犬を拾ってきた話

 高杉が何やら毛玉を抱えてやってきた。モフモフの白と茶色の毛に、思わず手が伸びてしまいそうな程だ。
「なんだそれは」
「犬」
「見りゃ分かんだよ」
 テロリストと犬。これがシェパードとか土佐犬だとかならまだ分かる気がする。だが、明らかにごく普通のポメラニアンだ。毛の間から赤色の首輪がちらりと見える。嬉しそうに尻尾を振っているが、今の状況を何ひとつ分かっていなさそうな顔をしていた。
「なんでお前が連れてんだ。まさか、拐ってきたのか」
「誰が拐うか。懐かれたんだよ」
 高杉が犬を下ろす。犬は着物の裾に前足でねだるように触る。どうりで裾がヨレヨレのドロドロだったのか。抱っこをねだられては下ろし、下ろしてはねだられる。とうとう、根負けしてここまて抱えて来たようだ。
 犬なら歩けよ、と思うが巡回中に散歩を拒否する犬は何度か見た事がある。急に動かなくなるらしい。歩きたくないとか、帰りたくないとか理由は様々だが、飼い主はみな大変そうだった。万事屋のデカイ犬が拒否していた時は、相当骨が折れた。
「迷い犬なら警察の仕事だろ」
「俺たちは対テロリストだ。犬は管轄外。万事屋にでも頼め」
「行け」
「は?うわあああああ!?やめろこのバカ犬!!」
 高杉の声がかかると、犬は土方を目掛けて飛んできた。驚きと犬が怪我をする事が怖く、後ろに倒れてしまう。
 犬はそういう遊びたど思ったのか、さらに尻尾を振り顔をペロペロと舐めてくる。前足でもっともっととせがんでいるようだ。
「ククッ」
「てめぇ、笑ってんじゃねぇよ」
 高杉が手のひらで顔を隠して笑いを堪えている。肩は震えているし、声が漏れているのでかなりツボに入っているようだ。
 犬を身体の上からどかし、上体を起こす。何が楽しいのか犬は土方の周りをグルグルと走り始めた。
「はぁ……とりあえず、風呂と洗濯だな」
 高杉の着物はドロドロだし、土方の顔も涎でベタベタだ。おまけに獣臭い。これ以上、被害が出ないようにと土方は犬を抱え上げた。
 風呂から戻ってくると、先に上がった高杉が犬の相手をしていた。相変わらず元気よく走り回っている。身をブルブルさせると水が飛び散る。畳の張り替え代は鬼兵隊にきっちり請求してやろう。
「その犬、名前あんのか?」
 名前があればその方が探しやすい。このまま犬と呼び続けるのも変な気がする。高杉が犬を捕まえると首輪を外した。
「……ろ……しか読めねぇな」
 名前らしい物は書かれていたが、掠れてしまって読めない。住所はないかと期待したが、それらしいものは書かれていなかった。
「ろ……か。太郎とかか?」
「わん!」
「五郎かもしれねぇぞ」
「わん!」
「ぺろ?」
「わん!」
「小太郎」
「わん!」
 ろの付く名前をいくつか上げてみたが、全部に反応した。おまけに全く関係ない名前でも反応する。
「コイツ……バカなのかもしれねぇ……」
 土方は頭を抱えた。自分の名前も分からない。さらに飼い主でもない高杉にホイホイ付いてきた。お手やお座りは出来るみたいだが、自分の名前が分かっていないのはいかがなものか。
「もうポメでいいだろ」
 高杉も呆れているのか、諦めたのか。ひとまず犬よりかは幾分かはマシなポメと呼ぶ事にした。「わん!」と返事をするものだから本人も納得したようだ。
「で、ポメどうすんだよ。飼い主がすぐ見つかるとは限らねぇだろ」
「世話するしかねぇだろ」
「えぇ……お前がぁ……?」
 高杉が動物の世話など想像できない。動物に好かれるような人間にも見えない。可愛いとかそういう感覚も持っていそうにない。ポメが取って食われる様子が頭に浮かぶ。
「おい、お前今何考えてる」
 高杉が訝しげに土方を見る。「別にぃ」と適当に誤魔化してみた。
「とりあえず迷い犬が居るって連絡はしといてやるから、さっさと連れて帰れ」
「何言ってやがる。ここで世話すんだよ」
「はぁ!?フザけんなよ!?テメェここに居座る気かよ!?」
「そうだが」
 当たり前のように高杉が答える。私邸は土方にとって仕事から離れてゆっくり出来る場所だ。とはいえ、高杉が見計らったようにやってくるので、ゆっくり出来るのは稀ではあるが。出ていけと言った所で、高杉が素直に出ていくとも思えない。
「……畳代や諸々、きっちり請求してやるからな」
「せっかくだから、リフォームまでしてやろうか?」
 クツクツと笑う高杉とこの先が不安な土方をよそに、ポメは楽しそうに転げ回っていた。


 私邸の玄関を開ける。そうすると奥からポメが走ってやってくる。撫でて、構ってと尻尾を振るポメに歓迎されるのは悪い気がしない。なんだかんだ言って癒される。……コイツさえ居なければ。
「よォ、今日は早ぇじゃねぇか」
「誰かさんが犬の世話してるからじゃねぇ?おい、ポメの前で煙管吸うんじゃねぇ」
 高杉が壁に凭れかかって煙管をふかしている。拾ってきてから三日。どうにも高杉が居る事に慣れない。こんなに長く居るのは初めての事だ。
 ポメは土方にも懐いた。高杉に懐くくらいだから、目付きの悪い土方にも懐いてもおかしくないのかもしれない。懐かれるのは嬉しいが、帰る度に顔を舐めてくるのは止めて欲しい。
 ポメと一緒に居間に入ると、犬用の玩具が転がっていた。使ったら片付けろと言っているが、高杉が片付けた試しはない。どうせ出すんだから、出しっぱなしでいいだろとのたまっている。
 ポメはお気に入りのぬいぐるみに一直線に向かった。今はそれで遊びたい気分のようだ。
「それで、見つかったのか?」
「いや、全然。万事屋からも特に何もねぇな」
 拾った翌日にはポスターやら迷い犬の連絡をした。万事屋は避けようかと思ったがそういう時ほどに、向こうからやってくる。
 仕事がなくて金欠。悲壮感を漂わせながら「土方くん。なんか仕事ない?」と聞いてくる。一瞬ポメが頭を過ったが、高杉が居る手前下手な事はしたくない。まあ、結局空腹のチャイナ娘に腕を齧られかけたので、依頼する事になった。万事屋は自業自得でも、メガネとチャイナ娘は悪くない。
「おい、玩具が増えてねぇか。まさか買ったのか?」
「あぁ、そりゃあ散歩させてたら貰ったんだよ」
「はぁ!?散歩!?」
「犬は散歩させるのが当たり前だろ」
 高杉は近くにあった赤いボールを投げた。するとポメは喜んで追いかけていく。咥えて戻ってくると、再び投げてやる。
「お前、一応指名手配だろ。昼間ッから何やってんだよ」
「さぁ?大方、警察が無能なんじゃねぇの?」
 そう言われてしまうとぐうの音もでない。テロリストが昼間に堂々と犬の散歩をしているとは。さらに、お茶までご馳走になっていると聞いて信じられなかった。巡回の強化と、散歩コース近くの巡回をサボった隊士を締め上げねばならない。一緒に居る土方が言える立場ではないが、仕事は仕事である。
「まぁのんびり探しゃあいいだろ」
「いや、早く見つけよう。今すぐ飼い主を探しに行こう」
 これ以上高杉に居座られては休まらない。ポメを一人にするのも不安だが、高杉が居るのも不安である。
 しかし、現実はそう甘くなかった。それから一週間経っても飼い主は見付からない。迷い犬を探している、という情報は何件かあってもポメの事ではなかった。
 高杉も一週間以上ここに滞在している。鬼兵隊はいいのか、と聞きたくなる。夕方に帰っても、巡回の途中に覗いてもいつでもいる。朝はおはようと挨拶して、夜はおやすみと眠りにつく。テロリストよりもニートに改名した方がいいのではないか。
「高杉、お前いつまでここに居る気だ」
「俺が居ちゃ悪ぃのか?」
「当たり前だろ」
「その割には毎日帰ってくるよなァ。それに、嬉しそうな顔してるぜ?」
「帰ってくるのはお前の為じゃねぇし、そんな顔もしてねぇ!」
 そろそろ手が出るか、というタイミングで足元から「くぅ~ん」と鳴き声がする。見ればポメがぬいぐるみを咥えて、心配そうに見上げていた。
 こうされてしまうと怒るに怒れない。ポメは「これで遊んでいいよ」とぬいぐるみを差し出す。
「ポメに免じて今日は許してやる」
「そういう事にしといてやらァ」
 鼻で笑うと高杉はポメに構い出す。仕事終わりでモフたいのは自分だと、土方もぬいぐるみをチラ付かせた。
 

「ケルベロス~~~!!会いたかったよ~~~!!」
 そらから三日後。万事屋から飼い主が見付かったと連絡がきた。聞けばかぶき町よりも三つ程離れた場所だったらしい。かぶき町だと思い込んで探していたが、さらにもっと遠くからであった。 
 たまたま万事屋が依頼で向かった先に、迷い犬のポスターが貼ってあった。渡していた写真を飼い主に見せると「この子だ!!」と喜んだ。
 そこからトントン拍子に話が進み、ポメ改めケルベロスを引き渡してきた。「ロ」しか合ってないし、番犬には絶対に向かないと誰もが思った。飼い主は大地主の息子で、土方と万事屋それぞれにお礼を渡した。土方は受け取れない為、その分も万事屋の懐へと収まった。餓死寸前から、一気に裕福になる辺り悪運の強いヤツである。
 ケルベロスが遊んでいた玩具を一緒に渡す。すると、一番気に入っていたぬいぐるみを咥えて、土方の方へ歩いてくる。足元に置くので渡そうとすると、受け取らない。いつもは素直に受け取るのに全くそんな素振りを見せない。
「くれんのか?」
「わん!」
「ありがとな」
 頭を撫でてやると嬉しそうに尻尾を振った。満足したのか「わん!」と鳴いて、飼い主の元へと走っていく。飼い主に抱っこされ、もう一度「わん!」と吠えた。


 玄関を開けると草履が一組。高杉は居るけれど、奥から嬉しそうに走ってくる影はない。
「何してんだよ」
 居間に入ると高杉は、赤いボールを壁に向かって投げていた。戻ってきたボールをまた投げる。これだけ私邸に忘れてしまったようだ。
「ポメどうだったんだ?」
「ポメじゃねぇ。ケルベロスだそうだ」
「ケルベロス?」
「ポメの名前」
「そりゃあ大層な名前だなァ」
 薄く笑うと戻ってきたボールを手のひらで転がす。もう一度投げると、跳ね返ったボールは戻っ途中で止まってしまった。
 玩具の赤いボール。使いかけのペットシート。開けたばかりのドッグフード。静かな部屋にふたりぼっち。
 そうしてどちらともなく手を伸ばした。


 翌日には高杉は私邸を発った。けれど、夜が明けて、日が沈むまで居た。言葉はなかった。言葉はなかったけれど、朝から晩まで触れ合った。触れるだけの口付けであったり、熱を分け合うように抱きあったり。まだ日が高くとも、寝室以外でも。そうして、静かに玄関を開けて月のない夜の闇に消えていった。
 初めての事だった。高杉がこんなに長く滞在した事も。滞在する間に一度も身体を重ねる事がなかった事も。二人ぼっちになって、お互いを求めるように身体を繋げた事も。
 一人残された土方は思う。自分たちは寂しかったのだ。目を背けていたその寂しさをポメが埋めていた。いなくなって、寂しさに耐えきれずにお互いを求めた。
 お互いに何かを失っている。それが何か高杉から聞いた事もないし、土方も聞かれた事はない。どこかでずっと求めているのに、深入りする事を避けている。似たような寂しさを抱えた二人がたまたま惹かれてしまった。欠けた物を埋めようと、必死に手を伸ばしている。
 恋や愛と比べれば、綺麗な感情ではないだろう。好きだとか、愛しているとかそういう言葉でもない。
 お互いの瞳に癒せない悲しみがある事を知ってしまった。知る前に戻る事はもう出来ないだろう。
 口では嫌だと言っても、きっとまた手を伸ばしてしまう。アイツは抱かせろと嘯いて、熱を求めて気紛れにフラりと現れるだろう。お互いの癒せない悲しみと、埋まらない寂しさを誤魔化す為に。でもきっとこれきりだ。心に触れるように抱き合うのは。
「  」
 呟いた言葉は一人きりの部屋に消えていった。
 
  
 
 
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