に接触しないようにしていたのだが……結果的に不安にさせて申し訳ない」
 深く桂が頭を下げる。それに続き二人も「ごめん!!」と手合わせながら謝った。
 もう一度、手の中のマシュマロを見る。緑色のリボンをほどいて取り出した。市販品に比べると少し歪とも言えるかもしれない。一つ口に入れると甘さが広がっていく。けれどすぐに溶けてなくなってしまう。『嫌い』という理由はここから生まれたものだそうだ。
「……おいしい」
 ちゃんと甘くてマシュマロだった。市販品みたいに綺麗な形でなくとも。高杉が自分で作ったという事実が、冷えた心を暖めていく。
「高杉、聞いたか?ちゃんと"おいしい"って言って貰えたぞ」
 高杉が僅かに反応を見せた。それからゆっくり時間をかけて目線がようやく合わさる。
「ごめん……手作りが本当に嬉しくて。だから、十四子にも喜んで欲しくて……。マシュマロに、したのは……白くてふわふわして可愛いくて幸せみたいな形だから、十四子に似てるって…思って、それで……」
 ボソボソと喋る様子は普段の高杉とは真逆だった。少し口が悪くて、ハッキリ物を言う方だし言いにくそうにする姿は初めて見た。本心を言う時に言いよどむ事はあるが、高杉は最初から「好きだ」と包み隠さずに言っていた。これだけ言いにくそうにしているのは、精神的なダメージがそれだけ大きいからだろう。
「高杉はさ、バカでチビだけど今まで嘘だけは付いたことねぇの」
「マシュマロ作ってる最中、ずーーーっと十四子ちゃんの惚気ばかり喋っとたぜよ」
「俺たちが言うのもなんだが、もう一度高杉の事を信じてやってくれないか?」
 三人の目は真剣でとても嘘を付いているとも、人を騙そうとするような人間にも見えなかった。バカで騒がしくてロクな事はしない、と有名な連中だが誰かを傷付けたという話は一度も聞いた事がない。
 制服の袖で涙を拭う。落ち着く為に大きく息をしてから高杉の方を見た。
「高杉、私の方こそごめん。勘違いして勝手に嫌われたと思って、話も聞かないで決めつけてしまったのは完全に私が悪い」
「俺が十四子を嫌いになる訳ねぇだろ…!!絶対に幸せにするって決めてんだよ…!」
「幸せにする……ってなんだそれ、プロポーズみてぇだな」
「ああ、俺と結婚してくれ十四子!!」
 まさか死ぬ程落ち込んでいた人間から求婚されるとは思わなかった。いつも突拍子もない高杉らしいと言えばらしいが。
 それがなんだか可愛くて自然と微笑んでいた。
「ごめん」
「え………」
 再び高杉の顔が真っ青に戻る。残りの三人もいい雰囲気になってきていたからから、断られるとは予想していなかったらしい。「なぜだ!?」「何が駄目なんじゃ!?」「チビだから!?」と口々に疑問を投げ掛けられる。
「うるせぇよ、お前ら!そもそも年齢的にまだ結婚できねぇだろうが!!」
「「「あ」」」
「それに、まだ…付き合って日も浅いのに、結婚……とか言われても分かんねぇし……」
「とりあえず高杉の事は好き、って事で合ってる!?」
「……それもまだ、ちょっと分かんねぇけど」
 高杉の表情がクルクル代わるものだから、見ていて面白い。遊んではいけないと分かってはいるが、これはどうにも悪戯心が起きても仕方がない。
「私はさ……もう少し高杉の事知りたいかな…ひとまず返事はこれでもいいか?」
 高杉が激しく首を上下に振った。取れてしまうのではないか、というくらいに振るから心配になる。
「とりあえず一件落着、という所か」
「よかったーもう俺ヒヤヒヤしたぜ…」
「あっはっはっはっ!解決してよかったぜよ!」
「痛ぇんだよ、テメェら!!」
 三人が寄ってたかって高杉の背や肩を叩くものだから、切れまくっている。高杉もようやく調子が戻ってきたようで、殴り返したり言い合いをしている。
「あ、そういえば『大事な話』って結局なんだったんだ?」
 お返しを渡すだけならわざわざ「大事な話」とは付かないはずだ。別れ話でないと分かった今、内容は何であったのだろうか。
 三人も興味があったようで、一斉に高杉の顔を見た。
「いや、しかし二人の大事な話なら俺達は邪魔だろう」
「は?ヅラ気にならねぇの?」
「ヅラじゃない、桂だ!…気にはなるがプライベートだろう」
「俺は別にいいぜ」
 以外にも高杉は聞かれてもいいと返事をした。ならばそこまで重要な話ではないのだろう。
「十四子」
「お、おう…」
 高杉が目の前まで歩いてくる。いつになく真剣な表情だ。中身がアレでも顔がいい分、ドキリとしてしまう。神様はもう少し中身に振った方がよかったと思う。
「俺と」
 形のいい口唇が動いた。吸い込まれるようにその動きを目で追ってしまう。
「俺と結婚してください!!」
「結局、一緒じゃねぇかああああ!!」
 スパァンと高杉の頭からいい音がしたと同時に、戻ってきた養護教諭に「静かにしろ!」と全員仲良く説教される事となった。




※※※※※

「素敵…!素敵よ!としちゃん…!!」
「ありがとうミツバ……撮りすぎじゃないか…...?」
 まさか自分が純白のドレスなんて着る日が来るなど、夢にも思わなかった。恋愛にも結婚にも興味がなく、一生独身だろうと考えていた。孫の顔を見せてやれない、と心苦しさはあった。だが、両親は「あなたの幸せが何よりも大事」と育ててくれ感謝しかない。
 ミツバはこの為にわざわざ一眼レフのカメラを買った。スマホでもかなり綺麗に写真が撮れるのに、一生に一度の大切な日なんだからと何ヵ月も前から練習する程の熱の入れようだ。本番はまだこれからだというのに、シャッター音が鳴り止まない。
 そうこうしている内に時間になってしまった。覚悟は決めたはずなのに、いざそうなると緊張で手が震えてしまいそうだった。
 大きな扉が開くと赤い絨毯の上を一歩、また一歩とゆっくり歩く。心臓の音が外に聞こえてるんじゃないかというくらいに煩い。何度も練習して、何度も頭の中でシミュレーションしたけれどやっぱり緊張するものはする。
 視線の先には同じように真っ白なタキシードを着た高杉がいる。顔が緩むのを必死に堪えているのが見えて緊張が解けた。「もっと堂々としていろよバカ」と心の中で言った。

「俺はお姫様抱っこがしたいんだ!!」
 挙式と披露宴も無事に終わり二次会になった。一気に雰囲気は和やかな物になり、皆楽しそうに過ごしている。
 緊張とドレスの締め付けでロクに食事も取れなかったが、ようやく空腹の胃を満たす事が出来た。  
 あぁ良かったな、と思いながら終わりの時間が近づく事への寂しさを感じた時だった。
 突然、高杉が叫んだ。見れば珍しく酔いが回っているようだ。酒は強く滅多に酔わないのだが、仕事と式の準備に追われ、緊張感から解放された事で気が抜けてしまったのかもしれない。
 まだしゃんと立っているし、呂律も回らないとまではいかないが酔っている事には変わらない。だが、普段よりもフニャフニャした印象だ。それが顔だけならいいが、身体までもなると怪我をする可能性だってある。2人は「いいじゃねぇか!」と盛り上がるが桂だけは冷静に止めている。
「でも……お姫様だっこ……」
 高杉がぐずりだした。「十四子さんが怪我でもしたらどうするのだ」が効いたようだ。でも、本人は諦めきれないらしい。
 大の大人がぐずるなんて恥ずかしい。見ていられないから一つ溜め息を付いて高杉の隣に立った。
「これで満足か?」
「……十四子ー!!絶対に幸せにするからな!!」
 問いかけると、高杉は目をしばたたかせると抱き着いてきた。新婦が新郎をお姫様だっこする、という状態だったが満足したらしい。
 一斉に向けられるカメラと笑顔。なんというか少々の不安はあれど不思議と、なんでもないような気持ちになってくる。
「もうとっくに幸せだよ、晋助さん?」
「十四子ー!!大好きだ!!愛してる!!」
「はいはい」
 呆れたような口振りでも、結局自分も惚れた弱みというやつで。バカで真っ直ぐなこの男がどうしようもなく愛おしいのだ。
 
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