アンドロイドは夢を見るか


また子は頭を悩ませていた。
悩みとは今目の前にいる男児の事だ。神社の御神木で見付かったその赤子は、高杉晋助そっくりに成長した。しかし、まだ5.6才程の体躯で両の目は開いているしニヒルな笑みを浮かべる事はない。高杉に似てはいるが、高杉本人ではないとそう感じている。かつての高杉のように育てる事は出来るかもしれない。だが、悲劇や業を背負わせてまで高杉にしたいとは思わない。それにこの子供を高杉として育ててしまうと、それまでの彼のやってきた事を全て否定してしまうような気がしている。世の中を基準に考えるならば善行などほんの一握りで、ほとんどが悪行である。それでも彼の生き様を否定する事はしてはならぬと思っている。それに、善行ならば彼が最期のその瞬間まで己を曲げず生きぬいた事と、一人の少女を助けた事だけで充分ではないだろうか。

「晋助様」

高杉として育てはしない、と思っているがその名前以外には思い付かなかった。それ以上にふさわしいと思う名前が他にないのだ。
子供は振り向くと緑がかった大きな丸い目でこちらを見た。切れ長の目しか見たことがなかったが、子供の頃はきっとこういった感じであったのだろう。見た目だけなら可愛いと誰もが思うに違いない。しかし、現実は「可愛い」と思うのは自分と武市くらいかもしれない。
子供は反応を示さない。呼び掛けが聞こえていない訳ではない。現にこちらを振り向いているのだからちゃんと聞こえているのだ。だがそれだけだった。その目には感情がない。ただ呼ばれたからこちらを見ているに過ぎない。
さらに言葉数も少ない。読み書きは教えているし、毎日沢山話しかけてもいる。ちゃんと返事もする。全く話せない訳でもないし、受け答えもしっかりしている。ただ一言二言だけ話し、後はどこか遠くを見ているのだ。 

よく言えば大人びている。悪く言えば子供らしくない。

鬼兵隊であった自分たちは陽の当たる場所を歩く事ができない。隠れて生活するという環境故にそうなってしまったのか。それでも自分たちなりに愛情を沢山注いで育てたつもりだ。あまり玩具などは買ってあげる事は出来なかったが、その代わり沢山遊んだり知っている限りの昔話だって沢山聞かせた。
それでも緑の瞳に感情を見いだす事が出来なかった。

『まるでカラクリみたいな子だね』

高杉を見た老婆が言った言葉が何度も頭を過る。
『お人形さんみたいね』と可愛らしいという意味を込めて言う事はある。現にまた子自身もそういう風に可愛いと褒めて貰った覚えがある。もしかすると老婆もそういう意味で言ったのかもしれない。けれどあの時差し出された菓子や玩具に興味を示さなかった高杉を見て言った言葉は褒め言葉とは遠く離れている気がした。
カラクリという単語に「心がない」と言われているようで、ぎゅうと胸が締め付けられた。
自分たちの育て方が間違っていたのかと涙する事もあった。けれど、そんな時高杉は頭を撫でてくれたのだ。
感情がない訳ではなく、出すのが苦手なのか上手く出せないのだろう。そういう性質なのかもしれない。ただ自分が高杉にやってきた事を真似ただけかもしれない。相変わらずその目に感情は見えなかったが小さな手の暖かさは本物であった。




昼時をずらし定食屋に入った。常連のような数人が小さなテレビの前のテーブルでのんびりと話に花を咲かせている。武市は向かいに座り隣には高杉がちょこんと座った。
暖かいお茶を出され「お代わりは自分で」と少し離れたポットを示された。ついでに日替わり定食を2つと子供用に何かないか、と訪ねればお子様たべランチがあると言われそれを頼んだ。
暫くするとお子様ランチが高杉の目の前に置かれた。オムライスにどこかの国の旗が立てられている。タコを模したウィンナーと小さなハンバーグが一緒に並んでいる。
なかなかシュールな光景だ。これが高杉本人であったならばしかめ面になったであろう。
だが今隣に要るのは5才の子供である。どこにでもいる見た目は普通の子供でどこにもおかしい所はない。高杉は小さな手を合わせて箸を持った。元々、器用なのか子供とは思えぬ綺麗な箸使いをする。
食べているのを眺めていると、今度は定食が来た。焼き魚がいい匂いをさせている。それにみそ汁と和え物。白いご飯に梅干しとシンプルである。どれもちょうど良い味付けだ。
食べ終わり隣を見ると高杉はまだゆっくりと食事を進めていた。よく噛んで食べるように、と教えた賜物だろう。黙々と小さな口を動かして食べる様子はやはり何度見たって可愛い物だ。
別に急ぐ用もない。テレビのワイドショーも動物の赤ちゃんが産まれたという微笑ましい内容が流れている。
武市が手洗いに席を立った。空になった湯飲みを見てお茶のお代わりをしようと自分も席を立つ。高杉は賢い子であるから少々目を離しても問題はない。それに今は食事に集中しているから大丈夫だろう。

ガタンッと大きな音がしたと思い振り返るとそこに高杉の姿はなかった。

「どうした坊主!?」

それとほぼ同時に聞こえた慌てた声にそちらを向けば、小さなテレビにすがり付くようにしている高杉が居た。

「晋介様っ!?す、すまないっス!!」
「ははは!いいっていいって!」
「テレビ見たかったんだな?悪いなおじさん達が独占しちまって!」

テレビから引き剥がそうにもどこにそんな力があるのか全く動かせない。
少し酒の臭いがするが気のいい男達でよかった。大事になりそこから鬼兵隊であった事が分かればどうなるか。手配が解かれた訳でもないし、少なからず恨みを買っているのだ。
何がそんなに彼の興味を引いたのか。ワイドショーは間に挟まれたニュースの時間になっている。

『……このテロにより真選組副長である土方十四郎氏が負傷し……』

画面には天敵である真選組がテロに対処したという内容が流れている。土方の写真が表示されると心なしかさらに画面に顔を近付けた。
だが、そのニュースが終わると興味を失くしたのかすぐにテレビから離れ何事もなかったかのように元の席へと戻っていった。
今のは一体何であったのか。なぜ真選組に興味を示したのか。何も分からなかい。
けれど、確かに高杉の目に感情が宿るのを始めて見たのであった。




偶然とは恐ろしいものだ。
あんな事があってから数日後に思わぬ人物に出会ってしまったのたがら、必然と言うべきなのかもしれない。こんな辺鄙な片田舎で土方に会うなど誰が予想できるのか。
いつものように真ん中に高杉を挟んで町中を歩いていた。ところが、高杉は、はぐれぬようにと繋いでいた手を振りほどき脱兎の如く駆け出した。今までこんな風に走り出す事などなく、数秒フリーズしていたがすぐに後を追いかけた。素早いとはいえどすぐに追い付いた。これが人混みであったなら小さな身体を見失っていたかもしれない。
そして追い付いた先には土方の足にしがみつく高杉と困惑する土方が居たのだった。



「…事情はだいたい分かった」

一向に離れようとしない高杉に困りさらに人目もあるからとひとまず近くの団子屋へと入る。
幸いにも他に客はおらず一番奥の席へと着いた。
団子が運ばれてきても高杉は土方から一向に離れる気配はなく、ずっと土方の顔に貼られた大きなガーゼを気にしている。
また子も武市も団子を食べようと促してみても駄目だった。土方が言って渋々といった感じでようやく口を付けた。
感情のない――あるいは出す事が出来ない、高杉が唯一反応した土方は天敵である。だが、彼が高杉の感情を解放する切っ掛けになるかもしれない。
先日のテロで負傷した土方は事後処理が終わった所で溜まった有給と療養も兼ねて、少し長めの休暇を取った。休暇中かつ高杉とはいえ子供の前でまた子たちを逮捕するような事はしたくないと言った。
これに賭けるしかない。高杉の為になるなら何だってする。自分たちが捕まってしまっても、高杉まで悪いようにはしないと、そう思う。

「土方、あんたに頼みがあるッス。晋助様を預かって欲しいッス」

武市に相談する事もなく頭を下げた。自分で勝手に決めてしまって申し訳ないけれど、後でいくらでも怒られるからと覚悟を決めた。
武市から何も小言が飛んで来ない様子に、少なからず同じ事を考えていたのかもしれない。

「頭上げてくれ」

優しい声色に素直に頭をあげると困ったように笑う土方と目が合う。断られる、そう思った。
当たり前だ。子供とはいえ高杉かもしれない存在を警察が預かるなど出来ようものか。場合によっては土方自身も処罰される可能性だってある。
土方自身に利益など1つもない。自分たちの首でも差し出せば少しは釣り合うかもしれない。何でもする覚悟はあるがせめて大人になるまではどうにか傍に居てやりたいと思うのが本音である。

「3日だ。3日だけなら預かれる」
「ほんとっスか!?」
「ああ。3日後にはここを経つ。それでもいいなら」
「恩に着るッス!!」

机にめり込む勢いでまた頭を下げた。そのせいで打ち付けた額が痛む。
高杉が団子を食べ終わったのを見計らって席を立った。支払いはいつの間にか土方が終わらせていた。
行くところがある、と言う土方に着いていく。町の中心部から少し離れた所に別宅があるのだという。警察の幹部であるから家の1つでも持っていてもおかしくはない。だが、そんな場所を教えていいものかと思った。

「もう俺しか知らないし、手放すつもりで来たからいいんだ」

最期の別れの為に、と言った土方は寂しそうに笑う。下世話な想像であるが好い人が居たのだろうか。また子から見ても土方はかなり見目がいい。地位もあり、好いた女を1人囲えるくらいの充分な稼ぎもある。
ただ別れたのではなくもうこの世にいない、というニュアンスが含まれていたように思う。この男にそんな顔をさせる相手とはどんな女だったのだろう。気にはなるが踏み込んでいい領域ではないし、そもそも高杉の為とはいえ無理を言っているのだ。余計な詮索はするべきではない。

「ここだ。よければゆっくりするといい。茶くらいだす」

案内されたのは小さな古民家のような家だった。
玄関を開けると高杉が一番に入っていった。入り口の小さな段差を軽く飛び越えて中に消えていく。小さな段差はその動きを見ていなければ気が付かないままに躓いていただろう。
居間には座椅子が2脚とテーブルが1つ。そこから見える小さな庭には木が植えられていた。
どこへ行ったのか高杉の姿はそこにはない。

「俺は台所に行ってくるから座って待っていてくれ」

高杉の事が気になり探しに行こうとしたが「大丈夫だ」と制されてしまう。家主に言われてしまうと勝手な事はしない方がいいだろう。それに部屋数もそう多くなさそうな家だから、迷っていたとしてもすぐに見付かるだろう。
土方はすぐに戻ってきた。その隣にはお盆に湯飲みを2つ乗せた高杉が居る。また子と武市それぞれの目の前に湯飲みが置かれた。

「人数分しか揃えてねぇから足りないんだ。俺たちの事は気にせず飲んでくれ」

今までお茶など煎れる機会のなかった筈の高杉の行動に驚いたが、同時に嬉しいとも感じる。子供の成長を喜ぶ親の気持ちとはこういうものなのだろう。浮かんだ疑問は一度頭の隅に追いやり湯気の立つお茶に口を付ける。

「茶くらい出す、って言ったから自分でやりたかったんだろう」

土方が高杉を見ながら言った。相変わらず無表情であったが、どこか誇らしげにも見えるような気もする。やはり出せないだけで感情はしっかりと存在しているようだ。

「あんたら泊まるだろ?必要な物はレンタルできるし、ここにある物は……そんなにねぇけど自由に使っていい」

土方の申し出はありがたいものだった。だが、2人きりにした方がいいのではないかとも思う。それは高杉からだけでなく、土方にとってもその方がいいような気がしたからだ。

「いえ、我々は宿を取ろうと思います」
「そうか…なら、この前の道を右に出て真っ直ぐ行くと角に宿がある。俺の名を出せばいくらか安くしてくれると思う」

武市も同じ考えだったのか丁重に断った。
鬼の副長と呼ばれているが気遣いが上手いようだ。
玄関で高杉と土方に見送られるのは不思議な気分だった。緑色の目がこちらをじぃっと見ている。次に会う時には感情が宿っている所を見たいと思う。
言った通りに歩くと宿があった。土方の名を出せばタダ同然のような値段で、空いているからとかなりいい部屋まで用意され土方には頭が上がりそうにない。
女将に「土方様たちによろしくお伝えください」と言われた。やはり土方は誰かとここに来ていたのだ。
高杉から離れるとその疑問が一気に膨らんだ。一体どんな人物であったのだろう。そんな事を考えながら、また子は柔らかな布団の上で目を閉じた。




「そんな気にするなって」

また子たちを見送って部屋に戻ると、高杉はずっと土方の頬のガーゼを気にしていた。手を伸ばしては下ろし、下ろしては伸ばす。彼なりに傷痕を癒したいそう思うのだろう。

「お前は見かけによらず心配性だったよな」

顔に傷が出来た時、やたらと心配された事を思い出した。「綺麗な顔に傷が残るのは嫌だ」と本人よりも随分と嫌な顔をしていたものだ。
真選組という仕事上、怪我など大なり小なり日常茶飯事だ。女じゃあるまいし顔が傷付こうが騒ぎはしないし、身体中には刀傷から銃創、火傷の痕なんかがあちこちにある。

『俺の顔好きだよな』
『顔だけじゃねぇ、身体もだ』
『最低だな』
『お前の全部が好きだ』

そこからキスの雨が降ってきてそのまま昼間だというのに何度も身体を重ねた。全てが愛しいと言うように身体に残る傷痕を1つ1つ舐められた。



目の前の男児は高杉のようであって高杉ではない。けれどその中に高杉の影がある。
土方は真選組副長という立場にありながらも、鬼兵隊の総督である高杉と逢瀬を繰り返していた。誰にも知られず密やかに。
始めは何故敵のしかも男なんかに、と思っていたが高杉に触れる度にその深さにズブズブとハマっていって仕舞いには恋人と呼ばれるような関係になってしまった。それは高杉も同じであったようで、互いに抜け出さなくなってしまったのだ。
ターミナルの決戦からもう5年も経った。高杉からの連絡はない。遺体も形見も見付からなかった。万事屋は何も言わなかったし、土方も聞かなかった。
土方はこの恋にケジメを付けようと考えた。本当はもっと早く、それこそ恋に落ちる前にケジメを付けるべきであったが。
先日のテロで負傷した事と有給を消化する為に1週間もの休みが与えられた。さて、1週間もどうするか。仕事ばかりで休日も映画やサウナなどのお決まりのルートだ。流石に繰り返しは飽きる。
自室で唸っていると山崎が「旅行はどうですか」と提案してきた。
山崎にしては一理あると思いどこに行こうかと考えた時、この別宅の事を思い出したのだ。
観光地にある訳でもなく、使ったのはほんの数回だろう。管理を業者に任せているのだが行かなくなり、もう何年も経っているから流石に管理はされていないかもしれない。
ここしかないと思い、準備を済ませると翌日にすぐに向かった。2泊3日。この時間で全てにケジメを付けようと決めて。
だからこの男児との出会いは複雑でもあったが、この為に呼ばれたのではないかとも思う。
訪れる前に業者に連絡を取ると未だに管理されていて驚いた。久しぶりの連絡に喜ばれた程だ。どうも高杉は10年近い代金を纏めて払っていたらしい。
いつか終わる関係だ、と言っておきながらあと10年は一緒に居るつもりだったのかあの馬鹿は。あまりに馬鹿過ぎて涙が流れた。



風呂から上がり寝室に入ると、寝室には高杉が星座して布団の上に座っていた。ピンと背筋を伸ばしじっとこちらを見る姿は子供らしくない…というか。

「それは…やめてくれねぇか…」

まるで初夜でも迎えようとでもいうのか。その佇まいは心臓に悪い。土方には子供に抱かれる趣味も抱く趣味もない。
今までも寝室に行くと高杉が待っていた事は何度もあった。その時は正座などでなく尊大な態度で待ち構え押し倒してきたものだった。

「一緒に寝るか?」

寝る、というのは睡眠という意味だ。
風呂も1人で入れるくらいだから、布団は2組用意したが今度はこくりと頷いた。
布団に入り端を持ち上げると小さな身体が潜りこんでくる。腕を伸ばしその身体を抱くように包むと素直に身体を寄せてくる。髪を撫でてやると気持ち良さそうに目を閉じ、暫くすると穏やかな寝息が聞こえてきた。
以前は寝顔を見る事はあまりなかった。いつも疲れ果てて寝落ちてしまい、朝も疲労が残り昼近くにようやく目が覚めると憎たらしい笑顔と対面したものだ。
それがどうだ。今、腕の中にあるのは天使のような寝顔だ。アイツは悪魔だったが子供の頃はこんな顔も出来たのだろう。自然と笑みが零れ目を閉じた。



目が覚めると高杉と目が合った。人の寝顔を見てくるのは同じらしい。こちらは無垢で純粋であるが。
時刻は8時を少し過ぎた頃だ。常よりは遅いが休日と考えればいい時間だろう。

「朝飯にしよう。鮭でいいだろ?」

高杉は素直に頷く。大人の高杉もこれだけ素直であればよかったのにと思う。
高杉を洗面所に向かわせ、土方は台所に向かう。
湯を沸かしている間に、昨日の残りの白飯に漬物を冷蔵庫から取り出す。インスタントのみそ汁とお茶漬けの袋を用意した頃に高杉が台所へとやってきた。
手を伸ばすのでお盆に白飯と漬物を乗せて渡してやると居間へと運んでいく。湯が沸くとみそ汁とお茶漬けの袋を持って後に続く。
高杉に鮭の方を渡してやると袋を開けて白飯にかける。湯を注いでやるとあっという間にお茶漬けの完成だ。みそ汁にも注げば朝食が出来上がる。料理の出来ない土方にとってインスタントは非常に便利だ。
逆に高杉は意外にも料理が出来るのだが、基本は人任せなのでやらない。たった一度だけ気まぐれで作ってくれたがそれなりに美味かった。美味いとは言ってやらなかったが。
高杉は無言で茶漬けを食べていた。元々喋りはしないが。やはり今も鮭が好きらしい。土方が鮭の方を食べてしまい高杉の機嫌が1日中悪い事もあった。
大人の高杉は子供のような大人だった。昔の事を話してくれる事はなかったが、どこか子供のまま止まってしまった部分があったように思う。ふとした瞬間に壊れてしまいそうな脆さと危うさ。放っておけない、目を離してはいけないとそういう部分にも惹かれてしまったのかもしれない。
食器を片付けて戻ると高杉は庭を眺めていた。
大人の方もあの庭が好きだった。同じ位置で同じ様に眺めていた。
特に何をするでもなくのんびりと過ごした。
元々最低限の物しかない。テレビはないし、本も1冊あったかどうかである。本を読み出すと高杉が拗ねるのでここに持ち込む事はあまりなかったからだ。
前日と同じ様に食事を共にして同じ布団で眠った。風呂は恥ずかしいのか一緒に入りたがらない。ここだけは違うようで少しおかしかった。
2日過ごしたが高杉に変化はない。表情はないに等しいし、返事はするが喋るような事もなかった。
土方に反応したのは気まぐれであったのかもしれない。この高杉は高杉ではない。その影を見る事はあるけれど別人と言うべきなのだろう。
それでも最後に同じ時間を過ごす事が出来て良かったように思う。感情を出せるようにしてやりたかったが、出来なかったのが悔やまれる。
難しい出自であるからそれが関係しているのかもしれない。自然と出せるようになる可能性も充分にあるが、江戸に戻ったら少し調べてみよう。
目を閉じる前に高杉の髪を撫でた。


目が覚めると布団には土方だけしか居なかった。
時刻は7時を回った所だ。トイレにでも行ったのかもしれない。賢い子であるから小さくても殆どの事をこなせる。
しかし、5分経っても10分経っても戻ってくる気配がない。家の中といっても流石に気になってくる。ひとまず隣の居間を見るがいない。庭も覗いてみたが同じだった。続けてトイレに浴室も覗くがやはり姿はなかった。そこから出ると微かに物音がした。音がした方向には物置がある。
使う機会は少なかったが、季節の物や不要品などを適当に仕舞っていたはずだ。鍵はかけていないから簡単に入ると事ができるが、一体なんの用があるのか。戸を開けるとやはりそこには高杉がいた。仕舞ってあった物を重ねて踏み台にし一番上の天袋に必死に手を伸ばしている。「危ない!」と思った時には、高杉の傾いた身体を受け止めていた。
安心したのも束の間、高杉が腕の中で暴れだす。目線と腕は天袋に向かっている。

「あそこに何かあるのか?」

問えばこくこくと激しく頷く。
「分かった」と開けようとすると嫌がったので、どうも自分で取りたいらしい。
ここまで感情を見せたのは初めてであった。だから高杉の好きにさせる事にした。流石に不安定な足場に立たせる訳にはいかないので、身体を持上げてやる。
少し不満そうな顔をした気もしたが、小さな手が天袋の戸を開け中から長細い箱を取り出した。
高杉を床に下ろすとその箱を土方へと向ける。

「俺に、って事か?」

再び高杉はこくこくと頷く。
桐の箱は少し埃を被っていたが一目で高価な物であると分かる。蓋を開けてみるとそこには一本の真新しい煙管と小さな紙が入っていた。
その紙を開くと走り書きではあったがよく知った文字が書かれている。

「お前はこれを渡すために…?」

高杉は柔らかく口角を上げると、前に倒れこんできた。慌ててキャッチすると寝息が聞こえてくる。小さな物置とはいえ子供の身体だ。体力が尽きたのだろう。ひとまず袂に箱を入れ、大切に高杉の身体を抱き上げた。

「ありがとうな…高杉」

どちらの高杉に言ったのか分からないその声は微かに震えていた。



昼頃にまた子達が迎えに来ても高杉は目を覚ます気配はなかった。揺すっても声を掛けても起きないのだ。
これには焦ったが少し様子を見ようという事で、業者に連絡し3日の約束をもう1日延ばして貰う事にした。

「本当に帰るんスか?」
「悪いな。もう戻らねぇと明後日には仕事なんでな。家は好きに使ってくれ。出る時には鍵は開けたままでいい。後は業者がやってくれる」
「何から何まですまないッス…」
「いいんだよ。礼を言うのはこっちの方だからな」

そう言って去っていく土方は会った時よりも清々しい表情をしていた。



高杉は初めて夢を見た。
それが夢と呼ばれる物だというのは後からまた子から教えて貰う事になる。だから今の時点では高杉はこれが何かが分からなかった。
そこには知らない大人の男の人が居た。
武市でもなく、土方でもない。
左目を閉じた男の人だった。
その人は高杉に話しかけてきた。声は聞こえないが、なぜか何を言っているか分かった。
そうして飛び起きて物置に向かった。

次の日も夢を見た。
また左目を閉じた男の人が居た。やっぱり声は聞こえないけれど、何を言っているか分かった。

「目が覚めたら全部忘れる。お前はお前の人生を生きろ。××××××××××」

最後に何と言ったのか分からなかった。
ありがとうとか、ごめんなさいとか何かそんな感じの物だったような気がするけれど。
男の人が頭を撫でると気持ち良くて目を閉じた。



「晋助様っ!!」

目を開けるとまた子と武市が高杉を覗きこんできた。また子の目は少し潤んでいる。
さっきまでどこか別の所で誰かが居たような気がするがよく思い出せない。

「晋助様よかったッス!!」

また子が高杉を抱き締めた。どうしてまた子は泣いているのだろう?
高杉は小さな手を伸ばしてまた子の頭を撫でる。そうして心配させないようにと「大丈夫だよ」と、とびきりの笑顔で笑った。
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