CONTRACT



「御用改めである!」
 号令と共に隊士たちが切り込んでいく。屋敷の奥からは同じように攘夷浪士たちが向かってきた。 
 上から振り上げられた刀を難なく躱し、一太刀を浴びせると断末魔を上げてすぐに動かなくなった。そしてまた襲ってくる刀を避けては切り返す。人数だけの烏合の衆。単調な動きに欠伸が出そうだったが、斬り合いの場で油断は命取りだ。確実に仕留めていけばものの数十分程で立っているのは真選組の隊士だけになっていた。
「おい、総悟。ちゃんと一人、二人は生かしてんだろうな?」
「へいへい。言われなくても残してまさぁ」
 ダルそうに視線を送った先に捕縛された浪士が二人。隊士に脇を固められて奥から連れてこられていた。身体には大した怪我はなさそうだが、顔が腫れ上がっている。あれでは聴取がまともに出来るかどうか微妙な所だ。
「喋れなきゃ意味ねぇんだよ」
「歯が二、三本折れたぐらいでさぁ。すぐ吐きますって」
 そういう事ではないのだがと思ったが言っても無駄な事は分かっている。討ち入りが終わりすっかりやる気をなくした総悟は帰りたいオーラを放っていた。
 やる気のない総悟に先に帰るように指示を出し近藤さんに報告するように言う。帰りたいと我儘を言われ下手に暴れられても邪魔になるだけであるし、証拠をバズーカで破壊されたとなれば洒落にならない。そもそも、一番隊は血気盛んなヤツらの集まりだ。後片付けや証拠探しには向かない者が多い。残っている者にも指示を出し終えると一服するために屋敷の庭へと降り立った。
『今日も派手にやったねー副長サン』
 煙草に火を付けた所で目の前に九尾が現れた。だが、それを気にする者は誰もいない。実体化しない限り姿は土方にしか見えないし声も聞こえない。会話は直接頭の中でしている。現に土方の後ろを通った隊士は普通に通りすぎていった。
 あの日瀕死の土方に契約を迫った男は自分の名前を教える事はなかった。さして興味もなかったが、呼び名がないのは面倒だ。好きに呼べと言われたので、九尾や化け狐と呼ぶようにしている。
『いつもの事だろうが』
『同族同士で殺し合いなんて人間のする事は怖いねぇ』
 口では怖いと言っておきながら、実際はケラケラと笑っている。久しぶりに大量の魂を食えたおかげか九尾は上機嫌だ。
 妖怪は人の魂を食らうと聞いていたがそれは本当であったようで、契約後に人を斬った時丸い光のような物体が九尾の中に消えて行くのを見た。初めて見た時には流石に動揺したが、今ではすっかり慣れてしまっている。人間だって動物の命を貰って生きているのだから大した違いはない。ただ『今日は不味かった』『量が足りない』など文句を言ってくるのだけは面倒臭い。
 なぜ自分を助けたのかと問えば気紛れだと答えた。本当は魂を食おうと思っていたが、土方から「死」の匂いがしたから助けた方が後々得だと思ったのだと。この人間に憑いていれば勝手に「死」がやってくる。そうすれば俺は食うものに困らないし、お前は傷を負っても俺が特別に治してやるからまた人を殺せて一石二鳥ってやつだろ?と笑いながら言った。
 それを聞いて確かにそうだなと自嘲気味に笑った。土方家に引き取られたものの、疎まれて最後には鬼だ、人殺しだと言われて家を飛び出した。今では鬼の副長なんて呼ばれ、浪士を殺しているのだから間違いではなかった。毎日のように誰かの「死」が付きまとい九尾の言った通りにもなった。
「副長」
 背後から声をかけられ振り返る。そこには地味ながらも有能な監察が立っていた。
「山崎、首尾はどうだ」
「はい。証拠も順調に集まってます。このままいけば他の繋がりも叩けるでしょう」
「それとあの件はどうなった?」
「ええ、すでに証拠は掴んでいます」
「そうか。後は俺がやる」
 一礼して山崎が屋敷の奥へと消える。そろそろ自分も戻るかと煙草の火を消した。懐から携帯灰皿を取り出し中に入れる。以前、ポイ捨てして証拠と間違えるからやめろと口煩く言われて以来、面倒だが持ち歩くようになった。
『終わったなら俺は一眠りするぜ』
『好きにしろ』
『へいへい』
 欠伸をすると九尾が姿を消した。全くいい身分である。こちらは汗水垂らして働いているというのに、食っては寝て食っては寝ての生活。妖怪に人間と同じ用に働けと言っても無駄ではあるが。
「副長!!」
 別の隊士が血相を変えて走ってきた。
「どうした」
「女が…暴れて…!」
 その隊士の後ろを付いて走る。屋敷の一番奥の部屋で、隊士数人に女が囲まれていた。女は何事かをヒステリックに叫びながら、短刀を振り回している。部屋の隅には肩を斬られた隊士がいた。傷は浅いようだが顔色が悪い。毒が塗られている可能性がある。部屋の調査をしていた所、隠し部屋を見つけたのだがその中から女が飛び出してきた、という事だ。
 浪士と関係はしているが、浪士という訳ではない。何とか無傷で確保したいがむやみやたらに短刀を振り回す為に中々取り押さえられないでいるという状況だ。
 不意に女と目が合った。涙と鼻水で化粧は崩れぐちゃぐちゃになっている。
「夫の仇…!!」
 女は目を見開くと短刀を構え突進してくる。誰かが小さく声を上げた。それを右に避けがら空きになった背中を袈裟に斬ると、女は声を上げやがて動かなくなった。
 あんなに煩かった場が一気に静まりかえる。無言の隊士ともう口を開く事のできない女。
「片付けとけ」
「は、はい…」
 誰も動こうとしないので仕方なく指示を出す。隊士の目が「何もそこまでしなくても」と訴えてくる。だが、こちらに危害を加えようとした時点で浪士と同じ。同情して簡単に殺される訳にもいかないので斬る。ただそれだけの事だ。
「鬼だ…」
 踵を返すと後ろから小さく呟いた声が聞こえた。誰の物かは分からないが、その場にいた全員がそう思っているだろう。どう呼ばれようとも心が痛む事はない。鬼は心など持っていないのだから。
『酷いことするねぇ』
『てめぇ寝たんじゃねぇのか』
『デザートの気配がしたから起きちゃった』
『んなもん用意した覚えはねぇぞ』
『女の魂は味が違うんだよ。甘ったるくてよぉ。それに赤ん坊は別格だな』
 九尾は恍惚とした表情で舌舐りをした。よほど美味かったのかじゅるりと涎の音までした。
『赤ん坊?』
『あの女の腹にいたぜ?まだ小さいのがよ』
『そうか』
『あれ?もしかして罪悪感でも感じちゃってる?』
『そんなもんねぇよ』
『だろうねぇ、鬼の副長サン』
 からかうように笑うと九尾が消える。用もないのに出てくるのは正直煩くてかなわない。心がある程度読めるのだから、聞かずとも分かる事をわざわざ聞いてくるのもウザイ。
 煩いのがいなくなって清々したと思ったらまた別の口煩いヤツが出てきた。
「副長少しやりすぎでは?もっと他にあったでしょうに。新入りが怯えてましたよ」
「斬り合いの場で女も男も関係ねぇよ。殺す気で刀を向けた。それだけありゃあ斬る理由には充分だ」
 その言葉に不満そうな顔をしたがそれ以上は口を閉ざした。言った所で考えを変えないというのは長い付き合いの為に分かっている事だ。
 新入りが怯えようがいちいち気にしていては仕事にならない。第一この程度で怯えていて続くかどうか怪しい所である。
「フォローする俺の身にもなってくださいよ」
「そういうのはお前の方が得意だろ」
「そういう事では」
「例の件は方を付ける」
「わかりました」
 遮るように話題を変えた。山崎は大人しく引き下がる。
 イレギュラーは起きたが概ね順調に現場は片付き落ち着いている。後は隊長格に引き継ぎを行えば屯所に戻っても問題はなさそうである。
 視線の先に居た原田に引き継ぎを済ませる。慣れているだけあって指示は的確だ。それを見届けるともう一仕事するために一人の隊士を探すと、すぐに見つかった。周りに他の隊士がいると余計な勘繰りが面倒なので一人なのも好都合である。
「岸」
「はい、なんでしょうか副長」
「少し手伝って貰いたい事がある。屯所に戻ったら俺の部屋に来てくれ」
「了解しました!」
「頼んだぞ」
 それだけ伝えると報告書の内容を考えながら屋敷を後にした。

 眠っている男の顔面に冷たい水を掛けると驚きながらも目を覚ました。寝惚けているのかまだ自分の置かれた状況がよく分かっていないようだ。使った睡眠薬が少し強すぎたかもしれない。
「よぉ、目は覚めたか」
「副長…?あの、ここは…?」
 ようやくおかしい事に気が付いた男が口を開いた。後ろ手に縛られた腕を外そうと踠く。
「ここは拷問部屋だが」
「拷問部屋…?なぜ…?」
「しらばっくれるつもりか、岸」
「なんの事でしょう?自分にはさっぱり…」
 シラを切るつもりの岸の目の前に一枚の写真を取り出す。そこには私服の岸と手配中の攘夷浪士の姿がハッキリと写っていた。
「これは何かの間違いです…!信じてください副長!!」
 必死に身の潔白を叫ぶが、証拠は全て揃っているのだから意味はない。写真だけでなく映像もあるしどんな情報が流れたか、受け取った報酬も調べあげている。
 それらを全て岸の前でぶちまけてやるとそれまで「違う」「信じてください」と叫んでいた岸が静かになり震え始めた。
「し、仕方なかったんです…!金が、どうしても金が必要で…!」
「子ども病気なんだって?」
「そうなんです…!治療費がとても払える額じゃなくて」
「それで仲間を売ったと」
「!!……それは」
 岸の顔が青くなる。コイツの流した情報によって先日の討ち入りで死傷者が出た。誰も怪我なく終われるような小さな攘夷党であったのに、情報が漏れた事で先手を打たれたのが原因の一つだ。
「いいことを教えてやるから、テメェの持ってる情報を吐け。金が必要なんだろ」
「は、はいっ…!」
 ポロポロと泣きながらニ、三個の情報を吐き出した。価値は低くないよりはマシという物だった。
「それで終わりか」
「そうです…あの副長自分は…」
 期待に満ちた目で土方を見る。
「内通者は粛清する」
「そんな!話が違うじゃないですか…!」
「話…?俺は《いいことを教えてやる》って言っただけだぜ?」
 鯉口を切り鞘から刀を抜くと、岸はガタガタと身体を震えさせ「死にたくない」と懇願した。
「ふ、副長…!やめてたすけ…!」
 ゴロリと首が下に落ちる。その顔は涙に濡れ恐怖にひきつっていた。
『副長サンてば、ひっどい事するねぇ~~』
『ウゼェ喋んな』
『コイツ仲間じゃなかったのかよ』
『仲間?仲間なんぞ一度たりとも思った事ねぇよ』
『さっき仲間がどうたら、って言ってたクセに』
『そうすりゃ揺さぶりかけられるだろ』
『ひっどいなぁ』
 実際は酷いと思うどころか笑ってさえいるのだからどの口が言うのだろうか。
『そういや《いいこと》ってなんだったの?』
『死ねば保険金が降りて金が貰える』
『へぇ~~。で、コイツ食っていいだろ』 
『好きにしろ』
 九尾が『クソ不味い』と文句を言うのを聞きながら、死体を処理させるため懐から携帯を取り出した。

※※※※※

 山崎と二人、港に停泊する不審船を監視する。最近、攘夷浪士達の使用する武器が高性能化している。それらは真選組ですら所持していない最新鋭の物まである。そう簡単には民間で手に入る筈がなく、幕府の人間が横流しし闇取引を行っている可能性が大きかった。
 少し休憩しようと山崎が用意したせんべえに手を伸ばす。一口含むとあまりの辛さに吐き出した。
「差し入れです。沖田さんの姉上様の《激辛せんべえ》」
 山崎が双眼鏡を覗きながらサラリと言った。山崎はせんべえを一口も口にしていない。置いてくる事も出来たのに恐らくわざとである。
 今朝方、総悟の姉―――ミツバが屯所へと訪れた。近々、貿易業を営む長者と結婚をするため上京してきたのだ。弟である総悟を叩き起こすと「会っていけ」と言う近藤さんの横を通りすぎ港へと向かった。会う理由もなければ、闇取引の証拠を抑える事の方が何倍も大事な事であった。
 夜になっても結局、不審船に動きはなく今日は諦めて屯所へと帰る事となった。収穫がなかったせいか山崎の機嫌はあまり良くなく車内は終始無言である。
「止めろ」
 ヘッドライトに怪しい人影が二つ。大きな屋敷の前でこんな遅くに何をしているのか。職務質問をする為にパトカーから降りて近付くと、そこには眼鏡の少年とミツバが立っていた。
「と…十四郎さ…」
 ミツバは驚いた顔をすると急に咳き込みだしその場に倒れ込む。医療の知識を持つ山崎が慌てて駆け寄り状態を診る。その間に眼鏡の少年が屋敷へと駆け込んだ。
 ミツバの様態が落ち着いた頃、眼鏡の少年は「僕はこれで」と席を立った。念のため連絡先ですと万事屋と書かれた名刺を置いていった。
 それと入れ違いで、身なりのいい男性が頭を下げながら部屋へと入ってくる。《転海屋》蔵場当馬と名乗ったこの屋敷の主人はミツバの旦那になる人間でもある。
「もしかして真選組の方ですか。ならばミツバの弟さんのご友人…」
「友達なんかじゃねーですよ」
 そこには蔵場が呼んだのであろう総悟が立っていた。話し掛ける蔵場を無視して土方への前へと歩く。
「土方さんじゃありやせんか。こんな所でお会いするたァ奇遇だなァ。どのツラさげて姉上に会いにこれたんでイ」
 総悟はこれまでにない程の敵意を向けてきていた。それに気付いた山崎がフォローを入れようとしたが、無用だと足蹴にして黙らせる。
 山崎を引き摺りながら廊下を歩いているとミツバの眠る部屋から視線を感じたが気にする事なく屋敷を後にした。

 翌日、道場で鍛練をしていると総悟が珍しく入ってきた。「一手ご教授」などと言っていたが、明らかにそれが目的でない事は分かっていた。
 道場に竹刀の打ち合う音が響く。そう口数の多い方ではない総悟はいつになくお喋りだった。
「姉上の幸せをぶち壊すのはやめろ」と言う総悟に「転海屋は攘夷浪士相手に闇取引をする自分達の敵だ」と伝えても一歩も引かない。それどころかミツバの一瞬の幸せのために見逃せというのだ。
 正直理解が出来なかった。一瞬の偽りの幸せの為にいつになく必死になる総悟が。蔵場を捕縛する事の方が何倍も大事であるというのにそれがなぜ分からないのか。
 興が失せ背を向けると総悟が突きを繰り出す。それを避け総悟を見れば「もう長くない」と言い始めた。今度は泣き落としかと溜め息が出る。
「姉上がずっと結婚しなかったのは、アンタのこと…」
「取引は明日の晩だ。刀の手入れしとけ」
 聞く気すら失せて懐から煙草を取り出し咥えて外へと出る。数歩歩いた所で後ろから「土方アアアアア」と叫ぶ声がした。
 飛び掛かってきた総悟を弾き返すと吹き飛んだ。だが、立ち上がるとまた竹刀を振り上げ突っ込んでくる。受け止めた竹刀は重い、怒りと憎しみに囚われたそれは剣筋を鈍らせる。普段では見切れないそれが今は簡単に見えてしまうのだ。避けるのも受け止めるのも難しくない。
 総悟を叩きのめすと痛む肩を抑えながらその場を去った。
『総一郎くんはいいの?』
『ほっときゃいいんだよ』
『ふーん』
 それだけ言うと九尾は消えた。

 取引の現場には山崎と少数の隊士。総悟の親類縁者が取引に関わっている以上、この任務は極秘扱いである。そんな者が居たとなると全体の士気や離反が起きる可能性があり非常に面倒なのだ。
 隊士には逃走経路を抑えさせ、山崎には連絡約を任せた。情報ではそれほど大きな取引ではなく、蔵場の護衛も少ないと聞いている。
 蔵場の捕縛の為に単身倉庫へと乗り込む。移動中、様々な武器が運ばれているのが見えた。これで嫌疑は確実の物となった。
『愛する女の為に単身乗り込むとは泣かせるねぇ』
『何の話だ』
 九尾が突然話かけてきた。話が全く見えない。
『お前とあの姉ちゃん好きあってんだろ?で、お前は姉ちゃんの為に一人でここに来た。この前ドラマで見たから知ってるぜ』
 このアホは俺がミツバを好きだと言っているのか。何をどうしたらそうなるのか全くもって分からない。コイツも理解不能な生き物だ。ドラマを見たと言っているから、虚構と現実の区別が出来ていないのだろう。
『オイ!今、俺の事アホって思ったろ!』
『アホをアホと思って何が悪いアホ』
『テメェまた!』
『うるせぇ黙れ』
 未だに喚く九尾を無視して歩みを進める。目的の人物の姿が視界に入った。
 コンテナの上から見下ろす蔵場の背後に立ち刀を向ける。振り向いた蔵場は動揺一つ見せなかった。その様子を不審に思った瞬間、背後から銃撃を受ける。蔵場が余裕であったのはこの任務の情報がどこからか漏れていたのだと思い当たった。
 気付けば武装した攘夷浪士達に囲まれていた。想定していたよりも遥かに数が多い。蔵場にも逃走されとんだ失態である。逃走経路も別のルートが用意されている可能性がある。蔵場を追うにはまずこの死地を切り抜けねばならなくなった。
 持ってきていたバズーカや手榴弾を使いながら追うが、いかんせん相手の人数が多い。斬ってもバズーカを撃ち込んでも後から後から沸いてくる。これでは逃走経路に配置した隊士への期待も薄い。
 脚を撃ち抜かれた。これは非常にまずい。しかし、脚を引き摺りながらでも追わねばならない。九尾は魂を食いながら楽しそうにただ傍観している。
 コンテナの影から出てきた所でついに囲まれてしまった。一体どれだけいるのか刀や銃火器を構えた浪士が四方八方に居る。
 そこに蔵場が現れた。コンテナの上から勝手に「あなた達とは仲良くしたかった」「ミツバを道具として利用した」などと聞きたくもないご高説を始める。
 せっかくなので適当に受け答えしてやればいい時間稼ぎになった。蔵場が「撃て」と命じた瞬間全く別方向からの砲撃が撃ち込まれたのだ。
 爆音と共に隊士達が雪崩混んで来る。この場は援軍に任せ逃走した蔵場を追う。己の失態は己で挽回せねばならない。
 コンテナの上から一台の黒塗りの車が走っているのが見えた。タイミングを合わせて車に飛び降りる。刀は屋根を貫通し肉を刺した感触が伝わる。振り落とす為に窓から護衛の男が身を乗り出すが突然誰かに頭にを殴られたかのようにぐったりとした。次に車のスピードが落ちる。
 殺気を感じ顔を上げると数百メートル先に総悟が立っているのが見えた。急いで刀を抜き車から飛び降りる。すると僅か数秒後には車は総悟に真っ二つに斬られ爆発炎上した。
 
 怪我の治療の為に現場は他の者に任せ病院へと向かう。パトカーに総悟と一緒に乗る事になってしまったが会話は一切なかった。
 病院に着くと意識のなかったミツバが目を覚ましたと知った総悟が血相を変えて走り出した。それを横目に治療室へと向かう。
 治療を終えると近くに居た隊士に運転を頼む。
「いいのですか?」
「出せ」
 静かに告げると隊士は車を発進させた。後始末も報告書も書かねばならないのにこんな所で油を売る訳にはいかないのだ。
 屯所に戻ると待機していた隊士に驚いた顔をされた。大方包帯だらけなのに入院もせず戻ってきたからだろう。少し隊士達の視線が冷たく感じた気がしたが、いつもの事なので大して気にならない。
 自室に入り文机の前に腰を下ろし、墨と筆を用意する。身体は痛むがやれる事は早めに済ませてしまいたい。明日からは後始末やらで駆り出される事は分かりきっている。
「副長入ります」
「入れ」
「流石に身体に障るので仕事はされない方が」
 山崎が心配そうに言うのを聞きながら筆を走らせる。
「…ミツバさんが亡くなられたました」
「そうか」
「…!副長、あの…!」
「なんだ」
「なんでもないです…」
 諦めたように口を閉ざし代わりに何かの袋を差し出してくる。それには《激辛せんべえ》と書かれていた。
「これは副長の分です」
「いらねぇ」
 そんな物を貰った所で食べられない。辛すぎて自分の口には合わないのだ。強く出ればすぐ引き下がる山崎が何故か今日は一歩も引く気がないようだ。その目には怒りのような物が宿っているように感じた。
 怪我で弱っている為か根負けして受け取った。それに満足したのか山崎が部屋を去る。見届けてからせんべえの袋を畳の上に放った。後で処分すればいい。
『姉ちゃん死んだぜ』
『さっき聞いた』
『すげぇ美味かったぜ?極上だなありゃ』
 九尾が涎を拭くような仕草をした。余程ミツバの魂は美味かったらしい。
『興味なし?惚れてたんだろ?』
『興味もねぇし、惚れてもいねぇ』
『つまんねぇの』
 そう答えてやればプイと顔を背けて姿を消した。勝手に絡んできておいて迷惑でしかない。どいつもこいつもなぜか自分とミツバを関連付けたがる。正直ここまでくるとイライラしてしまう。
 報告書を進めようとしたがどうにも落ち着かない。煙草を吸おうと懐を漁るが落としてしまったのか見付からない。舌打ちして部屋を出る。直ぐ近くに自販機があるのでそこへ行くくらいなら許されるだろう。

※※※※※

 土方が外に出た事を確認して実体化する。暫くは帰ってこないだろうが、隊士が入ってくる可能性もあるので慎重にはならざるを得ない。気配には敏感であるし、そんなヘマをする事はないのだが。
 畳の上に放り投げられたせんべえの袋を手に取った。激辛と書かれたそれは尋常でない程に真っ赤な色をしている。明らかに人間の食べるような物ではない。妖の身でも食べたいとは思えない。
 ビリッと音を立てて袋が破れた。一枚取り出して眺めてみるが禍々しい。呪物か何かだろうか。
 狐だった頃には飢えをしのぐ為に色んな物を口にしてきたが、本能的に警鐘を鳴らすレベルだ。
 それでも自然と口に運んでいた。少しだけのつもりが半分近くいっていた。咀嚼すればバリバリといい音がするが、同時に最早痛みと言った方が正しい辛さが口内を襲う。不味くはないが食べ物と言えるのか。痛いし辛いし痛い。もう半分を食べきってまた新しい一枚を取り出す。どうして俺はこんな物を口にしているのか分からない。
「辛ェ。辛ェよ」
 頬に一筋何かが伝った。

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