神様に愛され過ぎて困っています。
それはまだ人間と神様の世界が今よりも近かった頃。
一匹の蛇と一匹の狐がおりました。
普通の蛇や狐と違って、不思議な力を持っていました。その2匹は私利私欲の為に力を使い、悪さばかりをしていました。
始めは清らかだった力も次第に禍々しいものに変わり、外道に落ちかけていた頃、ついに神の怒りに触れてしまいました。
神に敵うはずがなく、瀕死となりあとは死を待つばかり、と己の悪行に後悔をし始めた時に一人の童が現れました。着ている着物はボロボロで、それ以上に身体のあちこちに大小様々な傷がありました。裸足の足が可哀想に思えました。
この童も人ならざる力を持って生まれ、それゆえに人の世から追い出されていました。
今にも死にそうな2匹に近付くと、母が子を撫でるように優しく笑いかけ、その手で触れるとたちまち傷は癒えていきます。それどころか、それまで身の内に蓄積していた邪気や業まで祓ってしまったのです。
蛇も狐もこれ程に清らかな気持ちになったのは、生まれ落ちた時以来です。
2匹もまた自分達の生きる世界から追い出されて居場所を失った者たちでした。
初めて暖かな手に触れられた、2匹は瞳からぼろぼろと大粒の涙を溢しました。
((きっとこの子は神様に違いない!))
ならば繋ぎ止められた命はこの子の為に使おうと心に決めました。
そう思ったのもつかの間、
「こんな所にいやがったのか、この化け物!!」
人間の男の声が聞こえたと思ったら、顔に暖かい真っ赤な液体がかかりました。
嗅ぎ慣れた鉄の匂いがします。
童子の身体から鉄の刃が生えていました。
口からも身体からも真っ赤な液体が流れていきます。
鉄の刃が引き抜かれると、今度は心の臓を目掛けて突き刺しました。男は童をまるでゴミのようにひと蹴りし、唾を吐き捨て何処かへ消えていきました。
まだかろうじで息のあった童子は2匹を見て少し微笑むと、青みがかった灰色の瞳から光が消えていきました。
2匹は悲しくて、悔しくて、悲しくて、悔しくて泣き続けました。
そして童が寒くないよう、寂しくないようにずっとずっと側に居ました。
「で、どういう事か説明してもらおうか…?」
「十四朗様、あ〜んしてくださいっス!」
「さっさと人型を取れば、十四郎を抱き締められたのにな。寂しい思いをさせちまってすまねぇ」
「高杉!俺の十四朗を離せ!」
あの、全校集会から数時間後の昼休み。
一体どういう事なのか説明してもらおうと、龍神様、もとい高杉の居る保健室にやってきた。
それはいいのだが、なぜか高杉の膝の上に抱き締められた状態で座らされ、銀八は目の前で騒ぎ、転校生という体で俺の護衛に付くことになった神様見習いの木島は手作りの弁当(三段重)を食べさせようとしてくる。木島もまた真名ではなく「木島なな子」という偽名を名乗っている。
説明を求めに来たはずなのに、さらにこの状態の説明が必要になってしまった。なんなら1人増えてるし。なんだこれは。頭が痛い。保健室行きたいけど、保健室ここだ。
こんなの他の生徒に見られでもしたら…
「失礼しまーす!高杉センセー!ちょっと熱があるような気が…し、失礼しました!!……
ちょ、ちょっと何あれ!?どーいう事!?イケメンとイケメンが…!モブ美ー!!次の新刊のネタがー!!」
バタバタと走る音とよく分からないけれど、不安になる会話がフェードアウトしていく。
見られたよ!!絶対に変な噂が立つやつだよ!!もう終わりだ俺の学校生活…さようなら平穏な生活…
「とにかく!頼むから説明してくれ!」
「わかったよ。俺が学校に来たのはこの馬鹿(銀時)が十四朗に手ぇださねぇか見張るためだ」
「俺は十四郎を愛でながらあわよくば股を開いて貰おと思っている」
「なな子は晋す…じゃなかった、高杉様から仰せつかって、十四郎様の護衛をしてるっス!特に銀髪天パのクソ狐が何かしそうになったら、殺すように言われてるっス!」
わかったけど、わからん。というかわかりたくない。
神様二人は隙あらば触れようとしたり(銀八はほぼセクハラ)、好きだとか時には愛を囁いてくる。木島はまだ害はない…と思うが、護衛だからと片時も離れようとしない。トイレにまで着いてくるのはやめて欲しい。
「銀八が危ねぇのは分かるけどよ、護衛なんていらねぇんだけど」
「そういう訳にもいかねぇんだ。銀八は後で始末しておくから我慢してくれ」
「修行中の身で頼りないかもしれないですけど、十四郎様がおしめしてた頃からずっと守ってきたんで今さら譲れないっスよ!狐の始末もお手のものッス!」
「おい、何でサラッと俺を消そうとしてんだ」
駄目だ。埒があかない。誰も自分の意見を曲げないタイプだ。それが3人もいる。しかも、自分よりもうんと長生きしている神様だ。修行中のまた子でさえ、数百年生きているんだから知恵や知識を出されたら、たった数十年しか生きていない自分が勝てる訳がない。
「十四郎、早く飯食わねぇと昼が終わっちまうぞ」
「バカ杉の手作り弁当なんて食いたくねぇよな?な?」
「十四郎様!マヨネーズいっぱいかけていいっスよ!」
「………食う」
考えるのはもうやめよう。考えた所でどうしようもないと悟った。いや、諦めた。
また子に差し出されたたっぷりマヨの乗った、ポテトサラダを口に含んだ。
疲れきった身体を引き摺ってどうにか帰宅し、自室のベッドに倒れこむ。
本当なら剣道部の見学に行きたかったが疲れてそれどころではなかったし、総悟がやたらいい笑顔をしていたので保健室での一件はすでにバレているに違いない。抵抗した所で、総悟に知られた時点で明日には学校中に広められていてもおかしくない。どんな顔をして学校に行けばいいのだろうか。とてもじゃないが兄夫婦には相談できないし、近藤さんに言えばそのまま総悟に流れていく。いつもなら龍神様に聞いてもらっていたが(一方的にしゃべるだけだが)、今回はその神様が悩みの種である。それも2人。一応は神様だし蔑ろにする事は出来ない。もはや口からはため息しか出ない。
どれだけ悩んだ所で、解決策など浮かぶ筈もない。
とりあえず着たままだった制服を着替えて、池の祠に行く事にした。今朝のお供えを取りに行かねばならない。少々気は重いが、すっかり染み付いた習慣を休むのは居心地が悪いし、本人が不在のうちに愚痴の一つでも言ってやろうと思った。
祠に着くと、そこには先客が居た。土方家以外でここを訪れる人は殆どいない。他人が迷い込むには、土方家の敷地にあるような場所だから、ほぼあり得ない。ならば、不審者か。強盗や犯罪者の類いだったらどうしよう。
ひとまず、息を殺して相手を観察する事にした。
池の縁に座り、不審な動きはない。だが、全身黒ずくめで、まだ肌寒い日があるといってもレザーコートという服装には違和感を覚える。……まさか変質者?街中で変態行為がバレてここに逃げ込んできたのだろうか。その割には怯えるような雰囲気はなく、むしろ堂々としている。
近付いてみようか…だが、あのコートの下に刃物でも持たれていたら丸腰の自分では太刀打ちできないかもしれない。一度部屋に戻り竹刀を持って来ようと踵を返そうとした。
「拙者は不審者ではござらぬよ」
気付かれた。このまま逃げようかと思ったが「心配せずとも不審者でも変質者でもないゆえ」とまるで心を読まれたかのようにもう一度声をかけられてしまった。
コートの男の視線はこちらを真っ直ぐに見ている。木の裏に隠れて、正確な位置はわからないはずなのに見抜かれている。
警戒することを忘れずに、その男の前に姿を見せた。
黒のロングコート、ヘッドフォン、サングラス。これで怪しくないというのがおかしい。
「お主が土方殿であろう?話は高杉から聞いておる。拙者は河上と申す。ここの主と同業者よ」
「…同業者…?」
「これでも神の端くれゆえ、ここの留守を預かっておるのでな」
河上、と名乗った男が微笑んだ。
たったそれだけで、この場の雰囲気が一瞬にして変わる。
水の流れる音が、吹き抜けた風が、その風に木々や花が揺れた音が。全てが重なってまるで一つの音楽を奏でているかのようだった。
「これ…あんたが…?」
「ほぅ…お主は"音"と感じたようでござるな。多くの人は、何も感じぬのだよ」
見た目は怪しさ満点なのに、紛れもなくこの男が神様だと告げている。
「信じてくれたようでござるな」
そうして男はサングラスを外し、もう一度微笑んだ。
「そうか…それは済まない事をした」
出会ったばかりの男、それも神様に愚痴を言うなんて罰当たりだと思ったが、ようやくまともな人物に会った事で、溜まっていたものが爆発してしまった。
それなのに、河上は嫌な顔一つせず親身になって聞いてくれた。
人間不信ならぬ、神様不信になりそうだったがどうにか大丈夫のようだ。
「高杉と坂田にはお主をあまり困らせぬように言っておくゆえ」
「ありがとうございます!河上様」
「様、など付けずとも河上でいい。拙者もその方が嬉しいでござるよ」
「いやでも、神様を呼び捨てになんて出来ないですよ!」
「おや?坂田は呼び捨てにしていたであろう?」
「う"っ…まぁそうです…けど」
銀八を呼び捨てにしているのは、正体を知らなかったからだ。正直、神様だと知って躊躇いが出た。が、銀八は相変わらず銀八だったので、絡まれると普段通りに接してしまう。
「じゃ、じゃあ河上さん…で」
「よろしく頼む。土方殿」
「あ、その殿って言うのはなんか、恥ずかしいというか…」
「ふむ…では、土方と呼ばせて貰おう」
「はい!よろしくお願いします、河上さん!」
本当にまともな神様でよかった。常識的だし優しいし、大人って感じだし。きっと銀八と龍神様が規格外なだけだ。
「そうだ、よければこれを」
「えっ…これ…は?」
「寺門通の最新アルバムでごさる」
「は?え?なんで?」
「もしや、寺門通を知らぬと申すか?」
「いえ、聞いた事はありますけど…」
寺門通とは、今人気の和風アイドルだったと思う。テレビでもよく見るし、曲だって毎日どこかで流れてくる。芸能人に興味のない俺でも名前くらいは知っている。
でも、なんで寺門通??どんな話の流れ??
1mmもアイドルの話なんてしてなかったよね??
「音楽を聴くと元気が出るものだからな」
あぁなんだ。チョイスは別として、俺を励まそうと気を遣ってくれているのだ。こんな時にAVを勧めてくるような、銀八にはぜひ見習って欲しい。
「拙者がプロデュースをしているのでござるよ」
「………は?」
今、なんて?プロデュース??
渡されたCDの表には"つんぽ"とサインが入っている。
「真名は明かせぬゆえ、音楽活動は"つんぽ"名義で活動しているでござる」
ごめん。ちょっと何をいっているか分からない。河上さんのようなまともな大人の男でも冗談って言うんだな。
「よければ今度ツアーもあるゆえ」
うわああああ!!目がマジだああああ!!!
「神様というものは、人の信仰心が糧に生きているのでな。だが、今は神社に居るだけでは集まらなくなくなった…だが、アイドルは非常に多くの信仰が集まるのでござるよ」
「アイドルは宗教」「偶像崇拝」「信者」そんな単語が頭を過る。テレビ番組の特集で見たような気がする。
それらはあくまで例え。だが、今見聞きしているのはガチの宗教が出来上がろうとしている。だって神様がプロデュースしてるんだもん。
「次は、48人くらいで会いに行けるアイドルグループを考えておるのだが…どうされた?顔色が悪くなっておらぬか?」
「いえ、大丈夫です…神様も、大変なんですね…ははは…」
前言撤回。神様にまともな人はいないらしい。
あれから3ヶ月。季節は夏に移り変わった。
流石に周りも随分と落ち着いた。入学して1週間後には総悟によって、あることないこと噂を流されたが、ひと月も経てば皆、興味は他へと移っていった。近藤さんや総悟以外にも友人もできたし、剣道部で伊東先生にしごかれながら汗を流している。
相変わらず、神様2人による激しすぎるスキンシップが毎日朝から晩まであるのが唯一の悩みだろうか。木島はJKライフを楽しんでいるようで、友達とはしゃぐ姿にほっこりとさせられる。
その日は日直だった為、ノートを集めて職員室へ持っていくことになった。もうじきテスト期間に入る。ノートも評価対象になるため、サボっていた者は痛い目を見る。現に近藤さんと総悟にノートを見せてくれ、と言われた。中でも、伊東先生は特に厳しいと評判だ。真面目でいい先生だが、やはりまだ少し緊張もしてしまう。
「うわっ!?」
「おわっ!?」
廊下の曲がり角。ノートに気を取られて走ってきた男子生徒にぶつかってしまった。
互いに尻餅をつき、ノートは崩れて廊下に散らばっている。
「ご、ごめん!大丈夫ですか?」
「いや、俺も前を見てなかったから」
ぶつかってしまった生徒はペコペコと謝りながら散らばったノートを集める。それを受け取り念のため数を確認すると、間違いなく全員分揃っている。
「伊東先生に持って行くんでしょ?」
「ああ、なんでわかったんだ?」
「俺もさっき持って行った所だから。厳しいでしょあの先生」
「厳しいけど、俺はいい先生だと思う」
「確かにそうかもね。あ、待って肩にゴミが付いてる」
「はい、取れたよ」とその生徒はにこりと笑った。
「ありがとう。それじゃあ先生が待ってるから」
「俺の方こそごめんね。じゃあ、頑張ってね土方十四郞くん」
早足で職員室に向かいながら、そういえばいつ自分は名乗ったのだろうかと疑問に思う。地味で印象に残らないような生徒だったから同じクラスだけど俺が知らないだけだろうか。それとも総悟の噂で俺を知ってる上級生、という可能性もある。上級生にため口で話してしまったのが気になるが、相手も気にした素振りはなかったから大丈夫だと思う。
「失礼します」
「ああ、土方くんありがとう。助かるよ」
「いえ、日直でしたしこのくらい構わないです」
「ところで、夏休みに部の合宿があるんだが君にも参加して欲しいと思っている。都合はどうかな?」
「本当ですか!?もちろん参加します!」
テストは大変だが、夏休みと合宿が待っていると思うと楽しみである。大会だってある。
楽しみがあると思うと、教室へと戻る足取りは自然と軽くなる。
先ほど感じた疑問などもう頭には残ってはいなかった。
「木島…テストどうだった?」
「古文と日本史は出来たっスけど、英語が…」
蝉が鳴く中、木島と二人でアイスを齧りながら帰り道を歩く。こんな真夏日の真っ昼間に下校させるなど鬼かと思うが、採点があるため必ず全生徒は下校しなければならない。茹だるような暑さと、テストの疲れで足取りに力はなく、龍神様に「これも修行だ」と言われた木島はプレッシャーもあってか、ゲッソリしているようにも見える。
数百年生きている木島は流石というべきか、古文や日本史は得意だが、化学や英語になると自分たちと同じくらいであったらしい。神様だから万能かと思いきや、意外な事実に親近感を覚える。銀八は別として、初めの頃は木島にも龍神様にもどこか一歩線を引いている自分が居た。
それが、一緒に過ごすようになって少しずつ変わっていった。神様も普通に笑って泣いて怒るし、飯を食えば好き嫌いもある。昔の事は詳しいけれど、現代の事には疎い。
人間とそう変わらない彼らをいつしか、人間と同じように好きになっていた。ただ、これを言うと過激やスキンシップが行われる事が目に見えているので、絶対に言うつもりはない。
木島も今や護衛というよりも、友人に近い感覚だ。そもそも、神様(見習いだが)と二人でコンビニでアイスを買って、それを齧りながら歩いているなんて誰が想像できただろう。
初めはなんて迷惑なんだ!と思った事もあった。だけれど、今は木島や龍神様に会えて良かったと思う。このまま、一緒に居れたら楽しいだろうな、と柄にもなく思ってしまったのはきっとこの暑さのせいだ。
「あれ?十四郎様、袖口に何か付いてるッスよ?」
「ん?あ、本当だいつの間に」
言われた通りに袖口を見れば、小さな赤い染みが付いている。
「けけけけ怪我ッスか!?早く手当てするッスよ!」
「落ち着けって!どこも怪我してねぇよ。分かんねぇけど、少し前からいつの間にか付いてるんだよ」
確かテスト期間に入る頃だったと思う。怪我もしていなにのに、いつの間にか服に赤い小さな染みが付いている事があった。
初めの内はたまたま付いたのかと思って放っていたが、それが何度も起きた。気味が悪くもあったが、洗濯すれば綺麗に落ちていたし、それ以上の事はなかったので気にする事もなくなっていた。
「他におかしな事はなかったッスか?」
「いや、別に。ただ染みが付くだけだな。洗えば落ちるから困らねぇし」
「うーん…変な感じはないッスけど、一度高杉様に相談した方がい………えっ…十四郎様……?」
焼けたアスファルトの上に食べかけのアイスだけが落ちていた。
「あれ?木島?つか、ここどこだ?」
ついさっきまで、木島とアイスを食べながら歩いていたはずだ。それが瞬きをした瞬間に全く知らない場所に居る。周りには何もない。暗いのになぜか手足ははっきりと見える。見上げても、太陽も空も見えない。勿論、通学路にこんな場所はない。
声を出しても反応はなく、スマホも圏外と表示されている。
とにかく、ここに居るのはまずい。早くこの場所から離れるべきなのだろうが、自分がどこら来て、どこに行けば出られるかさえ分からないのだ。
不意に、何かの気配がした。人ではないと思う。正体が分からないから、何かとしか言いようがない。仮に正体が分かっても、それを形容する言葉を自分は持っているのだろうか?それ以上は深く考えるのはやめにした。
ざわ…ざわ…
"見つケタ" "ミツケタ"
"タべてイイ?" "いいヨね?マダ?"
気配が動く。声の主は1人かそれとも複数か。同じようにも違うようにも感じる。至る所から視線を感じる。前から後ろから足元から。背中を冷や汗が伝う。あれだけ熱いと感じていたのに、今は寒いとすら感じている。
今にも震え出してしまいそうだ。怖い。別の事を考えなければ、恐怖に飲み込まれて動けなくなってしまう。
なのに、考える事ができない。五感が記憶が少しずつ曖昧になっている。さっきまで食べていたアイスの味が思い出せない。
(俺の名前は土方十四郎だ…!)
口唇を噛み締めると鉄の味が口内に広がる。
自分の事さえ忘れてしまったら最後。きっと自分は元の世界に帰る事が出来なくなる。
ずるり…と目の前の暗闇から何かが這い出して来たのを感じて、覚悟を決めた。
「高杉!!」
血相を変えた銀時が乱暴に保健室のドアを開ける。いつもなら「壊れるだろう」と一言、言ってやるところだが今はそれどころではない。
「わかってる。十四郎の気配が消えた」
「木島付けてたはずだろ!なにやってんだテメェ!!」
「うるせぇ!こっちだってまだ状況が把握できてねぇんだ!そっちこそ担任のクセになにやってんだ!」
「テストの採点だよ!!なんで、こんなに教師の仕事多いんだ!!過労死するわ!!」
「ああ、もういい!木島!聞こえるか!?」
「し、じんずげざま"ーーー!!どーじろーざまがー!!」
「泣くな!落ち着け!今はお前だけが頼りなんだ!」
「わがっだっす!!がんばるっず!」
パニックになっている為かまずは、木島を落ち着かせてから状況を把握しなければならない。修行中とはいえ神の末席にいる木島が気付かなかったとなると厄介だ。それなりに強力なモノが動いている可能性がある。
「おい、銀時。準備出来てんだろうなぁ?」
「俺はお前と違っていつでも臨戦態勢なんで」
「理事長に追い掛けられて息切れしてたクセに」
「あのババアが化け物すぎんだよ!アレ、本当に人間か!?」
軽口は叩いているが二人が纏う雰囲気は全く違う物になっている。
見た目こそ人間のままだが、今は神の領分へと変化させている。
「オラ、置いてくぞ」
「てめぇ、抜け駆けは許さねぇぞ!」
二人の姿は一瞬にして消えた。
「はあ…はあ…」
どのくらい走ったのだろうか。持っていたカバンは邪魔になりどこかに放り投げてしまった。息はすっかり上がり、足は重い。もし帰る事が出来たら、もっと鍛えなければと思う。
帰る?どこに?
すでにどこに帰るのかすら忘れかけている事にゾッとした。家に帰れば義兄夫婦がいる。近藤さんと総悟はテストは大丈夫だっただろうか。この異変は木島が伝えてくれるはずだ。河上さんは最近会っていないな。銀八はマダオだけど、案外頼りになる。
それから、龍神様がきっと助けに来てくれる。
今は信じて足掻くしかない。
気配はそこらじゅうに合って、どこに逃げても同じだろうがじっとしているよりはマシだろう。一向に手を出してこないのは、俺が弱るのを待っているのか足掻く様を嘲笑っているのか。どちらにせよ、簡単には捕まりたくないし、負けたくない。ただじっと助けを待つのも性に合わない。
ほどけた靴ひもを結び直して、また走りだした。
「木島!」
「高杉様っ!!」
目を赤くした木島は今にも泣き出しそうだったが、歯を食いしばって耐えている。
責任も感じているだろうし、唯一の手掛かりでもある。
「何があった?話せるか?」
「十四郎様と一緒に歩いてたら急に十四郎様をが消えたっス…!気配も探ったんですけど、完全に途切れてしまって…」
「消える前におかしな事はなかったか?」
「いえ…本当に普通だったっス…」
「消える前以外なら?」
「消える前…十四郎様の制服に血みたいな後が付いてて、このごろ気が付いたら付いてるって言ってたッス」
「それだな…恐らく印を付けられた」
狙った獲物を確実に見つけ出し、誘い込むために付けられる謂わばマーキングだ。それは血であったり、痣であったりと様々だが一度でも印を付けられてしまえば、いつ何処にいても居場所が分かってしまう。消す事は本人の意思で消すか、死ぬ以外では消える事はない。現世で襲う事も、自分の空間に引きずり込むのも簡単に出来てしまう。
証には微弱だが付けた者の霊力が宿っている。十四郎に付いていたならすぐに分かる筈だが、十四郎以外の霊力は感じなかった。そうなれば、自分の霊力を隠す術を持ったものの仕業だ。隠す事に特化した者か、十四郎の霊力に馴染ませて印を付けたか。霊力に馴染ませるなら身体の一部、髪や爪を手に入れなければならない。
どちらもかなり厄介な相手である。低級な妖や邪霊にはまずできない。恐らくは高ランクの邪霊か邪神クラスになる。
「おい銀八。まだ見つかんねぇのか」
「ずっとやってるつーの!上手く十四郎を隠しやがって…十四郎も相手の気配も霊力も隠されてる。俺の嗅覚まで誤魔化せるレベルの相手、って事はかなり厄介だぞ」
「いいから働け給料ドロボウ」
「いつテメェが俺に給料払った!」
「なら先月の3万を今すぐに返せ」
「あ、ここ怪しいなーちょーっと調べてみようかなー」
「誤魔化してんじゃねぇぞコラ」
「晋ちゃん気にし過ぎだよ…?と、見付けたぜ」
何もない空間を指さした。その点に集中してみれば、確かにわずかな空間の歪みを感じる。これでは木島では気が付かないはずだ。空間の開け方も、隠し方も上手い。
「よし、ならさっさと開けろ」
「えーーー、そしたら十四郎助けに行くのお前になるじゃん。やだー俺がかっこよく助けたいもん」
「文句言わずにやれ。木島、結界張ってくれ」
「へーへー」
「了解ッス!」
木島が結界を張ったのを確認し、銀時が呪を唱える。
すると、小さな空間の歪みが少しずつ開いていく。そこから禍々しい気が溢れていく。恐らく中には障気が充満し、ただ居るだけで生命力が奪われていく。長時間居れば自分たちでさえかなりのダメージを負う。位の低い神や木島のような修行中の身では消滅してもおかしくはないものだ。
その中に人間である十四郎が耐えられるはずがない。普通の人よりもいくらか霊力が強かったとしても、微々たるものだ。
さらに中の空間は時間や場所の概念が不安定で捻れている。すぐ隣に居たとしても、見付ける事が出来ないとなってもおかしくない。事態は一刻を争う。
「開いたぜ」
「じゃあ戻るまで気張ってろよ」
「てめぇこそちゃんと十四郎連れて戻ってこいよ。やっぱ、十四郎だけでいいや」
「高杉様宜しくお願いするッス!」
無事に戻ったら、銀時には利子付きで3万を返して貰おうと心に決めて中へと入った。
どれだけの時間が経っただろう。1分のような、1時間のような、それとも1日だろうか。
とうに体力は尽きて、真っ黒な地面に倒れ付した。冷たいかと思いきや、冷たくも温かくもない。最初からそうなのか、それとも自分が感じる事が出来なくなっているのか。
指先からじわりじわりと何が這ってきて自分の中へと侵食していく。侵食が進む度に感覚や記憶が徐々に溶かされていく。手足の指先にはもう感覚がない。動かそうにも身体はピクリとも動かない。まだちゃんと手足が付いているかさえ分からない。
食虫植物に溶かされる虫はこんな気分なのだろうか。ぼんやりと頭の片隅でそんな風に思ったが、なぜ自分がそう思うのかもよく分からなくなってしまった。
痛くも辛くもなく。寒くも暑くもない。何も感じなくなっている。それすら分からない程に。
ただ、このまま自分はゆっくり溶かされてこの闇に同化するのだろうと漠然と思う。怖いとも嫌だとも思わない。思考は既に停止している。
なぜ自分が走り回ったのかも、走り回っていた事すら忘れている。
どこかに行こうとしていたようだが、もう思い出す事が出来ない。朧気に誰かの顔が浮かぶのだが、顔は真っ黒に塗り潰されて誰だかは分からなかった。
「……!」
声が聞こえる。誰かが何かを言っている。
言葉、だと思うが何と言っているかまでは分からない。
「……!」
少し声が大きくなった。真っ黒な顔の人が俺に向かって口を動かしている。
パクパクと開閉するのは口でよかったよな?
「…ろ…ぅ!」
あれは俺を呼んでいるのか?俺?俺って?
俺は…?
「とう…ろ…ぅ!!」
それは俺の名前ってものなのか?なぁ、教えてくれよ。
「とうしろう!!」
ご んもう んが るこ もで ない。
ぜ とけ 。
「十四郎!!」
走り回って見付けた十四郎はうつ伏せでぐったりとしていた。怪我はないようだが、目は虚ろでこちらの呼び掛けに全く反応を示さない。手を強く握っても同じだった。普通なら「痛い」と声を上げてもおかしくないのに、眉ひとつ動かない。
わずかばかりの生命力が心臓をどうにか動かしているようだが、いつ止まってもおかしくはない。
銀時が開けた門に辿り着く前に、確実に十四郎は死ぬ。それだけは駄目だ。こんな所で死なせる訳にはいかない。己には使命がある。数百年耐えてきてようやく、使命を果たせる時が来たのだ。何度失敗して何度十四郎を失ってきたか。銀時も同じだろう。ふざけた態度を取っていても、表に出さないだけで魂に刻まれた使命に違いはない。
今、十四郎を生かす為の方法は己の生命力を分け与える事だ。ここを出るまで耐えられるだけの生命力を。しかし、人と神では質が違う。少しでも間違えば上手く馴染めずに拒絶反応を示す可能性もある。そもそも作りも生きた年月も全てが違う。人にとって神の生命力は劇薬でしかない。
与える量が多すぎれば身体が耐えきれず死に、量が少なくければここから出るまでに死ぬ。十四郎の生命力に馴染ませられなければ拒絶反応で死ぬ。
さらにこの場には清らかな空気も場所もなく、ただひたすら闇と瘴気に満ちている。
なんと絶望的な状況であろうか。
しかし、迷っている暇も生命力を分け与える以外の選択肢も存在しない。銀時の開けた門も木島の結界もずっと張れるものではない。
数百年生きても手が震えるのだなと自嘲気味に笑った。
今は十四郎の生命力とその身に宿る魂に賭けるしかない。
「あんたも十四郎の事、守ってくれてんだろ?頼むぜ」
己の気を高め集中する。簡易の結界を張り瘴気を遮断する。あまり意味は成さないだろうが、ないよりはマシだ。
呼吸を整える。手の震えはピタリと止まった。
十四郎の冷えてしまった頬を慈しむように撫でる。大丈夫だ。自分を信じろ。上手くいく。十四郎に助けられた身だ。十四郎の為ならば何だって、この魂も捧げる覚悟だ。
そうでなければ、神になどならずあの時に朽ちて土に還る事を選んでいた。
血色を失い青くなってしまった十四郎の口唇に自分のそれを重ねて、ゆっくりと少しずつ生命力を流し込んだ。
誰かが泣いている声がする。
大丈夫だと慰めてやりたいのに声が出ない。
頭を撫でてやりたいのに身体は動かない。
真っ白な空間に3つの魂があった。なぜ、自分がそう思ったのかは分からない。けれど、魂だと思ったのだからそうなのだろう。
目を凝らして見ていると小さな光でしかなかったそれらは、ゆっくりと形を作っていく。
小さな子供と蛇と狐。
蛇と狐は瞳から大きな涙をボロボロと溢し続けた。小さな身体のどこにあれだけの、水分があるのだろう。あんなに泣いていては干からびてしまう。
子供は動かない。顔も青白く死人のようだ。いや、まさしく死人なのだろう。だから2匹は子供の死を悼んで泣いているのだ。
冷たくなってしまった子供を暖めようとしているのか、2匹は小さな身体を寄り添わせている。時折、舌で舐めたり身体を擦りつけてみたりと必死に子供を起こそうとしているように見えた。
それでも子供に反応はない。当たり前だ。死んでしまっているのだから、反応が返ってくるはずもない。
ただただその光景を見つめる事しか出来ない。相変わらず、声も出ないし身体も動かない。そもそも、自分には身体がないのかもしれない。夢を見ている時と同じだ。これが自分の見ている夢であれば、子供を生き返られるかもしれない。子供が生き返るイメージをしていみたが、何も変わりはしなかった。
大丈夫だと言ってやりたいのに、ありがとうと頭を撫でてやりたいのに。何も出来ないままでいる。
どうしようかと悩んでいると、意識がふわふわとし始める。目が覚めるのか。形を持っていた魂もまた輪郭が揺れて崩れ始めていく。
目覚める前にもう一度、彼らを見ておこうと思った。そうしなければならないと思った。
相変わらず2匹はずっと泣き続けている。
そして動かぬ子供を見た。
あれは、あの顔は…
「十四郎様っ!気がついたッスか!?よ、よ"がっだ!よ"がっだっズー!!」
目が覚めると見慣れた自室の天井と大泣きしている木島の顔が見えた。あまりにボロボロと泣くものだから、なんで自室に居るのか、と聞くよりもティッシュを木島に渡す事の方が先になった。渡したら渡したで、「優しすぎるっス」とさらに泣かせる嵌めになった。
木島は落ち着くと「ごめんなさい」と謝ってきた。泣いていたせいで鼻声は震えている。俯いた顔からはまた涙が零れた。
それは何に対しての「ごめんなさい」なのか。
帰宅途中だったはずだが、いつの間にか自室のベッドに眠り、カーテンの隙間から見えた外は夜になっている。あの、真っ暗な場所に居たのは夢ではなく現実、だったという事だろうか。
「木島…とりあえずゆっくりでいいから何があったか話してくれねぇか?」
そうでないと彼女になんと声をかければいいか分からない。自分の何倍もの年数を生きている神様だとしても、自分と同じ歳の少女にしか見えなかった。
木島は袖で目元をゴシゴシと擦った後、赤く腫らした目でこちらをしっかりと見た。
まず、簡単に言うと「神隠し」にあった。夢でなく現実に起こった事だった。それを龍神様と銀八が助けに来たそうだ。次に、あの赤い染みは悪い者にマーキングされてしまい、今後も狙われる可能性がある、という事だった。ちなみに、義兄夫婦には帰宅途中で暑さで目眩をおこしたところに、通りかかった校医の高杉先生に家まで連れ帰った、という事になっている。木島は一度帰ったフリをして、再度自室の窓から入りずっと側に居てくれていたらしい。
「未熟なばっかりに、十四郎様を危険な目に合わせてしまったッス…本当に申し訳がないッス…」
最後の方は声が震えそうになっていた。大きな目には水の膜が張りゆらゆらと揺れる。
「俺はもう大丈夫だって。気にするな、って言っても難しいかもしんねぇけど、俺は無事なんだしさ。もう、泣かないでくれよ」
「十四郎様ー!!」
俯いてしまった木島の頭をポンポンと撫でると、顔を上げた彼女と目が合った。その瞬間に、また大きな目からポロポロと涙が零れてしまった。もしかして、嫌だったのだろうか?これってセクハラになるんだろうか?と思っていたら腰に衝撃を受けた。
「どうしてそんなにお優しいんですかー!!」
見れば木島が腰に抱きついてワンワンと大泣きしている。今日一番の大泣きだ。
服がすっかりべしょべしょになってようやく木島が泣きやんでくれた。宙をさ迷わせていた腕とずっと捕まれていた腰が痛い。
「木島、そういや龍神様と銀八はどうしたんだ?」
「高杉様は祠で休まれてるッス。十四郎様に生命力を分け与えたのと、穢れた場所に居たので身を清める必要もあるッス。銀八は仕事と今回の件を調べるから、って無事を確認した後に学校に戻ってるッス」
「そうか、後でお礼言っとかなきゃな。木島にもありがとな」
「へ?うちは何も出来なかったッスよ?」
「けど、木島がいなかったら今頃どうなってたか分からなかったろ?だから、ありがとうな」
「十四郎さまぁー!」
「泣くなよ!?もう泣くなよ!?」
「はいっス!もう泣かないって決めたっス!十四郎様は本当にお優しいです。高杉様が惚れるのも頷けるッスね」
うんうん、と納得したように頷く木島。だがしかし「おや?」と思う言葉がひとつ。
「今、惚れてる…って言ったか?」
「そうッスよ?高杉様は十四郎様と出会った頃から、十四郎様しか見てないッスから」
「そ、それはLIKEだよな…?」
「いえ、LOVEッスよ!!」
なぜLOVEの所でドヤ顔をする!?ちょっと誇らしそうにするのもなぜなんだ!?
よく気にかけてくれるし、博識だし、優しいし、スキンシップが多いのはちょっとアレだけど。それ以外は完璧と言ってもいい程の龍神様が俺に惚れてる…とは?
「好きだ」と言っていたのも、銀八との悪ノリではなくて本気の方…なのか?
頭の中に「好きだ」と言ってきた時の龍神様が浮かんできて、顔に熱が集まる。なんでた!?なんで恥ずかしいとか思ってるの俺!?
「もしかして、高杉様からまだ告白されてないんスか!?」
「あ、えと、あの、そもそも…ほ、惚れてるとかの話も今、聞いたんだけど…」
「ああー!!どうしよう!?これはやっちゃったやつッスよね!?と、とりあえず高杉様には黙ってて欲しいッス!」
「わ、わかった!!黙っとく!!絶対に言わねぇ!!」
二人して大量の汗をかきながら、龍神様には絶対に秘密だと約束をした。知られたら3人とも居たたまれなくなるのは間違いない。龍神様へのダメージが一番デカすぎる気がするので、黙っておいた方がいいと思う。いっそ墓場まで持っていこう。そうしよう。
「そ、そしたら高杉様に十四郎様が目覚めた事を伝えてくるっスから今日はここで…!」
「お、おう分かった!気を付けてな!」
たった数百メートル程度の距離で気を付けて、もなにもないと思ったが混乱状態の頭では他に何も思い付かなかった。あれだ、秘密を漏らさないよう気を付けて、という意味で言った事にしよう。
静かになった部屋でベッドに仰向けに倒れ込んだ。その途端に「好きだ」と言う龍神様が浮かんできてしまって、それを吹き飛ばすようにブンブンと頭を横に振る。
明日からどんな顔をして会えばいいんだ!?
日課で祠には絶対に行くだろうし、学校でも会うだろうし。普通に冷静に接していれば、バレねぇはずだ!俺なら出来る!出来なければ恥ずかしとか何かで死ぬ!もしかしたら、木島の勘違いかもしれねぇし!そうだ、きっとそうだ!恋愛ドラマや漫画にハマってるって言ってたしな!
無理矢理結論つけて、何も考えなくていいようにそのまま眠る事にした。
「という訳で、今日から俺が護衛に付く事になった」
「え?なんて?」
「木島が修行に出ると聞かねぇから、修行の間は俺が十四郎の護衛をする。朝から晩までな」
自室に入るとそこには龍神様が待ち構えていた。
木島と秘密を共有してから1週間。無事にバレずに過ごしたというのに、最後にとんでもないトラップが待ち構えていた。
どうにかやり過ごして来たというのに、どうしたらいいのだ。木島は夏休みを利用して修行に出る。つまりは夏休み中はずっと龍神様が一緒に居る訳である。
「惚れている」という話を聞く前なら普通に接する事ができた。だが、それを聞いてしまってからは変に意識してしまう。勘違いかもしれないが、勘違いじゃないかもしれない。本人に聞く事が出来たらどんなにいいか。「そうだ」と言われても困るし、「違う」と言われたらそれも嫌だ。
「俺が遊びに行く時もか?」
「そうだな。俺は見えないように霊体化しているから心配するな」
「ずっと一緒なんて仕事は大丈夫なのか?」
「仕事なんてどうにでもなる」
はい、即答。実際、龍神様は有能らしい。気難しい伊東先生ですら一目置いていて、彼が同じ教師であったら、と話していたとも聞く。ちなみに銀八に対してはいい評価はしていない。
「祠を留守にしてもいいのか?河上さんツアーって言ってたし…」
「そっちも問題ねぇ。武市と岡田がいるしな」
神様の知り合いどんだけ居るんだよ。あの小さな祠にどれだけの神様が集まってくるのだろう。下手なパワースポットよりも強力かもしれない。
どうにか、四六時中一緒に居る事を回避しようとしたが手詰まりだ。他の案が思い付いても確実に潰される。しかも「心配してくれて嬉しい」みたいな雰囲気になっている。墓穴しか掘れない。
「一応だが、家全体に結界を張っている。万が一俺が側に居れない時には出来るだけ家に居ろ。少しでもヤバいと感じたら逃げ込め。低級の雑魚じゃまず破れねぇ。最悪、時間稼ぎにもなる。それと」
龍神様が背後の窓を見た。連れて自分も視線を向ける。
「あのバカも入れねぇようにしておいた」
(バカ杉!テメェ結界貼りやがったな!!俺まで入れねぇとはどういう事だ!!)
そこには何事かを叫びながら窓を叩く銀八の姿があった。そんなに叩いたら割れるのではないか、と思ったが「軍事利用できる程度の強度になっている」と龍神様がサラリと言う。俺の家を要塞にでも改造する気なのか。
「な?声も聞こえねぇようになっている」
(バカ杉ー!チビ杉ー!)
「誰がチビだ!沈めんぞ!!」
銀八が悪口を言ったのを察知したのか、空中に現れた水の塊で容赦なく銀八を打ち落とす。どすん、と大きな音がして窓から下を覗くと銀八は地面にめり込んでいた。
「あいつは殺しても死なねぇから安心しろ。仮に死んでも底なし沼に沈めるから証拠は残さねぇ」
爽やかな笑顔に何一つ安心できる要素などない。もう一度下を見ると銀八が地面から這い出してきていた。背後から舌打ちが聞こえたのは聞こえなかった事にしておこう。
トイレと風呂以外は本当にずっと側に居た。霊体化しているので、俺以外には見る事はできない。「記憶操作すれば違和感なく一緒に住めるがやるか?」というのは丁重にお断りさせて頂いた。記憶操作が怖いし、木島が読んでいた少女漫画みたいな展開は嫌だ。急に王子様みたいなイケメンと一緒に暮らす事になるヒロイン、なんて漫画だけだと思っていたが現実にも起きるらしい。
「そろそろ寝るか」
「ああ、おやすみな…」
自分のベッドを見れば、龍神様が寝転んでいるではないか。しかも、隣に来いというようにポンポンと叩く。わざわざ実体化する必要性がどこにあるんだ。
「どうした?」
「いや、あのそこで寝るんですか…?」
「そうだが」
「じゃあ、俺は床で…」
「なら俺も」
「いやいや、神様を床に寝させる訳には!!」
「ならベッドで寝るぞ」
「それは龍神様だけでどうぞ」
「あ"?お前も一緒に寝るんだよ」
「いやだから俺は…」
「お前が一緒に寝ねぇなら俺は床で寝るぞ。神様に床で寝させる気じゃねぇだろうなぁ?」
今まで嫌だからと神様であることを持ち出した事などなかったというのに、一緒に寝たいという理由だけで神様という身分を利用しようとしている。全くもって神様の無駄遣いである。もっと有効利用すればいいのに。たかだか添い寝するだけの為にプライドを捨てる神様がどこに居るというのだ。目の前に居るのだが。
「今日だけだからな!」
「いや毎日だ。近くに居ねぇと守れねぇだろ」
「実体化する必要性あるのか?」
「ある。おら、良い子は寝る時間だ。夜更かしは美容の大敵だぞ」
たぶん何を言っても一緒に寝る事を譲らないだろう。もう諦めて折れるしかない。渋々と龍神様の隣に寝転ぶと満足そうに笑った。
その笑顔にドキドキしてしまったのはきっと気のせいだ。「惚れている」という話を聞いてしまったが為に、変に意識をしているからに違いない。
「おやすみっ!」
「おやすみ、十四郎」
龍神様に背を向けて無理矢理に目を閉じてみたものの、無駄なイケボで囁かれるので余計に意識をしてしまう。髪に龍神様の手が触れた。そのまま、優しく頭を撫でられる。こんな風に撫でられたのは子供の時以来だ。もうぼんやりとしか覚えてはいないが両親にも義兄夫婦にも撫でられていた。鼻の奥がツンとする。優しく大きな手が心地よい。少しずつ睡魔がやってきて、きつく閉じていた目蓋からも力が抜けていく。やがて夢の中へと落ちていった。
その日から俺は。
自分が死ぬ夢を見るようになった。
2/2ページ