(インテ新刊)みらいいろ
一 宿痾
高杉晋助は生まれながら呪いを受けていた。「なぜ分かるのか」と問われれば、彼が生を受けたのが退魔師の家系であるからだ。
魔を屠り、邪を祓う。その家に生まれた子が呪われているなど汚点でしかない。
処分という言葉はいくつも上がった。数百年と続く家系にあってはならないモノ。退魔師の家系はいくつかある。その中でも高杉の家は特に格式を重んじる家であった。
だが、反対する声も少なからずあった。腹を痛めた母親はもちろん、今の時代にそぐわぬという者もいた。事故や病死に見せかけて処分もできるが、それこそ高杉の名に傷を付ける。もしくは、上手く育てて使い道を考えればいい。
幼子は小屋と言ってもいいような離れに押し込められた。その裏で他の兄弟は、母屋でぬくぬくと育てられている。環境も最悪と言ってもよかっただろう。それでも、大きな怪我や病気にはならず六歳まで無事に成長することができた。
六歳になるまで、特に何も起きなかった。例えば大きな事故が起きることも、家の者が死ぬこともなかった。しかし、呪いは相変わらず高杉の目にあり続けている。
そろそろ高杉の処遇を決めなければならない。普通の人間として生活させるか。退魔師として育てるか。それとも、道具にするか。
離れに居るとは言え、家の異質な空気を幼いながらに感じ取っていた。時々母屋に行くことがあるのだが、その度に視線が刺さった。人の悪意は分かりやすい。どれだけ取り繕おうとも、心の内が見えるような気がした。それは高杉の才の片鱗であったのだろう。
高杉の処遇を決めかねていると、突然男が訪ねてきた。退魔師といえど、表向きは一般人として生活している。仕事以外でも客人はやってくる。
しかし、男の来訪は約束も何もない。本当にひょっこり現れたとしか言いようがない。飛び込みの客がいないことはない。飛び込みの客であれば、どれだけよかったか。
男の名は吉田松陽——天導衆という退魔師組織の当主である。国内の退魔師の中でも事実上のトップと言えるような存在であった。
そんな人間が来るとなれば、肝を冷やす以外にない。本来はこちらが出向かなければいけないような相手である。国内の退魔師を束ねる長だ。仮に抜き打ち調査だったとしても、悪事は働いていない。だが、呪われた子どもが居る。
良くて退魔師としての資格を剥奪される。最悪、一族ごと処分される。闇に葬られ、一生表に出てくることはない。
現当主でさえ、男の前に出るだけで嫌な汗が流れた。知らない人間から見れば、ごく普通の優しそうな人間である。しかし、その身から感じる力は本物である。蛇に睨まれた蛙とはまさにこのことだろう。
「吉田様、ご足労頂きありがとうございます」
「あぁ、そのような堅苦しい挨拶は結構ですよ。それに突然訪問するという、非礼を詫びなければならないのは私の方ですから」
静かに茶を飲む姿でさえ息が詰まる。圧倒的な力の差をその身に感じていた。
「本日はどのようなご要件でしょうか?」
「ああ、そうでしたね!お茶が美味しくてつい忘れそうになりました」
笑顔ではあるが、まさか茶を飲みに遊びに来た、ということではないだろう。ただの友人であれば「これは特別に取り寄せた茶葉で」など言えるが、とてもそんな雰囲気ではない。
「率直にお伝えしますね。息子さんを私に預けてくださいませんか?」
息子と聞いて浮かぶのはただ一人。離れで暮らす呪いを受けた一人息子だ。どういう訳か、隠していた汚点を知られている。
高杉家の当主とて、退魔師の中でも実力はトップクラスである。数百人規模で人を殺してきた悪霊も不特定多数に感染する呪いも祓ってきた。多くの死地を越え、高杉家の地位を盤石な物にした。
だが、たった一人の柔和な笑みを浮かべる男を前に恐怖で動けないでいる。
静かな部屋に己の心臓の音だけが大きく聞こえる。冷や汗は止まらず、喉はカラカラに渇いている。目の前に湯飲みがあるが、手の伸ばし方さえ分からない。一つでも所作を間違えれば、次の瞬間には死体に変わっているかもしれない。
「預けてくださいませんか?」とあくまでお願いの形を取っているが、これは確定事項だ。息子を預ける以外の選択肢は用意されていない。
「息子をよろしくお願い致します」
頭を下げ、ようやく絞り出した声は掠れきっていた。正しく声になっていたかも分からない。沈黙が怖い。額から落ちた汗が畳を濡らす。
「ありがとうございます。息子さん、晋助くんは、きっと誇れる人間になりますよ」
ようやく呼吸ができた。伏せていたはずの名前までも知られている。後にも先にもこの時間が生涯で一番恐ろしかった。
親子の別れだというのに、高杉は涙一つ零しはしなかった。出立の用意でさえ一時間程度で終わってしまった。衣服や日用品は向こうで揃えるから構わない、というのもあった。
高杉の心にあったのは安堵である。息を潜めずに生きなくてもいい。多少は慣れたつもりであっても、小さな身体には耐え難い苦痛である。気付かない内に小さな息が漏れていた。
「初めまして。私は、吉田松陽と申します。これから君と一緒に暮らすことになるので、よろしくお願いしますね」
「よろしくお願いします」
高杉は小さくお辞儀をする。松陽は高杉が家でどんな扱いをされているか心配していた。しかし、年齢より少し小柄だが不健康な身体ではない。受け答えも、しっかりと出来ている。退魔師としての素質も申し分ない。ただ、暗く沈んだ瞳と隠された左目だけが気掛かりである。
それに勘づいたのか、高杉が警戒するかのような仕草をした。小さな子供がその身に「呪い」を受けていたのだから、その反応も無理はない。
「大丈夫です。私、とっーても強いんですよ!」
松陽は腕まくりをすると、力こぶを作り笑ってみせた。
「それに、ほら」
「な、何すんだ!」
「君なんて簡単に抱っこできちゃうんですからね!」
松陽は高杉を抱き上げて、くるくると回ってみせる。「おろせ!」とポカポカと小さな手が腕を叩く。突然のことに驚いた高杉の子供らしい表情に安心した。まだこの子供から大事なモノは消えていない。
そのまま抱き上げて連れていっても良かったが、高杉が嫌がった。知らない人にいきなりそんなことをされれば当然でもある。
「お家の人に挨拶は済ませましたか?」
「済ませました」
「そうですか。それでは行きましょう」
松陽は迎えに来た、少し不健康そうな男に高杉の荷物を渡した。空いた手で高杉の手を握る。
門の前にはいかにもな高級車が停められていた。不健康そうな男がトランクに荷物を入れ、その間に後部座席に二人で並んで座る。
「先生。動きますのでシートベルトを」
「高杉くん。彼は私の一番弟子の朧です。あなたの兄弟子にあたります。まあ、あまり堅く考えず、お兄ちゃんだと思ってたくさん甘えて大丈夫ですからね」
咳払いが聞こえ、車は静かに発進した。高杉は車の窓から家を見た。大きな門には父親はおろか、誰一人として見送る者はいなかった。
随分と懐かしい夢を見たものだと、高杉は思った。子供の頃に師である松陽に預けられた日の記憶だ。
あの出来事がなければ、今の自分はいなかっただろう。窮屈な家でネジ曲がり、外道に堕ちていたかもしれない。
正直、退魔師という仕事は好きではない。しかし、道を示してくれた松陽には感謝をしている。時には恐ろしくもあったが、穏やかで笑顔の似合う人だった。修行は地獄のような日々であったが、人間らしさを忘れさせなかったのも松陽のおかげである。
修行を終え、高杉は家に戻ることになった。皮肉にも退魔師としての才能を開花させてしまったことで、半ば強制的に戻されたのである。
戻った所で扱いは変わらない。一人離れで暮らし、使用人とも必要最低限の会話しかしない。父親とは挨拶すらもなかった。
今となってはその方が気楽である。他人との余計な関わりは煩わしいだけだ。関わりがあるとすれば、修行を共にした桂くらいである。何かと高杉を気にかけては世話を焼いてくる。松陽の後を継いだ朧は、当主として忙しくしているようで滅多に連絡が来ることはない。
遅めの朝食を摂りながら、今日の予定を確認した。午後から依頼が一件入っている。休みの日くらいはゆっくりしたいが、断れる権限は持っていない。平日であれば授業をサボる口実になるのだが。
依頼人は二十代の男性。職業は普通の会社員。半年ほど前から不可解な現象に悩まされている。
先に送られてきた写真や現象の内容を見る限り、悪霊や呪いの類である。有名な寺社仏閣をいくつも頼ったが、どこも駄目だった。あまりに強すぎて祓い切れないか、最初から断られてしまっている。
藁にも縋る思いで退魔師へと辿り着いた。慈善事業ではないから、貯金はごっそり持っていかれただろう。特に危険度が高い内容や汚れ仕事になれば、なおさらだ。
男はとある女性を騙し手酷くフッた。よくここまで酷いことができるものだと感心してしまう。傷付き、財産まで奪われて女性は自ら命を絶った。
だが、女性は最期に男を呪ったのだ。呪具を手当たり次第に集め、呪術師を頼った。そこからはホラー映画によくある話だ。
高杉に割振られる仕事はこんなものばかりだ。誰もやりたがらないから、強制的に割り振られる。内容に対して割に合わない。高杉家は表向きは正義の味方を謳っている。世の中の為になるような依頼しか受けたくないのだ。実際は料金を吹っかけているので、どの口がと思う。
自室に戻ると必要なものを準備した。これも松陽の教えだ。常に不測の事態に備え、自分の力を驕ることなかれ。高杉自身の実力もそうだが、これまでの依頼を生還してきた理由として一番大きいだろう。だが、今の所まだそれらが活躍する場面には出会っていない。
危険度が高くても必ず成功させてしまうから、また依頼が振られてしまう。負のループではあるが、死にたい訳ではない。どんなに依頼人がクズであっても、受けた依頼はキチンとこなす。それからのことは知らない。捕まろうが、他の人間に殺されようが、祓うまでが高杉の仕事である。
壁に掛かった刀を手に取った。松陽から譲り受けた大切なものである。霊刀であり、武器として高杉との相性も良かった。それ以来、良き相棒でもある。
退魔師は帯刀を許されている。その他、武器になりうるもの全てだ。勿論、退魔以外での使用は禁止されている。
専用のケースには特殊な加工をされており、霊力を流すことで退魔師の証明である紋が浮かぶ。例えば職質されてもそれを見せれば問題なくパスできる。盗難に遭ったとしても、所有者以外は開けない仕組みだ。
高杉はいつも裏口から出入りする。この家に戻った時、正門から出入りをしたらいい顔をされなかった。松陽の弟子という業界では名誉であっても、高杉家では呪いの子でしかない。むしろ「呪いの子なのになぜ」という嫉妬や恨みが強くなったように感じる。松陽は「気にすることはない」と言っていたが、高杉はこの扱いに慣れてしまっている。今更何かを変えようとか思うこともない。
電車に乗り依頼人の居るマンションに辿り着いた。建てられてまだ数年。最新の防犯機能が備わったエントランス。手入れされた花壇に、楽しそうに出て行った家族。まさかこんな所で霊障が起きているなんて夢にも思わないだろう。
それでも一室だけ、異常な空気を感じる。言うまでもなく依頼人の男が住む部屋である。連絡を入れるとエントランスのドアが開いた。
インターフォンを押すと中から、死人のような出で立ちの男が出てきた。もってあと数日だろう。ギリギリで高杉家への依頼が受理されたのは幸運である。
男は高杉を見るなり、嫌な顔をした。よくある反応である。誰だって、退魔師と聞いて学ランの高校生なぞ想像しない。しかも高杉は目つきも悪いし、態度もいいと言えない。騙された、そう思っても仕方のないことだ。
「入るぞ」
男を無視して高杉は中に入る。「おい!」と言われたが、押し返すだけの気力もないようである。ズカズカと土足で中に入る高杉とは対照的に、幽霊のように後に続いた。
リビングにそれは居た。髪の長い女の霊が居る。テレビの横に立って、じいっと男を見ていた。高杉のことなど眼中にはなく、ただ恨みの籠もった視線を男に向けていた。
どれだけのことをすれば、こんなに恨まれるのか。一歩間違えば高杉自身も、同じような存在になっていたかもしれない。
鞄から数珠、札、酒と簡素な台を取り出す。次に札を四方に貼り酒を台に置いた。高杉は基本的に問答無用で霊刀で叩き切る。なので、必要最低限の準備で終わってしまうのだ。
一般的な退魔師から見れば高杉は異端である。普通はもう少し準備があるのだが、面倒だからと高杉はやっていない。実際、高杉は一般的な儀式もできる。一部の退魔師は簡素な方法を取ることもある。だが、それは家柄のないフリーの退魔師が殆どである。それは誰にでもできることではなく、実力が伴っていなければ死が待っている。力の足りない者ほど入念に準備を行い、儀式は大掛かりなものとなる。
「そこを動くんじゃねぇぞ。あと一言も喋るな」
震える男にそれだけ告げると、呪文を唱える。暫くすると小さくパチンと音がし始めた。音の間隔は次第に狭まり、バチンと大きな音に変わっていく。その頃には窓やテレビがガタガタと揺れ始めた。電灯が割れ、まだ真昼だというのに部屋は夜のように闇に閉ざされた。
『……ぃして………のに……愛していたのに!!』
女の絶叫が響いた。「愛していたのに」と繰り返し憎悪に塗れた声で叫んでいる。身体や顔は崩れ、部屋には腐った匂いが充満した。高杉の後で男は「ヒッ!」と小さく声を上げ、頭を抱えて震えながら蹲っている。女の濁った目が男に向いた。
再び女は絶叫した。もう人の言葉ではなくなり、聞き取ることは出来ない。もはや愛情などない、ただの憎悪の塊だ。
汚くて、醜い。可哀想な程に怯えている男も、呪いに成り果てた女も。どちらにも同情など出来ないし、共感もしない。女が叫びながら男に向かってくる。かつて愛した男をその手で殺す為に。
高杉は静かに刀に手をかける。抜き打ちで女の喉を斬った。さらに踏み込み、もう一撃頭から斬り伏せる。
女が完全にこの世から消え去ったのを確認してから刀を鞘に納めた。ここで油断して、何人もの退魔師が命を落としている。最後まで気を抜かない、これも松陽が口酸っぱく言った教えの一つだ。
「終わったぞ」
「……へっ?」
チカチカと蛍光灯がついた。カーテンからは日の光が薄っすらと差し込み、腐った匂いもしない。
男が間抜けな声を出しながら、高杉を見た。涙と鼻水で顔はぐちゃぐちゃになっている。少しアンモニアの匂いがした。
「ハンコ。サインでもいい」
高杉は淡々と鞄から契約書を取り出した。男はまだ事態が飲み込めていないのか呆けている。何度か揺すって声をかけるとようやく気がついた。
片付けを済ませると歪んだサインがされた契約書を鞄に突っ込む。男はまだ床にへたり込んでいるが、放っておけばそのうち復活するだろう。
男の部屋はオートロックのようだから鍵の心配はないだろう。高杉は玄関に立っている短髪の女を一瞥するとドアを閉めた。
受けた依頼は長髪の女の件だけだ。他の呪いに関しては受けていない。近い内にまた依頼が入るかもしれない。男がその日まで生きていられれば、の話だが。
「高杉遅かったじゃないか」
「何しに来たヅラァ」
「ヅラじゃない、桂だ!友人の顔を見に来るのに理由はいらんだろ、なあエリザベス」
[その通り]
部屋に戻るとソファには桂が座り茶を飲んでいた。その隣には、シーツを被ったような見た目のエリザベスもいる。エリザベスは直接話さずいつもプラカードで意思疎通をしている。
桂小太郎は高杉の兄弟弟子である。高杉よりも先に松陽の弟子として迎え入れられていた。共に修行という名の地獄をくぐり抜けた男である。
桂は退魔師ではなく、陰陽師である。それも安倍晴明の再来とも、生まれ変わりとも言われる天才だ。通常、式神は必要な時に一時的に使役する。ところが桂は常に式神、それも十二天将を側に置いている。故にまだ学生という身でありながら、最年少で当主となった。また宮仕えをしており、国家にも関わっている。
これだけ聞けばかなりの大物なのだが、いかんせん言動が電波気味である。忙しいということもあるが、交友関係はあまり広くない。
「朧兄さんが、お前から連絡がないと心配していたぞ。大方、見てすらいないんだろう」
「あの人はそもそも心配性なんだよ」
メッセージアプリには未読のマークが並んでいる。元々心配性だったが、高杉が家に戻ってからは輪をかけて酷くなった気がする。今では親の代わりと言わんばかりに世話を焼きたがる。
このままでは朧は家に突撃してきそうな勢いである。短く「元気だ」とだけ返信しておいた。暫くは大人しくしてくれるだろう。
「それじゃあな。俺はそろそろお暇しよう」
返事をしろというのが目的だったのか、桂は帰り支度を始めた。札を一枚取り出すと一瞬で目の前から消え去った。転移術もそう簡単に習得できない技である。
桂が帰るとようやく片付けと霊刀の手入れに取り掛かった。やはり静かな方が集中できていい。それが終わると高杉はベッドに横になった。
いつも桂は勝手に来て勝手に帰って行く。おまけにこちらの話は全く聞いていない。かなり迷惑であるが、高杉と対等でいてくれる人間だ。幼少の頃から「お前は呪われてなどいない」と、何ひとつ気にせず関わりを持ってくれた。そういう面では口にはしないが感謝をしている。桂という存在もまた、高杉が道を踏み外さなかった理由のひとつである。
緊急の呼び出しでもなければ、今日はもう予定は入っていない。特にやりたいこともなければ、趣味がある訳でもない。昼寝でもするかと、高杉は目を閉じた。
高杉晋助は生まれながら呪いを受けていた。「なぜ分かるのか」と問われれば、彼が生を受けたのが退魔師の家系であるからだ。
魔を屠り、邪を祓う。その家に生まれた子が呪われているなど汚点でしかない。
処分という言葉はいくつも上がった。数百年と続く家系にあってはならないモノ。退魔師の家系はいくつかある。その中でも高杉の家は特に格式を重んじる家であった。
だが、反対する声も少なからずあった。腹を痛めた母親はもちろん、今の時代にそぐわぬという者もいた。事故や病死に見せかけて処分もできるが、それこそ高杉の名に傷を付ける。もしくは、上手く育てて使い道を考えればいい。
幼子は小屋と言ってもいいような離れに押し込められた。その裏で他の兄弟は、母屋でぬくぬくと育てられている。環境も最悪と言ってもよかっただろう。それでも、大きな怪我や病気にはならず六歳まで無事に成長することができた。
六歳になるまで、特に何も起きなかった。例えば大きな事故が起きることも、家の者が死ぬこともなかった。しかし、呪いは相変わらず高杉の目にあり続けている。
そろそろ高杉の処遇を決めなければならない。普通の人間として生活させるか。退魔師として育てるか。それとも、道具にするか。
離れに居るとは言え、家の異質な空気を幼いながらに感じ取っていた。時々母屋に行くことがあるのだが、その度に視線が刺さった。人の悪意は分かりやすい。どれだけ取り繕おうとも、心の内が見えるような気がした。それは高杉の才の片鱗であったのだろう。
高杉の処遇を決めかねていると、突然男が訪ねてきた。退魔師といえど、表向きは一般人として生活している。仕事以外でも客人はやってくる。
しかし、男の来訪は約束も何もない。本当にひょっこり現れたとしか言いようがない。飛び込みの客がいないことはない。飛び込みの客であれば、どれだけよかったか。
男の名は吉田松陽——天導衆という退魔師組織の当主である。国内の退魔師の中でも事実上のトップと言えるような存在であった。
そんな人間が来るとなれば、肝を冷やす以外にない。本来はこちらが出向かなければいけないような相手である。国内の退魔師を束ねる長だ。仮に抜き打ち調査だったとしても、悪事は働いていない。だが、呪われた子どもが居る。
良くて退魔師としての資格を剥奪される。最悪、一族ごと処分される。闇に葬られ、一生表に出てくることはない。
現当主でさえ、男の前に出るだけで嫌な汗が流れた。知らない人間から見れば、ごく普通の優しそうな人間である。しかし、その身から感じる力は本物である。蛇に睨まれた蛙とはまさにこのことだろう。
「吉田様、ご足労頂きありがとうございます」
「あぁ、そのような堅苦しい挨拶は結構ですよ。それに突然訪問するという、非礼を詫びなければならないのは私の方ですから」
静かに茶を飲む姿でさえ息が詰まる。圧倒的な力の差をその身に感じていた。
「本日はどのようなご要件でしょうか?」
「ああ、そうでしたね!お茶が美味しくてつい忘れそうになりました」
笑顔ではあるが、まさか茶を飲みに遊びに来た、ということではないだろう。ただの友人であれば「これは特別に取り寄せた茶葉で」など言えるが、とてもそんな雰囲気ではない。
「率直にお伝えしますね。息子さんを私に預けてくださいませんか?」
息子と聞いて浮かぶのはただ一人。離れで暮らす呪いを受けた一人息子だ。どういう訳か、隠していた汚点を知られている。
高杉家の当主とて、退魔師の中でも実力はトップクラスである。数百人規模で人を殺してきた悪霊も不特定多数に感染する呪いも祓ってきた。多くの死地を越え、高杉家の地位を盤石な物にした。
だが、たった一人の柔和な笑みを浮かべる男を前に恐怖で動けないでいる。
静かな部屋に己の心臓の音だけが大きく聞こえる。冷や汗は止まらず、喉はカラカラに渇いている。目の前に湯飲みがあるが、手の伸ばし方さえ分からない。一つでも所作を間違えれば、次の瞬間には死体に変わっているかもしれない。
「預けてくださいませんか?」とあくまでお願いの形を取っているが、これは確定事項だ。息子を預ける以外の選択肢は用意されていない。
「息子をよろしくお願い致します」
頭を下げ、ようやく絞り出した声は掠れきっていた。正しく声になっていたかも分からない。沈黙が怖い。額から落ちた汗が畳を濡らす。
「ありがとうございます。息子さん、晋助くんは、きっと誇れる人間になりますよ」
ようやく呼吸ができた。伏せていたはずの名前までも知られている。後にも先にもこの時間が生涯で一番恐ろしかった。
親子の別れだというのに、高杉は涙一つ零しはしなかった。出立の用意でさえ一時間程度で終わってしまった。衣服や日用品は向こうで揃えるから構わない、というのもあった。
高杉の心にあったのは安堵である。息を潜めずに生きなくてもいい。多少は慣れたつもりであっても、小さな身体には耐え難い苦痛である。気付かない内に小さな息が漏れていた。
「初めまして。私は、吉田松陽と申します。これから君と一緒に暮らすことになるので、よろしくお願いしますね」
「よろしくお願いします」
高杉は小さくお辞儀をする。松陽は高杉が家でどんな扱いをされているか心配していた。しかし、年齢より少し小柄だが不健康な身体ではない。受け答えも、しっかりと出来ている。退魔師としての素質も申し分ない。ただ、暗く沈んだ瞳と隠された左目だけが気掛かりである。
それに勘づいたのか、高杉が警戒するかのような仕草をした。小さな子供がその身に「呪い」を受けていたのだから、その反応も無理はない。
「大丈夫です。私、とっーても強いんですよ!」
松陽は腕まくりをすると、力こぶを作り笑ってみせた。
「それに、ほら」
「な、何すんだ!」
「君なんて簡単に抱っこできちゃうんですからね!」
松陽は高杉を抱き上げて、くるくると回ってみせる。「おろせ!」とポカポカと小さな手が腕を叩く。突然のことに驚いた高杉の子供らしい表情に安心した。まだこの子供から大事なモノは消えていない。
そのまま抱き上げて連れていっても良かったが、高杉が嫌がった。知らない人にいきなりそんなことをされれば当然でもある。
「お家の人に挨拶は済ませましたか?」
「済ませました」
「そうですか。それでは行きましょう」
松陽は迎えに来た、少し不健康そうな男に高杉の荷物を渡した。空いた手で高杉の手を握る。
門の前にはいかにもな高級車が停められていた。不健康そうな男がトランクに荷物を入れ、その間に後部座席に二人で並んで座る。
「先生。動きますのでシートベルトを」
「高杉くん。彼は私の一番弟子の朧です。あなたの兄弟子にあたります。まあ、あまり堅く考えず、お兄ちゃんだと思ってたくさん甘えて大丈夫ですからね」
咳払いが聞こえ、車は静かに発進した。高杉は車の窓から家を見た。大きな門には父親はおろか、誰一人として見送る者はいなかった。
随分と懐かしい夢を見たものだと、高杉は思った。子供の頃に師である松陽に預けられた日の記憶だ。
あの出来事がなければ、今の自分はいなかっただろう。窮屈な家でネジ曲がり、外道に堕ちていたかもしれない。
正直、退魔師という仕事は好きではない。しかし、道を示してくれた松陽には感謝をしている。時には恐ろしくもあったが、穏やかで笑顔の似合う人だった。修行は地獄のような日々であったが、人間らしさを忘れさせなかったのも松陽のおかげである。
修行を終え、高杉は家に戻ることになった。皮肉にも退魔師としての才能を開花させてしまったことで、半ば強制的に戻されたのである。
戻った所で扱いは変わらない。一人離れで暮らし、使用人とも必要最低限の会話しかしない。父親とは挨拶すらもなかった。
今となってはその方が気楽である。他人との余計な関わりは煩わしいだけだ。関わりがあるとすれば、修行を共にした桂くらいである。何かと高杉を気にかけては世話を焼いてくる。松陽の後を継いだ朧は、当主として忙しくしているようで滅多に連絡が来ることはない。
遅めの朝食を摂りながら、今日の予定を確認した。午後から依頼が一件入っている。休みの日くらいはゆっくりしたいが、断れる権限は持っていない。平日であれば授業をサボる口実になるのだが。
依頼人は二十代の男性。職業は普通の会社員。半年ほど前から不可解な現象に悩まされている。
先に送られてきた写真や現象の内容を見る限り、悪霊や呪いの類である。有名な寺社仏閣をいくつも頼ったが、どこも駄目だった。あまりに強すぎて祓い切れないか、最初から断られてしまっている。
藁にも縋る思いで退魔師へと辿り着いた。慈善事業ではないから、貯金はごっそり持っていかれただろう。特に危険度が高い内容や汚れ仕事になれば、なおさらだ。
男はとある女性を騙し手酷くフッた。よくここまで酷いことができるものだと感心してしまう。傷付き、財産まで奪われて女性は自ら命を絶った。
だが、女性は最期に男を呪ったのだ。呪具を手当たり次第に集め、呪術師を頼った。そこからはホラー映画によくある話だ。
高杉に割振られる仕事はこんなものばかりだ。誰もやりたがらないから、強制的に割り振られる。内容に対して割に合わない。高杉家は表向きは正義の味方を謳っている。世の中の為になるような依頼しか受けたくないのだ。実際は料金を吹っかけているので、どの口がと思う。
自室に戻ると必要なものを準備した。これも松陽の教えだ。常に不測の事態に備え、自分の力を驕ることなかれ。高杉自身の実力もそうだが、これまでの依頼を生還してきた理由として一番大きいだろう。だが、今の所まだそれらが活躍する場面には出会っていない。
危険度が高くても必ず成功させてしまうから、また依頼が振られてしまう。負のループではあるが、死にたい訳ではない。どんなに依頼人がクズであっても、受けた依頼はキチンとこなす。それからのことは知らない。捕まろうが、他の人間に殺されようが、祓うまでが高杉の仕事である。
壁に掛かった刀を手に取った。松陽から譲り受けた大切なものである。霊刀であり、武器として高杉との相性も良かった。それ以来、良き相棒でもある。
退魔師は帯刀を許されている。その他、武器になりうるもの全てだ。勿論、退魔以外での使用は禁止されている。
専用のケースには特殊な加工をされており、霊力を流すことで退魔師の証明である紋が浮かぶ。例えば職質されてもそれを見せれば問題なくパスできる。盗難に遭ったとしても、所有者以外は開けない仕組みだ。
高杉はいつも裏口から出入りする。この家に戻った時、正門から出入りをしたらいい顔をされなかった。松陽の弟子という業界では名誉であっても、高杉家では呪いの子でしかない。むしろ「呪いの子なのになぜ」という嫉妬や恨みが強くなったように感じる。松陽は「気にすることはない」と言っていたが、高杉はこの扱いに慣れてしまっている。今更何かを変えようとか思うこともない。
電車に乗り依頼人の居るマンションに辿り着いた。建てられてまだ数年。最新の防犯機能が備わったエントランス。手入れされた花壇に、楽しそうに出て行った家族。まさかこんな所で霊障が起きているなんて夢にも思わないだろう。
それでも一室だけ、異常な空気を感じる。言うまでもなく依頼人の男が住む部屋である。連絡を入れるとエントランスのドアが開いた。
インターフォンを押すと中から、死人のような出で立ちの男が出てきた。もってあと数日だろう。ギリギリで高杉家への依頼が受理されたのは幸運である。
男は高杉を見るなり、嫌な顔をした。よくある反応である。誰だって、退魔師と聞いて学ランの高校生なぞ想像しない。しかも高杉は目つきも悪いし、態度もいいと言えない。騙された、そう思っても仕方のないことだ。
「入るぞ」
男を無視して高杉は中に入る。「おい!」と言われたが、押し返すだけの気力もないようである。ズカズカと土足で中に入る高杉とは対照的に、幽霊のように後に続いた。
リビングにそれは居た。髪の長い女の霊が居る。テレビの横に立って、じいっと男を見ていた。高杉のことなど眼中にはなく、ただ恨みの籠もった視線を男に向けていた。
どれだけのことをすれば、こんなに恨まれるのか。一歩間違えば高杉自身も、同じような存在になっていたかもしれない。
鞄から数珠、札、酒と簡素な台を取り出す。次に札を四方に貼り酒を台に置いた。高杉は基本的に問答無用で霊刀で叩き切る。なので、必要最低限の準備で終わってしまうのだ。
一般的な退魔師から見れば高杉は異端である。普通はもう少し準備があるのだが、面倒だからと高杉はやっていない。実際、高杉は一般的な儀式もできる。一部の退魔師は簡素な方法を取ることもある。だが、それは家柄のないフリーの退魔師が殆どである。それは誰にでもできることではなく、実力が伴っていなければ死が待っている。力の足りない者ほど入念に準備を行い、儀式は大掛かりなものとなる。
「そこを動くんじゃねぇぞ。あと一言も喋るな」
震える男にそれだけ告げると、呪文を唱える。暫くすると小さくパチンと音がし始めた。音の間隔は次第に狭まり、バチンと大きな音に変わっていく。その頃には窓やテレビがガタガタと揺れ始めた。電灯が割れ、まだ真昼だというのに部屋は夜のように闇に閉ざされた。
『……ぃして………のに……愛していたのに!!』
女の絶叫が響いた。「愛していたのに」と繰り返し憎悪に塗れた声で叫んでいる。身体や顔は崩れ、部屋には腐った匂いが充満した。高杉の後で男は「ヒッ!」と小さく声を上げ、頭を抱えて震えながら蹲っている。女の濁った目が男に向いた。
再び女は絶叫した。もう人の言葉ではなくなり、聞き取ることは出来ない。もはや愛情などない、ただの憎悪の塊だ。
汚くて、醜い。可哀想な程に怯えている男も、呪いに成り果てた女も。どちらにも同情など出来ないし、共感もしない。女が叫びながら男に向かってくる。かつて愛した男をその手で殺す為に。
高杉は静かに刀に手をかける。抜き打ちで女の喉を斬った。さらに踏み込み、もう一撃頭から斬り伏せる。
女が完全にこの世から消え去ったのを確認してから刀を鞘に納めた。ここで油断して、何人もの退魔師が命を落としている。最後まで気を抜かない、これも松陽が口酸っぱく言った教えの一つだ。
「終わったぞ」
「……へっ?」
チカチカと蛍光灯がついた。カーテンからは日の光が薄っすらと差し込み、腐った匂いもしない。
男が間抜けな声を出しながら、高杉を見た。涙と鼻水で顔はぐちゃぐちゃになっている。少しアンモニアの匂いがした。
「ハンコ。サインでもいい」
高杉は淡々と鞄から契約書を取り出した。男はまだ事態が飲み込めていないのか呆けている。何度か揺すって声をかけるとようやく気がついた。
片付けを済ませると歪んだサインがされた契約書を鞄に突っ込む。男はまだ床にへたり込んでいるが、放っておけばそのうち復活するだろう。
男の部屋はオートロックのようだから鍵の心配はないだろう。高杉は玄関に立っている短髪の女を一瞥するとドアを閉めた。
受けた依頼は長髪の女の件だけだ。他の呪いに関しては受けていない。近い内にまた依頼が入るかもしれない。男がその日まで生きていられれば、の話だが。
「高杉遅かったじゃないか」
「何しに来たヅラァ」
「ヅラじゃない、桂だ!友人の顔を見に来るのに理由はいらんだろ、なあエリザベス」
[その通り]
部屋に戻るとソファには桂が座り茶を飲んでいた。その隣には、シーツを被ったような見た目のエリザベスもいる。エリザベスは直接話さずいつもプラカードで意思疎通をしている。
桂小太郎は高杉の兄弟弟子である。高杉よりも先に松陽の弟子として迎え入れられていた。共に修行という名の地獄をくぐり抜けた男である。
桂は退魔師ではなく、陰陽師である。それも安倍晴明の再来とも、生まれ変わりとも言われる天才だ。通常、式神は必要な時に一時的に使役する。ところが桂は常に式神、それも十二天将を側に置いている。故にまだ学生という身でありながら、最年少で当主となった。また宮仕えをしており、国家にも関わっている。
これだけ聞けばかなりの大物なのだが、いかんせん言動が電波気味である。忙しいということもあるが、交友関係はあまり広くない。
「朧兄さんが、お前から連絡がないと心配していたぞ。大方、見てすらいないんだろう」
「あの人はそもそも心配性なんだよ」
メッセージアプリには未読のマークが並んでいる。元々心配性だったが、高杉が家に戻ってからは輪をかけて酷くなった気がする。今では親の代わりと言わんばかりに世話を焼きたがる。
このままでは朧は家に突撃してきそうな勢いである。短く「元気だ」とだけ返信しておいた。暫くは大人しくしてくれるだろう。
「それじゃあな。俺はそろそろお暇しよう」
返事をしろというのが目的だったのか、桂は帰り支度を始めた。札を一枚取り出すと一瞬で目の前から消え去った。転移術もそう簡単に習得できない技である。
桂が帰るとようやく片付けと霊刀の手入れに取り掛かった。やはり静かな方が集中できていい。それが終わると高杉はベッドに横になった。
いつも桂は勝手に来て勝手に帰って行く。おまけにこちらの話は全く聞いていない。かなり迷惑であるが、高杉と対等でいてくれる人間だ。幼少の頃から「お前は呪われてなどいない」と、何ひとつ気にせず関わりを持ってくれた。そういう面では口にはしないが感謝をしている。桂という存在もまた、高杉が道を踏み外さなかった理由のひとつである。
緊急の呼び出しでもなければ、今日はもう予定は入っていない。特にやりたいこともなければ、趣味がある訳でもない。昼寝でもするかと、高杉は目を閉じた。
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