神様に愛され過ぎて困っています



 今よりもずっと昔のこと。
 白い神様と黒い神様によって小さな神様が生まれました。
 黒い神様は生まれたばかりの小さな神様に、地上で修行をしてくるように言いました。立派な神様になるには世の中のことを知り、そこに生きる生命を助け導くことのできる存在にならなければなりません。
 小さな神様は早速地上へと降りていきました。
生まれたばかりの神様は右も左もわかりません。どうすれば世界を知ることができるのか、生命を助け導くことができるのか分かりません。ですが、それもまた修行であると教えられていました。けれど、小さな神様は何も不安はありませんでした。
 地上に生きる草木や動物たちの生命がなんと美しく心地よい事か!
 この生命を守るためならどんな事でもしようと小さな神様は思いました。まずはこの世界を見よう。そうすればおのずと自分のすべき事が分かるはずだと、山や海、空を駆け、時には人里にも降りてその生命を感じました。
 一通り世界を回った後、小さな神様は自分を生んだ黒い神様と白い神様に感謝しました。あの方たちが自分を生んだおかげで、今こうして地上に降りる事ができた。そして、美しい生命を守ること―――それが自分の役目だと知った時、胸が熱くなりました。
 そんな時、小さくか細い声が聞こえてきました。生命の終わりの声でした。小さな神様は生命の終わりも知っていました。それは避けられない事だと知っていました。決して変えてはならない理だとも知っていました。
 けれど、小さな神様はどうしても気になってその声がする方へ飛んで行きました。
 辿り着いたそこには生まれたばかりの男の子が居ました。目も開けず泣きもせずただ生命の終わりを迎えていまし。
 小さな神様はどうしてもそれが悲しくて仕方がありませんでした。この美しい世界を見ずに生命が終わってしまうなんて、と嘆きました。
 この美しい魂がここで終わってしまうなんて、と悲しみました。
 小さな神様は決めました。この子を助けようと。
 そして小さな神様は黒い神様の逆鱗に触れ罰を与えられました。
 それを見ていた白い神様はそっと救いの手を差しのべました。

 

 これは、はるか昔。
 人と神様の距離が、今よりも近くにあった頃のお話です。


※※※※※


「……っ!」
 目が覚めると真っ先に自分が生きている事を確認する。冷たくなった指先を握り深呼吸をする。心臓は張り裂けそうな程に鼓動している。汗でシャツがベッタリと張り付いて気持ちが悪い。
 やはり死ぬ感覚という物には一向に慣れる気配がない。慣れたくもないが。
 あの神隠しの一件以来、自分が死ぬ夢を見るようになった。それは事故であったり他殺であったりと様々だったが、圧倒的に他人に殺される夢が多かった。
 今も身体に刃が深く突き刺さる感触がリアルに残っている。夢で刺された腹を触ってみるが、当然そこには傷ひとつない。
 しかし、夢があまりにもリアル過ぎるからか実はもう死んでいて、これは走馬灯だとか死後の世界なのではないかとさえ錯覚しそうになる。まだ毎日でないだけマシである。これが毎日だったら、とっくにおかしくなっていただろう。どうにか耐えられているのは、この夢に何か意味があるような気がしてならないからだ。
 時計を見ればまだ早朝という時間であったが、もう一度眠る気にはなれなかった。
「ん……」
 その声に顔だけを右側に向けると高杉がこちらに顔を向けて眠っている。起こしたかと思ったがまだ夢の中に居るようだ。
 神様だと知らなければ普通の人間と何も変わらない。普通に食べて、普通に眠る。冗談を言って笑うし、怒ったり拗ねたりもする。まだ、泣いた所だけは見た事がない。仕事で疲れたと甘えてきたりもする。それでもどこか違うのだと本能的に分かっていて、彼が人間ではなく神様なのだと感じるのだ。
 夢には慣れないが、隣で眠っている高杉にはようやく慣れてきた。片目は隠されているが、顔立ちはかなり整っていて男の自分でも綺麗だと思ってしまう。始めの頃は至近距離で顔を見る度にドキドキしたものだ。
 神様という物は皆美術品のようにこんなに顔立ちがいいものなのか。銀八のしまりのない顔が浮かび、やはり神様もそれぞれあるのかもしれない。
 高杉の髪がサラリと流れ落ちる。次第にそれに触れてみたいと思うようになった。けれど触れてしまったら何かが変わってしまうような気がして怖くもある。
 考えても仕方ないと大きく息を吐いた。まだ少し早いが起きてしまおう。左側に寝返りを打つと赤い二つの目がそこにあった。
「!!??」
「おはよう、十四郎」
 驚きすぎて声すら出なかった。ベッドから転げ落ちそうになったが抱き止められて身体を打つ衝撃は来なかった。
「もう、十四郎ってば朝から大胆♡」
「ぎぎぎ銀八!?なんでここに!?」
 高杉の張った結界の影響で家の中に入れないと駄々をこねていた筈だ。日々挑戦しては地面に落ちて青痣を作ったり、天パがチリチリに焦げている。
「ついにバカ杉の結界を通り抜けてやったぜ!これも十四郎への愛の力よ!!」
「………何が愛の力だこのクソ天パ」
「ゲェッ、そのまま寝てりゃあいいのに」
「テメェが結界抜けて来た影響で起きたんだよ!クッソ…!お陰で頭が痛ぇ」
 背後から地獄の底から這い出したような低音が聞こえた。振り向けば頭を抱えた高杉が不機嫌な様子で身体を起こしていた。
「大丈夫ですか……?」
「心配すんな。その内治まる。………でテメェはいつまで十四郎に抱きついてんだ?殺すぞ」
「やだ晋ちゃんヤキモチ??十四郎、こんなやつほっといて今日は……いやこれから毎日デートしよ!」
「決めた今殺す」
 目の前の神様たちは小学生レベルの争いをしていた。何百年それこそ千年近く生きているかもしれないのにやっている事は完全に子供である。この争いにも慣れてきた自分がいる。
 ドスンバタンと大きな物音がするが自分以外には気付かれないようになっている。その証拠に誰も自分の部屋に何かあったのかと声をかけたり、訪ねて来たりしたことはない。簡単に言うと神様のチート能力で外界と遮断しているそうだ。だからどれだけ暴れようとこちらの世界に被害はない。そんな力を子供の喧嘩に使わないで頂きたい。
「俺、ちょっと走ってきます」
「俺も行くから少し待ってろ!」
「俺も!!」
「「あ゛ぁ!?テメェは来んな!!」」
 目も覚めてしまったし、喧嘩が終わりそうにないので家の近くを走ってくる事にしよう。そう言うと神様たちは揃って着いていくと口にした。二人ともボロボロだが一瞬で綺麗になるのだから、本当に神様という存在はチート過ぎる。
 ただこうして喧嘩されるのは正直疲れるし、四六時中一緒というのも気を使う。たまには一人でゆっくりさせて欲しいと思った。
 早朝の空気は少しだけ涼しく、走るにはちょうどよかった。日中に走ろうものなら、熱中症まっしぐらである。屋内の道場での練習でさえ、水分補給と休憩を取るようにと口酸っぱく言われているのだ。さらに過保護な神様たちが居るんだから、息が詰まりそうな日もある。
 神様たちの事は嫌いじゃない。まだたった数ヶ月しか経っていないというのに、昔から一緒に居たような感覚がしている。実際、神様たちは土方が胎児だった頃から知っているらしい。初めてハイハイした日だとか、歩いたのは、とかお漏らしした時は……なんて恥ずかしい事まで知られている。
 夏休みに入る前のあの出来事からそれらが過剰になった。いや実際は大して変わっていない。プライベートな部分などは、きっちり線引きしてくれている。少し神経質というかピリピリとしているのだ。
 簡単に言えば見つかってしまった。例えるなら呪いだとかそういう類いのモノ。相手の空間に引摺りこまれてしまったがために、魂の一部が取られてしまったとか。
 身体や精神に不調はないが、いつ起きてもおかしくない。それがただの風邪で済むのか、命に関わるかは未知数。今すぐ殺される事はないと思うが、死ぬまで飼い殺しなんて事もあり得る。
 今は神様たちが近くに居る為に影響はない。だが、その内に相手が焦れて直接手を出してくるだろうと。かなり危険ではあるのだが、その時がチャンスでもある。こちらから手を出せない以上はそれを狙うしかない。
 考えても仕方がない。出来る事は身体を鍛え、体力を付ける事。健全な精神は、健全な身体に宿るのは間違いではないらしい。
 悪いモノは弱っている相手を狙う。不安や恐怖は魂を弱らせる。すぐにどうにか出来ない場合は少しずつ精神を削り取り、隙ができた所を狙われる。だから「幽霊ってのはじわじわ来るだろ?だから油断した時が一番危ねぇ」と言われ、なんとなくそういう物かと納得した。全くジャンルは違うのだが。
「十四郎ー!どこだー!?」
「十四郎、無事か!?」
 そうこうしてる内に静かな時間は終わってしまうようだ。走ったおかげで、気持ちも落ち着いた。分からなくなったら身体を動かすのが一番いい。
 家に戻ると朝食の準備がてきていた。汗をかいていたから、軽くシャワーを浴びてから席に着く。
 食事中も勿論、高杉は居るのだが今回は銀八まで付いている。土方以外には見えないが、見られているのは気になってしまう。高杉はジロジロ見たりしないのか、銀八は無遠慮に見詰めてくる。おまえに、実況までしてとても煩い。食パンを一口齧るだけで、可愛いだのなんだのと、落ち着いて食べられる状況ではなかった。
「ごちそうさま!」
 残りのトーストを口の中に放り込んだ。銀八の残念そうな声が上がる。急いで部屋に戻ると、着替えてまた飛び出す。部活に向かうには少し早いが、家よりもまだ幾分かは静かである。早く着いたなら、掃除や用具の整理の時間に宛てればいい。後ろから銀八の声が聞こえてくるが、全部無視してやった。


「場所が変更になるんですか?」
「ああ。いつもお借りしている所が土砂崩れで、暫く使えないらしい」
 部活が終わった後、職員室で顧問の伊東先生に伝えられた。剣道部では夏休み中に合宿が行われる。合宿という名目ではあるが、半分は息抜きも兼ねている。息抜きが始まるまでは、体力強化だったりと地味なクセに辛い物が多い。それが終わればひたすら練習、練習。疲れ果てて眠ったと思えば、早朝に叩き起こされまた練習である。
 だが、それが終われば最終日にはBBQや川で遊んだりと自由である。伊東先生は厳しくはあるが、休息の大事さも分かっている。高校生活は三年と短く、人生から見れば一瞬のような時間だ。その時間を友人との大切な時間として、過ごして欲しいと考えている。
「まだ決定ではないが、別の場所をお借りする事になりそうなんだ」
 もともと予定されていた場所は二つ隣の市であった。都会というより自然が多く、登山や観光目的の人間が多い。借りる予定の施設も、登山やハイキングで行くような場所にある。近年ではキャンプ施設なども整えられているが、利用は地元の人間の方が多い。静かで過ごしやすい場所である。
 ちょっとした旅行気分も味わえる、と聞いていたからガッカリ感はある。しかし、土砂崩れなら危険もあり仕方がない。
 新しい候補の場所は、近場ではあるがまだ出来て数年らしく、施設も綺麗である。景色もいいし、ここも悪くはない。
「ここもとても良いと思います」
「ありがとう。費用は向こうの都合での変更だから少し安くして貰えるそうだ。今までと大きく変わらないと思うから、このまま話を進めても大丈夫だろうか?」
「ええ、構いません。よろしくお願いします」
 施設の資料を手に、一礼してその場を去る。楽しみが出来た事で練習で疲れた身体も軽くなる。近頃は過保護な神様二人のおかげで、精神的な疲労が溜まっている。仕方がない、といえばそうなのだが前にも増してベッタリだと休まる物も休まらない。
「ひっじかたくーん」
「間違えました」
 ドアを開けた瞬間に銀八の顔があったので閉めた。ウキウキした所にイラッとする顔があったら仕方がない。
「閉めるなんて酷くねぇ!?」
「なんかすげぇイラッとしたんで」
 わざとらしく泣き真似をするので余計にウザさを感じる。一応は神様だが、一度くらい殴っても許されるだろうか。龍神様なら「徹底的にやれ」と言ってくれそうである。
「練習終わったんだろ。帰るぞ」
「先生こそ仕事終わったんですか?」
「仕事ぉ?そりゃあ勿論……」
「坂田先生、書類の提出期限三日過ぎてますからね」
 伊東の追撃にまあそうだろうなと思った。銀八の机は乱雑に書類らしき物が積み上げられている。
「ま、まあ俺は宿題は最終日に纏めてやるタイプだしぃ?」
「最終日もとっくに過ぎてます」
 神様がこんなに怠惰でいいのだろうか。二人から冷たい視線を向けられて銀八は、仮に人間だとしても完全にアウトな部類に入る。
「とりあえず帰りは危ないから送って行くからな!仕事はその後でちゃんとやるからね??」
 銀八が腕を掴もうとしたが振り払った。小学生でもないし、今は真っ昼間だ。それに朝からウンザリもしている。横を通り抜けて廊下を少し歩いた時だった。
「……だから危ねぇって言ったろ?」
 ガラスの割れる音と共に銀八が覆い被さっていた。頭を切ったのか額から血が流れていく。
「おい!!大丈夫か君たち!?」
 伊東が職員室から飛び出してきてその様子に唖然となる。ガラスの破片を浴びた銀八と、さらに廊下の窓が全て割れていた。
「あー派手にやっちゃって。あ、俺は大丈夫なんで。土方くんは?」
「え、あ……大丈夫………です」
 突然の事に頭が真っ白になってしまった。呼吸も上手く出来ない。ガラスが割れて、それを庇った銀八が怪我をした。たまにボールが当たって窓が割れる事はある。しかし、廊下に面した窓が全て割れるなんて事はまずあり得ない。
「坂田先生、血が出てますよ!ひとまず手当てを!」
「あー大丈夫、大丈夫。ツバ付けときゃ治るんで。それより、土方くんの方がビックリしてるみたいなんで」
 伊東の顔が心配そうに土方を見ていた。余程顔色が悪いのか、銀八の時よりも不安そうである。
「伊東先生、悪いんですけどここを願いしてもいいですか?保健室に行ってきます」
「分かりました。鍵を持ってくるので少し待っていてください」
 伊東先生が職員室へと戻る。ガラスの破片がガチャガチャと音を立てた。
「十四郎は優しいね。俺の事、心配してくれてんだな」
 銀八の手が頭に触れる。不思議とそこから不安な気持ちがゆっくりと溶かされていく。
「坂田先生お待たせしました」
「ありがとうございまーす。よいしょっと」
「お、おい!?コラ!!ヤメロ!!」
 伊東から鍵を受けとると土方の身体を横抱きにする。所謂、お姫様抱っこの状態に土方は恥ずかしさに手足をバタつかせた。
「イデデデデデデ!!俺のふわふわキューティクルヘアーを掴むな!!禿げる!!」
「このバカ!伊東先生の前でこんな……!!」
「じゃ、伊東先生……痛ェ!!後お願いしま……!ギャー!噛むな噛むな!!」
 喚きながら遠ざかる二人に伊東はひとまず安心した。顔の青かった土方も暴れる程であるからとりあえずは大丈夫であろう。
「今日は早く帰りたかったんだがな……」
 廊下の惨状にため息を吐いた。窓ガラスが全て割れるなど、そんな事があるのだろうか。職員はほとんど出払っており、この量を一人で片付けるとなると骨が折れる。状況の説明もどうしたものかと頭を抱えてしまう。
「先生、手伝いますよ」
「えっ……?あ、ああ助かるよ。とりあえず掃除道具を持ってきてくれるだろうか」
「ええ、もちろん」
 突然現れた生徒に驚きつつも、その申し出はありがたい。学校にこんな生徒はいただろうか。思い出せないのも、気配を感じなかったのもその生徒は地味な印象を受けるからだろう。危ない事はさせたくないが、箒で掃くくらいなら問題ないだろう。ひとまず電話をかけるため職員室へと戻った。
 

 保健室の前で土方を降ろす。散々暴れた土方のせいで銀八の方がボロボロな有り様だ。どちらが怪我人かと言われれば銀八を指すだろう。銀八はポケットにしまった鍵はそのままに、人差し指を鍵穴へと近付ける。
『開』
 そのまま指は差し込まれ鍵の空く音がした。銀八は土方の背を押して中へと入れる。そして再び、同じように鍵を閉めた。
 見慣れた保健室であるが、土方は空気が違う事を肌で感じていた。同じだが全く別の場所に居るような感覚がしている。
「安心しろ。ここは神域に近い」
 奥から高杉が顔を覗かせた。神域と言われ、そういえば祠のある場所と空気が近いと感じた。神域ともなれば余程の事がなければ侵入される事はない。ようやく身体の力を抜く事ができた。
「簡易の神域を作っておいて正解だったな」
 銀八が土方をベッドに座らせた。すぐに高杉が側に寄って怪我がないかを確かめた。
「俺より銀八の方が……!」
「大丈夫だって、ホラ」
 前髪を上げた銀八の額には傷ひとつない。それどころか、流れた血の跡すら消えていた。
「元々の回復力もあるが、ここならかすり傷程度一瞬だ。よし、穢れには触れてねぇみてぇだ」
「十四郎が心配してくれるから、傷の治りも早ぇんだ」
 代わる代わる大きな手が土方の頭を撫でる。今朝の自分であったなら「やめろ」とはね除けただろう。だが、今はその手が何よりも安心感を与える。
「学校にも結界は張っているが、すでに中に居る場合はあまり意味がねぇ。……恐らくもう中に入ってやがるな」
 銀八の結界はかなり高位である。並み大抵のモノでは弾かれるか、弱ければそれだけで消滅してしまう。それが、中に入っているとすれば考えられるのは三つ。最初から中に居た、結界を抜ける程の力を持っている。そして最後が―――
「魂に憑いていやがったか……」
 人に取り憑き、それを隠れ蓑にして結界をすり抜けた。中に入り学校内に渦巻く負のエネルギーを吸収して大きくなったのだろう。学校は人が多く集まり一種の箱のようなものだ。陽のエネルギーも多いが、同時に陰のエネルギーも溜まりやすい。学校に怪談が集まりやすいのもその為だ。
「十四郎に印を付けたのもソイツだろうな。隠れるのに特化したタイプなら厄介だぞ。生徒に地味ぃーーで目立たねぇ感じのヤツ」
「生徒に擬態してる可能性もあるな……わざと印象に残らねぇように操作してるのかもしれねぇ」
 教師の人数は限られる。だが生徒数は数百人は居る。それを全員把握するのは難しい。学期中なら虱潰しに探せば見つかる可能性はある。しかし、今は夏休みでごく一部しか登校していない。
「早ぇとこ見付ておきてぇけど、現状それは難しそうだな……人が少ねぇぶん力を付けにくいってのが不幸中の幸いってとこか」
「十四郎が狙われてんのは変わらねぇ。頭を殺らねぇ限り、見付たとしても次のヤツがくるだけだ」
「そんな不安な顔すんな十四郎……俺たちが絶対に守ってやるから」
 銀八の手が再び十四郎の頭を撫でる。それはとても暖かく心地よく、とても優しかった。


 あれから数日後。合宿が決まっていた。元々、話には聞いていたのだから、おかしくはない。だが、学校に着くなり「合宿に出発する」とバスに押し込められてしまった。
 土方にそんな事は全く知らされていない。当然準備なんて物はしていない。連絡ミスも考えられたが、総悟ならともかく近藤がそんな事をするだろうか。昔から遠足や修学旅行の前日には「楽しみだな!」と必ず話題にしてきた。最初に合宿の話を聞いた時も楽しみにしていたのだから。 
 それが一切なかった。顧問の伊東も几帳面な性格だ。一人だけ連絡をしないというのも不自然だ。第一なんの準備もしていない土方に「大丈夫だから」と話も聞かずに押し込めるのも変だった。何を言っても「大丈夫」と皆が同じような笑顔で。
 一歩、バスに足を踏み入れた瞬間「まずい」と思った。あの「神隠し」の時に感じた感覚と同じだ。首だけで振り返ると、バスのドアは閉められている。その向こうには焦る高杉が見えた。必死に叫んでいるが、何も聞こえてこない。
 そのままグイグイと押され、一番奥のシートに座らされる。土方を挟むように近藤と総悟が座る。近藤が「楽しみだな」と言ったが、心ここにあらずという表情だった。
「出発してください」
 伊東が運転手に告げると、静かにバスは発進した。運転手の制服の襟には、赤い染みが付いていた。伊東も近藤も総悟にも、どこかしらに染みがあった。土方以外の全員に付いている。
「土方十四郎くん。今日はよろしくね。大丈夫。君が大人しく従うなら、他の人間は悪いようにはしませんよ」
 総悟の隣に誰かが座っている。声をかけられるまで、存在に気が付かなかった。服装は同じ制服だ。ならば生徒なのだろうが見覚えがない。そもそも「顔が認識できない」のだ。以前も似たような事があったような気がするが、印象がないから記憶にも残らない。
 土方は強く拳を握った。ここで抵抗した所で、ただの人間の自分は無力だ。手を出して来る様子もなく、皆大人しく座っている。ならば変に事を荒げない事の方が得策だろう。
 高杉がきっとどうにかしてくれる。あんな感じでも、銀八だっている。助けられてばかりで不甲斐ないが、信じる事も戦う事と一緒だ。好機だってきっとある筈だ。総悟の隣の生徒が中心ならば、ここから抜け出せる可能性もある。
「よろしく頼むぜ」
 心に渦巻く隠しきれない不安と恐怖。それらを悟られないよう、出来るだけ不敵に笑ってみせた。
 

 ―――――やられた。
 ドアの向こうに土方が見える。バチン!と大きな音がして、指先が爛れる程の力で跳ね返されてしまった。完全に拒絶をされている。ドアを叩いてみたが、手の肉が焼けるだけであった。
 合宿の話は前々から知っていた。だからそこに不審な点はない。だが、学校に着くなり「合宿に出発する」と言われるのはどう考えて不自然だ。同じ部活の生徒に囲まれ、友人の近藤と総悟に手を引かれバスへと連れていかれる。
 彼らは何かに憑かれている様子がない。普通の人間に、手を出す事はできない。霊体化を解いて無理矢理にでも振りほどけたかもしれない。しかし、大人の身体とはいえ大人数を相手にすれば高杉の方が負ける。それに、何の関係もない生徒を人質に取られているという事でもある。術者がその気になれば、生徒を自害させる事も容易いだろう。
 自分たちが結界を張るように、向こうも同じ事が出来る。以前の神隠しは広範囲に及んだが、今回はバスという範囲に絞ったのだろう。範囲を狭く、小さくし固定してしまえば強度はかなりのものだろう。
 開いたり護る事が得意な銀八ならともかく、破ったり破壊が得意な高杉にはこの状況は不向きだ。大勢の人質に土方も居る。どんな仕掛けが施されているかも分からない状態だ。そこで、破壊でもすればどんな影響が出るか分からない。最悪、中に居る全員が死ぬ事だってあり得るのだ。
「銀八!」
「何やってんだテメェ!!」
 高杉の呼び掛けに応じて、目の前に銀八が現れる。怒りを滲ませながらも、ボロボロの手を出すように言う。
「たくっ……瘴気で焼けてんじゃねぇか。応急処置だからな」
「……悪ぃ」
 それは、治療に対する事か土方の事なのか。恐らくはどちらもだろう。
「行き先は?」
「合宿……とは言ってやがったが、場所は違うかもな」
「追うぞ。アイツらも戻らせろよ」
「とっくに伝えた。……万斉はツアーで遅れるってよ」
「はぁ!?ふざけてんのあのグラサン!?」
 河上は寺門通の全国ツアーがある、七月の頭頃に着いて回っていた。高杉の祠は代わりに岡田と武市が着いている。
「私もそう思うッス。たまには意見が合うッスね
。まず、先輩のヘッドフォンぶっ壊した後に、クソ狐を潰す事にするッス」
「来島戻ったか。悪いな修行中なのに」
「そんな事ないッス!今度こそ晋助様と十四郎様のお役に立つ時ッス!」
 修行途中とはいえ、いくらか力を付けた来島には自信が戻っていた。以前の雪辱も晴らさねばならない。何より高杉が頼ってくれた事も嬉しいのだ。ツアーとかふざけた事をぬかしている河上は、後でしばくと心に決めて。
「……とりあえず俺の上からどけろ」 
 来島の下からくぐもった声が聞こえた。そこには勢い余った来島に下敷きにされた、銀八が居た。


 バスはゆっくりと進む。車内は気持ち悪い程に静かだ。会話も物音一つ聞こえてこない。同じように、外の音も聞こえてこない。
 窓からは僅かに外の景色も見えた。車が走り、建物が見える。外は至って普通である。スマホは圏外で、時間は止まっている。このバスの中だけが異常なのだ。
 時折バスが止まるのは信号が変わったからだ。悪霊とかそういうのも信号は守るのか、と不思議な気持ちになる。
 余計な事かもしれないが、時間の感覚も分からない状態だ。そうでもしないと正気が保てないだろう。だから、出来るだけどうでもいいような事を考えて意識を保つようにしている。
 やがて外の景色も変わり始めた。信号で止まる回数が減り、建物よりも木のような自然が多くなった。場所の見当がつかないが、学校よりはかなり離れているだろう。
 やがて信号も建物もなくなった。山へと向かう道を走っている。その道の脇には「土砂崩れの為、この先進入出来ません」と間隔を開けて看板が置かれていた。開けた所には、工事用の車両やプレハブの小屋もあった。
 バスは看板を無視して進んでいく。進入しないように立てられたフェンスをお構い無しに倒していく。あちこち土砂や倒木で道が悪いか、塞がれていた。時折バスが揺れるが、それでも土方以外は微動だにしない。
 山に入ってから空気が重く苦しい。空調は動いていないようだが肌寒い。奥へと進むにつれ、それらが増していく。土方自身も呼吸がしにくいと感じている。通路側に身体が傾いている者も出始めた。近藤はまだ大丈夫そうだが、総悟はどことなく顔色が悪いように見える。
 整備された道を外れ、奥へ奥へと進んでいく。まるで何かに引っ張られているかのようだ。運転手も既に意識がない。勝手にハンドルは左右に動く。もしこの先が地獄に繋がっている、と言われても疑うことはないだろう。
 その頃には、皆人形のようにグッタリとしていた。流石に息はあるようだが、この空間は人間の生命力を食うと聞いた。今は大丈夫だとしても、時間が経てばどうなるか分からない。総悟もだが、近藤さえ死人のような顔をしていた。
 顔の認識できない生徒が立ち上がった。様子に変化はない。確実にこの男が原因なのだろうが、結局何もできなかった。なぜなら、この男も意識を失っていたからだ。
 乗降口が開いた。勿論、誰も操作などしていない。意を決して立ち上がり、乗降口に向かう。周囲を伺いながら、心の中で「ごめん」と呟いた。目的は土方一人のはずだが、皆を巻き込む事になってしまった。
 一歩外に出ると腐臭が鼻を付き、思わず口を抑えた。胃から食べた者がせり上がってくるのが分かる。バスの乗降口が締まった。
 山のどの辺りにいるのだろうか。周りは背の高い木ばかりで、目印になるようなものは何もない。
 まだ昼間の筈だが、異様に暗かった。木々や雲が太陽を隠している、という雰囲気ではない。この辺り一体が、もしかするとこの山ごと死んでいる。山ならば昆虫や動物が住んでいる筈なのに、気配がない。風もなく音もなく温度もなかった。
 呼ばれている、奥の方から土方を呼ぶ声がする。それが良くないものなのは、火を見るより明らかだ。だが、もしこの声が全ての元凶ならば、いつかは対峙しなければならない。
 適当に転がっている木の枝を握った。子供の頃なら勇者の剣だと、元気よく振り回していただろう。何の役にも立たないと分かっているが、ないよりはマシだ。
 呼ばれるままに、一歩ずつ奥へと進んでいく。ここにも土砂崩れの影響で、地肌が見えている。足元には土砂に飲まれた、倒木や岩が転がっている。
「あれは……」
 石というより、石碑とか墓石のような物が土砂から顔を出している。その周りには、千切れた注連縄の切れ端が散乱していた。
 その周りだけ土がどす黒く変色している。その石から黒い液体のような物が流れ出て、周りを汚染しているように見えた。臭いもさらに強くなり、腐臭というより死臭だ。
 アレだ。間違いなく。その時液体が動いた、ような気がした。いや気のせいではない。ただ流れていただけの液体が、土方の方へと伸びていく。それはまるで黒い蛇のようだった。

 

「ここだな」
 バスを追った先にあったのは、土方の合宿の予定地だった。だがここは、土砂崩れの為に封鎖をされている。
 その山だが、あちらの領域になっているようだ。敵と見なした物は、全て弾かれてしまうのだ。
「銀八これ破れねぇのか」
「かなりヤベェわ。とりあえずなんかごっちゃごっちゃに術式組んで、トラップ盛りだくさん。爆弾でも解体する気分だな、こりゃ」
「解体に失敗したらどうなるッスか……?」
「そりゃまぁドカン!!だな。それで死ななくても、呪詛やら何やら受けて死ぬ」
 神であっても死ぬ時は死ぬ。万能でもない。相手が自分より強ければ負けるし、呪いも解けない。
「絶対失敗するんじゃないッスよ!」
「て、言われてもなぁ。一つずつ術式バラして、解呪して……ってなると手遅れになっちまう」
「なら俺がブチ破って」
「そんな事したら本当に全員死んじまうからな!?あー、方法はない訳じゃねぇんだが……」
「なら、早くしろ」
 高杉と来島の視線が銀八へと刺さる。一刻を争う事態であるのは、銀八も重々承知だ。しかし、この方法を使えば霊力をほとんど失ってしまう。
 この結界を張った本人を倒すのが一番手っ取り早い。だが、恐らくは中に居るだろう。中で何百年と時間をかけ、ゆっくりと力を溜め込んでいた。結界の術式の呪詛には多くの怨嗟の念が。
 問題なのはこちらである。仮に「ドカン!!」といっても、三人が犠牲になるだけで済む。しかし、呪詛は違う。この数百年に及ぶであろう、呪いがこの一帯に降り注ぐのだ。それこそ地獄絵図である。
 だから一先ず、結界を一部だけ破り呪詛を一つずつ解呪していく。リソースはそちらに全て持っていかれるだろう。つまり、銀八は戦えない。高杉と来島の二人。後に河上が合流するだろうが、その三人でどうにかしてもらうしかない。あちらの領域内で、力が半分も使えない状態でだ。
「コレ使ったら、俺は全ての結界と呪詛の解呪で全部持ってかれる。つまり、俺を守りつつ力の半分も出ない状態で戦う、って訳」
「……わかった。ヤレ」
「でも、晋助様……!」
「来島。どっちみち結界をどうにかしねぇと、ロクに力が出ねぇんだ。銀八にやって貰う以外方法がねぇ」
 高杉は銀八を見ると頷いた。不安そうに見つめる来島を他所に、銀八は印を結び、術式を組み上げていく。可能なら、御神酒やせめて供物が欲しかった。これから呼び出す神獣は何せ大食いである。普段は新八と神楽の社に住んでいる。彼らと一緒に過ごしていた時には、この神獣に食い扶持をほとんど持って行かれた。兎の神様である神楽の食欲も異常ではあったのだが。
「神話級のとっておきのやつ食らわせてやるよ。コイツは大食らいで霊力《エサ代》がゴッソリ持っていかれるから、出来れば使いたくねぇんだが……」
 銀八は術式を組み始める。霊力の濃さは何百年と、修行を重ね貯めてきた賜物だ。荒ぶる白き獣と己の霊力を重ね、一点集中で穴を開けようとしている。
「霊力奮発したんだ、こんなクソみてぇな結界食い破っちまえ……!!」
 銀八の背後から大きな獣が現れる。大きな敵を前に白い毛を逆立たせ、グルルルと唸り声をあげる。研ぎ澄まされた、牙と爪が腹を食い破ろうと怪しく光る。
「疾れ……!!大口真神《おおぐちのまがみ》・定春!!」
「ワオオオオオオオオン!!」
 耳をつんざくような鳴き声と共に、白き獣が雷のように結界に突進していく。牙と爪が結界に刺さり、食い破った。
 一部だが穴が開いた。後は中に入り土方を探し、元凶を打ち破る。
「おい、行くぞ銀……」
「イデデデデデ!!やめろ定春!!めっ!!噛むんじゃねぇって!!て、おいいいいい!?俺の尻尾が三本になってるじゃねぇかあああああ!?」
 銀八に噛み付き、舌で顔を無遠慮に舐める。これではオオカミというよりも犬である。召喚された定春は、嬉しそうにじゃれていた。だが、一方の銀八は額から血を流し、おまけに霊力を蓄えた尻尾を六本失ってしまった。定春は大食らいのせいで、余分な霊力まで持っていってしまうのだ。
「先行くぞ」
「お先ッス」
「テメェら!俺を置いて行くんじゃねぇ!!定春!ハウス!!ハウス!!新八ー!!神楽ー!!コイツ迎えに来てえええええ!!」
 定春と遊んでいる銀八の隣を、高杉たちが駆け抜けていく。二人が迎えに来るまで銀八は、定春に遊ばれ続けているのだった。

 



 
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