四月の嘘

「十四郎……実はなお前だけに言っておきたい事があるんだ……」
 銀時が珍しく神妙な面持ちで十四郎に話かけた。隣には同じような顔をした辰馬がいる。バカみたいに煩い二人の異様な雰囲気に、思わず唾を飲み込んだ。
「俺と辰馬……実は付き合ってるんだ……」
「……へ?」
 予想とは斜め上の言葉に間抜けな声が出た。付き合っている?銀時と辰馬が?文章としては理解が出来るが、頭が理解する事を拒んでいる。
「ほら、ワシら髪が似とるじゃろ?それに金時と話しゆーと楽しいが。そうしたら段々と……」
 辰馬が銀時に目配せをする。いつもと雰囲気が違うというのは肌で感じた。
「十四郎……そういう訳だから、高杉には秘密にしておいてくれねぇか……?」 
 こんなにも殊勝な態度の銀時は初めてだった。秘密を打ち明けるには勇気がいっただろう。それを自分に話てくれたという信頼を裏切る事は出来ない。
「わかった。絶対に秘密にする」
 十四郎は大きく頷いた。まだ戦場には連れて行っては貰えず出来る事は少ない。けれど、こうして仲間の役に立てる事を誇らしく思う。
「どうした?三人とも真剣な顔をしているが?」
 そこに背後から偵察から戻ってきた桂がやってきた。桂は理解不能な行動もするが、頭も切れるし勘も鋭い。十四郎が少し足を挫いのを黙っているのを見抜く程である。
「こ、これは、その……二人から相談をされてて…!」
「相談?よければ俺も話を聞こう」
「いいいいや!だい、大丈夫だから!」
 二人の秘密を隠さねばならない。下手な言動をすれば二人の多少はある尊厳に傷が付く。
「……くっ……ふふっ」
「どうした、銀時……?」
「もう無理ぜよ!!あっははははは!!まさか、こんなに必死に……っ!!」
「悪ぃな十四郎……!ふふっ……!全部、嘘だ…!ははははは!!」
 何事かと振り向けば、銀時と辰馬が笑い転げている。笑い転げる二人と嘘という言葉。つまりはまんまんと二人に騙されていたのだ。
「はぁ!?嘘だと!?ふざけんなよ!!」
「ごめっ……ははっ!四月馬鹿ってやつでさっ……!マジでこんな騙されるとは、思わなくって……!」
 笑いを堪えながら銀時がネタばらしをした。辰馬に至ってはツボにでも入ったのか、話す事すら出来ないらしい。
「馬鹿二人には俺の方から言っておく。十四郎、四月馬鹿とは一日嘘を付いてもいい、という日だ」
 今日はとある地域の風習で、一日嘘や悪戯をしても許される日なのだそうだ。それを知った銀時と辰馬が早速十四郎に試したという事である。
「お前ら本気で心配しただろうが!!」
「悪ぃって、な?十四郎。ごめんって」
「十四郎ごめんちや」
 プリプリ怒る様が可愛いものだから、つい十四郎を構いたくなってしまう。拾ってきた時には、警戒心丸出しの野良猫のようだった。それが、こんなにも表情をころころと変えるから、嬉しいというのもある。
「ところで、十四郎。実はな、俺は女なんだ」
「えっ!?そうだったのか!?ごめん、俺全然気がつけなくて……」
「大丈夫だ。これは嘘だからな」
「小太郎まで!!」
 銀時と辰馬が再び笑い転げる。一緒に風呂にも入った事があるのだから、女であるはずがないのだ。最初は警戒しても、一度信用すると簡単に懐に入れてしまう。十四郎の良い所でもあるが、不安になる部分でもある。
「……なんか馬鹿にされてるみたいで腹が立つ」
「そんな事はない。十四郎が素直で仲間を信じているということだ。ほら銀時なんて性格がねじ曲がっているから、あんな頭だろう?」
「おいヅラ。どう意味で言ってんだ」
「あ、やっぱりそうだったのか」
「十四郎も納得しないでくれる!?」
 褒められはしたがやはりモヤモヤする。騙されたままでは負けたような気がするのだ。
「なら十四郎は高杉に嘘を付いたらいいが」
 辰馬の案にそれだ!と十四郎が飛び付いた。この場の三人は四月馬鹿を知っている。だが、高杉なら騙せる可能性がある。あの高杉を騙すのは一筋縄でいかないと三人は思っている。何より十四郎は嘘を付くのは不得意だ。だが、十四郎はすっかりやる気を出してしまった。
「よし!俺、総督に嘘を付いてみせる!」
 敏い高杉の事だ。気に入っている十四郎の言葉に乗ってくれるかもしれない。とばっちりがこちらに来る可能性もあるが、銀時と辰馬の場合は自業自得である。
「いいか十四郎。いくら嘘を付いてもいいと言っても、相手が傷つくような嘘は言っては駄目だ」
「わかった。ありがとな小太郎!」
「どがな嘘にするか決めたかえ?」
「それはこれから考える」
「一緒に考えてやろうか?」
「いい。銀時はねじ曲がってるし」
 冷たく言い放たれた銀時はガクリと肩を落とした。普段の行いからして言われても仕方がない。
「ああそうだ、銀時。厠の掃除当番はお前だからな」
「そんな嘘に騙されねぇぞ、ヅラ!」
「ヅラじゃない、桂だ。それに嘘でもない」
 目の前に出された当番表には、しっかりと銀時の名前が書かれている。その数は一週間分。今までサボっていたツケがこうして回ってきたのである。
「嘘だろ!?嘘だと言ってくれ辰馬ァ!!」
「残念けんど嘘がやない」
「ほら行くぞ銀時」
「まさかお前俺を売ったなあああああ!?」
 桂と辰馬によって銀時は厠へと引き摺られて行った。厠の掃除はかなりキツイ。心の中でそっと手を合わせた。
 一人残された十四郎は大きく息を吐いた。二人が付き合っていると聞いて、実はドキリとしていた。
 高杉に対して淡い気持ちを抱いている。それを見透かされているのかと思ったのだ。嘘だと聞いてホッとしたが、なんだか胸がチクチクとする。
 嘘なら高杉に「好きだ」と伝えても許されるだろうか。どうせ叶わぬ願いなのだ。今日であれば、まだ受ける傷は浅くて済むだろう。
「どうした、十四郎」
「そ、総督!?」
 物思いに耽っていたせいで、背後の気配に気が付かなかった。振り向けば、今まさに考えていた人物が立っている。
「総督、おかえりなさい」
「ただいま。何か変わった事はなかったか」
「特には。あ、銀時が厠掃除に連行されて行った」
「自業自得だな」
 今頃、桂に監視されながら涙目で掃除をさせられるているに違いない。銀時は戦場では勇猛なのに、それ以外だとダメ人間になる。掃除はサボる、甘味は食いする、人をからかっては遊ぶ。十四郎も何度、銀時の餌食になった事か。弟分を可愛がって構い倒したいらしいが、いい迷惑である。それでも、本当に嫌な事はしないから余計にあの嘘が少し引っ掛かってしまうのだ。
「どうした?」
「い、いや。その」
 高杉に会ったら嘘をつこうと考えていたのに、考え付く前に会ってしまった。嘘は午前中まで、というルールもあり時間は僅かしかない。普段と様子が違う十四郎を高杉が心配そうに顔を覗き込んだ。
「あ、あの実はその、俺……み、未来から来たんだ……!」
 咄嗟に出た嘘は、あまりにも分かりやすい嘘だった。なぜこんな嘘を口走ったのか十四郎でさえ分からない。
「……そりゃあ、もしかして四月馬鹿ってやつか……?」
「え?総督知って……?」
「さっき、隊のヤツらが『銀時が嘘を付くとはりきってたから気をつけてください。自分も被害者で』って言ってたからな」
 被害者は多数いたらしい。嘘は多岐に渡り、その豊富さに頭の回転を別の事に使って欲しいものである。
「すまねぇな。銀時にはもう一週間ほど厠掃除してもらわねぇとだなァ」
 高杉の手が十四郎を慰めるように頭を撫でる。年はそう違わないというのに、十四郎からすれば高杉の方が何倍も大人のように見える。
「さて、もう昼だ。今日の当番は十四郎だろ?楽しみにしてる」
「お、おう!銀時の分も総督が食ってくれ」
 これ以上、心配させまいと無理矢理に気持ちを切り替えた。戦場には出れずとも、任された仕事はある。高杉以外にも腹を空かせた者たちのために厨へと駆け出した。勿論この日の高杉の食事は豪華で、一方の銀時は沢庵一枚という物になった。



「たたたたたた大変です!!川に向かう途中で天人に襲われて……!!十四郎が……!!」
 高杉たち四人と数名が広間での軍義中に隊の男が駆け込んできた。十四郎という名前に全員が顔を上げ男を見る。
「まずは落ち着け。被害状況は?十四郎が怪我をしたのか?」
 桂が務めて冷静に問い掛ける。男はかなり気が動転しているようで、上手く言葉を紡げない。
「ぜ、全員怪我もなく無事です……!天人も返り討ちにしました……!なんですが十四郎が……!」
 全員無事という言葉に胸を撫で下ろした。だが十四郎に何かあったというのには変わりがない。
「だから!十四郎に何があったんだ!?」
「それは俺から説明する」
 いつの間にか入り口には見知らぬ男が立っていた。珍しい洋装姿に傍らの刀に手をかける。敵意は全く感じなとはいえ警戒は怠らない。
「まあ、こんな成りだ。警戒するのも無理はねぇが刀から手を離してくれ。心配しなくても俺は正真正銘の土方十四郎だ。今よりずっと未来の、な」
「……悪ぃけど四月馬鹿はとっくに終わってるぜ?」
 銀時がいつでも抜けるようにと刀を握る。見知らぬ男が十四郎と名乗っているのだ。さらに未来から来たという大嘘まで付いて。
「……そうだな。数日前に羊羮がなくなったはずだ。銀時の枕に細工してあるから探してみるといい」
「え」
 桂は目配せすると、後に控えていた男が広間を出た。同時に高杉が銀時を捕まえる。そうして暫くすると銀時の枕を抱えて戻ってきた。
「……本当に羊羮が出てきたな」
 枕から二本羊羮が転がり落ちた。桂がしげしげと見詰めながら呟いた。そして、数日前に羊羮がなくなったのも事実である。高杉が逃げようとした銀時を取り押さえた。
「それと、裏に物置小屋があるだろ。あの天井裏に辰馬が春画を隠してる」
「え」
 今度は別の男に頼んだが、同じように暫くすると春画を抱えて戻ってきた。仲良く銀時の隣に辰馬が取り押さえられる。
「全くお前たちは……」
 桂が頭を抱えながら二人を見る。辰馬はまだしも、銀時については何かしらの罰が必要だろう。今までも何度か甘味がなくなる事があり、余罪を追及しなければならない。
「だが、まだ十四郎だと決まった訳じゃねぇ」
 高杉が自称土方を睨む。天人の科学力は全くの未知数だ。いくつも知らない武器や技術を見せつけられ、いくつもの敗北を味わっている。例えば、他人の記憶を盗んでスパイにする……という事だってあり得るかもしれない。
 目の前の自称土方は面影を感じる。だが、長かった髪は切られ身長も伸びている。子供っぽさが消え、いくつも死線を越えたような大人の余裕を感じさせる。
「ま、そりゃあそうだ。簡単には信じられねぇのが当然だ。俺だって最初は過去に来てるなんざ信じられなかったからな」
 自称土方は考える仕草をした。十四郎も考える時には同じ仕草をする。他人のクセがあれ程に自然な動きは一朝一夕で身に付くだろうか。何十年とやってきた人間のクセとしか思えなかった。
「お。足音がするなこりゃあもうすぐ……」
「「まだ使えそうな天人の武器を手に入れたんで修理しました!!」」
 興奮した三郎が天人の武器を抱えて広間に入ってきた。そしてその台詞を一字一句同時に間違える事なく、自称土方が喋った。
「え?皆さんどうしたんですか……?」
 状況が飲み込めない三郎は不思議そうに回りを見渡した。

 要約すると話はこうである。十四郎を含めた数名が水を汲みに川へと向かった。その途中、隊からはぐれたであろう天人数名に襲撃を受けた。
 バズーカのような物を撃たれ、仲間を庇った十四郎に直撃。煙幕が晴れるとそこに自称土方が立っていた。そして敵味方が動揺している内に自称土方は天人を切り伏せた、というのである。
 にわかには信じがたいが、自称土方はいくつか未来に起きる出来事を言い当てた。鳥に気を付けろと言われた桂は外に出た途端に糞を落とされた。夕立が来ると言えば本当に降った。その他、銀時や桂の事や十四郎自信の事を聞いてみたが、全て正解していた。歳は三十二とかなり未来から来たという事だ。
 半信半疑といった所ではあるが、敵意もなく身体検査もしたが刀以外に持ち込まれた武器もなさそうである。同行者も誰一人嘘を言っているようにも思えなかった。ひとまず、監視付きで客人として迎える事となった。その裏で十四郎の捜索も行ったが、依然見付かっていない。
「ああ、過去の俺なら心配するな。無事だから未来の俺がこうして存在している。だいたい一週間もすれば、お互い元の時代に戻れるはずだ」
 確かに道理は通る。過去の人間が死ねば必然的に未来には生きていない。自分が消えるとなれば、無闇に過去の自分を危険に晒す真似はしないだろう。
「お前の話は分かったが全てを信用した訳じゃねぇ」
「ああ、総督それでいい。ちなみにこの一週間は戦いは起きねぇから安心しろ。明日から三日程天気が荒れるからな。かなり冷えるから小屋から火鉢を用意しておく方がいい」
「火鉢?もう四月も半ばだぞ」
「ま、信じるか信じねぇかは好きにしろ」
 桂は疑いつつも火鉢を用意するように伝えた。ここで嘘を付く利点もなく、未来の出来事を見事に言い当ててもいる。
 そして翌日。夕方から雨が降り始め、強風と季節外れの雹まで降ってくる始末。四月とは思えぬ程に冷え込み、火鉢が活躍する事となった。
 四日目ともなれば自称土方を疑う者は殆どいなくなった。予言のおかげで建物の被害もごく僅かである。おまけに若い者が多い中で大人の空気を纏う自称土方は、憧れのような眼差しまで受けている。稽古では戦場慣れした人間を何人も打ち負かし、益々持て囃されるようになった。
「おまさんが未来から来たなら、この戦がどうなるかも分かるがやないかね」
 夕食の席で辰馬が尋ねた。誰もが気になっていた事だ。この先の見えない戦はどうなるのか。この国の未来はどうなっているのかと。
「知ってるが教える訳にはいかねぇ」
「なんでだよ!?それが分かれば誰も死なずに済むだろう!?」
 銀時が声を上げた。天人の布陣が分かっていれば、あの作戦が、あの奇襲を予想できていれば。そうすれば無駄な血を流す事はなかったのにと。
「歴史ってのは簡単に変えちゃいけねぇって事さ。修正されて結局どっかで死んじまうように出来てんだ。些細な事ならどうって事はねぇが、人の生き死にってのは大きく変えちまう可能性がある。例えば、織田信長が死なずに生きていたら今は大きく変わっちまうだろ?」
 もしも本能寺の変が起きずに、信長公による統治が行われていたら。江戸幕府はなく自分たちの存在さえなかったかもしれない。
「教えてもいいが、それが良い方向に向かうかも分からねぇ。良くてなんの影響もないかもしねぇが……過去を変えちまったせいで天人どころか流行り病で人類が全滅……なんて未来になるかもしれねぇって事だ」
 その場にいた者は最悪の未来を想像した。変えたい過去はいくつもあるが、もしその行動でさらに最悪な事態が起きてしまったら。
「未来がどうなってもいい、って覚悟がありゃあ別の話だが。ま、あんまりオススメはできねぇな」
 そう言うと自称土方は何事もなかったかのように食事を再開した。重い空気の中、桂が口を開いた。
「して、お前の居た未来はどうなのだ?」
「まあ、悪くはねぇんじゃねぇかな。未来なんて可能性の一つに過ぎねぇ。俺の居る未来よりも、お前らの方がもっと良い選択をしてもっと良い未来になってるかもしれねぇからな」
「そうか。ならばいい」
「あ、歴史が修正されるってなら羊羮も俺の所に戻ってきたりする?」
「ワシの春画もか!?」
「それはねぇよ」
 厳しいツッコミに場が笑いに包まれた。


「よう。遅かったな総督」
 高杉が湯浴みから戻ると自称土方が布団の上でくつろいでいた。一応はまだ監視されている身であるのに、全く緊張感の欠片もない。
「銀時の野郎が遊んでやがったからな」
「アイツは全く変わらねぇな」
 クスクスと自称土方が笑う。笑い方は十四郎と変わらない。
「未来の銀時もあんな感じのままか?」
「そうだな。仕事もせずに、甘味ばっか食って病気になりかけてやがった。足も臭ぇし最悪」
「……アイツの性格は今から治しておいた方がいいんじゃねぇか?」
「そりゃあ言えてるな。……でも皆に慕われてたのは今も未来も変わんねぇよ」
「そうか」
 高杉は布団に潜り込んだ。自称土方の全てを信じた訳ではないが、警戒心を緩めるには充分な信用も生まれている。始めは嫌だった、総督という呼ばれ方も今はそれほど気にならない。
「そうだ、総督。帰る前に聞いておきたい事があるんだが」
「なんだ?」
「過去の俺はもう抱いたのか?」
「はぁ!?」
 明日の天気は?くらいの普通さで、とんでもない台詞が飛び出した。高杉は驚きで思わず飛び起きてしまった。
「その反応じゃ抱くどころか告げてもいねぇのかよ。早くしねぇといつまでも童貞のままだぞ。過去の俺が戻ったらちゃんと言えよ。じゃ、おやすみ」
 十四郎なら顔を赤くしているような台詞だ。それをつらつらと。さらに人が気にしている事まで明け透けに言われて、黙っていられる程高杉も大人ではない。
「待て、テメェ。勝手に好き放題言って寝ようとしてんじゃねぇ」
「あ?だって事実なんだろ?」
 そう言われてしまうとぐうの音も出ない。事実、高杉は十四郎に単なる仲間とは違う感情を向けている。戦場に居れば明日も生きているとは限らない。告げた所で、感情は重荷になってしまう。出来るなら十四郎は生きて幸せになって欲しいと願っている。
「言わねぇ方が相手が幸せになる、って思ってんのか?悪ぃがそりゃテメェの勝手なエゴだ。過去の俺はまだガキだが、テメェの幸せが何なのかくらいは決められるさ。そもそも、戦に参加した時点でテメェらに巻き込まれてんだ。んなもん今更だろ」
 返す言葉もない。言わなくて良いと感じているのは高杉だけだ。一方の十四郎はそう思っていないかもしれない。自称土方の真っ直ぐ見つめる目が「どうして言ってくれなかったのか」と訴えている。
「好きならちゃんと伝えて抱いてやれ。そうじゃやきゃ一生後悔するはめになる。……少なくとも俺は抱かれたいと思ってたよ」
 自称土方の目が悲しそうに揺れる。この土方は過去にも未来にも高杉には抱かれなかったのだ。想いも告げられる事もなく、未来の高杉はこの男を置き去りにしてしまったのだろう。
「……ああ、でもこっちの俺がそうかは分からねぇからちゃんとテメェで確認しろよ。今度こそ、おやすみ」
「……わかった」
 背を向けて眠ってしまった男にそっと近付く。そして、十四郎と同じ少しクセのある柔らかな髪を静かに撫でた。
 翌朝、皆で食事を摂っていると「あ、そろそろかもしれねぇ」と自称土方が呟いた。その声に一斉に視線が集まる。土方の身体は小さな光の粒子に包まれていた。
「あれ?みんな?俺、戻ったのか?」
 光の粒子が消えるとキョトンとした顔の十四郎が同じ場所に座っていた。いつもの着流しに高く結われた長い髪。手には赤いキャップの付いた何かを持っていたが、紛れもなく十四郎であった。
「「「「十四郎ー!!」」」」
 その場に居た者たちは十四郎の帰還を喜んだ。抱き付いたり、頭を撫でたり、質問責めしたりと各々が喜びを表現する。
「十四郎、おかえり」
「総督、ただいま」
 もみくちゃにされた後、静かに高杉が告げた。それに柔らかな笑みで十四郎が答える。
「少し話がある。後で部屋に来てくれるか?」
「ああ、うん。わかった」
 いつもと少し雰囲気の違う高杉に戸惑いながらも、しっかりと頷いた。


 崩壊したビルの上で土方は夕陽を見ながら煙草をふかしていた。過去に行った事で何か変化はないか、と期待してみたが何も変わってはいなかった。
 相変わらず世の中は崩壊して、流行り病の特効薬も見付からない。銀時は行方不明のままであるし、桂は中二病を発症している。
 過去の彼らではあったが久しぶりに元気な姿を見られて嬉しかった。いずれ修正されて、土方の記憶は薄れていくだろうが。過去の自分もこちらで随分可愛がられたようだ。あの頃のトシは可愛げがあったと何度言われた事だろうか。
「こんな所に居やがったのか」
 数年振りに聞く声に、咥えてい煙草が地面に落ちた。あり得ない、いるはずのない人物の声。振り返らずとも、それが誰かはすぐに分かる。
「……それはこっちの台詞だ」
 やっと絞りだした言葉は震えていなかっただろうか。銀時と同様に姿を消した人物がもう一人居る。連日のように危険人物だと、その名を聞いていたのに。ある日パタリと途絶え、いつしか死亡とされていた男だ。誰も探す事はしなかった。いや、世の中は流行り病の方が男の生死よりも重要であったのだ。
「約束通り、抱きに来てやったぜ。待たせて悪かったな」
「つまり、過去の俺を抱いてやったんだな」
「いや、抱いてねぇよ。悪ぃが俺は「過去にお前を抱かなかった俺」なんもんでな。俺は今のお前を抱きに来たんだ」
 そんな事があるのだろうか。過去は変えられないはずである。人の生死ならまだしも、こんな些細な世界にとってちっぽけな無価値な事象が変わる事が。
「嘘だ……っ!」
「嘘じゃねぇよ。俺は出来ねぇ事は言わねぇって昔から言ってんだろ。十四郎」
 耐えきれなかった涙がコンクリートを濡らす。本当に、本当にこんな事があっていいのだろうか。
「もうこんなオッサンなんだぞ……!」
「そりゃあお互い様だろうが。いい加減振り向いてくれねぇか。……好きだ、十四郎」
「……!総督……ッ……!」
 土方は振り返るとその男の胸へと飛び込んだ。背は追い越してしまって、随分と薹が立ってしまったというのにみっともなく泣いている。
「待たせて悪ぃ」
 男の手が土方の髪を撫でる。その優しい仕草は今も昔も変わらないままだった。

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