30点分の恋

 きっかけは大した事じゃなかった。
「姉さんがシール集めててさ」
 ふと耳に入った会話。聞き逃してもおかしくないそれがなんとなく気になった。
 昼飯にと買ったパンには1点と書かれた桃色のシール。いつもなら袋と共に捨ててしまうのだが。
「ん」
「えっ…あ、ありがと」
 綺麗に剥がしてソイツに渡した。クラスメイトではあるがお互いに話した事もない。そのせいか会話とも呼べない物になった。向こうは風紀委員だし、こっちは不良と呼ばれるような部類だし。関わり合いになりたくない筈なのに、なんとなく気になってしまった。
 それから別に義務でもなんでもないのにソイツ―――土方が居るとパンのシールを渡すようになった。最初の頃には「え?なんで?」みたいな顔をされた。それはまあこっちも「なんであげてんだろ」という感情だったが。
 一週間もすれば次第に慣れてきたが、シールを渡すだけ。会話はひとつもない。お互いにつるむような仲間はいるし、別につるみたいという願望もない。
 三十点貯まれば貰える皿は家族分集めたいらしい。おかげでパンばっかりだと銀時が嘆いた。養父である松陽がそういうのが好きなたちで、毎年この季節は集めているのだという。現在は二人暮らしであるが、松陽の双子の兄の虚や従兄弟の朧の分も居るからと全部で百二十点。
 育ち盛りの高校生だとしても、一日で食べられる量は決まっている。それに何日も続けば当然飽きる。
 そういえば土方は何人家族なのだろう。姉と土方というこは最低でも二枚。もし二人暮らしで六十点分となると結構大変ではないだろうか。
 でも土方はパンではなく持参していた弁当をいつも食べている。期間は長いから集まるかもしれないが、どうにも気になってしまった。
「あ!高杉その点数くれよ!」
「やらねぇ」
「集めてねぇだろ!」
「先約があるんだよ」
 咄嗟に「先約がある」と言ったが別に約束してる訳ではない。なんならこっちが勝手に渡しているだけなのだ。
 そうして死守したシールを土方の机に貼っておいた。タイミングが合わなければこうして貼っておく。気が付くと剥がされていて嬉しいと思う自分が居た。
「あと少しで終わるんだ」
 その日も耳に入ってきた会話。つまりはシールがあと少しという意味だ。兄の分と三人がようやく溜まりそうだと言っていた。その兄は和食派だからパンを食べる機会はそこまでない。菓子パンを食べるような習慣もない。食パンをちょっとずつ消費してはみるが、いつもあと少し足りない所でキャンペーンが終わってしまう。
 土方の弾んだ声に嬉しくなるが、同時にこの関係も終わりなのだと気が付いた。クラスが一緒なだけの友達でもない相手に、関係性があるとは言えないけれど。
 パンには一点のシール。あと何枚このシールを渡したら終わってしまうのだろう。集まった事を知らないフリをして渡してもいいが、それは迷惑でしかない。
 渡したくない。終わってしまうなら。でも、渡さなくてもこの関係も終わってしまう。悩んでいる内に予鈴が鳴った。次は移動教室で周りには誰も居ない。気紛れに登校し不良だと噂される自分には当然のように仲の良い人間がいない。
 寂しいと思った。それは声をかける人間がいない事にか、それとも土方との関係が終わる事にか。どちらなのか分からないまま本鈴が教室に響いた。


「それは恋だな」
 比較的まともそうな桂に恥を忍んで相談をしてみた。予想していなかった返答に思わず面食らう。
「お前は周りを、それこそ他人に興味を持つような人間じゃないだろう。つまり、ちょっとした会話が耳に入るくらいには気にしていた、という事じゃないのか?」
 気になっていたから視界に入っていた。気になっていたから、会話が耳に入ってきた。まあそういう事らしい。いまいち納得はいかないが、かといって他に納得出来る答えはあるかと言われればノーだ。
「まあ、その関係を終わらせたくないならまずは友達になってみればいいんじゃないか」
 恋と言われるよりも至極まっとうな意見。最初からそう言えばよかったのではないかとも思う。
「……ヅラにしちゃあまともな事を言ったな」
「ヅラじゃない!桂だ!」


 いざ、話しかけようと思うと何と言えばいいか思い付かない。周りからは芸能人とかメイクがどうのと話は聞こえてくるが、土方は興味があるのだろうか。漫画やテレビはあまり見ないし趣味と言えるような物もない。当たり障りのない話題、例えば好きな食べ物は?なんて急に聞くのもおかしな話だ。
 それでも、シールを渡さねば始まらない。いつものように土方に渡してやった。
「ありがとう」
 話しはしないが微笑んでくれるようになっからそこまで印象は悪くない、と思う。
「これで点数が貯まった。助かったよ、高杉」
「よかったな」
 ついに三十点になってしまった。これで最後だという事と、名前を呼ばれた事に驚いて素っ気ない返事をしてしまった。
 失敗した。何か話すきっかけになったかもしれない。もっと感じよく返事が出来たかもしれない。人生の中で一番かというくらいに酷い落ち込みようだ。さらにタイミング悪く、スマホには『上手く話せたか?』なんてメッセージが入っている。
 どうしようもなく苦しくて悲しい。ああ、これは本当に恋だったのかもしれないと思った。

 週末、目的もなく街を歩いていた。心はどんよりと曇ったままだ。少しは気分が晴れるかと思ったが、何にも変わらない。
 喉が渇いて近くのスーパーに入ると土方とすれ違った。隣には女性が居て談笑している。その手には大事そうに白い皿を持っていた。
 ああ、本当に終わってしまったのだ。明日から土方に関わる事はもうない。何もなかったように、明日が始まるのだろう。
 そのまま踵を返して外へ出た。喉が渇いていた事も忘れるくらいに、悲しい気持ちで胸が一杯になっている。
「高杉!」
 顔を上げると土方がこちらに走ってくるのが見えた。なぜ?と思っている内に目の前には土方が居る。
「高杉、あのさ…暇な日あるか?義姉さんにシールの話したらそのお友達にお礼したいから今度家に呼びなさい、って聞かなくて。急にこんな事言って迷惑だよな。その…全然断ってくれて」
「行く」
「いいから……え?」
「行く。土方の家、行っていいなら」
「お、おう…そしたら義姉さんに伝えとく…な」
 断られると思っていただろう土方がぎこちなく笑う。友達でもないのにいきなり家に呼ぶなんてハードルが高い。
「土方。とりあえず連絡先交換しねぇ?」
 しかし、自分に取ってはまたとないチャンスだ。神様が居るとしたらまだ見放されてはいないらしい。
 

 
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