梅雨(高土)

「あ、お兄ちゃん!」
「いい子にしてたか?」
十四郎は雨が好きだった。外で遊べないからとみんな雨は嫌いだと言うけれど、十四郎は雨が大好きだった。なぜなら雨の日だけ大好きなお兄ちゃんがお迎えに来るのだ。
とりわけこのよく雨の降る六月が一番好きだ。運が良ければ二三日は雨が続く。そうするとお兄ちゃんが迎えに来てくれて、さらに一緒に遊んでくれるから嬉しくて仕方ない。
晴れるとお兄ちゃんは迎えに来てくれない。それどころか両親も迎えに来ないのだ。厳密に言うと来ない分けではないが、いつも閉園ギリギリにめんどくさそうにやって来る。初めの頃は保育士の先生も両親に注意をしてくれたが、聞く耳を持たない両親に既に諦めている。家に帰れば半額の菓子パンを食べ、適当にシャワーを浴びせられて、押し込められるうに子供部屋へと入れられる。叩かれたり殴られたりはしなかったが、愛情もなかった。育児放棄にならない程度に世話をしているから、相談は出来ても通報するには至らない。
そんな家庭環境のせいか十四郎は周りとコミュニケーションが上手く取れなくて、いつも一人ぼっちだった。
朝から雨が降っていたある日、保育士の先生が「お迎えが来たわよ」と言った。いつもより早い時間で驚いたけれど、迎えに来てくれたのは嬉しかったので急いで帰る準備をして玄関に行った。
けれど、そこには知らない男の人が立っていた。先生は安心したようにその人に挨拶していた。知らない人だったが、腫れ物の十四郎に関わるのが面倒だと思っていたからラッキーだと思ったのかもしれない。「知らない人に付いていってはいけません」と教えられていたが、目の前の男の人を知らない人だとは言えなかった。怖かったのと大人を困らせると嫌そうな顔をするのが、胸がキリキリと痛んでしまうからだ。
それから訳も分からず男の人に手を引かれた。薄い紫に蝶が踊る大きな傘と緑の小さな傘が並んで歩く。
「おにいちゃんだれ?」
「晋助」
「しんすけ…?」
「そうだ」
知らない名前だったけど何故か怖くなくなっていて、気が付いたら家に帰っていた。晋助、と名乗った男の人は普通に家に上がって両親が帰ってくるまで遊んでくれた。母親が帰って来ると、いつの間にか晋助はいなくなっていたけど、十四郎にとってはどうでもよかった。楽しくて、嬉しかった。ただそれだけでよかったからだ。
母親は小さな十四郎が既に家に居る事に驚いたようだったが、追及はしてこなかった。どうでもよかったからだろう。半額のメロンパンを齧りながら「お兄ちゃんはメロンパン好きかなぁ」と考えていた。
翌日は晴れていて今か今かと晋助を待っていたが、夜遅く面倒くさそうな父親がやってきた。手は繋いでくれなかった。その翌日も翌々日も晋助は来なかった。周りの大人たちのように晋助も自分を嫌いになったのだと思った。
それから一週間した後、夕方から雨が降った。「お迎えが来たわよ」と言われて玄関に行くと晋助が立っていた。
どうやら晋助は雨の日にだけ迎えに来てくれるのだと分かった。どうして来てくれなかったのかと大粒の涙を流しながら聞くと「雨の日にしか出てこれないんだ」と教えてくれたからだ。
それから雨が大好きになった。お迎えに来てくれて、両親が帰ってくるまで遊んでくれる。両親に晋助の事は言わなかった。言ってはいけない気がしたし、言った所で興味は持たれない。
晋助が居ればいい。いつしか晋助が世界の全てになっていた。
小学校に上がっても両親は相変わらずで、手がかからなくなったからか育児放棄は余計に酷くなった。朝起きると食パン一枚と晩御飯用に500円玉がテーブルに置いてある。授業参観も運動会も発表会にも来てくれた事はない。
傘を持って玄関を出る。予報では午後から雨だ。きっと同じ教室の子たちは嫌だと言うだろうけど、楽しみで仕方なかった。だって晋助が迎えに来てくれるのだから。
学校の授業で家族の絵を描きましょうと言われた。だから大好きな晋助の絵を描いた。なのに先生は「お父さんとお母さんは?」と言う。仕方なくあんまり顔の良くわからない両親の絵を描き足した。晋助は笑っていたけど、両親は笑っていなかった。
「晋助が家族だったらよかったのに」
「何かあったのか?」
今日学校であった事を話すと晋助は難しい顔をした。
「……十四郎は俺の所に来る気はあるか?」
「行きたい!お兄ちゃんの所がいい!」
両親も学校も教室の子たちも好きじゃないけど、晋助は大好きだから晋助とずっと一緒に居たかった。だから、そう言われて迷いなんてなかった。
「六月二十三日に大雨が降る。その日に迎えに行く」
「本当!?」
「あぁ、俺が嘘付いた事があったか?」
「ない!」
二週間後が楽しみになった。晋助がなぜ大雨が降る事が分かるのか少し不思議だったけれど、一緒に居られる事の方が嬉しくてすぐに疑問は消しとんでしまった。




『ニュースです。六月二十三日から×××市に住む小学生三年生の土方十四郎くんが行方不明になりました。現在、警察では目撃情報を求めています。』


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