名家の跡取り高杉くんと同級生の土方くん
モブ生徒が複数出てきます。
下駄箱を開けると覚えのない箱が入っていた。控え目なリボンと薄い桃色の包装紙。流石に爆発物、なんて事はないだろうが目的や理由が分からないのは怖い。
「高杉どうした?……お、やるじゃんお前!」
突っ立ったままの高杉を不思議そうに見た土方は、すぐに嬉しそうに言った。だが、やはり高杉にはその理由が全く分からない。
「え?まさかバレンタイン知らねぇ?」
「……バレンタインか」
その単語を聞いてようやく理解した。知ってはいるが、実際には遭遇していない。家柄良し、顔良しとあっても、結局は家柄や雰囲気で遠巻きにされていた。婚約者から義務的に送られては来てたが、特になんの感情も沸かなかった。
「名前とかねぇの?」
「……何も書いてねぇな」
箱を一回転させてみたが、名前らしい物は書かれていなかった。中に入っている可能性もあるが、ここで開けるのは気が引ける。
「トーーーシーーー!!」
「おはようごせぇやす、土方さん」
振り返らなくとも声の主が分かった。「ぐえっ」と土方から蛙を潰したような声がした。いくら土方が鍛えているとはいえ、ゴリラのような男にタックルされればどうしようもない。
「……どうした近藤さん」
「お妙さんからのチョコが下駄箱に入ってなかったんだ…!!」
「あーはいはい」
子供をあやすように、ポンポンと近藤の背中を叩いた。学年は一つ上たが、これではどちらが年上か分からない。
「近藤さん、まだ朝だろ?下校まで時間はあるし、バレンタインは日曜だ。次の日の月曜かもしれねぇ。まだ希望は捨てちゃいけねぇ」
「!!そうだよな、トシ!!お妙さん!!俺は貴女のチョコをいつでもお待ちしまいます!!」
ガハハハと豪快に笑い、先程とは逆に土方の背を叩く。こちらはプロレスラーのような勢いだが。
「はい、土方さん。姉上から。高杉さんも」
「おう。ありがとな総悟」
「ああ、ありがとう」
「お礼は姉上に言ってくだせぇよ」
不服そうに沖田が桃色の包みを土方渡した。沖田の姉とは、近藤の道場での餅つきで一度会った。餅が真っ赤に染まっていたあの衝撃は未だに忘れられない。可愛いラッピングの中身に少々恐怖を覚える。
土方とは偏食同士気が合うのか楽しそうにしていた。進学の為に引っ越すまで、ずっと長く一緒に居たようだ。知らない人から見れば、仲睦まじい恋人に見えてもおかしくはなかった。
「おや?高杉さんも貰ったんで?」
「あ、あぁ」
自分が渡した以外の箱を見付けた沖田が尋ねる。適当なようで想像以上に目敏く、勘が鋭はい。
「えっ!?いいなァ!!俺もチョコが欲しい!!」
「あ、志村姉弟だ」
「お妙さあああああああん!!!」
「うるさいわよ、ゴリラ」
「……悪ぃな、志村」
「大丈夫です、土方さん。僕もいい加減慣れたんで」
近藤が見事な弧を描いて飛んでいく。落ちた所でお妙の追撃。この光景も見慣れてしまった。勿論、それに全く動じていない他の人間の様子もだ。
手の中の箱を見た。何がいいのだろう。たかだかチョコレートである。興味がないと言えばそうだった。だが、こうして土方との交流が生まれてから、思い返してみるとわかった事がある。
羨ましかったのだ。ただのチョコレートで一喜一憂し、友人同士楽しそうにしている姿が。
居候してから、学校にほぼ毎日登校している。以前よりも馴染んではいる。近藤や沖田のような、知り合いも増えた。しかし「勘当された」という話はそれなりに広がっているらしい。相変わらず遠巻きにする者も、影で嘲笑している者もいる。
幸運にもクラスの人間は案外すんなりと受け入れてくれた。銀八がそれとなく言ってくれたおかげかもしれない。元々、気のいい人間が集まったクラスだったのかもしれない。土方が同じクラスだったからかもしれない。
ともかく家に居た頃よりも「一人」という事を感じなくなった。学校に来れば銀八や近藤、沖田が居る。今の家(と言ってもいいのだろうか)には土方やその家族が居る。
当たり前ではあるが、当たり前ではない事。高杉になかった物が、怖いくらいにどんどん増えていく。
(俺ァ、貰ってばかりだな……)
年末に書いた年賀状。貰う事も、内容も知っていたのにいざ受け取ってみると嬉しいものだ。おまけに、その年賀状でギフトセットまで当たってしまった。
カタログを見せられ「高杉どれがいい?」と聞かれた。元々は土方が買ってきたハガキである。それがたまたま当たった、いわばおこぼれのようなもの。商品を選ぶ権利は土方にあると思い辞退しようとした。が、断固拒否された。
お互いに一歩も譲らず、落とし所として全員で決めるという事になった。夕食後に始まった緊急家族会議には、高杉の席もしっかりと用意されていた。
自分の席はない物だと思っていた。一人一つ欲しい物を上げる、となると当然高杉も言わなければならない。
結果というと、白熱のジャンケン大会で義姉が勝利した。ジャンケンならば後腐れがない。全部運任せである。高杉に無理矢理決めさせるという事もない。仮に勝利したとしても、それは高杉自身の運だからという事になる。
同じ年齢だというのに、土方は遥かに大人に見えた。小さな頃から言われるままに、上部だけの教養を詰め込まれ、世渡り方法を教えられてきた。大人の望んだ、ただの頭でっかちな操り人形の出来上がりだ。中身なんてありはしない。周りの大人たちは高杉の中身なんて必要がなかったからだ。
ボロボロの近藤を保健室に届けて教室に入る。教卓には菓子の山が出来ていた。黒板には「ハッピーバレンタイン!」とチョークで書かれている。
「土方くん、高杉くんおはよー!女子からだから、好きなの食べてね!」
女子の一人が声をかけてきた。「しょっぱい系もあるよ~」「一人二つまでね!」と声が続く。
「お、マジ!?高杉、ほら選ぼうぜ」
「いいのか、俺まで」
「こういう時はちゃんと貰っとけ。ほら、これとか好きだったよな?」
ひょい、と渡されたのはスナック菓子の小袋。確かに一時期気に入ってよく食べていた事がある。
「ありがとう」
「どういたしましてー!」
「お返し楽しみにしてるよ~」
その言葉に近くにいた女子が返事をする。こちらを気にしていた男子もどことなく満足そうだ。
「この調子なら銀八が来るまでに全部配れそ………」
「俺がなんだって?」
「ゲェ!?銀八!!」
「ゲェ!?とはなんだゲェ!?とは」
女子の後ろからヌルっと銀八が現れた。
「今日は職員会議があったはずなのに!」
「会議より糖分の方が大事に決まってんだろ!!このお菓子は俺の物で~~~す!!」
「銀八の分はないわよ!!」
「それは俺たちのチョコレートだ!!」
「口答えするなら教師権限で没収しまーーーす!!」
「汚ぇぞ!!」
「人でなし!!天パ!!糖尿!!」
銀八と生徒たちのじゃれ合いを横目に席に付く。銀八は大人で力もあるが、生徒の方が人数が多い。少しだけ生徒側の方が有利そうである。隣の教室からクレームが来るか、銀八が連れ戻されるまで続きそうだ。
土方は席に付くとスマホでメッセージを打っている。恐らく沖田の姉にお礼を伝えるのだろう。薄い緑の不織布の袋と隣にはマヨネーズ味のおかき。しっかりとあの菓子の山から確保している。とある女子の視線が土方に向いてすぐに逸らされた。ほんのりと耳がが赤くなっている。
「高杉の分も伝えといた。ミツバがよろしくって」
「助かる」
こういうのが良い所で悪い所だ。
ジクジクと胸が痛む。昔見せられた舞台で、女の嫉妬などバカみたいだと思った。そんな男はさっさと次の相手を見つけるなりすればいい。殺してしまうほど、恋に狂うという心情は全く理解できなかった。
欠伸を噛み殺しながら、大人が望むだろう感想を考えた。何度も公演された人気の舞台だ。事前の情報だけはたくさんある。要点さえ抑えれば機嫌を損ねる事はない。周りに倣って立ち上がり拍手をする。別になんの感情も沸かない。ただ早く帰りたいという思いのみ。
流石に土方を殺そうなんて発想はない。しかし、何かの拍子に足を踏み外すなんてあり得る事でもある。舞台のあの女たちも、たった一つの切っ掛けで愛は憎みに変わってしまった。
思考を遮るように予鈴が鳴った。おかげで妄想ではなく現実に意識が戻ってくる。生徒たちはボロ雑巾と化した銀八を廊下に閉め出し、授業の用意を始めている。
教師の言葉を右から左へ受け流す。隣の土方を盗み見るとノートに向き合っている。かたや高杉のノートは真っ白なまま。予習済みの範囲であるから、当てられたとしても答えられる。そもそも扱いにくい高杉を当てる教師は銀八くらいだが。
土方に何かしてやりたい。バレンタインに便乗してプレゼントを渡そうかと考える。しかし、それではあの女子と一緒ではないだろうか。
「高杉、もう授業終わったぞ」
「え……?ああ、すまねぇ」
随分と考えこんでいたようだ。周りの様子にもチャイムにも全く気が付かなかった。ノートには意味のない文字だらけで、結局考えは纏まらなかった。
その日の授業は一つも身に入らなかった。全ての授業は土方へのお礼を考える時間に使用された。
土方はあまり甘い物は好まない。やはりマヨネーズかとなるが、それでは普通過ぎやしないだろうか。貯金はそれなりにあるので、少々高価な物でも買う事はできる。しかし、例えば高級な腕時計を贈られても土方は困るだろう。欲しいとも限らないし、身の丈に合う物の方が喜ばれるだろう。せっかくであれば、土方の義兄と義姉にもお礼がしたい。世話になりっぱなしであるし、ただ与えられるままというのも居心地が悪い。バレンタインに便乗して、ちょっとしたお礼を渡しても問題ないだろう。
そうと決まれば行動は早い。残りの授業時間に、週末の買い物の計画を練る事にした。
バレンタイン当日。食事の後にプレゼントを渡した。義姉からもあったがそれは予想通りである。「子供は気を使わなくていい」と言われたが、喜んで受け取ってくれた。
人に物を贈るのなんて、いつも裏があるものだった。待遇を良くして欲しい、贔屓して欲しい。流石に箱の下に賄賂がある、なんて事はなかったが、それに近しい事はあった。親がダメなら子の方を懐柔しようとする汚い大人たちを見て来た。
それなのに土方家の人間は何の見返りもなく、二人の子供の面倒を見ている。しかも一方は血の繋がりもない、全くの他人。突然転がりこんで居候させて貰っている。せめて生活費をと言っても絶対に受け取らなかった。
まるでドラマを見ている視聴者のようだった。全く自分の知らない世界。土方からすれば、高杉家の方がドラマの世界みたいだと言っていたが。
そういうものが素直に美しいと思うし、羨ましいとも感じてしまう。だから、余計にか自分の汚れた部分もハッキリと見え始めた事が少し苦しい。
「ありがとな、高杉!!」
食後に土方の部屋へと移動した。義兄夫婦はイチャイチャタイムであるらしい。普段と変わらないが、イベント事は三割増になる。土方は贈られたシャーペンをくるくると回しながら喜んでいた。マヨネーズは義姉が毎年用意していたようで、回避して正解だった。
あまり気負わせずに、どうせなら実用的な物を。筆圧が強いのかよく芯を折る土方に、少し良い値段の折れにくいく物を贈った。土方自身も悩んでいたようで、試し書きで「すげぇ!」と声を上げていた。
「俺なんも用意してねぇのに貰っていいのか?」
「あぁ、いつも貰ってんのは俺の方だからな。こういう時くらい礼くらい返さねぇとバチが当たらァ」
土方は心当たりがない、という顔をした。貰った物は目に見えない物の方が多い。その殆どが無自覚なのだから致し方ないだろう。
「いや、俺もお前に貰ってるぜ?」
少し考えた後、土方は自信ありげにそう言った。こちらとしては何かをあげたのはシャーペンくらいしか浮かばない。
「俺さ兄弟欲しかったんだよ。義兄さんとは血が繋がってるけど、歳が離れすぎて父親って感覚だし。他の親戚や兄弟には厄介者でしかなかったし。これ言うのちょっと恥ずかしいんだけど……」
そこで一度言葉を止めた。その先の言葉が一体何なのか。同じ感情を抱いているのではと淡い期待をしてしまう。
「高杉が家に来てくれてから、兄弟が出来たみたいだ!って嬉しかったんだぜ?」
「きょう、だい……」
期待とは裏腹にまさかの兄弟宣言。ある意味自分の望んでいた特別ではあるが、自分の感情からは一番遠い位置にある。
「いや……兄弟なら高杉って呼ぶのはおかしいよな……」
思いの外ショックだったようで、その後に続いた言葉が入ってこない。友達よりは近いが、家族となれば恋愛には遠すぎる。
「晋助」
名を呼ばれた瞬間気が狂いそうだった。驚きで始め何と言ったのか分からなかった。
「高杉どうした!?嫌だったのか!?」
微動だにしない高杉に不安を覚えた土方が焦っている。土方の口から聞こえた「晋助」という響きを噛み締めた。元の家では当たり前に呼ばれていた名が、こんなにも特別な響きになるなんて。
「すまねぇ。ちょっとびっくりしただけだ。晋助でいい。……いや、晋助がいい。だから、おれも十四郎って呼んでいいか……?」
「いいに決まってんだろ!」
雲っていた顔が一瞬で晴れ渡った。本当に嬉そうに笑うものだから、釣られて笑顔になる。
「俺の事、お兄ちゃんって呼んでもいいんだぞ?」
「絶対に呼ばねぇよ」
十四郎という特別を手放してなるものか。じゃれ合いながら笑い合う。自身もまた土方の特別になれたようで嬉しかった。
傍に居られるだけで、人生で一番幸せを感じている。この気持ちを伝えるつもりはない。ただ、土方にはずっと笑顔で居て欲しいと思っている。
下駄箱を開けると覚えのない箱が入っていた。控え目なリボンと薄い桃色の包装紙。流石に爆発物、なんて事はないだろうが目的や理由が分からないのは怖い。
「高杉どうした?……お、やるじゃんお前!」
突っ立ったままの高杉を不思議そうに見た土方は、すぐに嬉しそうに言った。だが、やはり高杉にはその理由が全く分からない。
「え?まさかバレンタイン知らねぇ?」
「……バレンタインか」
その単語を聞いてようやく理解した。知ってはいるが、実際には遭遇していない。家柄良し、顔良しとあっても、結局は家柄や雰囲気で遠巻きにされていた。婚約者から義務的に送られては来てたが、特になんの感情も沸かなかった。
「名前とかねぇの?」
「……何も書いてねぇな」
箱を一回転させてみたが、名前らしい物は書かれていなかった。中に入っている可能性もあるが、ここで開けるのは気が引ける。
「トーーーシーーー!!」
「おはようごせぇやす、土方さん」
振り返らなくとも声の主が分かった。「ぐえっ」と土方から蛙を潰したような声がした。いくら土方が鍛えているとはいえ、ゴリラのような男にタックルされればどうしようもない。
「……どうした近藤さん」
「お妙さんからのチョコが下駄箱に入ってなかったんだ…!!」
「あーはいはい」
子供をあやすように、ポンポンと近藤の背中を叩いた。学年は一つ上たが、これではどちらが年上か分からない。
「近藤さん、まだ朝だろ?下校まで時間はあるし、バレンタインは日曜だ。次の日の月曜かもしれねぇ。まだ希望は捨てちゃいけねぇ」
「!!そうだよな、トシ!!お妙さん!!俺は貴女のチョコをいつでもお待ちしまいます!!」
ガハハハと豪快に笑い、先程とは逆に土方の背を叩く。こちらはプロレスラーのような勢いだが。
「はい、土方さん。姉上から。高杉さんも」
「おう。ありがとな総悟」
「ああ、ありがとう」
「お礼は姉上に言ってくだせぇよ」
不服そうに沖田が桃色の包みを土方渡した。沖田の姉とは、近藤の道場での餅つきで一度会った。餅が真っ赤に染まっていたあの衝撃は未だに忘れられない。可愛いラッピングの中身に少々恐怖を覚える。
土方とは偏食同士気が合うのか楽しそうにしていた。進学の為に引っ越すまで、ずっと長く一緒に居たようだ。知らない人から見れば、仲睦まじい恋人に見えてもおかしくはなかった。
「おや?高杉さんも貰ったんで?」
「あ、あぁ」
自分が渡した以外の箱を見付けた沖田が尋ねる。適当なようで想像以上に目敏く、勘が鋭はい。
「えっ!?いいなァ!!俺もチョコが欲しい!!」
「あ、志村姉弟だ」
「お妙さあああああああん!!!」
「うるさいわよ、ゴリラ」
「……悪ぃな、志村」
「大丈夫です、土方さん。僕もいい加減慣れたんで」
近藤が見事な弧を描いて飛んでいく。落ちた所でお妙の追撃。この光景も見慣れてしまった。勿論、それに全く動じていない他の人間の様子もだ。
手の中の箱を見た。何がいいのだろう。たかだかチョコレートである。興味がないと言えばそうだった。だが、こうして土方との交流が生まれてから、思い返してみるとわかった事がある。
羨ましかったのだ。ただのチョコレートで一喜一憂し、友人同士楽しそうにしている姿が。
居候してから、学校にほぼ毎日登校している。以前よりも馴染んではいる。近藤や沖田のような、知り合いも増えた。しかし「勘当された」という話はそれなりに広がっているらしい。相変わらず遠巻きにする者も、影で嘲笑している者もいる。
幸運にもクラスの人間は案外すんなりと受け入れてくれた。銀八がそれとなく言ってくれたおかげかもしれない。元々、気のいい人間が集まったクラスだったのかもしれない。土方が同じクラスだったからかもしれない。
ともかく家に居た頃よりも「一人」という事を感じなくなった。学校に来れば銀八や近藤、沖田が居る。今の家(と言ってもいいのだろうか)には土方やその家族が居る。
当たり前ではあるが、当たり前ではない事。高杉になかった物が、怖いくらいにどんどん増えていく。
(俺ァ、貰ってばかりだな……)
年末に書いた年賀状。貰う事も、内容も知っていたのにいざ受け取ってみると嬉しいものだ。おまけに、その年賀状でギフトセットまで当たってしまった。
カタログを見せられ「高杉どれがいい?」と聞かれた。元々は土方が買ってきたハガキである。それがたまたま当たった、いわばおこぼれのようなもの。商品を選ぶ権利は土方にあると思い辞退しようとした。が、断固拒否された。
お互いに一歩も譲らず、落とし所として全員で決めるという事になった。夕食後に始まった緊急家族会議には、高杉の席もしっかりと用意されていた。
自分の席はない物だと思っていた。一人一つ欲しい物を上げる、となると当然高杉も言わなければならない。
結果というと、白熱のジャンケン大会で義姉が勝利した。ジャンケンならば後腐れがない。全部運任せである。高杉に無理矢理決めさせるという事もない。仮に勝利したとしても、それは高杉自身の運だからという事になる。
同じ年齢だというのに、土方は遥かに大人に見えた。小さな頃から言われるままに、上部だけの教養を詰め込まれ、世渡り方法を教えられてきた。大人の望んだ、ただの頭でっかちな操り人形の出来上がりだ。中身なんてありはしない。周りの大人たちは高杉の中身なんて必要がなかったからだ。
ボロボロの近藤を保健室に届けて教室に入る。教卓には菓子の山が出来ていた。黒板には「ハッピーバレンタイン!」とチョークで書かれている。
「土方くん、高杉くんおはよー!女子からだから、好きなの食べてね!」
女子の一人が声をかけてきた。「しょっぱい系もあるよ~」「一人二つまでね!」と声が続く。
「お、マジ!?高杉、ほら選ぼうぜ」
「いいのか、俺まで」
「こういう時はちゃんと貰っとけ。ほら、これとか好きだったよな?」
ひょい、と渡されたのはスナック菓子の小袋。確かに一時期気に入ってよく食べていた事がある。
「ありがとう」
「どういたしましてー!」
「お返し楽しみにしてるよ~」
その言葉に近くにいた女子が返事をする。こちらを気にしていた男子もどことなく満足そうだ。
「この調子なら銀八が来るまでに全部配れそ………」
「俺がなんだって?」
「ゲェ!?銀八!!」
「ゲェ!?とはなんだゲェ!?とは」
女子の後ろからヌルっと銀八が現れた。
「今日は職員会議があったはずなのに!」
「会議より糖分の方が大事に決まってんだろ!!このお菓子は俺の物で~~~す!!」
「銀八の分はないわよ!!」
「それは俺たちのチョコレートだ!!」
「口答えするなら教師権限で没収しまーーーす!!」
「汚ぇぞ!!」
「人でなし!!天パ!!糖尿!!」
銀八と生徒たちのじゃれ合いを横目に席に付く。銀八は大人で力もあるが、生徒の方が人数が多い。少しだけ生徒側の方が有利そうである。隣の教室からクレームが来るか、銀八が連れ戻されるまで続きそうだ。
土方は席に付くとスマホでメッセージを打っている。恐らく沖田の姉にお礼を伝えるのだろう。薄い緑の不織布の袋と隣にはマヨネーズ味のおかき。しっかりとあの菓子の山から確保している。とある女子の視線が土方に向いてすぐに逸らされた。ほんのりと耳がが赤くなっている。
「高杉の分も伝えといた。ミツバがよろしくって」
「助かる」
こういうのが良い所で悪い所だ。
ジクジクと胸が痛む。昔見せられた舞台で、女の嫉妬などバカみたいだと思った。そんな男はさっさと次の相手を見つけるなりすればいい。殺してしまうほど、恋に狂うという心情は全く理解できなかった。
欠伸を噛み殺しながら、大人が望むだろう感想を考えた。何度も公演された人気の舞台だ。事前の情報だけはたくさんある。要点さえ抑えれば機嫌を損ねる事はない。周りに倣って立ち上がり拍手をする。別になんの感情も沸かない。ただ早く帰りたいという思いのみ。
流石に土方を殺そうなんて発想はない。しかし、何かの拍子に足を踏み外すなんてあり得る事でもある。舞台のあの女たちも、たった一つの切っ掛けで愛は憎みに変わってしまった。
思考を遮るように予鈴が鳴った。おかげで妄想ではなく現実に意識が戻ってくる。生徒たちはボロ雑巾と化した銀八を廊下に閉め出し、授業の用意を始めている。
教師の言葉を右から左へ受け流す。隣の土方を盗み見るとノートに向き合っている。かたや高杉のノートは真っ白なまま。予習済みの範囲であるから、当てられたとしても答えられる。そもそも扱いにくい高杉を当てる教師は銀八くらいだが。
土方に何かしてやりたい。バレンタインに便乗してプレゼントを渡そうかと考える。しかし、それではあの女子と一緒ではないだろうか。
「高杉、もう授業終わったぞ」
「え……?ああ、すまねぇ」
随分と考えこんでいたようだ。周りの様子にもチャイムにも全く気が付かなかった。ノートには意味のない文字だらけで、結局考えは纏まらなかった。
その日の授業は一つも身に入らなかった。全ての授業は土方へのお礼を考える時間に使用された。
土方はあまり甘い物は好まない。やはりマヨネーズかとなるが、それでは普通過ぎやしないだろうか。貯金はそれなりにあるので、少々高価な物でも買う事はできる。しかし、例えば高級な腕時計を贈られても土方は困るだろう。欲しいとも限らないし、身の丈に合う物の方が喜ばれるだろう。せっかくであれば、土方の義兄と義姉にもお礼がしたい。世話になりっぱなしであるし、ただ与えられるままというのも居心地が悪い。バレンタインに便乗して、ちょっとしたお礼を渡しても問題ないだろう。
そうと決まれば行動は早い。残りの授業時間に、週末の買い物の計画を練る事にした。
バレンタイン当日。食事の後にプレゼントを渡した。義姉からもあったがそれは予想通りである。「子供は気を使わなくていい」と言われたが、喜んで受け取ってくれた。
人に物を贈るのなんて、いつも裏があるものだった。待遇を良くして欲しい、贔屓して欲しい。流石に箱の下に賄賂がある、なんて事はなかったが、それに近しい事はあった。親がダメなら子の方を懐柔しようとする汚い大人たちを見て来た。
それなのに土方家の人間は何の見返りもなく、二人の子供の面倒を見ている。しかも一方は血の繋がりもない、全くの他人。突然転がりこんで居候させて貰っている。せめて生活費をと言っても絶対に受け取らなかった。
まるでドラマを見ている視聴者のようだった。全く自分の知らない世界。土方からすれば、高杉家の方がドラマの世界みたいだと言っていたが。
そういうものが素直に美しいと思うし、羨ましいとも感じてしまう。だから、余計にか自分の汚れた部分もハッキリと見え始めた事が少し苦しい。
「ありがとな、高杉!!」
食後に土方の部屋へと移動した。義兄夫婦はイチャイチャタイムであるらしい。普段と変わらないが、イベント事は三割増になる。土方は贈られたシャーペンをくるくると回しながら喜んでいた。マヨネーズは義姉が毎年用意していたようで、回避して正解だった。
あまり気負わせずに、どうせなら実用的な物を。筆圧が強いのかよく芯を折る土方に、少し良い値段の折れにくいく物を贈った。土方自身も悩んでいたようで、試し書きで「すげぇ!」と声を上げていた。
「俺なんも用意してねぇのに貰っていいのか?」
「あぁ、いつも貰ってんのは俺の方だからな。こういう時くらい礼くらい返さねぇとバチが当たらァ」
土方は心当たりがない、という顔をした。貰った物は目に見えない物の方が多い。その殆どが無自覚なのだから致し方ないだろう。
「いや、俺もお前に貰ってるぜ?」
少し考えた後、土方は自信ありげにそう言った。こちらとしては何かをあげたのはシャーペンくらいしか浮かばない。
「俺さ兄弟欲しかったんだよ。義兄さんとは血が繋がってるけど、歳が離れすぎて父親って感覚だし。他の親戚や兄弟には厄介者でしかなかったし。これ言うのちょっと恥ずかしいんだけど……」
そこで一度言葉を止めた。その先の言葉が一体何なのか。同じ感情を抱いているのではと淡い期待をしてしまう。
「高杉が家に来てくれてから、兄弟が出来たみたいだ!って嬉しかったんだぜ?」
「きょう、だい……」
期待とは裏腹にまさかの兄弟宣言。ある意味自分の望んでいた特別ではあるが、自分の感情からは一番遠い位置にある。
「いや……兄弟なら高杉って呼ぶのはおかしいよな……」
思いの外ショックだったようで、その後に続いた言葉が入ってこない。友達よりは近いが、家族となれば恋愛には遠すぎる。
「晋助」
名を呼ばれた瞬間気が狂いそうだった。驚きで始め何と言ったのか分からなかった。
「高杉どうした!?嫌だったのか!?」
微動だにしない高杉に不安を覚えた土方が焦っている。土方の口から聞こえた「晋助」という響きを噛み締めた。元の家では当たり前に呼ばれていた名が、こんなにも特別な響きになるなんて。
「すまねぇ。ちょっとびっくりしただけだ。晋助でいい。……いや、晋助がいい。だから、おれも十四郎って呼んでいいか……?」
「いいに決まってんだろ!」
雲っていた顔が一瞬で晴れ渡った。本当に嬉そうに笑うものだから、釣られて笑顔になる。
「俺の事、お兄ちゃんって呼んでもいいんだぞ?」
「絶対に呼ばねぇよ」
十四郎という特別を手放してなるものか。じゃれ合いながら笑い合う。自身もまた土方の特別になれたようで嬉しかった。
傍に居られるだけで、人生で一番幸せを感じている。この気持ちを伝えるつもりはない。ただ、土方にはずっと笑顔で居て欲しいと思っている。
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