Le feuilleté des jours (ル フイエテ デ ジュール)

II

「よお」
「帰れ」
「オイ!待てやヅラあああああ!!」
「ヅラじゃない、桂だ。貴様何しに来た!」
 目の前のやり取りにデジャブを感じた。坂田がドアを開けようと躍起になっている。ドアの向こうに居るのは、恐らく桂小太郎だろう。
「こっちはケーキ食いに来た客だぞ。ほら、入れろよ」
「誰が入れるものか!!」
 ドアが悲鳴をあげている。今にも壊れそうな音がして、ドアノブが取れかけているようにも見える。
 何事かと周りの客が集まり始めた。出入口は一ヶ所しかない。帰る客も来た客も同じ場所に集まってしまう。
「その辺にしておけ、小太郎。他のお客様にも迷惑がかかっている」
「しかし……」
 ドアがゆっくりと開けられた。そこには不服そうな顔の桂と、もう一人男が立っていた。こちらはシェフパティシエの朧だ。二人ともメディアでよく見る顔である。
「とりあえず中に入れ。後ろの貴方は銀時のお連れかな?」
「あ、はい。そうです」
 有名人が二人。スイーツが好きな者は絶対に知っているような人物だ。銀時の口振りから二人とは知り合いのようだが、接点が見付からない。
「騒がしくしてすまないね。小太郎、彼らを一番奥の席に案内してくれ。もう少しで私の方も落ち着くから、先に準備してくれるか?」
「……わかりました。銀時、とりあえず奥の席に案内するから大人しく待っていろ」
 ため息を吐きながら桂が背を向けた。坂田は全く気にしていないようだが、先ほどから視線が痛い。あれだけ騒いだのだから仕方がない。連れだと返事をしてしまったが、関係ないですと言ってしまえばよかっと思った。
 四人がけの席に案内された。何故か坂田が隣に腰を下ろす。思わず文句を言えば
「後からヅラと兄さんが座るからだよ。あ、ケーキセット二つで」
「ヅラじゃない、桂だ。全く、急に連絡してきたと思ったら……まあいい、すぐに戻る」
 桂は踵を奥へ入ってしまった。隣の坂田はスマホを取り出してゲームを始めてしまった。一方の土方は初めて入る店内の緊張してしまっていた。
 ずっと前から一度は来たいと思っていた。しかし、男一人で来店する勇気が持てずにいた。ケーキすら買いに来れないのに、カフェスペースなど夢のまた夢。店内の雰囲気も写真で見た通りの素晴らしい場所だった。ついキョロキョロと店内を見回してしまう。
「店は初めてか?」
「……恥ずかしながら、実はそうなんです」
「今は普通に男性だけのお客様も多い。気にせず今度は一人で来てくれ」
 テーブルの中央に桂がティーポットを置きながら言った。キョロキョロしているのをしっかり見られていたらしい。
「え?俺は?」
「貴様は来んでいい」
 ピシャリと桂が言い放った。知り合いのようだが、坂田は何か恨みでもかっているのだろうか。
「もう少し蒸らすと飲み頃だ。いいダージリンが入ってな。良ければこちらも味わって欲しい」
 ケーキだけでなく紅茶にも力を入れている。菓子だけでなく茶葉も販売しており、こちらも人気の商品である。
 次いで目の前にケーキが置かれた。桂のオススメ
まん丸の目が土方を見つめている。チョコの目と白いムースは、マスコットキャラのエリザベスを模していた。
 エリザベスは桂が考案した店のキャラクターだ。シーツを被ったお化けのような見た目をしている。それがなんだか可愛いと、お子さまからお年寄りまで人気がある。ケーキやアイシングクッキーに果てはグッズまで出されている。店の入口では「いらっしゃい」とお出迎えまでしているのだ。
「いただきまーす」
 グサリと躊躇いなく坂田はエリザベスの頭を割った。中からベリーのソースが溢れて。
「てめぇ坂田あああああ!!エリザベスさんが可哀想だろうがあああああ!!人の心がねぇのか!?」 
「ただのケーキだろ!?お前のだって真っ白なもんぶっかけて台無しになってんだろうが!!犬のエサですかぁ!?」
 一方、土方のエリザベスはマヨネーズにまみれていた。かろうじで目だけは出ているが、最早何だったか分からない状態だ。
「貴様ら、煩いぞ!!出禁にされたいか!!」
「ぐぅっ……!」
 桂の言葉に土方は硬直する。つい最近も「出禁」という言葉を聞いたばかりである。おまけに周りの視線も集めており、眉をひそめられていた。恥ずかしくなりゆっくりと椅子に座る。
「……っ……??……ぁ……??」
「おい……?坂田……?」
 隣の坂田の様子がおかしい。さっきまで煩く喋っていたのに、急に黙り込んだ。桂とのやり取りを見る限り文句の一つでも言いそうであるのに。
 よく見ると何かを話そうとしているのに、音が出ていない。音は出ていないが、しっかり文句は言っているように見える。
「銀時、お客様がいらっしゃるんだから少し静かに」
 桂の背後にはいつの間にか朧が立っていた。物腰も柔らかく優しい雰囲気があるのだが、本能的に怒らせてはいけないと感じる。
「驚かせてすまない。朧兄さんは趣味が高じて経絡が突けるんだ」
 経絡が突けるようになる趣味とはなんだろうか。桂は至って真面目に話している。朧はそれ程でもない、という顔をしているが、深く突っ込まない方が良さそうである。
 朧が静かに近付くと、坂田の喉元から何かを引き抜いた。形状的に針のようなものだろう。
「かはっ……!?急に何す…!」
「銀時、黙らされるのと、自ら静かにするのと、どちらがいい?」
「……はい」
 有無を言わせぬ笑顔に大人しく坂田が座った。会社内では口喧嘩で坂田に勝てる人間はいない、と言われるあの坂田がだ。それを見た朧は微笑むのだが、土方は絶対にこの人だけは怒らせてはいけないと誓った。
「それで、銀時。突然何の用だ」
「ん、ああ。高杉の店分かっちまった」
 桂が分かりやすくため息を吐く。一方の朧は表情を変えない為、どう思っているかは分からない。桂の反応から恐らくは、坂田には高杉の店の場所をワザと教えていなかったのではないだろうか。
「それとこちらの方と関係しているのかな?」
 朧の視線が土方へと向く。持っていたフォークを置き、姿勢を正した
「坂田の同僚の土方です。俺がたまたま高杉さんの店を知って、それで坂田に聞かれて……って流れです」
「そうでしたか。銀時がお世話になっています。そんなに畏まらなくても大丈夫ですから。銀時に場所を伝えていないのは子供の喧嘩のような物です」
 桂がバツの悪そうな表情をした。坂田ならともかく、桂がこの反応ならば事実なのだろう。
「いい機会だ。銀時それに小太郎もいい加減意地を張らずに素直になりなさい」
「…………悪かった」
「…………すまない」
 少しの沈黙の後、坂田と桂は同時に口を開いた。それにまた何とも言えない表情をしていたが、朧は満足そうに微笑んでいる。
「すみません土方さんお見苦しい所を」
「いいえ、気になさらず」
 それよりも、とケーキをと手を差し出す。坂田のケーキはともかく、マヨネーズまみれのケーキを見ても眉一つ動かさない。
「……うめぇ……!」
 ベリーのソースの酸味とムースの甘味。初めて口にした念願のS.Yoshidaのケーキ。土方は評論家でもないただの一般人であるから細かい事など分からない。ただ、その味に感動しそのままの言葉が口から零れた。その様子に桂の強張っていた表情も綻んだ。
 見られている事に気付いて、何か感想をと思うがどう表現すればいいか分からない。芸能人の食リポなんてよくあんなに言葉がポンポン浮かぶのか。
「無理に言葉にしなくて大丈夫ですよ。あなたの気持ちはちゃんと我々に伝わっていますから」
 朧の言葉に身体の力を抜いた。難しい言葉を並べなくとも、土方の素直な言葉と表情を見れば明らかである。
「で、お前はもう少し味わって食えんのか」
 坂田の皿は既に空になっていた。一口一口味わって食べている土方と違い、たった三口で食べ終わってしまった。
「味わって食ってるって。やっぱりここのケーキはいつ食っても美味ぇよ」
「はぁ……お前が言うならそうなのだろうが」
「味覚は鈍っていないか、銀時?」
「おーいつでもバッチリよ」
 桂がため息を吐くが、隣の朧は満足そうである。正直、坂田が味わって食べているようには見えない。食えれば、甘ければなんでもいいようなタイプだと思っている。
「土方くん。俺の事疑ってるだろ」
「うん。お前信用出来ねぇもん」
「そんなに!?」
 真っ直ぐな目で同意しただけなのに、坂田は心外だと憤慨している。口先はまるで詐欺師のようで、糖尿寸前と言われているのを知らないのだろうか。
「ヅラ!試作あんだろ?持って来い。俺の汚名を返上してやる」
「ヅラじゃない桂だ。お前の味覚が本当に落ちていないか確かめるにはいいか」
 桂は席を立ち、暫くすると試作であろうケーキを六種類持って来た。それぞれ坂田と土方の前に三個ずつ置かれる。試作と言われたが土方の目には、ショーケースに並んでいてもおかしくないと思えた。
「土方さんも良かったら食べてください。試作は時々、ご来店頂いたお客様にも食べて貰っていますから」
 食べる側の意見や感想は、作る側の人間にはない気付きがありますから、と朧が続ける。確かに土方自身にも覚えがあった。お客様からの意見で、新しい発見があるのはよくある事だ。本音を言えば目の前のケーキが食べたくて仕方がなかった。そういう理由ならと遠慮なく頂く事にする。
「うまっ……!!」
 見た目通り、いや見た目以上に美味しい。こっそりと食べていたケーキ、それも憧れていたケーキを一日に四個も食べられるなんて!
 ショーケースに並べは宝石のように輝いて見えるだろう。どれにしよかと悩むのもまた楽しい時間である。
「どれもイマイチ」
「は……?」
 土方の甘い妄想は坂田の一言で消え失せてしまった。坂田の前に置かれたケーキは二三口食べられただけ。ケーキが可哀想である。それ「何を根拠にこんなにも素晴らしいケーキに失礼な事を言えるのか。
「これはもうちょっと酸味があった方がバランスが取れるな……これクリーム混ぜすぎ。こっちはスポンジの配合変えたりした?」
 そんなデタラメをと思ったが、桂と朧の表情は真剣である。これは恐らく冗談でもデタラメでもない。
「土方くんちょっと貰っていい?」
「おい!俺の勝手に取んな!!」
 貰っていい?と言う前にフォークはすでにケーキに刺さっていた。許可する前に土方のケーキの一部は坂田の口へと消える。
「やっぱりな。俺の方にはワザと新人の出しただろ。あ、土方くんの方はヅラが作ったやつだから、最初から完璧に美味ぇよ。真ん中のは朧兄さんの」
「正解だ。銀時に出したケーキは新人が練習用に作ったやつだ。土方殿には俺の作ったケーキと真ん中は朧兄さんが作った物だ。すっかり糖にやられたかと思っていたが味覚は健在か」
「銀時はちゃらんぽらんですが、舌だけは正確なんですよ」
「お前ら俺の事を褒めてんの!?けなしてんの!?」
 ぎゃあぎゃあと坂田が桂と朧に噛みつく。朧は優しそうに見えて結構毒を吐くタイプのようだ。噛みつくと言ってもじゃれ合いにしか見えない。本当に彼は昔からの馴染みらしい。
「坂田、お前そんなすげぇ能力があったのか……!俺は口先だけで菓子ばっかり食ってる昼行灯だとばかり」
「そもそも、俺が高杉のケーキって言ったからここに来たんだろうが!!」
「あ、そういえばそうか。あの時のケーキ返せよ」
 すっかり忘れていたが、坂田に「高杉のケーキだよな?」と言われた所から始まったのだった。思い出したら盗られた苺の怨みまで蘇ってきた。
「全く……お前は相変わらず、どこまで食い意地が張っているんだ。俺のケーキを勝手に食った事忘れておらんからな」
「それガキの頃の話だろ!?」
 桂も被害者のようである。食べ物の怨みは怖い。ならば坂田はかなりの怨みを買っていそうだ。 
 喧嘩になりそうな所を朧が「落ち着きなさい」とその場を諌めた。針が見えたように思ったのは気のせいに違いない。
「なんでそんな能力があんのに、なんでサラリーマンやってんだ?」
 パティシエは勿論料理人にとって味覚は大事な能力だ。桂も朧も優れているが、坂田の味覚は特に飛び抜けているらしい。二人が言うのなら、そうなのだろうがやはりどこか信じ切れていない。
「俺は食べる方が好きだから。それにケーキ屋なんぞブラックだぞブラック。土方くんケーキ屋さんに夢見てるだろ」
「だってそりゃあ、こんな宝石みてぇなモン作らんだろ?毎日甘ぇモンに囲まれて幸せじゃねぇか」
 子供の頃に書いた将来の夢。自分のケーキ屋さんをよく空想していた。書くのは恥ずかしくて、お巡りさんと書いてしまったけれど。
「あのな、お前が想像してるより過酷だぞ。お家よ菓子作りとは違ぇんだよ。何キロもある小麦粉抱えて、何百個と卵割って、腕の感覚なくなるまで撹拌できるか?丸一日肉体労働だろ。クリスマスなんて最早戦争。上下間系は厳しいし、つまみ食いすれば半殺しだったし」
「最後のは自業自得だろ」
「どんな仕事にも言えますが、実際は想像しているよりも厳しい世界です。世の中で見えるパティシエの仕事はほんの一部でしかありません」
 やはり朧が言うと説得力が違う、機械も導入されているから昔と比べれば、負担は減ってはいる。それでも一日に作る量は一個や二個ではない。売り物となれば味だけでなく、衛生面や原材料など売上についても気にしなければならない。
「で、根を上げて勝手に辞めたから高杉が怒ってしまったのだ」
「反省してまーーーす」
「しとらんな貴様」
 かなりぶっきらぼうな高杉だが、根は真面目なのだろう。試作から細かい細工を作り込んでいた。職人気質といった感じであったし、いい加減な坂田とは反りが合わないのかもしれない。
「それで坂田と高杉は喧嘩になった……って事か」
「いや、これだけじゃないぞ………確か銀時が高杉のケーキの苺を盗ったとか盗らなかったとかだったか……」
「いや、おねしょの犯人を銀時が晋助がやった、と言ったのが最初だったのではないか?」
「もしかすると、銀時が高杉から借りた教科書に落書きして返したアレかもしれぬ……」
「いやいや、自分が借りたAVを晋助のだと言った事かもしれない」
「待てやテメェら!!全部、俺が悪いみてぇじゃねぇか!!」
 いや、全部お前が悪いだろ。と心の中で突っ込んだ。そこから坂田のこれまでの悪行が出続ける。よくまあこんなにもやらかしているものだ。まさにワルガキである。
「まあ、とにかくくだらない意地の張り合いの結果だ。いい加減、銀時も高杉も素直にごめんなさいと言う事だな」 
 散々過去の悪行と、ついでに恥ずかしい過去まで暴露された坂田がついに白旗を上げた。朧が綺麗に纏めようとしているが、一番ダメージを与えたのはこの人である。
「高杉も元からあんな感じだったんですか?」
 ものはついでと聞いてみた。聞けば坂田たちは同じ施設の出身らしい。友達であり家族でもある。朧はお兄さん的な役割で信頼は厚いが、坂田や桂は頭が上がらないといった所だ。
「高杉は元々人付き合いは多い方ではなかったが、先生が人に騙されかけてな。そこから余計に人を寄せ付けなくなったのだ」
「じゃあ、坂田が原因じゃないんですね?」
「俺のせいじゃねぇって言ってんだろ」
 半分以上は坂田が原因な気もするが。内容的に他人である土方は、深く立ち入らない方がいいだろうと判断した。
「店の場所を教えて貰えないのはお前のせいだがな」
「う゛っ……!」
「銀時、ちゃんと謝りに行きなさい。私の方からも言っておくから」
「………はい」
 テーブルに突っ伏し完全に敗北した坂田を初めて見た。上司だろうと言い負かせるような坂田がだ。
「土方さん私たちは仕事に戻ります。ゆっくりされてくださいね。それと銀時の事を宜しくお願いします。もし何かあればこちらに」
 朧に丁寧に頭を下げられる。坂田はまだ戻って来れないようなので、二人分の頭を下げた。完全に姿が見えなくなった所で、坂田に話かけた。
「……朧さんって優しそうなのに怖ぇな」
「あぁ、先生も怖いが朧兄さんも怖ぇんだよ……なんたって先生の一番弟子だからな。絶対に兄さんだけは怒らせるなよ……!」
 半泣きの坂田が答えた。余程怖い思いをしてきたらしい。いけすかない坂田の思わぬ一面が見られたのは、少しラッキーだったかもしれない。
 食べ掛けだったケーキを堪能し、自分へのお土産用のケーキも買った。その内の一つは高杉の店で見た物と良く似ている。
「これはもしかして高杉の……?」
 ちょうど桂が出てきていたので聞いてみると、やはりそうらしい。試作が商品として並んでいるのを見て嬉しくなってしまった。
「高杉によろしく伝えておいてくれ。あとちゃんと好き嫌いせずに飯を食うようにと。それから……」
 まるで母親のような桂の長い話を聞きながら、大事な事を思い出した。
「あの、すみません。俺実は出禁で……」
「たまには顔を見せに……え?」
 伝えようにも店に入らせて貰えないのである。

 
 
 数日後、朧から土方に連絡が来た。坂田と高杉の仲直りと、土方の出禁の件である。来週末に時間を設けたから、坂田と一緒に行って欲しいという内容だ。坂田はともかく土方まで世話になるのは申し訳ない。ケーキには未練があるが、赤の他人の自分が迷惑をかけるのも気が引ける。
 朧が言うには行くのが難しい自分たちの代わりに、二人を見届けて欲しい。自分が行けば応じるかもしれないが、二人の問題でもあるからそれでは意味がない。迷惑をかけるのでその代わりに、という事だ。
 全部お見通しのようで怖いが、そのくらいでなければやっていけないのであろう。坂田もだが、桂や高杉もひとクセあるのだし。
 土方はありがたくこの話を受け入れる事にした。朧の好意を無下にする訳にも、断る理由もない。甘いもの好きを隠している土方にとって、こっそり行けるケーキ屋は貴重だ。それにあのケーキの味を忘れる事など出来そうになかった。
 そうしてその日が来るのをソワソワしながら待ち望んでいた。坂田だけは日に日に顔色が悪くなっていたそうだが。
 約束の日がやってきた。日付が変わった頃に訪れると、店には淡い光が灯っている。坂田は飄々としているが、来る前にあった朧からの連絡で少し顔色が悪い。
 緊張しながらドアを開けるとあの日のようにチリンと音が鳴る。ほんのり香る甘い臭いを吸い込むと、幸せな気分になった。足を組んでイスに座る、鬼のような高杉を見るまでは。
「久しぶり~晋ちゃん」
「チッ」
 ヒラヒラと手を振る坂田に対して、わかりやすく大きな舌打ちが聞こえた。服装はパティシエだが、誰がどう見てもヤの付く人種である。歓迎されている気配は全くないが、イスはちゃんと二つ用意されていた。目で座れと合図されたので、大人しく座る。
 高杉と坂田は見つめ合ったまま動かない。緊張感で息苦しいが、部外者の土方が仕切る事も出来ない。自分から今回の件を切り出すか迷っていると、意外にも坂田が最初に口を開いた。
「高杉……その、ゴメンナサイ」
 坂田が謝った。ややカタコトだったが頭を下げた。黙るか、謝るかすると死ぬと言われている坂田がだ。
「……今回は朧兄さんの顔を立ててやるが、次はねぇからな」
 不服そうではあるが思っていたよりも、あっさりと高杉は謝罪を受け入れた。朧という人物は高杉の中でも特別な人間らしい。
「それとお前。お前も次はねぇから」
 睨まれながら目の前にカードが置かれる。それを手に取ってみると、そこには「会員証」と書かれていた。
「おぉ~……!」
 思わず感嘆の声が漏れた。これで、正式に高杉の店に通うことができる。会員証と番号が書かれただけのシンプルなものだが、今の土方にとっては貴重品である。裏と表とひっくり返してじっくり見ると、裏面にバツ印が二つ書かれている。
「なあ、このバツ印ってなんだ?」
「出禁カウント。三つ貯まったら出禁だ」
「はぁ!?あと一個じゃねぇか!!」
 野球なら九回裏ツーアウトの超崖っぷち状態。高杉なりの最大限の譲歩ではある。
 食べる前からマヨネーズを掛けるなんて、パティシエだけでなく料理人に対してもあまりよろしくない。好みは人それぞれであるが、作った人間が自信を持って提供している事を忘れないで欲しい。例えば企画書を読みもせずに、こうした方がいい、なんて言われたら嫌な気分になるだろう?
 朧に丁寧に説明されると確かに納得できる部分がある。マヨネーズは美味しいが、そこに坂田が「美味しくなるよ」と生クリームを追加してきたらブチギレる自信がある。かけたいのは山々だがケーキの為。最低限作った人の目の前ではしないと心に決めた。
「いや、いい。絶対ぇ出禁にならねぇから」
「一応言っておくがいつ開くかなんて教えたりしねぇからな。マヨネーズ持ち込んだら即出禁だ」
 カバンを睨まれながらしっかりと釘を刺された。桂の言った通り、持参を諦めて正解だったようだ。
「高杉、俺のは?」
「チッ。ほらよ」
「会員証?俺のは普通パスだろ」
「あ?テメェはただの会社員だろ。貰えるだけありがたいと思え」
「つーか、俺のもバツ二つあるじゃねぇか!!」
「テメェは来店したら出禁」
「ふざけんなよテメェ!!」
「朧兄さんの豆大福食ったのバラされてぇのか」
 坂田は一度しっかりめに怒られるべきではないだろうか。コイツと同じバツ二つなのが恥ずかしいとさえ思う。
「用が済んだならとっと帰れ。こっちは忙しいんだ」
 文字通り坂田と共に外へと蹴り出される。せっかく店に来られるようになったのだ。ここは大人しく引き下がるのが吉である。
「シャッターまで閉めやがった!」
 ご丁寧にシャッターまで下り始めていく。ここまで徹底されるといっそ清々しいくらいだ。
「坂田、通報される前に帰るぞー」
 ここは秘密のケーキ屋だ。騒いで不審者だと騒がれたら、出禁どころの話ではない。最初の出会いで空き巣と間違えられた訳であるし。
「つってもなぁ!ムカつくだろ普通に!!」
「あーはいはい。ファミレスでいちごパフェ奢ってやるから」
「マジで!?一番デカイの頼んでいい??」
 パフェで目を輝かせるのだから現金なやつだ。気分もそう悪くはないし、これで大人しくなるなら安いものだ。それに、ケーキはお預けなのだから土方自身だって何か食べたい。
「ただし一つだけだからな」
「土方くん最高~!!」
 坂田をあしらいつつ、最寄りのファミレスへと入った。坂田は宣言通り一番大きないちごパフェを頼んで、美味そうに頬張っている。土方は季節のケーキを頼んだ。限定という言葉には人間は滅法弱い。ほんのりした甘味が疲れた身体を癒してくれた。
 帰宅してベッドの上に寝転がる。明日は休みだから、このまま眠っても誰にも咎められない。寝る前にカバンから財布を抜いて、中身を取り出した。会員証と書かれた何の変哲もないカードだ。だが、今の土方にとっては何よりも変えがたいものである。
 それをヘッドボードの上に置いた。子供の頃は雑誌の写真を切り抜いて、こっそり枕の下に忍ばせる事もあった。結局、ケーキの夢を見ることはできなかったが。高杉のケーキを食べることを夢見てそっと眠りに付いた。
 

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