ロマンスに恋して

「銀時、あなたは江戸に行きなさい」

急に松陽に呼び出されると開口一番に「江戸に行け」と告げられた。

「なんで?俺、ここで充分なんだけど」
「あなたにはもっと多くの物や事を直接その目で確かめて、経験を積んで欲しいのです」

経験、と言われても剣術も勉強も(ほとんど寝ているが)松陽から教わっている。剣術は1、2を争う程に強いし松陽の話しは知らない事ばかりで純粋に面白いと思う。
それに一番気がかりなのが、高杉がデカイ顔をして松陽の隣に居ると考えただけでめちゃくちゃ腹立つ。

「やだ」
「そうですか…仕方ないですね…」
「じゃあ!」
「晋助、小太郎、やっておしまいなさい」
「「はい、先生!」」
「おい、何すんだお前らふざけんなあああああ!!」

目の前で微笑む松陽を見たのを最後に意識を失った。



(ここは…?)
ゆっくりと意識が浮上する。少し頭が痛むのは、得体の知れない薬を嗅がされたせいかもしれない。視界は暗く何やら箱のような物の中に入れられているようだ。さらに手足が縛られ猿轡までされている。
揺れを感じるこら運ばれている途中か。恐らく目的地は江戸であろうが、これでは完全に荷物扱いである。
出荷される家畜の気分とはこういうものなのだろうか。流石に食われる、という事はないが人攫いに会いかけた事があるため不安がない訳ではない。あの時は松陽と幼馴染み2人によって事なきを得た。だが今回はその松陽と幼馴染みの仕業である。俺が邪魔になったのか…と思ってしまっても仕方ない事だ。
逃げ出そうにも、きつく縛られているせいで緩みもしない。頭に過っていた下らない考えを退け無事に戻って幼馴染み2人は亡き者にすると心に決めた。
そうしていると揺れが止まった。エンジン音も聞こえなくなり、どこかに着いたのかもしれない。
ここが自分の配達先であれば逃げ出すチャンスになりうるが、複数の荷物があるならそうはいかない。近頃は時間指定という便利なシステムのおかげで遅い時間でも配達してくれるのだから。
そもそも、今日が何日で時間も分からない。縄だってほどけそうにない。手詰まりである。
男の話声が聞こえてきた。2人組のようだ。「せーの」という掛け声の後に浮遊感がした。好運な事に自分の番であったようだ。ひとまず身体の痛みから解放されてしまいたい。台車に乗せられて運ばれると、振動が直接頭に響くし音も煩くて仕方がない。

「こんにちはー!三毛猫急便でーす!」
「ご苦労様です!あ、荷物はその台車に乗せてくだされば後は運びますんで」
「助かります!それでらありがとうございましたー!」
「はい、ありがとうございます!お気をつけて」

聞こえてきた単語に本当に荷物として扱われているらしい。分かっていてもやっぱり腹が立つ。
暫くすると移動が再開する。頭が痛い。

「お、それがトシの言ってた荷物か?」
「ええ…そうみたいです」
「何が入ってんの?」
「さあ?副長しか知らんので」

言い方にイラッときたが、まさか中に人が入っているなんて思いもしないだろう。「よいしょっ」という声と共に浮遊感がした。少し乱暴に置かれて頭を打った。後で殴る。室内なのか振動も音もあまりないのが唯一の救いだ。

「副長、失礼します」
「おう、入れ」
「トシ、これが言ってたやつ?」
「そうだが、山崎1人にやらせとけよ」
「ひどっ!これめちゃくちゃ思いんですよ!?」
「なーなー、もう開けていい?」

自由だなコイツら。だが、なんでもいいから早く開けて欲しい。

「「ひひひひひ人!?」」

箱が開いた事で差し込んだ光に目を細めると、男2人の野太い悲鳴が上がる。バカでかい声に耳鳴りと頭痛がする。
光に目が慣れて来ると目の前に男の顔が見えた。黒い髪に白髪が混じっている。

「ん"っー!ん"っー!」

早く外せ!と痛む身体をバタつかせて訴える。

「おう、悪ぃ悪ぃ」

猿轡は外れたが縄がなかなか外れない。

「早くしろよジジイ!!」
「あ"?…あー面倒くせぇ」

向こうも苛立っていたのか置かれていた刀を手に取り抜いた。荒い方法で縄を切りようやく身体が自由になる。
ジジイには悪いが一発殴らせて貰おう。なんかよくわらんが本能的にムカつく。

「いってええええええ!!」

が、拳は届く事はなく逆に頭に非常に重い拳骨を食らう。威力は松陽に及ばないが痛い物は痛い。

「殴りかかってくるとはいい度胸してんじゃねぇか。ま、まずは躾からだなクソガキ」

そう言うとそのジジイはニヤリと皮肉気に笑った。



幕府特別武装警察真選組。それが俺の届け先だった。ゴリラみたいなジジイが局長の近藤、地味なジジイがジミー、そして拳骨をお見舞いしてくれたクソジジイが副長である土方だ。
土方と松陽は知り合いで、松楊に俺に経験を積ませて欲しいと頼まれたそうだ。
という事はお客様扱いか、と思ったのだが俺に言われたのは土方の小姓という役職。役職といっても立派な物ではなく所謂雑用係である。
さらに入隊試験を受けろという事だ。そこで落ちればかなり不名誉な強制期間となる。
受かるも地獄、落ちるも地獄。萩には帰りたいが試験に落ちたという内容ではとても帰れない。誤魔化そうにも、ジジイが松陽と電話しているのを聞いてしまった為にすぐにバレる可能性が高い。そうなれば確実に村塾いや萩中に広間って高杉が弄ってくるに違いない。
ならば取る手段は適当に受かって適当にやってとっとと帰る、である。

「すげぇ…!」
「20人抜きだ!」

早朝から起こされ、朝食もそこそこに筆記試験を受けさせられた。そのイライラをぶつけるように、実技試験で次々と向かってくる隊士たちを蹴散らしていく。
正直この程度の実力で警察組織、それも対テロを掲げる特殊部隊を名乗るなど笑ってしまいそうだ。村塾にはここの隊士たちよりも若くて強い者が何人もいる。負けて悔しがる素振りは見せても、すぐに笑って「あんた強いな!」って褒めてくる。物足りない。倒せば倒す程にストレスとイライラが増えている気がする。ふと視界に先程までいなかった土方が壁際に立っているのが見えた。そうだ、あのジジイを完膚なきまでに打ち倒してしまえばこの気持ちも晴れるやもしれぬ。それにそれだけの強さを示せれば、萩に帰る最短ルートになるのではないか。

「おい」
「俺か?」
「ジジイ、俺と仕合え」
「いいぜ」
「副長!」

俺の挑発にジジイはすぐに乗った。周りは止める者もいれば、騒いで賭けを始める者までいる。
逃げるかとも思っていたが、乗ってきたのは好都合だ。

「俺に一発でも当てりゃあ合格だ」
「一発?一本の間違いだろ」
「えらく自信があるな。まぁ、俺はどちらでもいいが」
「とっとと構えろよ」
「せっかちなのはモテねぇぞ」
「うるせぇ!」

なんでモテねぇの知ってんだ!どいつもこいつも高杉、高杉って…!あぁもうそうじゃねぇ!

「俺に当てられたらなんでも1つ我儘聞いてやるぜ?…俺が買ったらお前は小姓じゃなくパシりな」
「その言葉忘れんじゃねぇぞ…!審判!」

このジジイはどれだけ俺の神経を逆撫ですれば気が済むのだろう。絶対に勝って「参りました」って土下座させて萩に帰ってやる!
目の前にジジイが立ち竹刀を構えた。

(!?)

今なんと思った?俺は怖いと感じたのか?
ただジジイが目の前に立っただけなのに、背中を冷たい汗が伝い落ちていった。



(クソッ…!なんで当たらねぇんだ…!)

竹刀をどれだけ振っても掠りもしない。全て避けられている。しかも全てギリギリだ。見切ったうえで遊んでいるのだ。その証拠にジジイの息は1つも乱れていないし、笑ってさえいる。それに竹刀は構えさえせず持ったままだ。
一方の俺はみっともなく息を乱して汗がダラダラと流れ落ちている。呼吸を読まれるということは圧倒的に不利である。焦りで悪手ばかりだし、松陽には常に冷静であること、呼吸を乱してはならぬ事と言われてきているのに何も守れてはいない。

「どうした、クソガキ。俺に当てたいなら何してもいいぞ」

分かりやすい挑発だったが、なりふり構ってはいられない。卑怯な手と言われてもあちらが何をしてもいいと言ったのだからこれは合法だ。

「なん…っ!?」

渾身の足払いも読まれていた。嘲笑うように跳んだジジイを見上げると蛍光灯の光が目に入った。
気付けは両肩を捕まれイタズラが成功したみたいに笑うジジイが目の前にいる。

「いってええええええ!!」
「俺の勝ちだなクソガキ。今日からパシりよろしく」

このクソジジイどんな石頭してやがんだ!!
竹刀すら構えさせられず、最後まで手も足も出なかった。
悔しい。俺は完全に敗北する事となった。



「銀ー!いねぇのか?銀ー!」
「へいへい、うるせぇな」
「マヨボロ買ってこい」

実技試験で完敗して以来、俺はジジイのパシりとして働かされている。しかも見習いという位置付けにされてしまい、小姓よりも少しばかり給料が減らされた。これならまだ小姓の方がマシだったかもしれない。
さらに生活リズムはジジイと同じときたものだ。24時間営業である警察だから早番、中番、遅番と3交代制であるがジジイには全く関係ないようで朝から晩まで働いている事が殆どだ。仕事だけでなく鍛練にまで付き合わされるため休みなどあってないような物だ。
巡回にも普通に出されるし、パトカーで楽にやりたいのに俺は必ず徒歩。やっとゆっくり出来ると団子を食べてサボっていると迷い猫探しを頼まれる。ボロボロになりながら屯所に戻ると「どこで何してた」と説教される。それが終われば今度は「マヨボロ」「マヨネーズが足りない」と我儘三昧である。
極めつけは半年近く経つというのに討ち入りに参加させて貰えないという事だ。言い方は悪いが花形のような物で、自分の実力を示すには一番いい方法だ。何度もジジイに「討ち入りに行かせろ」と言っても「まだ早い」と相手にされない。これでは何のために対テロ組織で働いているのか分からないではないか。

しかしようやく自分にもチャンスが巡ってきたのである。

「おい、顔色悪いぞ」
「すみません…ちょっと腹の具合が…」

青い顔をして腹を押さえている隊士に声をかける。確かコイツは今日の討ち入りのメンバーだ。
1人欠けるだけでも作戦変更の必要が出てくる。ならば…そこに自分が入ればいい。

「その青い面じゃ倒れちまうぜ?お前休んでろよ。隊長には俺が言っとくから」
「助かります…」

ヨロヨロしている隊士を部屋まで送る。勿論、隊長には休む事は伝えるが俺はこっそり着いていくつもりだ。そこで代わりを申し出れば確実にジジイの耳に入ってしまうからだ。



「銀、なんでここにテメェがいる」
「お腹の痛い安田くんの代わりに来ました~」

あっさりと見付かりはしたが現地に居てしまえば、屯所に送り届けられるという事もない。下手な動きをして相手にバレるよりも自分たちの側に居させた方が監視も出来て都合がいい。


「お前は本部で救護班の指示に従え。いいか、絶対に前に出るんじゃねぇぞ」
「へーい、わかりましたぁ」

指示に従う気も後ろで大人しくしている気もないのだが。本隊が突入して様子を見て抜け出すつもりだ。
本隊がいなくなると本部は一気に静かになった。それでも緊張感が伝わってくるのだから、やはり警察だからだろうか。時間的にもそろそろ頃合いかと行動に移す事にした。

「班長~すんませーん。トイレ行ってきていいっすか」
「お前なぁ…先に済ませとけ、って言っただろう…」
「いやぁ~イチゴ牛乳飲みすぎちゃって」
「わかったよ。そこの奥を右に行って突き当たりだから」
「へーい」

トイレの場所など言われなくとも分かっているが素直に聞くフリをする。
だが密かに配置や建物の間取りを頭に叩き込んできたのを他のやつらは知らない。急に参加した人間が分かるなんて思ってもないだろう。道に迷ったといえば途中で見付かっても誤魔化せるし、うまく本隊に合流した際にも道を間違えた、とでも言えばいい。

そうして上手く室内に入る事ができた。あとは頭の中に入れた間取りと、本隊の痕跡を辿れば簡単だ。長い廊下の角を曲がった先の部屋に一歩足を踏み入れた。
その瞬間に口元を手で覆った。
一気に血の臭いが鼻から流れ混んでくる。微かに感じていた物とは比べ物になどならない。鼻からだけでなく、身体中の毛穴からも侵入してくるような気さえする。
震える足に何かが当たった。下を見れば腕がある。身体は付いていない。刀を握っているから、右腕だろうか。誰かに見られている気がした。その方向を向く。真っ黒な深淵のような目がこちらを見ていた。首だけになった目がこちらを見る事など出来ないのに。

「げぇ…っ…ごほっ…」

気付けば嘔吐していた。一度吐いてもまた新たな胃酸が込み上げて血の染み付いた畳に落ちる。
血の匂いと死がここにあった。
覚悟していた。覚悟していた“つもり”だった。
逃げ出したくてたまらない。足は震えるし、呼吸だって上手く出来ているか分からない。
今ならまだ引き返す事ができる。「長いトイレだったな」なんて茶化されても「道に迷いました」って適当に笑って答えればいい。
けれどそんな間抜けな事なんて出来ない。勘のいい者、特にジジイに少しでも話が漏れれば何をしていて、その結果逃げ帰ったとバレてもおかしくない。

「うわあああああああ!!」

抜刀し声を上げる。震えてきっとみっともない声だったろう。怯える自分を誤魔化すように我武者羅に走る。



「銀っ!テメェ何でここに居やがるっ!!」
「…っ!」

鬼が居た。睨まれただけで身体がすくみ、声も上げられなかった。

「絶対に来るなって言っただろうが!!」
「あっ…」

その怒声に背後に迫る気配に気付くことができなかった。

「貰った!!」
「谷口っ!!」
「ぐううっ…!」

振り返ると刀を構えていた男がゆっくりと倒れ、その向こうに返り血を浴びた谷口が立っていた。
この男は確か稽古で何度も倒して、その度に「坂田は強いな!」と言って、いつもにこやかに笑う男だった筈だ。
それが目は冷たく無表情で感情がない。本当に目の前にいるのは谷口なのだろうか。

「副長!制圧完了しました!」
「土方さん、こっちも終わりでさぁ」
「わかった。谷口!そこのバカ頼めるか」
「はい!」

放心している俺は谷口に誘導されるままに本部へと連れて行かれたのだった。




『坂田 銀時 この者一週間の謹慎処分とする』


屯所に戻り事の顛末と説教の後に下された処分である。命令違反、単独行動などを考えればまだ軽い方だという。「切腹でもおかしくなかった」なんて谷口が冗談めかして笑っていた。俺が知っているいつもの谷口だった。
一週間は懲罰房で過ごす事になったが、むしろむさ苦しくてうるさい所から離れられて嬉しいくらいだ。そんな事を考えながら、格子の付いた小さな窓から月を見ていた。

「銀、入るぞ」
「隊士との接触は禁ずる、って聞いてんだけど」
「俺は隊士じゃなくて“副長”だからな」
「それ屁理屈だろ」

食事や必要な時以外には誰も寄り付かないようにされている筈のここにジジイが1人でやってきた。手には酒のビンとピンク色の紙パックを持っている。

「ほら、お勤めごくろーさん。差し入れだ」
「俺、そっちがいいんだけど」
「バカ野郎。未成年に酒飲ませられっか。お前は大人しくそれ飲んどけ」

俺の隣に勝手に座る。本当は酒が飲みたかったが、甘味が自由に食えないここでは差し出されたイチゴ牛乳は正直な所ありがたい。飲み口を開けると一気に半分ほどを飲み干した。

「あ"ー!美味ぇ!!」
「いい飲みっぷりだな」

ジジイが柔らかく笑う。いつもの笑いかたならムカつくと思うのに、なぜかドキッとしてしまった。その考えを頭を振って追い出すと、キョトンとしたジジイと目が合ってまたドキッとしそうになる。

「銀、お前は人が死ぬ事を経験した事はあるか?」
「一応は…」

村塾の近くに住んでいた老婆を思い出す。俺たちの事を気にかけてくれて料理を持ってきてくれたり、そのお礼に掃除を手伝ったりといい関係を築いていた。けれど去年天寿を全うし皆で見送ったのを覚えている。

「俺たちは布団の上で死ねるような人間じゃねぇぞ。警察だと言っても所詮は人切りだ。恨みも人一倍買う。ろくな死に方はしねぇし天国にも行けねぇと思え」
「………」
「お前以外は何かしら死に触れている。テロリストに家族を殺されたヤツもいる。谷口もその1人だ。お前以外は殺す覚悟も殺される覚悟も出来てんだ。けど、お前はまだこっち側の人間じゃねぇ。だから早いと言った。だが今ならまだ引き返せる。このまま萩に帰れ」

村塾という小さな世界で守られて平和に暮らしてきた。外の世界など行かなくても、松陽たちと居られるならそれでいいと思っていた。その外側で何が起きているか、なんて考えもしないでのうのうと生きていた。
谷口もあの腹を壊していた安田も俺よりも剣の腕は弱くとも、覚悟や精神の面では俺よりも強くて俺は誰よりも弱いのだ。自分の強さに胡座をかいて見下していたなんて、なんと愚かで間抜けな姿であろうか。

「……帰らねぇ」
「帰れ」
「嫌だ!俺は強くなりてぇ…!」
「強さってのはなんだ?強くなってどうしたい?」
「…っ!そ、れは…わからねぇ…」

強さとはなんだ。剣か?心か?
強くなって俺はどうしたいんだ…?

「答えは今すぐじゃなくていい。お前がここに留まって強くなりてぇならいつか見つかるだろ。まぁ、そうだな…まずは具体的な目標でも決める事だな」
「目標…」
「一番隊に入りたい、とか。隊長になりたい、とか。やりたいことでもいい。人助けがしたくて組に入ったやつだっているしな」
「やりたいこと、か…」
「それが見付かって強くなれたらまた飲もう。今度はとっておきの酒を用意しておく」

ぐしゃぐしゃと無遠慮に俺の髪をかき混ぜる。それがなんだかむず痒くて恥ずかしくて、顔に熱が集まるのがわかった。ジジイが立ち去った後もその熱はいつまでも引くことがなくその日は眠れない夜を過ごす事になった。




「ふ、副長!副長!」
「あ?うるせぇな切腹させるぞ」
「切腹なら後でするんで、それより!」
「何だよ?」
「坂田が朝から鍛練してます!!」
「そうか」
「え?驚かないんですか?」



そんな会話がされていたなんて露知らず。俺は謹慎が開けた日の朝から稽古や仕事に手を抜かない事にした。
警察の仕事はきつくてしんどくて仕方がない。だが弱音を吐いていてはいつまで経っても弱いままだ。
そうしていたら周りにも少しずつ認められていった。パトカーにも乗せて貰えたし、昼飯を奢ってくれるような先輩も出来た。町の人にも顔を覚えて貰えるようになった。
討ち入りにもようやく正式に参加した。といっても本部で救護と補佐だったけれど。初陣が籠城戦になりようやく終わった時にはフラフラになっていた。それでも「お疲れさん」とジジイに言われたら嬉しくて疲れているのも忘れてしまう程だった。
相変わらず土方の事はジジイ呼びだが、少しだけ距離が近くなったように思う。今まで“客”扱いだったのが“隊士”として見てくれる。一緒に飯に行くと必ずという程に喧嘩になるが、意外と涙もろいとか知らない側面が多かった。さらに迷い猫を探したとかお婆さんの荷物を持ってあげた、とかどこから仕入れたのか俺がやった事を事細かに記録してあった事には驚いた。このジジイはきっと俺が嫌いか無関心であると思っていたのだ。電話口で俺の事を褒めていたのを聞いてしまった時には嬉しくてたまらなかった。
きっと俺は知らないんじゃなく、知ろうとしなかったのが正しい。
谷口の事だってそうだ。両親がテロの犠牲になっているのに、それでもいつも笑顔を絶やさない。俺はただ自分より弱いやつだと決めつけて、その心の強さを見ようともしなかった。安田は胃腸が弱く頼りないが事務方に移ると本領を発揮した。役に立たないなんて思った事を恥じた。こいつがいなければ組の運営に支障が出るだろう。
松陽の言う経験、であるかは分からないが確実に自分の世界は広がっている。

しかし、ひとつ分からない事がある。
なぜかジジイを見るとモヤモヤするというか、とにかくよく分からない気持ちになる。モヤモヤとも違うのだがそれを言葉に出来ないから余計にモヤモヤしてしまう。誰かに相談しようにもどう説明すればいいのか分からず結局モヤモヤしたままだ。
会わなければモヤモヤしないかとも思ったがそれはそれでモヤモヤする。そもそも小姓(ただのパシりから昇格した)なのだから基本的には側に居るので離れる事は難しい。側に居たいけれど居たくない。とにかく何だか分からないのである。
ジジイに頼まれたマヨボロを買いに行くため廊下を歩いていると話し声が聞こえてきた。

「副長かっこいいよなぁ」
「さっきの仕合い凄かったよなぁ」

声の主は最近入った新人2人だった。
うんうんそうだろ。ジジイだけど格好いいよな。自分の事のように嬉しくなってしまう。

「あぁわかる。俺、副長になら抱かれてもいい」
「俺も副長にならいいかも」

ジジイそこまで思われてんの!?まぁでも分からんでもないな。けど、俺は抱かれるより絶対に抱きたい。怒声ばかり出る口からあえかな声を上げさせてやりたい。あの白い肌に赤い痕を散らしてやりたい。
そこまで考えてふと気付いた。頭の中のモヤモヤが一気に晴れていく。そうか、そういう事だったのか!
答えが分かるとジジイを目指して駆け出していく。

「いたいた!ジジイー!!」
「銀?なんだあわてて」

声をかけるとジジイがこちらを振り向いた。隣のジミーは振り向かずにどこかに行って欲しい。
目の前に立つと息を整えてから話し出す。

「俺、目標決まった!」
「言ってみろ」
「俺、ジジイの隣に立っても恥ずかしくないくらい強くなって、それで俺に振り向いて貰うから覚悟しとけよ!」
「おう、楽しみしてる。ところで、銀。マヨボロは?」
「やべ忘れてた」
「さっさと買ってこい!!」

尻を蹴られた勢いそのままにタバコ屋に走り出す。尻は痛いが足取りは軽い。


「なあ、山崎なんでアイツ尻蹴られてんのに嬉しそうなんだ?」
「さあ?」
「あと俺ちゃんと振り向いたよな?どういう意味ださっきの?」
「さ、さあ?俺にはさっぱり…」


知ってしまった。村塾という小さな世界では経験できなかったとても大切な事を。
誰かに恋をするという事を。


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