良い夫婦
今度の六年い組の忍務には夫婦という肩書きが必要であった。
これはよくあることで、男所帯の忍たまだけで忍務を行う際、夫婦が必要であればくノ一に手伝いを頼むよりも片方が女装する方が多い。
結果的に女装が得意な立花仙蔵の所属する六年い組に夫婦の忍務が命じられるのだ。
「俺もたまには夫婦役やりてぇんだけど」
ぼそっと留三郎が不満そうな顔で呟く。
「なんだ、お前仙蔵の夫やりてぇのか。なら今度の忍務たまにはお前と仙蔵の夫婦でやってこいよ。そんなにいいもんじゃねぇぞ。あいつ妻役をいいことに奢らせやがるし」
呟きを聞いて、この度の夫役こと潮江文次郎がならばぜひ代わってくれと食満に立場を譲ろうとする。
だが、食満の顔は不満そうなままだ。
「誰が仙蔵と夫婦やりてぇって言ったよ。お前と!夫婦役してぇの!つか俺の恋人はお前だろうが。たまには夫婦役でもいいだろうが!」
「そんなに女装してぇのか。別に構わねぇけど」
文次郎がしれっと返す。
文次郎としても相手が変わる程度ならば特に問題は無い。
「お前そんなに女装の成績良かったか?」
ただし、問題なく忍務が遂行出来るのであれば、である。
「いや。それよりお前この間仙蔵と女装の特訓したって聞いたぞ。その成果見せろよ」
留三郎が詰め寄る。それが目的か、文次郎は面倒くさそうに呟く。
「嫌だ。あれは疲れるし最終手段なんだよ。いつも通り俺と仙蔵が夫婦役やりゃあ話が丸く収まるだろうが」
「やだ。恋人がずっと他の男と夫婦役やってるなんて嫌に決まってんだろ。たまには俺と夫婦役やれよ」
「ならお前が女装すりゃあいいだろうが」
「なんだよ、特訓したってのに自信ねぇのか?い組の特訓も大したことねぇんだな」
「あ゙ぁ?」
段々と二人の会話が喧嘩腰になってくる。
いつもであればそろそろ拳が飛び出すであろう段階で、思わぬところからその喧嘩に待ったがかかった。
「聞き捨てならんな留三郎。私が手塩にかけて育てた文次郎もといおふみが気に入らないと?」
い組の片割れであり、女装特訓の講師こと立花仙蔵である。
「おふみ、せっかくの機会だ。この馬鹿にお前の愛らしさを見せつけてこい。今度の忍務は私の代わりに留三郎が行くと早速先生に伝えてこよう」
「ちょっ、待てっ・・・!!」
文次郎が止めるまもなく仙蔵は走り去っていった。
「くそっ、仙蔵の野郎」
「じゃあ、観念しろよ、お・ふ・み・ちゃん」
にやにやと笑う維持の悪そうな笑顔に腹が立った文次郎が留三郎を一発殴ったが、反撃はなかった。
***
忍務当日、留三郎は正門の外でそわそわしていた。
特訓をしたと言っていたが、それでも文次郎の女装は忍務に足るか不安でもあり、そしてあの仙蔵が太鼓判を押す女装に期待もあり、といった複雑な心境である。
「もし、」
そろそろか待ち合わせの時刻かと太陽の高さを見て大体の時を計ると、後ろからか細い声がした。
太陽に気を取られたとは言え、留三郎とて忍び、そう簡単に後ろを取られることなどない上に、ここは学園の前。
「やっと来たかもんじ、ろ・・・?」
振り向くと、そこに居たのは愛嬌と、ほんの少し色気を纏った女であった。
重めの前髪にさらさらと流れる漆黒の髪、肩幅を隠すための羽織と、同じく隠すためであろう市女笠。
市女笠から覗く大きな瞳には幼さも見え隠れするのに、その眼の下にはほんの少しの薄墨。それが影を落として婀娜っぽくもある。
控えめにうつむき加減で楚々と歩く姿はまるで外の世界に緊張する姫君のようだ。
「遅くなってすみません、旦那様」
ちょい、と袖を引かれて耳元で囁かれる。
女性としては少し低い声だが、耳元で囁かれるとまるで秘め事を話しているようでそわそわする。
旦那様、という呼び方も留三郎の心を揺さぶる。
「おふみ、」
名を呼ぶと、恥ずかしそうに顔を赤くした。
「行きましょう」
女の歩みで町まで歩けばいつもよりも時間がかかるであろう。
それを想定しての早めの待ち合わせは功を奏し、予定よりもほんの少しだけ早く辿り着いた。
忍務は旅籠に逗留する男を見張ることと、近くの城の情勢を探ること。
旅籠に長居するならば独り者の旅人よりも夫婦の方が怪しまれなくていいのだ。
旅籠で帳面に名を書くと、おふみは流れるような字を書いた。
留三郎は旅籠の主人に綺麗な奥方で羨ましいねぇ、と言われ、隣の"女"を見る。
恥ずかしそうに、嬉しそうに顔を赤くする姿が愛おしい。
***
旅籠で部屋に案内され、隣に聞こえないように小声でいつもの二人に戻る。
「留三郎、いつまで緊張してやがる。それじゃあ夫婦として自然じゃねぇだろうが」
女の姿に男の声。
違和感が酷いようでいて、何故かそそられる。
「おふみだって緊張してたじゃねぇか」
「恥ずかしがりなおなごと思えば可愛いもんだろ」
自分で可愛いという文次郎は、おふみに相当の自信があるらしい。
確かにどこから見ても大人しくて愛らしいおなごにしか見えない。
それが留三郎には違和感であった。
いつもの熱血鍛錬馬鹿はどこへ行ったと叫びたくなるほどの変貌ぶり。
「ところでおふみはなんであんなに自信なさげで引っ込み思案な性格なんだ?」
「声が低すぎてあまりハキハキと喋ると男にしか聞こえんからだ」
納得。文次郎とて変姿の術は苦手ではないようだが、同じ男に成りすますのと女に成るのでは全く勝手が違う。
男はどこまで高い声でも、所詮は喉仏のある同じ男だ。
「仙蔵のように声音を切り替えるにはまだまだ鍛錬が必要だな」
訂正、やはり中身は鍛錬馬鹿の文次郎であった。
仙蔵は音声忍の素質でもあるのではないかと誰もが思っている程の完璧な女声である。
留三郎にはあれは鍛錬だけでどうにかなるものではないような気がしてならない。
「それで、対象の男は隣だな」
そう、これはただの夫婦ごっこではなく忍務なのだ。
女装した文次郎と夫婦ができることがあまりに嬉しくてすっかり忘れるところであった。
「おう」
狭い旅籠で泊まるならば高確率で隣室である。
予想通り隣室に通されたので、隣室の動きには一応意識はしていたのだ。
「物音はあまりしないが部屋にはいるらしいな。しばらく様子を見よう」
***
そこから数日は留三郎にとって実につまらないものだった。
愛らしくて色っぽいおふみさんが隣にいるのにおふみさんはほかの男(監視対象の男)に夢中であるし、ちょっと帯を解こうとすれば文次郎の声で「忍務中だ」と振られる。
町を歩けばおふみは助平男どもの好奇の目に晒され、威嚇をすれば「旦那様、喧嘩はよろしくありませんわ」と優しく叱られる。これは少し夫婦の気分と優越感が味わえて嬉しかった。
忍務はといえば、怪しげだと思っていた対象の男はただの薬売りで、この町で商いをしていただけであった。
妙な薬が出回っている情報もなく、特に問題もなかった。
「怪しくないかどうかを調べる、という意味では忍務は完了だな」
「そうだな」
「では報告をしに帰るぞ」
五日間にわたる忍務が終わり、二人で旅籠を出る。
「ご主人、長くお世話になりました」
「いやいや、今後とも御贔屓に」
人の好さそうなご主人を尻目に、二人は町を離れた。
町から少し離れたお堂でおふみは変装を解き、ただの文次郎に戻る。
「やっと終わったか。五日もおふみはさすがに疲れるな」
化粧を落とし、いつもの私服に着替えた文次郎を見ると、おふみと同一人物とは思えない。
しかし、よくよく見ると大きな眼やその下を彩る薄墨は化粧によって誇張はしていたものの、元来持っていたものであるとわかる。
「お疲れさん」
文次郎と留三郎の姿でお堂を出て並んで歩く。
一歩後ろを楚々として歩くおふみではないが、留三郎にとってはこちらのほうが馴染みある姿で、歩幅である。
「文次郎、今度はやっぱり女装じゃなくて一緒に出掛けようぜ」
「当たり前だ。そうそう何度も女装なんぞしてたまるか」
出掛けよう、には否定をしない限り、一緒に出掛けてはくれるらしい。
おふみさんはひと時の妻として留三郎の心に残るが、やはり恋人はこの鍛錬馬鹿がいい。
「文次郎、やっぱりお前が好きだわ」
「ありがとよ、旦那様」
笑いながらこつん、と拳をぶつけ合って学園への帰路を急いだ。
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