言の葉を食む(高土)
「よお、元気か」
「病人に元気もクソもねぇだろ」
病室のドアを開けて声をかければ、すかさず憎まれ口が返ってきた。
広い個室に小さなベッドがあり、そこに部屋の主が上半身を起こして座っている。
腕には点滴が刺さっている。必要最低限の栄養を賄う事しかできずに、筋肉は落ち痩せてしまった。日に当たらないせいで肌は病的に白くなっている。
個室ですら使用料が高いというのに、特別製のこの部屋は大物政治家だとかヤのつく人達専用のVIPルームである。ただの平凡な高校生にだ。
部屋の主である土方は、先月までどこにでもいる普通で平凡な高校生だった。勉学に勤しみ、友達と遊んで1日を過ごしていた。
始まりは食べ物を口に出来なくなった事だった。
気温も上がり夏になろうとしていた時期だった。食欲がわかないと言った。全く食べたくない、という訳ではないが無理に口にすると吐いてしまう。ついには授業中に倒れテスト勉強に大会前の練習が重なり、ストレスと疲労によるものだろうと言われた。
念のため病院にも行ったが同じような内容で、点滴を打って帰ってきた。大事を取って2、3日程、学校を休んだが食欲が戻るどころか、ますますなくなっていく。そして、とうとう何も口にする事が出来なくなった。
水と塩をどうにか流し込み、学校では調子が悪いからと食べないか、食べるフリをして全て吐いていたらしい。
いくら人間が水と塩があれば一週間は凌げると言えど限界はある。育ち盛りで部活も毎日ある。限界はすぐに来た。
古典の授業中に目眩がした。空腹でどうにかなりそうであった。だが、相変わらず食べ物を口にすれば吐いてしまう。
教科書が目に入った。沢山の文字が書かれていて、なぜか「美味しそう」だと思った。
隣の席から悲鳴が上がった。
気が付けば、土方は教科書を「食べて」いたのだ。教師が慌てて保健室へと担ぎ込んだ。
保健室に行っても、土方は教科書を食べる事をやめなかった。着く頃にはページは半分になっていた。保険医に診て貰うと、恐らくは心因性だろうと言った。知り合いに心療内科の医師がいるからと直ぐに連絡を取ってくれた。土方の義理の両親にも連絡はしたが「そうですか」と言って切られてしまった。
知り合いの心療内科の医師は休みであったが、緊急性を感じたようで直接学校の方へ来てくれる事になった。その頃には教科書は全て土方の胃に納まっていた。
医師は「異食症」だろうと診断書した。食べ物以外を口にしてしまう、摂食障害の一つである。大部分はストレスで、妊娠中にも見られる症状だ。場合によっては重大な疾患に繋がる。担任の教師が目を潤ませながら真剣に話を聞いていた。土方の義理の両親の姿はない。
翌日、土方はカウンセリングのために医師のいる病院を訪れた。
ストレスの原因は家庭環境ではないかと医師は考えていたが、土方の口から思いもよらぬ言葉が出る事になった。
「あの…うまく言えないのですが、"言葉"を食べたいと思うんです…」
「言葉?」
「そうです…俺も良く分からないんですけど…
古典って言葉が沢山あって美味しそうだな、って思ったら…」
始め何を言っているか分からなかった。だが、嘘を付いているとも思えないし、妄言や虚言の類いとも思えない。不安に揺れてはいるが、瞳から光が消えているとも思えなかった。
少し考えた後に、医学の論文をコピーした物と、読んでいた小説をコピーして土方の前に差し出した。
「どちらが方がいいかな?」
「こっちです」
土方が指を指したのは小説だった。
そうしたら「ぐう」と土方の腹がなって、恥ずかしそうに俯いてしまった。
「食べていいよ」
「ほんと、ですか?」
少し躊躇った後にゆっくりと言葉を食べ始めた。
原因は心因性ではないような気がしていた。受け答えもハッキリしているし、普通の高校生である。別の要因だろうが全く検討がつかない。大きな病院を紹介すると土方に告げた。紙は消化吸収ができないから、腸が詰まったり出血する可能性もあると告げると土方は青い顔をした。
そうして、土方はVIPルームの住人となった。
土方は様々な検査を受けたが、栄養不良である以外ら健康体で、胃にも腸にも紙が消化されず残っているようになく、医師が首を傾げていた。
治療法を探すため、という名目でどんな言葉を食べるのか、言葉の種類や内容で変化はあるのかと実験を繰り返す。
言葉を食べるようになった土方を学校の連中は気持ち悪がって離れていった。医師たちはモルモット扱いで余程暇なのか、全国から医師がわざわざ見学にやってくる。土方の義理の家族は誰一人来る事はなかった。
それでも、病院の個室の方が家に居るよりもなんぼかマシと土方は言った。
普通の家庭に産まれてきた俺は、土方の人生を一つも想像する事が出来ない。
「ほら差し入れ」
「助かる!病院の用意するやつは不味くて食えたもんじゃねぇんだよ」
封筒を差し出せば受け取って内容も読まずに食べ始める。
「言葉に味があるのか」と聞いたことがある。「甘い」とか「苦い」とかほんの僅かだがあるらしい。
医学書や数学の論文は苦味があり、あまり美味しくない。恋愛小説だと甘かったという。
言葉を食べるのなら辞書がいいんじゃないかと聞いた。食べてみたが無機質ですぐに飽きて食べるのをやめたという。
「たまにはちゃんと読めよ」
「読んでもお前の書いた歌詞だろ?」
「そうだけど」
「バンド楽しいか?」
「ああ」
土方はもうずっとここから出られないでいる。これから先も出られないだろう。
言葉しか食べられなくなった土方の身体は弱ってしまって、もう前みたいに走り回ったりは出来なくなってしまった。最低限の栄養であとどれだけ生きられるのだろう。
「ごちそうさま。美味かった」
「そりゃどうも」
「また来てくれよ、高杉」
「歌詞失敗したらな」
面会時間ギリギリまで喋って追い出されるようにして病室を後にした。
帰る途中で便箋を買った。
そしてまた届かない恋文を綴る。
俺の言葉がどんな味がするのか未だに聞けないままでいる。
「病人に元気もクソもねぇだろ」
病室のドアを開けて声をかければ、すかさず憎まれ口が返ってきた。
広い個室に小さなベッドがあり、そこに部屋の主が上半身を起こして座っている。
腕には点滴が刺さっている。必要最低限の栄養を賄う事しかできずに、筋肉は落ち痩せてしまった。日に当たらないせいで肌は病的に白くなっている。
個室ですら使用料が高いというのに、特別製のこの部屋は大物政治家だとかヤのつく人達専用のVIPルームである。ただの平凡な高校生にだ。
部屋の主である土方は、先月までどこにでもいる普通で平凡な高校生だった。勉学に勤しみ、友達と遊んで1日を過ごしていた。
始まりは食べ物を口に出来なくなった事だった。
気温も上がり夏になろうとしていた時期だった。食欲がわかないと言った。全く食べたくない、という訳ではないが無理に口にすると吐いてしまう。ついには授業中に倒れテスト勉強に大会前の練習が重なり、ストレスと疲労によるものだろうと言われた。
念のため病院にも行ったが同じような内容で、点滴を打って帰ってきた。大事を取って2、3日程、学校を休んだが食欲が戻るどころか、ますますなくなっていく。そして、とうとう何も口にする事が出来なくなった。
水と塩をどうにか流し込み、学校では調子が悪いからと食べないか、食べるフリをして全て吐いていたらしい。
いくら人間が水と塩があれば一週間は凌げると言えど限界はある。育ち盛りで部活も毎日ある。限界はすぐに来た。
古典の授業中に目眩がした。空腹でどうにかなりそうであった。だが、相変わらず食べ物を口にすれば吐いてしまう。
教科書が目に入った。沢山の文字が書かれていて、なぜか「美味しそう」だと思った。
隣の席から悲鳴が上がった。
気が付けば、土方は教科書を「食べて」いたのだ。教師が慌てて保健室へと担ぎ込んだ。
保健室に行っても、土方は教科書を食べる事をやめなかった。着く頃にはページは半分になっていた。保険医に診て貰うと、恐らくは心因性だろうと言った。知り合いに心療内科の医師がいるからと直ぐに連絡を取ってくれた。土方の義理の両親にも連絡はしたが「そうですか」と言って切られてしまった。
知り合いの心療内科の医師は休みであったが、緊急性を感じたようで直接学校の方へ来てくれる事になった。その頃には教科書は全て土方の胃に納まっていた。
医師は「異食症」だろうと診断書した。食べ物以外を口にしてしまう、摂食障害の一つである。大部分はストレスで、妊娠中にも見られる症状だ。場合によっては重大な疾患に繋がる。担任の教師が目を潤ませながら真剣に話を聞いていた。土方の義理の両親の姿はない。
翌日、土方はカウンセリングのために医師のいる病院を訪れた。
ストレスの原因は家庭環境ではないかと医師は考えていたが、土方の口から思いもよらぬ言葉が出る事になった。
「あの…うまく言えないのですが、"言葉"を食べたいと思うんです…」
「言葉?」
「そうです…俺も良く分からないんですけど…
古典って言葉が沢山あって美味しそうだな、って思ったら…」
始め何を言っているか分からなかった。だが、嘘を付いているとも思えないし、妄言や虚言の類いとも思えない。不安に揺れてはいるが、瞳から光が消えているとも思えなかった。
少し考えた後に、医学の論文をコピーした物と、読んでいた小説をコピーして土方の前に差し出した。
「どちらが方がいいかな?」
「こっちです」
土方が指を指したのは小説だった。
そうしたら「ぐう」と土方の腹がなって、恥ずかしそうに俯いてしまった。
「食べていいよ」
「ほんと、ですか?」
少し躊躇った後にゆっくりと言葉を食べ始めた。
原因は心因性ではないような気がしていた。受け答えもハッキリしているし、普通の高校生である。別の要因だろうが全く検討がつかない。大きな病院を紹介すると土方に告げた。紙は消化吸収ができないから、腸が詰まったり出血する可能性もあると告げると土方は青い顔をした。
そうして、土方はVIPルームの住人となった。
土方は様々な検査を受けたが、栄養不良である以外ら健康体で、胃にも腸にも紙が消化されず残っているようになく、医師が首を傾げていた。
治療法を探すため、という名目でどんな言葉を食べるのか、言葉の種類や内容で変化はあるのかと実験を繰り返す。
言葉を食べるようになった土方を学校の連中は気持ち悪がって離れていった。医師たちはモルモット扱いで余程暇なのか、全国から医師がわざわざ見学にやってくる。土方の義理の家族は誰一人来る事はなかった。
それでも、病院の個室の方が家に居るよりもなんぼかマシと土方は言った。
普通の家庭に産まれてきた俺は、土方の人生を一つも想像する事が出来ない。
「ほら差し入れ」
「助かる!病院の用意するやつは不味くて食えたもんじゃねぇんだよ」
封筒を差し出せば受け取って内容も読まずに食べ始める。
「言葉に味があるのか」と聞いたことがある。「甘い」とか「苦い」とかほんの僅かだがあるらしい。
医学書や数学の論文は苦味があり、あまり美味しくない。恋愛小説だと甘かったという。
言葉を食べるのなら辞書がいいんじゃないかと聞いた。食べてみたが無機質ですぐに飽きて食べるのをやめたという。
「たまにはちゃんと読めよ」
「読んでもお前の書いた歌詞だろ?」
「そうだけど」
「バンド楽しいか?」
「ああ」
土方はもうずっとここから出られないでいる。これから先も出られないだろう。
言葉しか食べられなくなった土方の身体は弱ってしまって、もう前みたいに走り回ったりは出来なくなってしまった。最低限の栄養であとどれだけ生きられるのだろう。
「ごちそうさま。美味かった」
「そりゃどうも」
「また来てくれよ、高杉」
「歌詞失敗したらな」
面会時間ギリギリまで喋って追い出されるようにして病室を後にした。
帰る途中で便箋を買った。
そしてまた届かない恋文を綴る。
俺の言葉がどんな味がするのか未だに聞けないままでいる。
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