魚にされた高杉と子土の話

 その昔、高杉晋助という男がいた。
その男は小さな頃から大層なワルガキで大人になってからも、唯一人殺しだけはしなかったが盗みや喧嘩など悪行三昧で好き放題していた。
 ある日、酒を買う為に金を盗もうとあろうことか賽銭箱に手を出した。ボロくて誰もいないと思ったが酒を買うだけの金が入っていた。
 だがそれも運の尽き。その神社の神様は怒って高杉に天罰を与えた。
 足を魚に変えて水の中でしか生きられなくしてしまったのだ。その姿で反省し善行を詰めば元の姿に戻してやると言った。しかし、高杉は反省する様子はなかった。むしろ働かずに昼寝ばかりで過ごせるならそれでいい、というような根っからのクズ思考だったのだ。
 友も誰も近寄って来ないぞ、と脅しても「友なんていないし人間は嫌いだ」と言い返す始末。それでもその内に根を上げ泣きついてくるだろうと神様は考えていたが、百年経っても二百年経っても高杉は反省せずに悠々自適に暮らしていた。
 高杉の住む池に近付く者が居れば物を奪ったり、足を掴んで溺れさせてみたり、化け物が出るらしいと胆試しに来た若者や祓いに来た拝み屋を死なない程度に呪ったりして遊んでいた。
 そんなこんなで何百年と高杉は生きている。周りの様子はすっかり様変わりしたが、高杉は全く変わらなかった。
 いつも通りダラダラと過ごしていると池に小さな子供がやってきた。年の頃は5、6才くらいだろうか。あのくらいの年なら飛んだり跳ねたりとさわしない生き物のはずだがどこかおかしい。なんというか生気を感じないのだ。
 いつもならば足を掴んで池に引き込んでやるのだが、少し様子を見る事にした。反応がなくては詰まらないし溺れて死んでしまうのは避けたかったからだ。
 池のほとりに座り込んだ子供はじいっと水面を眺めている。魚は泳いでいるが珍しくもないし色だって地味で見ていて楽しいものでもない。
 高杉は水底から子供を観察した。別に代わり映えのしない子供だった。動かない子供に興味を失くし昼寝をすることにした。
 翌日、またその子供が現れた。昨日と同じように水面を眺めている。ただじっと声を上げるでもなくただ見詰めている。
 その子供は日を開けずにやってきた。そして水面を眺めては帰っていく。何が面白いのか分からなかった。子供は嫌いだが興味を持った。
「おい」
 水面から顔を覗かせた。人と話すのは何百年ぶりだろうか。子供は声も上げず能面みたいな顔をしてこちらを見る。
「お前ここで何してんだ」
「…なにも」
 子供が小さな声で答えた。久しぶりに喋ったのだろうか掠れてしまっていた。
「名前は?」
「……とし」 
 どうも反応が薄い気がする。こちらの様子を伺っているような。
「おじさんは?」
「おじさんじゃねぇ、高杉だ」
「そう」
 とさして興味無さげ答えるとまた水面を見詰めだした。
 なんだこのガキは。やはり子供は嫌いだと高杉は思った。でもこのまま引き下がるのもなんだか負けた気がする。だからもう少し観察してみることにした。
 お互い動かずにじっとしていた。流石に飽きてきたと高杉が思い始めた頃「ぐぅ」と腹の虫が鳴く音が聞こえた。トシはおもむろに手で水を掬って飲もうとした。
「やめとけ、腹壊すぞ」
「こわすって?」
「腹が痛くなる、って事だ」
 魚が住める程度には綺麗だが人が飲めるような物ではない。別にこの子供が腹を壊して苦しんだ所でどうという事はないが珍しく良心が顔を出した。
「それはおなかをどんってされるってこと?」
 意味が分からなかった。分からなかったからそれはどういう事かと聞いた。するとトシは小さな手を握って自分の腹に当てた。  
「おとうさんがこうするとおなかがいたくなるの」
 トシが無表情のまま言う。それはつまり腹を殴られているという事か。
 人間だった頃はどうしようもないワルガキで大人から殴られる事はよくあったし、捕まってボコボコにされることもあった。それは自分の行いのせいだし、大概はやり返すなりしていた。
 だがこの子供はどうだろう。悪さをして殴られたという感じはしない。活発さも生気もない子供が自ら何かをするようには思えなかった。
「殴られてんのか?」
 遠慮なく聞いた。遠回しに聞いた所で意味はないと思ったし、そもそも高杉に配慮という考えがない。 
「ぼくがわるいこだから」
「喧嘩か?盗みか?」
「うむんじゃなかったって」
 何とか言えばいいのか分からなかった。家の恥だとか、産まなければよかったも言われた事もある。だが高杉はそれを何とも思わなかったし、言われた分だけ反発した。
 この子供は何もしていない。何もしていないのに悪だと言われ柔らかな心を殴られ続けている。
 どうすればいいのだろう。他人と関わらないように生きてきた高杉にはこういう時どうすればいいのか分からなかった。頭でも撫でてやればいいのかと手を伸ばしたが、トシは怯えてしまい手は宙をさ迷った。
 トシは来なくなるのではないか、と思った翌日も変わらずにトシは現れた。相変わらず朝から晩まで水面を見ている。それの様子をただ見詰めて気が向いたら話しかける。
「たかすぎはここにすんでるの?」
「ああ。ここじゃねぇと生きられねぇからな」
 水面から魚の尾を出すがトシは表情を変えない。
「たかすぎはおさかななの?」
「俺は…俺だ」
 人間かと言われればそうではないし、当然魚でもない。ならば半魚人とか人魚か辺りかと思うがなんだか嫌だった。
 トシは笑わなかった。表情も変わる事はなかったけど、辿々しくも口数は少しだけ多くなった。こちらが話し掛けているからというのもあるが、「うん」とか「そう」とかばかりだったのにちゃんと文章で返ってくるようになった。
 いつしかトシが来るのが楽しみになっていた。
何度違うと言っても「おさかなのおじさん」と言われるのはいただけなかったが。服の隙間から痣が見えたり裸足のままやってきたりと、不安になる日もあったがそれなりに穏やかに過ごしていた。
 
 トシが来なかった。そんな日もあるだろうと寂しさを誤魔化すようにそう思った。2、3日と経ちどうにも不安が募る。風邪でも引いたのかもしれない、もう1日だけ待ってみる事にしたがトシは来なかった。
 真夜中。もう居ても立ってもいられなくなって池から身体を出した。それだけで肌がピリピリと痛む。エラ呼吸にされたせいか息が苦しい。
 ビタンビタンと魚の尾を動かして地を這った。足を魚に変えられてこんなに恨めしいと思った事はない。トシはこの池のすぐ近くにあるアパートに住んでいると言っていた。人間の足であればあっという間の距離がとてつもなく遠かった。 
 幸運にも誰にも会う事なくトシのアパートに着いた。トシ以外の人間に会っていたらどう考えても面倒な事になっていた。
 呼吸は苦しくて喉は焼け尽くように痛い。鱗は剥がれ落ちて血が流れている。皮膚は焼けただれてしまった。
 持ち手らしい部分を引っ張ってみた。開かない。何百年と池から出なかったせいで知識はそこで止まっている。世の中が様変わりしているのを知っていても、実際に見るのは初めてだ。そしてまた自分を恨んだ。
 ガチャガチャとしていたらドアが開いた。どういう仕組みかを考えている暇はない。中に入ると真っ暗で目がなれるのに少し時間がかかった。
 家の中はぐちゃぐちゃでゴミばかり。悪臭がして鼻を摘まみたい程だ。
「トシ!」
 返事はない。ゴミを掻き分けて部屋の中を探す。何かで肌が切れてしまったがそれどころではない。
 一番奥の寝室らしい部屋に小さな身体が見えた。近寄ってみれば元々小さな身体がさらに小さくなって痩せこけている。
「トシ!」
 声をかけて揺さぶっても反応がない。抱き抱えて外へ出た。けれどそれからどうしたらいいか分からない。医者に診せなければと思うがどこに行けばいいか分からないし、そもそも自分の体力ですら持つかどうか。
 アパートはたくさんの人が住んでると聞いた。一か八か。トシの家の隣にあったドアを思い切り叩き、喉が切れるのも構わずに叫び続けた。


 一人の小さな子供が図鑑を眺めている。数ヶ月前にこの施設に預けられた子供だ。
 両親による虐待で衰弱していた所を隣に住んでいた人によって助けられた。真夜中に何者かに叩き起こされ、文句を言ってやろうと外に出るとドアの前に子供一人が倒れていたのだという。イタズラかと思ったが、今にも死にそうであった為にパニックになりながらも救急車を呼び一命を取り留めた。不可解な点はあるが一つの命が救われたのだ。
 両親は逮捕され今は塀の中だという。他に肉親もおらず回復後に施設に預けられる事になった。
 そういう境遇のせいか感情に乏しく、無気力であった。大人に怯える姿もみせる。それでもご飯もちゃんと食べられるようになったし、どうにか生きようとしてくれている。
 子供は日がな1日図鑑を眺めていた。魚の図鑑だ。フルカラーで子供向けだがたくさんの魚が載っている。あまりに熱心に見ているから
「お魚が好きなの?」
と聞いた。
「ううん」
 子供は首を横に振った。
 好きという訳でもないのに、毎日飽きる事なく子供は図鑑を眺めている。ご飯や風呂、眠る時以外はずっと図鑑を眺めていた。
 そんなある日、その子供を引き取りたいと言う男が現れた。目付きが鋭くとてもじゃないが子供を引き取りたいと言い出すような風貌には思えなかった。場合によっては次の虐待に繋がる事もある。慎重に見極めなければならなかった。
 どこでどうやって知ったのか。その子供が急に現れて男の前に駆けていった。今まで走る事なんてなかった子供がだ。突然の事に職員は驚き固まった。子供が男の足に抱きついた。
「おさかなじゃない…」
「だから魚じゃねぇ、って言ってんだろ」
 いささか乱暴な口調であったがどこか愛しそうな声色だった。男がしゃがみ子供に目線を合わせる。
 男が手を伸ばした。撫でようとすれば子供は怯えるから止めようとした。だが予想に反して子供はその手を受け入れここに来て初めて笑った顔を見せた。

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