煙草

 ふぅーと煙を吐く。煙管はよく手に馴染んでいる。
 普段はマヨボロを好んで吸っているが、非番のそれも私宅に居る時には煙管を吸うようになった。
 煙管は嫌いではないが、少し手間がかかる上に三服程度で終わってしまう。その点、紙巻き煙草であればライターで火を点けるだけで、長く楽しめる。それに、討ち入りの最中に葉を詰める暇などない。そんな事をしていて時間に遅れるなどもっての他であるし、詰めている間に後ろからバッサリなんて笑えもしない。
 ヘビースモーカーである土方にとって、紙巻き煙草の方が合理的であるのだ。なぜ吸うようになったかと言えば、高杉に誕生日の祝いとして贈られたからである。
 素人目で見てもモノはかなり良いと思う。ゼロがいくつも並んでいてもおかしくない代物だった。高杉は羽振りも良く、ケチる性質ではないが如何せん金の出所は気になってしまう。ポケットマネーから出しているのだろうが、もし鬼兵隊の予算から出された物だったらどうしようかとも思った。
 そんな事を考えた所でどうすることも出来ないし、あちらも譲る気はないようなのでありがたく頂く事にした。我ながら図太くなった物だと土方は思う。これが鬼兵隊の予算から出ていてテロの回数が一回分でも減れば嬉しいものである。
三服目を吸い葉を落とす。そしてまた新しい葉を詰める。
 私宅で吸う理由はもう一つある。匂いだ。
 山崎と総悟がやたらと勘がいい。
 以前、屯所の自室で吸っていたら「いつもと匂いが違う」と言われた。普段なら「買い間違えたのか」程度で終わるはずなのに、その時だけは違った。根掘り葉掘り煙草の匂いが違う理由を問いただしてくる。「買い間違えた」「気分転換に変えてみた」と言っても納得しない。総悟に至っては「土方さんから雌の匂いがする」とかなんとか言い出す始末。
 そんな二人をどうにか部屋から閉め出し、いつも以上に煙草を吸ってその匂いをかき消してやった。煙で充満した部屋に文句を言われたが、匂いを追及されるよりもマシである。
 二人の訝しげな視線を受けながらも、追及がなくなった事に胸を撫で下ろしたと同時に寂しさに襲われた。
 あの煙管の匂いは高杉の纏う匂いだ。
初めて吸った時には高杉の匂いに体温が上がり抱かれているかのような錯覚さえした。髪や着物に移った匂いを思い出し、どうしようもなく興奮した。煙管を渡されてから久しく会っていなかったせいかもしれない。
 少し低い高杉の体温が熱を帯びて、冷ややかな瞳に情欲の炎が灯る。嵐のような情交が脳裏に過り頭を振った。全てをぐちゃぐちゃに壊して爪痕を身体にも心にも残していくクセに、一時の逢瀬が終われば何もなかったかのように日常に突き放される。
 無理矢理に始められた関係だというのに、気付けばなくてはならない物になっていた。
 新たな葉を詰めようと煙草入れを開けると葉の残りが僅かになっていた。ただそれだけで寂しさを覚えてしまう。
 吸わなければ減りはしないのに、吸わないという選択肢すら与えてくれないのだ。
 葉を買いに行かねば。ただ何もせずに煙管を吹かしているから余計な事を考えてしまうのだ。吉原の辺りにはまだ専門店がいくつかあったはずだ。紙巻煙草が浸透しても昔からの愛好家や風流を好む者も多い。
 そうと決めれば高杉の匂いを消す為にいつもの煙草に火を付ける。いつどこで知り合いに遭遇するとも分からない。高杉の匂いを纏っていたいと思う事すら叶わないのだ。
 

「違ぇ…」
 新しい葉を買い吸ってみたが求めていた物と違う。分かってはいた事だがどうにも吸う気になれず、一服で辞めてしまった。
 とりあえず吸えればいいと思っていたが、本心はそうではなかったらしい。
 煙草屋で人気の物を適当に見繕って貰ったが美味いとも思わず、ただもの悲しさだけを感じた。 慣れていないだけで、本当は美味いのだろうけど自分が求めている物は高杉本人だという事に気付かされただけだった。
 気付かないようにしていたのに。煙草も高杉にもすっかり中毒になっているじゃないか。やめたいのにやめられない。本心はやめたいなんて思っていない。
 そう思うと恋しくなってしまう。どうしようかと迷ったが、残り少ない葉を丸めて火を付ける。求めてやまない香りが鼻を擽る。この葉が無くなる前に高杉に会えるだろうか。我ながら女々し過ぎると自嘲する。
 もう一度吸うかと葉入れを見ると何やら白い物が見えた。なんだろうかと摘まみ出してみると何やら書かれている。
『葉が少なくなったらここに行け』
店の名前と住所がよく見知った字で書かれていた。あの野郎……わざとか。煙管を贈られた時に直接言うなり、メモを渡すなりすればいいのにわざわざ葉入れに仕込むなど意地が悪いとしか言い様がない。憎たらしく口角を上げる高杉が脳裏に浮かんで殴ってやりたくなる。
 住所は江戸の郊外だ。行けない距離ではないが少々時間がかかる。紙巻き煙草も買ってきたばかりの葉もあるのだから別段急ぎという訳でもない。あと何度かは吸えるのだし、非番でなければ吸うのは難しい。次の非番はいつだったかとシフトを思い浮かべる。何もなければ五日後には買いに行けるはずだ。たった五日待てばいいだけの話だ。
 高杉に会えていない一ヶ月よりも短いではないか。仕事に追われていれば五日などあっという間だ。大した事はない。煙を吸い込んで吐き出す。今日はこれで終わりにしよう。そうすれば五日後も葉は残っている筈だ。
 これで最後だからとゆっくり味わうように吸い込んだ後、火を落とすとおもむろに立ち上がり出掛ける準備をした。


 タクシーに揺られて一時間程でようやく着いた店はこじんまりとしていた。老舗と言えば聞こえはいいがどちらかといえば古いといった印象だ。
 討ち入りの時よりも緊張しているのは気のせいだろうか。高々、煙管の葉を買うだけである。なぜそれだけで手に汗をかかねばならないのか。「いらっしゃいませ」
 意を決して一歩踏み込めば小柄な主人が出迎えた。人が良さそうで本当にこの店にあの高杉が来ているのかと疑わしく思う。テロだけでなく別の犯罪……例えば詐欺にも手を出していないだろうか。
「どちらをお探しですか?」
 ニコニコと人好きのする笑顔で主人に訪ねられる。高杉が新たな犯罪に手を染めているかはひとまず後回しだ。
「すみませんこちらの葉を探しているのですが、銘柄が分からなくて….」
 銘柄も何も分からないので葉入れをそのまま持ってきた。最初の店でもこうすれば手っ取り早かったなと今更ながらに思う。
「手に取ってもよろしいでしょうか?」
「ええ、構いません」
 主人に葉入れを渡す。そこから少量の葉を手のひらに乗せ臭いを嗅いだり葉をじっと見詰めている。
 それだけで分かるものなのだろうか。紙巻き煙草をバラバラにしてしまったら、マヨボロと分からない自信がある。
「少々お待ちください」
 予想よりも早く主人は顔を上げた。たった数分で分かってしまったらしい。主人は奥に引っ込むと、木箱を持って戻ってきた。
 主人はニコリと笑うと座るように促した。上がり端に遠慮がちに座らせて貰う。主人は木箱から葉を取り出すと慣れた手付きで丸め、煙管の火皿へと入れ渡された。
「吸ってお確かめください」
 それもそうだと懐からライターを取り出して火を付けて、吸い込み安定させる。そうして出た煙を吸い込むと高杉から貰った物と同じ香りがした。
「これだ、間違いねぇ…」
「こちらは特別に誂えたもので、この世に二つと存在しないのですよ」
 聞けばいくつかの葉をブレンドした代物だそうだ。だから香りも味も何もかもが唯一の物だ。作り方を知っているのは主人のみ。彼の息子が店を引き継ぐ予定ではあるが、さてどうなるかといたずらっぽく笑ってみせた。
「これは…」
「もしこの葉を自分以外の人間が買いに来たらその方に渡してくれと言付かっておりまして」
 その葉を包んで貰ったのだが、一緒に一通の手紙を渡された。薄い紫色をした上質な和紙。開かなくとも差出人などすぐに分かった。
「ありがとう。もし、そいつが来たらよろしく伝えてくれ」
「畏まりました。どうぞご贔屓に」
 笑顔と深いお辞儀で見送られる。自分でも気付かぬ内に足早になっていた。こういう時にはタクシーが捕まらない。
 買い終わったら風呂とサウナに入って、飯でも食って帰ろうと思っていたはずだった。それがどうだ。少しでも早く私宅に戻りたいと身体も心も急いている。まるで、アルコール依存症や麻薬の中毒患者のようだ。
 職業柄講習も受けたし、そういった人間を見る事もあった。ああはなりたくない物だと思ったが、これじゃあまるで同じではないか。
 そればかり求めて頭がいっぱいになる。手にしても一瞬で消えてまた際限なく求める。繰り返して少しでは満足出来なくなって、もっともっとと求め続ける。最後は身を滅ぼして破滅。とてもじゃないが笑えない。しかも、自分がハマっている物は敵であるテロリストだ。それもとびきり凶悪な。
 酒や麻薬よりもタチが悪い。ああもうふざけんな。ニヤニヤ笑う高杉の顔が浮かぶ。今すぐにでも殴ってやりたい。だがどこに居るか分からない為に殴りにも行けやしない。
 ようやく捕まえたタクシーに乗り込むと運転手が青い顔をした。声も心なしか震えている。何か恐ろしい目にでもあったのかと思い声をかけたが「い、いえ大丈夫です…!」と言って思い切りアクセルを踏んだ。
 私宅の前に停めてもらうと「釣りはいらねぇ」と金額も見ずに運転手に渡した。多かったのか少なかったのかも分からない。確認しようにもそんな事はとっくに頭になかったし、タクシーも消えてしまっていた。
 中に入って急いで煙草盆を用意する。なんだかんだ言いながら、すぐ手の届く場所に置いてある。褒めるべきか、それとも警戒心が足りないと怒るべきなのか。
 火を付けて吸い込む。煙が身体を巡り、香りが身体を包んでいく。
 満たされていくのが分かった。少しの寂しさを覚えながらも充足感がある。
 自身でもバカで愚かだと分かっている。依存症の人達が「どうしてもやめられない」と言っていたのが今なら充分な程に理解が出来た。
 気持ちも落ち着いた頃、ようやく手紙を開いた。なんの事はない、元気にしているかとか身体に気を付けろとか当たり障りのない物だ。テロリストに心配されるのは、笑いだしそうだ。そもそも疲労の原因は大体が攘夷志士のせいだし、さらにその半分は高杉のせいである。
 高杉なんかと関わったせいで、心労は溜まる一方であるし、身体はすっかり開発されてしまった。
 我儘放題、好き放題。こちらの気など知らずに勝手ばかりする。そのクセ、誕生日を気にしてみたりこうして気遣ったりしてみせる。
 そうやってズブズブにハマってこの様だ。次はいつ会えるのか、今どうしているのかふとした瞬間に思い浮かぶのは高杉の事だ。
 禁煙でもすれば少しは違うかもしれない。出来たとしても、高杉は日常に入り込んでくるから意味などないのだろうけど。
 筆を取った。仕事で必要な挨拶状ならいくらでも書けるのだが、自分の気持ちを書くというのは苦手である。けれど、このまま何も書かないというのも負けたような気がする。少しくらい仕返しをしたってバチは当たらない。いや、むしろするべきだ。
 日常に支障をきたされてるんだから、高杉もそうなればいい。スカした面が歪みでもすれば万々歳である。そうして時間も忘れる程に真っ白な便箋へと向かっていた。


「トシ、何か良いことあった?」
「いや、別にねぇけど。どうかしたのか?」
「いいや、何かあったね!待って当ててみるから!」
 屯所の廊下で並んで歩いていると、急に近藤さんに言われた。何やら当ててみるとかで額に手を当て、わざとらしく考える仕草をしている。
「わかった!」
「ハズレ」
「まだ言ってないでしょ!トシいい人出来た?」
 ニヤニヤと小指を立てる仕草がウザイ。
「はぁ……いねぇよそんなモン」
「またまたぁ。俺とトシの仲だろ?そんな事言わずに教えてくれよ。絶対、秘密にするからさ!」
「あのなぁ、仕事ばっかでそんな暇ねぇの知ってるだろ?仮に居たとしても、アンタ酔うとペラペラ喋るから絶対言わねぇ」
「えー!!トシのいけず!!」
「近藤さんが真面目に仕事してくれりゃあ、飲みに行くくらいの時間はあるんだがなぁ……?」
 にっこりと笑って言ってやれば、思い当たる節があるようで静かになった。ストーカーやすまいるに行くせいで、余計な手間を取らせているという自覚はあるらしい。
「という訳で溜まった書類は今日中に終わらせてくれよ?」
 さらに圧をかければ「はい……」と小さく答えた。
 近藤さんの部屋に書類を持ち込み山崎を監視に付けると、自分の部屋へと向かう。上手く事が運んだので、今から明日の夜まで休みである。
 着流しに袖を通しながら感じる期待と罪悪感。これから向かう場所は例の煙草屋である。前回訪れた時には自分が返事を書いた。今日はその返事を受け取る事が出来るかもしれない。
 嬉しいという反面、その分罪悪感は大きくなる。駄目だと頭では理解しているのだ。それでも、煙草と同じようにこのやり取りを辞める事は出来なかった。
 煙草屋に入ると主人がいつもの笑顔で迎えてくれた。顔も煙草の種類も覚えられているから、すぐに目的の物を渡してくれる。
 煙草と手紙を懐に仕舞うと、店を後にした。
 

 江戸の郊外に一軒の煙草屋がある。
 行くには少し不便で、煙管から紙巻煙草が主流になってからは訪れる人も以前より少なくなった。だがそこの主人は老体というのもあって、のんびり仕事をするのもいいかと別段気にした様子もない。
 昔から贔屓にしてくれる客はいるし、粋や風流を好む者は居る。特に吉原では煙管は今も人気が高い。まあ、そういう訳で食うに困らない程度に店は繁盛している。
「いらっしゃいませ。ああ、旦那様お久しぶりですね」
「暫く京の方に居たもんでな。主人も元気そうで何よりだ」
 店に久しぶりに顔を見せた男が来た。女性物の着物という出で立ちは、初めて見た時には驚きはしたがよく似合っている。そういう物を着こなすのもまた粋というものだ。それに、派手な見た目に反して物静かで博識でもある。
 天人がやってきて以来、粋や風流を好む者も少なくなったように思う。その点この男は精通しているし、いい物を選ぶ目も持っている。
 不思議な雰囲気な男をすっかり気に入ってしまった。男の方もこの店が気に入ったようで常連客になっている。
「すぐお持ち致しますね」
 一礼して煙草の葉を取りに奥へと引っ込む。この世に二つとないこの葉は男の為に作ったものだ。以前は男一人が買い求めたが、ある日もう一人この葉を買いに来る男が増えた。
 スラリとした長身でまさに色男。こちらはいつも黒地の着流しであったが、男の良さを引き立てていた。お洒落には興味がないのかと思えば、時折仕立ての良い着流しを着ている事があった。
 奥から葉と手紙を持って戻ってくる。葉と一緒に渡すようなった手紙。内容が気にならなかったと言えば嘘になる。この齢になってもそういう好奇心が抑えられないのは恥ずかしく思う。
 手紙を渡すと二人の男は表情を変えるのだ。内容は分からずともきっといい便りなのであろう。それが楽しみの一つでもあった。
「お待たせ致しました」
 いつものように煙草の葉と預かっていた手紙を手に戻ってきた。
「悪ィが今日は多めに貰えねぇか?」
 手紙を渡すと少し不思議な顔をした。どうしたのかと思っていると、葉の方を見て男が言う。
「ああ、これは気が付きませんで」
「いや、先に言わなかった俺が悪い」
 今度は長く江戸を開けるのだろう。不思議な顔をしたのは、想定していたより葉が少なかったからだと納得した。
 今度は量を確認してから奥に引っ込む。久しぶりであったからサービスで少しおまけしておく事にした。
 代金を受け取る。釣りのないように渡してくれるのはありがたい。細やかな気配りもまたこの男の魅力であると感じる。
 二言三言交わすと男は背を向けてしまう。常ならばここで手紙を預かる。だが、そんな素振りが一切なかった。
 不思議な顔をした事、葉を多く渡した事。そして手紙を預からなかった事。それらを組み合わせると嫌な予感がした。
 あれだけ幸せそうな顔をさせていた物が必要なくなるというのは何かあったのだろうか。
「あの…旦那様、手紙はお預かりしなくてよかつたので?」
 二人の男の繋がりがなくなってしまうのはどうしようもなく寂しくて悲しかった。お節介であるとは分かっているが、声をかけずにはいられなかった。
「ありゃあもう必要ねぇんだ」
 振り返ると男は予想に反して柔らかな表情で答えた。
「おい!晋助!人待たせてんだからそろそろ行かねぇと…」
 そこへひょっこりと戸口から顔を覗かせたのは、もう一人の長身の男。目が合うと少し恥ずかしそうに軽く頭を下げた。
「そういう事でな、もう手紙は必要ねぇんだ」
「そうでしたか。これは、余計なお節介でしたね」
「いいや、こちらこそ気にかけてくれて助かった。また来る」
「いつでもお待ちしております」
 深々と頭を下げて二人を見送った。
「……!んなもん捨てろ!!」
「あァ?せっかくテメェが書いてくれたんだぜ?……そうさなァ布団の中で読んでやらァ」
「はぁ!?ふざけんな!!いっぺん死ね!!」
「ククッ……腹上死も悪かねぇ」
 長身の男の怒ったような声が聞こえてきたが、端から見ればじゃれているようにしか思えない。        
 心配は杞憂に終わった。悪い結果どころか最良の結果である。
 年老いて店も畳もうかと考えた事もあった。だが、まだ自分も負けてはいられない。
 誰かの幸せの手助けが出来るのなら、身体の動く限りは続けていきたい。
 今度は二人揃って顔を見せて欲しい。次に来るまで元気でいなければ。息子にも教える事は沢山 
ある。
「どうかお幸せに」
 そう呟くと煙草の葉を調合する為に奥へと戻っていった。
 

 
1/1ページ
    スキ