Summer Takasugi
一 ああ(強制)夏休み
夏真っ盛りである。太陽は真上、日差しが強く、気温はぐんぐん上昇している。江戸の町もどこか浮かれている。周りを見れば皆着物を脱いで、水着やアロハシャツなどの軽装になっていた。至る所から夏の音楽が流れてくる。いくつかの店には「夏休みの為お休みします」という張り紙が。飲食店はのきなみ「海の家」と名前もメニューも変わっている。
そんな江戸のど真ん中でただ一人真っ黒な制服を着た男が居た。ついさっき出張から帰ってきた土方である。右を見ても左を見ても夏仕様。かなり際どい水着のお姉さんたちが目の前を通って、思わず目を逸らした。
パンツ一枚のオッサンたちも大勢いた。公然わいせつでしょっぴくか、と考えたが暑いとオッサンはすぐパンイチになる。近藤さんもすぐ全裸になるし、とオッサンたちは放っておくことにした。
明らかにおかしいのだが、かっちり着込んでいるのは土方のみ。どうにも視線を感じるのは浮いているからだ。天人の文化が入ってきたとはいえ、着物の人間の方が圧倒的に多かった。それが一気に変わったとしたら、何かがあったとしか思えない。
「ママー、あのおじさん服着てるよー」
「人を指差しちゃいけません!」
水着の少年が母親に注意されていた。その母親も土方を警戒している。やはりこの場では土方の方が異常らしい。
刺さる視線と直射日光に耐えながら迎えを待つ。近藤自ら迎えに行くと聞いていたが、また寄り道でもしているのだろうか。
「おーい!トシー!」
「ああ、近藤さん。あ……」
土方が振り返ると、咥えていた煙草が地面に落ちた。にこやかに笑う近藤がパンツ一枚でこちらに走ってきたからである。
「悪い、トシ!遅くなっちまった!」
ガハハといつものように豪快に笑う。すぐ脱いでしまうのもいつもの事なのだが、今回はやはりおかしい。頭もクラクラするし、目の前もなんだか暗い。
「トシ!?おい、トシ!!大丈夫か!?」
遠くに近藤の声が聞こえる。なぜ夏になっているのだ。
(確か今……十月だったよな……?)
土方が出張に出たのは十月の頭のことである。まだ日中は暑いが、朝晩は秋らしく冷え込むことが多くなっている。
異常な暑さとキャパオーバーのせいで、土方の意識はそこで途切れた。
※※※※※
「ここは……?」
「気がついたかトシ!」
土方が目が覚めると、そこは見慣れた自室だった。額には濡れたタオルと、冷房がよく効いている。
笑顔の近藤に再び意識を失いかけたが、今度はきちんと着流しだった。これで全裸だったら、起き抜けに(ナニかを)潰している所だった。
「身体は大丈夫か?出張で疲れてる所にこの暑さだもんな」
「心配かけて悪ぃ近藤さん。身体はなんともねぇんだが、それより」
「あぁ、そうだよな。いや実はな……」
土方が出張に出て、二日程経った頃だ。とある天人が江戸に降り立った。その惑星では「他の惑星に恋人を探しにいく」という風習があった。その白羽の矢が立ったのが地球という訳である。なかでも特に江戸に興味を持ったのだという。
ここからが問題である。その天人の惑星の気候は、地球で言えばほぼ夏である。年中、夏の浮かれたバカンス気分。今、最も行きたい惑星ランキングでも上位に食い込む人気ぶりだ。
その惑星の気候は機械によって管理されている。気候管理ナノマシン、通称「フェアリー」が惑星中に浮遊している。よりによってそれを江戸にばらまいたのである。
その為、江戸の気候は真夏になった。本来は気候が操作されるだけである。しかし、それが人間にまで作用してしまったのである。
おかけで、江戸の人間はみんな夏になってしまった。毎日のように夏を満喫するようになった。朝から晩まで夏を楽しんでいる。
夏休みだから、夏期休業と閉めてしまう店も多い。店を開けるにしても気分次第。飲食店は軒並み、海の家になってしまった。交通機関の時刻表は機能していない。医療機関などはどうにか稼働しているが、雰囲気がどうにも緩い。
そんなアホな事があって堪るかと、土方は思った。だが、そんなアホな事を起こすのが天人である。それもだいたい腹の立つ事ばかり。良かった事を思い出すのには、かなり時間がかかりそうだ。
「という訳で、江戸は絶賛夏休み中って事だ!」
「もしかして、ウチも……」
嫌な予感しかしない。普段からサボりがちな連中である。特に書類関係は溜めに溜めまくる。元々、学のない人間の集まりである。だが、仕事である以上「仕方ないね」では済まされない。
「おう!ウチも夏を満喫してるぞ!!ほら!!」
近藤が障子を開ける。そこには庭があったはずだが、砂浜に変わっていた。
水着にサングラスでビーチチェアで寛ぐ者。ビーチバレーに、スイカ割りを楽しむ者。砂に埋められて、ナイスバディなお姉ちゃんにされている山崎。
「テメェら!!遊んでねぇで仕事しやがれ!!」
「何言ってるんですか副長~今は夏休みですよ~なぁお前ら?」
「そうだー!そうだー!」
本気でキレてもどこ吹く風であった。皆すぐに遊びに戻ってしまう。どうしてコイツらは遊びには本気になれるのだ。そのやる気を三割でも仕事に回してくれるなら、土方の負担が減るというのに。
「……近藤さん、まさか警察も機能してねぇのか?こんな機会を攘夷浪士が見逃すはずが……!」
警察が、特に真選組が機能していないとなれば、攘夷浪士には絶好の機会だろう。主要な場所の一つや二つ爆破されていてもおかしくない。犯行声明もそれ以上に出されていることだろう。
「いやぁそれがさぁ。複数の攘夷党で会合があってほとんどの攘夷浪士が浴びちゃったらしくて」
犯行声明の代わりに「夏休み声明」が出された。攘夷浪士も夏休みなので、夏を満喫しますと。
大規模なテロが計画されていたようだが、主要な攘夷党の機能が停止した。その為、江戸にいなかった攘夷党も動けなくなった。下手に動いては計画は潰される。実際に動いた攘夷党は、その地域の警察に全員捕縛されていた。
これはこれでよかったのだろうか。一つ、二つの党が逮捕されているのは事実のようである。さらに、江戸が夏休みに入ってから、大きな事件や事故は起きていない。酔っ払い同士の喧嘩やちょっとした諍いはある。だが「夏休みだしカリカリしても仕方ないね☆」で解決している。
「という訳でトシも夏休みね!出張で疲れてんだからしっかり休むんだぞ!」
「いやでも、報告書とかあんだろ!?巡回だってあるのは代わりねぇんだから!!」
「大丈夫!大丈夫!ガハハハハ!」
いつもの豪快な笑顔で、局長室を追い出されてしまった。持っていた刀以外の仕事道具も取り上げられてしまう。近藤の「大丈夫!」で大丈夫だったことは一度もない。
正直、不安しかない。ひとまず副長室へと戻ると、予想通り書類が山積みになっていた。どれもこれも、期日はとっくに過ぎている。おまけに真っ白だ。通常なら催促の連絡が上から来ているはずだが、その形跡もない。本当に江戸中が夏休みのようだ。
とりあえず着流しに着替えた。恐らく、制服のままだと仕事判定になる。帰って来た時に、不審者に見られてしまったし。この格好は得策ではなさそうだ。
まずは書類の整理から始めた。こういう時は山崎に頼むのだが、今は砂に頭まで埋まっている。確認も含めて一つ一つ仕分けしていった。
「この刀すげぇんだぜ!?先っぽからなんと水が出る!!」
「それ最新型の水鉄砲機能搭載EX正宗じゃねぇか!!」
「俺は虫アミにもなるぜ!!」
「俺のは喋るんだ!!」
「DXのやつかー!すげぇー!!」
廊下の向こうから聞こえる会話に頭が痛くなった。通常、刀は経費で落ちている。誰だそんなアホな刀を経費で買ったのは。自腹で支払わせた後に、切腹させてやる。イライラしながら、短くなった煙草を灰皿に押し付けた。
期限が過ぎている物と近い物だけを持ち出すことにした。いくらか猶予のある物は、部屋に置いておく。屯所ではとても仕事が出来そうにない。夏休みという言葉は魅力的である。だが、土方は夏休みの宿題は計画的にやるタイプだ。最終日は、ゆっくり焦らず過ごしたい。
局長室に忍びこむと、近藤は部屋にいなかった。そこには、女性アイドルの水着のグラビアが広げられている。勿論、グラビアの顔はお妙の顔が張り付けられていた。その隣には最新の水着カタログとデートスポット特集の雑誌が置かれている。
ため息を一つ吐くと、土方は自分の仕事道具を探した。押し入れを開けるとすぐに見つかり、静かに部屋を後にする。
ひっそりと裏口から屯所を出た。そこで腹が鳴り、まだ昼を食べていないことを思い出す。私邸に戻る前に、定食屋に寄って行くことにした。
やはりというか、かぶき町もしっかり夏休み仕様だった。水着のお姉さんにパンイチのおっさんたち。場所柄か、パンイチのおっさんが多い気がする。流石にノーパンはいなかったが、どこかに沸いてはいそうである。
馴染みの定食屋も海の家になっていた。土方スペシャルも作れないと言われ、焼きそばをスペシャル仕様にして貰う。
「副長さん、暫く見なかったけど旅行にでも行ってたのかい?」
「いや、京の方に出張で」
「えええええ!?夏休みに仕事してたのかい!?」
腰を抜かしそうな勢いで驚かれた。店内に居た別の客からも「信じられない」と一斉に視線を向けられる。
そんなに悪いことをしたのだろうか。ただ仕事をしただけなのに。居たたまれなくなり、一気に焼きそばを掻き込んだ。「釣りはいらねぇ」と万札をカウンターに置き、急いで店を出る。
段々と自身が異常者に思えてきた。これまでは、無職の方が叩かれるような世の中だったのに。少しの間、江戸を離れただけで世界が一変していたのだ。フェアリーの効果が切れれば戻るらしいが、それはいつになるか分からないとのことだ。
このままでは、真選組は崩壊する。仕事の溜まり過ぎの後に、夏休みボケして仕事にならないだろう。攘夷浪士よりも、今はそちらの方が脅威だ。普段から仕事をしないのに、輪をかけて仕事をしていないのだ。比較的真面目だった部署も休暇を取ってしまって、今や土方のみが仕事をしている状態である。
「どいつもこいつも夏休みで一体どうすりゃ…
難しい顔をしているだけで、訝しげな視線を向けられる。周りが夏休みでニコニコしているからか、余計に仏頂面が目立つのだろう。
「新八!神楽!レインボーゴールデンヘラクレスオオカブトが森に出たらしいぞ!捕まえて一攫千金だ!!」
「いや僕はお通ちゃんの夏ツアーに行かないといけないんで」
「海の家で大食いチャレンジしてるらしいアル!!」
悩む土方の前を万事屋の三人が、駆け抜けて行った。虫取網を持った銀時に、法被姿の新八。それに両手にフランクフルトを持った神楽である。
「……アイツらは年中夏休みだったな」
その姿に土方は安心感を覚えたのだった。
私邸に帰ってようやく一息つくことが出来た。少し埃っぽく掃除が必要そうだが、仕事をするには問題ない。
居間の机を軽く拭き、書類を広げる。押し入れにしまっていた墨を引っ張り出してきた。湯を沸かして、茶の準備も忘れない。途中コンビニで煙草をカートンで買ったので、早々切れることはないだろう。
まずは、出張の報告書を片付けてしまいたい。時間が経てば記憶はあやふやになってしまう。最低限度、自分の仕事は終わらせておかなければ別の仕事に取りかかれない。
机の前に座り、茶を一口飲んだ。「よし、やるか」と腕まくりをした時だった。
台風でも来たのかというくらいに、ガタガタと障子が風で鳴り出した。私邸に戻るまで快晴で雲一つない青空が広がっていたはずだ。急に天候が変わるのもよくあることだが、これはいささか変わりすぎではないだろうか。おまけにヘリのような音まで聞こえてくる。
「たのもー!!土方十四郎はいるッスか!!」
「うおおおお!?来島ぁ!?」
庭に面した障子が開け放たれた。そこに立っていたのは、鬼兵隊の来島また子である。ヘリのような音は本物だったらしく、風で書類が吹き飛んでいく。
「四の五の言わず、大人しく着いてきてもらおうか!!」
「はぁ!?意味わかんねぇんだけど!?」
ここに来島が居ることがさっぱり分からない。私邸の場所を知られているのは問題ない。なぜならば
「土方、迎えに来たぜ」
何故だか鬼兵隊の頭目で、過激派テロリストの高杉晋助と恋仲なのである。なので、敵対しているのも関わらず、土方の私邸の場所は知られている。鬼兵隊公認というオマケつき。基本的には高杉以外は来てはいけない、など細かなルールまで決められている。そういう訳だから、来島が来ることはまずないのだ。
「……嘘だろ」
土方は来島の後ろに立つ、高杉の様子に絶句した。いつもの派手な着物ではなく、アロハシャツにハーフパンツとサングラス。足元はビーチサンダルと夏の装いなのである。
土方はゆっくりと、来島へと視線を向けた。来島の服装は、いつもと変わりがない。ただ目を泳がせて気まずそうにしている。
「……詳しくはヘリで説明するッス」
「……お、おう。わかった」
高杉と付き合っているのも、江戸中が夏休みなのも夢なら覚めて欲しい。だが、今一番覚めて欲しい悪夢は「夏休み仕様の高杉が目の前に居る」ということかもしれない。
「……という訳ッス」
ヘリの中で、来島から現状の説明を受けた。大方の予想通り、高杉もフェアリーの影響をモロに受けたということだ。
来島はたまたま別行動していて難を逃れた。だが、ほとんどの鬼兵隊が江戸入りしていた。そのため、高杉も含めて夏休み状態になっているのだ。
鬼兵隊は過激派であるから、大人しくしてくれているのが一番いい。だが、この様子は調子が狂う。というか気持ちが悪い。来島と土方以外はアロハシャツだ。ヘリの中は夏の曲まで流れている。
「河上は……?」
「先輩はミュージシャンッスよ。張り切って『渚に誘うよな、新しいナンバーを溢れるほど作るでござる』と言って本業そっちのけで作曲してるッス」
来島の目が死んでいる。ちなみにヘリの中でかかっている曲も、河上が選んだものだ。名曲から最新曲目まで。ちょっとセンスがいいものだから、余計に腹が立つ。
「武市の方は……?」
「アイツはロリコン発揮して、塀の中に居るんで一生出てこないで欲しいッスね」
ノンブレスで話した来島の目は本気だった。これは触れないでいい話題のようだ。
「で、高杉は……」
「見ての通りッスね……」
「土方ァ、俺ともお喋りしてくれねぇか?」
土方の隣にピタリとくっついている。あとなんだかいつもよりも軽い。夏に浮かれたナンパ男のような軽さだ。
「それで、俺にどうしろってんだ」
「それは晋助様が」
「俺ァ夏をお前と一緒に過ごしたくてなァ。拐っちまった」
「……コイツ、黙らせていいか」
「ちょっとそれは……」
刀を構える土方を制した、来島の心境は複雑だ。見たくないが、死なれるのも困る。敵対している組織のトップと、敬愛する上司が恋仲なのも充分不満だろう。それを目の前で見せられるのは、堪ったものではない。かといって、高杉が土方を連れて来いと言うなら無下には出来ない。
「無事だった人間に今回の件を調べさせてるッス。フェアリーをばらまいた天人が、行方不明みたいでソイツが見付かれば……って所ッスね」
元凶は現在行方不明。フェアリーをばらまいた後に、恋人を探してどこかへ行ってしまったらしい。停止コードはその天人しか知らない。そいつの母星に聞けば分かるらしい。だが、江戸中夏休みでわざわざ聞こうという人間はいない。
「とりあえず行方が分かるまで高杉の相手をしてくれ、ってことか」
「面目ないッス……」
今江戸で自ら仕事をしようとしているのは、土方と来島くらいだ。鬼兵隊で無事だったのは十人にも満たない。江戸からほぼ出ることのない真選組は全滅だ。手伝おうにも手伝えない。土方にできるのは、浮かれポンチの高杉の相手をすることだ。
「ところで今どこに向かってんだ?」
真っ先に現状の説明を聞いたので、行き先は聞いていなかった。ヘリで移動するくらいであるから、遠い場所なのだろうか。
「見えて来たぜ、土方」
高杉が窓を指差した。眼下には青い海が広がり、小さな島が浮かんでいる。
「お前とのバカンスのために買った」
せいぜいどこかの宿にでも行くのだと思っていた。しかし、夏仕様の鬼兵隊の頭目ともなれば、スケールが違ったらしい。
「晋助様、無人島買ったんス」
「……マジでか」
こうして思いがけない夏休みが始まったのである。
夏真っ盛りである。太陽は真上、日差しが強く、気温はぐんぐん上昇している。江戸の町もどこか浮かれている。周りを見れば皆着物を脱いで、水着やアロハシャツなどの軽装になっていた。至る所から夏の音楽が流れてくる。いくつかの店には「夏休みの為お休みします」という張り紙が。飲食店はのきなみ「海の家」と名前もメニューも変わっている。
そんな江戸のど真ん中でただ一人真っ黒な制服を着た男が居た。ついさっき出張から帰ってきた土方である。右を見ても左を見ても夏仕様。かなり際どい水着のお姉さんたちが目の前を通って、思わず目を逸らした。
パンツ一枚のオッサンたちも大勢いた。公然わいせつでしょっぴくか、と考えたが暑いとオッサンはすぐパンイチになる。近藤さんもすぐ全裸になるし、とオッサンたちは放っておくことにした。
明らかにおかしいのだが、かっちり着込んでいるのは土方のみ。どうにも視線を感じるのは浮いているからだ。天人の文化が入ってきたとはいえ、着物の人間の方が圧倒的に多かった。それが一気に変わったとしたら、何かがあったとしか思えない。
「ママー、あのおじさん服着てるよー」
「人を指差しちゃいけません!」
水着の少年が母親に注意されていた。その母親も土方を警戒している。やはりこの場では土方の方が異常らしい。
刺さる視線と直射日光に耐えながら迎えを待つ。近藤自ら迎えに行くと聞いていたが、また寄り道でもしているのだろうか。
「おーい!トシー!」
「ああ、近藤さん。あ……」
土方が振り返ると、咥えていた煙草が地面に落ちた。にこやかに笑う近藤がパンツ一枚でこちらに走ってきたからである。
「悪い、トシ!遅くなっちまった!」
ガハハといつものように豪快に笑う。すぐ脱いでしまうのもいつもの事なのだが、今回はやはりおかしい。頭もクラクラするし、目の前もなんだか暗い。
「トシ!?おい、トシ!!大丈夫か!?」
遠くに近藤の声が聞こえる。なぜ夏になっているのだ。
(確か今……十月だったよな……?)
土方が出張に出たのは十月の頭のことである。まだ日中は暑いが、朝晩は秋らしく冷え込むことが多くなっている。
異常な暑さとキャパオーバーのせいで、土方の意識はそこで途切れた。
※※※※※
「ここは……?」
「気がついたかトシ!」
土方が目が覚めると、そこは見慣れた自室だった。額には濡れたタオルと、冷房がよく効いている。
笑顔の近藤に再び意識を失いかけたが、今度はきちんと着流しだった。これで全裸だったら、起き抜けに(ナニかを)潰している所だった。
「身体は大丈夫か?出張で疲れてる所にこの暑さだもんな」
「心配かけて悪ぃ近藤さん。身体はなんともねぇんだが、それより」
「あぁ、そうだよな。いや実はな……」
土方が出張に出て、二日程経った頃だ。とある天人が江戸に降り立った。その惑星では「他の惑星に恋人を探しにいく」という風習があった。その白羽の矢が立ったのが地球という訳である。なかでも特に江戸に興味を持ったのだという。
ここからが問題である。その天人の惑星の気候は、地球で言えばほぼ夏である。年中、夏の浮かれたバカンス気分。今、最も行きたい惑星ランキングでも上位に食い込む人気ぶりだ。
その惑星の気候は機械によって管理されている。気候管理ナノマシン、通称「フェアリー」が惑星中に浮遊している。よりによってそれを江戸にばらまいたのである。
その為、江戸の気候は真夏になった。本来は気候が操作されるだけである。しかし、それが人間にまで作用してしまったのである。
おかけで、江戸の人間はみんな夏になってしまった。毎日のように夏を満喫するようになった。朝から晩まで夏を楽しんでいる。
夏休みだから、夏期休業と閉めてしまう店も多い。店を開けるにしても気分次第。飲食店は軒並み、海の家になってしまった。交通機関の時刻表は機能していない。医療機関などはどうにか稼働しているが、雰囲気がどうにも緩い。
そんなアホな事があって堪るかと、土方は思った。だが、そんなアホな事を起こすのが天人である。それもだいたい腹の立つ事ばかり。良かった事を思い出すのには、かなり時間がかかりそうだ。
「という訳で、江戸は絶賛夏休み中って事だ!」
「もしかして、ウチも……」
嫌な予感しかしない。普段からサボりがちな連中である。特に書類関係は溜めに溜めまくる。元々、学のない人間の集まりである。だが、仕事である以上「仕方ないね」では済まされない。
「おう!ウチも夏を満喫してるぞ!!ほら!!」
近藤が障子を開ける。そこには庭があったはずだが、砂浜に変わっていた。
水着にサングラスでビーチチェアで寛ぐ者。ビーチバレーに、スイカ割りを楽しむ者。砂に埋められて、ナイスバディなお姉ちゃんにされている山崎。
「テメェら!!遊んでねぇで仕事しやがれ!!」
「何言ってるんですか副長~今は夏休みですよ~なぁお前ら?」
「そうだー!そうだー!」
本気でキレてもどこ吹く風であった。皆すぐに遊びに戻ってしまう。どうしてコイツらは遊びには本気になれるのだ。そのやる気を三割でも仕事に回してくれるなら、土方の負担が減るというのに。
「……近藤さん、まさか警察も機能してねぇのか?こんな機会を攘夷浪士が見逃すはずが……!」
警察が、特に真選組が機能していないとなれば、攘夷浪士には絶好の機会だろう。主要な場所の一つや二つ爆破されていてもおかしくない。犯行声明もそれ以上に出されていることだろう。
「いやぁそれがさぁ。複数の攘夷党で会合があってほとんどの攘夷浪士が浴びちゃったらしくて」
犯行声明の代わりに「夏休み声明」が出された。攘夷浪士も夏休みなので、夏を満喫しますと。
大規模なテロが計画されていたようだが、主要な攘夷党の機能が停止した。その為、江戸にいなかった攘夷党も動けなくなった。下手に動いては計画は潰される。実際に動いた攘夷党は、その地域の警察に全員捕縛されていた。
これはこれでよかったのだろうか。一つ、二つの党が逮捕されているのは事実のようである。さらに、江戸が夏休みに入ってから、大きな事件や事故は起きていない。酔っ払い同士の喧嘩やちょっとした諍いはある。だが「夏休みだしカリカリしても仕方ないね☆」で解決している。
「という訳でトシも夏休みね!出張で疲れてんだからしっかり休むんだぞ!」
「いやでも、報告書とかあんだろ!?巡回だってあるのは代わりねぇんだから!!」
「大丈夫!大丈夫!ガハハハハ!」
いつもの豪快な笑顔で、局長室を追い出されてしまった。持っていた刀以外の仕事道具も取り上げられてしまう。近藤の「大丈夫!」で大丈夫だったことは一度もない。
正直、不安しかない。ひとまず副長室へと戻ると、予想通り書類が山積みになっていた。どれもこれも、期日はとっくに過ぎている。おまけに真っ白だ。通常なら催促の連絡が上から来ているはずだが、その形跡もない。本当に江戸中が夏休みのようだ。
とりあえず着流しに着替えた。恐らく、制服のままだと仕事判定になる。帰って来た時に、不審者に見られてしまったし。この格好は得策ではなさそうだ。
まずは書類の整理から始めた。こういう時は山崎に頼むのだが、今は砂に頭まで埋まっている。確認も含めて一つ一つ仕分けしていった。
「この刀すげぇんだぜ!?先っぽからなんと水が出る!!」
「それ最新型の水鉄砲機能搭載EX正宗じゃねぇか!!」
「俺は虫アミにもなるぜ!!」
「俺のは喋るんだ!!」
「DXのやつかー!すげぇー!!」
廊下の向こうから聞こえる会話に頭が痛くなった。通常、刀は経費で落ちている。誰だそんなアホな刀を経費で買ったのは。自腹で支払わせた後に、切腹させてやる。イライラしながら、短くなった煙草を灰皿に押し付けた。
期限が過ぎている物と近い物だけを持ち出すことにした。いくらか猶予のある物は、部屋に置いておく。屯所ではとても仕事が出来そうにない。夏休みという言葉は魅力的である。だが、土方は夏休みの宿題は計画的にやるタイプだ。最終日は、ゆっくり焦らず過ごしたい。
局長室に忍びこむと、近藤は部屋にいなかった。そこには、女性アイドルの水着のグラビアが広げられている。勿論、グラビアの顔はお妙の顔が張り付けられていた。その隣には最新の水着カタログとデートスポット特集の雑誌が置かれている。
ため息を一つ吐くと、土方は自分の仕事道具を探した。押し入れを開けるとすぐに見つかり、静かに部屋を後にする。
ひっそりと裏口から屯所を出た。そこで腹が鳴り、まだ昼を食べていないことを思い出す。私邸に戻る前に、定食屋に寄って行くことにした。
やはりというか、かぶき町もしっかり夏休み仕様だった。水着のお姉さんにパンイチのおっさんたち。場所柄か、パンイチのおっさんが多い気がする。流石にノーパンはいなかったが、どこかに沸いてはいそうである。
馴染みの定食屋も海の家になっていた。土方スペシャルも作れないと言われ、焼きそばをスペシャル仕様にして貰う。
「副長さん、暫く見なかったけど旅行にでも行ってたのかい?」
「いや、京の方に出張で」
「えええええ!?夏休みに仕事してたのかい!?」
腰を抜かしそうな勢いで驚かれた。店内に居た別の客からも「信じられない」と一斉に視線を向けられる。
そんなに悪いことをしたのだろうか。ただ仕事をしただけなのに。居たたまれなくなり、一気に焼きそばを掻き込んだ。「釣りはいらねぇ」と万札をカウンターに置き、急いで店を出る。
段々と自身が異常者に思えてきた。これまでは、無職の方が叩かれるような世の中だったのに。少しの間、江戸を離れただけで世界が一変していたのだ。フェアリーの効果が切れれば戻るらしいが、それはいつになるか分からないとのことだ。
このままでは、真選組は崩壊する。仕事の溜まり過ぎの後に、夏休みボケして仕事にならないだろう。攘夷浪士よりも、今はそちらの方が脅威だ。普段から仕事をしないのに、輪をかけて仕事をしていないのだ。比較的真面目だった部署も休暇を取ってしまって、今や土方のみが仕事をしている状態である。
「どいつもこいつも夏休みで一体どうすりゃ…
難しい顔をしているだけで、訝しげな視線を向けられる。周りが夏休みでニコニコしているからか、余計に仏頂面が目立つのだろう。
「新八!神楽!レインボーゴールデンヘラクレスオオカブトが森に出たらしいぞ!捕まえて一攫千金だ!!」
「いや僕はお通ちゃんの夏ツアーに行かないといけないんで」
「海の家で大食いチャレンジしてるらしいアル!!」
悩む土方の前を万事屋の三人が、駆け抜けて行った。虫取網を持った銀時に、法被姿の新八。それに両手にフランクフルトを持った神楽である。
「……アイツらは年中夏休みだったな」
その姿に土方は安心感を覚えたのだった。
私邸に帰ってようやく一息つくことが出来た。少し埃っぽく掃除が必要そうだが、仕事をするには問題ない。
居間の机を軽く拭き、書類を広げる。押し入れにしまっていた墨を引っ張り出してきた。湯を沸かして、茶の準備も忘れない。途中コンビニで煙草をカートンで買ったので、早々切れることはないだろう。
まずは、出張の報告書を片付けてしまいたい。時間が経てば記憶はあやふやになってしまう。最低限度、自分の仕事は終わらせておかなければ別の仕事に取りかかれない。
机の前に座り、茶を一口飲んだ。「よし、やるか」と腕まくりをした時だった。
台風でも来たのかというくらいに、ガタガタと障子が風で鳴り出した。私邸に戻るまで快晴で雲一つない青空が広がっていたはずだ。急に天候が変わるのもよくあることだが、これはいささか変わりすぎではないだろうか。おまけにヘリのような音まで聞こえてくる。
「たのもー!!土方十四郎はいるッスか!!」
「うおおおお!?来島ぁ!?」
庭に面した障子が開け放たれた。そこに立っていたのは、鬼兵隊の来島また子である。ヘリのような音は本物だったらしく、風で書類が吹き飛んでいく。
「四の五の言わず、大人しく着いてきてもらおうか!!」
「はぁ!?意味わかんねぇんだけど!?」
ここに来島が居ることがさっぱり分からない。私邸の場所を知られているのは問題ない。なぜならば
「土方、迎えに来たぜ」
何故だか鬼兵隊の頭目で、過激派テロリストの高杉晋助と恋仲なのである。なので、敵対しているのも関わらず、土方の私邸の場所は知られている。鬼兵隊公認というオマケつき。基本的には高杉以外は来てはいけない、など細かなルールまで決められている。そういう訳だから、来島が来ることはまずないのだ。
「……嘘だろ」
土方は来島の後ろに立つ、高杉の様子に絶句した。いつもの派手な着物ではなく、アロハシャツにハーフパンツとサングラス。足元はビーチサンダルと夏の装いなのである。
土方はゆっくりと、来島へと視線を向けた。来島の服装は、いつもと変わりがない。ただ目を泳がせて気まずそうにしている。
「……詳しくはヘリで説明するッス」
「……お、おう。わかった」
高杉と付き合っているのも、江戸中が夏休みなのも夢なら覚めて欲しい。だが、今一番覚めて欲しい悪夢は「夏休み仕様の高杉が目の前に居る」ということかもしれない。
「……という訳ッス」
ヘリの中で、来島から現状の説明を受けた。大方の予想通り、高杉もフェアリーの影響をモロに受けたということだ。
来島はたまたま別行動していて難を逃れた。だが、ほとんどの鬼兵隊が江戸入りしていた。そのため、高杉も含めて夏休み状態になっているのだ。
鬼兵隊は過激派であるから、大人しくしてくれているのが一番いい。だが、この様子は調子が狂う。というか気持ちが悪い。来島と土方以外はアロハシャツだ。ヘリの中は夏の曲まで流れている。
「河上は……?」
「先輩はミュージシャンッスよ。張り切って『渚に誘うよな、新しいナンバーを溢れるほど作るでござる』と言って本業そっちのけで作曲してるッス」
来島の目が死んでいる。ちなみにヘリの中でかかっている曲も、河上が選んだものだ。名曲から最新曲目まで。ちょっとセンスがいいものだから、余計に腹が立つ。
「武市の方は……?」
「アイツはロリコン発揮して、塀の中に居るんで一生出てこないで欲しいッスね」
ノンブレスで話した来島の目は本気だった。これは触れないでいい話題のようだ。
「で、高杉は……」
「見ての通りッスね……」
「土方ァ、俺ともお喋りしてくれねぇか?」
土方の隣にピタリとくっついている。あとなんだかいつもよりも軽い。夏に浮かれたナンパ男のような軽さだ。
「それで、俺にどうしろってんだ」
「それは晋助様が」
「俺ァ夏をお前と一緒に過ごしたくてなァ。拐っちまった」
「……コイツ、黙らせていいか」
「ちょっとそれは……」
刀を構える土方を制した、来島の心境は複雑だ。見たくないが、死なれるのも困る。敵対している組織のトップと、敬愛する上司が恋仲なのも充分不満だろう。それを目の前で見せられるのは、堪ったものではない。かといって、高杉が土方を連れて来いと言うなら無下には出来ない。
「無事だった人間に今回の件を調べさせてるッス。フェアリーをばらまいた天人が、行方不明みたいでソイツが見付かれば……って所ッスね」
元凶は現在行方不明。フェアリーをばらまいた後に、恋人を探してどこかへ行ってしまったらしい。停止コードはその天人しか知らない。そいつの母星に聞けば分かるらしい。だが、江戸中夏休みでわざわざ聞こうという人間はいない。
「とりあえず行方が分かるまで高杉の相手をしてくれ、ってことか」
「面目ないッス……」
今江戸で自ら仕事をしようとしているのは、土方と来島くらいだ。鬼兵隊で無事だったのは十人にも満たない。江戸からほぼ出ることのない真選組は全滅だ。手伝おうにも手伝えない。土方にできるのは、浮かれポンチの高杉の相手をすることだ。
「ところで今どこに向かってんだ?」
真っ先に現状の説明を聞いたので、行き先は聞いていなかった。ヘリで移動するくらいであるから、遠い場所なのだろうか。
「見えて来たぜ、土方」
高杉が窓を指差した。眼下には青い海が広がり、小さな島が浮かんでいる。
「お前とのバカンスのために買った」
せいぜいどこかの宿にでも行くのだと思っていた。しかし、夏仕様の鬼兵隊の頭目ともなれば、スケールが違ったらしい。
「晋助様、無人島買ったんス」
「……マジでか」
こうして思いがけない夏休みが始まったのである。
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