神様に愛され過ぎて困っています



 それはまだ人間と神様の世界が今よりも近かった頃―――
 一匹の蛇と一匹の狐がおりました。
 普通の蛇や狐と違って、不思議な力を持っていました。その二匹は私利私欲の為に力を使い、悪さばかりをしていました。
 始めは清らかだった力も次第に禍々しいものに変わり、外道に落ちかけていた頃、ついに神の怒りに触れてしまいました。
 神に敵うはずがなく、瀕死となりあとは死を待つばかり、と己の悪行に後悔をし始めた時に一人の童が現れました。着ている着物はボロボロで、それ以上に身体のあちこちに大小様々な傷がありました。裸足の足が可哀想に思えました。
 この童も人ならざる力を持って生まれ、それゆえに人の世から追い出されていました。
 今にも死にそうな二匹に近付くと、母が子を撫でるように優しく笑いかけ、その手で触れるとたちまち傷は癒えていきます。それどころか、それまで身の内に蓄積していた邪気や業まで祓ってしまったのです。
 蛇も狐もこれ程に清らかな気持ちになったのは、生まれ落ちた時以来です。
 二匹もまた、自分達の生きる世界から追い出されて、居場所を失った者たちでした。
 初めて暖かな手に触れられた、二匹は瞳からぼろぼろと大粒の涙を溢しました。
((きっとこの子は神様に違いない!))
 ならば繋ぎ止められた命はこの子の為に使おうと心に決めました。
 そう思ったのもつかの間。
「こんな所にいやがったのか、この化け物!!」
 人間の男たちの声が聞こえたと思ったら、顔に暖かい真っ赤な液体がかかりました。
 嗅ぎ慣れた鉄の匂いがします。
 童の身体から鉄の刃が生えていました。いくつも、いくつも生えていました。口からも身体からも真っ赤な液体が流れていきます。
 鉄の刃が引き抜かれると、最後は心の臓を目掛けて突き刺しました。男たちは童をまるでゴミのようにひと蹴りし、唾を吐き捨て何処かへ消えていきました。
 まだかろうじて息のあった童子は二匹を見て少し微笑むと、青みがかった灰色の瞳から光が消えていきました。
 二匹は悲しくて、悔しくて、悲しくて、悔しくて泣き続けました。
 そして童が寒くないよう、寂しくないようにずっとずっと側に居ました。二匹の命が尽きるまで、ずっと、ずっと側に居ました。


※※※※※



「で、どういう事か説明してもらえるんですか……?」
「十四朗様、あ〜んしてくださいっス!」
「さっさと人型を取れば、十四郎を抱き締められたのにな。寂しい思いをさせちまってすまねぇ」
「高杉!俺の十四朗を離せ!」
 あの、全校集会から数時間後の昼休み。一体どういう事なのか説明の為に、保健室へと集まった。
 それはいいのだが、なぜか高杉の膝の上に抱き締められた状態で座らされ、銀八は目の前で騒ぎ、転校生という体で土方の護衛に付くことになった神様見習いの来島は手作りの弁当(三段重)を食べさせようとしてくる。
 まず、龍神様もとい高杉という名は人間界における偽名である。同様に銀八と来島も「木島なな子」という偽名を名乗っている。基本的に、真名を知るのは本人のみ。他人に知られるのは、魂の主導権を握られるのと同じである。
 説明を求めに来たはずなのに、さらにこの状態の説明が必要になってしまった。なんなら一人増えているし。なんなのだこれは。頭が痛くなってくる。保健室に行きたいが、ここが保健室である。
 こんなの他の生徒に見られでもしたら…
「失礼しまーす!高杉センセー!ちょっと熱があるような気が…し、失礼しました……!」
見られてしまった。ギャル二人にバッチリと目が合うレベルで。この状況は爆速で拡散されてしまうだろう。平穏な高校生活は僅か数日と数時間で消え去った。
「とにかく!頼むから説明してくれ!」
「それはな、俺が学校に来たのはこの馬鹿が十四朗に手ぇださねぇか見張るためだ」
「俺は邪な事なんかねぇよ。十四郎を愛でながらあわよくば股を開いて貰おと思ってるだけで」
「また子は晋す……じゃなかった、晋助様から仰せつかって、十四郎様の護衛をしてるっス!特に銀髪天パのクソ狐が何かしそうになったら、殺すように言われてるっス!」
 分かったけれど、分かりたくない。土方が思い描いていたのは、ごく普通の高校生活だ。こんなファンタジーみたいなものではない。
 神様二人は隙あらば触れようとしたり(銀八はほぼセクハラ)、好きだとか時には愛を囁いてくる。来島はまだ害はない……と思うが、護衛だからと片時も離れようとしない。トイレにまで着いてくるのはやめて欲しい。
「銀八が危ねぇのは分かるけどよ、護衛なんていらねぇんだけど」
「そういう訳にもいかねぇんだ。銀八は後で始末しておくから我慢してくれ」
「修行中の身で頼りないかもしれないですけど、十四郎様がおしめしてた頃からずっと守ってきたんで今さら譲れないっスよ!狐の始末もお手のものッス!」
「おい!何でサラッと俺を消そうとしてんだ!!」
 駄目だ、埒があかない。誰も自分の意見を曲げないタイプだ。それが三人もいる。しかも、自分よりもうんと長生きしている神様だ。修行中のまた子でさえ、数百年生きているんだから知恵や知識を出されたら、たった数十年しか生きていない自分が勝てる訳がない。トイレ問題も、彼女にとっては今更だ。なにしろ(赤子の頃だが)裸も見られている。
「十四郎、早く飯食わねぇと昼が終わっちまうぞ。あと俺も名前で呼んでくれねぇか?」
「バカ杉の手作り弁当なんて食いたくねぇよな?な?宇治銀八丼の方が美味ぇから!」
「十四郎様!マヨネーズいっぱいかけていいっスよ!」
「………食う」
 考えるのはもうやめにした。考えた所でどうにもならないと悟ったからだ。高杉の手作りらしい弁当は、マヨネーズに合うおかずばかりである。来島に差し出されたたっぷりマヨの乗った、ポテトサラダを口に含んだ。



 疲れきった身体を引き摺ってどうにか帰宅し、自室のベッドに倒れこむ。
 本当なら剣道部の見学に行きたかったが疲れてそれどころではなかった。教室に戻った時点で、総悟がやたらいい笑顔をしていた。保健室での一件はすでにバレている。抵抗した所で明日には、学校中に広められているだろう。
 どんな顔をして学校に行けばいいのだろうか。とてもじゃないが義兄夫婦には相談できない。近藤さんに言えばそのまま総悟に流れていく。いつもなら龍神様に聞いてもらっていたが、今回はその神様が悩みの種である。それも二人。一応は神様だし蔑ろにする事は出来ない。もはや口からはため息しか出ない。どれだけ悩んだ所で、解決策など浮かぶ筈もない。
 とりあえず着たままだった制服を着替えて、池の祠に行く事にした。今朝のお供えを取りに行かねばならない。少々気は重いが、すっかり染み付いた習慣を休むのは居心地が悪い。本人が不在のうちに愚痴の一つでも言ってやろうと思った。
 祠に着くと、そこには先客が居た。土方家以外でここを訪れる人は殆どいない。土方家の敷地にあるような場所である。まず他人が迷い込むことは、ほぼあり得ない。ならば、不審者か。強盗や犯罪者の類いだったらどうしよう。ひとまず、息を殺して相手を観察する事にした。
 池の縁に座り、不審な動きはない。だが、全身黒ずくめで、まだ肌寒い日があるといってもレザーコートという服装には違和感を覚える。……まさか変質者だろうか。街中で変態行為がバレてここに逃げ込んできたのかもしれない。その割には怯えるような雰囲気はなく、むしろ堂々としている。
 近付いてみようか……だが、あのコートの下に刃物でも隠し持っていたら、丸腰の自分では太刀打ちできないかもしれない。一度部屋に戻り竹刀を持って来ようと踵を返そうとした。
「拙者は不審者ではござらぬよ」
 気付かれた。このまま逃げようかと思ったが「心配せずとも不審者でも変質者でもないゆえ」            
 まるで心を読まれたかのようにもう一度声をかけられた。コートの男の視線はこちらを真っ直ぐに見ている。木の裏に隠れて、正確な位置はわからないはずなのに見抜かれている。警戒することを忘れずに、その男の前に姿を見せた。
 黒のロングコート、ヘッドフォンにサングラス。これで怪しくないというのがおかしい。
「お主が土方殿であろう?話は高杉から聞いておる。拙者は河上と申す。ここの主と同業者よ」
「……同業者?」
「これでも神の端くれゆえ、ここの留守を預かることになった」
 河上、と名乗った男が微笑んだ。たったそれだけで、この場の雰囲気が一瞬にして変わる。
 水の流れる音が、吹き抜けた風が、その風に木々や花が揺れた音が。全てが重なってまるで一つの音楽を奏でているかのようだった。
「これ……?」
「ほぅ……お主は"音"と感じたようでござるな。多くの人は、何も感じぬのだよ」
 見た目は怪しさ満点なのに、紛れもなくこの男も神様だと告げている。
「信じてくれたようでござるな」
 そうして男はサングラスを外し、もう一度微笑んだ。


「そうか…それは済まない事をした」
 出会ったばかりの男、それも神様に愚痴を言うなんて罰当たりだと思う。しかし、ようやくまともな人物に会った事で、溜まっていたものが爆発してしまった。それなのに、河上は嫌な顔一つせず親身になって聞いてくる。人間不信ならぬ、神様不信になりそうだったがどうにか大丈夫のようだ。
「高杉と坂田、それに来島にはお主をあまり困らせぬように言っておくゆえ」
「ありがとうございます!河上様」
「様、など付けずとも河上でいい。拙者もその方が嬉しいでござるよ」
「いやでも、神様を呼び捨てになんて出来ないですよ!」
「おや?坂田は呼び捨てにしていたであろう?」
「う"っ……まぁそうです……けど」
 銀八を呼び捨てにしているのは、正体を知らなかったからだ。正直、神様だと知って躊躇いが出た。が、銀八は相変わらず銀八だったので、絡まれると普段通りに接してしまう。
「じゃ、じゃあ河上さん……で」
「よろしく頼む。土方殿」
「あ、その殿って言うのはなんか、恥ずかしいというか……」
「ふむ……では、土方と呼ばせて貰おう」
「はい!よろしくお願いします、河上さん!」
 本当にまともな神様でよかった。常識的だし優しく、大人という感じである。きっと銀八と高杉が規格外なだけだ。
「そうだ、よければこれを」
「えっ……これ……は?」
「寺門通の最新アルバムでごさる」
「は?え?なんで?」
「もしや、寺門通を知らぬと申すか?」
「いえ、聞いた事はありますけど…」
 寺門通とは、今人気の和風アイドルだったと思う。テレビでもよく見るし、曲だって毎日どこかで流れてくる。芸能人に興味のない土方でも名前くらいは知っている。
 しかし、この流れで寺門通の名前が出てくるのは分からない。話していたのは愚痴だけで、アイドルのことなど、一言も話していない。
「音楽を聴くと元気が出るものだからな」
 聞けば河上は音楽を司る神様である。チョイスは別として、土方を励まそうと気を遣ってくれているのだ。
「拙者がプロデュースをしているのでござるよ」
「………は?」
 今、なんと言ったのだろうか。聞き間違いでなければ「プロデュース」と聞こえてきた。渡されたCDの表には「つんぽ」とサインが入っている。
「真名は明かせぬゆえ、音楽活動は"つんぽ"名義で活動しているでござる」
 ちょっと何をいっているか分からない。河上さんのようなまともな神様でも冗談って言うのだと感心した。
「よければ今度ツアーもあるゆえ」
 サングラスの奥の目が本気であった。
「神様というものは、人の信仰心が糧に生きているのでな。だが、今は神社に居るだけでは集まらなくなった……その点、アイドルは非常に多くの信仰が集まるのでござるよ」
 アイドルは宗教、偶像崇拝、信者……そんな単語が頭を過る。テレビ番組の特集で見たような気がする。
 それらはあくまで例え。だが、今見聞きしているのはガチの宗教が出来上がろうとしている。何故なら神様がプロデュースしているのだから。
「次は、四十八くらいで会いに行けるアイドルグループを考えておるのだが……どうされた?顔色が悪くなっておらぬか?」
「いえ、大丈夫です……神様も、大変なんですね……ははは……」
 前言撤回。神様にまともな人はいないらしい。





 あれから三ヶ月。季節は夏に移り変わった。流石に周りも随分と落ち着いた。総悟によって、あることないこと噂を流された。だが、一月も経てば皆、興味は他へと移っていった。近藤さんや総悟以外にも友人もできたし、剣道部で伊東先生にしごかれながら汗を流している。
 相変わらず、神様二人による激しすぎるスキンシップが毎日朝から晩まであるのが唯一の悩みだろうか。来島はJKライフを楽しんでいるようで、友達とはしゃぐ姿にほっこりとさせられる。
 その日は日直だった為、ノートを集めて職員室へ持っていくことになった。もうじきテスト期間に入る。ノートも評価対象になるため、サボっていた者は痛い目を見ていた。現に近藤さんにノートを見せて欲しいと頼まれた。念のため総悟も確認してみれば、こちらもまともに取っていない。  中でも、伊東先生は特に厳しいと評判だ。真面目でいい先生だが、まだ少し緊張もしてしまう。
「うわっ!?」
「おわっ!?」
 廊下の曲がり角。ノートに気を取られて走ってきた男子生徒にぶつかってしまった。互いに尻餅をつき、ノートは崩れて廊下に散らばっている。
「ごめん!大丈夫か!?」
「いや、俺も前を見てなかったから」
 ぶつかってしまった生徒はペコペコと謝りながら散らばったノートを集める。それを受け取り念のため数を確認すると、間違いなく全員分揃っている。
「伊東先生に持って行くんでしょ?」
「ああ、なんでわかったんだ?」
「俺もさっき持って行った所だから。厳しいでしょあの先生」
「厳しいけど、俺はいい先生だと思いうな」
「確かにそうかもね。あ、待って肩にゴミが付いてる」
 にこりと笑って「はい、取れたよ」と言った。
「ありがとう。それじゃあ先生が待ってから」
「俺の方こそごめんね。じゃあ、頑張ってね……土方十四郞くん」
 早足で職員室に向かいながら、そういえばいつ自分は名乗ったのだろうかと疑問に思う。地味で印象に残らないような生徒だった。同級生か実は同じクラスで、土方が知らないだけだろうか。それとも総悟の噂で土方を知ってる上級生、という可能性もある。上級生にタメ口で話してしまったのが気になる。相手も気にした素振りはなかったから大丈夫だと思いたい。
「失礼します」
「ああ、土方くんありがとう。助かるよ」
「いえ、日直でしたしこのくらい構わないです」
「ところで、夏休みに部の合宿があるんだが都合はどうかな?半分はちょっとした旅行とまではいかないが、息抜きだ」
「本当ですか!?もちろん参加します!」
 テストは大変だが、夏休みと合宿が待っていると思うと楽しみが増えた。まだ出るのは難しいだろうが、大会だってある。教室へと戻る足取りは自然と軽くなっていた。先ほど感じた疑問などもう頭には残ってはいなかった。




「来島……テストどうだった?」
「古文と日本史は出来たっスけど、英語が……」
 蝉が鳴く中、来島と二人でアイスを齧りながら帰り道を歩く。こんな真夏日の真っ昼間に下校させるなど鬼かと思う。採点があるため必ず全生徒は下校しなければならない。茹だるような暑さと、テストの疲れで足取りに力はなく、高杉に「これも修行だ」と言われた来島はプレッシャーもあってか、ゲッソリしているようにも見える。
 数百年生きている来島は流石というべきか、古文や日本史は得意だが、化学や英語になると自分たちと同じくらいであったらしい。神様だから万能かと思いきや、意外な事実に親近感を覚える。        
 銀八は別として、土方は初めの頃、来島にも高杉にもどこか一歩線を引いて居た。
 それが、一緒に過ごすようになって少しずつ変わっている。神様も普通に笑って泣いて怒るし、飯を食えば好き嫌いもある。昔の事は詳しいけれど、現代の事には疎い。
 人間とそう変わらない彼らをいつしか、普通の人間のようにさえ感じている。神様を人間のようだと言うと失礼かもしれないが。だが正直、今の方が好きだ。これを言うと過激やスキンシップが行われる事が目に見えているので、絶対に言うつもりはない。
 来島も今や護衛というよりも、友人に近い感覚だ。そもそも、神様(見習いだが)と二人でコンビニでアイスを買って、それを齧りながら歩いているなんて誰が想像できただろう。
 初めは「なんて迷惑なんだ!」と思った事もあった。けれど、今は来島や高杉に会えて良かったと思う。このまま「一緒に居れたら楽しいだろうな」と思ってしまったのはきっとこの暑さのせいだ。
「あれ?十四郎様、袖口に何か付いてるッスよ?」
「ん?あ、本当だ」
 言われた通りに袖口を見れば、小さな赤い染みが付いている。
「けけけけ怪我ッスか!?早く手当てするッスよ!」
「落ち着けって!どこも怪我してねぇよ。分かんねぇけど、少し前からいつの間にか付いてるんだよ」
 確かテスト期間に入る頃だったと思う。怪我もしていなにのに、いつの間にか服に赤い小さな染みが付いている事があった。
 初めの内はたまたま付いたのかと思って放っていたが、それが何度も起きた。気味が悪くもあったが、洗濯すれば綺麗に落ちていたし、それ以上の事はなかったので気にする事もなくなっていた。
「他におかしな事はなかったッスか?」
「いや、別に。ただ染みが付くだけだな。洗えば落ちるから困らねぇし」
「うーん……変な感じはないッスけど、一度様に相談した方がい………えっ……十四郎様……?」
 瞬きをした瞬間に、忽然と土方は姿を消してしまった。


「あれ?来島?つか、ここどこだ?」
 ついさっきまで、来島とアイスを食べながら歩いていたはずだ。それが瞬きをした瞬間に、来島は居なくなっている。手からアイスが滑り落ちた。
 風景はいつもと同じ通学路だ。しかし、気味が悪い程に静かである。煩いほど鳴いていた蝉の声もしない。すれ違う人も、車の音も聞こえてこない。焼け付くような太陽があったはずなのに、少し薄暗い。夕方でさえ蒸し暑いというのに、今は肌寒ささえ感じている。
 冷や汗がこめかみを伝った。心臓の音が速くなっていく。スマホの表示は圏外で、連絡は取れそうにない。つまり、消えたのは土方自身だと結論付けた。
 とにかくここに居てはマズイ。闇雲に歩くのも状況を悪化させる可能性もある。だが、ここで立ち尽くしていても状況は変わらない。
 本能的な恐怖が足を竦ませる。それでも一歩進まなければ、さらに悪い事が起きるような気がしてならない。
 不意に、何かの気配がした。正体が分からないから、何かとしか言いようがない。人間であればいいが、きっと人間ではない。


『ミツケタ』『ミツケタ』
『タべてイイ?』『いいヨね?マダ?』

 気配が動く。まるでたくさんの虫が一斉に動き出したように。声の主は一人かそれとも複数か。同じようにも違うようにも感じる。至る所から視線を感じる。
 震えが止まらない。別の事を考えなければ、恐怖に飲み込まれて動けなくなってしまう。
 なのに、考える事ができない。五感が記憶が少しずつ曖昧になっている。さっきまで食べていたアイスの味が思い出せない。自分の中身が曖昧になっていく。
(俺の名前は土方十四郎だ……!)
口唇を噛み締めると鉄の味が口内に広がった。自分の事さえ忘れてしまったら最後。自分は元の世界に帰る事が出来なくなるとそう思った。
 ずるり……と目の前の暗闇から何かが這い出して来たのを感じて、覚悟を決めた。






「高杉!!」
 血相を変えた銀八が乱暴に保健室のドアを開ける。いつもなら「壊れるだろう」と一言、言ってやるところだが今はそれどころではない。
「わかってる。十四郎の気配が消えた」
「来島を付けてたはずだろ!なにやってんだテメェ!!」
「うるせぇ!こっちだってまだ状況が把握できてねぇんだ!そっちこそ担任のクセになにやってんだ!」
「テストの採点だよ!!なんでこんなに教師の仕事多いんだ!!過労死するわ!!」
「ああ、もういい!来島!聞こえるか!?」
「し、じんずげざま"ーーー!!どーじろーざまがー!!」
「泣くな!落ち着け!今はお前だけが頼りなんだ!」
「わがっだっス!!がんばるっズ!」
 すっかり来島はパニックを起こしている。まずは、落ち着かせるのが先決だ。修行中とはいえ神の末席にいる来島が気付かなかったとなると厄介だ。それに二人にさえ感知が出来なかった。相手は予想以上に力を蓄えているらしい。
「おい、銀八。準備出来てんだろうなァ」
「俺はお前と違っていつでも臨戦態勢なんで」
「理事長に追い掛けられて息切れしてたクセに」
「あのババアが化け物すぎんだよ!アレ、本当に人間か!?」
 軽口を叩いているが二人が纏う雰囲気は、まるで別物になっている。見た目こそ人間のままだが、今は神の領分へと変化させていた。
「オラ、置いてくぞ」
「てめぇ、抜け駆けは許さねぇぞ!」
 二人の姿は一瞬にして消えた。



「はあ……はあ……」
 どのくらい走ったのだろうか。持っていたカバンは邪魔になりどこかに放り投げてしまった。息はすっかり上がり、足は重い。もし帰る事が出来たら、もっと鍛えなければと思う。

―――――帰る?どこに?

 すでにどこに帰るのかすら忘れかけている事にゾッとした。家に帰れば義兄夫婦がいる。近藤さんと総悟はテストは大丈夫だっただろうか。この異変は来島が伝えてくれるはずだ。河上さんは最近会っていないな。銀八はマダオだけど、案外頼りになる。
 それから、高杉先生が、龍神様がきっと助けに来てくれる。
 今は信じて足掻くしかない。気配はそこらじゅうに合って、どこに逃げても同じだろうがじっとしているよりはマシだろう。ぐるぐるとさっきから同じ場所を走らされているけれど。
 一向に手を出してこないのは、土方が弱るのを待っているのか足掻く様を嘲笑っているのか。どちらにせよ、簡単には捕まりたくないし、負けたくない。ただじっと助けを待つのも性に合わない。
 ほどけた靴ひもを結び直して、また走りだした。



「来島!」
「晋助様っ!!」
 目を赤くした来島は今にも泣き出しそうだったが、歯を食いしばって耐えている。責任も感じているだろうし、唯一の手掛かりでもある。
「何があった?話せるか?」
「十四郎様と一緒に歩いてたら急に十四郎様が消えたっス……!気配も探ったんですけど、完全に途切れてしまって……」
「消える前におかしな事はなかったか?」
「いえ……本当に普通だったっス……」
「消える前以外なら?」
「消える前……十四郎様の制服に血みたいな後が付いてて、この頃気が付いたら付いてるって言ってたッス」
「それだな……恐らく印を付けられた」
 狙った獲物を確実に見つけ出し、誘い込むために付けられる謂わばマーキングだ。現代風に例えるならGPSと言ったところか。
 それは血であったり、痣であったりと様々だが一度でも印を付けられてしまえば、いつ何処にいても居場所が分かってしまう。消すには付けた本人が消すか、死ぬ以外では消える事はない。現世で襲う事も、自分の空間に引きずり込むのも簡単に出来てしまう。
 証には微弱だが付けた者の霊力が宿っている。土方に付いていたならすぐに分かる筈だが、土方以外の霊力は感じなかった。そうなれば、自分の霊力を隠す術を持ったものの仕業だ。隠す事に特化した者か、土方の霊力に馴染ませて印を付けたか。霊力に馴染ませるなら身体の一部、髪や爪を手に入れなければならない。
 どちらもかなり厄介な相手である。低級な妖や邪霊にはまずできない。恐らくは高ランクの邪霊か邪神クラスになる。
「おい銀八。まだ見つかんねぇのか」
「ずっとやってるつーの!上手く十四郎を隠しやがって……十四郎も相手の気配も霊力も隠されてる。俺の嗅覚まで誤魔化せるレベルの相手、って事はかなり厄介だぞ」
「いいから働け給料泥棒」
「いつテメェが俺に給料払った!」
「なら先月の三万を今すぐに返せ」
「あ、ここ怪しいなーちょーっと調べてみようかなぁ」
「誤魔化してんじゃねぇぞコラ」
「晋ちゃん気にし過ぎだよ……?と、見付けたぜ」
 何もない空間を指さした。その点に集中してみれば、確かにわずかな空間の歪みを感じる。これでは来島では気が付かないはずだ。空間の開け方も、隠し方も上手い。
「よし、ならさっさと開けろ」
「えーーー、そしたら十四郎助けに行くのお前になるじゃん。やだー俺がかっこよく助けたいもん」
「文句言わずにやれ。来島、結界張ってくれ」
「へーへー」
「了解ッス!」
 来島が結界を張ったのを確認し、銀八が呪を唱える。すると、小さな空間の歪みが少しずつ開いていく。そこから禍々しい気が溢れていく。恐らく中には障気が充満し、ただ居るだけで生命力が奪われていく。長時間居れば自分たちでさえかなりのダメージを負う。位の低い神や来島のような修行中の身では、消滅してもおかしくはないものだ。
 その中に人間である十四郎が耐えられるはずがない。普通の人よりもいくらか霊力が強かったとしても、微々たるものだ。
 さらに中の空間は時間や場所の概念が不安定で捻れている。すぐ隣に居たとしても、見付ける事が出来ないとなってもおかしくない。事態は一刻を争う。
「開いたぜ」
「じゃあ戻るまで気張ってろよ」
「てめぇこそちゃんと十四郎連れて戻ってこいよ。やっぱ、十四郎だけでいいや」
「晋助様宜しくお願いするッス!」
 無事に戻ったら、銀八には利子付きで三万を返して貰おうと心に決めて中へと入った。


 どれだけの時間が経っただろう。一分のような、一時間のような、それとも一日だろうか。
 とうに体力は尽きて、真っ黒になった地面に倒れ伏した。冷たいかと思いきや、冷たくも温かくもない。最初からそうなのか、それとも自分が感じる事が出来なくなっているのか。
 指先からじわりじわりと何が這ってきて、自分の中へと侵食していく。侵食が進む度に感覚や記憶が徐々に溶かされていく。手足の指先はもう感覚がない。動かそうにも身体はピクリとも動かない。まだちゃんと手足が付いているかさえ分からない。
 まるで食中植物に溶かされる虫のような気分だ。ぼんやりと頭の片隅でそんな風に思ったが、なぜ自分がそう思うのかもよく分からなくなってしまった。
 痛くも辛くもなく。寒くも暑くもない。何も感じなくなっている。感じないことも、分からない程に。
 ただ、このまま自分はゆっくり溶かされていくのだろうと漠然と思う。怖いとも嫌だとも思わない。思考は既に停止している。なぜ自分が走り回ったのかも、走り回っていた事すら忘れている。
 どこかに行こうとしていたようだが、もう思い出す事が出来ない。朧気に誰かの顔が浮かぶのだが、顔は真っ黒に塗り潰されて誰だかは分からなかった。
「……!」
 声が聞こえる。誰かが何かを言っている。土方を追いかけてきた「何か」ではない。言葉、だと思うが何と言っているかまでは聞き取れない。
「……!」
 少し声が大きくなった。真っ黒な顔の人が、土方に向かって穴を開けたり、開いたりしている。あの穴の名前は、確か口であっただろうか。
「…ろ…ぅ!」
 あれはなんと叫んでいるのだろう。
「とう…ろ…ぅ!!」
 とてもひっしに、とてもおおきなこえで。
「とうしろう!!」
 なんだかなつかしいような、そんなきがした。





「十四郎!!」
 走り回って見付けた土方は、うつ伏せでぐったりとしていた。怪我はないようだが、目は虚ろでこちらの呼び掛けに全く反応を示さない。手を強く握っても同じだった。頬を軽く叩いても「痛い」と声は上がらない。まるで、人形のようだった。
 かすかに心臓の音は聞こえる。わずかな生命力が、ギリギリで動かしているに過ぎない。いつ止まってもおかしくはなかった。
 銀八が開けた門に辿り着く前に、確実に土方は死ぬ。それだけは駄目だ。こんな所で死なせる訳にはいかない。己には使命がある。数百年耐えて、使命を果たせる時が来たのだ。
 何度失敗して何度土方を失ってきたか。銀八も同じだろう。ふざけた態度を取っていても、表に出さないだけで魂に刻まれた使命に違いはない。あえてこの地を離れ、影で修行していた事も知っている。
 今、土方を生かす為の方法は己の生命力を分け与える事だ。ここを出るまで耐えられるだけの生命力を。しかし、人と神では質が違う。少しでも間違えば上手く馴染めずに拒絶反応で命を落とす。そもそも作りも生きた年月も全てが違う。人にとって神の生命力は劇薬でしかない。
 与える量が多すぎれば身体が耐えきれず死に、量が少なくければここから出るまでに死ぬ。土方の生命力に馴染ませられなければ拒絶反応で死ぬ。
 さらにこの場には清らかな空気も場所もなく、ただひたすら闇と瘴気に満ちている。なんと絶望的な状況であろうか。
 しかし、迷っている暇も生命力を分け与える以外の選択肢も存在しない。銀八の開けた門も来島の結界もずっと貼れるものではない。ここの主を倒す事も考えたが、その前に土方の命は尽きる。
 数百年生きても手が震えるのだなと自嘲気味に笑った。今は土方の生命力と、その身に宿る魂に賭けるしかない。
「あんたも十四郎の事、守ってくれてんだろ?頼むぜ」
 己の気を高め集中する。簡易の結界を張り瘴気を遮断する。あまり意味は成さないだろうが、ないよりはマシだ。呼吸を整えると、手の震えはピタリと止まった。
 土方の冷えてしまった頬を慈しむように撫でる。大丈夫だ。自分を信じろ。上手くいく。土方に助けられた身だ。土方の為ならば何だって、この魂も捧げる覚悟だ。そうでなければ、神になどならずあの時に朽ちて土に還る事を選んでいた。
 血色を失い青くなってしまった土方の口唇に、自分のそれを重ねる。ゆっくりと少しずつ生命力を流し込んだ。





―――――誰かが泣いている声がする。
 大丈夫だと慰めてやりたいのに声が出ない。頭を撫でてやりたいのに身体は動かない。
 真っ白な空間に淡く輝く光があった。これは恐らく魂と呼ばれるものだ。目を凝らして見ていると小さな光でしかなかったそれらは、ゆっくりと形を作っていく。
 小さな子供と蛇と狐。蛇と狐は瞳から大きな涙をボロボロと溢し続けた。小さな身体のどこにあれだけの、水分があるのだろう。あんなに泣いていては干からびてしまう。
 子供は動かない。顔も青白く死人のようだ。いや、まさしく死人なのだろう。だから二匹は子供の死を悼んで泣いているのだ。
 冷たくなってしまった子供を暖めようとしているのか、二匹は小さな身体を寄り添わせている。時折、舌で舐めたり身体を擦りつけてみたりと必死に子供を起こそうとしているように見えた。
 それでも子供に反応はない。当たり前だ。死んでしまっているのだから、反応が返ってくるはずもない。
 ただただその光景を見つめる事しか出来ない。相変わらず、声も出ないし身体も動かない。そもそも、自分には身体がないのかもしれない。夢を見ている時と同じだ。これが自分の見ている夢であれば、子供を生き返られるかもしれない。子供が生き返るイメージをしてみたが、何も変わりはしなかった。
 大丈夫だと言ってやりたいのに、ありがとうと頭を撫でてやりたいのに。何も出来ないままでいる。どうしようかと悩んでいると、意識がふわふわとし始める。目が覚めるのか。形を持っていた魂もまた輪郭が揺れて崩れ始めていく。
 目覚める前にもう一度、彼らを見ておこうと思った。そうしなければならないと思った。相変わらず二匹はずっと泣き続けている。そして動かぬ子供を見た。
 あれは、あの顔は………………



「十四郎様っ!気がついたッスか!?よ、よがっだ!よがっだっズー!!」
 目が覚めると見慣れた部屋の天井と大泣きしている来島の顔が見えた。あまりにボロボロと泣くものだから、そちらの方が心配になる。「なぜ部屋に?」と聞くよりもティッシュを来島に渡す事の方が先になった。渡したら渡したで、優しすぎるっス……!!」とさらに泣かせる嵌めになった。
 来島は落ち着くと「ごめんなさい」と謝ってきた。泣いていたせいで鼻声は震えている。俯いた顔からはまた涙が零れた。
 それは何に対しての「ごめんなさい」なのか。
帰宅途中だったはずだが、いつの間にか部屋のベッドで眠っていた。カーテンの隙間から見えた外は夜になっている。もしかして、熱中症で倒れでもしたのだろうか。そのせいで、魘されてあんな悪夢を見ていたのだろうか。
「来島……とりあえずゆっくりでいいから何があったか話してくれねぇか?」
 そうでないと彼女になんと声をかければいいか分からない。自分の何倍もの年数を生きている神様だとしても、自分と同じ歳の少女にしか見えなかった。来島は袖で目元をゴシゴシと擦った後、赤く腫らした目でこちらをしっかりと見た。
 まず、簡単に言うと「神隠し」にあった。夢でなく現実に起こった事だった。それを高杉と銀八が助けに来たそうだ。
 次に、あの赤い染みは悪い者にマーキングされてしまい、今後も狙われる可能性がある、という事だ。ちなみに義兄夫婦には「帰宅途中で暑さで目眩をおこしたところに、通りかかった高杉先生が家まで連れ帰った」という事になっている。来島は一度帰ったフリをして、霊体となりずっと側に居たそうだ。
「未熟なばっかりに、十四郎様を危険な目に合わせてしまったッス……本当に申し訳がないッス……」
 最後の方は声が震えていた。大きな目には水の膜が張りゆらゆらと揺れ、静かに流れていく。
「俺はもう大丈夫だって。気にするな、って言っても難しいかもしんねぇけど、俺は無事なんだしさ。もう、泣かないでくれよ」
「十四郎様ー!!」
 俯いてしまった来島の頭をポンポンと撫でると、顔を上げた彼女と目が合った。その瞬間に、また大きな目からポロポロと涙が零れてしまう。
 もしかして、嫌だったのだろうか?これってセクハラになるんだろうか?と思っていたら腰に衝撃を受けた。
「どうしてそんなにお優しいんですかー!!」
見れば来島が腰に抱きついてワンワンと大泣きしている。今日一番の大泣きだ。服がすっかりべしょべしょになってようやく来島が泣きやんでくれた。宙をさ迷わせていた腕と、ずっと捕まれていた腰が痛い。
「来島、そういや高杉先生と銀八はどうしたんだ?」
「晋助様は祠で休まれてるッス。十四郎様に生命力を分け与えたのと、穢れた場所に居たので身を清める必要もあるッス。銀八は仕事と今回の件を調べるから、って無事の確認と結界を張った後に学校に戻ってるッス」
「そうか、後でお礼言っとかなきゃな。来島もありがとな」
「へ?私は……何も出来なかったッスよ?」
「けど、来島がいなかったら今頃どうなってたか分からなかったろ?だから、ありがとうな」
「十四郎さまぁー!」
「泣くなよ!?もう泣くなよ!?」
「はいっス!もう泣かないって決めたっス!十四郎様は本当にお優しいです。晋助様が惚れるのも頷けるッスね」
 うんうん、と納得したように頷く来島。だがしかし「おや?」と思う言葉がひとつ。
「今、惚れてる……って言ったか?」
「そうッスよ!晋助様は十四郎様と出会った頃から、十四郎様しか見てないッスから」
「そ、それはLIKEだよな……?」
「いえ、LOVEッスよ!!」
 LOVEの所でドヤ顔をされた。さらになぜか誇らしげである。
 よく気にかけてくれるし、博識だし、とても優しい。スキンシップが多いのはちょっとアレだけれど。それ以外は完璧と言ってもいい程の高杉が
「好きだ」と言っていたのも、銀八との悪ノリではなくて本気の方……だったらしい。
 土方の頭の中に「好きだ」と言ってきた時の高杉が浮かんできて、顔に熱が集まる。急激な恥ずかしさに襲われて、頭を抱えた。
「もしかして、晋助様からまだ告白されてないんスか!?」
「あ、えと、あの、そもそも……ほ、惚れてるとかの話も今、聞いたんだけど……」
「ああー!!どうしよう!?これはやっちゃったやつッスよね!?と、とりあえず晋助様には黙ってて欲しいッス!」
「わ、わかった!!黙っとく!!絶対に言わねぇ!!」
 二人して大量の汗をかきながら、絶対に秘密だと約束をした。知られたら三人とも居たたまれなくなるのは間違いない。おまけに銀八も本気だと聞かされた。あんな感じだが、本気なのでいつか消すと来島が言った。
「そしたら晋助様に十四郎様が目覚めた事を伝えてくるっスから今日はここで……!」
「お、おう分かった!気を付けてな!」
 たった数百メートル程度の距離で気を付けて、もなにもないと思ったが混乱状態の頭では他に何も思い付かなかった。秘密を漏らさないようお互いに気を付けよう、という意味だ。
 静かになった部屋のベッドに仰向けに倒れ込んだ。その途端に「好きだ」と言う高杉が浮かんできてしまって、それを吹き飛ばすようにブンブンと頭を横に振る。
 明日からどんな顔をして会えばいいのだろうか。日課で祠には絶対に行く。学校でも必ず会う。普通に冷静に接していれば、バレない筈である。
 出来なければ恥ずかしで憤死する。正直、まともに顔を見られる自信がない。銀八の方がまだ冗談として切り抜けられるのに。
 恋愛ドラマや漫画にハマっている来島の勘違いの可能性も捨てきれない。いや、そうであって欲しいと願う。
 普段数えもしない羊を数えて、必死に眠りについた。





「という訳で、今日から俺が護衛に付く事になった」
「え?なんて?」
「来島が修行に出ると聞かねぇから、修行の間は俺が十四郎の護衛をする。朝から晩までな」
 目が覚めると、ベッドの縁に高杉が腰かけていた。来島と秘密を共有してから、無事にバレずに過ごしたというのに。最後にとんでもないトラップが待ち構えていた。
 どうにかやり過ごして来たというのに、どうしたらいいのだ。来島は夏休みを利用して修行に出る。つまりは夏休み中はずっと高杉が一緒に居る訳である。
「惚れている」という話を聞く前なら普通に接する事ができた。だが、それを聞いてしまってからは変に意識してしまう。勘違いかもしれないが、勘違いじゃないかもしれない。本人に聞く事が出来たらどんなにいいか。「そうだ」と言われても困るし、「違う」と言われたらそれも嫌だ。
「俺が遊びに行く時もか?」
「そうだな。俺は見えないように霊体化しているから心配するな」
「ずっと一緒なんて仕事は大丈夫なのか?」
「仕事なんてどうにでもなる」
 実際、高杉は有能らしい。気難しい伊東先生ですら一目置いていて、彼が同じ教師であったら、と話していたとも聞く。ちなみに銀八に対しては悪い評価しかない。
「祠を留守にしてもいいのか?河上さんツアーって言ってたし……」
「そっちも問題ねぇ。武市と岡田がいるしな」
 神様の知り合いどんだけ居るのだろう。あの小さな祠にどれだけの神様が集まってくるのか。下手なパワースポットよりも強力かもしれない。
 どうにか、四六時中一緒に居る事を回避しようとしたが手詰まりだ。他の案が思い付いても確実に潰される。しかも「心配してくれて嬉しい」みたいな雰囲気になっている。墓穴しか掘れない。
「一応だが、家全体に結界を張っている。万が一俺が側に居られない時には出来るだけ家に居ろ。少しでもヤバいと感じたら逃げ込め。低級の雑魚じゃまず破れねぇ。最悪、時間稼ぎにもなる。それと」
 高杉が背後の窓を見た。連れて自分も視線を向ける。
「あのバカも入れねぇようにしておいた」
「………!…………………!!………………………!!」
 そこには何事かを叫びながら窓を叩く銀八の姿があった。そんなに叩いたら割れるのではないか。不安げな土方を尻目に「軍事利用できる程度の強度になっている」と高杉がサラリと言う。人の家を要塞にでも改造する気なのか。
「な?声も聞こえねぇようになっている」
「…………!………!」
「誰がチビだ!沈めんぞ!!」
 銀八が悪口を言ったのを察知したのか、空中に現れた水の塊で容赦なく銀八を打ち落とす。どすん、と大きな音がして窓から下を覗くと銀八は地面にめり込んでいた。
「あいつは殺しても死なねぇから安心しろ。仮に死んでも、底なし沼に沈めるから証拠は残さねぇ」
 爽やかな笑顔に何一つ安心できる要素などない。もう一度下を見ると、銀八が地面から這い出してきていた。背後から舌打ちが聞こえたのは聞こえなかった事にしておこう。
 トイレと風呂以外は本当にずっと側に居た。霊体化しているので、土方以外には見る事はできない。必要とあれば土方にも見えないようにもできた。
「違和感なく一緒に住む方法もあるがやるか?」
 というのは丁重にお断りさせて頂いた。方法を聞けば「不思議な力で」と、とても分かりやすく教えてくれた。来島に「ヒロインがイケメンしかいない家に居候する」という少女漫画をオススメされた事を思い出した。うっかりラブコメ展開を想像してゾッとする。
「そろそろ寝るか」
「ああ、おやすみな……」
 自分のベッドを見れば、高杉が寝転んでいるではないか。しかも、隣に来いというようにポンポンと叩く。わざわざ実体化する必要性がどこにあるんだ。
「どうした?」
「いや、あのそこで寝るんですか……?」
「そうだが」
「じゃあ、俺は床で……」
「なら俺も」
「いやいや、神様を床に寝させる訳には!!」
「ならベッドで寝るぞ」
「それは高杉先生だけでどうぞ」
「お前も一緒に寝るんだよ」
「いやだから俺は……」
「お前が一緒に寝ねぇなら俺は床で寝るぞ。神様に床で寝させる気じゃねぇだろうなぁ?」
 今まで嫌だからと神様であることを持ち出した事などなかった。一緒に寝たいという理由だけで、神様という身分を利用しようとしている。全くもって神様の無駄遣いである。もっと有効利用すればいいのに。たかだか添い寝するだけの為に 、プライドを捨てる神様がどこに居るというのだ。目の前に居るのだが。
「今日だけですからね!?」
「いや毎日だ。近くに居ねぇと守れねぇだろ」
「実体化する必要性なくないですか?」
「ある。おら、良い子は寝る時間だ。夜更かしは美容の大敵だぞ」
 たぶん何を言っても一緒に寝る事を譲らないだろう。もう諦めて折れるしかない。渋々と高杉の隣に寝転ぶと満足そうに笑った。
 その笑顔にドキドキしてしまったのはきっと気のせいだ。「惚れている」という話を聞いてしまったが為に、変に意識をしているからに違いない。
「おやすみなさい!」
「おやすみ、十四郎」
 高杉に背を向けて無理矢理に目を閉じてみた。しかし、無駄なイケボで囁かれるので余計に意識をしてしまう。髪に高杉の手が触れた。そのまま優しく頭を撫でられる。こんな風に撫でられたのは子供の時以来だ。もうぼんやりとしか覚えてはいないが両親にも義兄夫婦にも撫でられていた。 
 鼻の奥がツンとする。優しく大きな手が心地よい。少しずつ睡魔がやってきて、きつく閉じていた目蓋からも力が抜けていく。やがて夢の中へと落ちていった。




 その日から土方は。
 自分が死ぬ夢を見るようになった。


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