名家の跡取り高杉くんと同級生の土方くん

「やっぱり似合うと思ったのよ!!」
 興奮気味にスマホのシャッターを切っているのは、土方の「姉」である。
 この日の為にとわざわざ仕立て直した浴衣。大きな夏祭りがあるからと用意された物である。
 土方は濃い緑の俺は紫色の浴衣を着付けられ、撮影会が始まった。和服は着なれているから、今更特に思う事はないが、隣の土方はなんというか少し落ち着きがないようにも感じられる。
「さすがにお前は慣れてるな」
「お前は"着られてる"って感じだな」
「うるせぇ」
 土方は口を尖らせて言う。普段からTシャツやジャージなどの動き易い服装で、夏祭りも同じような格好で行っていた。それが、今年は俺が居るからという理由で一月以上も前から浴衣が準備されたのだ。
 嬉しいとか、恥ずかしいとかそういう物が土方の態度に出ている。決して、嫌だとか迷惑だとかじゃなく所謂照れ隠しというやつだ。
 浴衣は土方の「兄」である為五郎さんが昔着ていた物だ。これがなかなか質が良い。それなりの値段の物だろう。大切にしてきたのも見ただけで分かる。
 そんな物を居候の自分が使っていいものかと思ったが「着ない方がもったいない」と先に言われてしまった。
「義姉さんそろそろいいんじゃねぇの?自分も浴衣着るんだろ」
「あら、ごめんなさい!もうこんな時間ね」
 撮影会にうんざりしてきたのか土方が口を開いた。そこそこ時間が経っていたようで、家を出る時間が迫っていた。土方の姉も今年は浴衣を着ると張り切っている。久しぶりに旦那と二人でデートという事も一つの要因である。
 夫婦、という物は本来はこういう形なのだろう。高杉の家は昔から政略結婚だとか、許嫁だとか自由恋愛ではない。愛情が芽生える事もあるだろうが、片手で足りる程の人数だろう。中にはそういうのが嫌で飛び出した者も居るというが、その後どうなったかは分からない。
 ともかく、姉が頬を染めて喜んでいる姿はそれだけ旦那を好いているという事なのだろう。旦那である為五郎さんも、満更ではない様子であった。
 土方の家に世話になってからというもの、見る物全てが新鮮で己の世界の狭さを思いしる事ばかりである。
 何でも持っている、と言われもしたがその実何も持ってはいない。家の力で勉学や習い事、金であったりと、全ては自分の力ではない。家を飛び出した者たちがどうなったか知らないのは、知ろうとしなかったからだ。
 自分の生活に何の疑問も持たず、当たり前に与えられて、何も知ろうとはしなかった。
 仕方ない、と言ってしまえばそうなのかもしれない。だが、本当にそうなのだろうか?
「高杉?」
「ああ、悪い」
 心配そうに土方がこちらを見ていた。ひとまず脳内を占めていた事は隅に追いやった。考えるのはまた後だ。
「行ってきます!」
「行ってきます」
「行ってらしゃい!」
 玄関で見送られるのも、もう何度目だろう。高杉の家に居た時にも、使用人たちに見送られていた。しかし、家族に見送られた事はほとんど記憶にない。家族との時間もやはり記憶にはあまり残っていない。
 学校行事はいつも来賓席に座っていた。
 普段の食事の席は一緒だったが特に会話らしい会話はない。それも年齢が上がるにつれ、別々の時間で摂るようになっていった。
 夏祭りも来賓席の隣に座らされ、屋台も花火もロクに見る事なく終わってしまった。
 だからこうして夏祭りに参加するのは初めての事である。友人、と呼んでもいいのか悩む所だがそういった相手と一緒に行くのも初めての事である。
 
 会場は人でごった返していた。自分の住んでいる場所にはこんなにも沢山の人間が居たのかと驚いた。
 屋台の呼び込みの声や家族連れの会話、祭り囃子と煩いような喧騒がどうしてか心地よいとさえ思ってしまう。
「高杉何食う?」
「そうだな……」
「焼きそばもいいしたこ焼きもマヨネーズに合うしな…やっぱ悩むよなぁ」
 何だってマヨネーズまみれにするクセに今更である。それにツッコミを入れるのま今更であるが。
「よし!両方買おう!で、半分にすりゃあいい!」
 名案とばかりに土方が手を叩くとすぐ近くの屋台に向かって行った。
「焼きそば一つ!!」
「あいよー!」
 威勢のいい声と共にこちらを見た店主がほんの一瞬だけ眉を潜めた。だが、すぐに「出来立て詰めてやるよ」と焼きそばを炒め始める。
 勘当された事は公表はされていない。されてはいないが、知られていないという訳ではない。
 どこから話が漏れるのも想定の範囲内だ。それを余程の事がない限りは高杉家が咎める事もない。流石に本当の理由は話せないが、問われればそれらしい事を言うだろう。
 焼きそばとたこ焼きをビニール袋に入れて、座れそうな場所を探す。休憩所は作られているが、これだけ人がいれば空いている場所を見つけるのは難しい。
 歩いている間もすれ違う人間が自分に向かって眉を潜めているような気がする。冷たい目で見られているような気がする。笑い声が嘲笑のような気がする。
 いつしか楽しいという気持ちは消えて、暗くどんよりとした気持ちに支配されていく。
「高杉、気分悪いのか?」
「……いや、ちょっと人に酔ったんだと、思う……」
 咄嗟にそう答えた自分を褒めてやりたい。情けない姿を土方の前で晒したくなどなかった。
「大丈夫か?歩けるか?」
「ああ、大丈夫だ……」
「でも、お前顔色悪いじゃねぇか」
 そう言うと土方に手を強く握られどこかへと引っ張られて行く。
 人混みをかき分けながら、屋台の隙間を抜けた。手を引かれるまま暫く歩くと小さな公園にたどり着いた。祭りの明かりと喧騒は聞こえるが、人はいない。どうしてこんな所に、と思ったが「人に酔った」と言ったから人気のない所に連れてきたのだと、合点がいった。
「悪い、はしゃぎ過ぎて体調悪いの気付けなかった…」
「謝る事じゃねぇよ。俺こそ水を差して悪い」」
 並んでベンチに座り遠くの祭りの明かりを眺める。暗くて表情が分かりにくいが、きっと土方は申し訳なさそうな顔をしているに違いない。
 せっかく買った焼きそばもたこ焼きも、もう冷めてしまっているだろう。土方がバイトして貰った給料で買った物だ。いい、と遠慮しても「俺がそうしたいから」と絶対に譲らない。断っても土方の姉も兄も小遣いを渡してきた。そしてお決まりのように「子供が遠慮する事はない」と頑なに譲らないのだ。
 親子揃って似た者同士だ。親子だから当たり前なのだが。
 嫌ならば出ていけばいいのに、それが出来ない。結局の所、甘えている。出ていった所で何が出来ると言い訳をして、居座っている。それがどうしようもなく情けなくて仕方がない。
「なあ……」
「どうした?」
「なんで、お前は、お前の家族は俺なんかに良くしてくれるんだ…?」
「そりゃあまぁ…高杉は友達だし?義兄さん達にとっては息子みたいなモンだし。上手く言えねぇけど、そうしたいからしてんだよ。それに、一度言い出したら譲らねぇのは知ってんだろ?」
 悪戯が成功した時みたいに「にしし」と土方は笑っているだろう。「お互い大変だよなぁ」なんて冗談を言った。
「けど、俺なんかと一緒にいてもいい事なんかねぇだろ」
 他人から眉を潜められるのだ、その内何かしらの影響が出ないとも言いきれない。高杉の家は直接手を出しては来ないだろうが、その周りの人間の事は分からない。いい顔をしていても、内心では良く思っていない人間は大勢居るのだから。
「んな事気にしてたら、実家と縁切ってまで俺を引き取らねぇだろ」
 今、土方は何と言った。聞こえてはいるが、その意味が汲み取れない。
「あー……悪い。言ってなかったけど、俺と義兄さんは腹違いの兄弟で義姉さんとは血が繋がってねぇんだよ」
 ドォンと音がして夜空に大輪の花が咲いた。月明かりにぼんやりと浮かんだ土方の顔は、とても冗談を言っているようには思えなかった。
「……え?」
「なんつーの?俺は所謂、愛人の子供でさ。父親が死んでからひょっこり見つかっちまって。親戚中たらい回しにされてたら、義兄さんがスッゲェキレたらしくてさ。んで、色々あって実家と縁切って俺を引き取ったって訳」
 花火の音に混じって土方の声がする。何でもないように言っているが、それはそんな簡単に言える話ではない。
「母親の顔は覚えてねぇし、父親の顔も知らねぇ。初めはさ、俺も義兄さん達が信じられなくて、厄介者でしかないと思ってたんだけどな。けど、今ではいつか恩返しするんだって感謝してんだ」
 なぜ「父」や「母」と呼ばず「義兄さん」「義姉さん」と呼んでいたのか。
 ずっと疑問には思っていたが、言い出せずにそれに倣って「兄」「姉」と呼んでいたがようやく腑に落ちた。 
 自分ばかりがなぜ、と思う事もあったがそれ以上のものを土方は背負っているのではないか?
 笑って何も聞かずに手を差しのべてくれたのは、似たような痛みを抱えていたからではないのか?
「黙っててごめんな…言わなきゃなとは思ってたんだけど、困らせちまったな…」
 固まったままの俺を見て土方が困ったように言った。「そうじゃない」と言うのも少し違うような気がして、何と言うのが正しいのかが分からないでいる。
「今は言えなくても、お前が考えてる事教えてくれな?」
 そうやって土方は笑う。傷付いてきた過去がありながら、誰よりも優しく生きている。
「……ああ」
 今はそれだけしか返す事ができない。自分の気持ちも、自分がどうしたいかさえ分からない。当然、それを言葉にするだけの術もない。
「冷めちまったけど、食おうぜ!」
 ビニール袋から取り出された、焼きそばとたこ焼きはすっかり冷めてしまっていて。
「ちょっと味濃くねぇ?」
「そうだな……」
 また花火が上がる。それを二人で並んで見ている。この先どうなるか全く分からないけれど。確かに、自分は土方の事が好きだという事実は痛い程に分かっている。


 
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