楽園の果て

ぺちぺちと頬を叩く感触で目を覚ました。ゆっくりと目蓋を開ければ、かち合う緑色の瞳。
こちらが起きた事に気がつくとキスが顔じゅうに降ってくる。今朝はそういう気分らしい。軽く口唇を合わせると満足したのかようやく離れた。
「おはよう晋助」
 布団から身体を起こすと朝食を用意するためキッチンへと向かった。


 高杉と出会ったのは病院だった。骨折した近藤さんのお見舞いに行ったのだが、その中庭で看護師に車椅子を押される高杉を見かけた。一瞬、見間違いかと思い通り過ぎようとしたが、どうしても気になり引き返した。
 近くまで寄ってみれば確かに高杉だった。紫がかった黒髪に緑色の瞳。ただ、その目には光がなく表情は虚ろで本当に晋助なのかと疑った。
 だが、自分の中の記憶と心が間違いなく目の前の男が高杉だと言っていた。
「高杉…なのか…?」
「こんにちは。高杉さんのお友達ですか?」
「え…あ、いや」
 今世では初対面だ。前世は敵対関係にある恋人というやつで。なんと返せばいいか咄嗟には思い付かずうつ向いてしまう。
「えっ…!?」
 看護師が驚いた声を上げた。その声に顔を上げると高杉が右手をこちらに伸ばしている。別に変わった動作ではないというのにどうしてこんなに驚いているのだろう。
「すみません!ドクターを呼んで来ますので少し見ていて貰っても大丈夫ですか!?」
「え、ああはい構わないですが」
 慌てた様子で看護師が走り去っていく。どうしたものかと思ったが、高杉の右手が伸ばされたままなのに気が付いてその手を優しく握った。その手は少し冷たいけれど、昔と変わらない体温があった。
「高杉」
 もう一度呼ぶと緑色の目が確かにこちらを見た。



 高杉は産まれた時からあの状態らしい。まるで前世の罰を受けているようだと思った。身体は健康そのものなのに言葉を発せず感情も見せず、日常生活を送る事もままならない。人形のように生きていたが、初めて反応を見せたのが俺の呼び掛けだったのだという。
 原因は全くの不明。両親はこの病院に高杉を押し込んで金だけ払い面会には一切来ないのだという。
 医者にもしよければ高杉に会いに来て欲しい、と言われた。初めて反応を見せたから今後この状態から回復する可能性があるという事だ。もとより会いに来るつもりであったから二つ返事で承諾した。
 それから毎日のように高杉に会いに行った。毎日話しかけて車椅子を押して散歩に出た。そのお陰か少しずつ高杉は反応を見せるようになって、医者も看護師も驚いて奇跡だなんて騒いでいた。
 そんな生活が一年くらい続いた。その一年で高杉は身の回りの事が少しずつ出来るようになり、自分の足で歩く事も出来るようになった。相変わらず言葉は発せないままであったけれど。
 そしてある日、俺は高杉を引き取って二人で生活がしたいと医者に相談した。病院では会える時間も限られているし、これ以上ここでは高杉が回復する可能性も低いのではと持ち掛けた。
 断られるかとも思ったが意外にもすんなりと受け入れられた。高杉は話せないから体調が悪くなった時に困るが、風邪ひとつ引いた事がないし健康状態もよく意思表示もある程度出来るようになった。ならばそこまで心配する事はないだろう、という事だ。
 高杉の両親にも医者の方から説明してくれて、こちらもアッサリと承諾された。元々、面会にも来ない両親であったから断られるとは思っていなかったが。
 


 それから、俺は住んでいたマンションを引き払い高杉と二人で離島へと移り住んだ。元々、住人は居たが過疎化により誰も居なくなった島だった。そこを買い取るような形で移住した。残っていた家もリフォームすれば充分住めるし、電気や水道も使えるようにした。ネット環境はなかったからそこは新たに整備をする事になったが。
 幸いにも金は捨てる程持っていた。株や投資が成功していて資産は充分ある。東京の一等地に不動産もあって不労所得も入ってくる。たぶん人生2回分くらいの金だ。しかし、死んだらあの世にも来世にも持って行けないので今世で全部使ってしまっても問題ないだろう。
 そうやって今は高杉と二人だけでのんびりと暮らしている。周りに打ち明けた時にはそりゃあいい顔をされなかった。特に総悟は荒れに荒れた。相手はあの高杉だったし、それだけでなく世話だってしなければならない。
「飯だってロクに作った事もないアンタがどうやって面倒見るって言うんでぃ?」
 全くその通りで。飯はいつも買ってくるか外食だった。それが手伝いすら入れずに二人きりで生活するのだから、そう思われても当然である。それはこれから覚えていくからと買っておいた初心者用の料理の本を何冊か見せた。
「で、なんで高杉なんかの世話しようと思ったんで?アンタら何の関係もねぇでしょう」
 料理の本なんかで納得される筈はないと思っていた。総悟は遠慮なく核心に迫る。
「そりゃあ俺が高杉を好きだからだ」
「好き?会ったのは一年前ですよね?それも何にも出来ねぇ、何にも喋れねぇ人形みたいなやつですぜ?」
「……俺はずっと昔から高杉が好きだった」
 総悟が尻餅を付いた俺を見下ろしている。右の頬が痛い。少し経ってから殴られたのだと理解する。
「あんたは!!俺達を裏切ってたって事ですかぃ!?」
「総悟落ち着け!!」
 殴りかかろうとしている総悟を近藤さんが必死に抑えていた。
 総悟はアレでいて鋭い。前世の記憶もあるからその意味が分かったのだ。
『敵と内通せしもの切腹』
 自ら作った法度を自ら破っていた。破っていた隊士の腹を何人も切らせたのに、自分は腹も切らずに高杉と逢引していた。
「トシ、だからお前は時折苦しそうにしていたのか…」
「近藤さん、すまねぇ…俺は…」
「もう済んだ事だ。それに今世には関係ねぇ話さ。争いも何もない世の中だ、好きに生きりゃあいいじゃねぇか」
「近藤さん…ありがとう」
 裏切っていた事に変わりはないのにそれを何でもないと笑ってくれた。けれど、この罪悪感は一生消える事はないだろう。
 どうしてこんなに人の気持ちに気が付けて優しい近藤さんがモテないのかが不思議でならない。
「あーどうりであんだけアプローチしても銀さんに靡かない訳だわ」
「は?アプローチってどういう事だ」
「えっ?もしかして気付いてなかった系?」
 万事屋は「マジかよ…」と頭を抱えてその場に座り込んでしまった。一体どうしたというのだろう。
「旦那残念でしたねぃ」
「うるせぇ!」
 総悟はまだ納得してはいないようだったが、万事屋を弄る余裕が出る程度には落ち着いたようだ。
 それから引っ越しを手伝って貰い、引っ越しの前日には小さな宴会まで開いてくれた。そこには新八や神楽、桂という馴染みの顔まで揃っていた。高杉との関係には驚かれたが最後にはよろしく頼むと言われた。
 今も月に一度は誰かしら手紙が届く。内容は大した事ではないが、変わらず元気にしている事が何よりも嬉しい。万事屋に至っては月に数回ある連絡船に乗って遊びに来る事もある。フラッと一人で来る時もあれば三人で来る事もある。あのバカみたいにデカイ犬は小さくなったがよく万事屋を噛むのは今世も同じらしい。
 今世も相変わらず万事屋をやっているから、かなり融通がきくらしい。「それただ仕事がないだけだろ。働けクソニート」と言えば「ちゃんと働いてますぅ!」と返ってくるのも変わらない。
 一度「お前だって働いてねぇだろ!」と言われたので、通帳を見せたら黙りこんでしまった。
 三人で来る時は一気に賑やかになる。その時は高杉も楽しそうにしている。それを言うと「どこが?」と言われるのだが。こんなに分かりやすいのになぜ皆分からないのだろうか。
 一人で来た時や新八と神楽が寝てしまった後には、高杉と万事屋の二人の時間を作っている。お互いに何も言わずに静かに酒を飲んでいるだけだが。二人は幼馴染みというやつで、俺には入り込めない物がある。
 昔何があったか、あのターミナルで何があったか俺は知らないし聞かなかった。いくら好きだと言っても立ち入られたくない部分も立ち入ってはいけない部分も当然ある。
 話したくないならそれでいいし、話したいと思ったならそれでいい。ただ俺はあの二人の間に優しく静かな時間が流れている事を嬉しく思う。



 高杉との暮らしももう二年近くなる。まだ高杉の声を聞く事は出来ないが、病院に居た頃よりも出来る事も表情も格段に増えた。
 高杉はたぶんだけど全部分かってるのだ。昔の記憶もきっとある。高杉に教えるというよりも、思い出させると言った方が近いと思う。
 例えるなら、本来出来る事に鍵がかかっていてそれを一つ一つ外していくみたいな。切欠を与えればすぐに出来た。読み書きだって一度言えばすぐに出来たし、今じゃ家事だって普通に出来る。一人暮らしだって余裕で出来るだろう。
 医者達は「どうやっても出来なかったのに」と言っていた。思い上がりかもしれないが、高杉は俺を待っていたのかもしれないと思う。
 セックスだって普通に出来る。俺が求めている事を掬い上げて、弱い所もいい所も的確に攻めてくる。最初は驚いたが俺を抱いているのは高杉なのだから当たり前かとすぐに納得した。
 昔みたいに愛は囁かれないから、代わりに俺が何度も「好きだ」「愛してる」と言ってやれば、嬉しそうに笑って高杉の目がうるさいくらいに「好きだ」と返してくる。
 散々啼かされた後、ふと日の出が見たいと思った。いつもはこのまま微睡んで二人して昼まで眠るのだが、それが勿体無いような気がした。
「晋助、朝を迎えに行かないか?」
 高杉はこくりとうなずいてタオルと着替えを持ってきてくれた。簡単に身体を清めると着替えて外に出た。
 まだ周りは薄暗い。ひやりとした空気は情事で火照った身体を冷ますにはちょうどよかった。繋いだ手の熱さだけは変わらなかったけれど。
 浜辺に二人で腰を下ろすとじっと朝を待った。何も喋らずに夜の向こうを見詰めている。やがて少しずつ空が白んできて朝がやってきた。日の光が眩しくて目を細める。
「三千世界の鴉を殺し 主と朝寝がしてみたい」
 高杉が俺を見ている。俺も高杉を見ている。幸せとは思っている以上にシンプルですぐ傍にあるものだ。
「戻ってもう一眠りしよう」
 この楽園の果てで二人きりで。


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