CONTRACT
幕間
まだただの狐だった頃。銀色の毛と赤い目を持って俺は産まれた。両親や兄弟たちは黄色っぽい色だというのに何故か俺だけが色が違った。産まれたばかりの頃は皆と同じだと思っていたが、大きくなるに連れ俺を見る目が明らかに他と違った。母親は兄弟には優しい目を向けるのに、俺には嫌な物を見るような目で見た。一緒になって遊んでいる兄弟の所に寄っていけば無視をされる。一応は乳や餌を貰う事は出来たが、群がる兄弟に弾かれて僅かしか食べられるいつだって空腹だった。
初めて外に出た日、初めて自分の姿を見た。水溜まりに映った自分は銀色をしていて、目は赤色をしていた。母親の近くでじゃれあっている兄弟とは全く違う。両親にも似ていない。そこでようやく自分が異質であると知った。
巣立ちの日が来て追われるようにして巣穴から旅立った。ロクに狩りの仕方も教えて貰えておらず、どうにか昆虫を食べて飢えを凌ぐ。
他の狐を見掛けて近寄っていけば同じように異質な目で見られた。この毛が見えなければいいのかと思い、泥を被って近寄っても駄目だった。繁殖期になって周りは番を見つけているのに俺は一人。巣立ちで別れた兄弟もそれぞれ番を作っていた。仲睦まじいその姿になぜ俺は一人ぼっちなのかと泣いた。
ある日人里に降りた。そこには食糧が沢山あると聞いたからだ。でも、気を付けないと殺されてしまうとも。
慣れるまでは食糧にありつくのもやっとだったし、鍬やら鎌やら持って追い回される事もあった。この毛の色を見て「化け物」と叫ばれ殺されかけた事もある。けれど慣れてしまえば簡単なもので人間がいない時間も覚えたし、何も知らない子供が勝手に食糧をくれたりした事もあった。
今日も子供から食糧を貰った。すり寄ってみれば「可愛い」と口にする。そうしていたら子供よりも大きな人間がやってきた。大人は俺を見掛けると直ぐに追い払おうとするからさっさと逃げる。これも生きる為の知恵の一つだ。
そうやって人里の村を転々として二年くらいが過ぎた頃。どこにでもあるような小さな村にたどり着いた。
いつものように様子を探ってから食糧を探す。人間のいない時間や死角になる場所をしっかり見極めてから行動する。子供もいるようで上手くすり寄ればお菓子なんかをくれる事を覚えた。お菓子は甘くて美味いか好きだ。三食全部お菓子だっていいくらいだ。
一日ほど様子を見てから食糧を漁り始めた。質も量も良い物ではないが贅沢など言えない。ここの人間は警戒心が緩いのか思ったよりも簡単に食糧にありつくことが出来た。
あまりに簡単すぎていつの間にか警戒するのを怠っていた。意気揚々と食事を楽しんでいたら人間に見付かってしまったのだ。
「神の御使いじゃ!」
俺を見付けた老婆がそう叫んだ。その反応に驚き逃げようとした足がすくんだ。その間に老婆は地面に膝をつき頭を下げて「お狐様」と拝み始めた。その声に気付いた村人達が少しずつ集まり始め、皆一様に「神様」「お狐様」と拝み出すではないか。その様子を見ていると最初に俺を見付けた老婆が顔を上げた。
「お狐様、どうか私達の村に豊穣の恵みをお授けください」
そう口にするとまた深く頭を下げる。それに皆が倣った。こうして俺は一瞬にして神様と崇められるようになったのだ。
神様と崇められるようになって生活は激変した。上等な寝床を与えられ、ただ眠っているだけで食糧が運ばれてくる。狩りに出る必要もないから命の危険もない。三食昼寝付き。大人もよくしてくれるし、子供は遊びに来てくれる。誰も俺を邪険にしなかった。銀色の毛も赤い目も怖がりはしなかった。
初めて受け入れられた気がした。初めて一人ぼっちでなくなった。嬉しくて堪らなかった。こっそりと泣いた。悲しくなくても涙とは出るものらしい。
そうして数ヶ月経ち秋が訪れようとしていた頃。あの老婆に「お狐様お役目にございます」と
言われた。
神様でもなく何の力も持っていないただの狐だが、これまで受けて来た物を考えると何かお返しをしたいと思って頷いた。
「お狐様にしか出来ない事にございます」
今まで食っちゃ寝の生活だったからこうして求められるの初めてだ。俺に出来る事ならなんだってやる、そんな風にさえ思う。
「お狐様には豊穣の為に神様となって頂きます」
老婆は笑顔で言う。贅とはなんだろうか?初めて聞く言葉に首を傾げていると、老婆の後ろから若い男が現れた。手に握られたナタが怪しく光る。
「え?」と思った瞬間にナタが振り下ろされた。反射的に避けたが完全には避けられず、銀色の毛が舞った。状況が理解できずに固まっているとぞろぞろと手に鎌や鋤なんかを持った男達が集まってきていた。
「さあ、その身を捧げてくださいませ!」
老婆が高らかに叫ぶと男達は一斉に得物を振りかぶった。一瞬の隙をついて男達の間を駆け抜ける。だが、数が多くて全ては避けきれない。耳や背中に鈍い痛みが走る。
丸々と太った身体が重い。野山を駆け回る事を辞めてしまった足は遅い。ぜえぜえとすぐに息は上がった。
最初から騙されていたのだ。最初から俺を殺すつもりで、せっせと世話を焼いていた。そして疑いもせずにのうのうと生きて、まんまと罠にはまったのだ。
「どこだ!」「追え!」「いたぞ!」
こんなに人間はいたのかと思う程に至る所から男達が現れる。女子供は家の中に居るのか姿は見えない。
「ぎゃっ!」
右の前足に激痛が走った。鉄製の罠が足に食い込み血が流れる。外そうと暴れれば、鉄製のそれはさらに肉に食い込んだ。
「やっと捕まえたぞ!」
そうこうしている内に男達に追い付かれてしまった。逃げられないと悟って身体が震えた。嫌だ、やめてくれと鳴いても男達は気にする様子はない。
食事を用意してくれた男も頭を撫でてくれた男も毛繕いしてくれた男も皆狂気的に笑っていた。
最初に俺を襲ったナタを持った男がゆっくり近づいてくる。罠に手が伸びて外されるが、逃げようにもガッチリと痛いくらいに身体を捕まれてただ踠く事しか出来ない。
地面に横たえられ身体を抑えられると足を切り落とされた。ボタボタと血を流しながら痛みと恐怖に暴れる。だが、体格のいい大人から逃げられる訳もなく。ましてや足を失ってしまっては走る事も出来ない。
そのまま村の奥にある小さな祠へと連れていかれた。そこには老婆が待ち構えていた。
祠に寝かされるともう動く気力も残っていなかった。ナタが振り上げられて俺の首もとに落ちていく。
人間なんか信じた自分がバカだった。やっと受け入れられたと思っていたのに。結局の所、狐にも人間にも受け入れられなかった。
ただ銀色の毛と赤い目を持って産まれただけだというのに。俺が一体何をしたというのだろうか。
憎くて、憎くて堪らなかった。俺を邪険に扱った家族も俺を騙した人間達も俺を受け入れなかったこの世界も。
赤い目を見開いて人間達をこの世界を睨み付けた。絶対に許してやるものか!!ああ、憎い憎い憎い憎い憎い!!
憎しみに満ちた心に呼応するかのように祠に残っていた思念が俺へと集まってきた。そうかお前達も人間達がこの世界が憎いんだな。じゃあ俺がそれを叶えてやるよ。
再び目が覚めると祠に横たわっていた。切られた足も首も繋がっていて不思議な感覚だった。身体を起こして自分の寝ていた場所を見ると血の跡が残っていた。やはり一度死んで、生き返ったらしい。
そのまま村の中心へと歩いていく。そこは広場のようになっていて大きな火を囲み人間達が踊っていた。周りには収穫された作物が山積みになっている。
実りに恵まれたら宴を開き皆で歌い踊り祝うのだ、と人間が言っていたのを思い出した。俺の死によってもたらされた豊穣。
この宴が今から恐怖に変わるのだと思うと自然と笑みがこぼれた。都合の良いことに俺は人間達には見えていないようだ。すぐ近くに居るというのに誰も俺に気が付かない。
フッと火が消えると途端に真っ暗になり人間達が「なんだ!?」「どうした!?」と声をあげる。そこに「ぎゃあー!!」と悲鳴が混じる。その声にさらに混乱は広がって人間は逃げ惑い悲鳴がどんどん増えていく。男も女も大人も子供も平等に殺した
悲鳴は様々な所から上がってやがて静かになった。一夜にして村が死んで、妖狐という俺が産まれた。
妖狐となった俺は人間を殺すようになった。妖怪の食事は魂だ。何もおかしな事ではない。災害や疫病を流行らせてみたり、妖怪らしく脅かす事もあった。人間が恐怖や苦痛で顔を歪めるのは堪らなく楽しかった。人間だけでなく狐の家族にも復讐してやりたがったが、人間に狩られていたり事故で死んでしまっていた。自分で手にかけられなかったのだけが悔やまれる。
魂を食っている内に尻尾は一本二本と増え、数百年経った今では最高位とされる九本となっていた。妖力も付いたお陰で人に変化する事も出来る。
それだけ生きていると飽きという物が出てくる。災害や疫病は手っ取り早くていいのだが、何度もやっていると単調で詰まらない。脅かすのにも飽きてきた。そこで新しい遊びはないかと頭を捻っていると、旅人らしい男が行き倒れていた。傍に降り立ってみるとまだ微かに息があるようだ。
どうやら男は病気の娘の為に薬を買いに行った途中で野犬に襲われ逃げたが足を滑らし崖から落ちた。どうにか足を引きずりながらも歩いてきたがここで力尽きたようだった。
人間の姿で実体化すると男は驚いた顔をした。突然目の前に人が現れたら誰だって驚くのも無理はないが。
「何でも…する、から…助けてくれ…」
男が着物の裾を縋るように掴んだ。血や泥が付いて顔をしかめる。今、助けなければ確実にこの男は死ぬ。死ぬのを待って魂を頂いてもいいが、新しい遊びを思い付いたので、実験台になってもらうとしよう。
その男に『助ける代わりにお前の大事な物を貰う』と持ち掛けるとすぐに頷いた。傷を治しついでに男の家の近くまで連れていってやると大層喜んだ。男の持ち帰った薬のお陰で娘もすっかり良くなり「ありがとう、ありがとう」と男に感謝された。妻と娘と三人でこれからも幸せに生活出来るのは貴方のお陰だと涙ながらに言われた。
だから翌日、男の大事な妻と娘の魂を食ってやった。布団の中で冷たくなった二人に縋りながら「これはどういう事だ!」と責め立てられた。
『大事な物を貰うと言っただろう』
その言葉にハッとした男はようやく自分の過ちに気が付いた。妖怪と契約しておいてそんな虫のいい話などありはしないのだ。絶望した男は首を吊って死んだ。
これは中々に面白い、と思った。少し面倒な所はあるが人間の絶望を間近で見る事が出来る。人間は嫌いだが暇潰しにはちょうどいい。
それから困っている者や欲望に忠実な者など様々な人間と契約しては弄んだ。ある時は歌の得意な者からはその美声を奪い、貧困に喘ぐ者には盗んだ金を与えて罪人に仕立てた。契約する人間は皆絶望し終いには孤独に死んでいく。
おかしくて堪らない。騙したな!と言うが最初に『大事な物を貰う』と言ったしどんな風に望みが叶うかまで指定された訳ではない。自らの過ちで身を滅ぼしただけである。
次はどんな人間と契約しようかと森の中をフラフラと散歩している時だった。身体をボロボロにした若い男が追われているのを見付けた。出血も酷くこのままでは死ぬ。もしくは追いかけてくる男達に殺されるかのどちらかだろう。
次はコイツにしよう。この男から死の匂いがする。本人自らの死というよりも周りの人間の死を呼び寄せる。今ここで死なせるよりも生かしておいた方がきっと面白い事になる。
地に伏した男の前に立つ。まだかろうじて息はあるが確実に死に近づいている。
『死んじまうの?なぁ、人間』
声は出ないようだが目はまだ死んでいない。睨み付けてくるその目はまだ諦めてなどいない。その男に「生きたいか」と持ちかければ「生きたい」と願った。人間は相変わらず馬鹿だと内心笑った。目先の利益に簡単に飛び付いて全てを失うのだから。死んでおいた方が良かったと後悔する程の生地獄であるかもしれないのに。
契約が成立するとサービスで傷も治してやる。消費した妖力は男を追ってきた人間たちで回復させた。
さてこの男―――土方はどんな絶望を見せてくれるのだろうか。
土方と契約を結び一月が過ぎたが変化はなかった。自分でも正直この男から何を奪ったのかをよく分からないでいる。
顔が美しい女からは美貌を奪い、大ぐらいの男からは味覚を奪った。今までは分かりやすく変化が見られ絶望する姿を見てきたというのに土方からはそれが見られない。
毎日、ボロい道場で朝から晩まで竹刀を振る。ただそれだけである。正直、拍子抜けだし詰まらない。契約した日に会った女かと思ったが、病弱ではあるようだが普通に過ごしている。
ただ一つ変わった事があったとすれば夢を見た。俺は人間の子供の姿をしていて、大人の男と手を繋いで歩いている。俺はその男を兄と呼んでいた。兄と呼ばれた男に遊んだり頭を撫でられたりした。迷子になった時には「心配したんだぞ」と強く抱き締められた。
この子供も騙されているに違いないと思った。可哀想にこの子供は兄に騙されて最後に冷たく突き放されるのだ。だが、一向にそんな事はなくただひたすらに不思議な感情を子供に向けてくる。
その感情は知らない。気持ちが悪い。なんなんだこれは。やめろ。俺自身は嫌悪感ばかりが募るのに、子供は嬉しいと感じている。フワフワとした形容しがたい感情を抱いている。その感情を兄に向け、また兄も同様の感情を抱いているようだった。
その夢は子供が血に濡れた小刀を握っている所で唐突に終わった。
夢を見てからというもの俺の中に知らない俺がいる感覚がして気持ちが悪い。追い出そうにもそれも俺だから追い出す事も出来ない。封じ込めようとしても、気がつけば沸き上がっている。
江戸に旅立つ事が決まった日、病弱な女―――ミツバに土方は呼び出された。「側にいたい」と願うミツバを冷たく突っぱねた土方に大事な物はやはりこの女ではないのだと思った。
『どうか幸せに』
今の声は誰の物だ。周りを伺っても俺と土方とミツバ以外には居ない。
『血に塗れた道を行く俺はお前を幸せに出来ない。けれど、どうか幸せになる事を願わせてくれ』
それは内から聞こえてくる声だった。俺の知らない俺がそう言っている。すぐにでも追い出さなければならない。これはよくない物だ。
けれど追い出す事も封じ込める事も出来ない所か、それは益々存在感を増していく。これは、これは一体なんなのだ…?
土方が真選組と呼ばれる警察組織になると俺の思っていた通り死の匂いが濃くなった。攘夷浪士と呼ばれる人間を取り締まる為に斬り合いが日常になった。外を歩くだけで襲われる。何もしなくても死が向こうからやってきて、人間の多い江戸では魂は食い放題だ。
田舎と違って娯楽も多く飽きない。中でもジャンプという漫画雑誌は面白かった。暇な日にはジャンプを読み、討ち入りがあれば魂を食う。そんな風に過ごしていた。
しかし、問題が解決した訳ではなかった。それどころか深刻化している。
ある討ち入りで組側にも多くの犠牲が出た。腹いっぱいになる程に魂を食った。土方と契約する前であれば満足してそれで終わりであったのに。
土方は今や血も涙もない鬼だと組からも浪士からも恐れられている。その日も冷酷に浪士を切り捨て、隊士達の失われた命を何とも思わないでいた。浪士も隊士も恐ろしい物でも見るように土方を見ていた。
『あの時、間に合っていれば』
『もっと情報の精度を上げていれば』
『アイツにはガキが出来たばかりだっていうのに』
内の声は悲しんで叫んでいた。自分の無力さを嘆いていた。
俺の知らない俺は土方の声だった。本当の土方は、誰よりも傷付きやすく誰よりも優しい男だった。
皆が冷たい目で土方を見る。皆が土方は冷酷な鬼だと言う。その度に俺はそれは違うと叫びたかった。
あの日、土方から奪った物は俺の中にゆっくりと根付いて俺の一部になっていた。それを認めてしまえばもう追い出す事も封じ込める事も考えなくなった。ただ、未だにこの感情が何かが分からないでいる。
土方の田舎からミツバが上京してきた。屯所に現れた女を見た瞬間に尻尾が逆毛を立てる。この女はマズイ。心がざわめく。出来るならこの女と関わりたくないというのに、ミツバはどこか熱の籠った視線を土方へと向ける。周りが冷たい視線を送る中、ミツバだけが違う感情を持っている。そんなミツバを無視した土方にツキリと胸が少し痛んだ。
土方の追っている転海屋の蔵場は攘夷浪士に武器を卸している事が分かっていた。蔵場はミツバの婚約者でもある。
俺の中の土方はミツバと弟である総悟の身を案じた。ミツバには幸せになって欲しいが蔵場は斬らねばならない相手である。総悟は身内に攘夷浪士がいるとなれば立場を危うくする。
そこで土方の頭の中を探った。あまり派手にやると気付かれてしまうので慎重に。多くの隊士を動員するつもりでいたようだ。その頭の中に描かれている作戦内容を少しだけ弄った。身内に攘夷浪士がいると分かれば隊内の士気にかかわる為に、極秘扱いにした方がいいとした。本当は土方の単独行動が理想であったがそれでは、普段の土方と欠け離れてしまい不審に思われるかもしれない。土方にも他の隊士にも気付かれぬよう至って自然であるように仕向ける。
それは上手くいき、作戦は土方を含む少数精鋭になった。後は土方の実力であれば問題はないとそう踏んでいた。どうにも嫌な予感がして念には念をと、隊士に化けて病院にいる真選組に援軍を頼んでおいた。
土方の元に戻ってみると情報に相違があったのか想定よりも敵の数が多かった。徐々に土方は押されていく。逃走経路を抑えていた隊士もかなり不利であった。
いつしか囲まれ追っていた蔵場に見下ろされる形になっている。蔵場はコンテナの上からご高説を垂れ流している。
『惚れた女には幸せになって欲しいだけだ』
それを聞いた俺の中の土方は真っ直ぐにそう言った。
ボロボロになっていく土方を助けたい。自分が直接手を貸せば簡単であるが土方には不審がられる。今まで手など貸した事がないのに何故だと問われると何と答えていいか分からない。
あくまで利害の一致。お互いに干渉しない。お前には興味がないという関係のままでいなければ。もし手を貸すなどしてこの関係が変わってしまう事が怖かった。
援軍によって土方を窮地から救う事に成功した。ホッと胸を撫で下ろす。尚も蔵場を追う土方に車に乗り込むのを見たと場所を教えれば駆け出していた。
車の上に飛び乗った土方を振り落とそうと、助手席の窓から身を乗り出した男を気絶させる。妖力でスピードを落としてやり『サービスだ』と言ってやった。
病院で手当てを受けた土方は運転手の隊士を連れて一人屯所へと戻った。俺は女の魂を食うから残ると言えば一言『そうか』と言っただけであった。
総悟に見守られながらミツバはその生を終えた。暫くするとミツバの身体から魂が抜けていく。それは今まで見た魂よりも美しく輝いていた。食えば絶対に美味い。自然と喉が鳴った。食いたい、だが俺の中の土方は静かに泣いている。
衝動を抑える為に拳を握り歯を食い縛った。やがて魂はゆっくりと天へと登っていく。
『私はとても幸せですよ』
そんな声が聞こえた気がした。
俺はもう根付いてしまった物を止める事が出来なくなってしまった。あの女に関わってはならないと本能が訴えていたのに抗えなかった。
分かってしまった。知ってしまった。気が付いてしまった。これが何なのか。土方から何を奪ったのか。
いつしか土方自身へもこの感情を向けていた。本当は優しく不器用なこの男を放っておけないと思ってしまっている。そして俺自身も向けられたいと思っている。
苦しくて、辛くて、嫌だと思う事も多いのに暖かいこの感情を止める術を持っていない。
形容しがたいこの感情を人間達は愛と呼ぶらしい。
まだただの狐だった頃。銀色の毛と赤い目を持って俺は産まれた。両親や兄弟たちは黄色っぽい色だというのに何故か俺だけが色が違った。産まれたばかりの頃は皆と同じだと思っていたが、大きくなるに連れ俺を見る目が明らかに他と違った。母親は兄弟には優しい目を向けるのに、俺には嫌な物を見るような目で見た。一緒になって遊んでいる兄弟の所に寄っていけば無視をされる。一応は乳や餌を貰う事は出来たが、群がる兄弟に弾かれて僅かしか食べられるいつだって空腹だった。
初めて外に出た日、初めて自分の姿を見た。水溜まりに映った自分は銀色をしていて、目は赤色をしていた。母親の近くでじゃれあっている兄弟とは全く違う。両親にも似ていない。そこでようやく自分が異質であると知った。
巣立ちの日が来て追われるようにして巣穴から旅立った。ロクに狩りの仕方も教えて貰えておらず、どうにか昆虫を食べて飢えを凌ぐ。
他の狐を見掛けて近寄っていけば同じように異質な目で見られた。この毛が見えなければいいのかと思い、泥を被って近寄っても駄目だった。繁殖期になって周りは番を見つけているのに俺は一人。巣立ちで別れた兄弟もそれぞれ番を作っていた。仲睦まじいその姿になぜ俺は一人ぼっちなのかと泣いた。
ある日人里に降りた。そこには食糧が沢山あると聞いたからだ。でも、気を付けないと殺されてしまうとも。
慣れるまでは食糧にありつくのもやっとだったし、鍬やら鎌やら持って追い回される事もあった。この毛の色を見て「化け物」と叫ばれ殺されかけた事もある。けれど慣れてしまえば簡単なもので人間がいない時間も覚えたし、何も知らない子供が勝手に食糧をくれたりした事もあった。
今日も子供から食糧を貰った。すり寄ってみれば「可愛い」と口にする。そうしていたら子供よりも大きな人間がやってきた。大人は俺を見掛けると直ぐに追い払おうとするからさっさと逃げる。これも生きる為の知恵の一つだ。
そうやって人里の村を転々として二年くらいが過ぎた頃。どこにでもあるような小さな村にたどり着いた。
いつものように様子を探ってから食糧を探す。人間のいない時間や死角になる場所をしっかり見極めてから行動する。子供もいるようで上手くすり寄ればお菓子なんかをくれる事を覚えた。お菓子は甘くて美味いか好きだ。三食全部お菓子だっていいくらいだ。
一日ほど様子を見てから食糧を漁り始めた。質も量も良い物ではないが贅沢など言えない。ここの人間は警戒心が緩いのか思ったよりも簡単に食糧にありつくことが出来た。
あまりに簡単すぎていつの間にか警戒するのを怠っていた。意気揚々と食事を楽しんでいたら人間に見付かってしまったのだ。
「神の御使いじゃ!」
俺を見付けた老婆がそう叫んだ。その反応に驚き逃げようとした足がすくんだ。その間に老婆は地面に膝をつき頭を下げて「お狐様」と拝み始めた。その声に気付いた村人達が少しずつ集まり始め、皆一様に「神様」「お狐様」と拝み出すではないか。その様子を見ていると最初に俺を見付けた老婆が顔を上げた。
「お狐様、どうか私達の村に豊穣の恵みをお授けください」
そう口にするとまた深く頭を下げる。それに皆が倣った。こうして俺は一瞬にして神様と崇められるようになったのだ。
神様と崇められるようになって生活は激変した。上等な寝床を与えられ、ただ眠っているだけで食糧が運ばれてくる。狩りに出る必要もないから命の危険もない。三食昼寝付き。大人もよくしてくれるし、子供は遊びに来てくれる。誰も俺を邪険にしなかった。銀色の毛も赤い目も怖がりはしなかった。
初めて受け入れられた気がした。初めて一人ぼっちでなくなった。嬉しくて堪らなかった。こっそりと泣いた。悲しくなくても涙とは出るものらしい。
そうして数ヶ月経ち秋が訪れようとしていた頃。あの老婆に「お狐様お役目にございます」と
言われた。
神様でもなく何の力も持っていないただの狐だが、これまで受けて来た物を考えると何かお返しをしたいと思って頷いた。
「お狐様にしか出来ない事にございます」
今まで食っちゃ寝の生活だったからこうして求められるの初めてだ。俺に出来る事ならなんだってやる、そんな風にさえ思う。
「お狐様には豊穣の為に神様となって頂きます」
老婆は笑顔で言う。贅とはなんだろうか?初めて聞く言葉に首を傾げていると、老婆の後ろから若い男が現れた。手に握られたナタが怪しく光る。
「え?」と思った瞬間にナタが振り下ろされた。反射的に避けたが完全には避けられず、銀色の毛が舞った。状況が理解できずに固まっているとぞろぞろと手に鎌や鋤なんかを持った男達が集まってきていた。
「さあ、その身を捧げてくださいませ!」
老婆が高らかに叫ぶと男達は一斉に得物を振りかぶった。一瞬の隙をついて男達の間を駆け抜ける。だが、数が多くて全ては避けきれない。耳や背中に鈍い痛みが走る。
丸々と太った身体が重い。野山を駆け回る事を辞めてしまった足は遅い。ぜえぜえとすぐに息は上がった。
最初から騙されていたのだ。最初から俺を殺すつもりで、せっせと世話を焼いていた。そして疑いもせずにのうのうと生きて、まんまと罠にはまったのだ。
「どこだ!」「追え!」「いたぞ!」
こんなに人間はいたのかと思う程に至る所から男達が現れる。女子供は家の中に居るのか姿は見えない。
「ぎゃっ!」
右の前足に激痛が走った。鉄製の罠が足に食い込み血が流れる。外そうと暴れれば、鉄製のそれはさらに肉に食い込んだ。
「やっと捕まえたぞ!」
そうこうしている内に男達に追い付かれてしまった。逃げられないと悟って身体が震えた。嫌だ、やめてくれと鳴いても男達は気にする様子はない。
食事を用意してくれた男も頭を撫でてくれた男も毛繕いしてくれた男も皆狂気的に笑っていた。
最初に俺を襲ったナタを持った男がゆっくり近づいてくる。罠に手が伸びて外されるが、逃げようにもガッチリと痛いくらいに身体を捕まれてただ踠く事しか出来ない。
地面に横たえられ身体を抑えられると足を切り落とされた。ボタボタと血を流しながら痛みと恐怖に暴れる。だが、体格のいい大人から逃げられる訳もなく。ましてや足を失ってしまっては走る事も出来ない。
そのまま村の奥にある小さな祠へと連れていかれた。そこには老婆が待ち構えていた。
祠に寝かされるともう動く気力も残っていなかった。ナタが振り上げられて俺の首もとに落ちていく。
人間なんか信じた自分がバカだった。やっと受け入れられたと思っていたのに。結局の所、狐にも人間にも受け入れられなかった。
ただ銀色の毛と赤い目を持って産まれただけだというのに。俺が一体何をしたというのだろうか。
憎くて、憎くて堪らなかった。俺を邪険に扱った家族も俺を騙した人間達も俺を受け入れなかったこの世界も。
赤い目を見開いて人間達をこの世界を睨み付けた。絶対に許してやるものか!!ああ、憎い憎い憎い憎い憎い!!
憎しみに満ちた心に呼応するかのように祠に残っていた思念が俺へと集まってきた。そうかお前達も人間達がこの世界が憎いんだな。じゃあ俺がそれを叶えてやるよ。
再び目が覚めると祠に横たわっていた。切られた足も首も繋がっていて不思議な感覚だった。身体を起こして自分の寝ていた場所を見ると血の跡が残っていた。やはり一度死んで、生き返ったらしい。
そのまま村の中心へと歩いていく。そこは広場のようになっていて大きな火を囲み人間達が踊っていた。周りには収穫された作物が山積みになっている。
実りに恵まれたら宴を開き皆で歌い踊り祝うのだ、と人間が言っていたのを思い出した。俺の死によってもたらされた豊穣。
この宴が今から恐怖に変わるのだと思うと自然と笑みがこぼれた。都合の良いことに俺は人間達には見えていないようだ。すぐ近くに居るというのに誰も俺に気が付かない。
フッと火が消えると途端に真っ暗になり人間達が「なんだ!?」「どうした!?」と声をあげる。そこに「ぎゃあー!!」と悲鳴が混じる。その声にさらに混乱は広がって人間は逃げ惑い悲鳴がどんどん増えていく。男も女も大人も子供も平等に殺した
悲鳴は様々な所から上がってやがて静かになった。一夜にして村が死んで、妖狐という俺が産まれた。
妖狐となった俺は人間を殺すようになった。妖怪の食事は魂だ。何もおかしな事ではない。災害や疫病を流行らせてみたり、妖怪らしく脅かす事もあった。人間が恐怖や苦痛で顔を歪めるのは堪らなく楽しかった。人間だけでなく狐の家族にも復讐してやりたがったが、人間に狩られていたり事故で死んでしまっていた。自分で手にかけられなかったのだけが悔やまれる。
魂を食っている内に尻尾は一本二本と増え、数百年経った今では最高位とされる九本となっていた。妖力も付いたお陰で人に変化する事も出来る。
それだけ生きていると飽きという物が出てくる。災害や疫病は手っ取り早くていいのだが、何度もやっていると単調で詰まらない。脅かすのにも飽きてきた。そこで新しい遊びはないかと頭を捻っていると、旅人らしい男が行き倒れていた。傍に降り立ってみるとまだ微かに息があるようだ。
どうやら男は病気の娘の為に薬を買いに行った途中で野犬に襲われ逃げたが足を滑らし崖から落ちた。どうにか足を引きずりながらも歩いてきたがここで力尽きたようだった。
人間の姿で実体化すると男は驚いた顔をした。突然目の前に人が現れたら誰だって驚くのも無理はないが。
「何でも…する、から…助けてくれ…」
男が着物の裾を縋るように掴んだ。血や泥が付いて顔をしかめる。今、助けなければ確実にこの男は死ぬ。死ぬのを待って魂を頂いてもいいが、新しい遊びを思い付いたので、実験台になってもらうとしよう。
その男に『助ける代わりにお前の大事な物を貰う』と持ち掛けるとすぐに頷いた。傷を治しついでに男の家の近くまで連れていってやると大層喜んだ。男の持ち帰った薬のお陰で娘もすっかり良くなり「ありがとう、ありがとう」と男に感謝された。妻と娘と三人でこれからも幸せに生活出来るのは貴方のお陰だと涙ながらに言われた。
だから翌日、男の大事な妻と娘の魂を食ってやった。布団の中で冷たくなった二人に縋りながら「これはどういう事だ!」と責め立てられた。
『大事な物を貰うと言っただろう』
その言葉にハッとした男はようやく自分の過ちに気が付いた。妖怪と契約しておいてそんな虫のいい話などありはしないのだ。絶望した男は首を吊って死んだ。
これは中々に面白い、と思った。少し面倒な所はあるが人間の絶望を間近で見る事が出来る。人間は嫌いだが暇潰しにはちょうどいい。
それから困っている者や欲望に忠実な者など様々な人間と契約しては弄んだ。ある時は歌の得意な者からはその美声を奪い、貧困に喘ぐ者には盗んだ金を与えて罪人に仕立てた。契約する人間は皆絶望し終いには孤独に死んでいく。
おかしくて堪らない。騙したな!と言うが最初に『大事な物を貰う』と言ったしどんな風に望みが叶うかまで指定された訳ではない。自らの過ちで身を滅ぼしただけである。
次はどんな人間と契約しようかと森の中をフラフラと散歩している時だった。身体をボロボロにした若い男が追われているのを見付けた。出血も酷くこのままでは死ぬ。もしくは追いかけてくる男達に殺されるかのどちらかだろう。
次はコイツにしよう。この男から死の匂いがする。本人自らの死というよりも周りの人間の死を呼び寄せる。今ここで死なせるよりも生かしておいた方がきっと面白い事になる。
地に伏した男の前に立つ。まだかろうじて息はあるが確実に死に近づいている。
『死んじまうの?なぁ、人間』
声は出ないようだが目はまだ死んでいない。睨み付けてくるその目はまだ諦めてなどいない。その男に「生きたいか」と持ちかければ「生きたい」と願った。人間は相変わらず馬鹿だと内心笑った。目先の利益に簡単に飛び付いて全てを失うのだから。死んでおいた方が良かったと後悔する程の生地獄であるかもしれないのに。
契約が成立するとサービスで傷も治してやる。消費した妖力は男を追ってきた人間たちで回復させた。
さてこの男―――土方はどんな絶望を見せてくれるのだろうか。
土方と契約を結び一月が過ぎたが変化はなかった。自分でも正直この男から何を奪ったのかをよく分からないでいる。
顔が美しい女からは美貌を奪い、大ぐらいの男からは味覚を奪った。今までは分かりやすく変化が見られ絶望する姿を見てきたというのに土方からはそれが見られない。
毎日、ボロい道場で朝から晩まで竹刀を振る。ただそれだけである。正直、拍子抜けだし詰まらない。契約した日に会った女かと思ったが、病弱ではあるようだが普通に過ごしている。
ただ一つ変わった事があったとすれば夢を見た。俺は人間の子供の姿をしていて、大人の男と手を繋いで歩いている。俺はその男を兄と呼んでいた。兄と呼ばれた男に遊んだり頭を撫でられたりした。迷子になった時には「心配したんだぞ」と強く抱き締められた。
この子供も騙されているに違いないと思った。可哀想にこの子供は兄に騙されて最後に冷たく突き放されるのだ。だが、一向にそんな事はなくただひたすらに不思議な感情を子供に向けてくる。
その感情は知らない。気持ちが悪い。なんなんだこれは。やめろ。俺自身は嫌悪感ばかりが募るのに、子供は嬉しいと感じている。フワフワとした形容しがたい感情を抱いている。その感情を兄に向け、また兄も同様の感情を抱いているようだった。
その夢は子供が血に濡れた小刀を握っている所で唐突に終わった。
夢を見てからというもの俺の中に知らない俺がいる感覚がして気持ちが悪い。追い出そうにもそれも俺だから追い出す事も出来ない。封じ込めようとしても、気がつけば沸き上がっている。
江戸に旅立つ事が決まった日、病弱な女―――ミツバに土方は呼び出された。「側にいたい」と願うミツバを冷たく突っぱねた土方に大事な物はやはりこの女ではないのだと思った。
『どうか幸せに』
今の声は誰の物だ。周りを伺っても俺と土方とミツバ以外には居ない。
『血に塗れた道を行く俺はお前を幸せに出来ない。けれど、どうか幸せになる事を願わせてくれ』
それは内から聞こえてくる声だった。俺の知らない俺がそう言っている。すぐにでも追い出さなければならない。これはよくない物だ。
けれど追い出す事も封じ込める事も出来ない所か、それは益々存在感を増していく。これは、これは一体なんなのだ…?
土方が真選組と呼ばれる警察組織になると俺の思っていた通り死の匂いが濃くなった。攘夷浪士と呼ばれる人間を取り締まる為に斬り合いが日常になった。外を歩くだけで襲われる。何もしなくても死が向こうからやってきて、人間の多い江戸では魂は食い放題だ。
田舎と違って娯楽も多く飽きない。中でもジャンプという漫画雑誌は面白かった。暇な日にはジャンプを読み、討ち入りがあれば魂を食う。そんな風に過ごしていた。
しかし、問題が解決した訳ではなかった。それどころか深刻化している。
ある討ち入りで組側にも多くの犠牲が出た。腹いっぱいになる程に魂を食った。土方と契約する前であれば満足してそれで終わりであったのに。
土方は今や血も涙もない鬼だと組からも浪士からも恐れられている。その日も冷酷に浪士を切り捨て、隊士達の失われた命を何とも思わないでいた。浪士も隊士も恐ろしい物でも見るように土方を見ていた。
『あの時、間に合っていれば』
『もっと情報の精度を上げていれば』
『アイツにはガキが出来たばかりだっていうのに』
内の声は悲しんで叫んでいた。自分の無力さを嘆いていた。
俺の知らない俺は土方の声だった。本当の土方は、誰よりも傷付きやすく誰よりも優しい男だった。
皆が冷たい目で土方を見る。皆が土方は冷酷な鬼だと言う。その度に俺はそれは違うと叫びたかった。
あの日、土方から奪った物は俺の中にゆっくりと根付いて俺の一部になっていた。それを認めてしまえばもう追い出す事も封じ込める事も考えなくなった。ただ、未だにこの感情が何かが分からないでいる。
土方の田舎からミツバが上京してきた。屯所に現れた女を見た瞬間に尻尾が逆毛を立てる。この女はマズイ。心がざわめく。出来るならこの女と関わりたくないというのに、ミツバはどこか熱の籠った視線を土方へと向ける。周りが冷たい視線を送る中、ミツバだけが違う感情を持っている。そんなミツバを無視した土方にツキリと胸が少し痛んだ。
土方の追っている転海屋の蔵場は攘夷浪士に武器を卸している事が分かっていた。蔵場はミツバの婚約者でもある。
俺の中の土方はミツバと弟である総悟の身を案じた。ミツバには幸せになって欲しいが蔵場は斬らねばならない相手である。総悟は身内に攘夷浪士がいるとなれば立場を危うくする。
そこで土方の頭の中を探った。あまり派手にやると気付かれてしまうので慎重に。多くの隊士を動員するつもりでいたようだ。その頭の中に描かれている作戦内容を少しだけ弄った。身内に攘夷浪士がいると分かれば隊内の士気にかかわる為に、極秘扱いにした方がいいとした。本当は土方の単独行動が理想であったがそれでは、普段の土方と欠け離れてしまい不審に思われるかもしれない。土方にも他の隊士にも気付かれぬよう至って自然であるように仕向ける。
それは上手くいき、作戦は土方を含む少数精鋭になった。後は土方の実力であれば問題はないとそう踏んでいた。どうにも嫌な予感がして念には念をと、隊士に化けて病院にいる真選組に援軍を頼んでおいた。
土方の元に戻ってみると情報に相違があったのか想定よりも敵の数が多かった。徐々に土方は押されていく。逃走経路を抑えていた隊士もかなり不利であった。
いつしか囲まれ追っていた蔵場に見下ろされる形になっている。蔵場はコンテナの上からご高説を垂れ流している。
『惚れた女には幸せになって欲しいだけだ』
それを聞いた俺の中の土方は真っ直ぐにそう言った。
ボロボロになっていく土方を助けたい。自分が直接手を貸せば簡単であるが土方には不審がられる。今まで手など貸した事がないのに何故だと問われると何と答えていいか分からない。
あくまで利害の一致。お互いに干渉しない。お前には興味がないという関係のままでいなければ。もし手を貸すなどしてこの関係が変わってしまう事が怖かった。
援軍によって土方を窮地から救う事に成功した。ホッと胸を撫で下ろす。尚も蔵場を追う土方に車に乗り込むのを見たと場所を教えれば駆け出していた。
車の上に飛び乗った土方を振り落とそうと、助手席の窓から身を乗り出した男を気絶させる。妖力でスピードを落としてやり『サービスだ』と言ってやった。
病院で手当てを受けた土方は運転手の隊士を連れて一人屯所へと戻った。俺は女の魂を食うから残ると言えば一言『そうか』と言っただけであった。
総悟に見守られながらミツバはその生を終えた。暫くするとミツバの身体から魂が抜けていく。それは今まで見た魂よりも美しく輝いていた。食えば絶対に美味い。自然と喉が鳴った。食いたい、だが俺の中の土方は静かに泣いている。
衝動を抑える為に拳を握り歯を食い縛った。やがて魂はゆっくりと天へと登っていく。
『私はとても幸せですよ』
そんな声が聞こえた気がした。
俺はもう根付いてしまった物を止める事が出来なくなってしまった。あの女に関わってはならないと本能が訴えていたのに抗えなかった。
分かってしまった。知ってしまった。気が付いてしまった。これが何なのか。土方から何を奪ったのか。
いつしか土方自身へもこの感情を向けていた。本当は優しく不器用なこの男を放っておけないと思ってしまっている。そして俺自身も向けられたいと思っている。
苦しくて、辛くて、嫌だと思う事も多いのに暖かいこの感情を止める術を持っていない。
形容しがたいこの感情を人間達は愛と呼ぶらしい。
