偽りと命

「よォ、気分はどうだ副長さんよォ?」
「最悪に決まってんだろうが」
 船でも一番奥の部屋。ほぼ幹部しか出入りのないエリアである。サイドテーブルにベッド。洗面所にトイレとシャワー部。生活するには最低限だが、捕虜の扱いとしてはかなり待遇がいいと言える。
 真っ白で清潔なシーツに下ろし立ての寝間着。サイドテーブルには飲み物まで置かれている。だが、ベッドの主の眉間には深い皺が寄り、不機嫌さと不満を垂れ流していた。
 数日前の事だ。鬼兵隊がとある幕臣の会合を襲撃した。その屋敷の隠し部屋で監禁されていたのが土方である。
 簡易ベッドに横たわり、腕には点滴が繋がれていた。薬でも使われているのか全く目を覚ます様子がない。
 一見すれば治療とも思えるが、それならばしかるべき場所に入院するはずだ。これが仮に治療だとしてもあまりにも簡素すぎる。さらに密偵からの報告によれば、二週間程市中から土方の姿が消えていた。出張のため、というのは表向きの理由だろう。実際はここに監禁され姿を消していた、が正しい。
 ここまでくれば、何か良からぬ事に巻き込まれたと考えるのがごく自然である。
 薹が立っているとはいえ、土方の容姿は目を引くものがある。おまけにプライドが高いとなれば、屈服させたくなるのも頷けた。
 眠っている今なら殺す事は容易である。おまけに出張という名の行方不明状態。これだけお膳立てされている事は滅多にないだろう。
 鬼兵隊の頭としてここで殺すという選択が一番であろう。だが、あっさり殺してしまうには惜しいと高杉は思った。自白剤で情報を引きずり出したうえで、悪趣味な天人に売り付ける事もできる。死にたい、死んだ方がマシだと思える方法をいくらでも知っている。
「連れていけ」
 指示を出せば後ろに控えていた二人の部下が直ぐに行動に移した。丁寧とは程遠い動作で土方を担ぎ上げる。普通なら目が覚めそうな物だが、やはりというかそんな様子はない。
 そうして後始末をして船に戻ったのだが。問題はここからだった。
 捕虜は通常、船の一番下にある牢の方へと連れていく。だが、いくら待っても土方を連れた部下たちが一向に現れない。高杉を含む本隊は既に帰還している。土方という重要人物であるから、急な変更でもあったのだろうか。だが、それなら連絡が来る筈である。何か大きなトラブルでもあったのかと牢番が尋ねた事で発覚した。
 土方ごと部下たちが消えたのだ。こんな事が高杉の耳に入れば、無事では済まないと顔を青くして手の空いている者みなで艦内を探し回った。すでに地上を離れているから、外に居る事は考えにくい。方々を探し回ってようやく見つけた場所は牢屋から離れた居住エリアの一室であった。
 空き部屋であったそこに土方と部下たちは居た。白いベッドに横たわって眠る土方とその傍らに立つ部下たち。何人も集まっているというのに、こちらを気にした様子もない。まるで視界にすら入っていないというようでもあった。異様な雰囲気であったが立派な規律違反でもあるし、声をかけない訳にもいかない。お互いに目配せするとこの中で一番大柄の男が声をかけた。
「お前らそこで何し…!?」
 言い終わらぬ内に二人同時に斬りかかってきた。それを寸でのところで受け止めるが、背中を冷たい物が走った。
 受け止めた男は大柄で腕っぷしも強い。二三人を相手どって余裕で斬り伏せた事もある。一方の刃を向けて来た二人は筋肉はしっかりと付いているが、標準体型である。常であれば力負けするのは確実に二人の方だった。
 だが、大柄の男の方が明らかに押されていた。受け止めた力は尋常じゃない。交わった刃が悲鳴を上げる。押し負けるよりも先に刀の方が折れてしまいそうだった。しかし、二人は刃こぼれするのも厭わずに力任せに押してくる。武士の魂である刀をぞんざいに扱うような者でない事も知っている。
 なにより、二人の目がどうにも気味が悪かった。心ここにあらず。どこを見ているのか、何を考えているのか全く分からない。
 感じたの恐怖だった。死の恐怖という物ではない。信じてはいないが、幽霊だとかそういう物の恐怖に近い。
 怯んだ隙に大柄な男が吹き飛ばされた。そんな、まさかとどよめきが走る。大きな音がしたせいで、近くに居た者も何があったかと集まってきた。
「何かあったでござるか?」
 その中の一人に万斉が居た。バレてしまった、と顔を青くする所だが異常事態でもあり今はそれどこれではない。
 要領を得ない説明に首をかしげながらも、異様な雰囲気の部下二人を見た。
 無音。人には何かしらリズムがあるのだが、目の前の二人は何も聞こえてこない。詳しい状況は分からないが、とにかくめんどくさい状況である事は察した。
 ひとまず事態を納めるためには、二人を拘束する必要があると判断した。周りで固唾を飲んで見守る部下に離れるように言うと弦を伸ばす。
 弦はそれぞれ腕や足を拘束した。普通の人間であれば身動きが取れない筈だが、なおも抵抗を続けている。
 痛みも感じていないのか、がむしゃらにもがき血が流れる。手足をもぐ事も可能な弦だ。それを二人とも知っているはずだが、尚も暴れ続け拘束を解こうとしている。
 冷静な人間であれば、痛みや情報を知っている時点で無理に動けばどうなるか想像ができる。だが、二人からはそういった物を一切感じない。思考能力がない、例えば映画で見たゾンビのような。
 そんな事があってたまるかと思いながらも、天人が来てからはなんでも有りな世の中だ。ないと言い切れる自信はない。
 ここで身体をバラバラにするのは簡単だ。だが、血の海にしたくないし、後片付けも真っ平ごめんである。
「万斉様!鎮静剤です!!」
「かたじけない…!」
 騒ぎを見ていた部下の1人が気転を効かせ、鎮静剤を持ってきた。とはいえ、注射器とあって近付かなければ刺すことはできない。
 暴れる相手をただ拘束するというのは難しい。相手に意識があるならまだしも、今の彼らは手足がもがれても構わず襲ってくるに違いない。僅かな力加減というのは神経を使う。斬り合いでもないのに額から汗が流れた。
「万斉様、ここは俺が…!」
 吹き飛ばされた大柄の男が目を覚ました。立ち上がると少しふらつきながらも、二人に近付いてゆく。その様子に止めようとも思ったが、この男もプライドがある。それに続いて何人かが目配せして頷く。
 数人がかりでようやく抑え込み、鎮静剤を打った。それでも暫く暴れ続けたのだからやはり異常事態と言えた。
 気を失った二人をひとまず拘束した状態で医務室へと運ばれた。話せる状態であるかは不明だが、目覚めればある程度事情は分かるかもしれない。
 指示を出し終えるともう一方の問題である土方の様子を伺う。あれだけの騒ぎがあったにも関わらず、目を覚ましてはいなかった。
 本来、捕虜であれば牢に入れられる筈がなぜと近付いた所で、頭に僅かな痛みを感じた。頭痛と言われればそうだが、外側から攻撃されているような。頭痛とは違う感覚がした。同様に事情を聞く為に、残しておいた部下も頭を抱えくぐもった声を漏らしている。
 次第に痛みと違和感が増していく。外側から"自分以外の誰か"の意思を感じた。自分のコントロールを奪おうと"自分以外の誰か"が攻撃してくる。
 部下は大丈夫かとそちらを見れば、目が濁っていく。先ほどの二人と同じ目だ。頭の痛みを気合いで捩じ伏せ、咄嗟の判断で部下を気絶させる。
「……っ……ぐぅ……!」
 酷い頭痛と"自分以外の誰か"に吐き気がし、視界が揺らぐ。ついに膝が落ち、床に這いつくばる。必死に抵抗するが"自分以外の誰か"は自分の中へと侵入してきた。ゾンビ映画など、と鼻で笑って見ていた自分がまさかそんな末路を辿るとは思いもしなかった。
 ここまでか、と思った矢先に急に痛みも吐き気も消え去った。
 土方の眠るベッドに手をかけて、ゆっくりと立ち上がる。少々フラついたがそれ以外に問題はない。
「……ここは?」
 声の主は土方だった。どうやら目が覚めたらしい。まだ身体は動かせないようで、目をキョロキョロとさせている。
「ようやく目覚めたか。詳しい話を聞かねばならないようでござるな」
「テメェは万斉…!」
「おっと、不用意な動きは…っ!?」
 突如、謎の力で後ろへと吹き飛ばされた。背中を強かに打ち付ける。
 何が起きたか分からないが、土方も何が起きたのか分からない様子で目を見開いている。勝手にぶっ飛んだように見えたかもしれない。
「これは…何かありそうでござるな」
 あの場でさっさと殺しておけばよかったのに。高杉の気紛れに付き合わせれ、結局そのツケを払うのは自分の役目かと自嘲気味に笑った。

 そういう事もあり、土方の検査をする事になった。実際は別の部下が土方を殺そうとしたのだが、万斉と同様に弾き飛ばされてしまった。
 となると、土方自身に何かあるのではないかという仮説が立てられたのである。
 同時に"自分以外の誰か"という存在を万斉だけでなく、最初の二人も気絶させた部下も感じていた。
 最初は小さな痛みに始まり、気がつくと自分が自分でない感覚がする。その時の記憶も残っており、なぜあのような行動を取ったのかと言われると「誰かがそうしろと命令していた。それを自分も何も不思議に思わず実行していた」と発言した。
 通常であれば、処罰の対象であったが今回ばかりはおとがめなしである。一人だけなら虚言と一蹴されていたが、複数人でそれも万斉自身が体験したのなら話は別だ。
 直感もあったが、監禁されていた状況や今回の出来事を踏まえると、調べる価値はあると判断された。
 そうして出た結果は「寄生型エイリアン」である。それも2体。土方の頭と腹に1体ずつ。元々2対1組で行動するタイプのエイリアンで、互いに協力し合い他種族に寄生しながら自分たちの種を増やす。
 頭に寄生するタイプは、宿主に生殖行動を取るように指令を出し、宿主の脳に働きかける事で超能力まで出せる。危害を加えようとすると防御の為に相手を弾き飛ばしたり、自分よりも弱いと判断した生物を自在に操る。
 腹に寄生するタイプは、子宮の役割を果たす。女性なら自分たちの種に適した環境に整え、男性ならば擬似子宮として定着する。
 おまけに一度寄生されれば最後。今の所、無事に摘出できる可能性は極めて低い。宿主が死ぬか摘出しようとした者が死ぬか。
 宿主が生存するにはエイリアンの子を産むしかない。だが、殆んどの宿主は発狂し一生病院か、発狂したその後自死するなど、やはり無事では済まない。
 では産まなければいいのか、となるとまたこれも駄目だった。宿主が抵抗し一定の期間が過ぎると、産まないと判断され、頭と腹からエイリアンがそれぞれ飛出してくる。
 それを都合よく改良された物を人為的に土方へと寄生させた。恐らくはあの屋敷で寄生させられた所に、襲撃に合ったという事だ。
 その結果を聞いた土方も流石に顔を青くした。得体の知れないエイリアンが寄生し、妊娠しなければ頭と腹が破裂して死ぬ。産んでも死ぬかもしれないし、股を開かなければならないなど屈辱でしかない。
 万斉でさえエイリアンに関する報告書を読むのを躊躇ったのだ。ご丁寧にエイリアンが飛び出した後の宿主の写真まであった。どうりで報告書を持ってきた部下が口元を抑えていた訳だ。敵とはいえ同情してしまう。せめてもの情けで写真を見せないように配慮した。
「マジかよ……」
「ちなみに寄生されられるような覚えはあるでござるか?」
「んなもん……アレ、本気で言ってたのか……?」
「アレ、とは?」
「君に子供を産んで欲しい、とか言ってやがった」
「……すまぬ、なんと言ったらいいか浮かばぬ」
「いや、いい。気にしないでくれ……」
 お互い居たたまれなくなり沈黙する。
 幕臣に『子を産んでくれ』と言われ、無理矢理エイリアンに寄生され、ほぼ死ぬような未来しかない。あげく、敵であるテロリストにも同情される始末だ。当然だがエイリアンは宿主を死なせないように行動する。つまり自死も選べない。
 土方が生き残るには、子を宿すしかない。手術で取り除こうとすれば、確実に被害が出る。かといって、無傷で土方を返すというのも沽券に関わる。では、土方に頑張って貰ってエイリアンに出て行って貰うというのも、いつどのタイミングで出てくるか分からない。失敗すればエイリアンは新な宿主を探して鬼兵隊内を這い回る。
 土方にとっても、鬼兵隊にとっても非常に厄介な状況である。
 そんな状況を面白がっているのが、鬼兵隊頭目の高杉晋助だった。
 土方をどうするか、その最終判断は高杉にある。普段は万斉に丸投げする事もあるが、急に白を黒だと言ってみたりと、その言動がコロコロ変わる。どちらにせよ万斉が後始末をする事になるので、常に頭を抱えているのだが。
 高杉に一通り説明すると、これまで放ったらかしであったのに「面白そうだから」と土方に会うと言った。幸い、土方に意識がある時にはあまり影響がないらしい。エイリアンが万斉を格上と判断したのかもしれない。現に部下が近寄った時には、操られかけていた。
 高杉が部屋に入ると土方は身構えた。頭目、それも帯刀しているとなると当然の反応だ。
「晋助…!!」
「へぇ、コイツはすげぇな」
 高杉は刀を抜き土方に斬りかかろうとして、出来なかった。ピタリと刀を振り下ろそうとした所で止まっている。勿論、土方はベッドから動く事なく高杉を睨み付けているだけである。
 高杉は本気ではなかったが、話が確かめるには充分だった。
 刀を鞘に戻すと、ベッドの傍らにある椅子に腰を下ろした。ニヤリと笑うと
「幕臣のジジイにケツ狙われてんだってなァ」
「んな事言ってる割にはテメェも似たようなモンじゃねぇか」
「……!?」
 今度は土方がニヤリと笑う。高杉が上にのし掛かろうとしているのだから充分にピンチと言えた。だが、当の高杉は何故自分がこのような行動を取ったのか理解出来ていない様子である。
「クソッ…!なんだこりゃあ…!?」
「晋助!」
 万斉が引き剥がさなければ、そのまま口唇に噛みついてしまいそうだった。自分の意思に反して勝手に身体が動いたとしか言いようがない。
「まさか……相手が晋助になるとは……」
「どういう事だ万斉……テメェだけ納得したような顔してんじゃねぇよ」
「エイリアンは、相性が良くより強い雄を求めている。つまり、土方殿の相手に選んだのが晋助、という事でござるよ」
「最悪だ……」
「そりゃこっちの台詞だ」
 よりによって敵同士で交われ、などという状況は最悪という言葉では足りないくらいだ。
 だが2人とも"抗えない何か"を感じている。今は逆らう事が出来るがこの先もそうである保証はどこにもない。
「万斉、コイツをさっさと殺すぞ」
「先ほど刀を止められたでござろう」
「なら放置して死ぬまで待ちゃあいい」
「そうなるとエイリアンの次の宿主は、確実に晋助が選ばれるでござる」
「コイツなんぞ連れて来やがるから」
「連れて来ると決めたのは晋助だが?」
「クソッ…!テメェが余計なモンに寄生されてやがるから…!」
「好きで寄生された訳じゃねぇよ!」
 余程腹が立ったらしい。高杉は椅子を壁に投げ付けると部屋を出て行った。正直、土方から見れば子供が拗ねているようにしか見えない。
 聞こえた大きな溜め息に、万斉の気苦労を感じてしまう。上にも下にも問題児ばかりで、なんとなく自分の境遇と重ねてしまう。
 鬼兵隊の面々もなかなか個性派揃いだ。それを高杉のカリスマ性で纏め上げていたとしても、それだけで組織は機能しない。その調整をするのは万斉の役目ではないかと考えた。
「……あんたも苦労してんだな」
「土方殿程ではござらんよ」
 こんな事で敵同士で通じ会う事になるとは、思いもよらない2人であった。

 高杉は苛立ちながらも足は土方の部屋へと向かう。むエイリアンの影響は思っていたよりも大きいようで、行動をコントロールされているらしい。土方の相手に選ばれてしまった、というのもあるようだ。
 安全にエイリアンを除去する方法を探しているが、簡単に見つかりそうにはなかった。
 来島については念の為、周辺には近付かないように言ってある。元々、女性である為にエイリアンとしてもそちらの方が都合が良い。女性が居た場合、そちらに移動したという事例もあるようだった。そうなるともれなく、土方の頭と腹は飛散する事になるし、来島が新な宿主となる事も避けたい。土方自身もそれは避けたいと言った。
 不満はあるようだが、身の安全の為と説得しせっかくだからちょっと羽でも伸ばしてこいと、休暇を与えた。
 エイリアンの影響は日に日に増しているようだった。うっかり土方の部屋の前を通った部下が、操られ土方の世話をしている事もあった。
 高杉自身も「土方に会いたい」という気持ちが日に日に増していき、非常に不愉快であった。エイリアンなんぞに操られているのは腹立たしい。だが、それに従わなければやはり苛立ちが募る。イライラで当たり散らしたせいで、万斉に長々と説教をされ武市にさえ釘を刺される羽目になった。土方に会えば解消されるが、また別の衝動と戦わねばならない。
「また来たのか。テメェも暇だな」
「来たくて来た訳じゃねぇ」
 土方は読んでいた本を閉じると顔を上げた。何度か殺せないかと試してはみたものの、その度に失敗した。おまけに自身も土方を守ろうと反応したので、とうとう諦める事になってしまった。
 土方も嫌な顔をしていたが、最近はそうでもない。まあ、高杉以上に厄介な物を文字通り抱えているのだ。何度か脱走を試みた後、こちらも失敗に終わっているからか、足掻いても仕方ないと腹を括ったのかもしれない。
「満足したろ帰れ」
「あ?ここで帰ったらテメェ寂しそうな顔をするだろ」
「してねぇ」
 そんなもんだからか土方とのやりとりも自然と増えていく。
「真選組はまだお前を見付けられねぇみたいだな?」
「はぁ?うちの監察なめんなよ?怖くて逃げ回ってんのは、テメェらの方だろ?」
 軽口を叩き合う様子は悪友のようでもある。それが少しずつ、心地良く感じるようになっていく。エイリアンの影響なのか、本当に好感を持つようになったのか、2人は分からなくなっていく。
 時間を重ねる度に高杉の不機嫌さも鳴りを潜め、土方も訪ねてくるのを待ちわびるようになっていた。それでも、お互いの念持で一線を越えようとはしない。男でそれも敵である相手を好きでもないのに抱くものか。エイリアンのせいで、偽物の感情を植え付けられて抱かれるなど絶対に嫌だ。最早、意地である。
 そこに性欲も伴うのだから身体の方も辛い。健康的な成人男性なら生理現象である。致し方ないとはいえ、自身を慰める時には嫌悪感が凄まじい。勝手に頭は好きでもない相手を思い浮かべてしまう。だからといって、そういう雑誌や映像を用意するのも嫌だった。商売女にも興味が持てない。あげく、土方は腹まで疼く。何度、後ろに手を伸ばしそうになったか。濡れている事に気付いた時の絶望感はとてもじゃなかった。
 しかし、行為だけは嫌だった。それが、自らの意思なのか擬似的に植え付けられた意思なのか。最早境界が曖昧になって分かりはしなかったが、それだけは嫌だと歯を食いしばり耐えた。
「頭が痛い」
 土方が頭痛を訴えるようになった。最初は小さくすぐに痛みも引いた。それが、段々と頻度や痛みも強くなり、頭痛薬が手放せなくなっていた。その頃には腹が少し大きくなり、体内で何か蠢いているような動きさえする。
 まるで妊婦のようだと思った。だが2人は行為に及んだ事も、及ぼうとも思っていない。越えてはいけない一線をどうにか守り抜いている。エイリアンへの抵抗と、自身の欲を無理矢理抑え込む行為は心身共に疲弊させた。しかし、それ以上に守られねばならない物が2人をそうさせていた。
 やはりそれはエイリアンが体外へと飛び出す予兆であった。あと数日もすれば、エイリアンは土方の頭と腹を突き破る。次は高杉を宿主と定め、艦内を這いずり回る。
 そのタイミングで殺せる可能性もあるが、すでにある程度コントロールを奪われている状態だ。抵抗できなければ、高杉は簡単に身体を明け渡すだろう。
「どうするかは、お主らで決めてくれ」
 万斉は淡々と告げると部屋を出た。この部屋に土方と高杉が2人きりになる事は初めてではない。だが、どうにも重苦しい雰囲気にいつもの軽口がひとつも浮かびはしなかった。
 憎い、とまではいかなくとも互いに目障りな存在である。高杉程の人間を無傷で捕まえられるとは思っていなかった。土方という人間に煮え湯を飲まされた事も何度かある。
 それがなんの因果か言葉を交わし、心さえ交わそうとしている。それが「死」によって終わりを迎えようとしている。いつか終わりが来るとわかっていても、こんな形は受け入れられない。
「……土方、テメェは死にてぇのか?」
「……刀を握った時から、死ぬ事は覚悟の上だ。畳の上で死ねるとは思っちゃいねぇさ。だが、我儘が許されんならこんな死に方は願い下げだな」
「……そうか」
 それだけ言うと高杉は部屋を出ていった。1人になった土方はギュッと布団を握る。その手は僅かに震えている。
 死ぬ事はとっくに覚悟していた筈だ。高杉にも言った通り、畳の上で死ねるなんざ思ってもいない。所詮は人斬り。天国には行けやしない。
 ならばこの手の震えはなんなのか。死にたくないと願っている。死んでしまえばもう。
 それが本心なのか、そうでないのか土方には判断が付かない。自身の感情のような気もするし、そうでない気もする。身体だけでなく、心までエイリアンに蝕まれてしまったようだ。
 安全にエイリアンを摘出する手段がない以上、生き残る選択は1つのみ。
「……覚悟決めるしかねぇか」
 ベッドに身体を沈める。命の期限が迫っているのは自分が一番よく分かっている。そして、高杉との時間も残り僅かなのだという事も。なんとなくそう思った。

「土方、テメェを抱いてやる」
 翌日、高杉は部屋に来るなりそう言った。昨日とはうって変わって、いつもの傲慢でふてぶてしい態度だった。
「はぁ?違うな。俺が"抱かせてやる"んだ。間違えんな」
「抱かれてぇクセに"抱いてください"とも言えねぇのか。副長様はよォ?」
「"抱かせてください"だろ?」
 土方も言い返す。あくまで「自分の方が優位である」と。
「誰が、好き好んで野郎なんて抱くかよ」
「こっちだって野郎に抱かれる趣味なんざねぇよ」
「さっさと終わらせて、女抱きに行きてぇんだ」
「どうせ商売女だろ?悪いが俺は巡回中に何度声をかけられたか」
「どうせ乳臭ェガキばっかりだろ?」
「テメェは年増にしか声かけられねぇんだろ?」
 言い合いながら、首に手を回す。手のひらが優しく頬に触れる。絶対にこれは「愛情」ではないと、口先で否定する。
「「勘違いするな、俺はお前なんか大嫌いだ」」
 

 土方の膨れていた腹も落ち着いた。以前のような無駄のない腹をして腹筋が見えている。だが、相当な体力を消費したようで「動こうにも身体が付いていかない」とベッドの上でぶつくさと悪態を付いている。
 高杉は日に何度か土方の部屋へと自然と足を運ぶ。以前のような苛立ちはない。エイリアンの意思か自分の意思かは、考えるのはやめにした。そうさせられているのかもしれないが、考えるだけ時間の無駄と判断した。
 もう少し時間を作りたい所だが、近頃は真選組や他の敵対勢力の動きが気になりそちらに時間を裂かれている。遅れを取るつもりはないが、用心する事に越した事はない。戦力の為にまた子も戻した。文句を言いながら出立したというのに、帰ってくれば機嫌良く土産を配ると、万斉と武市相手に土産話しを延々としていた。
「女ってのは良くわからねぇ」
「全くだ」
 初めて意見が合った気がする。自然と笑みがこぼれていた。
 二言三言ほど言葉を交わした所で部屋を出る事になった。タイミング悪く万斉から呼び出しであるから、土方に追い出されたというのが正しい。
 読みかけの本を再び開いた。真選組で朝から晩まで働いていた時とは、あり得ない時間の過ごし方。組に戻る事を諦めた訳ではない。だが、身体は暫く思うように動きそうにはない。寄生されたままで、今後どんな影響が出るかも未知数である。
 今は様子を見る事にした。それに高杉の口振りからして、組も居場所をほぼ特定しているだろう。後は準備とタイミング次第という所だろうか。
 何枚かページを捲った辺りで、爆音と共に壁に打ち付けられた。額から液体が流れてくる。ああ、出血しているのかとぼんやりと思う。指先一つ動かせそうにない。思った以上の出血か、それとも頭を強打したからだろうか。意識もはっきりとしない。瞼が次第に重くなっていく。駄目だと分かっていても抗う事は出来なかった。

 目が覚めると真っ白な天井が見えた。次に点滴と規則的な電子音。散り散りになっていた思考が集まって、ここが病院であると理解するのに、少し時間がかかった。
 身体は動かせそうになく、唯一自由の効く目をキョロキョロと動かしてみる。棚と椅子が一脚。棚の上には花が生けられ、誰かしらは見舞いに来ているのだろう。
 ナースコールは押せそうにない。医者か見舞いの人間が来るまで待つ事にした。
 自分の名前や職業は問題なく思い出せる。次に順に何があったかを思い出していく。
 まず、事の始まりは幕臣からの呼び出しだ。前々から怪しいとは思っていたが、まんまと罠にハマったようだ。やたらスキンシップが多く、セクハラのような行為もあった。「君に子供を産んで欲しい」など悪い冗談だと流そうとしたが、相手は本気だった。目が覚めるとエイリアンを寄生させられていた。あそこで鬼兵隊の襲撃に合っていなければ、今頃幕臣の子供を孕まされいたかもしれない。だからと言って鬼兵隊でよかった、などと微塵も思ってはいない。
 意思をコントロールされながら、命の危機にまで瀕した。どうにか助かったと思ったら、爆音と共に意識を失って病院に居た。
 どうやって始末書を書けばいいのか。頭が痛くなってきて考えるのをやめた。職業病が治っていないのは、この場合喜んでいいのだろうか。
「副長!」
 山崎が泣きそうな表情で入口に立っていた。
「よぉ」
 掠れてはいたが発声にも問題なさそうである。山崎は目や鼻から液体を流し、こちらは問題大有りのようだ。
 そこから医者がやって来て、それが終わったと思えば号泣した近藤さんが来てと嵐のような時間だった。そこで、初めて知ったが幕臣に囚われてから1ヶ月ほど経っていた。言葉で聞くだけなら短いが、酷く長く感じていた。1年くらい経っていてもおかしくないと思っていたが、そうでもなかった事に驚いてしまった。
 とはいえ、今すぐに退院とはいかずそこから2週間の入院となった。エイリアンの事も調べてあった。それ故の検査という名目もある。
 元々、幕臣について調べておりそこからの鬼兵隊の襲撃。鬼兵隊も追いつつ、幕臣も調べていると天人の医者にぶち当たった。そいつが何を隠そう、エイリアンを寄生させた張本人である。
 現在は逮捕され母星へと強制送還された。母星でも指名手配をされており、一生檻からは出られないだろうと言うことだ。
 問題のエイリアンだが、やはり除去は出来ないと言われた。体内の一部と化している。手術で取り除くなら脳の殆んどを切除する事になる。
 が、不幸中の幸いなのかその脳に寄生したエイリアンは死んでいる、という事だ。
 頭を強く打った状態で発見された。その時にエイリアンが死んだのかもしれない、という事だ。腹の擬似子宮となるエイリアンだが、こちらほぼ意志がない。寄生した時点で意志がなくなるらしい。脳のエイリアンがいなければ、ただそこにあるだけの器官となる。だが、切除だけは難しいという事でこのままの方が身体に影響が少ないと説明された。
 日課のような検査が終わると、あるのは退屈な時間。見舞いに近藤さんや総悟、隊士がやってくるがずっと居る訳ではない。読みかけの本は読み終わってしまった。組で忙しくしていた時には、あんなに欲していた時間だったのに。
 鬼兵隊に囚われていた時はそんな事は思わなかったのに。その理由を考えようとして、やめた。
 

 江戸の町も殆んど元通り、と言ってもいいくらいに復興が進んでいた。爪痕は至る所に残っているが、それを感じさせない程に人間という生き物は強く出来ている。
 最近、どうも体調が思わしくない。熱っぽかったり、身体がダルかったり。風邪、というには咳が出る訳でもなく。ただそういった症状が続いている。疲れる程、働いているという訳ではない。政権が変わってから、攘夷志士の活動は比較的穏やかだ。一番の過激派がいなくなったかもしれない。
 食欲まで落ち、マヨネーズもタバコにも手が伸びない。理由はわからないが、なんとなくそういう気になれない。
 そうなると、心配だと騒ぎ立てるのが近藤さんと山崎、それに鉄である。朝から晩まで顔を見る度に「体調はどうだ?」「病院に行け」と言われる。
 最初の内は「煩い」と耳を塞いでいたが、一向に良くならない体調と毎日言われてしまうと、流石に病院に行くかとなった。「次の休みに病院に行く」と告げると、有給まで押し付けられることになった。

「妊娠されています」
 エイリアンに寄生されていた、という事もあり念の為にと受けた検査。心音も確認でき、このまま順調に成長するだろうと。医者に「心当たりはあるか」と聞かれた。あるには、ある。だが、なぜこのタイミングで。身体を重ねたのはあの時一度きり。特に身体に変化も起きなかった。
 医者も首を傾げていた。擬似子宮がある以上、妊娠は可能である。しかし、あまりにも時間が経ち過ぎている。何年も前の話だ。エイリアンという事を差し引いても、まずあり得ない。
 推測では受精した胚が休眠状態で生存し、なんらかの切欠で目を覚ました。休眠状態になったのは、頭のエイリアンが死亡した事が原因かもしれない。ただ、それも推測でしかない。
 妊娠している、と言っても子宮以外は男性の身体のままだ。胎児の成長に耐えうるかは未知数。成長に耐えたとしても、出産と問題は多い。
 身体に影響がでず何事もなく元の生活に戻れるかもしれないし、後遺症が出る可能性もある。最悪の場合は命を落とす。
 命が宿っている以上、決定権は土方にある。「考える時間が必要でしょう」
 と医者は言った。どんな選択をしても我々は貴方をサポートします、とも。
 屯所に戻ると近藤さんが出迎えた。ひとまず病気の類いではないと伝えると、安心したのか思い切り抱きつかれる。あまりに苦しく思わず腹を庇っていた。
「詳しい話はまたするから。聞いてくれるか、近藤さん」
「当たり前だろ、トシ!!」
 その屈託のない笑顔に安心した。これからの事は分からず、不安しかない。なんの根拠もないが大丈夫なのだと信じる事が出来る。
 風呂に入り寝間着に着替えると自室の縁側に腰を下ろした。いつもなら、煙草を吸いながら一杯やっている所だが今はどちらも用意していない。
 自分の腹に手をやった。
 真選組副長としての答は決まっている。だが、土方十四郎としての答は違っていた。
「俺は―――………」





 3年ほど前。田舎にとある子連れの男が移住してきた。
 元は江戸で仕事をしていてそれなりの地位もあったが、身体を悪くして産まれたばかりであろう幼子を抱えて現れた。
 三十代半ばくらいのその男は訳ありといった感じで始めは遠巻きに見られていたが、真面目で勤勉であり次第にそこに溶け込んでいった。
 江戸から遠く離れたこの場所ではあるが男のもとにはよく客が訪れ文が届けられた。
 ゴリラのような男や栗色の髪をした青年に銀髪で変わった風貌の3人組など様々な人間が訪れた。
 文も1通2通ではなく分厚い束で届けられ、この男が人望のある人間だと物語っていた。
 とある日、その男を訪ねて客がやってきた。
その客は初めて見る顔だったが身なりがよく礼儀正しかった。どこぞの名のある武家の人間といったような印象で、顔立ちもよく紫がかった黒髪の男だった。
 悪い人間には見えなかったので男の住んでいる家を教えると深く頭を下げて去っていった。
 その客は男の家に訪れると戸を叩いた。
 暫くすると男が中から出てきた。客を見ると驚いた顔をしたが微笑むと客を家の中へと招く。
 部屋ですやすやと眠る幼子を見て客は「俺の子か?」と訪ねると男は「そうだ」と答た。

 その日から3人が仲睦まじく暮らすようになったそうだ。
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