6/12 所詮、自分は犬であります
「犬と猫どちらが好きか、なぁ。私は問答無用で犬だ。動物は従順に限る」
くすくすと笑いながら、文次郎の喉をくすぐる。
上級生の前では隠すことのないその関係性は、周囲に見事な誤解を与えている。
その中でも文次郎に執心している三郎は駄目だ。
文次郎を犬のように扱うその仕草に苛立ちを隠さない。
仙蔵もそれをわかっていてやっているのだ。
そのために三郎の前ではことさらに文次郎を愛玩動物のように扱う。
時には目の前で喉をくすぐり、時には目の前でその頭を撫で、時には異様なほどに甘やかす。
「先輩方は立花先輩に何も思わないんですか?同級生をまるで犬のように扱って」
「鉢屋にはそう見えるのかい?」
まぁ、きっとわざとなんだろうね、と笑う伊作に三郎は意味が分からないと渋面をした。
あれは三郎に対しての牽制である。これは私の従順な所有物だと言わんばかりの。ここにお前が入る余地などないのだと。
伊作から見ればその姿は愛おしい者を誰にも奪わせてなるものかと主張する姿にしか見えない。
文次郎とてそれをわかっていて付き合っている。
「そう、文次郎だよ。僕たちは仙蔵がどうしていようと文次郎が受け入れている時点でどうでもいいんだ。だって双方合意で、ちゃんと分別をつけて下級生の前で隠しているならばもう文句を言う必要もないだろう?子供じゃないんだから」
同輩以外には主従関係のようだと言われている。
それでも受け入れているのは従属とされている文次郎も同様だ。
周囲が言うように躾けられているわけがないのは、同輩たちはよく知っていた。
あれは文次郎自身の牽制でもあるのだ。
立花仙蔵は自分に執心で、他の者が付け入る隙などないのだという。
「ねぇ、鉢屋。仙蔵と文次郎、よく見てごらんよ。どっちが主人に見えるかい?」
きっと三郎には仙蔵が主人で、文次郎が従僕に見えているだろう。
他の者達にも。
しかし、最も付き合いの長い同輩たちは仙蔵が従属のように見える瞬間を見ているのだ。
「鉢屋、忍びはね、眼で見ているものだけを信じてはいけないよ」
目を細めて気持ちよさそうに仙蔵の手を享受している文次郎の目が、周囲を睨みつけているのは「見るな」という意味ではなく「手を出すな」という意味だと、目の前の可哀想な後輩がいつ気づくのか、伊作は笑いながら気の毒な報われることのない後輩の恋に同情をした。