いつかこんな未来も-来るかもしれない運転-

それは神楽の一言から始まった。

 昼飯も食い、のんびりだらだらとお昼のワイドショーをソファに寝そべりながら見ている。大きな事件もなく、面白い話がある訳でもない。アイドルがスイーツを頬張ったり、流行の服を嬉しそうに着ている。
 穏やかな午後である。ふあ、と欠伸も出る。見れば向かいに座っていた神楽も欠伸をしていた。神楽の娘は外に遊びに行っているし、家事は午前中に終わっている。する事もないし、腹の具合もいい。まだ10代の頃は大口を開けて欠伸をしていたが、今は小さく口を開き手を当てるようになっていた。あんなじゃじゃ馬娘がちゃんとしたレディになるなんて想像もつかなかった。少女は今や母親である。それでも、自分たち家族と居る時には昔と変わらぬ顔を見せる。それなのに子供扱いすれば怒り、構わなければいじける。それがどうにも愛しく感じるのは歳を取ったせいだろうか。
 神楽に向けていた視線をテレビに移すと内容はとっくに変わっていた。
『今流行りの結婚式特集』と題された番組内の情報コーナーである。昔と比べて多種多様になったな、と思う。あまりに変わりすぎてもう着いていけないとボヤけばジジイめ、と言われる。若い頃は着いていけない筈はないと思っていたが、見事に自分もジジイの仲間入りを果たしていた。
 今の流行や有名デザイナーが製作したドレス。やってよかった、と評判の演出であったりこれから来る流行は、など次々に場面が変わっていく。
神楽のウェディングドレス姿を思い浮かべると、鼻の奥がツンとしてくる。新八の紋付き袴姿も凛々しかった。随分と涙脆くなってしまった。やっぱりジジイなのか自分もと思う。
 涙ぐんでいる内に、テレビの内容は結婚記念日の話題に変わっていた。どんなプレゼントを送るか、夫婦水入らずでゆっくり過ごせる人気の旅館、など次々と紹介されていく。それから一組の中むつまじい一組の老夫婦が紹介された。
「今年は金婚式で孫たちが旅行をプレゼントしてくれたんです」
 嬉しそうに話すご婦人は隣にいる旦那を見上げて嬉そうに微笑んだ。同じように旦那も微笑む。どことなく甘酸っぱいような雰囲気まで感じる。あのシワのひとつひとつに幸せが刻まれているのだろうなと思う。
「銀ちゃんはトシと結婚してどのくらいネ?」
「ん?そうだなぁ…32、3年くれぇかなぁ」
「それは金婚式になるアルか?」
「いや、金婚式は確か50年だからまだ先だなぁ」
「記念日はちゃんとしてるアルか?何やってるネ?」
「ん~別に何もしてねぇなぁ…そもそも籍入れてる訳でもねぇし」
 当時は同性での結婚は出来なかった。事実婚でも二人一緒に居られるならそれでよかった。今では制度が出来ているが、今の状態で満足していて正式に籍を入れる、というのも今更な気がして特に話題にはならなかった。
それでもパートナー登録だけはしておいた。何かあった時には家族にしか許されない、という事は多い。同性婚が認められる前に出来た制度だ。その後に同性婚が整備されたが、籍を入れるかどうかは自由であったし、籍を入れていなくても特に問題を感じる事はなかった。
「でも、プロポーズくらしいはしたよナ?今更恥ずかしがる歳でとないダロ。吐け」
「プロポーズ………いやしてねぇ………か」
「は?もう一回言ってみろヨ」
「だから、プロポーズしてな」
「はあああああああ!?プロポーズしてない!?どういう事アルか!総悟でもちゃんとしてきたヨ!という事はハッキリした言葉もないのにトシはこのマダオと一緒に居てくれてるアルか!?」
「女じゃねーし別になくてもいいだろ」
「ふざけるな!この甲斐性なし!マダオ!ニート!クソ天パ!!ちょっと姉御に電話するアル!」
「え"!?待てそれは嫌な予感しかしねぇ!!」
「もしもし、姉御?聞いてよ銀ちゃんが」
「やめろおおおおお」
「トシにプロポーズしてないんだって!!」
※※※※※
「銀さん話は聞きましたよ」
「銀さん…あなた最低ですね」
「銀ちゃん幻滅したアル」
 60を過ぎて正座させられている。
目の前には3人が笑顔で仁王立ちしている。その笑顔が何よりも怖い。笑顔の時が一番怒っているのは何十年と共に居るのでこの身に染みて分かっている。決して逆らってはいけない事も。
「銀さんあなたにはこれから死に物狂いで働いてもらいます」
「いや…俺もう立派なジジイよ?死に物狂いで働いたら本当に死んじまうから…な?」
「恋人にプロポーズの一つもしないマダオに生きる価値があると思ってたんですか?」
「………ないです」
「銀ちゃんには万事屋で3ヶ月みっちり働いて貰うアル」
「はぁ!?3ヶ月も!?」
「その間も食事処お登勢は開けて貰います」
「え"!?この歳でWワーク!?無理無理無理無理!!」
「トシは可哀想アル…こんなプロポーズのひとつもしないマダオに惚れたばっかりに………今も惚れてるとは限らないけどな」
「う"っ」
「土方さん、うちのお店の子達にも人気なのよね~」
「ぐっ」
「土方さん優しいですから、同情で銀さんと居てくれてるだけかもしれないですよね」
「ん"っ」
「普通ならとっっっっくの昔に別れててもおかしくないわねぇ。あら?ごめんなさい。そもそも付き合ってもなかったわね?」
「好きだと思ってるのは銀ちゃんだけかもナ」
「そもそも土方さんは事実婚だとすら思ってないかもしれないですね」
「あああああああ!!!」
そうして地獄の3ヶ月の幕が開けたのである。
※※※※※
「銀時、最近窶れてねぇか?」
「ちょっと夏バテ気味かなぁ…?」
「なんで疑問系?」
「気のせいじゃねぇ?」
 土方と二人で夕餉を囲む。土方はいまいち納得してはいないような気がしたが、それ以上追及はしてこなかったので、胸を撫で下ろした。
3ヶ月働き詰め生活はようやく1ヶ月目が終わった所だった。あの事件が5月の末頃に起き、梅雨に入りつい先日に開けた。気温は一気に上がりすっかり夏である。急激な温度変化と店を普段より多く開けていたから、疲労による夏バテになってもおかしくはないと思ったのだろう。
 銀時はほぼ休みなく1ヶ月働いている。店に加え、強制的に万事屋で働かされている。
「逃げようものなら、分かっているわよね?」とお妙に薙刀を喉元に突き付けられながら、書面まで書かされ血判まで押させられる始末である。
店の方は趣味のようなものだから、十四郎と二人で食えるくらいあればいい。それに十四郎の収入と退職金もある。暮らすには充分すぎる。
 帳簿は土方が管理している。組で資金面や予算に関わってきただけあって、専門ではなくともそういう部分もしっかりしている。俺が付けると適当になるか付けないかなので随分と怒られた。ちゃんと黒字もしくは最低限トントンになるようになった。
 つまり、急に店の利益が増えるようにすれば怪しまれる。最悪、容赦なしで警察に付き出される。
そうして悪魔は「なら、別の仕事で稼ぐしかないですよね?」と笑顔で言ったのだ。
 土方は真選組を退職したとはいえ、ほぼ毎日稽古をつけに行ったり相談に乗っている。
 他にも警察庁に知恵を貸して欲しいと呼ばれる事もあるし、民間の警備会社にノウハウを教えに行く事もある。
 かぶき町町内会の見回りにも率先して参加しているし、それがきっかけで子供達に剣術や護身術を教えて欲しいと頼まれもした。
 チンピラ警察と煙たがられもしたが、かぶき町の住民達はどれだけ彼らがこの町を守るために尽力し戦ってきたかをよく知っている。
 気分で店を開けたり開けなかったりする銀時とは違い、土方は今も働いているようなものだった。たぶんあいつ前世はマグロで動いてないと死ぬんじゃないかな、と本気で思った事もあるくらいに土方はよく働いていた。
 なので、意外と銀時と土方はずっと一緒に居る訳ではない。ぐうたら好きの銀時と動いてにいないと死ぬ土方。たまに銀時が駄々を捏ねる事もあるがお互いを尊重して上手くやっている。それでも現役だった頃よりも何倍も一緒に居る時間は増えたし、「おはよう」も「おやすみ」も言えるし、三食を共にするのも当たり前の日常になっている。土方も今日は何もしたくないと、一緒になって丸一日ダラダラして過ごす日だってちゃんとある。
 土方のじっとしていられない性分と忙しさ、そこが好都合だった。こそこそ隠れて働くとロクな事がない。土方のスケジュールは予め知っているから、確実にいない時間に万事屋を手伝えばいい。仮に土方が予定より早く戻っても、パチンコに行っていたとか遊びに出ていたと言えばいい。万事屋を手伝う事があっても不思議ではないが、あまり頻繁にしていなかったのでこちらはたまにしか使えないが。
 腰も曲がらず髪もフサフサで、まだまだ元気だとはいえ、身体は以前よりも衰えを感じる。腹がぷにっとしているし、やはり疲れやすくなっているように思う。気ままに働いていた者が急に1ヶ月も働けば身体が悲鳴をあても無理はない。
 別に内緒で働く事もないと思うのだが、こういうのはサプライズが大事だし誠意を見せろと詰め寄られた。3ヶ月みっちり働いて稼いだ金で、指輪を買ってちゃんとプロポーズしろ、それが3人からの指令である。「指輪と言えば給料3ヶ月分でしょう!」と押しきられた。だが自分でもそれくらいしか思いうかばなかったし、覚悟を示すならそれがいいのかもしれない。60年近く生きても代わり映えがない。だが、流行を取り入れてなんて自分には向かないだろうし、取り繕ったところでただのハリボテにしかならない。
 思い返してみればあまりハッキリと言葉にした事は少なかったように思う。告白は自分からだったが「月が綺麗ですね」と言った。それに土方は応えてくれたが、意味を知っていなかったら一緒に居なかったかもしれない。パートナー制度に登録した時だって「これにサインしといてくれ」「わかった」くらいのやり取りだった気がする。「ちょっと醤油取って」「はい」とか「ちょっとコンビニ言行ってくる」「じゃあ一緒にアイス買ってきてよ」とか。めちゃくちゃに軽い。新政権に代わり時代も変わってきたことで、テロが落ち着いてきたとはいえ、事件がなくるなる訳ではない。真選組は最前線に立つ事も多く、生傷は絶えないし入院だって数えきれない程だ。パートナー制度も「俺が死んだ時に出る組からの金の受け取りお前にしといたから」と後から言われて、土方にお説教した記憶がある。「だって家族とかそういう間柄じゃねぇと…」と言ってきたので「なら制度を変えろ!」と言い返した。その後、喧嘩に発展して戻ってきたら「祝!家出300回達成!!」と謎のお祝いが始まった。家出したのは俺。十四郎はまだ家出回数は200ちょっとで負けたと悔しそうにしていた。家出は勝負でもねぇし、家出する度に周りが面白がってるのなんでなの?結局うやむやになってプロポーズなんてものはしていない。
 ちなみに個人的に入った保険金の受け取りは沖田にしている事をその時に教えて貰った。本人には言っていないみたいだか、現役時代にバレていたら確実に一悶着起きている。土方も沖田も大人になった。直接言葉にするのが苦手な二人だけれど、一緒に重ねた時間がある。その時は分からなくとも、お互いの立場や状況が入れ替われば分かる事もある。
 ミツバや沖田、近藤にしか触れられない部分は確かにあって若い頃には嫉妬もした。
けれど土方もきっと同じ気持ちであっただろう。それが分かるまでに数えきれないくらいぶつかった。喧嘩もした。殴り合いもした。
 それでも、土方しかいないと思ったのだ。
 今更、言葉にするなど恥ずかしい意外の何者でもない。付き合って何年目、一緒になって何年目の記念日なんてやった記憶はない。流石に誕生日は祝いもしたが、歳を重ねれば簡素にもなるし新しく加わった命を祝う方に喜びを感じるようになった。
 もう60を越えた。糖尿寸前と言われた割には今も元気にしている。それでも歳には勝てない。知り合いや親しい者も病気になる者も居るし、葬式に出た事もある。あと10年も経てば自分も病気や薬の話を自慢して、土方を未亡人にしているかもしれない。
 命は有限だ。戦場に出ていた頃は明日はないと思うのが普通だった。それが、当たり前に朝日を拝めるようになり、家族と呼べる存在ができ、愛する人を得た。大切な物が抱えきれない程になった。
 この歳だ。朝、起きてこないと思ったら布団で冷たくなっていた、なんて事が起きないとも言いきれない。
それならば、言葉にしたいと思った。形を残したいと思った。それが自己満足であったとしても。
 「よし!」と心で呟いて両頬を叩く。洗面所の鏡に写る顔は、相変わらず死んだ魚の目とか、しまりがない、だらしないと言われている。隠せないシワも増えた。
本気で働きだして1週間目は筋肉痛に襲われた。それなりに働いていたつもりだったが、ぐうたら過ごしていたかを痛感した。一ヶ月もすれば筋肉痛はなくなり、以前よりも身体が軽く動かしやすくなった気がする。若い頃に比べれば体力の回復に時間がかかるのが悲しくはなるが、仕方のない事だ。適度に休みは取っているし、神楽たちだって「しっかり働け」と言うけれどちゃんと考えてくれている。十四郎が一緒に風呂に入って、背中を流してくれたら疲れなど一発で飛びそうなのだが、   「は?」と言われて却下されるのがオチだ。まぁ、たまーーーに入ってくれるのが楽しみだし、今はプロポーズ計画があるからうっかり話さないよう秘密にもしておきたい。
「おい、いつまで風呂入ってんだよ」
「はいはーい。今出るよ~」
「なにニヤニヤしてんだ…?」
「別にぃ?十四郎が可愛いなぁって」
「はいどーも」
 もう何百回としてきたやり取りだけれど、その度に堪らなく土方が愛しいと思うのだ。
この気持ちを形にするだけ。言葉にするだけ。この世で一番簡単で一番難しい事だ。
※※※※※
 世の中はすっかり夏になった。
日差しが暑い。店も夏らしく冷やし中華を始めてみた。単純な理由だけれど、マヨネーズを効かせたゴマダレがなかなか美味いと評判も上々。かき氷にはあんこをたっぷりと乗せて、練乳も溢れる程にかけて出している。
依頼の方も順調にこなしている。屋外の依頼は基本的に涼しい時間に行う。熱中症対策だ。若くても、年寄りでも倒れる時には倒れる。万事屋を継いだ子供たちが自ら得た教訓だ。さらにハーフとは言え神楽の子供たちには夜兎の血が流れている。神楽よりも日差しに強くても、地球人と比べれば弱い。だから、症状が一番酷くて回復するのに時間がかかった。
 継いだばかりの子供たちは、その日まで順調に成功を積み重ねていた。簡単な物から始めていたが、それは確実に自信に繋がっていた。多少の失敗はあれど、結果を出してきた。そこに来ての大きな失敗だ。猛省し落ち込み後悔と挫折を知った。
 初めての失敗は心を折った。だから暫く休むといいと言った。子供たちを見守る者はみんな親の顔をしていた。少し前まで子供だと思っていた、新八も神楽も立派な親の顔をしていた。俺が新八や神楽に向けていた視線を今度は2人が自分たちの子供に向けている。
 成長していく姿が嬉しかった。きっと二人もそうだ。3人と1匹で万事屋をしていた時も数えきれない程に挫折を味わってきた。そして、そこからもう一度立ち上がって歩くのも数えきれない程にやってきた。
時には一人で立ち上がり、時には肩を貸し合いながら歩いた。ボロボロになって泣いて笑って、怒って泣いて、また笑った。
 子供たちもきっとまた立ち上がって、歩きだせる。それまでは側で見守り、必要な時には手を貸す。決して見放さない。手を借りる事は恥ずかしい事じゃない。そうして最後は涙をぬぐって笑うんだ。
挫折から沢山学んで、また一つ大きくなって欲しい。俺も土方も新八も神楽もみんなみんな越えて大きくなっていけ。
 そうしてあっという間に2ヶ月が経って、秋の気配がやってくる。日中は暑いけれど、朝は寒くなってきている。そろそろ、お登勢のメニューを秋の物にしたい。秋刀魚やキノコや秋の味覚は豊富にある。
あっという間の夏は、今年も沢山の思い出を作ってくれた。夏祭りにプール、そして海。夏を満喫である。全て依頼ではあるが。
 出張お登勢として屋台を出し、プールで悪ガキ共を監視。海に一週間旅行だ!と言われて着いて行けば、宿代を安くする代わりに民宿の手伝い。さらに、知り合いに見つかって海の家まで手伝わされる事になった。
勿論、自由な時間も確保されていて十四郎と二人で夏祭りデートをしたし、プールデートもしたし、夜の海辺を二人で歩くというロマンチックなデートもしっかり堪能した。
 民宿の主人には、不定期ではあるが新鮮な魚を送って貰える事にもなった。稼ぎの方も中々の物である。
流石にあまりに高い物には手を出せないが、それなりに値を張るいいリングが買えそうだ。新八や神楽が持ってきたカタログを十四郎に隠れてコソコソ見ていたら「エロ本でも読んでんのか」と言われたのが悲しいけれど。それを二人に言えば「普段の行いのせいだろ」と返ってきたので静かに泣いた。
 候補を幾つか出して、次は店の方へ。お妙は方々に顔が効く。アクセサリー関係はお妙のお店で働く子たちにも関わってくるから、適任である。プレゼントとして貰ったりもあるが、流行にも敏感でなければならない。
候補を幾つかと、店の方から提示された物を比べながら思案する。「給料3ヶ月分」と聞いて怯えていたが、実際はそうでもないらしい。拘れば給料3ヶ月分にもなるそうだが、割合的には給料1ヶ月くらいの物が多いそうだ。
「それならばあんなに必死に働かなくてよかったのでは?」と思ったのだが「最初に脅しておかないと絶対にサボるでしょう?」と言われて「うっ」と言葉を詰まらせる。続けて「それに予算が多いに越したことはないでしょう」と言われてしまえば、反論なんてできなかった。実際にカタログや現物を見るまで指輪の相場も知らなかったのだ。予算が少な過ぎて買えなかった、なんて恥ずかしくて死んでしまう。というか確実に殺される。
買うのは結婚指輪のみだから多少拘っても問題ないだろう。妥協はしたくない。
 店の用意したカタログで気になる物があった。和風のシンプルなデザインである。俺も十四郎も派手な物は好みではないし、宝石にも興味がない。そして、なんとなく自分たちに似ているような気がしたのだ。
「銀さん気になるのがあったの?」
「これがいいかなぁ、と思うんだが…他のも気になっちまってよ」
「こういうのはね、インスピレーションが大事なの」
 直感的に、これだと思った。指輪が自分たちに似ているというのも変な話だ。明確な理由は分からないが、指輪の持つ雰囲気だとかデザインだとかそういうものが自分たちのようだと思った。
「これ、詳しく見せて貰える?」
「こちらはですね、職人が作るフルオーダーになりまして…」
 そのブランドの指輪のデザインを追加で何種類か見せて貰う。やはりどれもシンプルでいいデザインだ。だが、最初に見たデザインが一番心を惹かれた事に変わりはなかった。
「こんなにすんのか…!?」
「フルオーダーになりますので、やはりそれなりにお値段はしてしまいますね」
 目安の金額で予算を少し越えているのに、オーダーによってはもう少しかかります…と言われさらに上乗せの金額が提示されると眩暈がしてきた。
 支払いはまず半額を入金し、受け取り後に期日内にもう半額を入金すれば問題ない、と言われなければそのままぶっ倒れていたかもしれない。
 それなら、とことん拘って作ってやろうじゃねぇか。納期には2か月程かかると言われたのでその間に足りない分を稼げばいい。
 形や幅や刻印などをひとつ、ひとつとオーダーしていく。フルオーダーだから世界にたたった一つしかない。足りない金額も2ヶ月あればどうにかなりそうだったし、お妙の知り合いという事で少しだけ安くしてくれた。
 進捗も細かく伝えてくれるという事で、出来上がりが今から楽しみで仕方がない。
「ただいま~」
「おかえり」
 居間の方から声がして、入ってみれば眼鏡をかけた十四郎が新聞を読んでいた。
「今日、早かったな」
「予定が変わってな。久しぶりにお前とゆっくりしようと思って帰ってきた。どこか行ってたのか?」
「お妙の荷物持ちだよ。ジジイをこき使いやがって…」
「その割には嬉しそうじゃねぇか?」
「そ、そう?」
「いつもよりニヤニヤしてる」
「そりゃあ、十四郎が可愛いこと言ってくれるからさぁ」
「はいはい。飯は食ったのか?」
「まだ。たまには外で食わねぇ?」
「いいけど、帰ってきたばかりなのに大丈夫なのか?」
「だって十四郎とデートしてぇんだもん」
「お前も飽きねぇな」
「飽きる訳ねぇよ」
 これだけ惚れ込んでいるんだから。新聞を畳んでテーブルに置いた土方が立ち上がる。今度は二人で玄関を出た。手を繋いでみたら、握り返してくれた。
 皺が増えたけれど、細く長いその指に指輪を嵌める日を思い描いた。
※※※※※
 そうこうしている内に11月である。
もう今年も終わりに近い。年々1年が短くなっていくように感じる辺り、歳を取ったのだと実感してしまう。それだけの時間を重ねてきたのだ無理もない。27の時に感じた1年と60を越えた1年じゃあ経験も重みも全く違うのだから。
 朝晩は冷え込むから老体には応える日が増えた。朝は布団から出られずに、十四郎に叩き起こされる。これを言うと昔からそうだったと言われるのだが。
店のメニューもすっかり冬である。定番のおでんに加えて試しに一人鍋を出してみたら、なかなかに受けがよかった。鍋は食べたいけど、一人っては難しいもんだ。意外にも女性がよく頼む。ちょっとだけとか、何人かで色々食べたいってのが叶うらしい。味の種類を追加して出してみたら大当たりだ。仕込むのは大変だが喜んでくれるのは嬉しい。
「銀さんごちそうさま!」
「ごちそうさまでした~」
「ありがとな。また来てくれよ」
 最後の客を見送り暖簾を片付けた。昼営業が終わったので、軽く賄いを食って出かける用意をする。
財布の中に控えを入れたろうかと不安になって何度も確認した。失くしたとしても名前や連絡先を伝えればどうにかなる、と言われていたとしてもやっぱり不安だ。3日前に指輪が納品された、と聞いてその日からずっとソワソワしっぱなしである。
 ただ取りに行くだけだというのに、無駄に髪を気にしてみたり服装が変ではないかと普段は見もしない姿見で確認する。ただ指輪を取りに行くだけで、これなのだから指輪を渡す時にはどうなってしまうのだろう。
 …………渡す時?
 そこで一番大事な事を忘れていた事に気が付いた。指輪を買うという事にばかり気を取られて、渡す時の事が頭からすっかり抜け落ちていたのだ。
どどどどどどうする!!??
 普通に「結婚してください」って渡せばいいのか?どのタイミングで??普通にテレビ見てる時とか??それともどこかホテルでも取ればいいのか??夜景の見える高級ホテルだよな??間違ってもラブホじゃねぇよな??
えっ待ってくれそもそも普通ってなんだ??
「銀さん!ちょっと銀さん!!」
「うわああああ!?お妙!?お前びっくりさせんなよ!!」
「あのねぇ、さっきから声かけてたのに気が付かなかったのは銀さんの方でしょう?」
 何度声をかけても返事がないからと中に入れば、姿見の前で俺が一人で頭を抱えていた、という事らしい。
「そんなに鏡を見たって頭は治りませんから、さっさと行きますよ」
「そりゃどう意味だ!」
「そのままの意味てす。それに早くしないと帰って来ちゃいますよ」
「うわっヤベェ!急がねぇと!」
 時計を見ればあと10分程で十四郎が帰ってくる予定である。そんなに時間が経つ程に悩んでいたというのか。もう一度、控えを確認してからお妙と共に急いで店を出た。
※※※※※
「こちらが坂田様のオーダーされた指輪でございます」
 ベルベットの小さな箱の中には指輪が2本並んでいる。
イメージや制作途中の様子は教えて貰っていたが、実際に完成した物を見ると目の奥が熱くなった。なぜ今まで自分は指輪を用意しようと思わなかったのかが不思議なくらいだ。同性であったし、形だけの物など必要ないと思っていたが、結局の所それに一番捕らわれていたのは自分の方であったのかもしれない。
「銀さん、あなたとても幸せな顔をしているわ」
 指輪を受け取った帰り道にお妙が言う。
そんなに緩んでいるのかとショーウィンドウに顔を写してみても、いつもの顔がそこにあるだけだった。
「自分じゃ分からないかもね。新ちゃんや神楽ちゃんも同じ事を言うと思うわ。時間まだ大丈夫よね?少し家に寄ってくれるかしら?」
「あぁ、まだ大丈夫だけど。なんかあんのか?」
「いいえ、ちょっとね」
 お妙はいたずらっぽく笑うとまた前を向いて歩きだした。道場の方へ行くのは久しぶりである。
今日の夜営業は1時間程ずらしているので、時間はまだ多少余裕がある。昼も急いで食べたし、少しお茶をするのもいいかもしれないと思いながら並んで歩いた。
「銀ちゃん!指輪受け取れたアルか!?」
「お茶用意してますからゆっくりしてください」
 道場に着くなり玄関で新八と神楽に出迎えられた。どうやら俺を待っていたらしい。隣のお妙を見れば意味ありげに微笑んでいる。
 居間に通されると新八がお茶とショートケーキを持って来てくれた。真っ赤な苺が輝いて見える。
ケーキを食べながらお互いに近況を話す。昔は毎日のように一緒に居たというのに、今はそれぞれに家庭がある。知らない事や知らない顔が増えた。寂しく感じる時があるのは子離れできていないせいであろうか。
「銀ちゃん、指輪どんなのにしたアルか?」
 近況報告も一段落して、皿も空になると神楽が「指輪が見たい」と言い出した。減る物でもないし、神楽の一言がなければ指輪もプロポーズもしなかったかもしれない。それに、見て欲しいとも思った。
「見せるけど触るなよ!神楽は特に!」
「分かってるアル!」
「婚約指輪を曲げられた!」と総一郎くんが大騒ぎし、神楽が自力で直して一度は落ち着いたかに見えた。だが「結婚指輪は絶対に曲げるなよ!」と結婚前にあわや離婚か!?とまた一騒動起きたのはいい思い出である。その指輪は曲げられる事なく神楽の薬指に慎ましやかに輝いている。
「とてもいいですね!」
「おー!綺麗アル!!」
 小さな箱に並んだ指輪を見て2人は感嘆の声を上げた。指輪を見詰める顔が嬉しそうに見えたので、こちらまで嬉しくなってしまう。
「ふふふ」
「どうした?」
「だって銀ちゃん幸せな顔をしてるネ」
「本当に、この世で一番幸せに見えますよ」
 そうして2人で顔を見合わせて笑う。
 どいう事だとお妙を見れば「ほら言ったでしょう」と言わんばかりに笑っている。
 そんな顔をしているつもりはないし、こういうのは贈られた側が喜ぶ物ではなかったか。頭の中には指輪を贈られた女性が口元を抑えながら、喜びに泣くドラマのワンシーンが浮かぶ。
「新ちゃん、そろそろ」
「そうですね。今日、銀さんを呼んだのは訳があるんです。これ、僕たち皆からです」
「早く開けるヨロシ!」
 そう言うと新八は真っ白な封筒を見せた。神楽の言う通りにすぐに封筒を開ける。
「旅館のペアチケット…?」
「どうせ銀さんの事だから、指輪の事で頭が一杯でプロポーズの事まで考えてないだろうなって」
「遅くなったけど、銀ちゃんへの誕生日プレゼントアル!ありがたく受け取ってトシと一緒に行って来るといいヨ」
 そういえば、先月の俺の誕生日には糖質オフのケーキだけでプレゼントは一切なく「十四郎にはあったのに!」と駄々を捏ねまくった記憶がある。
「本当は誕生日に渡せられたらよかったのだけど、それだと納期に間に合わないでしょ?」
「旅行券を貰ったから一緒に行こうって言えば誘いやすいでしょうし」
「しっかり決めてくるアル!」
「お前ら…ありがとう」
「銀さん泣くには早いわよ」
「泣いていいのは、トシにフラれた時だけネ」
「フラれねぇよ!!」
 最初から最後まで世話になりっぱなしだ。
 ここまでされてしまったら、十四郎にプロポーズして頷いてもらうしかない。これでフラれて帰ってきたらいい笑い者だ。
「銀さん頑張ってください!」
「銀さん頑張ってね」
「お土産もよろしくアル!」
 応援を背に受けて道場を後にする。
指輪と封筒を手に家路に急ぐ足は自然と走っていた。それなりの距離があるというのに、足は軽く苦しくもない。これならいくらでも走れそうだ。
「ただいま!」
「おかえり。どうした?そんなに急ぐ事でもあったか?」
「あ、あのさ、新八たちにたまにはに旅行でもしてこい、って言われてペアチケット貰ったんだ。だから、久しぶりに2人で旅行に行かない?
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