いつかこんな未来も-来るかもしれない運転-




「「執事喫茶ぁぁぁぁぁ!?」」
綺麗にハモった。流石は長年一緒に居るだけはある。
「あら?耳が遠くなりました?執事喫茶です」
お妙が頼みたい事があるので、午後からお登勢に来ると言われた。少々、嫌な予感がしながらも逆らえる訳がないと2人で待っていたのだが。
開口一番に「執事喫茶をやれ」と言われた。全く意味が分からない。この店を畳めと言うのか、と言えばそうではないらしい。
お妙の経営する店の女の子が長年の夢であったカフェを開店させたのだという。ターゲットは主に女性。そして、現実を忘れて夢の中にいるような場所で楽しい時間を過ごして欲しい。お姫様のような気分も味わいたい。彼女たちにとって特別な場所になって欲しい。それらを叶えるには普通のカフェでは駄目だ。可愛くてキラキラしているだけでは駄目なのだ。それでは、どこにでもあるカフェでしかない。明確に線引きして全く違う物にしなければいつか埋もれてしまう。流行り物を入れた所で結局、どんぐりの背比べにしかならない。それは嫌だった。唯一で特別な場所にしたかった。変わったカフェや飲食店、気になる店には業種関係なく足を運んだ。流行だって常に追っていたし、新しい物が出ればすぐに向かった。外国や天人の文化も調べたし、宇宙にだって向かう程の根性を見せた。そうして考えて考え抜いた先に思い浮かんだのが、執事喫茶なのである。簡単に言えばメイド喫茶の男性版だ。昔さっちゃんがくの一カフェでバイトをしていたが、そういう感じだろう。
「執事喫茶は分かったんだが、なんで俺たち?依頼なら万事屋の方に言えよ」
すでに何年も前に万事屋は新八と神楽の子供たちに任せて、自分は十四郎とのんびり食事処お登勢をやっている。人手が足りない時には手伝ったりはするが、隠居しているようなものだ。
「万事屋には別の依頼をしているの。それに執事喫茶は銀さんとトシさんじゃないと駄目なのよ」
「手伝うのは構わねぇが、肝心の内容がわからねぇとな。俺たちじゃねぇと駄目な理由は?」
十四郎の言い分はもっともだ。
「簡潔に言うと本格的なの」
「いや、意味わかんねぇんだけど」
本格的、と言われてもピンと来ない。そもそも、執事喫茶はコンセプトカフェだ。本物ではなく模倣である。隣の十四郎も同じように、頭には疑問符が浮かんでいる。
「というのもね…」

執事と言っても実際には階級が存在するらしい。雇われたからと言ってもすぐに仕事を任せられる訳ではない。見習いから始まりフットマン、ファーストフットマン、バトラーと階級が徐々に上がっていく。そして最上級のハウススチュワードと呼ばれる統括する立場になるにはかなりの年数と経験が必要になる。つまり見習いやフットマンら若い年代が多く、最上級ともなればそれなりに歳を重ねている、という事だ。といってもそれは一昔前の話だそうだ。生活の変化や人手不足などもあって、若くともそれなりの階級に付いていたり、サービス業からヘッドハンティングされるという事も少なくないという。
若い男性でもよかったがそれでは他の執事喫茶と何が違うのか、となった。ならば、フットマンには若い男性を採用し、バトラーやハウススチュワードには年配の男性を採用する。そうすれば、本格的な物になるのではないか、という事になった。
非日常を楽しんで貰うならば隠れ家のような場所がいい。東京の郊外にある昔天人が住んでいた洋館を改装し、自ら面接や必要な物を集めた。完全予約制にする事で周りを気にせず寛げる。宣伝は大々的にはせず、主にSNSによる口コミで広めていった。ひっそりと静かな物であったが次第に注目を集め、1ヶ月もすればフォロワー数は爆発的に増えていた。
そして半年程前に開店すると、これが大当たりであった。初日から予約は満員。訪れた女性たちがSNSに感想やレポートを投稿し、そこからまた新しい顧客が生まれる。中の様子の撮影を禁止した事によって、想像力が掻き立てられる。非日常を楽しめる秘密の隠れ家。女性だけでなく男性も少しずつ来るようになり益々盛り上がった。
だが、2ヶ月程前から急に予約が減ったり急なキャンセルが増えるようになった。始めは偶然だと思っていたが、それが何度も重なるとおや?と思い始めた。それも連日であれば益々おかしい。同一人物であればわざとであるが、全て違う名前なのである。初めて予約した名前もあれば、リピーターの名前もある。さらに、発注した物が期日に届かないという事が何度もあった。おまけに、玄関の前にゴミが散乱していたりと明らかに嫌がらせや営業妨害である。そうしているうちに、辞めたいという者も現れた。理由を聞いたが頑なに教えてはくれず、どこか怯えているような様子の者もいる。
しかし、犯人の検討が付かない。監視カメラも付けてはみたが壊されたり、死角を狙われてしまい証拠が掴めない。同業者かもしれないし、全く違う人間かもしれない。どこかで恨みをかってしまったのかとも思ったが、土地の権利や契約、迷惑がかかるかもしれないと近隣の住民にはしっかり説明して納得していた筈だ。その間にもいなく嫌がらせは続き、予約も執事たちも少なくなってしまった。かろうじで残っている者たちもいついなくなってしまうか分からない。そうして、悩んでいる彼女に声をかけたのがお妙なのである。

「あの子たち外部から犯人の方を探して貰う事になってるの。コンセプトと外れてしまうから給仕に回れない。けれど、あなたたちなら内部から探れるし何かあればすぐ動けるでしょう?」
適材適所。犯人が外部にいるとも限らない。内部で犯人が暴れるという可能性も考えられる。そうなれば依頼人を含めそこに居る者を守らなければならない。
「警察には相談したのか?」
「一応はしてるみたいだけど、進展がないみたいなの」
お妙の顔が曇る。定期的に見回りに来てくれたりはしているが、まだ解決の糸口が掴めてはいないようだ。
「どうする、十四郎?」
「ここまで聞いておいて、やらねぇ訳にはいかねぇな」
「ありがとう。この件は私から伝えておくわね。それじゃあ早速なのだけど…」
ズドン、とかなり重そうな音をさせながらお妙がテーブルに本を置いた。かなり分厚い。音もおかしかった。その中には鉄板でも入っているんじゃないか。追加でもう2冊置かれると、テーブルからはメキメキと悲鳴が聞こえ、畳は沈んでいっている。
「おい、なんだこりゃ」
「何って執事喫茶のマニュアルよ?それに加えて必要な知識や教養を纏めてあるわ」
これ本じゃないよね?拷問の時に使う正座した足の上に置くやつだよね?
「2人ともこれを全て3日以内に覚えてくださいな」
「3日ぁ!?絶対に無理だわ!ふざけんな!!」
「最近、ちょっと老眼が入ってきて…」
「あ?文句あんのかコラ」
「「全くありません」」
間違いない。目の前の鉄板のようなマニュアルは思った通り拷問に使用するらしい。




「遅くなってごめんなさいね」
「いえこちらこそありがとうございます!お妙さんが居なければ、今頃どうなっていたか…」
3日後、お妙に連れられて依頼人の所に来た。
依頼人はお妙を見ると表情を明るくした。心労こらか疲れの色も見えるが、なかなか芯の強そうな女性である。
「加奈子ちゃん、この2人が私の言ってた銀さんとトシさんよ」
「あ、あの方達ですね!無理を言ってすみませんがよろしくお願いします!………あの、大丈夫です…?顔色悪くないですか?」
「ああ、大丈夫…ちょっとはしゃぎすぎて徹夜でUNOやってただけだから、な?」
「そうだな。3日3晩盛り上がったよなUNO」
「は、はぁ…」
お妙に用意された拷問器具を3日で頭に叩き込んだ。寝る暇などなく、一瞬意識が遠のいた時には綺麗な川の向こうに松陽が見えた気がした。
4人掛のテーブルに座る。てっきりお妙は帰るものだと思っていたが、協力するつもりのようで加奈子の隣に座った。見知らぬ男2人と話すよりは気心の知れた人間が居た方いいという配慮もあるだろう。そもそもは彼女が持ってきた依頼なので、聞かれて困るという事でもない。
依頼人である、加奈子から依頼の詳細を確認する。嫌がらせをしている犯人の特定と確保する事が第一である。また非常時には依頼人や店を訪れている人たちの安全を守る事もせねばならない。
一足早く依頼に着いている万事屋のおかげで、ここ数日は嫌がらせは落ち着いているという。だが、遠退いた客足がすぐに戻る事はないし、犯人も様子を見ているだけで嫌がらせが今日にも再開する可能性もある。
こういった依頼は長期戦だ。証拠を固めて、犯人が言い逃れできない状況か現行犯でなければ捕まえるのが難しい。証拠のない状態で行動すれば、犯人が警戒してさらに難しいなるし、下手すればこちらが責められてしまう。犯人もやり手なのか中々尻尾を出してこないし、もしかすると複数の犯行の線も出てきている。
犯人側も別の人間が介入してきた事に気がついているだろうから、加奈子の身の安全も考えなければならないだろう。聞けば従業員には必ず2人以上で帰るように言っているが、自分は車だから1人で通勤しているとの事だ。そこまで考えが及ばなかったようで、顔を青くしていたが従業員思いのいい依頼人だ。そこで、落ち着くまでお妙の家に世話になるのはどうかと提案してみた。「これほど、迷惑をかけているのに…」と渋るが何かあってからでは遅いと説いた。それに、誰か居る方が安心であるしお妙なら気心がしれている。新八もゴリラも飼っているから心強い。
「加奈子ちゃん。迷惑だなんて思っていないわ。それに家は男所帯でだから、話相手になってくれると嬉しいわ!」
お妙の言葉に加奈子の目から涙が零れ落ちた。お妙に相談するまで1人で不安を抱え込んでいたのだ。まだ若い1人の女性が抱えるにはあまりにも重い。やっと叶えた夢まで潰されそうなのだ。悔しさもあっただろう。どれだけの重圧が両肩にかかってるのかなど自分たちには推し量る事は出来ない。
加奈子が落ち着くのを待ってから、もう一度依頼の内容を確認する。お妙も手が空いている時にはキッチンに入ったり、知り合いに声をかけてくれるそうだ。迎える準備だけでなく、新八やゴリラにも話をしておく必要がある為、先に帰る事になった当然加奈子が心配したが
「あいつ未だにゴリラだから何かあっても返り討ちにするから心配する無駄だぞ」
「誰がゴリラだって?」
「ぎゃああああああ!!」
「だ、大丈夫なんですか…?」
「銀時がボコられるのは何時ものことだから心配しなくて大丈夫だ」
そしてお妙は俺をボコボコにして帰っていった。

それからは実践での練習だ。知識はある程度入っているが、実際にやるとまた勝手が違う。服装も着流しであったが、洋装を着る事になる。練習用の制服を貸して貰うがやはり窮屈に感じてしまう。十四郎は長く洋装の制服を着用していたが、俺の方はズンボラジャージだったし今は着流しの方が多い。袖のボタンを止めるのすら一苦労である。
加奈子相手に練習をしているが、甘く見てくれるなんて事はなく、先程まで泣いていたのが嘘のようにプロの顔つきになった。間違いやミスは容赦なく指摘してくる。普通の客商売よりもそらに高度なサービスを要求される。通常なら1ヶ月以上かけて行う研修をたった4日間でやるには無理がある。それでもやらなければならない。一息入れた後、また厳しい研修へと戻った。

「坂田さん、土方さん今日はお疲れ様でした」
「おう、お疲れさん」
「お疲れさま」
一通りの研修が終わる頃にはすっかり夜になっていた。流石に3人ともヘロヘロになっている。盛大に腹の虫が鳴いて顔を合わせて笑った。お妙の家に電話をかけると新八が出た。すでに話は聞いている事と夕食も用意しているので気を付けて帰ってくださいね、と返ってくる。ちなみに姉上が夕食を作るのを2人がかりで全力で止めました、とも。流石出来るメガネである。犯人よりも前にお妙に止めを刺される所であった。家には加奈子の車に同上する事になった。これくらいはさせて欲しい、と言われたのでここは甘える事にしよう。
腹の虫がどうにも治まりそうになかったので、研修用に作ったサンドイッチを軽く摘まむ。パンはすっかりパサパサになっているし、レタスはしんなりして元気がない。1人分の量では到底3人分の胃を満足させる事は出来ないが、お妙の家ですき焼きが待っているならちょうどいい量だ。
「あ、もう1つお伝えする事があるんですけど、いいですか?」
「ん?なんだ?」
「執事としての名前があるんですがそれを伝えてなかったなと思って」
「源氏名、みたいなモンか」
「平たく言うとそうですね。それぞれに因んだ名前にしているのですが、坂田さんは『神無月』さん土方さんは『皐月』さんと呼んで貰おうかなと」
「皐月…ああ、生まれ月か」
「ねぇ、俺のだけなんか芸人っぽくない?俺も十四郎みたいに格好いいのがいいんだけど。誕生日変えてもいい?」
「なかなかいいセンスだな」
「ありがとうございます!明日からよろしくお願いしますね」
「ねぇ、無視!?シャッて言ってやろうか!?テメェらの目の前でシンバル蹴ってやろうかああああああ!?」


※※※※※

正直な所、加奈子は少し不安だった。
坂田は元々万事屋だったというが離れて長い。それにどこか死んだ魚の目をしている。飲食店をやっているといっても勝手が違う。
土方は真面目で、元真選組副長で信頼はおける。だがサービスや接客となると経験が浅い。不器用さも目立つ。
さらに本来の研修期間よりもかなり短い。普通ならまだ基本的な研修をしていてもおかしくない。知識は殆ど頭に入っていた事には驚いたが、実際に使い物になるかどうかは別である。知識だけの頭でっかちな人間を何人も見てきた。キャバクラでの接客は人を見極めるという経験にもなった。
実際に執事として給仕できるかは、やってみたければ分からない。研修で想定された事よりもイレギュラーが起きる事の方が圧倒的に多い。人間であるから、全てが善人とは限らない。理不尽な言いがかりを言われる事だってあった。
犯人を捕まえる、という点では信頼感はある。護って貰えるという安心感もある。そこは心配していない。
だが、評判の下がっている今、一つのミスが致命傷になる。犯人につけこまれるかもしれないし、そうでなくても客足が遠退いているのだ。ここを訪れるお嬢様たちは単にご飯を食べに来ているのではない。非日常という特別な時間の為に訪れているのだ。お嬢様と呼ばれてみたい、あるいは癒されたいなど目的は様々だが期待値が高い故に、求めていたものと違うと感じた時の失望は大きい。お妙の隣に布団を敷き眠る前にポロリと不安を漏らした。自分でも疑心暗鬼になっていると分かっている。このままでは人間不信になりそうでもあった。一度溢せばボロボロと涙と共に不安が次から次へと身体の奥から押し寄せてきて止まらない。お妙は「不安になるのは当たり前だから、否定する事はない。今は沢山泣きなさい」と言った。優しさに触れればさらに涙が止まらなくなる。昼間あれだけ泣いたのにまだ自分は泣いてしまうのか。自分の無力さが悲しくて悔しい。

「加奈子ちゃん大丈夫よ。あの2人は悲しさも悔しさも全部乗り越えてきたの。万事屋もまだ若いけれどとっても頼りになるわ。だから、大丈夫。あの人たちを信じてみて」

そしてもう一度、今度は声を上げて泣いた。
前を向いて立ち向かう為に、もう泣かない為に。




更衣室から出てきた2人を見て、加奈子を含めてその場に居た皆が息を飲んだ。
坂田は四方に跳ねた特徴的な髪をセンターに分け、ワックスで整えていた。それだけで印象が全く違う。綺麗に髭も剃られている。目が死んでいるのが気になっていたが、身なりを整えた事でやる気が見えないというよりもアンニュイな雰囲気になった。さらに、体格がかなりしっかりしている。とても60代には見えない。なんだ、あの胸板は。筋肉好きなお嬢様たちにかなりウケるに違いない。研修では「着られている」といった印象だった制服も「着こなしている」ではないか。根拠はないが「大丈夫だ」という謎の安心感がある。
一方の土方は、流石と言うべきか。オールバックに少し白髪が混じっているのがまたいい。目尻の皺がハッキリ見えるからか、厳しくも優しそうな雰囲気がする。まるで映画の世界から飛び出してきたようだ。俳優と言われても遜色はないし、並の者なら簡単に霞む。坂田よりはスラッとした印象だが、しなやかな筋肉が付いてる。長らく真選組の制服を着用していたからか、洋装に慣れており違和感がない。というか足がやたら長い。執事という職業はこの人の為に存在するのでは、とまで思ってしまった。

「なんか…変か…?」

沈黙に耐えられなかったのか、坂田が口を開いた。土方も少し不安な顔をしている。

「い、いえ、完璧です…」

なぜか拍手が起きた。照れたように坂田が頭を掻くと、土方が「セットが崩れる!」とその手を叩いた。
もしかしなくとも、とんでもない人たちに執事を頼んでしまったのかもしれない。



「お帰りなさいませ、お嬢さま」

見た目だけでは執事は勤まらない。2人の姿に惚けていたが、オープン間近になると気持ちを切り替えた。本番はこれからである。数件ではあるが予約は入っている。今朝、2件のキャンセルが出たが必要以上に気にしない事にした。
そうしてやはり自分はとんでもない人たちに頼んでしまったようだ。

1テーブルに1人の執事が付くようになっている。まずドアマンがお嬢様を迎え入れる。そこで、予約内容の確認と初めてのお嬢様には利用説明がある。そうしてテーブルに着くとその日の担当の執事が挨拶をする。執事は担当するお嬢様の事を完璧に頭に入れておかなければならない。端末を使いその場で確認する事もできるが、分からない度に確認しているようでは執事ではない。呼称一つでも、お嬢様、奥様、ぼっちゃま、旦那様に始まり名前で呼ばれたい者もいる。例えばご年配の方でもお嬢さまと呼んで欲しいという者もいるし、性別で括られたくないという者もいる。さらに、食べ物の好き嫌いにアレルギーや、趣味や興味のある物の話をする事も必要になってくる。オススメを聞かれれば直ぐ様答えられ、料理の説明をするのも執事の仕事である。
まず比較的に空いている時間に1人ずつ順に担当して貰う事にした。残りはフォローとバックアップに回る。ほぼぶっつけ本番の2人だ。規定の研修を終えた自分たちもそうであったように、失敗するのは当たり前だと思っている。事前に今日は研修中の新人が担当します、と伝えてあるから多少の事は多めに見て貰えるかもしれない。
誰もが緊張する中、2人は完璧に近い形で給仕をこなしたのだ。

坂田の方は持ち前の器用さを発揮し、スマートに給仕する。やる気のなさそうな表情をしているのに、動きには無駄がない。うっかり説明や情報を忘れても上手く誤魔化すのだが、それがまた茶目っ気があって「もう仕方ないなぁ~」と逆に好感度が上がっている。さらに口が回るから話題が途切れない。おばあちゃんの知恵袋みたいな雑学が多いが聞いていて面白い。料理が来ないとイライラし始めたお嬢様に冗談を言って場を和ませて丸く納めて、気付けばすっかり彼の虜になっている。
一方の土方は不器用で始めはハラハラしたが、慣れると完璧だった。フォローが上手く、さりげない気遣いには最早気が付かれないレベルだ。ミスをしてもあの顔面で申し訳なさそうにされたら許す以外の選択肢が見つからない。謝られなくても許してしまう。口数は少なくともあの顔面で微笑まれたら、言葉などなくても簡単に落ちる。朝から何人落としたのか。後ろで倒れているスタッフは見ない事にした。常に場を見る彼は的確に指示を出し、少人数でも無理なくホールもキッチンも回す。いつの間にやら彼が中心になっていたが、誰も気にしていない所かいつにも増して動きがいい。さすがは元副長である。格が違う。
SNSでエゴサをすれば「ヤバい新人がいる!」と大騒ぎである。「とにかくヤバいから!」という語彙力がドロドロに溶けている。おまけに、オフィには急遽入った研修中の新人故に写真も説明もないのである。分かるのは名前のみ。いったいあの2人は何者だ。それがさらに火を付けて口コミを加速させる。先ほどからタブレットの通知が止まらない。あっという間に近々の予約はすべての時間で満席になった。
問い合わせも止まらないし嬉しい悲鳴である。
ただひとつ。タグの付いていない感想として何度か見かけた「あの2人絶対にデキてる!」という文章は、開いてはいけない扉が開きそうでそっと閉じる事にした。


※※※※※


初めて執事として働いた翌日は身体もバキバキだったし緊張や気遣いやらで疲労困憊であった。家に戻るとどうにか風呂に入って2人して泥のように眠った。
それが2週間も経てばすっかり慣れてしまった。2日目に筋肉痛になる事もない。予約の方も順調で、急なキャンセルは未だにあるが直ぐに別の予約が入るという状態だ。未だに嫌がらせは続いているが、成功したのは1、2回程度。それもすぐ万事屋か俺たちがカバーしてしまう。例えば喫茶の玄関を荒らせれようとも、依頼で鍛えたスキルでたちまち綺麗にしてしまう。重要な物は先回りしてこちらから受け取りに行ったり、別ルートを用意しておく。発注がキャンセルされていても、別で用意していた物を使用したり、食材であれば知り合いに片っ端から連絡して届けて貰う。それが、下手な所で買うよりも安く質がいい物だから評判も上がった。さらに契約にも繋がる事もあってお互いにWin-Winなのである。
急なキャンセルが出てもSNSで呟けば直ぐに埋まるし、俺や十四郎の名前があると一気に盛り上がる。
そうなると面白くないのは犯人である。どうも実行しているのはプロのようなのだが、その面目は丸潰れだし、犯人は苛立っているに違いない。仲間割れする可能性もあるが、犯人自ら表だって何か行動を起こすかもしれない。
「明後日、仮装パーティーがあるだろ。その時なら潜り込みやすい」
万事屋が加奈子の了承を得て予約名簿をたまに照会して貰っている。不正なデータや改竄があればピックアップされ詳細に調べ上げる。そしてつい先ほど、1名不審なデータがあると連絡を受けた。恐らくはその人物がーーー犯人だ。
以前から企画されていたハロウィンパーティーがある。そこでは仮装する事がドレスコードになっている。ハロウィンが広まりつつある東京では100円から仮装グッズが誰でも買える。本格的でなくとも、動物のお面を付けるとか、簡単な物でも可能だ。つまりは顔を隠して入る事ができる。玄関で予約の確認をするが、元々本人確認書類の提示がないため別の人間が来ても分からないうえ、犯人がまだ確定していない為、顔では判別が出来にくい。
だが、逆に言えば"こちらの人間を参加者として潜り込ませやすい"という事でもある。
「お前副長の顔になってるぞ」
「組を退いても現役のつもりだからな」
「鬼が復活しますか」
「さぁ、どうだろうな」
恐らく何か仕掛ける気があるのだろう。組で戦略を立てて来たのは、副長の十四郎である。過去に真選組の補助で作戦に参加した事があるが、その内容はなかなかの物だった。急な討ち入りで時間は殆どない。それなのに半日程で綿密な作戦を立てたというのだから舌を巻いた。
「今日のミーティングで話をしてみようと思う。あちらがどう出るか分からねぇが、用心するには越した事ねぇからな」
不敵に笑う十四郎の顔はやはり鬼の副長そのものであった。

「少しいいだろうか」
ハロウィンパーティーの最終確認のミーティングで最初に十四郎が手を上げた。一斉に目を向けられる。加奈子が発言を促した。
「結論から言うと、ハロウィンパーティーに犯人が来るかもしれない。今、万事屋に裏を取って貰っているが確率は高いと思っている」
和やかだった部屋に緊張が走る。ミーティングが始まるまでは「楽しみだね」と笑って話していたのだから。
「犯人が確定して抑えられりゃあ問題はねぇんだが、今まで尻尾を出さずにいた奴らが簡単に捕まるとも思えねぇ。だが、奴らは今の現状に苛立っているはずだ。特に主犯は素人のようで、追い詰められたら何をするか予想ができない」
こういう時に一番厄介なのは素人だ。プロや慣れている者の行動はある程度パターンがあり、冷静であることに努める。だが、素人はそのパターンに嵌まる事がなく時に自分たちが考えつかないような行動を取る事がある。
「じゃあ…中止にするんですか…?」
おずおずとドアマンが声を上げた。
「ここまで準備したのに!?嫌だよ私は!!」
パティシエールが嫌だと言う。
そうなると皆が「中止だ」「中止は嫌だ」と言い合いが始まってしまった。加奈子が言い合いを止めるようにと言っても聞こえていないのか、止む気配がない。
「はい!ちゅーもーく!!」
両手をパンパンと叩くとこちらに注意が向いた。言い合いが止まった瞬間に言葉を続ける。
「という訳で今から作戦会議を始めまーす!!」
「はぁ?作戦会議?」
「そうでーす。犯人が向こうから来てくれるならいっそ自分たちで捕まえちゃおーぜ!ってこと」
「捕まえるったってどうやって」
「危ないんじゃないの?」
「まぁまぁ、とりあえず落ち着いてくれ。まずは内容を聞いてくれねぇか?はい、じゃあ土方くんよろしく」
すると一斉に十四郎へと視線が集まる。それに動じる事なくゆっくりと静かに口を開いた。

大まかな内容はこうだ。
予定通りハロウィンパーティーは行う。それまで犯人を特定、確保できているのが一番いいが潜り込まれる事を想定しておきたい。
犯人に潜り込まれるという事は、こちら側の人間を潜り込ませる事ができる、という事でもある。万事屋を含め、喫茶のスタッフとして警備にあたる人間を配置する。玄関では予約確認に加えて手荷物検査を行う。危険を伴う可能性のある事はこちらで人員を用意する。従来のスタッフは万が一の場合の為の安全確保と避難誘導が主になる。
犯人が喫茶内に侵入した場合の確保は坂田と土方の2人が行う。事態の説明としてこちらが用意したサプライズである、という事を説明する。
かいつまんで説明するならこういった所だ。
同意が得られたとしても細かな修正などが必要になってはくるだろう。
「捕まえる、ってのは流石に危険が伴うからそこは俺たちに任せて欲しい。まだ来ると確定した訳じゃねぇが、そうなった時にはここに居る全員の力が必要だ。備えておくに越した事はねぇからな。それに、大事なモンを理不尽な暴力で傷けられるなんざ我慢ならねぇ」
そう発言する姿は60を越えた老人ではなく副長の姿だ。努めて穏やかに話しているが、その言葉ひとつひとつに魂を奮い立たせる力が宿っているように感じる。
「……僕は、協力するよ。正直怖いけど…でも、これ以上嫌がらせなんて受けたくない」
「しかし、やはり危ないのでは…?」
「じゃあ私が囮になる、っていうのはどう?」
じっと話を聞く事に徹していた加奈子が口を開いた。
「犯人の目的が私に対する嫌がらせなら、私を狙ってくるんじゃないかしら?」
「オーナーいくらなんでも危険ですよ!」
「何かあったらどうするんですか!?」
「私だって怖いわ。でもね、いい加減腹も立ってるの。私に喧嘩を売った事を後悔させてやるわ!!」
そこには不安に怯え泣いていた姿ではなく、理不尽な暴力に立ち向かわんとする力強い姿がある。
「……オーナー言い出したら聞かないですもんね」
「オーナーが戦われるなら、私たちも戦いましょう。主人を守る、それが執事の仕事ですからね」
「みんな、ありがとう」
「まだ泣くのは早いですって!」
「捕まえたらボーナス弾んでくださいね!」
重かった空気が一瞬で変わった。加奈子は愛されているいいオーナーだ。俺たち2人でどれだけ説得しようと反対されていた筈だ。
「よし、細かい修正をしたい。案があるやつは言ってくれ」
十四郎の元にスタッフが一斉に集まって、我先にと提案していく。それを落ち着かせて一人ずつ順に耳を傾けている。
「度胸あるじゃねぇか」
「坂田さん、女は度胸ですよ。それに、私お妙さんに嫌という程にしごかれたんですから。それを考えたら犯人の嫌がらせなんて足元にも及びませんよ」
「へーそれは頼もしいこった」
お妙は一体どんな教育をしているのだろか。考えたくもない。加奈子が一瞬逞しいゴリラに見えた事は黙っていた方がいいと思った。


そして当日。風は少し冷たいが良く晴れたいい天気である。朝からパーティーの準備に追われ、さらに仮装もするとなるとやる事は多い。
予約の不審な人物の名前はキャンセルされる事なく残ったままであった。その名前も偽名でさらに住所や連絡先も出鱈目な物が入力されていた。不審なデータが見つかった2日後には、万事屋が犯人と思わしき人物のアパートに行ったがもぬけの殻。大家に聞けば、ここの所帰っておらず家賃も滞納している、という。ここまでくれば確定である。顔写真もあり全てのスタッフが把握している。恐らく犯人はもう後がない。家賃が払えない状態でプロを雇っているのなら、借金か闇金に手を出しているかもしれない。ならば、高い確率でここに来ると踏んでいる。
確認の際に捕まえてしまえればいいが、外で暴れられでもしたら逃げられるか最悪の場合は被害が広がる可能性がある。少々危険な部分もあるが、逃げられないよう中に引き込む事にした。
むしろ引き込んでしまった方が確実である、と判断した。なにせ、中には日々テロリストを相手にしているプロ中のプロたちが待ち構えているのだから。十四郎が当日非番の隊士に声をかけていた。「非番の日まで働きたくねぇだろうから、集まらないかもしれねぇ」と言っていたが、20人近い人数が集まってくれた。お前が声をかけたら非番じゃなくても来るだろ、と思っていたが実際に組内で誰が行くかちょっとした争いが起きていたそうだ。見事勝ち抜いた精鋭がスタッフとして潜り込む。仮装しているから隊士とは気付かれないだろう。見慣れた制服から私服になると気付かれない事も多い。予約確認時の手荷物検査も隊士が行う。これ程に頼もしい事はない。ホール内のスタッフ、さらに裏口にも配置されている。
そして作戦の立案と総指揮は十四郎だ。まさか、犯人も鬼の副長が関わっているなど思いもしないだろう。これまで自分達の情報は徹底的に伏せてきた。通勤や護衛時にも顔や身元がバレないように行動していたのが役に立った。そこに「嫌がらせが落ち着いたので万事屋との契約が終了した」という情報を流す。偽の情報を鵜呑みにしてノコノコやって来てくれたなら成功である。
俺は基本的に加奈子の側に付くという事になった。立食パーティーという形式上、1従来の卓につき1人が付くという形態を取っていない。給仕や話し相手にならない訳にはいかないが、それでもかなり自由に動ける。
「十四郎、準備できたか?」
「おう、これ意外によく出来てるな」
ハロウィンパーティーという事でスタッフ側も仮装が必須である。通常の給仕もあるため、動きやすい物や動物の耳だけを付けるという簡易な物が多い。一足先に吸血鬼へと着替えを済ませ、後から更衣室に入った十四郎に声をかけた。
「本当、よくそれを渡そうと思ったよな…」
「駅前の量販店で売ってたらしい…」
十四郎の仮装、それはよりによって真選組の幹部服だった。先月、駅前に出来たペンギンがマスコットの激安量販店で購入されたパーティーグッズである。生地が薄めで、少しデザインが違うらしいがなかなか出来はいいようだ。
ミーティングの翌日、ここで一番若い青年が「皐月さん絶対に似合うと思ったんです!」と顔を輝かせてこの衣装を渡してきた。顔を青くした者もいれば、「似合いそう!」と同意した者もいる。俺は笑いを堪えるのを必死で腹筋が吊りそうになった。青年の純粋な願いを断る事も出来ず、若干顔をひきつらせた十四郎が「あぁ…ありがとう」と受け取っていた。
退職の当日まで先頭で指揮を採っていたが、後身の為にと50代で副長職を譲った。裏方に回る事も増えメディアの露出が減ったせいかもしれない。
「知らねーって怖ぇな…」
「ああ、あいつ将来大物になるな…」
「大物になるためにもまずニュース見せねぇとだな…」
「ああ、今後の為にもな…」
それはそれは深いため息を2人同時に吐いた。

「ハッピーハロウィーン!」
開場となり少しずつ参加者が増えていく。手荷物検査で混雑が予想されていたが、そこは現職だある隊士たちにとっては朝飯前である。なお、彼らには平隊士の制服を着て貰っている。こちらは言うまでもなく本物の制服で本物の真選組の隊士である。なのだが一言「ハロウィンの仮装です」と言えば「クオリティが高いですね!」で終わるのだから、ハロウィン効果は凄い。
参加者にウェルカムドリンクを配り、卓に付いた事のあるお嬢さま方にご挨拶をする。仮装も好評で若い女の子に「血を吸われてみたいわ」なんて言われるとやはり満更でもない。開場から1時間程経った頃だろうか。スタッフによる余興が始まる中ついに目的の人物が現れたようだ。
そっと十四郎に目配せすると頷いた。
『全員予定通りに。ただ危ないと感じたらすぐに助けを呼ぶように』
インカムから十四郎の指示が聞こえる。隣に居る加奈子も流石に緊張しているようだ。
「大丈夫、うちの土方くんすげぇから」
「ええ、頼りにしてるわ。2人ともね」
「任せとけ」
少しでも不安が和らぐように笑って見せた。

犯人は開場の隅に陣取った。そこで様子を伺うつもりらしい。顔を隠す為かマスクを付けている。普段なら不審に思われる姿でも仮装がドレスコードのここでは普通である。肩にかけた鞄の中身はチェック済みだ。失敗の報告はない。手筈通りに進んでいる筈だ。
『用意はいいか?』
全員から了解の返事が返ってくる。加奈子が大きく息を吸って吐いた。そして、力強く頷いてみせた。
参加者に挨拶をしながら一歩、また一歩と犯人へと近付いていく。加奈子の仮装は魔女だ。青色が好きだからと、帽子もドレスも青で揃えた。好きだからというのもあるが、青色は彼女の戦闘服でもある。大事な時にはいつも一番お気に入りの青い衣装を着ていたからだ。スタッフと隊士が自然に犯人と一般の参加者を遠ざける。まさか加奈子自ら自分に近付いてくるとは思わなかったのか、少し動揺しているのが見てとれた。肩にかけた鞄に手をかける。報告通りならば、そこには“ナイフが入っている”筈である。
「こんにちは。今日はご参加頂きありがとうございます。楽しんでいってくださいね」
犯人の前に立った加奈子は笑顔を他の参加者と同じように向ける。手が小さく震えるのを抑えるようにぎゅっと握ったのが見えた。
「…くそっ…なん…お…を…うら…なん…で…!」
「えっ?」
犯人がブツブツと何かを呟きながら鞄から手を出すと、ナイフが握られている。
「俺を裏切りやがってえええええ!!」
ナイフを構えた男が叫びながら突進してくる。男の声で手元のナイフに気付いたらしい参加者の悲鳴が上がる。
「たくっ…いってぇなぁ」
加奈子の前に飛び出したおかげで加奈子は無傷だ。その代わりに自分の脇腹が赤く染まっていく。
「ち、違う!!コイツが飛び出してくるから!!」
赤く染まる脇腹と人を刺した事に動揺したのか犯人が半狂乱気味に叫ぶ。
抑えていた脇腹から手を離すとナイフが軽い音を立てて落ちる。
「もう、どうしてくれんの?俺の輸血パック駄目になっちゃったじゃん」
未だに喚き続ける男の目の前で脇腹に手をやりそこから、破れて中身の出てしまった輸血パックを取り出した。落ちたナイフを拾う。切っ先を左の人差し指で押すと、ナイフが出入りを繰り返した。状況が分かっていない犯人の表情はポカンとしていて、喚く事も忘れているようだ。
「はーい、皆さーん!今回の目玉イベントの犯人はこのお兄さんでした!!正解した人には賞品があるから、近くのスタッフに言ってね~」
一時は騒然とした会場も余興の1つであると分かった途端に、拍手と歓声に包まれた。
状況の飲み込めない犯人が茫然自失といった様子で、スタッフに扮した隊士2人に抱えられ奥へと連れていかれた。
種明かしをするとこうだ。犯人以外の参加者には事前に「パーティー内に紛れこんだ犯人を推理する」というイベントを行うという内容をメールで送付した。開場で犯人以外に解答用紙も配っている。そして、犯人が持っていたナイフは手荷物検査の時にオモチャのナイフとすり替えられている。俺の方は血糊を仕込んでおき刺された風を装えばいい。暫くは今の余興に興奮する者も多くいたが、次の余興が始まると次第にその声も小さくなり無事にパーティーは終了を迎えた。

犯人の男は加奈子がキャバ嬢時代の客の1人だった。相当入れ込みかなりの金額をつぎ込んでいたようで、借金までしたらしい。酒癖も良いともいえず酔う度に「自分は加奈子と結婚する」「自分たちは愛しあっている」と回りに言っていた。
ところが、加奈子は店を辞めた。開店資金も貯まり、具体的な予定も決まりつつあった。入店した時にそういう約束であったから店側にはなんの問題もない。気配りもでき愛嬌もある。指名も多い人気のあるキャバ嬢であったから惜しい人材ではあったが、それよりも彼女の夢を応援する事の方がいいと背中を強く押した。
そこに納得出来なかったのが犯人である。キャバ嬢を辞める時には自分と結婚する時だと勝手に思っていたからだ。勿論、付き合ってもいないし告白もしていない。同伴やメッセージを送る事はあっても全て仕事内の事である。元より加奈子は男を客の1人としか思っていない。大切ではあるがそれは恋愛的な意味など持ち合わせていなかった。
そこから逆恨みが始まった。こんな物があるから店を辞めてしまった。こんな物がなくなれば自分の元に戻ってくると思い込み、嫌がらせを行うようになった。加奈子の居場所を突き止めるために雇ったプロにも嫌がらせも頼んだ。そのプロと言っても実際は何でも屋ーーー所謂同業者だったのだが、腕は確かであるが犯罪紛いの事にも平気で手を出すような連中だった。現役隊士による尋問により男は全部吐いた。雇った奴らも叩けば埃が出る連中だ。こちらも数日中にはカタがつくだろう。

「お疲れ様でしたー!かんぱーい!」
ジョッキを掲げ加奈子が声を上げる。並々注がれたビールを彼女は一気に流し込んだ。キャバ嬢時代に高い酒は浴びる程飲んだが、仕事終わりのビールが一番美味しいと言う。そういう所が彼女の好かれる理由の1つであるのかもしれない。
パーティーも嫌がらせも解決して今はスタッフのみで打ち上げである。十四郎に呼ばれた隊士たちも誘われたが、気持ちだけ頂くと言い先に帰ってしまった。彼らは後日十四郎が個人的にお礼をするという事になっているようだ。そんな話しは聞いていないぞ。
皆、肩の荷が降りたのかいつもよりも楽しそうである。いや、これが本来の姿なのだ。始め、依頼を持って来られた時にはとんでもない事を引き受けたかもしれない、と思った物だが今日で最後になるのかと思うとやはり寂しい物である。
明日は片付けの為に臨時休業となっている。若い連中は夜中まで騒いでいたいのだろうが、支障をきたさない所で打ち上げはお開きとなった。
加奈子と共に1つずつ見送って施錠する。こうして共に帰るのも最後である。加奈子が運転席に座ろうとしたのを十四郎が制する。酒で判断力が鈍っているようだ。それでも今日くらいは酒で羽目を外すような真似をしても仕方がない。
酒を飲まずにいた十四郎がハンドルを握る。エンジンをかけゆっくりと発進した。
「坂田さん、土方さん本当にありがとう」
緊張からの解放と揺れる車内が余程心地良かったのか、加奈子はそれだけ言うと穏やかな寝息を立てていた。


聞くところによると、執事喫茶は順調であるらしい。客足も戻ったし、去ってしまったスタッフも何人か戻ってきてくれ活気を取り戻しつつある。
犯人の方といえば、業務妨害で逮捕された。今は深く反省し罪を償うという姿勢だそうだ。何でも屋の方だが数日後に警察によって逮捕された。しかも傷害、恐喝、詐欺…など叩けば叩くほどに埃まみれでそこそこ大きな事件になり、犯人の事件の方が小さく扱われてしまう程だ。万事屋も同業者ゆえに、少々風評被害もあったがかぶき町の住人は彼らが善人である事を知っている。だからすぐに依頼量は元に戻った。今日も朝から出掛けて行く姿を見送った所である。
執事喫茶という未知の世界も悪くはなかった。名残惜しいと思ったし、暇な時だけでも顔を出してくれないかと言われた。それに、お嬢さまやお坊ちゃま方にも俺たち2人は好評だったようで、去ってから数日経った今でも問い合わせが来るのだという。
それでもやっぱりいつもの日常がいい。珍しく真面目に働いたのだから、1週間いや2週間くらいは休んでもバチは当たらないと思う。当たるならパチンコや馬がいいなと、新台の前で空っぽになった財布を見て泣いた。
「ただいまー」
「おかえり」
玄関を開けると奥から十四郎が出てくる。今日は戻るのが早かったようだ。組の稽古に加えて協力してくれた隊士に少しずつお礼をしている。全員が一度には揃わないので、何人かに分けているため時間がかかる。その為にちょっとだけ一緒に居る時間が少ない。それもちょっと不満だし、お礼の内容は十四郎と飯に行くという物だ。勿論、十四郎の奢りである。なんだそんな事でいいのかと快く答えると、隊士たちはかなりはしゃいでいたらしい。連れていってくれる店はどこも美味いとかなり評判だ。その全ての店が過去に俺が教えた店なのだけれども。
「違う」
「どうした?」
「…帰ってきたら『お帰りなさいませ、ご主人様♡』って言ってよ!いつもお願いしてるじゃん!」
「言わねぇって言ってんだろうが!!」
「じゃあ『旦那様♡』でも『銀時様♡』でもいいからああああ!!」
「誰が言うかクソ天パ!!」
「もうこの際お前が主人で俺が執事の下克上プレイでもいいんで、お願いしますうううう!!300円あげるからあああああ!!」
「テメェの頭にゃそれしかねぇのか!!つーか、お前今300円も払えねぇよなぁ…?」
「ギクッ」
十四郎がにっこりいい笑顔。対する俺は冷や汗ダラダラで顔をひきつらせている。パチンコで全部スッたのバレてる。
「こいつはきっちり落とし前つけて貰わねぇとなぁ…?」
「え、え」
「マグロ漁船と東京湾に浮かぶのどっちがいい?」
「待ってそれはこの前の極道カフェの方で俺が聞きたいのは…!」
「問答無用っ!!」
「ぎゃああああああ!!」

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