アイドル×マネージャー
②
「かんぱーい!お疲れしたー!!」
チェーン店の居酒屋の個室。ビールのグラスを高らかに掲げて銀時が音頭を取った。並々と注がれたそれを一気に喉へと流し込む。太ったからと禁酒を宣告され、久方ぶりのアルコールは身体に染み渡る。
デビュー五周年を記念した全国ツアーを行った。三ヶ月で多くの都市や地方を周り、東京で盛大なツアーファイナルを迎えた所だ。地元での凱旋ライブは特に盛り上がった。邪険にしいてた筈の人間は面白いくらいに掌を返し、知らない友人や親戚が増えていた。山のような色紙を眺めて呆然としたが、世話になったのは間違いないからと必死に書き上げた。
無事に全てのライブが終わったと思ったら、関係者やスタッフとの打ち上げや挨拶回り。メディアの取材などもあり、ようやく一息付けた頃には一週間近く経っていた。一応ファイナルの翌日は休みであったが寝て終わった。まだ若いし体力があると思っていたが、銀時も高杉もかなり堪えたようだった。
高級な会員制のレストランやパーティー会場の料理は確かに美味い。だが、三人とも畏まった雰囲気はあまり得意ではない。始めの頃は緊張でろくに味はしなかったし、慣れてきた今も食べるよりは挨拶がメインだ。もっと食べたかったと、自室でカップ麺を啜る事もザラにある。
今日はツアーの個人的な打ち上げである。気楽にやりたいのと、五年分のお疲れ様と感謝。自分たちのねぎらいもあるが、マネージャーとして付いてきてくれた土方へのお礼もある。
まともに授業に出ていなかった上に、アイドルのレッスンもとなれば勉強時間などないに等しい。土方自身も忙しい筈なのに、合間を縫って勉強を見てくれた。お陰で留年や退学することなく卒業が出来た。補習などで出席日数を補ってくれた学校側の計らいもあった。だが、それを掛け合ってくれたのは土方である。悪ガキ二人を見捨てなかった土方のお陰で今の生活がある。
土方の夢を諦めさせてしまった事も引け目に感じていた。けれど、二人に勉強を教えているのが事務所内で広まり、同じような子たちにも教えるようになっていた。年齢も教える範囲も全く違う。土方は自腹で教材を買って、プリントを作り、遅い時間まで勉強を見ている事もあった。
目の下に隈が出来ていても、どこか生き生きとした姿。マネージャーになるというのは、高杉の売り言葉に買い言葉であった。たった一言で一人の人間の人生を左右させる。銀時も、高杉も口にはしなかったが罪悪感がなかったといえば嘘になる。
正式にデビューが決まった時に銀時はポロっと「今からでも教師の夢を追いかけてはどうか」と言った。言ってからまた後悔した。マネージャーになれと言っておきながら、教師をやれと言うなど身勝手が過ぎる。
あ、ヤバい。そう思い顔を上げようとした瞬間に拳が落ちてきた。撮影の為にセットした頭に拳を食らわせるマネージャーがどこに居るのだろうか。
「ばーか。教えんのはどこでも出来んだよ。大体、お前らみてぇな手のかかる悪ガキの面倒見えんの俺しかいねぇだろ」
ニヤリと笑ってみせる土方に白旗を上げた。この人には一生敵う事はない。二人がボコボコにされて少し経ってから「バラガキのトシ」と有名な不良だった事を知った。さらに加えるとデビュー前には既に高杉とデキていたらしい。それを知ったのは、それから一年経った頃であったけれど。
その一件から土方への罪悪感はなくなった。土方はマネージャーをしながら、同時に教師もしている。今では事務所の大人から子供まで見ているのだ。
そんな昔話を交えながら、感謝を伝えると殴られた。照れ隠しなのは分かるが、感情を暴力に変換するのはよろしくない。おまけにそれは決まって銀時に向くから、同時に高杉からの熱い視線も向く事になる。土方は何故か気付いていないので余計にやっかいだ。
鰹のたたきを持ってきてくれた店員に感謝しつつ、ビールを飲む。そうでなければ、今頃銀時は高杉にたたきにされていたに違いない。現在の銀時の気がかりは、こんな激重彼氏がいて疲れないのかである。
程よくアルコールも入り、高杉も珍しく饒舌だ。土方も教え子と酒を飲んでみたいという夢が叶ったと喜んでいた。酒が解禁された時に一緒に飲んだが、今日は特別だそうだ。教え子の成長を感じて目尻に涙がうっすらと浮かんでいた。それにうっかりもらい泣きして、ここぞとばかりに酌をした。そして、この辺りで止めておけばよかったと後悔する事になる。
「お前らがぁ……ほんっとに…ぐすっ…りっぱになってぇ……うぅっ」
土方は泣き上戸だった。今までも酒の席を共にしていた事はあったが、ここまで酔うのは初めての事だ。打ち上げやらで酒が出る事はよくある。土方がそれを口にしている所も。むしろ舞い上がった銀時を叱ったり、隅っこにいる高杉を引っ張り出してきたり。多少頬が赤くなっても、理性はしっかりしており、酔った人間の介抱もしていた。だからてっきり土方は、酒に強いのだと勘違いしていたのだろう。
こんなにフニャフニャのグニャグニャになった土方を初めて見た。雰囲気が柔らかくなって、どこか幼い子供のようにすら思える。
「さかたはぁ……ぐすっ……いいかげんだけどよォ……ぐすっ……やるときはやるしよォ……まわりもすげぇみえててぇ……」
まさかの褒め殺し。酒が入るとその人の本性が分かるとも言うし、普段から土方はそんな風に思っていたのだろう。嬉しいやら恥ずかしいやら。銀時はどういう表情をしていいか分からない。平時であれば頭を撫でられても「子供扱いすんな!」と言っていたかもしれない。けれど、土方からボロボロと溢れる言葉に嘘偽りはないと感じる。銀時や高杉のようなろくでもない人間を導いてくれた。マネージャーであり教師である土方に感謝の気持ちが沸くばかりだ。
素直に喜んで「ありがとう!大好き!」と抱き締めてしまいたいくらいだった。土方の隣からあからさまな舌打ちが聞こえていなかったら。
ぴったりと土方にくっついた、激重彼氏高杉くん。かいがいしく涙を拭いてやり、銀時を牽制する事も忘れない。空いたグラスに酒を注ぐのも止めてもらいたい。
関係者もメディアも節穴過ぎる。何をどう見れば高杉と土方が不仲というのか。打ち上げなどで高杉の機嫌が悪いのは、土方が構ってくれないからだ。くっついていたいのに、バレるから駄目と言われる。せめて近くにと思えば、土方は挨拶回りであちこちのテーブルを回る。いかんせん、あの顔で仕事も出来る。マネージャーとして評価している者も多いが、少なからず邪な感情を抱く者もいる。
この現場を撮影してゴシップ雑誌に売れば小遣い程度にはなるだろう。それをしないのは確実に銀時は高杉により消される。海か山かコンクリートか。高杉なら「死ぬより辛い目に」と考えているかもしれない。
銀時には友人を売るつもりはない。若い内に荒稼ぎして、適当な所で引退する。後は不労所得で悠々自適過ごすというライフプランがある。それがバカップルなんかのせいで水の泡など絶対に嫌だ。
「うぅ……たかすぎはぁ……みためでごかいされる……けどぉ…ほんとに……ぐすん……やさしくてよぉ……」
それは土方の前だけだ、と口から出かかったのを飲み込んだ。発言一つで命が危ない。楽しい打ち上げが一転し、デスゲームと化している。土方の意識が高杉に向いたが、状況は何も変わってはいない。
「ほんとはぁ……おれだってぇ……おこりたく…ぐすぐす……ねぇけどぉ……おまえらにはぁ…しょーらいが…ある…しぃ………ぐすっ」
スキャンダルなんて出れば、一瞬でアイドルの道が閉ざされかねない。もっと言えば人生そのものに影響が出る。不仲説を利用しているが、それも諸刃の剣と言ってもいい。
土方の気持ちは知っている。怒鳴られて腹の立つ事もある。だが、たった数年でも芸能界の荒波に揉まれれば嫌でもそれが相手を想っての事だと分かる。いざとなれば土方は矢面に立って、全部背負って生きる覚悟を持っているに違いない。
流石の高杉も思う所があるようで雰囲気が柔らかくなった。高杉が土方を想う気持ちも本物である事を知っている。
どうにか丸く収まりそうだとほっと胸を撫で下ろしたのもつかの間。
「うぅ…おれもぉ……たぁすぎの……こと、すき……だしぃ……いっしょに、ぐすっ……いてぇけどぉ……でも、おれがいわなきゃ……で……ぐすぐす……きらわれたらぁ…どーしようってぇ……」
風向きが変わった。いい話で終わりそうだった物が、惚気話にハンドルを切ろうとしている。それに感付いた高杉が「俺も好きだ」「嫌いなる訳がねぇ」とアクセルを踏む。
土方が酔っているのをいいことに、全部聞き出す気だ。ちゃっかりスマホで録音を始めている。耳元で囁くのをやめろ。土方の顔がさっきより赤い気がするのは、酒がより回っているからだと信じたい。
今すぐここから逃げ出したい。残っていたハイボールを一気に流しこんではみたが、酔う所かすっかり覚めている。
二人を置いていって、全部バレてしまってもいい。芸能界をすっぱり諦めて、どこか遠くで商売なり始めてもいい。むしろ、高杉はそれを望んでいるような節さえある。給料はしっかり溜め込んで、投資もして将来的に不動産も視野に入れているようだ。海外に行って、土方を養いながら永住する。もしもその計画に銀時の忍耐力が尽きて、全部バラす事も含まれていたのなら。「全て計画通り」と笑う高杉が脳裏を過る。
高杉ならやりかねない。土方と自分の為なら容赦なく銀時を切り捨てる。そして牢屋暮らしの銀時を尻目に、海外で何不自由なく暮らすのだ。
店内のBGMにリップ音が混じり始めて頭を抱えた。他の客の声も聞こえるのに、やけにハッキリ聞こえてしまうのは何故だろうか。聞かまいとすればする程、吐息やら艷のある声が耳に入る。ここで始めるのだけは絶対に止めて欲しい。
二人を放置しても、割って入っても銀時の未来は真っ暗である。集中しようにも目の前の二人のせいで集中が出来ない。
「あー!ラストオーダーだってさ!?もう飲まねぇよな!?お前らはゆっくりしてていいから!タクシーでいいよな!?」
ふと目に入った卓上のタッチパネルに「ラストオーダー」と表示されていた。かなり不自然な台詞を言いながら、会計をタッチする。財布を引っ付かんで、レジへと向かう。連れが酔ったようだから、タクシーが来るまで少し個室で待っても大丈夫かと確認をする。
幸いにもタクシーは十分程度で来るらしい。個室の戸をノックし、わざとらしく「タクシーすぐ来るって!!」と言いながら戸を開けるが。
「家でやれ!!」
高杉は土方を押し倒していた。隠す気も取り繕おうともしない。明らかに口付けは深い物で、高杉の背に回された腕が服を必死に掴んでいる。「チッ」と舌打ちが聞こえた。もう少し入るのが遅ければ、本当に始めていたかもしれない。
衣服を整えているうちにタクシーが到着したようだ。高杉が土方を支えながら外へと向かう。顔が赤いのも、歩くのが覚束ないのも全部「ちょっと酔ったんです」と言い訳出来る。
タクシーに二人を押し込めて見送る。そこでようやく身体から力が抜けた。運転手は気の毒であるが、高杉なら恐らく下手な事はしないだろう。
どっと疲れた。もう一台のタクシーに乗り込むと住所を告げる。疲れきった銀時を受け止めてくれるのは、自宅のフカフカのベッドしかない。美人女優や胸の大きなグラビアアイドルに、癒される日など夢のまた夢。恋愛も程遠くいつも目にするのは、高杉と土方の乳繰りあいである。思っていたよりも、アイドルに夢も希望も何もない。
「あの~お客様……もしかして、アイドルの坂田さんでしょうか?」
「え、ああはい。そうですが」
「すみません、うちの五歳になる娘が実は大ファンでして……将来は"坂田さんと結婚するんだ!!"って言うんですよ」
信号待ち中に娘の写真を見せてもらった。薄いすみれ色の髪に赤い眼鏡をかけている。嬉しそうに、銀時のうちわを構えて写っていた。
「そこの角を曲がって暫くするとコンビニがあるんで、少し寄って貰ってもいいですか?」
ふと思い付いて急遽コンビニに寄って貰う事にした。今度はバレないようにキャップを目深に被る。
黒のマジックといちご牛乳に缶コーヒーを持って会計をする。そして、店内のコピー機に向かった。画面を操作すると一分程度で写真が印刷された。本当ならコラボグッズにしたかったが、生憎と完売のシールが貼られている。
「ありがとうございます。これ良かったら」
「ああ!すみません。ありがとうございます!」
タクシーに戻り、運転手に缶コーヒーを渡す。走り出そうとするのを「少し待って」と静止した。
「娘さんの名前、なんて言うんですか?」
「あやめです」
さっき印刷した写真にサインと「あやめちゃんへ」と一言付け足して渡した。
「これあやめちゃんに」
「ええっ!いいんですか!?ありがとうございます!!きっと喜びます!!」
あまりに喜ぶ物だから、気分が良くなって一緒に写真も撮った。これはニセモノだと疑われないようにする為でもある。運転手はそれから何度も「ありがとう」と繰り返した。
帰宅してベッドにダイブする。フカフカのベッドはやはり気持ちが良い。苦労する事はまだありそうだが、アイドルも捨てた物ではない。いい夢が見られそうだと、そのまま銀時は目を閉じた。
「かんぱーい!お疲れしたー!!」
チェーン店の居酒屋の個室。ビールのグラスを高らかに掲げて銀時が音頭を取った。並々と注がれたそれを一気に喉へと流し込む。太ったからと禁酒を宣告され、久方ぶりのアルコールは身体に染み渡る。
デビュー五周年を記念した全国ツアーを行った。三ヶ月で多くの都市や地方を周り、東京で盛大なツアーファイナルを迎えた所だ。地元での凱旋ライブは特に盛り上がった。邪険にしいてた筈の人間は面白いくらいに掌を返し、知らない友人や親戚が増えていた。山のような色紙を眺めて呆然としたが、世話になったのは間違いないからと必死に書き上げた。
無事に全てのライブが終わったと思ったら、関係者やスタッフとの打ち上げや挨拶回り。メディアの取材などもあり、ようやく一息付けた頃には一週間近く経っていた。一応ファイナルの翌日は休みであったが寝て終わった。まだ若いし体力があると思っていたが、銀時も高杉もかなり堪えたようだった。
高級な会員制のレストランやパーティー会場の料理は確かに美味い。だが、三人とも畏まった雰囲気はあまり得意ではない。始めの頃は緊張でろくに味はしなかったし、慣れてきた今も食べるよりは挨拶がメインだ。もっと食べたかったと、自室でカップ麺を啜る事もザラにある。
今日はツアーの個人的な打ち上げである。気楽にやりたいのと、五年分のお疲れ様と感謝。自分たちのねぎらいもあるが、マネージャーとして付いてきてくれた土方へのお礼もある。
まともに授業に出ていなかった上に、アイドルのレッスンもとなれば勉強時間などないに等しい。土方自身も忙しい筈なのに、合間を縫って勉強を見てくれた。お陰で留年や退学することなく卒業が出来た。補習などで出席日数を補ってくれた学校側の計らいもあった。だが、それを掛け合ってくれたのは土方である。悪ガキ二人を見捨てなかった土方のお陰で今の生活がある。
土方の夢を諦めさせてしまった事も引け目に感じていた。けれど、二人に勉強を教えているのが事務所内で広まり、同じような子たちにも教えるようになっていた。年齢も教える範囲も全く違う。土方は自腹で教材を買って、プリントを作り、遅い時間まで勉強を見ている事もあった。
目の下に隈が出来ていても、どこか生き生きとした姿。マネージャーになるというのは、高杉の売り言葉に買い言葉であった。たった一言で一人の人間の人生を左右させる。銀時も、高杉も口にはしなかったが罪悪感がなかったといえば嘘になる。
正式にデビューが決まった時に銀時はポロっと「今からでも教師の夢を追いかけてはどうか」と言った。言ってからまた後悔した。マネージャーになれと言っておきながら、教師をやれと言うなど身勝手が過ぎる。
あ、ヤバい。そう思い顔を上げようとした瞬間に拳が落ちてきた。撮影の為にセットした頭に拳を食らわせるマネージャーがどこに居るのだろうか。
「ばーか。教えんのはどこでも出来んだよ。大体、お前らみてぇな手のかかる悪ガキの面倒見えんの俺しかいねぇだろ」
ニヤリと笑ってみせる土方に白旗を上げた。この人には一生敵う事はない。二人がボコボコにされて少し経ってから「バラガキのトシ」と有名な不良だった事を知った。さらに加えるとデビュー前には既に高杉とデキていたらしい。それを知ったのは、それから一年経った頃であったけれど。
その一件から土方への罪悪感はなくなった。土方はマネージャーをしながら、同時に教師もしている。今では事務所の大人から子供まで見ているのだ。
そんな昔話を交えながら、感謝を伝えると殴られた。照れ隠しなのは分かるが、感情を暴力に変換するのはよろしくない。おまけにそれは決まって銀時に向くから、同時に高杉からの熱い視線も向く事になる。土方は何故か気付いていないので余計にやっかいだ。
鰹のたたきを持ってきてくれた店員に感謝しつつ、ビールを飲む。そうでなければ、今頃銀時は高杉にたたきにされていたに違いない。現在の銀時の気がかりは、こんな激重彼氏がいて疲れないのかである。
程よくアルコールも入り、高杉も珍しく饒舌だ。土方も教え子と酒を飲んでみたいという夢が叶ったと喜んでいた。酒が解禁された時に一緒に飲んだが、今日は特別だそうだ。教え子の成長を感じて目尻に涙がうっすらと浮かんでいた。それにうっかりもらい泣きして、ここぞとばかりに酌をした。そして、この辺りで止めておけばよかったと後悔する事になる。
「お前らがぁ……ほんっとに…ぐすっ…りっぱになってぇ……うぅっ」
土方は泣き上戸だった。今までも酒の席を共にしていた事はあったが、ここまで酔うのは初めての事だ。打ち上げやらで酒が出る事はよくある。土方がそれを口にしている所も。むしろ舞い上がった銀時を叱ったり、隅っこにいる高杉を引っ張り出してきたり。多少頬が赤くなっても、理性はしっかりしており、酔った人間の介抱もしていた。だからてっきり土方は、酒に強いのだと勘違いしていたのだろう。
こんなにフニャフニャのグニャグニャになった土方を初めて見た。雰囲気が柔らかくなって、どこか幼い子供のようにすら思える。
「さかたはぁ……ぐすっ……いいかげんだけどよォ……ぐすっ……やるときはやるしよォ……まわりもすげぇみえててぇ……」
まさかの褒め殺し。酒が入るとその人の本性が分かるとも言うし、普段から土方はそんな風に思っていたのだろう。嬉しいやら恥ずかしいやら。銀時はどういう表情をしていいか分からない。平時であれば頭を撫でられても「子供扱いすんな!」と言っていたかもしれない。けれど、土方からボロボロと溢れる言葉に嘘偽りはないと感じる。銀時や高杉のようなろくでもない人間を導いてくれた。マネージャーであり教師である土方に感謝の気持ちが沸くばかりだ。
素直に喜んで「ありがとう!大好き!」と抱き締めてしまいたいくらいだった。土方の隣からあからさまな舌打ちが聞こえていなかったら。
ぴったりと土方にくっついた、激重彼氏高杉くん。かいがいしく涙を拭いてやり、銀時を牽制する事も忘れない。空いたグラスに酒を注ぐのも止めてもらいたい。
関係者もメディアも節穴過ぎる。何をどう見れば高杉と土方が不仲というのか。打ち上げなどで高杉の機嫌が悪いのは、土方が構ってくれないからだ。くっついていたいのに、バレるから駄目と言われる。せめて近くにと思えば、土方は挨拶回りであちこちのテーブルを回る。いかんせん、あの顔で仕事も出来る。マネージャーとして評価している者も多いが、少なからず邪な感情を抱く者もいる。
この現場を撮影してゴシップ雑誌に売れば小遣い程度にはなるだろう。それをしないのは確実に銀時は高杉により消される。海か山かコンクリートか。高杉なら「死ぬより辛い目に」と考えているかもしれない。
銀時には友人を売るつもりはない。若い内に荒稼ぎして、適当な所で引退する。後は不労所得で悠々自適過ごすというライフプランがある。それがバカップルなんかのせいで水の泡など絶対に嫌だ。
「うぅ……たかすぎはぁ……みためでごかいされる……けどぉ…ほんとに……ぐすん……やさしくてよぉ……」
それは土方の前だけだ、と口から出かかったのを飲み込んだ。発言一つで命が危ない。楽しい打ち上げが一転し、デスゲームと化している。土方の意識が高杉に向いたが、状況は何も変わってはいない。
「ほんとはぁ……おれだってぇ……おこりたく…ぐすぐす……ねぇけどぉ……おまえらにはぁ…しょーらいが…ある…しぃ………ぐすっ」
スキャンダルなんて出れば、一瞬でアイドルの道が閉ざされかねない。もっと言えば人生そのものに影響が出る。不仲説を利用しているが、それも諸刃の剣と言ってもいい。
土方の気持ちは知っている。怒鳴られて腹の立つ事もある。だが、たった数年でも芸能界の荒波に揉まれれば嫌でもそれが相手を想っての事だと分かる。いざとなれば土方は矢面に立って、全部背負って生きる覚悟を持っているに違いない。
流石の高杉も思う所があるようで雰囲気が柔らかくなった。高杉が土方を想う気持ちも本物である事を知っている。
どうにか丸く収まりそうだとほっと胸を撫で下ろしたのもつかの間。
「うぅ…おれもぉ……たぁすぎの……こと、すき……だしぃ……いっしょに、ぐすっ……いてぇけどぉ……でも、おれがいわなきゃ……で……ぐすぐす……きらわれたらぁ…どーしようってぇ……」
風向きが変わった。いい話で終わりそうだった物が、惚気話にハンドルを切ろうとしている。それに感付いた高杉が「俺も好きだ」「嫌いなる訳がねぇ」とアクセルを踏む。
土方が酔っているのをいいことに、全部聞き出す気だ。ちゃっかりスマホで録音を始めている。耳元で囁くのをやめろ。土方の顔がさっきより赤い気がするのは、酒がより回っているからだと信じたい。
今すぐここから逃げ出したい。残っていたハイボールを一気に流しこんではみたが、酔う所かすっかり覚めている。
二人を置いていって、全部バレてしまってもいい。芸能界をすっぱり諦めて、どこか遠くで商売なり始めてもいい。むしろ、高杉はそれを望んでいるような節さえある。給料はしっかり溜め込んで、投資もして将来的に不動産も視野に入れているようだ。海外に行って、土方を養いながら永住する。もしもその計画に銀時の忍耐力が尽きて、全部バラす事も含まれていたのなら。「全て計画通り」と笑う高杉が脳裏を過る。
高杉ならやりかねない。土方と自分の為なら容赦なく銀時を切り捨てる。そして牢屋暮らしの銀時を尻目に、海外で何不自由なく暮らすのだ。
店内のBGMにリップ音が混じり始めて頭を抱えた。他の客の声も聞こえるのに、やけにハッキリ聞こえてしまうのは何故だろうか。聞かまいとすればする程、吐息やら艷のある声が耳に入る。ここで始めるのだけは絶対に止めて欲しい。
二人を放置しても、割って入っても銀時の未来は真っ暗である。集中しようにも目の前の二人のせいで集中が出来ない。
「あー!ラストオーダーだってさ!?もう飲まねぇよな!?お前らはゆっくりしてていいから!タクシーでいいよな!?」
ふと目に入った卓上のタッチパネルに「ラストオーダー」と表示されていた。かなり不自然な台詞を言いながら、会計をタッチする。財布を引っ付かんで、レジへと向かう。連れが酔ったようだから、タクシーが来るまで少し個室で待っても大丈夫かと確認をする。
幸いにもタクシーは十分程度で来るらしい。個室の戸をノックし、わざとらしく「タクシーすぐ来るって!!」と言いながら戸を開けるが。
「家でやれ!!」
高杉は土方を押し倒していた。隠す気も取り繕おうともしない。明らかに口付けは深い物で、高杉の背に回された腕が服を必死に掴んでいる。「チッ」と舌打ちが聞こえた。もう少し入るのが遅ければ、本当に始めていたかもしれない。
衣服を整えているうちにタクシーが到着したようだ。高杉が土方を支えながら外へと向かう。顔が赤いのも、歩くのが覚束ないのも全部「ちょっと酔ったんです」と言い訳出来る。
タクシーに二人を押し込めて見送る。そこでようやく身体から力が抜けた。運転手は気の毒であるが、高杉なら恐らく下手な事はしないだろう。
どっと疲れた。もう一台のタクシーに乗り込むと住所を告げる。疲れきった銀時を受け止めてくれるのは、自宅のフカフカのベッドしかない。美人女優や胸の大きなグラビアアイドルに、癒される日など夢のまた夢。恋愛も程遠くいつも目にするのは、高杉と土方の乳繰りあいである。思っていたよりも、アイドルに夢も希望も何もない。
「あの~お客様……もしかして、アイドルの坂田さんでしょうか?」
「え、ああはい。そうですが」
「すみません、うちの五歳になる娘が実は大ファンでして……将来は"坂田さんと結婚するんだ!!"って言うんですよ」
信号待ち中に娘の写真を見せてもらった。薄いすみれ色の髪に赤い眼鏡をかけている。嬉しそうに、銀時のうちわを構えて写っていた。
「そこの角を曲がって暫くするとコンビニがあるんで、少し寄って貰ってもいいですか?」
ふと思い付いて急遽コンビニに寄って貰う事にした。今度はバレないようにキャップを目深に被る。
黒のマジックといちご牛乳に缶コーヒーを持って会計をする。そして、店内のコピー機に向かった。画面を操作すると一分程度で写真が印刷された。本当ならコラボグッズにしたかったが、生憎と完売のシールが貼られている。
「ありがとうございます。これ良かったら」
「ああ!すみません。ありがとうございます!」
タクシーに戻り、運転手に缶コーヒーを渡す。走り出そうとするのを「少し待って」と静止した。
「娘さんの名前、なんて言うんですか?」
「あやめです」
さっき印刷した写真にサインと「あやめちゃんへ」と一言付け足して渡した。
「これあやめちゃんに」
「ええっ!いいんですか!?ありがとうございます!!きっと喜びます!!」
あまりに喜ぶ物だから、気分が良くなって一緒に写真も撮った。これはニセモノだと疑われないようにする為でもある。運転手はそれから何度も「ありがとう」と繰り返した。
帰宅してベッドにダイブする。フカフカのベッドはやはり気持ちが良い。苦労する事はまだありそうだが、アイドルも捨てた物ではない。いい夢が見られそうだと、そのまま銀時は目を閉じた。