片角の鬼
ぱきん
硬質な、何かが割れる音。
それは、目の前の男の倒れ伏す姿と同時であった。
「文次郎っ!」
最後の力を振り絞って角を手折った黒ずくめの忍びは、文次郎の上に覆いかぶさって息絶えていた。
あと一人、留三郎の目の前の男を屠れば、あの骸を退けて文次郎の生を確認することができる。
あの程度で死ぬ男ではない。
その程度で鬼は死なない。
そう呟くが、鬼の生命力が人と変わらないことなど、身をもって知っている。
手甲に仕込んだ棒手裏剣で最後の一人の息の根を止め、文次郎に駆け寄る。
骸を退けると、文次郎の息があることは確認が出来た。
傷口は右足と右脇腹。
それと、無惨に折れた左の角。
血のような真っ赤なそれが転がっているのを拾い、文次郎を担ぐ。
幸い留三郎に大きな外傷はない。
文次郎がぼろぼろなのは、作戦として文次郎が先に陽動で入り込んだからだ。
「おい、」
担いだ直後、声が聞こえた。
「起きたのかよ」
「見た目ほど深くねぇ。自分で歩ける」
「さっきまで気ぃ失ってた癖に何言ってやがる。領内だけ抜けたら降ろしてやるよ。そしたら自分で歩け」
意識のある文次郎に安心をすれば悪態も余計に出るものである。
敵の領内からはもうすぐ出る。
意識はあるにしても、自分と同じ程度の体格の男を担ぐのは体力も考えて得策ではなかった。
「あと少し、」
四半刻ほど歩いて、領内を出て適当な小屋を探せば、ありがたいことに直ぐに廃寺が見つかった。
「お邪魔致します」
御堂をお借りする仏に頭を下げて、中に入る。
山で丈夫そうな木は拾った。
「折れちゃいねぇな、傷だけだ」
傷口はどちらも火縄の弾が掠っただけだという。
「なら一番の重症はこれか」
留三郎が懐から折れた角を差し出す。
角にも触覚はある。
文次郎が意識を失ったのは恐らくその痛みからだろう。
留三郎が改めて文次郎の頭を見ると、左の側頭部から生えていた長い角が半分程度で無惨に折れている。
大人の鬼の角は一度折れたら戻らないと、留三郎は昔祖父に聞いたことがあった。
「片角か」
片方の角が折れた鬼を二本角の一族はそう呼ぶ。
「二本角の一族でも戻らねぇんだよな、それ」
「どこの一族も変わらんだろう。鬼の角は折れたらそれきりだ」
生えかわった時に触れた冷たい感触を、留三郎は今でも覚えている。
誰よりも早くあの角に触れた、その指先が今度は折れた角の欠片を撫でている。
「まだ、痛むか?」
「いや、そうでもねぇな」
一瞬、鋭く痛んだが、目が覚めた時にはもう痛みはほとんどなかったという。
真っ赤な角は折れた断面も血のように赤く、留三郎の不安を誘う。
「なぁ、触ってもいいか?」
生え変わったあの日、宝に触れるように優しく触れたのに、何よりも尊いものだと、感じたのに。
留三郎の頬に、涙が伝う。
美しく天を指す二本の角が、その片方が、無惨にも手折られてしまった。
冷たい角の断面に触れると、ほんの少し、熱を持っていた。
「泣くな留三郎」
文次郎の指先が留三郎の頬を撫で、伝う涙を拭う。
「見た目だけだ、何も変わっちゃいない」
鬼の角の役割は、一族を示すもの。
ただの飾りに等しいのである。
「手も足も動く、目の見える、耳も聞こえる。角が折れてもお前の横にいるし、死にもしない」
文次郎が優しく、語りかける。
これではどちらの角が折れたのかわからない。
「でも、もし留三郎が悲しいなら、折れた角はお前にやる」
留三郎から差し出された折れた角の欠片を返す。
「俺の一族には片角も多い。二本もあるからな。戦や狩り、病、色々な理由で角が折れる。しかし、それは不名誉ではない。それは角が鬼自身の身代わりになったとして、武具や装飾、笛などにして肌身離さず持ち歩いて、御守りにする」
角の欠片を見遣る。
半分程度で折れたそれは武器としては短すぎるだろう。
しかし、綺麗に整えればその鮮やかな赤は飾り物としては申し分ない。
「お前なら綺麗な飾りに出来るだろ。だから、もう泣くな」
涙を、唇で拭う。
そのまま、唇を重ね合わせる。
幼い、ただ触れるだけの口付け。
涙が止まればいいと、願うような口付け。
それに、痛みが消えればいいと、祈るように応えた。
折れた角は戻ってこない。
それでも、隣に有ることには変わりないのだと誓うように、もう一度、今度は深く口付けた。
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