ショコラ・タイム
甘い、甘い、チョコレートに包まれる。
「ハッピーバレンタイン」
楽しそうなその声音と共に渡されたのは、板チョコレート。
なんとなく、そんな気はしていた。
「今年の希望は?」
「フォンダンショコラ」
絶妙な注文だ。材料さえあればものすごく難易度の高いものではなく、しかし溶かして固めるよりは手間がかかる。
文次郎はたまにケーキを作ったり菓子を作る(全てこの目の前の男の注文である)ので、まぁ不可能なものではない。
昨年オペラを作れと言われてレシピを調べて無理だと却下した事件から学んだのだろう。
ちなみにオペラの代わりにココアシフォンケーキを作った。
「他の材料は?」
「バレンタインデートついでにスーパーへ行こうではないか。」
「そうか」
それでは、と出かける準備をしてデート(という名の近所のスーパーへの散歩)へ向かった。
寒いかと思えば案外と外は暖かく、ちょうどいい散歩日和であった。
「ついでに夕飯の買い物するか。何が食べたい」
「フォンダンショコラの礼に夕飯は私が作ろう」
「ありがとな。じゃあしゃぶしゃぶ」
「心得た」
15分の道のりをぐだぐだと話しながら歩く。
夕飯は鍋物に確定した。
家に帰って冷蔵庫に買った物を入れた時に、バレンタイン恒例の冷蔵庫のチョコレート達を見つけた。
金曜日に職場の女性達がお金を出し合って連名でくれた義理チョコや、律儀な仙蔵の姉と妹が、しかも文次郎の分まできっちりとくれたデパートの少しお高いチョコレートたち。
「チョコばかりでは口が飽きるからな。今日は本命だけを頂くことにしよう」
過去一度、仙蔵は会社の若い女性から明らかな本命チョコを貰ったことがある。
その時も、同じことを言った。
もちろんその日のうちに気持ちには答えられないと返事はしたらしいが、気持ちの篭った本命は本命。
その年、仙蔵は文次郎の手作りチョコと、その女性からの本命チョコのみをバレンタイン当日に食べた。
彼女のくれたチョコレートは当然ながら仙蔵が1人で食べた。
我儘で、ほんの少し横暴で世話の焼ける男の、こういうところに惚れているのだ。
他人の好意を無下に扱わない。
しかし、言うべきことは言う。
曖昧な態度をとって悲しむのは彼女の方なのだ。
はっきりと断って、そして一時悲しんで、先を進んでくれればいい。
少なくとも、仙蔵が会社で見続けた彼女はそういうことが出来る女性だった。
そして、そういうことがあったという事実を文次郎に隠さない。
文次郎とて嫉妬も心配もしない訳では無い。
仙蔵は見目もよく、仕事もでき、独身で彼女もおらず、ただ"友人"とルームシェアをしているだけの、世間的には優良物件なのだ。
だからこそ、仙蔵は文次郎に無駄な心配はするなと全てをさらけ出してくれる。
それこそが最も安心するのだと教えてくれる。
だから、文次郎も同じように全てをさらけ出そうと思える。
考え事をしながら作ったフォンダンショコラは案外うまく出来た。
あとは紅茶を入れて、小皿に盛れば完成だ。
「出来たぞ」
甘い、甘いひとときが始まる。
世間など知らない。誰も、2人の真実を知らなくていい。
ただ、この時間が永遠であれと願いを託して、蕩けるショコラを味わった。
1/1ページ