CONTRACT



「伊東鴨太郎君の帰陣を祝してかんぱーい!!」
 その夜、宴が開かれた。暫く真選組を留守にしていた伊東が戻ってきた事への祝いの席である。今回も新たに幕府から武器を手に入れるなどの活躍ぶりだ。
『この眼鏡初めて見るんだけどあんなヤツいたっけ?』
『居たろうが。そのパーな頭じゃ覚えられねぇか』
『あ?誰の頭がパーだって?』
 以前にも説明した筈だがどうやら九尾の記憶には残っていないようだ。その時も興味なさそうに『ふーん』で終わっていたので無理もない。
 伊東のご高説が終わった所で煙草を吸うために席を立った。宴を離れれば一気に静かになってやはり心地が良い。騒がしいのは苦手だしどうにも居心地が悪い。
 副長という立場上面倒ではあるが、このまま席を立っている訳にもいかない。会場に戻る為に廊下を歩いていると、反対側から伊東が歩いてくるのが見えた。
「土方君、君に言いたい事がある」
「なんだ」
「君のやり方が全て間違っているとまでは思わない。だが、このままではいつか取り返しのつかない事になる」
「ご忠告どうも」
「土方君…!」
 会場に戻ろうと思ったがやめた。踵を返して自室へと足を向ける。このままでは伊東に延々と理想論と説教を垂れ流されると思ったからだ。
『あの眼鏡嫌いな感じ?』
『興味ねぇな』
『ふーん』
 興味もないクセにいちいち聞いてくる九尾もウザったい。自室で仕事をする、と告げればつまらなそうにして九尾は消えた。
 
 「御用改めである!」
 攘夷浪士が根城にしていた茶屋に討ち入りが行われた。いつも通りの事であるが、今ここには伊東も参加していた。予定にはなかったのだが伊東のたっての希望により急遽討ち入りに組み込む形となった。
 どちらかといえば政治方面での立ち回りが多く実践経験は少ない。だが一度で作戦を理解する頭も北斗一刀流免許皆伝という腕も持っている。気に触らないと言えば嘘になるが、戦力が多い事には越した事がない。新人と違って予測不能の動きや足手纏いになる事もないと参加する事を了承した。
 討ち入りは滞りなく進み、幹部数人を捕縛する事に成功した。そこまではよかったのだがイレギュラーが発生したとの報告があった。一番奥の部屋で子供が刀を振り回して暴れているのだという。ちょうど近くに居た伊東と共に向かう。
「近寄るな!」
「お兄ちゃあああん!」
 十二、三歳くらいの少年が震えながら刀を持ちその後ろには妹らしい少女が泣きながら座っていた。少年は妹を守る為に闇雲に刀を振り回す。浪士の家族なのだろうが、彼らが直接何かをした訳ではない為隊士達も簡単に手を出す事が出来ないでいた。斬るか、と刀に手をかけるとそれを伊東が制した。
 伊東が少年の前へと歩みを進める。それに怯えた少年は刀を振り回し伊東の肩に刃が当たる。少年は驚いた顔をしたまま固まってしまった。それを見た隊士達が刀を構えたが、止めるように伊東が告げる。
「君は立派な武士だね」
「えっ?」
「妹さんだろう君の後ろに居るのは。妹さんを守ろうとしたんだね」
「…うん」
 伊東は肩に当たったままの刀の刃を優しく持つとゆっくりと外した。少年はその動きにされるがままだ。目線を合わせるように伊東が膝を付く。
「怖い思いをさせてしまってすまない。君達を悪いようにはしないからどうか安心して欲しい」
 優しい声色で告げると少年の顔が瞬く間に歪み大粒の涙がボロボロとこぼれ始めた。
「怖かったね」
 伊東が抱き締めると少年は大きな声で泣いた。

『あの眼鏡、大活躍だったみたいじゃん』
『そうだな』
 腹を擦りながら九尾が言った。今回も大量に魂を食べて満足のようだ。
 伊東の活躍は確かに目を見張る物があった。向かってくる浪士を鮮やかに斬り、幹部を無傷で捕縛する技術。さらに少年と少女を傷付ける事なく保護した事への称賛があちこちから聞こえていた。
『副長さんなら斬ってたでしょ』
『邪魔になるならな』
『だから嫌われるんだって』
『そんなもん知るか』
 嫌われようが知った事ではない。組の邪魔になるなら斬るそれだけである。
『まだ仕事が残ってんだ。邪魔するならテメェも斬る』
『おお、怖い』
 態とらしく震える素振りを見せると九尾は消えた。隊士達に囲まれる伊東を見ながら二本目の煙草に火をつけた。

※※※※※
 
 あの討ち入りの日を境に真選組内の雰囲気は一変した。隊士達の殆どが伊東、伊東と眼鏡を持ち上げるのだ。
 それも当然か。血も涙もない鬼しかいなかった場所に仏のように優しい人間が現れればそちらに傾いてしまう。地位にしても伊東は参謀というポジションではあるが副長と権力は同等である。天秤が傾くのは火を見るよりも明らかだった。
 土方の自室には仕事以外では人が寄り付かないというのに、伊東の自室には人がひっきりなしに訪れている。仕事の報告から書類の書き方、稽古を付けて欲しいという者が朝から晩まで訪れる。それを困った顔をしながらも丁寧に対応するのだから伊東の人気は益々うなぎ登りとなっていった。
 暫くすれば屯所のあちこちから「副長に相応しいのは伊東」という声が上がり、土方への悪口が日常的に横行するようになっていた。
『眼鏡大人気じゃん。それなのにお前の事は悪口ばっかよ?』
『だからどうした』
 気にも止めずに土方は黙々と書類に向かっている。こちらに視線を寄越す事もない。
『かわいそうだから慰めてあげようと思って』
『いらねぇ。邪魔するんなら消えろ』
 いつも通りの土方。本来なら安心する所なのだろうが安心できる訳がない。根っからの悪人でなければ心を痛めて反省なり改心するのだろうが、生憎そういう類いの物は俺が奪ってしまった。だから淡々と土方は冷酷にその道を進んでいく。本当の土方ならきっとこんな風にならずに、伊東と仲良くやれていたかもしれないのに。
 伊東の言った「いつか取り返しのつかない事」が現実になるのではないかと不安で仕方がなかった。

※※※※※

 会議も終わり城の廊下を歩いていると急に呼び止められた。
「君!そう君だ!少し時間をくれないか!?」
 その様子が必死であった為に少しならと了承した。狩衣を着たその男は懐から札を取り出すと何やら呪文を唱えている。
「信じてくれないかもしれないが、君には何か憑いているようなんだ。これがあれば多少は静かになる。肌身離さず持っていてくれ!」
 札を握りしめさせられると男は「また連絡する」と足早に去って行った。名前も何も聞かずにどう連絡するのかと疑問であったが、制服を着ているのだから真選組である事は一目瞭然だ。それも登城しているのだから必然的に幹部クラスとなる。調べれば名前もすぐに分かる事だろう。
 それにしても憑いていると言われた事に驚いた。九尾は会議は退屈だからと登城に着いてくる事はない。あの服装からして陰陽師であろう。その場に九尾が居なくとも分かる物なのだなと感心した。
 札は破いて捨てても良かったのだが、最近何かと九尾が絡んできて煩わしかったのでちょうど良かったかもしれない。これであの良く回る口が塞げる気はしなかったが、多少なりとも静かになるならそれに越した事はない。懐にしまうと長い廊下を再び歩き始めた。

「トシお疲れ様!」
「ただいま近藤さん」
 制服をハンガーに掛けていると近藤さんが入ってきた。
「今日はもう終わりだろ?久しぶりに飲みにでも出たらどうだ?」
「いやまだ書類が」
「それなら伊東先生がやってくれたから大丈夫だ!」
 ガハハハと近藤さんが豪快に笑う。最近は働き詰めであったし、たまには息抜きしてもいいかと考えた。札のおかげなのかいつもなら帰るなり声を掛けてくる筈の九尾も静かだ。
 久しぶりに静かに酒が飲める。札を懐に入れると着流しに着替えて外へと出掛けていった。

 馴染みの店から出ると付けられている気配がした。こうして町で襲われる事はよくある。酒は入っているが遅れを取るつもりはない。いつものように路地裏へと誘い混む。
「そろそろ姿を現したらどうだ」
「やはり気付かれていましたか」
 顔を隠した男達が五人暗がりから姿を見せた。
「たった五人とは舐められたもんだな」
「あなたにはここで死んで貰います」
「その台詞は聞き飽きた」
 鯉口をきり一歩足を踏み出した瞬間だった。ガクリと膝から力が抜ける。突然の身体の変調。酒のせいかと思ったが量は常にセーブしている。例え久しぶりだったとしても、力が抜ける程にまではならない。ならば考えられる事は一つだ。
「どうやら効いてきたようですね」
「…毒か」
「ご名答」
 盛られたとなると可能性はさっきまで居た飲み屋しかない。席から離れる事はなく店主にも変わった様子はなかった。どのタイミングで盛られたのか今の時点では見当が付かない。
 リーダー格であろう男が顔に巻いていた布を剥ぎ取る。その男は飲み屋で新しく入ったという店員だった。
「テメェはさっきの店の…!」
「副長、あなたはここで浪士に襲われ死んだ事になります」
 副長と呼ぶのは真選組の隊士くらいだ。布のせいで顔はわからないが、直感的に五人とも隊士であろうと思った。
「うちにテメェみたいなヤツはいたか…?」
「僕は伊東先生直属なので副長とは初対面です。顔が割れていないおかげで助かりました」
「伊東の差し金か」
「いいえ。これは僕の独断です。副長はあの人にこそ相応しい」
 副長は伊東の方が相応しいという声は耳に入っていた。それを実現する為についに実力行使へと出たようだ。
「安心してください。後の事は伊東先生と僕達がどうにかしますので」
 それを合図に残りの四人も刀を構えた。力の入らない手で刀を構えるが、正直な所自分の身体を支えるのがやっとの程だった。
 四人が一斉に飛びかかってくる。やはり見覚えのある太刀筋だ。自分よりも実力が上の相手には呼吸を合わせて斬りかかれという教えを忠実に守っていた。
 毒が回り不自由な身体では弾き返す事もロクに避ける事も出来ない。辛うじて致命傷だけは避けられたが地に膝を付けてしまった。刀で身体を支えるのが精一杯で立ち上がる事さえままならず、指先一つ動かせそうにない。
「さようなら副長」
 男は笑顔でそう言うと無慈悲に刀が振り下ろされた。

※※※※※

 土方との繋がりが途絶えた。完全にではないが土方の気配が薄らいでいる。
 不安もあったが流石に城の中で流血沙汰にはならないだろうと着いて行かなかったが、どうやら的中してしまったようだ。
 急いで土方の側へと行き話かけるのだが、何かに妨害されているのか声が届かない。屯所に戻り着替えている土方の懐から何やら札が出てきた。間違いなくあの札のせいだ。
 それを今すぐに捨てろ!と叫ぶのだが生憎と届く訳がない。中々に強い陰陽師がいるらしい。こんな事なら根絶やしにしておけばよかったと思った。
 札を置いて行くかと思ったが土方はそれを懐にしまった。そのまま飲み屋へと向かう土方に着いていく。
 飲み屋には怪しい店員が居た。土方に笑顔で接しているが内心は敵意に満ちている。その店員が用意した酒を飲むのを止めさせようとするが、札のせいで干渉できない。毒を盛られた酒を飲む土方をただ見る事しか出来なかった。
 店を出た土方の後を着ける人間が五人。それに気が付いた土方は路地裏へと歩みを進める。そこで土方は俺の目の前でなす術もなく斬られた。干渉できればすぐ解毒できていたというのに。だが、斬られた時に札も一緒に斬られた事で干渉する事が出来るようになったのは皮肉な話だ。
 男達が去ったのを確認して実体化すると土方の口元に耳を寄せる。まだ微かにだが呼吸をしている。しかし、体内に回った毒と出血量を考えればいつ死んでもおかしくはなかった。
 土方の身体を抱えて近くの橋の下へと運んだ。仮にあの男達が戻ってきても直ぐには見付かりはしないだろう。
 身体を横たえると顔は血の気を失い真っ白だ。毒の影響もあってか血も止まってはいない。どんどん命が流れて行く。必死になって妖力を流し込むとやがて血は止まり傷も塞がった。
『おい副長さん。寝てんじゃねぇよ。なぁ起きろよ』
 ペチペチとその頬を叩いてみるも目は開かない。いつもなら「うるせぇ」と返ってくる声も聞こえない。
 ゆっくりと確実に土方の体温が下がっていく。心臓も呼吸も止まってしまった。土方の身体が淡く光出す。魂が身体から抜け天へと登る時の前兆だ。
 傷を治した事はあるが死んだ人間を生き返らせた事はない。果たしてそんな事が可能なのだろうか。しかし、やるしかないのだ。そうしなければ土方は本当に死んでしまう。
 始めはただの餌のようにしか考えていなかった。人間同士勝手に殺しあってくれるから、労力なしで魂は食えるし退屈しのぎにもなった。
 けれど土方は俺を変えてしまった。変わりたくて変わったのではない不可抗力だったが。偶々奪った物が全てを変えてしまった。
 いつしか優しく不器用な愛情を持つこの男から目が離せなくなっていた。理解不能で嫌悪感しか持てなかったこの愛情は大切な物だ。これは自分が本当に求めていた物だったのだ。誰かから愛されたいと願っていたのだ。
 母親と義兄から受けた愛情を土方は大切にしていた。どれだけ辛くともその記憶のおかげで何度も土方は傷付きながらも立ち上がってきた。
 その愛情を土方に返す時が来た。奪われてしまったが為に愛する事が出来なくなってしまった土方に。本当はもっと沢山の人間に愛される筈だった。こんな悲しい結末ではなく、沢山の人間に囲まれてジジイになるまで生きて死ぬ。そんな終わり方をする筈だったのに。
 あんな馬鹿げた契約なんてしなければ、土方はもっと幸せな人生を歩んでいたかもしれない。けれどあの時、契約をしていなければ土方は死んでいた。そして自分も愛を知る事は決してなかった。
 指先へと集中する。妖力を生命力へと変換して土方の身体へと流していく。妖力はたんまりと蓄えているが蘇生するのにどれだけの妖力が必要かは分からない。そもそも蘇生できるかも分からないのだ。最悪の場合、共倒れする。土方も死んで俺も消える。運良く輪廻の輪に入れたなら再会する事もあるだろうがその確率は限りなく低いだろう。
 土方の魂を食う事も考えたがそれは嫌だった。食えばずっと土方と居る事が出来るとも思ったが、そうしてしまうと土方には二度と触れられない。罵りあったり、軽口を叩いたり何も出来ないのだ。そして、叶うならその優しさを愛情を俺に向けて欲しい。
 土方の身体を覆う光は強くなるばかりで一向に心臓が動き出す気配がない。妖力は半分以上使ってしまった。まだ足りないのかと思う反面、世の理をひっくり返すのだから足りなくて当然かとも思う。
『嫌だ嫌だ嫌だ!死なねぇでくれよ…!』
 自分以外の生き物を見下して皆死んでしまえばいいと思っていた。それが今ではたった一人の人間が生き返る事を願っている。死ぬなと願ったのは初めての事だ。何でもするから、何を奪われてもいいから、俺はどうなってもいいから。頼むから土方を助けてくれ!!
 過去に契約を迫った人間の中には誰かの為に契約した者も確かにいた。その時は馬鹿だと嘲笑っていたが、ようやくその気持ちが俺にも分かった。
 蓄えていた妖力が底を尽きた。土方を覆う光は弱くなったがここで止めてしまえば土方は死ぬ。最後に残された方法は自分自身の生命力を土方に分け与えるしかない。
 神なんて信じてはいないが神に祈った。神に見放され妖の身に墜ちたというのに今更神頼みなんて馬鹿げているとしか思えない。それでも、土方が助かるならそれでよかった。
 半分程、生命力を分け与えると土方を覆っていた光が収まってきた。このままいけばきっと土方は生き返る。しかし、これ以上やれば今度は俺の命の方が危うくなる。だが、躊躇いなどありはしなかった。
 トクン、と小さく土方の心臓が動いた。やがてトクン、トクンとゆっくりだが一定のリズムを刻んで動きだす。そうして残りの生命力も全て土方へと流し込んだ。
 心臓の音も呼吸も元に戻った。真っ白だった顔色も少しばかり良くなっている。意識は戻ってはいないが暫くすれば目が覚めるだろう。
 ああ、良かったと胸を撫で下ろす。土方の頬に触れようと手を伸ばせば指先の輪郭がボヤけていた。当たり前だ自分の身体を保てなくなるのは。全ての生命力を土方へと流し込んだのだ。自慢だった尻尾も色素が抜け落ちて真っ白だし毛並みも悪い。土方に目を覚まして欲しいと思う反面、こんな姿を見られなくて良かったとも思う。
 そうこうしていると徐々に身体が崩れていく。残された時間はあと僅かだ。
『土方、俺の名前な…銀時ってんだ。もしまた会えたらそん時は俺の名前呼んでくれ。そして叶うなら俺の事、愛してくれないか…?』
 カランと音を立てて狐の面が落ちた。


 目を開けると辺りは真っ暗であった。川の流れる音が聞こえる。暗闇に目が慣れてくると木目が見えた事からどうやら橋の下に居るらしい。
 確か路地裏で隊士に襲われ斬り合いになった。そして腹に致命傷を受け倒れた筈だ。怪我と盛られた毒で自力でここまで移動する事など出来る訳がない。そうなると誰かがここに運んできたという事になるが、あの場所に隊士と自分以外には人間は居なかった。仮に別の人間がいたとしてもわざわざ橋の下に運んでくるのだろうか。
 ひとまず傷の具合を確かめようと腹を触るがそこに斬られた痕がない。確かに斬られた記憶もあるし、着流しはボロボロになっているので間違いない。なのにそこには固まった血があるばかりだ。そういえば痛みもない。身体を起こすと目の前が暗くなり頭を押さえた。急に身体を起こした事と出血による貧血だろう。暫くジッとしていると頭の痛みが引いた。
 改めて傷痕を確認してみるが小さな擦り傷ひとつない。毒も抜けているようで身体の動きに違和感を感じなかった。あれだけの傷がどうして、と思ったが過去に一度だけ同じ経験がある。
『九尾!おい!九尾!』
 こんな芸当が出来るのは九尾以外にいない。気紛れか何かか。隊士に斬られた惨めな自分を嘲笑う為に生かしたのか。
 しかし、いくら呼んでも九尾は姿を表さない。それどころか気配すら感じない。繋がっているという感覚がないのだ。
「これは…?」
 右側へと視線を落とすとそこには狐の面が落ちていた。いつも九尾が頭に付けていたものの筈だ。それに手を触れると自分の中に一気に色んな物が流れこんでくる。
「ぐあああああっ…!?」
 その情報量と頭の痛みに面から手を離しのたうち回る。
 
 契約を結んだ日の事。
 真選組が出来た日の事。
 ミツバの事。
 九尾が産まれた日の事。
 日々変わって行く九尾の事。
 土方自身の事。

 それらはあまりにも多くて頭が破裂して死んでしまうかと思った。それも暫くするとゆっくりと引いていき自分の中に馴染んでいく。
「なんだこれ…なんだこれは…?俺はこんなの知らねぇぞ…!」
 ボロボロと勝手に涙が溢れて流れていく。止めようにも止まらない。内から内から溢れて止まらない。
 理解が追い付かなくて頭が混乱している。言葉に出来ない感情の行き場がなくて、地面に何度も拳を打ち付け胸をかきむしった。傍らにあった刀に手をかけて腹を切りたくもなった。それでもどうにか血が出る程に口唇を噛み締めて耐えた。死んだからって後悔は消えないし過去は変わらない。
 人間は愚かだ。目先の利益に飛び付いて全てを失う。後悔してからではもう遅いのだ。
 確かにあの時はああしなければ生きられなかった。あの日の選択を後悔してはいない。けれど、その代償の大きさは想像以上に大きかった。
 義兄の事が大好きだった。近藤さんを立派な武士にしてやりたかった。総悟は生意気だがどこか弟のように思っていた。ミツバの事が好きだった。冷たく突き放してしまったけど誰よりも幸せになって欲しかった。真選組が大切で本当は誰も欠けてなど欲しくなかった。誰かが死ぬだけで心が張り裂ける程に痛かった。全てを守れるくらいに強くなりたかった。
 全てが間違いではないとしても、それを自身が赦せるかはまた別の問題だ。副長としての土方十四郎は正しくても、人間としての土方十四郎は自身を赦せる事が出来るのだろうか。
「あの野郎…最期にとんでもねぇもの置いていきやがって…!」
 勝手に奪って、勝手に返して。身勝手に自分を愛して欲しいと言って。
 これから自分はどうするべきなのだろう。ただ分かっている事は自分は生きなければならない。死んで償う事は出来ない。自分が失くした物の為にも、奪ってきた物の為にも。生きる事が自らに課せられた償いだ。

『なぁ、生きてぇ?』

 生きてやるさその最期の瞬間まで。泥にまみれて地面に這いつくばってでも。 
 
 橋の下から出ると音もなく雨が降っていた。雲のない夜空には大きな満月が輝いていた。
 

 
 
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