いつかこんな未来も-来るかもしれない運転-

「浴衣をずっと眺めてどうしたんだ?」

夏祭りから帰ってきて風呂にも入り少し酒でも飲もうか、となった。
酒とつまみを用意して縁側へ戻ってみると、浴衣をじっと見詰める十四郎が居た。

「ああ、別に大した事じゃないんだが…もうこれを着るのも俺で終いになっちまいそうだと思ってな」

十四郎の視線の先には破れた跡があった。どこかで引っ掻けてしまったのだろうか。それを見詰める顔は悲しそうである。

「破れたなら直せばいいだろ」
「そうなんだが…そうじゃねぇんだ」
「どういう事?」

破れたからもう着れない、という事ではないようだ。

「この浴衣の事は知ってるだろ」

大事そうに十四郎が抱えている浴衣は彼の義姉な旦那、つまりは義兄の浴衣を十四郎用に直した物だ。一緒に添えられていた手紙には「イイ人が出来たらこの浴衣を着てね」とあった。
十四郎と付き合うようになって初めて祭りに行った日。その時に着てきたのがこの浴衣だ。着流して来ると思っていたから驚いたし「彼氏のために可愛い浴衣を着てきました」ということじゃないか!?と内心動揺が凄かった。その時にはそんな話など知らず、ただひたすら似合っていると自分の知っている限りの言葉を使って褒めちぎった。素人目に見ても生地落ち着いた濃紺の生地は上等だったし、柄もいいものだと思う。それを聞いた十四郎は「うるさい」とか「ちょっと黙れ」と言い続けていたが、顔は真っ赤になっていてる。
それから何年も後にこの話を聞かされた時には、飛び上がる程に嬉しかったし、あの日いつも以上に赤面した理由も分かって思わず押し倒したものだ。
浴衣にそんな想いが込められていた事にも顔が緩んだ。正直、土方があまりに態度にも言葉にもしないものだから本当に好かれているのかと自信がない時期でもあった。だが、その土方がいつもの着流しでなく浴衣を着ていた。自分の事をイイ人だと思っていてくれた、という事実がたまらなく嬉しかったのである。

「当たり前だろ、俺にとっても大事なモンだし」
「もうこれを渡せるやつがいねぇ。みんなそれぞれ浴衣も着物も洋服も持っている。だからこれは俺で終いだ」

つまりはこうだ。
自分は義兄と義姉から浴衣を譲り受けたというのに、自分には譲る相手がいない。新八の子供たちは新八から譲り受けるし、神楽の子供たちも神楽から譲り受ける。そしてまた子供たちは次に譲る。家族のような関係であっても、十四郎が自分の浴衣を渡す、という事はまずないだろう。出来ない事ではないし譲ると言えば喜んで受け取って貰えるだろうが、そういう事ではないのだ。
今やそれぞれに家族がある。そこにはそれぞれのルールもある。そこに図々しく自分が入り込む訳にはいかないのである。

十四郎が突然そんな風に思った理由は分からない。言わないだけで、ずっとそう思っていたのかもしれない。恐らくは浴衣を破ってしまった事が切欠になったのだろう。浴衣を直して譲ってくれたのに、この浴衣を直しても譲る相手がいないとなったのか。
「イイ人」という事は、相手を見付けて子宝に恵まれて幸せな家族になって欲しい、という気持ちが少なからずあっただろう。
けれど、好きになった相手は男で自分も男。家族にはなれても子供は産めやしない。娘のようにも弟のようにも感じていた2人にも家族が出来た。浴衣に出来た小さな綻びによって、十四郎がずっと抱えてきた物が吹き出してきたのかもしれない。
十四郎の顔が悲しいような申し訳ないような表情に歪む。手に力が入り浴衣の皺が深くなる。
ゆっくりと後ろから十四郎と浴衣を一緒に抱き締めた。

「お前の義姉さんはお前に幸せになって欲しかったから、その浴衣を譲ったんだ。その浴衣を譲る相手がいねぇからって怒りゃあしねぇよ。それにちゃんと『イイ人』は見付けたろ?」

「な?」と笑ってやれば拗ねたような顔をされた。ひとまずはそれでいい。

「嫁さん貰ってガキが出来て、っていう事だけが幸せじゃねぇさ。義姉さんだって分かってるだろうよ。浴衣を譲れねぇ、っていうのが気になるなら別のモンにしちまえばいい」
「別のモン?」
「そ。そうだな、例えば巾着だろ?孫が出来たら甚平とかワンピースにしてもいいな。髪飾りも出来るな。俺の浴衣もそうして持たせてやろ」
「ああ、そうか…そういうのも出来るんだな」
「要は形や物じゃねぇんだ。義姉さんが譲りたいと思ったように、十四郎の譲りたいって思ったんだろ?一番大事なのはその気持ちさ」
「そうだな。そうだ。俺は大事な事を忘れていたらしい」

浴衣を見詰める十四郎は優しい表情に変わっている。大切な物を愛しく思う目だ。
そんな風にお前の義姉さんもその浴衣を見詰めていたろうよ。

「いいこと思い付いた!ハギレでお守り作ってお互いに持たねぇ?お前は俺の浴衣、俺はお前の浴衣な」
「えっ、きも」
「きも、ってどういう意味だよ!俺のお守りのご利益なめんなよ?商売繁盛、家内安全、安全運転、必勝祈願に学業成就そして恋愛成就とてんこ盛りだぞ!」
「どれも効果なさそうだな…なんか持ってたら天パになりそうだし」
「誰が呪いのアイテムだ!!」
「まぁ、最後のひとつだけは叶ったと言ってやらんでもない」
「素直じゃねぇなぁ」

吸い寄せられるように口唇が触れて離れた。名残惜しいけれど、今はこれで。

「なぁ、せっかくだからそれ着て酒飲もうぜ」
「着替えたのにか」
「その浴衣着てるとこもっと見たい」
「ならお前も着替えろ。じゃねぇと着ねぇからな」
「りょーかい」

脱衣場に脱ぎっぱなしにしてあった浴衣を取りに行っている間に、十四郎は浴衣に着替え終わっていた。「着替えている所を見たかった」と溢せば「ジジイの着替えなんて見て何が楽しいんだ」と返ってくる。
よかった。いつもの十四郎に戻った。

冷やしておいた酒は少し温くなっていた。それでも美味いと思うのは、いい酒のおかげかそれとも隣に座る存在のおかげか。

「いい夜だな」
「ああ」

静かな夜だ。かぶき町は夜の町なのに、いつも聞こえるはずの喧騒は聞こえない。
この所、熱帯夜が続いていたが今日は過ごしやすい。柔らかな風が吹き、雲がゆっくりと流れる。その隙間からは時折、見事な月が顔を覗かせる。
盆が終わればもうすぐ秋だ。そして冬になり春になり、また夏がやって来る。
あとどれだけ浴衣姿を見る事が出来るのだろう。

2人でゆるりと酒を傾けていると、目の前にヒラヒラと何かが飛んでいる。羽虫だろうか。いや、それにしては大きい。
やがてそれは2人の間に置かれた徳利の上に止まった。

「へぇ…こんな時期に」

黒とも紫とも取れる羽根を持った蝶がそこに居た。パタパタと何度かその美しい羽根を羽ばたかせる。

「どうやら今夜は客人が居るみてぇだな。一番いい酒を持ってくる」

そう言うと十四郎は立ち上がり台所の方へと行ってしまった。

「お前、今夜だけだからな」
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