ミルキーウェイ
寒いのか、何か気になる事があるのか、理由はわからないけれど眠れなかった。ずっと布団につけていた右肩が痛い。寝返りをうって仰向けになる。橙色の照明が吊るされた天井をぼんやりと眺めていても全く眠気はやってこない。今日のジム戦の事だとか明日の夕飯は何にしようだとか、そんなとりとめのない事ばかりが頭の中に浮かび上がっては消えていく。そしてまた新しいものが浮かんでくる。
目を閉じた。視界が黒に包まれる。いつも眠りに落ちる時と同じ色だ。こうやって目を閉じて何も考えないようにしていれば眠れるだろう。何も考えないように、考えないように。そう考えるほど頬に触れる布団の感触や、何故か早くも痺れ始めた背中だとかが気になってしまう。俺はまた目を開けた。柔らかな明かりがやけにまぶしくて、それでまた目が冴えてしまった。
隣で眠っているマツバを起こしてしまわないように気を付けながら溜め息をつき、布団を頭の上まで引き上げた。途端に息苦しくなって後悔したけれど、あまり動いて音を立てても申し訳ない。そのままじっとしている事にした。
「寝れないの?」
少し掠れた声が聞こえて、かぶっていた布団から顔を出す。声のした方を向くと、マツバが体をこちらに向けて目を開けていた。
「起こした?」
「いや……僕も寝付けなくて」
全く気が付かなかった。やたらと寝返りをうっていた覚えもないし、俺みたいに溜め息をついたような音もしなかった。
「寒い?」
「うーん、寒くはないんだけどね」
マツバはそう答えると首を伸ばして枕元の目覚まし時計を見た。つられて同じように時計を見る。1時25分。いつもだったらすっかり夢の中なのに。
「珍しいね、ハヤトが寝れないなんて。いつもすぐに寝ちゃうのに」
「なんでだろうな……わかんないけど寝れなくて」
眠れないまま朝を迎えてしまったら辛いだろうと焦るのに、焦るほどまた眠る事ができない。癇癪を起こした子供みたいに当たり散らしてしまいたくなるけれど、そんな真似もできずにいるからいらだちは募るばかりだ。
「そんな時もあるよねえ」
一人で腹を立てている俺とは対照的に、マツバはのんびりとそう呟く。焦っている様子も困っている様子もなく、いつも通り、ただ自然に。
「……マツバにはよくあるのか?」
「そうだね。でも、あんまり寝なくても大丈夫なタイプみたいだから平気」
そんなものなんだろうかと思ったけれど、マツバがあまりにも平然としているし、眠そうにしている所もあまり見ないから、本当にそんなものなのかもしれない。けれど、睡眠時間の問題はいいとして、一人で静まり返った部屋の中でただ目を開けているのはどんな気分なのだろう。
「マツバは」
「ん?」
「寝れない間、どうしてるの?」
そうだなあとマツバは小さな声で答え、そして無言のまま布団を首を隠すぐらいまで引き上げる。
「別に何を考えてるってわけでもないかな。明日も寒くなるのかなとか、なんだかお雑煮が食べたいなとか。とりとめのない事をっていう感じ」
「やっぱり、みんなそうなのかな」
「起きたり動いたりしたら余計に寝れないからね。本当にどうしようもない時は起きちゃう事もあるけど」
起きる? と笑いながら聞かれたけれど、首を横に振って断った。そんな事をしたら本当に一晩中起きている事になりかねない。それは勘弁してほしい。
「眠れないの」
「ん?」
「やだな、なんか」
背中を丸める。布団との隙間から冷えた空気が流れ込んで、また目が覚めてしまいそうだった。膝を抱えるようにして布団の中に潜り込む。部屋の明かりもマツバの顔も見えなくなった。目を閉じたけれど、肌寒さが気になってやっぱり眠れそうになかった。更にきつく目を閉じる。このままじゃ嫌だ。
「……そういえば、ミナキ君はね」
マツバの声に目を開ける。薄暗い布団の中で息を潜めて彼の言葉の続きを待つ。
「寝れない時は空を見るんだって。ほら、ミナキ君あんな生活してるから、野宿が多いんだよ。森の中で寝袋一つで寝る事なんかもよくあるらしくてね」
野生のポケモンだってたくさんいるのに危ないよね、と呆れたように呟いた。その言葉にうなずいたけれど布団に隠れて見えないだろう。けれどもマツバはわかってくれたようだった。微かに笑う声が聞こえた。
「町から離れた所だと真っ暗で星が綺麗なんだって。もうどこにどの星座があるかもわからないぐらいで、天の川が白く光って見えて、夢みたいだって。それで夢みたいだと思ってるうちに寝ちゃうって言ってた。……ハヤトは天の川見た事ある?」
俺は足を伸ばし、背中を伸ばし、布団から顔を出した。
「写真でしかない」
「そうだよね、やっぱり。キキョウもエンジュも人が多い町だから」
マツバはこちらに向けていた体を倒して仰向けになった。瞼を下ろす。そして深呼吸をしたようだった。布団がわずかに膨らみ、しぼむ。俺も同じように仰向けになった。明かりが眩しくて目を閉じる。
「ここからじゃ見えないけど、目をつぶると見えるような気がするよね、天の川」
マツバの真似をして、昔に本で見た天の川を思い浮かべてみた。瞼の内側、暗闇の中に白い点が一つ二つと浮かび上がる。その隣に見覚えのある星座を描いて、見覚えのない星座も思いつくままに増やしていく。ぽつぽつとインクを零すように。星空だ、と思う。だけどこれではまだ足りない。天の川というのはもっと白くて大きなものだ。
俺は白い絵の具を星座の周りに薄く塗り重ねる。行っては戻り、広げて、消して。気の向くままに塗るうちに思い浮かべた姿に近づいて、落書きがうまくいった子供のように嬉しくなる。淡い白は甘そうだと漠然と思った。そういえば、英語ではなんだかおいしそうな名前がついていたような気がする。それがなんだったのか思い出そうとしたけれど思い出せなかった。もうわかっているような気もするけれど、その答えは頭の中、妙に遠い場所に浮かび上がっているようで手が届かなかった。
答えに辿り着くのは諦めて、淡く光る星の帯を見つめる。鼻が少し冷たいけれど、体は温かくて心地よかった。いつの間にかゆりかごに揺られているように視界が揺らいでいた。星空は遠くへ近くへ。そして端からじわりと滲んで夜空に溶けていく。微かに耳鳴りのような音がした。けれどそれすらなんだか心地よい。耳鳴りの中で、消えていく星と同じように、自分が指先から地面に吸い込まれていくのを感じた。怖くはなかった。ただ、安心していた。何に安心したのかを考える前に、俺はすっかり眠ってしまった。
* * *
眠れない間どうしているのかと聞かれた時に、別に素直に言ってもよかったのにと今となっては思う。ただなんとなく、教えてしまったら恥ずかしがって、しばらくこうして寝顔を見せてくれなさそうだから咄嗟に隠してしまった。
肘をついて体を起こす。頬杖をついて彼の顔を覗いてみると、さっきまで眠れないと困り果てていたのが嘘のようにすっかり夢の中だ。ミナキ君が話していた事をふと思い出したから教えてみたけれど、どうやら効果はあったらしい。寝息を立てて眠る顔に頬が緩む。少しだけ口を開けて、吊り目気味の目を閉じて。前髪が乱れていつもは見えない右目が見えていた。橙色の光が瞼を照らす。触れたら温かそうだけれど、冷えた手で触れて起こしてしまっては申し訳ない。大人しく見つめているだけにした。時折何かを呟くように口元を動かす。可愛いなあと思っているうちにあくびが一つ。どうやら僕の眠れない夜も終わってくれるようだ。
「おやすみ」
小さく低く囁いて、僕は温かな布団の中に戻って目を閉じた。
(END)
目を閉じた。視界が黒に包まれる。いつも眠りに落ちる時と同じ色だ。こうやって目を閉じて何も考えないようにしていれば眠れるだろう。何も考えないように、考えないように。そう考えるほど頬に触れる布団の感触や、何故か早くも痺れ始めた背中だとかが気になってしまう。俺はまた目を開けた。柔らかな明かりがやけにまぶしくて、それでまた目が冴えてしまった。
隣で眠っているマツバを起こしてしまわないように気を付けながら溜め息をつき、布団を頭の上まで引き上げた。途端に息苦しくなって後悔したけれど、あまり動いて音を立てても申し訳ない。そのままじっとしている事にした。
「寝れないの?」
少し掠れた声が聞こえて、かぶっていた布団から顔を出す。声のした方を向くと、マツバが体をこちらに向けて目を開けていた。
「起こした?」
「いや……僕も寝付けなくて」
全く気が付かなかった。やたらと寝返りをうっていた覚えもないし、俺みたいに溜め息をついたような音もしなかった。
「寒い?」
「うーん、寒くはないんだけどね」
マツバはそう答えると首を伸ばして枕元の目覚まし時計を見た。つられて同じように時計を見る。1時25分。いつもだったらすっかり夢の中なのに。
「珍しいね、ハヤトが寝れないなんて。いつもすぐに寝ちゃうのに」
「なんでだろうな……わかんないけど寝れなくて」
眠れないまま朝を迎えてしまったら辛いだろうと焦るのに、焦るほどまた眠る事ができない。癇癪を起こした子供みたいに当たり散らしてしまいたくなるけれど、そんな真似もできずにいるからいらだちは募るばかりだ。
「そんな時もあるよねえ」
一人で腹を立てている俺とは対照的に、マツバはのんびりとそう呟く。焦っている様子も困っている様子もなく、いつも通り、ただ自然に。
「……マツバにはよくあるのか?」
「そうだね。でも、あんまり寝なくても大丈夫なタイプみたいだから平気」
そんなものなんだろうかと思ったけれど、マツバがあまりにも平然としているし、眠そうにしている所もあまり見ないから、本当にそんなものなのかもしれない。けれど、睡眠時間の問題はいいとして、一人で静まり返った部屋の中でただ目を開けているのはどんな気分なのだろう。
「マツバは」
「ん?」
「寝れない間、どうしてるの?」
そうだなあとマツバは小さな声で答え、そして無言のまま布団を首を隠すぐらいまで引き上げる。
「別に何を考えてるってわけでもないかな。明日も寒くなるのかなとか、なんだかお雑煮が食べたいなとか。とりとめのない事をっていう感じ」
「やっぱり、みんなそうなのかな」
「起きたり動いたりしたら余計に寝れないからね。本当にどうしようもない時は起きちゃう事もあるけど」
起きる? と笑いながら聞かれたけれど、首を横に振って断った。そんな事をしたら本当に一晩中起きている事になりかねない。それは勘弁してほしい。
「眠れないの」
「ん?」
「やだな、なんか」
背中を丸める。布団との隙間から冷えた空気が流れ込んで、また目が覚めてしまいそうだった。膝を抱えるようにして布団の中に潜り込む。部屋の明かりもマツバの顔も見えなくなった。目を閉じたけれど、肌寒さが気になってやっぱり眠れそうになかった。更にきつく目を閉じる。このままじゃ嫌だ。
「……そういえば、ミナキ君はね」
マツバの声に目を開ける。薄暗い布団の中で息を潜めて彼の言葉の続きを待つ。
「寝れない時は空を見るんだって。ほら、ミナキ君あんな生活してるから、野宿が多いんだよ。森の中で寝袋一つで寝る事なんかもよくあるらしくてね」
野生のポケモンだってたくさんいるのに危ないよね、と呆れたように呟いた。その言葉にうなずいたけれど布団に隠れて見えないだろう。けれどもマツバはわかってくれたようだった。微かに笑う声が聞こえた。
「町から離れた所だと真っ暗で星が綺麗なんだって。もうどこにどの星座があるかもわからないぐらいで、天の川が白く光って見えて、夢みたいだって。それで夢みたいだと思ってるうちに寝ちゃうって言ってた。……ハヤトは天の川見た事ある?」
俺は足を伸ばし、背中を伸ばし、布団から顔を出した。
「写真でしかない」
「そうだよね、やっぱり。キキョウもエンジュも人が多い町だから」
マツバはこちらに向けていた体を倒して仰向けになった。瞼を下ろす。そして深呼吸をしたようだった。布団がわずかに膨らみ、しぼむ。俺も同じように仰向けになった。明かりが眩しくて目を閉じる。
「ここからじゃ見えないけど、目をつぶると見えるような気がするよね、天の川」
マツバの真似をして、昔に本で見た天の川を思い浮かべてみた。瞼の内側、暗闇の中に白い点が一つ二つと浮かび上がる。その隣に見覚えのある星座を描いて、見覚えのない星座も思いつくままに増やしていく。ぽつぽつとインクを零すように。星空だ、と思う。だけどこれではまだ足りない。天の川というのはもっと白くて大きなものだ。
俺は白い絵の具を星座の周りに薄く塗り重ねる。行っては戻り、広げて、消して。気の向くままに塗るうちに思い浮かべた姿に近づいて、落書きがうまくいった子供のように嬉しくなる。淡い白は甘そうだと漠然と思った。そういえば、英語ではなんだかおいしそうな名前がついていたような気がする。それがなんだったのか思い出そうとしたけれど思い出せなかった。もうわかっているような気もするけれど、その答えは頭の中、妙に遠い場所に浮かび上がっているようで手が届かなかった。
答えに辿り着くのは諦めて、淡く光る星の帯を見つめる。鼻が少し冷たいけれど、体は温かくて心地よかった。いつの間にかゆりかごに揺られているように視界が揺らいでいた。星空は遠くへ近くへ。そして端からじわりと滲んで夜空に溶けていく。微かに耳鳴りのような音がした。けれどそれすらなんだか心地よい。耳鳴りの中で、消えていく星と同じように、自分が指先から地面に吸い込まれていくのを感じた。怖くはなかった。ただ、安心していた。何に安心したのかを考える前に、俺はすっかり眠ってしまった。
* * *
眠れない間どうしているのかと聞かれた時に、別に素直に言ってもよかったのにと今となっては思う。ただなんとなく、教えてしまったら恥ずかしがって、しばらくこうして寝顔を見せてくれなさそうだから咄嗟に隠してしまった。
肘をついて体を起こす。頬杖をついて彼の顔を覗いてみると、さっきまで眠れないと困り果てていたのが嘘のようにすっかり夢の中だ。ミナキ君が話していた事をふと思い出したから教えてみたけれど、どうやら効果はあったらしい。寝息を立てて眠る顔に頬が緩む。少しだけ口を開けて、吊り目気味の目を閉じて。前髪が乱れていつもは見えない右目が見えていた。橙色の光が瞼を照らす。触れたら温かそうだけれど、冷えた手で触れて起こしてしまっては申し訳ない。大人しく見つめているだけにした。時折何かを呟くように口元を動かす。可愛いなあと思っているうちにあくびが一つ。どうやら僕の眠れない夜も終わってくれるようだ。
「おやすみ」
小さく低く囁いて、僕は温かな布団の中に戻って目を閉じた。
(END)
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