死んだテロリストに似ている
ターミナルの決戦から早数年。復興は順調に進み、あの頃の爪痕は殆んど残っていない。記念のモニュメントは立てられてはいるが、数十年もすればそんな出来事があった事さえ知らない人間が生まれてくるだろう。
元の姿に戻ったきたとはいえ、全てが元のままではない。形は似ていても中身は違う。形すら戻って来ない物もある。例えば、美術品だとか文化的な遺産の一部は焼失したり修復不可能な状態になってしまった。火事場泥棒によって、どこか遠くの星に売られてしまったかもしれない。だが、どれがどこにあった、という管理記録さえ失われてしまい確認しようもない。
住んでいた家だって同じ物ではない。今も仮の住居で暮らしている人間も多い。政府から補助が手厚く、そこそこ不満は抑えられているが、思い出を失うのは辛い事である。
そして、あの戦いの中で多くの失われた命が戻ってくる事も決してない。真選組も勿論であるが、救助や防衛にあたった各省庁だったり民間の自警団であったり。それ以上に一般市民の犠牲は多かった。遺体や遺品の一つでも見つかればいい。行方不明のまま、空っぽの棺で葬儀を上げるのも珍しい事ではなかった。
鎮魂と過去を忘れぬように、そして復興を記念して毎年祭りが開かれるようになった。前半は式典などで厳かな雰囲気であるが、それが終われば一気に祭りの賑やかさがやってくる。
江戸に住む人間は大概が祭りが好きだ。最初は一日だけだったはずが、どうせなら派手にやろうと三日間にも及ぶ大きな物になった。
店は稼ぎ時だと呼び込みをし、祭りを聞き付けた商人が地方からやってくる。町人はここぞとばかり着飾ってはキャッキャッと跳ね回りながら、歩き回った。
江戸が復興したのだから、悲しんでばかりはいられない。ここに住む人間が後ろを向いたままでどうするのだ。帰らぬ者も当然居るが、嘆いてばかりでは弔いにならぬ。安心して天国で暮らせるように、生きている私たちが泣いてばかりでどうすると。
誰がそう言ったのか分からない。いつしかその思いが「そうだそうだ」と共感を呼び、とびきり派手にやってやろうとこうなった。
そのおかげで、警察としての仕事は増えてしまった。警備はもちろんだが、喧嘩に迷子に酔っぱらいの相手。祭りが見たいと唐突にやってくる天人の要人。一つ終われば、二つ三つ何かしら起きる。おかげで朝から晩まで駆けずり回るハメになる。
祭りの間も通常の業務がなくなる訳ではない。空き巣被害も増える為、巡回はいつもより強化をされる。
組をフル稼働させてどうにか三日間の祭りが終る頃には疲労困憊。途中で力尽きた隊士が廊下やトイレ、風呂で死んだように眠っている。
そいつらが風邪を引かないように、布団をかけてやっていると空が白み始めていたりする。
放置したい所ではあるが、疲労と身体を冷やしたせいで半分以上が風邪を引き機能しない、という事があった。それ以来、どれだけ疲れていてもやらなければならないのだ。
それらがようやく終わって吸う煙草の美味い事。飯を食う所か、煙草を吸う暇さえ与えてくれない。忙し過ぎて、それすらすっぽ抜けている。
これを吸い終えて仮眠を取ったら、報告書に後片付けが待っている。幸い大きな事件は起きなかったが、小さな事件なら数え切れない程にある。
そこから反省点や改善点を纏めて提出して、資料としてファイリング。当然、通常業務も平行して行われ、祭りが初めての新人の何人かは寝込んで人手が足りなくなる。
頭が痛いのは、仕事の量か寝不足からか。まだ半分程残った煙草を揉み消した。
朝礼まであと三時間程度。布団を被りアラームをセットするとゆっくりと瞼を閉じた。
祭りの後始末となんやかんで、ようやくまともな休みになったのは三日後だった。
仕事が落ち着いていた為、急遽午後から半休になった。さらにそこから二日も休める。普段なら一日でいい、と言う所だったが疲れも溜まってちょうどゆっくりしたいと思っていた所だ。これは渡りに船と休みの提案を受け入れた。
さて、しっかり休むなら屯所だとどうしても仕事が気になってしまう。総悟のイタズラも今回ばかりはごめん被りたい。それならばと、たまには私邸の方へ行こうと思い立った。
引継ぎと近藤さんの監視を山崎に任せると身支度を整える。総悟の相手をしていては日が暮れてしまう。祭りの始末書はどうやら素直に書いたようであるし、後は原田にでも任せる事にした。
まだ日の高い時間から着流しで出掛けるのは
久しぶりだった。どうしても街中を歩く時には気を張ってしまうが、こうしてのんびりと見て回るのも楽しいものだ。
昼は屯所で済ませてしまったが、夜はどうしようか。せっかくだから飲みに出よう。居酒屋にもとんと行けていない。
とはいえ、まだ日の高い時間であるから当然飲み屋は開いてはいない。先に私邸に戻り軽く掃除をしようと決めた。なにせ殆ど使用していないのだ。今頃、山のように埃が積もっている筈である。
途中でスーパーに立ち寄り、マヨネーズと煙草を買った。掃除道具も買おうかと思ったが、そもそも私邸に何があったかさえ覚えていない。同じ物を買ってしまうのも勿体ない。それに、そこまで帰る場所でもないので、最低限できればそれで問題はない。
久しぶりに戻った私邸は少し寂れてしまったように見えた。玄関には蜘蛛の巣がかかっていたし、この調子なら小さな庭は雑草だらけになっているだろう。
鍵を差し込むと思っていたよりはすんなり回った。戸を開ければ埃っぽい。差し込んだ光にキラキラと反射した。
廊下が軋む。荷物を下ろしたら、まず足の裏を拭いて雑巾をかける。その前に、布団を干しておくべきか。日暮れまで数時間といえど、仕舞いっぱなしの布団で寝るよりは幾分かマシな気がする。
小さな冷蔵庫にマヨネーズを入れるが全く冷えていない。コンセントは抜かれていた。それさえ忘れている程に、私邸に帰ってはいなかったという事だ。ブウン…という音がしてオレンジ色の明かりが点く。冷えるまでには暫くかかるが、マヨネーズは常温でも問題はない。
身体を休めに来たというのに、掃除をしているというのはどういう事だろう。だが、じっとしているのも性に合わないし、埃まみれの部屋ではとても休まらない。
それに目に見えて綺麗になるのは気分がいい。適度に身体を動かす事もストレスの発散になると聞く。家中が綺麗になる頃に日は傾き始めていた。
忘れないうちに布団を取り込む。冷蔵庫も冷えてきたようで、帰りに酒を買ってしまっても問題ないだろう。
そうこうしているうちに、飲みに出るにはいい時間になっていた。日も落ちて、電灯に明かりが灯る。かぶき町は歓楽街ゆえか、昼間と変わらない程に明るい。色とりどりのネオンに赤提灯。仕事が終わって飲みに行く者や、これからが仕事という者で賑やかである。
仕事中であれば、酔っぱらいの保護や喧嘩の仲裁に駆り出されてあまりいい思いはないが、今日は非番だ。職業柄、非番だろうが呼び出される事は多い。余程の事でなければ、勤務中の人間が対処する。今日ばかりは多少甘えても罰は当たらない筈だ。
暖簾をくぐると明るい声に迎え入れられた。
店は賑わい半分以上席は埋まっていた。奥のカウンターが三つ並んで空いていたのでそこに腰を下ろす。
熱いおしぼりに顔を当てると気持ちが良い。以前、総悟に「立派なおっさんですぜぃ」と言われたものの、気持ち良いのだから抗えない。
ひとまず、ビールとだし巻き玉子を頼んだ。
すぐに並々注がれたビールがやってくる。キンキンに冷えたそれを流し込んだ。仕事中は当然酒など飲めない。祭りの警備中に美味そうにビールを飲む人間を見て、何度唾を飲み込んだ事か。
必然的に煙草の量が増え、山崎に口煩く注意されるから余計にストレスが増える。鉄は鉄で煙草の害を真剣に説いてくる。健康のリスクがどうのという内容も耳にタコが出来る程に聞いた。
健康診断に引っ掛かった事もないし、ストレス以外に特にこれといった不調は出ていない。メタボリックだとか生活習慣病にもとんと縁がない。
そうこうしているとだし巻き玉子が目の前に置かれた。ゆらゆらと湯気が立ち上ぼりいかにも美味しそうな様子だ。懐からマヨネーズを取り出すも思い切り絞った。
だしとマヨネーズの酸味が合う。そこに冷たいビールを流し込む。二三切れ食べるとメニュー表を眺めた。
追加で頼んだのは串盛りと刺身。どちらも屯所の食堂にはないメニューである。久しぶりの休みであるし、マヨネーズに口を出してくる人間もいない。酒も飯も美味い、となれば天国のようなものだ。
天国と言えば、銭湯もサウナにも行けていない。屯所の風呂は広いが、いかんせん共同だ。
一人で風呂でゆっくり、なんて事はほぼないと言っていい。二三人程度ならのんびり、できることもあるがそこから人数が増えれば、カラオケ大会や潜水大会、我慢比べなど、まあ騒がしい。
明日は銭湯とサウナだな、と予定が決まった。平日の昼間なら人も少ないだろう。いつものお決まりのコースであるが、趣味らしい趣味もない。
「よぉ、久しぶりじゃねぇ?ここで飲んでるの」
声がした方を見てみれば、嫌という程に見てきた天然パーマ。「はぁ~どっこいしょ」と言いながら勝手に隣の椅子を引く。受け取ったおしぼりを顔に当てて「あ゛ーー」と声を出した。
「おっさんかよ」
「お前も変わんねぇだろ」
とおしぼりで手を拭きながら言う。
「俺ァ、テメェみてぇなマダオじゃねぇんだよ」
「あぁ!?その内お前も、枕が臭いとか、一緒に洗濯すんな、とか言われるんだからな!」
「チャイナに言われてんのか」
「い、言われてねぇよ!?」
大方図星であろう。慌てて否定するのが余計に確信になってしまう。
明日はゆっくり、と思っていたがコイツの存在が抜けていた。今は一緒に飲む事が増えたが、喧嘩は相変わらずでこうして約束もしていないのに、鉢合わせする。
飲みに来ているという事は懐が暖かい。つまりこのままいけば、銭湯かサウナもしくは両方で鉢合わせする可能性が高い。
頼むからゆっくりさせて欲しいと思うが、言った所で喧嘩になるのは目に見えている。かといって行動を変えるのも癪に触る。どう足掻いても回避できないのが万事屋である。
「あっテメェ!勝手に食ってんじゃねぇ!」
「いいだろ別に減るもんじゃねぇし」
「減るに決まってんだろ!返せ俺のサーモン!!」
出された刺身の一切れを万事屋が口に入れた。まだマヨネーズをかけてもいないのに。
「いやぁ仲良いねぇ二人とも」
「「仲良くねぇ!!」」
店の主人が万事屋にビールを渡しながら言う。声が揃った事で一瞬視線が集まるが、ここは飲み屋である。「なんだ、酔っ払いか」とすぐに皆は興味を失くした。
美味い飯と酒に少々の万事屋。流石にべろんべろんに酔うまで、飲むわけにはいかない。万事屋はテーブルに突っ伏していだか、馴染みの店であるし問題はないだろう。多めに札を出し、まだ意識がはっきりとしている内に飲み屋を後にした。
とはいえ、久しぶりとあってか普段よりも酔った感覚がする。立ち寄ったコンビニでは、煙草を買うだけに留めた。二日酔いでせっかくの休みを布団の上で過ごすのは避けたい。コンビニを出た所で、煙草を既に買っていた事を思い出した。思った以上に酔っているらしい。だが、いくつあっても困るものではないと思い直した。
真っ暗な家は寂しかった。今は自分だけしかいないのだから当たり前である。昼間に来た時には何も感じなかったというのに、急激な寂しさに襲われた。
屯所に帰れば誰かしら居て「お疲れ様です!」と声をかけられる。明かりはついているし、真っ暗になるのはせいぜい自室で眠る時くらいだ。
一日中、騒がしくて寂しさを感じる暇もない。近藤さんが顔を腫らして帰ってきて、総悟が始末書の山を作り、山崎が庭でミントンしてサボっている。他の連中もやれ喧嘩だ酒だ女にフラれただの何もない日はなかった。
忙しい日々が組の連中が、寂しさを感じさせないでいてくれていた。考えたくない事を考えずにいさせてくれた。
この私邸を利用していた人間がもう一人居る。
名を「高杉晋助」という。真選組が要注意人物として追っていた過激派攘夷志士の頭目である。
それがなぜ、と思うが自分でさえ分からない。何をどうしてか気に入られ、身体を繋ぐような関係にまでになっていた。私邸に帰ってみれば茶の間で「よォ遅かったじゃねぇか」とダラダラと酒を飲んでいたりする。
この関係を清算せねばならぬ。そう思うのに、上手いこと丸め込まれて、結局同じ布団で眠っていた。いや、丸め込まれていたと相手のせいにしていたのが正しい。
実の所、高杉という男に惹かれていた。
「全部、俺のせいにしちまえばいい」
なんて、言葉に甘えて自分の立場から目をそらしていた。裏切りだと分かっていても、高杉の手を離す事が出来なかった。
今日、帰れば高杉は私邸に居るだろうか。休みの度にそんな考えが頭に浮かんでいた。茶の間で勝手に酒を飲んでいるのか、それとも玄関を開けて無遠慮に上がり込むのか。
そんな私邸からパタリと足が遠退いた。
あの決戦から高杉は帰っては来なかった。
それからである。一切、私邸に帰る事がなくなったのは。
事後処理や幕府が新体制となった事で忙殺されていたという事もある。ロクに睡眠も取れず、文字通り朝から晩まで駆け回っていた。
とは言え数ヶ月もすれば世の中も落ち着く。未だに撤去が終わっていない瓦礫があっても、人々は受け入れそれまでと変わらない生活に戻っていた。
そうなれば休みも取れるようになる。むしろ「必ず何日以上は休み、有給を取得する事」「何時間以上残業してはいけない」などの世の中の変化もある。
警察という仕事故に、完全には難しいがそれでも以前より休み易くなっているように感じる。
つまり、いつでも私邸に帰る事が出来た。それをしなかったのは、無意識に避けていたのだろう。
なぜ、このタイミングで帰ろうと思ったのか。なぜ、今まで私邸を引き払う事をしなかったのか。
答えはどこにもない。無意識に頭の中から排除していた。「死んだ」という報告書も作成した。それでも、茶の間から「よォ」と何もなかったかのように、顔を出してくるような気さえしている。
しかし、現実的に考えて高杉はもうこの世にはいないのだ。万事屋の様子からも、崩壊したターミナルから遺品の一つも見つからなかったのだから。
台所に行くと、蛇口をひねりコップに水を注ぐ。冷たい水が酒で火照った身体に丁度良かった。ここまで歩いたおかげか、酔いも多少マシになった。だが、きっと酷い顔をしているに違いない。
今から風呂を沸かすのも面倒で、シャワーを浴びる気力もない。
ここにはあまりに高杉との記憶が多すぎる。自分の為に借りた隠れ家のはずであったのに。いつの間にか、高杉との隠れ家になっていた。
少し重い足取りで寝室に向かう。押し入れから布団を一式引摺り出した。ぐちゃぐちゃだろうが知った事でない。眠れればそれでいい。
嫌な事があった時には寝るに限る。眠れなくとも無理矢理に眠る。眠れない事で、体力と精神が磨耗すればさらに悪循環に陥る。そうやって刀を握れなくなった隊士も見てきた。
酒を買って来なかったのは、失敗だったらしい。眠れない夜は酒で酔い潰れるのが手っ取り早い。すっかり冴えてしまった頭には高杉の顔が浮かぶ。
傲慢で偉そうで我儘で自分勝手。おまけに指名手配ときた。何一ついいと思える所がない。顔が良かろうが、金を持っていようが余程の物好きでなければ、お付き合いなど願い下げである。
どうやら自分はその物好きであったらしい。答えがない、というのも結局の所、自身についた嘘である。答えは分かっていた。
全てはあの男を好いていたという事だ。
日の光で目が覚めた。閉まりきっていなかったカーテンから差し込んでいたらしい。「寝坊した!」と飛び起きたが、休みである事を思い出して布団に戻る。
二度寝でも、と思ったがすっかり目は覚めてしまっている。諦めて布団から出る。ひとまず台所で水を一杯飲んだ。
冷蔵庫、戸棚と開けてはみたが当然のようにマヨネーズしかなかった。まだ店が開くには早い時間だ。コンビニ飯というのも気が乗らない。いい時間になるまで木刀でも振ろうと、草履を取りに玄関へと向かった。
草履を手にした所で、玄関の磨りガラスに人影が映った。誰かが訪ねてくるには、少々早い時間帯だ。急ぎというような雰囲気でもない。そもそも急ぎの用なら、まず携帯に着信があるはずだ。その携帯も昨日の夜から一度も鳴ってはいない。
残りの可能性とすれば、新聞か郵便か。私邸という事もありどちらも屯所で済ませている。
そうなると恨みを持っている者となる。殺気は感じないが、木刀を握る手に力を込める。手練れともなれば、上手く殺気を隠せる者もいる。木刀となると少々心許ないが、丸腰よりはマシである。
人影が玄関の戸に手を掛けた。腰を落とし身構える。戸がゆっくりと横に引かれた。
「相変わらず、朝早ェなあ」
そこには派手な着流しの男が立っていた。皮肉げな笑みを浮かべてはいるが、以前のような険はない。
「お、まえ……」
「随分と待たせちまったなァ。寂しくはなかったか?」
男がこちらへと手伸ばす。傷ひとつない腕が袖から現れた。指先も荒れていないよく手入れがされた指だ。
「高杉に良く似てんなぁ」
「…………………は?」
男の手はピタリと止まった。なんなら時間も止まっていた。男の目は面白い程に点になっている。
「世の中には顔の似た奴が三人居る、っていうがアレ本当なんだな…!」
「…おい、ちょっと待って。お前は何を言って…?」
興奮気味に空中で止まったままの手を握る。男はその勢いに気圧された。というより少し引いているとも言える。
「なあ!お前、名前は!?」
「…………………は?」
再び時が止まった。男は少し考えた後、口を開いた。
「た、高杉晋作……です」
「名前まで似てるなんてすげぇなぁ!!」
そう答えると益々興奮してしまい、初対面ながら握った手を上下に勢いよく振ってしまった。
男が固まっているのに気付いて慌てて手を離す。心なしか疲れているようにも見える男に冷静になった。
「悪ぃ!あんまり昔の知り合いに似てるもんだからつい……とりあえず上がれよ!茶くらいならあった筈だ」
離した手を再び握ると、少々強引に茶の間へと引っ張って行った。
元の姿に戻ったきたとはいえ、全てが元のままではない。形は似ていても中身は違う。形すら戻って来ない物もある。例えば、美術品だとか文化的な遺産の一部は焼失したり修復不可能な状態になってしまった。火事場泥棒によって、どこか遠くの星に売られてしまったかもしれない。だが、どれがどこにあった、という管理記録さえ失われてしまい確認しようもない。
住んでいた家だって同じ物ではない。今も仮の住居で暮らしている人間も多い。政府から補助が手厚く、そこそこ不満は抑えられているが、思い出を失うのは辛い事である。
そして、あの戦いの中で多くの失われた命が戻ってくる事も決してない。真選組も勿論であるが、救助や防衛にあたった各省庁だったり民間の自警団であったり。それ以上に一般市民の犠牲は多かった。遺体や遺品の一つでも見つかればいい。行方不明のまま、空っぽの棺で葬儀を上げるのも珍しい事ではなかった。
鎮魂と過去を忘れぬように、そして復興を記念して毎年祭りが開かれるようになった。前半は式典などで厳かな雰囲気であるが、それが終われば一気に祭りの賑やかさがやってくる。
江戸に住む人間は大概が祭りが好きだ。最初は一日だけだったはずが、どうせなら派手にやろうと三日間にも及ぶ大きな物になった。
店は稼ぎ時だと呼び込みをし、祭りを聞き付けた商人が地方からやってくる。町人はここぞとばかり着飾ってはキャッキャッと跳ね回りながら、歩き回った。
江戸が復興したのだから、悲しんでばかりはいられない。ここに住む人間が後ろを向いたままでどうするのだ。帰らぬ者も当然居るが、嘆いてばかりでは弔いにならぬ。安心して天国で暮らせるように、生きている私たちが泣いてばかりでどうすると。
誰がそう言ったのか分からない。いつしかその思いが「そうだそうだ」と共感を呼び、とびきり派手にやってやろうとこうなった。
そのおかげで、警察としての仕事は増えてしまった。警備はもちろんだが、喧嘩に迷子に酔っぱらいの相手。祭りが見たいと唐突にやってくる天人の要人。一つ終われば、二つ三つ何かしら起きる。おかげで朝から晩まで駆けずり回るハメになる。
祭りの間も通常の業務がなくなる訳ではない。空き巣被害も増える為、巡回はいつもより強化をされる。
組をフル稼働させてどうにか三日間の祭りが終る頃には疲労困憊。途中で力尽きた隊士が廊下やトイレ、風呂で死んだように眠っている。
そいつらが風邪を引かないように、布団をかけてやっていると空が白み始めていたりする。
放置したい所ではあるが、疲労と身体を冷やしたせいで半分以上が風邪を引き機能しない、という事があった。それ以来、どれだけ疲れていてもやらなければならないのだ。
それらがようやく終わって吸う煙草の美味い事。飯を食う所か、煙草を吸う暇さえ与えてくれない。忙し過ぎて、それすらすっぽ抜けている。
これを吸い終えて仮眠を取ったら、報告書に後片付けが待っている。幸い大きな事件は起きなかったが、小さな事件なら数え切れない程にある。
そこから反省点や改善点を纏めて提出して、資料としてファイリング。当然、通常業務も平行して行われ、祭りが初めての新人の何人かは寝込んで人手が足りなくなる。
頭が痛いのは、仕事の量か寝不足からか。まだ半分程残った煙草を揉み消した。
朝礼まであと三時間程度。布団を被りアラームをセットするとゆっくりと瞼を閉じた。
祭りの後始末となんやかんで、ようやくまともな休みになったのは三日後だった。
仕事が落ち着いていた為、急遽午後から半休になった。さらにそこから二日も休める。普段なら一日でいい、と言う所だったが疲れも溜まってちょうどゆっくりしたいと思っていた所だ。これは渡りに船と休みの提案を受け入れた。
さて、しっかり休むなら屯所だとどうしても仕事が気になってしまう。総悟のイタズラも今回ばかりはごめん被りたい。それならばと、たまには私邸の方へ行こうと思い立った。
引継ぎと近藤さんの監視を山崎に任せると身支度を整える。総悟の相手をしていては日が暮れてしまう。祭りの始末書はどうやら素直に書いたようであるし、後は原田にでも任せる事にした。
まだ日の高い時間から着流しで出掛けるのは
久しぶりだった。どうしても街中を歩く時には気を張ってしまうが、こうしてのんびりと見て回るのも楽しいものだ。
昼は屯所で済ませてしまったが、夜はどうしようか。せっかくだから飲みに出よう。居酒屋にもとんと行けていない。
とはいえ、まだ日の高い時間であるから当然飲み屋は開いてはいない。先に私邸に戻り軽く掃除をしようと決めた。なにせ殆ど使用していないのだ。今頃、山のように埃が積もっている筈である。
途中でスーパーに立ち寄り、マヨネーズと煙草を買った。掃除道具も買おうかと思ったが、そもそも私邸に何があったかさえ覚えていない。同じ物を買ってしまうのも勿体ない。それに、そこまで帰る場所でもないので、最低限できればそれで問題はない。
久しぶりに戻った私邸は少し寂れてしまったように見えた。玄関には蜘蛛の巣がかかっていたし、この調子なら小さな庭は雑草だらけになっているだろう。
鍵を差し込むと思っていたよりはすんなり回った。戸を開ければ埃っぽい。差し込んだ光にキラキラと反射した。
廊下が軋む。荷物を下ろしたら、まず足の裏を拭いて雑巾をかける。その前に、布団を干しておくべきか。日暮れまで数時間といえど、仕舞いっぱなしの布団で寝るよりは幾分かマシな気がする。
小さな冷蔵庫にマヨネーズを入れるが全く冷えていない。コンセントは抜かれていた。それさえ忘れている程に、私邸に帰ってはいなかったという事だ。ブウン…という音がしてオレンジ色の明かりが点く。冷えるまでには暫くかかるが、マヨネーズは常温でも問題はない。
身体を休めに来たというのに、掃除をしているというのはどういう事だろう。だが、じっとしているのも性に合わないし、埃まみれの部屋ではとても休まらない。
それに目に見えて綺麗になるのは気分がいい。適度に身体を動かす事もストレスの発散になると聞く。家中が綺麗になる頃に日は傾き始めていた。
忘れないうちに布団を取り込む。冷蔵庫も冷えてきたようで、帰りに酒を買ってしまっても問題ないだろう。
そうこうしているうちに、飲みに出るにはいい時間になっていた。日も落ちて、電灯に明かりが灯る。かぶき町は歓楽街ゆえか、昼間と変わらない程に明るい。色とりどりのネオンに赤提灯。仕事が終わって飲みに行く者や、これからが仕事という者で賑やかである。
仕事中であれば、酔っぱらいの保護や喧嘩の仲裁に駆り出されてあまりいい思いはないが、今日は非番だ。職業柄、非番だろうが呼び出される事は多い。余程の事でなければ、勤務中の人間が対処する。今日ばかりは多少甘えても罰は当たらない筈だ。
暖簾をくぐると明るい声に迎え入れられた。
店は賑わい半分以上席は埋まっていた。奥のカウンターが三つ並んで空いていたのでそこに腰を下ろす。
熱いおしぼりに顔を当てると気持ちが良い。以前、総悟に「立派なおっさんですぜぃ」と言われたものの、気持ち良いのだから抗えない。
ひとまず、ビールとだし巻き玉子を頼んだ。
すぐに並々注がれたビールがやってくる。キンキンに冷えたそれを流し込んだ。仕事中は当然酒など飲めない。祭りの警備中に美味そうにビールを飲む人間を見て、何度唾を飲み込んだ事か。
必然的に煙草の量が増え、山崎に口煩く注意されるから余計にストレスが増える。鉄は鉄で煙草の害を真剣に説いてくる。健康のリスクがどうのという内容も耳にタコが出来る程に聞いた。
健康診断に引っ掛かった事もないし、ストレス以外に特にこれといった不調は出ていない。メタボリックだとか生活習慣病にもとんと縁がない。
そうこうしているとだし巻き玉子が目の前に置かれた。ゆらゆらと湯気が立ち上ぼりいかにも美味しそうな様子だ。懐からマヨネーズを取り出すも思い切り絞った。
だしとマヨネーズの酸味が合う。そこに冷たいビールを流し込む。二三切れ食べるとメニュー表を眺めた。
追加で頼んだのは串盛りと刺身。どちらも屯所の食堂にはないメニューである。久しぶりの休みであるし、マヨネーズに口を出してくる人間もいない。酒も飯も美味い、となれば天国のようなものだ。
天国と言えば、銭湯もサウナにも行けていない。屯所の風呂は広いが、いかんせん共同だ。
一人で風呂でゆっくり、なんて事はほぼないと言っていい。二三人程度ならのんびり、できることもあるがそこから人数が増えれば、カラオケ大会や潜水大会、我慢比べなど、まあ騒がしい。
明日は銭湯とサウナだな、と予定が決まった。平日の昼間なら人も少ないだろう。いつものお決まりのコースであるが、趣味らしい趣味もない。
「よぉ、久しぶりじゃねぇ?ここで飲んでるの」
声がした方を見てみれば、嫌という程に見てきた天然パーマ。「はぁ~どっこいしょ」と言いながら勝手に隣の椅子を引く。受け取ったおしぼりを顔に当てて「あ゛ーー」と声を出した。
「おっさんかよ」
「お前も変わんねぇだろ」
とおしぼりで手を拭きながら言う。
「俺ァ、テメェみてぇなマダオじゃねぇんだよ」
「あぁ!?その内お前も、枕が臭いとか、一緒に洗濯すんな、とか言われるんだからな!」
「チャイナに言われてんのか」
「い、言われてねぇよ!?」
大方図星であろう。慌てて否定するのが余計に確信になってしまう。
明日はゆっくり、と思っていたがコイツの存在が抜けていた。今は一緒に飲む事が増えたが、喧嘩は相変わらずでこうして約束もしていないのに、鉢合わせする。
飲みに来ているという事は懐が暖かい。つまりこのままいけば、銭湯かサウナもしくは両方で鉢合わせする可能性が高い。
頼むからゆっくりさせて欲しいと思うが、言った所で喧嘩になるのは目に見えている。かといって行動を変えるのも癪に触る。どう足掻いても回避できないのが万事屋である。
「あっテメェ!勝手に食ってんじゃねぇ!」
「いいだろ別に減るもんじゃねぇし」
「減るに決まってんだろ!返せ俺のサーモン!!」
出された刺身の一切れを万事屋が口に入れた。まだマヨネーズをかけてもいないのに。
「いやぁ仲良いねぇ二人とも」
「「仲良くねぇ!!」」
店の主人が万事屋にビールを渡しながら言う。声が揃った事で一瞬視線が集まるが、ここは飲み屋である。「なんだ、酔っ払いか」とすぐに皆は興味を失くした。
美味い飯と酒に少々の万事屋。流石にべろんべろんに酔うまで、飲むわけにはいかない。万事屋はテーブルに突っ伏していだか、馴染みの店であるし問題はないだろう。多めに札を出し、まだ意識がはっきりとしている内に飲み屋を後にした。
とはいえ、久しぶりとあってか普段よりも酔った感覚がする。立ち寄ったコンビニでは、煙草を買うだけに留めた。二日酔いでせっかくの休みを布団の上で過ごすのは避けたい。コンビニを出た所で、煙草を既に買っていた事を思い出した。思った以上に酔っているらしい。だが、いくつあっても困るものではないと思い直した。
真っ暗な家は寂しかった。今は自分だけしかいないのだから当たり前である。昼間に来た時には何も感じなかったというのに、急激な寂しさに襲われた。
屯所に帰れば誰かしら居て「お疲れ様です!」と声をかけられる。明かりはついているし、真っ暗になるのはせいぜい自室で眠る時くらいだ。
一日中、騒がしくて寂しさを感じる暇もない。近藤さんが顔を腫らして帰ってきて、総悟が始末書の山を作り、山崎が庭でミントンしてサボっている。他の連中もやれ喧嘩だ酒だ女にフラれただの何もない日はなかった。
忙しい日々が組の連中が、寂しさを感じさせないでいてくれていた。考えたくない事を考えずにいさせてくれた。
この私邸を利用していた人間がもう一人居る。
名を「高杉晋助」という。真選組が要注意人物として追っていた過激派攘夷志士の頭目である。
それがなぜ、と思うが自分でさえ分からない。何をどうしてか気に入られ、身体を繋ぐような関係にまでになっていた。私邸に帰ってみれば茶の間で「よォ遅かったじゃねぇか」とダラダラと酒を飲んでいたりする。
この関係を清算せねばならぬ。そう思うのに、上手いこと丸め込まれて、結局同じ布団で眠っていた。いや、丸め込まれていたと相手のせいにしていたのが正しい。
実の所、高杉という男に惹かれていた。
「全部、俺のせいにしちまえばいい」
なんて、言葉に甘えて自分の立場から目をそらしていた。裏切りだと分かっていても、高杉の手を離す事が出来なかった。
今日、帰れば高杉は私邸に居るだろうか。休みの度にそんな考えが頭に浮かんでいた。茶の間で勝手に酒を飲んでいるのか、それとも玄関を開けて無遠慮に上がり込むのか。
そんな私邸からパタリと足が遠退いた。
あの決戦から高杉は帰っては来なかった。
それからである。一切、私邸に帰る事がなくなったのは。
事後処理や幕府が新体制となった事で忙殺されていたという事もある。ロクに睡眠も取れず、文字通り朝から晩まで駆け回っていた。
とは言え数ヶ月もすれば世の中も落ち着く。未だに撤去が終わっていない瓦礫があっても、人々は受け入れそれまでと変わらない生活に戻っていた。
そうなれば休みも取れるようになる。むしろ「必ず何日以上は休み、有給を取得する事」「何時間以上残業してはいけない」などの世の中の変化もある。
警察という仕事故に、完全には難しいがそれでも以前より休み易くなっているように感じる。
つまり、いつでも私邸に帰る事が出来た。それをしなかったのは、無意識に避けていたのだろう。
なぜ、このタイミングで帰ろうと思ったのか。なぜ、今まで私邸を引き払う事をしなかったのか。
答えはどこにもない。無意識に頭の中から排除していた。「死んだ」という報告書も作成した。それでも、茶の間から「よォ」と何もなかったかのように、顔を出してくるような気さえしている。
しかし、現実的に考えて高杉はもうこの世にはいないのだ。万事屋の様子からも、崩壊したターミナルから遺品の一つも見つからなかったのだから。
台所に行くと、蛇口をひねりコップに水を注ぐ。冷たい水が酒で火照った身体に丁度良かった。ここまで歩いたおかげか、酔いも多少マシになった。だが、きっと酷い顔をしているに違いない。
今から風呂を沸かすのも面倒で、シャワーを浴びる気力もない。
ここにはあまりに高杉との記憶が多すぎる。自分の為に借りた隠れ家のはずであったのに。いつの間にか、高杉との隠れ家になっていた。
少し重い足取りで寝室に向かう。押し入れから布団を一式引摺り出した。ぐちゃぐちゃだろうが知った事でない。眠れればそれでいい。
嫌な事があった時には寝るに限る。眠れなくとも無理矢理に眠る。眠れない事で、体力と精神が磨耗すればさらに悪循環に陥る。そうやって刀を握れなくなった隊士も見てきた。
酒を買って来なかったのは、失敗だったらしい。眠れない夜は酒で酔い潰れるのが手っ取り早い。すっかり冴えてしまった頭には高杉の顔が浮かぶ。
傲慢で偉そうで我儘で自分勝手。おまけに指名手配ときた。何一ついいと思える所がない。顔が良かろうが、金を持っていようが余程の物好きでなければ、お付き合いなど願い下げである。
どうやら自分はその物好きであったらしい。答えがない、というのも結局の所、自身についた嘘である。答えは分かっていた。
全てはあの男を好いていたという事だ。
日の光で目が覚めた。閉まりきっていなかったカーテンから差し込んでいたらしい。「寝坊した!」と飛び起きたが、休みである事を思い出して布団に戻る。
二度寝でも、と思ったがすっかり目は覚めてしまっている。諦めて布団から出る。ひとまず台所で水を一杯飲んだ。
冷蔵庫、戸棚と開けてはみたが当然のようにマヨネーズしかなかった。まだ店が開くには早い時間だ。コンビニ飯というのも気が乗らない。いい時間になるまで木刀でも振ろうと、草履を取りに玄関へと向かった。
草履を手にした所で、玄関の磨りガラスに人影が映った。誰かが訪ねてくるには、少々早い時間帯だ。急ぎというような雰囲気でもない。そもそも急ぎの用なら、まず携帯に着信があるはずだ。その携帯も昨日の夜から一度も鳴ってはいない。
残りの可能性とすれば、新聞か郵便か。私邸という事もありどちらも屯所で済ませている。
そうなると恨みを持っている者となる。殺気は感じないが、木刀を握る手に力を込める。手練れともなれば、上手く殺気を隠せる者もいる。木刀となると少々心許ないが、丸腰よりはマシである。
人影が玄関の戸に手を掛けた。腰を落とし身構える。戸がゆっくりと横に引かれた。
「相変わらず、朝早ェなあ」
そこには派手な着流しの男が立っていた。皮肉げな笑みを浮かべてはいるが、以前のような険はない。
「お、まえ……」
「随分と待たせちまったなァ。寂しくはなかったか?」
男がこちらへと手伸ばす。傷ひとつない腕が袖から現れた。指先も荒れていないよく手入れがされた指だ。
「高杉に良く似てんなぁ」
「…………………は?」
男の手はピタリと止まった。なんなら時間も止まっていた。男の目は面白い程に点になっている。
「世の中には顔の似た奴が三人居る、っていうがアレ本当なんだな…!」
「…おい、ちょっと待って。お前は何を言って…?」
興奮気味に空中で止まったままの手を握る。男はその勢いに気圧された。というより少し引いているとも言える。
「なあ!お前、名前は!?」
「…………………は?」
再び時が止まった。男は少し考えた後、口を開いた。
「た、高杉晋作……です」
「名前まで似てるなんてすげぇなぁ!!」
そう答えると益々興奮してしまい、初対面ながら握った手を上下に勢いよく振ってしまった。
男が固まっているのに気付いて慌てて手を離す。心なしか疲れているようにも見える男に冷静になった。
「悪ぃ!あんまり昔の知り合いに似てるもんだからつい……とりあえず上がれよ!茶くらいならあった筈だ」
離した手を再び握ると、少々強引に茶の間へと引っ張って行った。
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