神様に愛され過ぎて困っています。
「十四郎、これを祠に持って行ってくれるか?」
「おう、行ってくる」
土方家の裏にある小さな池には、古い祠がある。
そこには代々龍神様が奉られている。
その祠にお供えを持って行くのが毎日の日課だ。
神様、仏様の類いは信じている方ではない。信じているとしたら、親代わりの兄夫婦とマヨリーン占いくらいである。だが、なんとなくこの龍神様だけは信じている。
お供えを持って行くのは小さな頃からの日課であったし、兄がよく龍神様の話を聞かせてくれたのでそのせいかもしれない。
本当にいるかどうかは分からないが、土方家は昔から水に困る事がなく、水難に合う事がなかった。
日照りで水が干上がっても、どこからか湧水が湧いたというし、川に落ちても傷ひとつなかったという。他にも濁流が飲み込まれても土方家だけは無事だったとか、海で溺れて皆が諦めていたらケロリと何事もなかったように戻ってきたりとか。
眉唾物の昔話ばかりだったが、不思議とそうなのかもしれない、と思っていた。
お供えを置き、祠に手を合わせる。
願い事を言うのではなく、行ってきますだとか、こんな事があったとかいう、ちょっとした報告をする。兄には小さな頃から「神様には頑張りたい事や頑張った事を報告するんだよ」と言われてきた。
なので、初めて友達と初詣に行った時に「何をお願いした?」と聞かれて本気で何の話かわからなかったくらいだ。
そういうものだと知ったが、土方がする事は変わらなかった。大事な試合があっても「勝てますように」ではなく、「全力を出すので見守っていてください」であった。
それまでの習慣というのもあったし、そもそも誰かに願いを叶えて貰おうという気がなかった。願いは自分の力で叶える物だという考えだったからだ。
今日は「高校の入学式に行ってきます」と報告した。
澄んだ池を優雅に魚が泳ぐのが見えた。勝手に池の主と呼んでいる。その主が自ら見送りをしてくれたなら、何かいい事があるかもしれない。それでなくとも、緊張と期待に胸が震えているのである。
「いってきます!」と声をかけて、元気良く家へと走り出した。
「はい、今日から一年間君たちの担任になる坂田銀八で〜す。頼むからトラブルとか起こさないでください。面倒くさいんで」
なんともまぁやる気のない担任に当たったものだ。
周りのやつらは、やり易そうとか、逆に楽しそうだとか喜んでいるようだったが、当たりかハズレか意見が別れそうだ。担任によって将来が左右されてもおかしくない、と思うのだがこの男で大丈夫だろうか。正直、不安しかない。
個人的には隣のクラスの担任の伊東先生がよかった。気難しそうではあるが、真面目そうだし剣道部の顧問でもあるらしい。
高校でも近藤、沖田と共に剣道部に入るつもりである。この高校は進学校ではないがスポーツに関しては中々の成績をおさめている。
県大会では常連だし、全国大会にも出場経験がある。実の所、強豪校から声を掛けられる程の実力はあった。心が揺らがなかった訳ではない。だが、近藤たちと一緒に居るからこそであり、近藤に優勝のトロフィーを持たせたいと思っていた。
「多串くーん、多串くんいないの?」
多串って誰だ?変わった名前だなぁ、と思っていたら何故だか銀八と目がバッチリ合った。
「ちゃんといんじゃん。ちゃんと返事してよ多串くん」
「誰が多串だ!!」
なんだコイツ。多串って誰だよ!かすりもしてねぇじゃねぇか!!担任に当たり、ハズレがあるなら大ハズレだ!!前の席に座ってる総悟の肩が震えてやがる。うわ、これ絶対に後で弄られるやつじゃねぇか。振り返った口元が明らかに「多串」って言ってやがる。
最悪だ。入学早々にツイていない。
1年間どうなるんだろうか…2年では担任が外れますように。
※※※※※
HRが終わり、帰って行く一年生を教室の窓から見下ろす。
栗色の髪の少年とゴリラを挟んで歩く、黒い髪の少年。
「見ぃつけた」
教室に伸びる影には大きな尻尾が揺れていた。
「ただいま〜」
返事がないので、義姉は出掛けているようだ。この時間なら、夕飯の買い物に出掛けているのだろう。
ひとまず、自室に荷物を置きに行く。新しい鞄からこれまた新しい教科書を取り出す。パラパラとめくってもさっぱり分かる気がしないが、やはり嬉しい気持ちが沸いてくるのも事実なのだ。
勉強は得意ではないが、知らない事を知るのは以外に楽しい。将来役に立つかは分からないが、知らないよりはいい事だ。
制服を脱いで、買ったばかりのパーカーを着る。総悟に言わせれば「センスが悪い」らしいが、マヨネーズ柄の何が悪いというのだろう。マヨリーンのワンポイントまで入っているんだぞ。
入学式から宿題なんて物はないので、する事がない。義兄や義姉が戻ってくるにはまだ時間があるし、祠に報告に行く事にする。
日課でもあったし、物心付いた時からの庭のようなものだ。暇さえあれば遊びに出ていた。少々過保護気味な義兄も祠ならと許してくれた。
池があって危ないのでは、と思った事もあったがそもそも土方家に水難は無縁だ。祠の近くであったしその心配もなかったのだろう。
マヨネーズ味の菓子とスマホだけ持って外へ出る。新作の菓子はかなり美味しかったから、きっと龍神様も気に入ってくれるはずだ。本当はマヨネーズを毎日1本お供えしたいけれど、小さな頃に義兄に止められてしまった。こんなに美味しい物を龍神様が知らないのは可哀想だと思ったけれど、かわりに「マヨネーズ味のお菓子ならいいよ」、と言われたのでそれ以来、自分で用意するようになった。
祠に菓子とお茶を置き手を合わせる。お茶を置くのは、龍神様の喉が渇いてしまうだろうと思ったから。食べるのが駄目なら、飲み物としてマヨネーズを置こうとしたらやっぱり止められてしまった。何故なんだろう。
入学式があった事。近藤たちと同じクラスになれた事。高校でも剣道を続けるという事。
それから、変な担任に当たってしまった事。
一通り報告し終わって目を開けた時だった。
「こんな所に居たの?家に居ないから探しちゃったじゃん」
背後から見知らぬ男の声がした。いや、この声は聞き覚えがある。しかし、学校で聞いた間の抜けた声よりもどこか冷たいような、ゾワゾワとした怖さを感じるのは何故だろうか。
振り返ってはいけないような気がしたが、声の主が自分の思っている人物であるか確かめる必要がある。
「テメェなんでここに!?」
「テメェ、なんかじゃなく"銀八先生"って呼んでよ。土方くんなら"銀八♡"でもいいよ。むしろそれでお願いします」
「誰が呼ぶか!なんで、テメェがここに居るんだよ!」
「そりゃ、担任の先生だから可愛い教え子の家くらい知ってるでしょう」
笑っているのに、笑ってない。怖い。身体が震えそうになる。これは本能的な恐怖だ。
逃げたいのに、逃げられない。逃げるとしてもどこに?前には銀八、後ろは池だ。
池に飛び込む?いくら守られている、と言われていても水中で生きていける訳じゃない。息が出来なくなるか、体力を消耗してしまう。手詰まりだ。
そうこうしているうちに、銀八は一歩、また一歩とこちらに手を広げて近付いてくる。
あと少しで触れらる距離になった時だった。
「おっと!危ねぇ、危ねぇ」
銀八が後ろに一気に飛び去る。
さっきまで銀八の居た場所は大きく抉られていた。
「おい。クソ天パ。汚ねぇ手で十四郎に触るんじゃねぇ」
後ろからまた別の男の声がした。後ろには池しかないはずだ。
「晋ちゃんこわーい。そんなんじゃ、嫌われちゃうよ?」
きゃっ、と女の子がするようなポーズを取る銀八は全く怖がっている様子はない。
ふざけたセリフを吐いているというのに、俺の背後に居る誰かを睨みつけている。
背後に居る男は敵か味方かも分からない。この男だって得体のしれない何かだ。自然と身体は強張り、震えそうになる。
「すまねぇ。怖がらせちまったな」
ポン、と優しく頭に手を置かれた。
義兄が頭と似ているようて、少し違う。ヒヤリとしているが、優しい手だ。
初めてのはずなのに、この手を知っているような気がする。懐かしいような。
振り返ればそこには片目を隠した男が居た。
池から出てきているというのに、高そうな着物は全く濡れていない。
「行け」
男が一言放つと、水は形を変えて銀八を狙う。
それらを軽々と銀八が避けていく。
「ばーかばーか!んな攻撃当たらねぇよ!悔しかったら陸まで上がってき…えっまって、やめろおおおおお!!まっ…!ゴボおれ…!およゴボゴボゴボげなっ…!」
「陸が駄目なら水に引き込むまでよ」
軽口を叩いていた銀八の足を池から伸びていた、尻尾が捕らえてそのまま引きずりこんだ。水による攻撃は陽動で本命はこちらだったようだ。
カナヅチらしい銀八は暫く暴れていたが、やがて大人しくなった。
「ぐえっ」
ぐったりとした銀八が地面に投げられる。爆発していた天パはしっとり濡れている。
尻尾は池から現れた男の物のようだ。自分を守ってくれたようだが、明らかに人間ではない男だ。まだ油断は出来ない。
「十四郎、驚かせて悪かったな。まぁ、アイツはそれほど悪いやつじゃねぇが、いいやつでもねぇ」
「あんたは…?それに、なんで俺の名前知ってんだ?」
「あぁ、そりゃあ…あんだけ毎日、マヨーネーズ味の菓子を供えられりゃあな。嫌でも覚えるさ」
「えっ?どういう事だ??」
「俺は、ここの龍神様ってやつだよ、十四郎」
「はい…?えっええええええ!?」
またポンポンと頭に手を置かれる。
優しい目と、優しい手が心地よい。
なんかとんでもない事を言われてるが、目の前で色々な事が起こりすぎて、「あ、そうなんだ」という謎の納得をしていた。小さな頃から毎日手を合わせていた龍神様なら、自分の名前を知っていてもおかしくはない。実際にはかなりの異常事態で、かなりおかしな事になっているが。これ以上まともに考えれば頭がパンクしてしまう。
「てめぇ高杉!!俺が泳げないの知っててやりやがったな!!」
「チッ…まだ生きてたか」
高杉、と呼ばれた龍神様が俺を隠すようにして立ちはだかる。
池の中から現れた下半身は人の物ではなく龍だった。美しい鱗が光に反射してキラキラと虹色に輝く。
思わず触れてみれば、手と同じようにヒヤリと冷たい。だが、その身体から命の鼓動を確かに感じる。
怖くない。初めて会ったというのに、心から信用できる。この男は絶対に自分を裏切らないという確信まである。
「なぁ、あんたは本当に龍神様なのか…?」
「あぁ、そうだ。龍神様なんて堅苦しいのじゃなく、真名は教えられねぇが、気軽に高杉とでも呼んでくれたらいい」
「いや、そんな訳には…えと、アイツとは知り合いなのか…?」
「一応だが、アイツも神の部類に入る。いわゆるお稲荷様ってやつだ。一応な」
「一応とはなんだ!一応とは!つかさ本気で殺りにくるとか酷くない!?ちょっと俺の十四郎にちょっかいかけただけじゃねぇか」
「誰がお前のだ。近寄るな、天パが移る」
「うーつーりまーせんー!!十四郎は前前前世からずっと愛してるの!!だから、お前は池に沈んでろ。中二病が移るだろ」
「はぁ?こっちは、一番最初に生まれた時から全ての前世と転生を見守ってきてんだよ。年季が違うんだ、さっさと家に帰れ糖尿」
「やんのか、高杉!!ラグナロク起こしてやろうかぁ!?」
「上等だコラ!!」
さっきまでのシリアスな空気はどこへ行ったのか。急に小学生レベルの争いが始まった。
完全においてけぼりだ。結局、龍神様の事も銀八の事も何一つ説明されていない。
しかし、目の前の超低レベルな争いは終わりそうにない。ラグナロクってこんな低レベルだったのか、へーとぼんやりと二人の争いを見ていた。
今日の夕飯なんだろう…と現実逃避を始めるとポケットのスマホが着信を知らせた。
「もしもし。えっ今から?悪ぃけどあんまり居れねぇぞ。はぁ?またかよ。あんたこの前もフラレただろ…わかった、わかった。駅前のファミレスだな。あぁ、大丈夫。野良猫が発情期みたいでさっきから暴れてんだ」
とりあえず、少し服が汚れてしまったから着替えてこよう。義姉には「友達に会ってくるけど、夕飯までには帰ってくる」と連絡した。
スルリと龍神様の後ろから抜けても、相変わらず二人は口喧嘩をしていて、全く気がついていないようだ。「お前の母ちゃんデベソ」とか未だに使うんだ。漫画でしか見たことのない、ラグナロクにちょっと期待しちゃったけど、小学生の喧嘩でしかないらしい。
発情期の猫の喧嘩する声を背にして、家に走って向かった。
※※※※※
「ストーーーーップ!高杉!十四郎いねぇじゃん!!」
「…帰っちまったみたいだな」
「十四郎いないなら、やめやめ」
「てめぇがくだらねぇ事を言うからだろう」
「あ"っ!?てめぇが突っかかってくるからだろうが!」
「いい加減にしろ。そんな事のためにここに来たのか?」
さっきまでじゃれ合っていた二人の空気が急激に変わる。高杉も銀八も真剣な表情になっていた。
「気を付けろよ。今世の十四郎は今まで転生した中でも一番強い氣を持ってる。現にあいつの両親は十四郎を狙ったヤツらに殺されてるんだ」
「ああ、分かってる。俺の力で抑えちゃいるが、それでも多少漏れちまってる…常に霊体化しているまた子が付いてはいるが、油断はできねぇ。そういう、お前こそ分かってんだろうな?」
「当たり前だろ。何があっても十四郎を守る。例え俺が死んでも、お前が死んでも、その誓いは破らねぇ。ま、お前が死んだら、十四郎は俺がずっと愛してやるから心配すんな」
「そっちの方が余程心配だな」
過去に十四郎の魂に誓った。幾度、十四郎が形を変えて転生しても必ず守り抜く。どちらかが死ねば、生き残った方がその誓いを守る。
自分たちは十四郎によって生まれ落ち、十四郎によって生かされ、十四郎こそが己の存在理由だ。
神と呼ばれるような存在になっても、それは変わる事はない。
「ところで、お前社はどうしたんだ?」
「そんなの、新八と神楽に任せてるに決まってんだろ。流石に社を留守にする訳にはいかねぇしな」
「その手が合ったか」
「あ、やべ」
「お前、絶対に誰かに任せて学校に来るとかするなよ!?絶対にやめろよ!?」
「………」
「うわあああああ!!絶対に来るやつだ!!ラブコメはじまるやつだ!!先週のジャンプで読んだやつうううううう!!!」
「全校集会とかダルすぎ」
「なんかあったの?」
「新しい先生が来るらしいよ!めっちゃイケメンだった!」
「マジで!やっば!!」
突然の全校集会にざわつくクラスメイト達。山崎によると新しい先生が着任するそうだ。なんでも、急に前任の先生が結婚を期に退職する事になったそうだ。だが、その先生には誰かと付き合っているような気配がなかったのが、たった1日で結婚を決めたらしい。その翌日には両家に挨拶、式場もハネムーンも計画済み。
信じがたい話だが、山崎の情報は正確だ。一体どこから情報を得てくるのか全く謎である。教師の結婚なんかよりも、そちらの方が知りたい。
「え〜皆さん、おはようございます。急な話ではありますが、校医の大塚先生がご結婚の為に退職されることになりました。本日より、校医として着任された先生をご紹介します。先生こちらへ」
壇上の校長はどこかヨレヨレである。きっと色々と振り回されたに違いない。
袖から現れた真っ白な白衣を着た人物が壇上に現れると、女子生徒から黄色い悲鳴が上がった。そして自分も声を上げそうになった。
「皆さんおはようございます。本日より、着任しました高杉晋作です。若輩者ですがよろしくお願い致します」
端正な顔で微笑めば黄色い悲鳴がさらに大きくなった。
龍神様だ。なぜか龍神様が校医として壇上に立って挨拶している。俺がどこに居るかなんて分からないくらい離れてるはずなのに、バッチリ目が合った。また微笑む。さっきの営業用の笑顔じゃなくて、ガチのやつだこれ。
恥ずかしくなって横を向くとそこには銀八がなんとも言えない表情をして立っていた。こちらの視線に気がつくと、にっこり微笑む。
視線を前に向ければやっぱり龍神様がこちらを見て微笑んでいる。
待ってくれ、これから一体どうなるんだ!?
これは神様に愛され過ぎた一人の少年の物語。
「おう、行ってくる」
土方家の裏にある小さな池には、古い祠がある。
そこには代々龍神様が奉られている。
その祠にお供えを持って行くのが毎日の日課だ。
神様、仏様の類いは信じている方ではない。信じているとしたら、親代わりの兄夫婦とマヨリーン占いくらいである。だが、なんとなくこの龍神様だけは信じている。
お供えを持って行くのは小さな頃からの日課であったし、兄がよく龍神様の話を聞かせてくれたのでそのせいかもしれない。
本当にいるかどうかは分からないが、土方家は昔から水に困る事がなく、水難に合う事がなかった。
日照りで水が干上がっても、どこからか湧水が湧いたというし、川に落ちても傷ひとつなかったという。他にも濁流が飲み込まれても土方家だけは無事だったとか、海で溺れて皆が諦めていたらケロリと何事もなかったように戻ってきたりとか。
眉唾物の昔話ばかりだったが、不思議とそうなのかもしれない、と思っていた。
お供えを置き、祠に手を合わせる。
願い事を言うのではなく、行ってきますだとか、こんな事があったとかいう、ちょっとした報告をする。兄には小さな頃から「神様には頑張りたい事や頑張った事を報告するんだよ」と言われてきた。
なので、初めて友達と初詣に行った時に「何をお願いした?」と聞かれて本気で何の話かわからなかったくらいだ。
そういうものだと知ったが、土方がする事は変わらなかった。大事な試合があっても「勝てますように」ではなく、「全力を出すので見守っていてください」であった。
それまでの習慣というのもあったし、そもそも誰かに願いを叶えて貰おうという気がなかった。願いは自分の力で叶える物だという考えだったからだ。
今日は「高校の入学式に行ってきます」と報告した。
澄んだ池を優雅に魚が泳ぐのが見えた。勝手に池の主と呼んでいる。その主が自ら見送りをしてくれたなら、何かいい事があるかもしれない。それでなくとも、緊張と期待に胸が震えているのである。
「いってきます!」と声をかけて、元気良く家へと走り出した。
「はい、今日から一年間君たちの担任になる坂田銀八で〜す。頼むからトラブルとか起こさないでください。面倒くさいんで」
なんともまぁやる気のない担任に当たったものだ。
周りのやつらは、やり易そうとか、逆に楽しそうだとか喜んでいるようだったが、当たりかハズレか意見が別れそうだ。担任によって将来が左右されてもおかしくない、と思うのだがこの男で大丈夫だろうか。正直、不安しかない。
個人的には隣のクラスの担任の伊東先生がよかった。気難しそうではあるが、真面目そうだし剣道部の顧問でもあるらしい。
高校でも近藤、沖田と共に剣道部に入るつもりである。この高校は進学校ではないがスポーツに関しては中々の成績をおさめている。
県大会では常連だし、全国大会にも出場経験がある。実の所、強豪校から声を掛けられる程の実力はあった。心が揺らがなかった訳ではない。だが、近藤たちと一緒に居るからこそであり、近藤に優勝のトロフィーを持たせたいと思っていた。
「多串くーん、多串くんいないの?」
多串って誰だ?変わった名前だなぁ、と思っていたら何故だか銀八と目がバッチリ合った。
「ちゃんといんじゃん。ちゃんと返事してよ多串くん」
「誰が多串だ!!」
なんだコイツ。多串って誰だよ!かすりもしてねぇじゃねぇか!!担任に当たり、ハズレがあるなら大ハズレだ!!前の席に座ってる総悟の肩が震えてやがる。うわ、これ絶対に後で弄られるやつじゃねぇか。振り返った口元が明らかに「多串」って言ってやがる。
最悪だ。入学早々にツイていない。
1年間どうなるんだろうか…2年では担任が外れますように。
※※※※※
HRが終わり、帰って行く一年生を教室の窓から見下ろす。
栗色の髪の少年とゴリラを挟んで歩く、黒い髪の少年。
「見ぃつけた」
教室に伸びる影には大きな尻尾が揺れていた。
「ただいま〜」
返事がないので、義姉は出掛けているようだ。この時間なら、夕飯の買い物に出掛けているのだろう。
ひとまず、自室に荷物を置きに行く。新しい鞄からこれまた新しい教科書を取り出す。パラパラとめくってもさっぱり分かる気がしないが、やはり嬉しい気持ちが沸いてくるのも事実なのだ。
勉強は得意ではないが、知らない事を知るのは以外に楽しい。将来役に立つかは分からないが、知らないよりはいい事だ。
制服を脱いで、買ったばかりのパーカーを着る。総悟に言わせれば「センスが悪い」らしいが、マヨネーズ柄の何が悪いというのだろう。マヨリーンのワンポイントまで入っているんだぞ。
入学式から宿題なんて物はないので、する事がない。義兄や義姉が戻ってくるにはまだ時間があるし、祠に報告に行く事にする。
日課でもあったし、物心付いた時からの庭のようなものだ。暇さえあれば遊びに出ていた。少々過保護気味な義兄も祠ならと許してくれた。
池があって危ないのでは、と思った事もあったがそもそも土方家に水難は無縁だ。祠の近くであったしその心配もなかったのだろう。
マヨネーズ味の菓子とスマホだけ持って外へ出る。新作の菓子はかなり美味しかったから、きっと龍神様も気に入ってくれるはずだ。本当はマヨネーズを毎日1本お供えしたいけれど、小さな頃に義兄に止められてしまった。こんなに美味しい物を龍神様が知らないのは可哀想だと思ったけれど、かわりに「マヨネーズ味のお菓子ならいいよ」、と言われたのでそれ以来、自分で用意するようになった。
祠に菓子とお茶を置き手を合わせる。お茶を置くのは、龍神様の喉が渇いてしまうだろうと思ったから。食べるのが駄目なら、飲み物としてマヨネーズを置こうとしたらやっぱり止められてしまった。何故なんだろう。
入学式があった事。近藤たちと同じクラスになれた事。高校でも剣道を続けるという事。
それから、変な担任に当たってしまった事。
一通り報告し終わって目を開けた時だった。
「こんな所に居たの?家に居ないから探しちゃったじゃん」
背後から見知らぬ男の声がした。いや、この声は聞き覚えがある。しかし、学校で聞いた間の抜けた声よりもどこか冷たいような、ゾワゾワとした怖さを感じるのは何故だろうか。
振り返ってはいけないような気がしたが、声の主が自分の思っている人物であるか確かめる必要がある。
「テメェなんでここに!?」
「テメェ、なんかじゃなく"銀八先生"って呼んでよ。土方くんなら"銀八♡"でもいいよ。むしろそれでお願いします」
「誰が呼ぶか!なんで、テメェがここに居るんだよ!」
「そりゃ、担任の先生だから可愛い教え子の家くらい知ってるでしょう」
笑っているのに、笑ってない。怖い。身体が震えそうになる。これは本能的な恐怖だ。
逃げたいのに、逃げられない。逃げるとしてもどこに?前には銀八、後ろは池だ。
池に飛び込む?いくら守られている、と言われていても水中で生きていける訳じゃない。息が出来なくなるか、体力を消耗してしまう。手詰まりだ。
そうこうしているうちに、銀八は一歩、また一歩とこちらに手を広げて近付いてくる。
あと少しで触れらる距離になった時だった。
「おっと!危ねぇ、危ねぇ」
銀八が後ろに一気に飛び去る。
さっきまで銀八の居た場所は大きく抉られていた。
「おい。クソ天パ。汚ねぇ手で十四郎に触るんじゃねぇ」
後ろからまた別の男の声がした。後ろには池しかないはずだ。
「晋ちゃんこわーい。そんなんじゃ、嫌われちゃうよ?」
きゃっ、と女の子がするようなポーズを取る銀八は全く怖がっている様子はない。
ふざけたセリフを吐いているというのに、俺の背後に居る誰かを睨みつけている。
背後に居る男は敵か味方かも分からない。この男だって得体のしれない何かだ。自然と身体は強張り、震えそうになる。
「すまねぇ。怖がらせちまったな」
ポン、と優しく頭に手を置かれた。
義兄が頭と似ているようて、少し違う。ヒヤリとしているが、優しい手だ。
初めてのはずなのに、この手を知っているような気がする。懐かしいような。
振り返ればそこには片目を隠した男が居た。
池から出てきているというのに、高そうな着物は全く濡れていない。
「行け」
男が一言放つと、水は形を変えて銀八を狙う。
それらを軽々と銀八が避けていく。
「ばーかばーか!んな攻撃当たらねぇよ!悔しかったら陸まで上がってき…えっまって、やめろおおおおお!!まっ…!ゴボおれ…!およゴボゴボゴボげなっ…!」
「陸が駄目なら水に引き込むまでよ」
軽口を叩いていた銀八の足を池から伸びていた、尻尾が捕らえてそのまま引きずりこんだ。水による攻撃は陽動で本命はこちらだったようだ。
カナヅチらしい銀八は暫く暴れていたが、やがて大人しくなった。
「ぐえっ」
ぐったりとした銀八が地面に投げられる。爆発していた天パはしっとり濡れている。
尻尾は池から現れた男の物のようだ。自分を守ってくれたようだが、明らかに人間ではない男だ。まだ油断は出来ない。
「十四郎、驚かせて悪かったな。まぁ、アイツはそれほど悪いやつじゃねぇが、いいやつでもねぇ」
「あんたは…?それに、なんで俺の名前知ってんだ?」
「あぁ、そりゃあ…あんだけ毎日、マヨーネーズ味の菓子を供えられりゃあな。嫌でも覚えるさ」
「えっ?どういう事だ??」
「俺は、ここの龍神様ってやつだよ、十四郎」
「はい…?えっええええええ!?」
またポンポンと頭に手を置かれる。
優しい目と、優しい手が心地よい。
なんかとんでもない事を言われてるが、目の前で色々な事が起こりすぎて、「あ、そうなんだ」という謎の納得をしていた。小さな頃から毎日手を合わせていた龍神様なら、自分の名前を知っていてもおかしくはない。実際にはかなりの異常事態で、かなりおかしな事になっているが。これ以上まともに考えれば頭がパンクしてしまう。
「てめぇ高杉!!俺が泳げないの知っててやりやがったな!!」
「チッ…まだ生きてたか」
高杉、と呼ばれた龍神様が俺を隠すようにして立ちはだかる。
池の中から現れた下半身は人の物ではなく龍だった。美しい鱗が光に反射してキラキラと虹色に輝く。
思わず触れてみれば、手と同じようにヒヤリと冷たい。だが、その身体から命の鼓動を確かに感じる。
怖くない。初めて会ったというのに、心から信用できる。この男は絶対に自分を裏切らないという確信まである。
「なぁ、あんたは本当に龍神様なのか…?」
「あぁ、そうだ。龍神様なんて堅苦しいのじゃなく、真名は教えられねぇが、気軽に高杉とでも呼んでくれたらいい」
「いや、そんな訳には…えと、アイツとは知り合いなのか…?」
「一応だが、アイツも神の部類に入る。いわゆるお稲荷様ってやつだ。一応な」
「一応とはなんだ!一応とは!つかさ本気で殺りにくるとか酷くない!?ちょっと俺の十四郎にちょっかいかけただけじゃねぇか」
「誰がお前のだ。近寄るな、天パが移る」
「うーつーりまーせんー!!十四郎は前前前世からずっと愛してるの!!だから、お前は池に沈んでろ。中二病が移るだろ」
「はぁ?こっちは、一番最初に生まれた時から全ての前世と転生を見守ってきてんだよ。年季が違うんだ、さっさと家に帰れ糖尿」
「やんのか、高杉!!ラグナロク起こしてやろうかぁ!?」
「上等だコラ!!」
さっきまでのシリアスな空気はどこへ行ったのか。急に小学生レベルの争いが始まった。
完全においてけぼりだ。結局、龍神様の事も銀八の事も何一つ説明されていない。
しかし、目の前の超低レベルな争いは終わりそうにない。ラグナロクってこんな低レベルだったのか、へーとぼんやりと二人の争いを見ていた。
今日の夕飯なんだろう…と現実逃避を始めるとポケットのスマホが着信を知らせた。
「もしもし。えっ今から?悪ぃけどあんまり居れねぇぞ。はぁ?またかよ。あんたこの前もフラレただろ…わかった、わかった。駅前のファミレスだな。あぁ、大丈夫。野良猫が発情期みたいでさっきから暴れてんだ」
とりあえず、少し服が汚れてしまったから着替えてこよう。義姉には「友達に会ってくるけど、夕飯までには帰ってくる」と連絡した。
スルリと龍神様の後ろから抜けても、相変わらず二人は口喧嘩をしていて、全く気がついていないようだ。「お前の母ちゃんデベソ」とか未だに使うんだ。漫画でしか見たことのない、ラグナロクにちょっと期待しちゃったけど、小学生の喧嘩でしかないらしい。
発情期の猫の喧嘩する声を背にして、家に走って向かった。
※※※※※
「ストーーーーップ!高杉!十四郎いねぇじゃん!!」
「…帰っちまったみたいだな」
「十四郎いないなら、やめやめ」
「てめぇがくだらねぇ事を言うからだろう」
「あ"っ!?てめぇが突っかかってくるからだろうが!」
「いい加減にしろ。そんな事のためにここに来たのか?」
さっきまでじゃれ合っていた二人の空気が急激に変わる。高杉も銀八も真剣な表情になっていた。
「気を付けろよ。今世の十四郎は今まで転生した中でも一番強い氣を持ってる。現にあいつの両親は十四郎を狙ったヤツらに殺されてるんだ」
「ああ、分かってる。俺の力で抑えちゃいるが、それでも多少漏れちまってる…常に霊体化しているまた子が付いてはいるが、油断はできねぇ。そういう、お前こそ分かってんだろうな?」
「当たり前だろ。何があっても十四郎を守る。例え俺が死んでも、お前が死んでも、その誓いは破らねぇ。ま、お前が死んだら、十四郎は俺がずっと愛してやるから心配すんな」
「そっちの方が余程心配だな」
過去に十四郎の魂に誓った。幾度、十四郎が形を変えて転生しても必ず守り抜く。どちらかが死ねば、生き残った方がその誓いを守る。
自分たちは十四郎によって生まれ落ち、十四郎によって生かされ、十四郎こそが己の存在理由だ。
神と呼ばれるような存在になっても、それは変わる事はない。
「ところで、お前社はどうしたんだ?」
「そんなの、新八と神楽に任せてるに決まってんだろ。流石に社を留守にする訳にはいかねぇしな」
「その手が合ったか」
「あ、やべ」
「お前、絶対に誰かに任せて学校に来るとかするなよ!?絶対にやめろよ!?」
「………」
「うわあああああ!!絶対に来るやつだ!!ラブコメはじまるやつだ!!先週のジャンプで読んだやつうううううう!!!」
「全校集会とかダルすぎ」
「なんかあったの?」
「新しい先生が来るらしいよ!めっちゃイケメンだった!」
「マジで!やっば!!」
突然の全校集会にざわつくクラスメイト達。山崎によると新しい先生が着任するそうだ。なんでも、急に前任の先生が結婚を期に退職する事になったそうだ。だが、その先生には誰かと付き合っているような気配がなかったのが、たった1日で結婚を決めたらしい。その翌日には両家に挨拶、式場もハネムーンも計画済み。
信じがたい話だが、山崎の情報は正確だ。一体どこから情報を得てくるのか全く謎である。教師の結婚なんかよりも、そちらの方が知りたい。
「え〜皆さん、おはようございます。急な話ではありますが、校医の大塚先生がご結婚の為に退職されることになりました。本日より、校医として着任された先生をご紹介します。先生こちらへ」
壇上の校長はどこかヨレヨレである。きっと色々と振り回されたに違いない。
袖から現れた真っ白な白衣を着た人物が壇上に現れると、女子生徒から黄色い悲鳴が上がった。そして自分も声を上げそうになった。
「皆さんおはようございます。本日より、着任しました高杉晋作です。若輩者ですがよろしくお願い致します」
端正な顔で微笑めば黄色い悲鳴がさらに大きくなった。
龍神様だ。なぜか龍神様が校医として壇上に立って挨拶している。俺がどこに居るかなんて分からないくらい離れてるはずなのに、バッチリ目が合った。また微笑む。さっきの営業用の笑顔じゃなくて、ガチのやつだこれ。
恥ずかしくなって横を向くとそこには銀八がなんとも言えない表情をして立っていた。こちらの視線に気がつくと、にっこり微笑む。
視線を前に向ければやっぱり龍神様がこちらを見て微笑んでいる。
待ってくれ、これから一体どうなるんだ!?
これは神様に愛され過ぎた一人の少年の物語。
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