いつかこんな未来も

「いらっしゃい。適当に座ってくれよ」
「こんな所に飯屋があったんだなぁ」
「あぁ、俺も初めて知ったよ。いつも通る道なのに」
「うちはよ、気まぐれで開けてんだ。若ぇ頃は週に5日は開けてたんだが、もう歳だからな。しんどいのよ」

「ははは」と笑いながら店主らしき男はくるくると跳ねた白髪を掻いた。
光が当たるとキラキラしている。
本当は開店前だったみたいだが、ご厚意で入れてくれた。

「で、何にしますかお客さん。いい金目鯛が入ったから煮付けにしてあるんだが、どうだい?」
「う〜ん…豚の生姜焼きも捨てがたいが、煮付けも美味そうだなぁ」
「そうなんだよ。俺もそれで迷ってて」
「なら、半分ずつ分けりゃあいいんじゃねぇのか?」
「おお!そりゃあいいね!」
「じゃあ、生姜焼きと金目の煮付けだな。茶はセルフだ自分で淹れてくれ」

店主はそう言って厨房の奥へと引っ込んだ。
カウンター席の真ん中に花柄の電気ポットがあった。その横に湯飲みが重ねてある。

茶を淹れて戻ってくるといつの間にか小鉢が置いてあった。音もしなかった。気配のないあの店主はただ者ではないかもしれない。
厨房の奥からカチャカチャ、トントン小気味よい音がする。いい香りが漂ってきて腹がぐぅと鳴る。
料理が出てくる間に店内をぐるりと見回してみる。
どこにでもあるような店だ。壁にはメニューが貼られている。謎の糖分という額に、シーツを被ったようなお化けのぬいぐるみ。寺門通のサイン色紙。メニューに酢こんぶとあるのがなんだかちぐはぐな印象を受ける。

「おまちどおさま」

店主の声と共に、目の前には湯気のたった白いご飯にお新香と味噌汁。金目鯛の煮付けと豚の生姜焼きが半々に盛られている。そこでまたぐぅと腹が鳴った。
これがまた美味い。こんなに美味い店を知らなかったなんて、この世の不幸だな。ご飯がやたら進む。

「おかわりいるか?」
「いります!」
「俺も!」
「へいへい、ちょっと待ってな〜」

店主は空になった茶碗を受け取り奥に引っ込む。山盛りのご飯が現れて、唾液がじゅわりと沸く。

「家には大食らいが居るからなぁ。いつも多目に炊いてんだよ」

「追加料金ならいらねぇよ」というありがたいお言葉に遠慮なく箸を進める。
行儀が悪いと思ったが、汁をご飯にかけて食べる。
皿には骨だけしか残っていない。全て平らげた。こんなに美味い店を知ってしまったのはとんでもなく幸せだけれど、とんでもなく不幸だ。もう他の店では食べられないかもしれない。

「そんだけ美味そうに食ってくれるなら、作った甲斐があったな」

目を細めて笑う。目尻の皺がぎゅっとなる。
故郷のじいちゃんもこんな風に笑っていたな、なんて。

「親父さん、ごちそうさま!すげぇ旨かったよ!」
「うんうん!うちの母ちゃんより旨ぇよ!」
「お粗末様。ありがてぇけどそれ母ちゃんには言うなよ、殺されるぞ」
「口が裂けても言えねぇよ!」

「ああ、怖い!」とわざとらしく震えてみせると、親父さんも声を「違ぇねぇ!」と声を上げて笑った。手を叩いて笑う手に銀色の指輪が見える。やはり自分の嫁が一番怖いのは世の中の共通事らしい。

「親父さん、この店は長いのかい?」
「そうだなぁ〜…俺が40くらいの時だから、だいたい20年くらいはやってんじゃねぇかなぁ?」
「へぇ、じゃあ還暦かあ。とてもじゃねぇが見えねぇなぁ」

頭は真っ白でも羨ましい程にフサフサしている。四方八方に髪が跳ねているから、余計にそう見えるのかもしれない。身体付きも筋肉質でガッシリしているし、口の方も達者でよく回る。

「中身はすげぇガタガタだから。血糖値ヤバくて医者に甘ぇもん食うなって言われてんの」

そう言いながらどこからか取り出した、いちご牛乳を飲んで笑う。言い付け守る気ないなこの人。

「親父さんは、なんでこの店始めたの?」
「昔さ、ここスナックだったの。けど、そこの主人の婆さんも結構な歳でよ。たまに手伝って飯作ってたらそれが評判になってそれ目当ての客が増えた訳。で、婆さんが引退して店畳もうか…と思ったんだが続けてくれって言われてさ…それに」
「それに?」
「上にさ『万事屋銀ちゃん』って看板あったろ?俺さあそこの社長やってたんだけど、平に降格されたあげく追い出されたの!!そしたらもう、飯屋やるしかねぇじゃん!!」

なんだそりゃ。もしかして壮大な物語でもあるのか!?と期待してみたらそうでもなかった。でも、なんとなくこの人らしいとも思ってしまうような。

「親父さん大変だったんだな…」
「それなりにな。けど、俺はここが守れてよかったと思うよ。なんだかんだ、世話になった婆さんだったからな」

親父さんの見上げた先に、写真が飾ってあった。真ん中に立つご婦人がその婆さんだろうか。周りには若い頃の親父さんと思われる青年や猫耳のおばさんや、赤いチャイナ服の女性に眼鏡が一緒に写っている。

「殺しても死なねぇような婆さんだったんだけど、俺が今まで滞納してた家賃全部払った翌日にぽっくりいっちまったんだよ。安らかな顔だったよ。こんな事なら家賃払わなきゃよかった。」

冗談めかして言っているが、写真を見詰める親父さんの横顔は少し寂しそうに見えた。隣からは鼻をすする音が聞こえてきた。そうだ、コイツ涙腺弱いんだった。

「でよ、その婆さん俺が払ってきた家賃どうしてたと思う?全部貯金してやがった。1円も手を着けずによ。俺が所帯持ってガキが生まれたら、とか考えてたみてぇでよ。余計な事すんなよな。テメェの好きな物でも買えばよかったのによ」

その人は親父さんにとって大事な人だったんだろう。隣の席が大洪水になっている。
ティッシュ一箱とタオルをさりげなく渡す親父さんは気遣いが上手い。

「う"ぇ"ぇ"ぇ"ぇ"だい"じな"びどだっだんずね"」
「母親みたいな人だったよ」

親父さん止めささないでください。
本当は俺も泣きそうだったけど、コイツが泣きすぎて涙が引っ込んでしまった。
流石の親父さんもちょっと引いてる。

「で、婆さんが貯めててくれた金で店をちょっと綺麗にして今日までやってきた訳よ。ジジイのつまらねぇ話に付き合ってくれてありがとよ」

「サービスだ」とあんみつを出してくれた。ほんのりした甘味がいい。これも手作りだそうだ。

「それで、今は奥さんと一緒にされてるんですか?」
「奥さん?」

左手の薬指に光る指輪を差すと「おお、これね!」と照れながら笑った。
人間味のある笑顔に益々この店の虜になりそうだ。味だけじゃなく、親父さんを目当てに来る人も多いんじゃないだろうか。

「うんまあ、そんなとこ…かな?アイツは料理得意じゃねぇからちょっと手伝ってくれるって感じだけど」
「じゃあ普段も家事は親父さんが?」
「そうだな、主夫つーの?まぁ、アイツ公務員だったし俺より稼ぎ何倍もあって生活費とか家賃とかよく払ってくれてたしね。頭上がらねーわ」
「うちと同じで尻にしかれちゃってんのか」
「いーんだよ!夜は俺が上なんだから!」

奥さんの事を話す親父さんは嬉しそうで、どんな人なのか興味が湧いてきた。

「親父さんの奥さんって美人?」
「そりゃあ美人だよ!かぶき町イチ!いや江戸イチ!宇宙イチだね!顔もいいし、強いし、頭いいし今だになんで俺と一緒になってくれたのかわからねぇ」
「親父さん、ちゃらんぽらんっぽそうだしな」
「それ嫁さんにもよく言われた」
「美人なら競争率高かったんじゃないの?」
「もうそりゃあモテモテでよ。今日だって、定年で退職したってのに、後輩に呼ばれたからって仕事に行っちまって、毎回若い子たぶらかしてくるから気が気じゃねぇよ」
「親父さん奥さんにベタ惚れじゃないですか」
「いいなぁ、うちは年々扱いが雑に…怒るとすげぇ怖いし」
「いやいや、うちもそうだから!鬼って呼ばれてたからね!マジで!それに未だにすぐ殴ってくるし、すぐ切腹しろって言うし一昨日なんて投げ飛ばされたし」

益々どんな人なのか気になってきてしまう。宇宙イチの美人だけど昔鬼と呼ばれていて、筋肉質な親父さんを投げ飛ばす奥さんってちょっと想像できない。写真を見せて欲しいと頼んだが、携帯とかそういうの持ってないし惚れられたら困るから、と頑なに見せてくれなかった。

「アイツも配膳やったりするから、その内会えるよ」

粘っても次回のお楽しみで、とはぐらかされてしまった。
そうこうしているうちに、時間が来てしまった。楽しい時間というものはあっという間に過ぎてしまう。
あんなに美味い飯がワンコインだなんて信じられなかったが、安く仕入れてるし半分は道楽みたいなもんだからとまた笑った。
2人で店を出ると入れ替わるように、短髪の白髪の男性が店に入っていった。背筋もしゃんとしていて、眼光も鋭い。老人というよりは紳士と言った方が近いだろうか。
あの人もこの店のファンなんだろうか。
幸せで膨らんだ腹をさすりながら、次は奥さんがいる日に行きたいなと思った。


※※※※※


「ただいま」
「おかえり。早かったな、もっとかかるかと思ってた」
「昼飯食べて行ってくれ、って言われたけど断ってきた」
「つかさ、お前もう退職したのになんで毎日屯所に呼ばれんの!?やっと銀さんだけのモノになって毎日イチャイチャできると思ったのに!ねぇ、稽古と称してエッチな事とかされてない!?」
「安心しろ。んなこと考えるのはテメェだけだ万年発情期」
「安心できるか!屯所に行く度にお前のファンが増えてるの気付いてねぇの!?色気駄々漏れなのなわかってる!?世の中には枯れ専っていうジャンル
あるの知ってる!?」
「知るかそんなもん。おい、そろそろ店開けるんだろ。さっさと準備しろよ」
「えっ!?十四郎手伝ってくれんの!?やった!あ、でもお前が居ると客が増えるけど、他人にお前の姿を見せたくないし…!」
「いい加減その口閉じねぇと切腹させんぞ」

もう帯刀していないというのに、首もとに刀を向けられているような気がする。
これ以上言うと本当に首と胴体がサヨナラしてしまう。

「で、今日のメニューは?」
「日替わりが豚の生姜焼き、オススメが金目鯛の煮付け。味はお墨付きよ」
「さっきの二人組だな…のれん出してくる」
「おう頼んだ」

さっきの二人組に味見してもらったから味は問題ない。
問題があるとしたら、さっきの二人組が勘違いしているだろうって事だ。でも、嘘は言ってない。
十四郎は、真選組鬼の副長で、誰かを守れるくらいに強いし、それに宇宙イチ美人だと思ってる。
歳を重ねる度に色気が出るのは反則だと思う。本当にね、新人の隊士がよくお前の話してるから、いつか盗られるんじゃねぇかと毎日ヒヤヒヤしてんだよ。
「俺でいいのか」と何度も思ったけれど「お前だからいいんだ」と言われた。お互いにベタ惚れしてんだなこれが。

「銀さん、オススメひとつ!」
「俺は日替わりで」
「いらっしゃい。すぐ作るから適当に寛いでな」
「今日トシさんが居るなら、ちゃんと化粧してくればよかったよ」
「お清さんはそのままで充分綺麗だろ」
「やだぁ〜!トシさんったら!」
「十四郎は俺のだからな!」
「土方副長!お疲れ様です!」
「よお、お前らもだいぶ様になってきたな。土方スペシャルでいいか?」
「十四郎ー!出来たやつ運んでくれ!」
「おう、わかった」
「お、いらっしゃい!お兄さん初めての顔だね?ま、適当に寛いでってくれよ」

『めし処 お登勢』は本日営業をしております。
店主の気紛れの不定期営業なので、出会えた方はごゆるりと。そうでない方はまたの機会に。
くるりと跳ねた髪の店主とV字の前髪の色男がお待ちしています。
のれんを潜れば、男も女も子供も老人も人も天人も関係なく笑いあってお腹いっぱいになれます。
それでは皆様のご来店を心よりお待ちしております。



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