真っ赤な花

 高杉は昔から勘が良かった。良い意味でも悪い意味でもだ。夜の繁華街で自身が勤める学校の制服を見かけた。ただの一介の養護教諭である。熱意も持ち合わせてもいない。生徒が多少の火遊びをしようが興味はない。子供だからといっても、高校生なら物事の善悪は付く。自己責任だと考えている。
 それでも気になってしまったのは、その生徒が大人しく火遊びをするように思えなかったからか。だが、先日も優等生の女子生徒がパパ活していたというから人は見かけによらないものだ。
 するするとその生徒は人混みを通り抜けていく。周りの人間はその存在に気が付いていないようにも見えた。「忍者かよ」と柄にもなく呟く。
 そこで諦めれば良い物をなぜか負けたような気がして必死に追いかける。負けず嫌いな性分をこの日ほど恨んだ事はないだろう。
 繁華街を抜けた路地裏でようやくその生徒に追い付いた。
「………先生?」
 くるりと振り返った生徒は無表情でゾクリと肌が粟立つ。そしてその奥の壁にスーツの男がもたれ掛かっていた。「死んでいる」と直感的に感じた。
 こんな時に言葉が出ないというのは本当らしい。もしかしたら偶然にもこの生徒が死体を発見しただけかもしれない。だが、彼の手に握られた物が玩具であればの話だ。
「先生ごめん。見られたら消さねぇといけねぇんだ」
 胸に熱を感じた。一発で心臓を撃ち抜くとはたいしたものである。血が逆流して口から零れ落ちていく。立っているのもままならなくなり、後ろへと倒れた。
 銃口を下げると無感情な目で倒れた高杉を見た。本当は殺したくなかったが、見られた以上は口を封じなければならない。
 死体が増えてしまって多少なりとも小言を言われるだろう。一人はターゲットだが、もう一人は無関係な一般人である。しかも、自身よ通う学校の関係者だ。気が重いが処理をする為にスマホの連絡先を開いた。
「……一発とは相当な腕前みてぇだな」
「!?」
 死体が起き上がった。その異常事態に流石に動揺が見てとれた。確かに心臓を一発で撃ち抜いた。外した事など訓練時代の記憶しかない。
 平然と立ち上がった高杉の胸は赤く染まっている。口の端にも血が付着していた。
「間違いなくお前は心臓を撃ち抜いてる。お互い面度臭ぇモン抱えてるみてぇだな。一応、教師つー立場だから補導させてもらうぜ?」
 その様子に生徒は素直に諦めたようだった。ただ状況が飲み込めずに大人しくなっているだけかもしれない。
「その死体はどうすんだ?」
「アレは連絡すれば処理してくれます」
「そうか。ならその時間は待ってやるから、サッサとしろ」
 高杉は背を向けて煙草を吸い始めた。もう一度と銃口を構えようとしたが「無駄だからやめとけ」と言われしまった。
 ポケットから連絡用のスマホを取り出すと、手早く任務終了の報告を入れた。これで全ての仕事は終わりである。いつもならこのまま帰宅するのだが、今日はそうはいかない。
「行くぞ」
 逃げないようにか手を引かれ表通りに出る。一応は人混みの中でも殺せる技術はあるが、今はその時ではない。
「そうだお前名前は。何年何組だ」
「土方です。2年3組の」
「へぇ」
 それだけ聞くと興味がないと高杉は土方の手を引きながら歩き続ける。普通なら教師の補導など煩わしいものだ。だが、土方はその手を振り払いたいとは全く思わなかった。

 土方が連れて来られたのはマンションだった。警察に連れて行かれると思っていたからか、少しだけ肩の力が抜ける。
「シャワー浴びてくるから適当にくつろいどけ」
 そう言うと高杉は浴室へと消えていった。一人残された土方はどうすればいいか分からない。適当にくつろげ、と言われても他人の家である。
 部屋は広くソファの前に大きなテレビ。物はあまり置かれていない。キッチンには冷蔵庫とレンジがある。綺麗ではあるが、あまり料理はしないのだろう。冷蔵庫に食料が入っているかも怪しい。そうなると、毒を混ぜるのは向かないかもしれない。
 そこで思考を止めた。殺す方法を考えてしまうのは職業病だろう。高杉はなぜ死ななかったのか。心臓は撃ち抜いたし、本人もそう言っていた。防弾チョッキなんてもの、ただの教師が普段から付けているともは考えにくい。例えば威力の大きな拳銃ならば、衝撃だけで怪我や死ぬ可能性がある。しかし土方の所持しているのは、ごく普通のハンドガンだ。防弾チョッキで十分に防げる。
 そうなれば別の手段で口止めをする必要があった。そういう方法も小さな頃から教えこまれている。殺す手段としてつい最近だって行った事だ。
 ひとまず口止めをして、後から殺す方法を考えればいい。世の中に死なない人間なんていないのだから。
 そうと決めればすぐに浴室へと向かう。高杉が歩いていった方向は覚えている。間取りもマンションならある程度の想像はつく。
 ドアを開けると、浴室から出てきた高杉と鉢合わせした。少し判断が遅かったかと思ったが、やる事に変わりはない。バスタオルを頭に乗せただけなのも好都合である。
「そういう趣味はねぇぞ」
 実行する前にピシャリと止められた。冷ややかな目が土方を見ている。
「ついでだお前も入れ。話はその後でいいだろ」
 高杉は土方の横をすり抜けるとドアを閉めた。再び土方は立ち尽くす事になった。今までこんな事は起きなかった。起きたとしても、リカバリー出来たし欲に勝てる人間はあまり殆んどいなかった。
 浴室から出ると、Tシャツと短パンが置いてあった。一応警戒したが何も施されてはいない。新品の下着まで用意されており、意外と気を遣える人間なのかもしれない。しかし、土方は何も盗られていないのを確認して元の制服に着替えた。
「立ってても仕方ねぇだろ。とりあえず適当に座れ。飯は期待するんじゃねぇぞ」
 戻ってきた土方が制服のままなのは気にならなかったらしい。テーブルの上にはミネラルウォーターのペットポトルとカロリーバー。この辺りは想像が付いていた。
「で、お前は殺し屋ってやつか?」
「そうです」 
 バレているなら隠す理由もない。現場を見られたのだから、今更どんな言い訳が通用するのか。
「ふーん。そうか」
「警察に通報しないんですか?」
「してなんの得が俺にある?大体証拠もねぇのに『こいつ殺し屋です』って誰が信じるんだ?頭がおかしいって門前払いもいい所にしかならねぇ」 
 証拠は今頃完璧に消されている。防犯カメラにも映らないように移動もした。行方不明者になるか病死か事故死か。ごく自然な形で全てなかった事になる。
「驚かないんですか」
「別に。時代は変わっても大体そういうのは居るんだよ」
「先生はどうして死んでないんですか」
「死んだけど、生き返った。それだけだ」
 面白くなさそうに高杉は煙草に火を点けた。このご時世吸っていいか、と聞くものだが。
 信じられない話だか、目の前で見てしまった。それに高校生の殺し屋というのも創作物でしか見た事がない。
「で、お前はあれか。大方拾われて仕立てあげられた、って口だろ」
「……なんで分かるんですか」
「昔からそういうのが多いんだよ。孤児を集めて暗殺集団に仕立てるってのは。足がつきにくいし、死んでも大した痛手にならねぇ。消耗品ってやつだ」
 消耗品という言葉に土方の胸が傷んだ。親の顔も知らず、拾われた先で殺す技術を教え込まれた。筋がいいと褒められ、自慢の息子だと頭を撫でられた。悪い事だと知っていても人を殺す度に愛情をくれた。
 逆に言えば人を殺さなければ何も与えられなかった。最初から全て上手く出来た訳ではない。失敗した時は見向きもされなかった。身体を求められれば応えた。知らない人間を相手にしたのも数えきれない。人を殺して愛情を貰う。それが歪だとも、自分以外の人間にも同じ事をしているのを知っている。
 分かっていながら目を背けていた事実をサラリと言われてしまった。偽りの愛を与えておけば、無償で働いてくれる消耗品。人を殺す事しか出来ない空っぽな人間が自分である。
「……思い当たる節はあるみてぇだな」
 何も言えなかった。事実そうなのだから。違うと口では否定したとしても、もう既に分かっている事なのだから。いつか誰かに殺されるか、使い捨てられるか。どちらかの道しかない。
「……どうして俺を連れて来たんですか」
「ただの気紛れだ。意味なんてねぇよ。まァ、学校を作ったヤツに恩義があるからぐれぇだな」
「理事長にですか?」
「今のじゃねぇよ。創設者くらい知らねぇのか。生徒手帳にもあんだろ吉田松陽って」
 制服のポケットから手帳を取り出す。確かに最初のページに創設者の名前と言葉が書かれていた。歴史として小さな塾から始まり、やがて学校を作った。しかし、そこに書かれている年代は江戸の終わりから明治の始まり頃である。
「嘘みてぇな話たが、俺は江戸時代の生まれだ。それも幕府の始まる少し前くれぇだな」
 そうなると単純計算でも高杉は四百年近く生きている事になる。とてもじゃないがそうは見えない。せいぜい二十代後半がいい所だ。
「人魚の肉、って聞いた事があるか?食えば不老不死になるって代物だ。それを一緒に食ってくれって頭のおかしな女に無理矢理食わされて気付けばこの様さ。……ナイフか何か持ってんだろ、貸せ」
 高杉が手を差し出した。無論ナイフは常に携帯している。
「俺ァ長生きしてるが、殺しの技術なんて持ってねぇよ。ナイフ以外も持ってんだろ。変な動きすりゃあ殺りゃあいい」
 少し躊躇った後、土方は高杉に小ぶりのナイフを渡した。これ以外にも複数の武器を携帯している。言われた通り、一つ盗られたとしても問題はない。
 高杉は左腕を出すと、受け取ったナイフで躊躇いなく横に切った。皮膚が裂け血が流れ落ちていくが、瞬く間に傷が塞がっていく。Tシャツで乱暴に拭うとそこには傷一つ残ってはいなかった。
「これで信じられるか?触ってもいいぜ。種も仕掛けもねぇよ」
 恐る恐る土方は腕に触れた。傷はなく綺麗な皮膚があるだけだ。不老不死などおとぎ話でしかないが、生き返ったのも傷が一瞬で治ったのも現実で起きた事である。
「その女の人はどうなったんですか?」
「相性が悪かったのか、のたうち回って死んだ」
 ほらよ、と高杉がナイフを返した。本当に腕を切ってみせただけであった。
「先生はそれからずっと一人で生きてるんですか?」
「そうだ」
「……寂しくないんですか」
「寂しい……か。どうだろうな。そんな感情もあったかもしれねぇ」
「死にたいと思わないんですか」
「何度か死ねば血が薄まって死ねるらしい……が。死ぬってのは最悪な気分だからな。出来れば何度も味わいたくねぇ。変な女に突き飛ばされて、電車に轢かれた時なんざ、バラバラになってから再生、だったからな」
 バラバラの死体も見たことがあるが、そこからの再生など想像が付かない。そもそも、死んだ時の気分なぞ知らないのだから想像など出来るはずもない。
「先生はなんで生きてるんですか」
「死ねねぇから」
「そうじゃなくて」
「生きてる理由、ってやつか?さっきも言ったが学校を作ったやつに恩義がある、からな」
 土方にとってそれが一番理解が出来ない。創設者はとっくの昔に故人で、高杉は死ねない苦痛と孤独を抱えながらも恩義の為だけに生きている。
 誰かに褒められる訳でも、愛情を与えられる訳でもない。土方にとってそれらは代償があっての物だ。与えて貰うには何かを差し出さなければならない。
「喋りすぎちまったな。流石に未成年を外に出せる時間じゃねぇから泊まってけ」
 寝室はあっちだと指指された。高杉はソファに寝転がってしまう。眠る場所さえ何かと引き換えであったのに、どうしてこんなにも簡単に与えてしまえるのだろうか。
「おい、そこで見られてちゃ気になって寝れねぇだろうが」
 それでも動かない土方に舌打ちして、高杉は無理矢理に手を引いて寝室に押し込める。
「じゃあな。おやすみ」
 ブランケットを持って高杉は寝室を出た。本当に土方を自分の寝室で寝かせるらしい。
 諦めて土方はベッドに上がった。他人のベッドで眠る時は青臭い匂いがいつも付きまとっていた。だが、香るのは灰皿に残された煙草の匂い。とても変な気分だった。でも悪い気はしなかった。高杉が普段使っているだろう布団にくるまって、身体を抱えるように一人眠りに付いた。


イメソン PIERROT 真っ赤な花
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