顔
深夜、会計室を訪れる。
「せーんぱい」
軽い口調と人を食ったような笑み。
それは、会計室と潮江文次郎という組み合わせに最も対局の場所にある。
「何の用だ」
これがいつものことなのか、潮江の不機嫌そうな口調。
計算の邪魔をされて機嫌が悪いのかもしれない。
「愛してます」
この言葉は、合言葉のようなものだと知った。
これさえあれば、きっと。
「だから、何の用だ。不破」
「やっぱりすぐにバレちゃいますね。さすがは潮江先輩です」
「からかいに来たなら帰れ」
冷たい対応。でも、それは無駄なことなのだ。
「知ってますよ。いつもここで、逢い引きしてるの」
誰と、とは言わない。
この言葉だけで十分なのだ。
その証拠に、潮江の眉間の皺が深くなる。
「なんのことだ」
「ねぇ潮江先輩、三郎のどこが好きですか?」
知らないふりをする先輩の言葉を遮る。
質問の返事はない。
「なんで三郎なんですか?僕ではだめでなんですか?」
「冗談はやめろ、不破」
「冗談なんか言いません。あの顔は、あの表情は、全部本当は僕一人のものなのに。あれは、僕の貸したものなのに。三郎が持ってる外身は、本当は全部僕のものなのに」
卒業したら、きっと彼の姿は変わる。
そんな紛い物の、借り物の姿しか持たない彼よりも、本物の方がいいに決まっている。
「違うな。お前が貸してるのは、顔の作りだけだ。表情はお前と鉢屋では違う。鉢屋の方がタチの悪い顔だ。お前の方が優しくて、穏やかな顔を持っている。それはお前だけのものだ。鉢屋の真似でも、足らない。それに、お前が鉢屋の真似をしても、足らない。あいつから滲み出る性格の悪さはお前には出来ん」
貶しながらも、潮江のその顔は穏やかで、優しい。
「お前の顔も、ちゃんとお前だけのものだ。お前のものは何一つ、あいつに奪われちゃいない。だから、あいつの真似なんかしなくてもいいんだ」
優しい言葉。その言葉は残酷で、どれだけ真似をしても不破では駄目なのだと、潮江が愛しているのは不破の顔を使った鉢屋の外身ではなく、その心の内なのだ、と。
それは彼一人のものであり、そしてそれは不破とは似ても似つかないものであり、潮江が不破を愛することはないのだと、示された気がした。
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