白い戦場

 かすったな、というのはわかったが、足を止めなかった。痛みに苦しむのは生き延びた後だ。

 すっかり手に馴染んだライフルを敵に向けて、撃つ。銃声に耳はすっかり慣れてしまった。初めは鼓膜が破れやしないかと心配していたのに。あの日々が懐かしい。まだ戦場に出るのはずっと先だと思っていた日々。

 目の前の兵士が倒れた。胸に当たった。うまく心臓のあたりに二発。きっと彼はもう助からない。綺麗な目をしていたと思ったが、すぐに忘れる。どうせ敵だしどうでもいい事だ。

 腕の傷がだんだんと痛み始める。傷から血が流れ出ているのがわかる。腕を伝って、肘のあたりまで。

 痛い。痛い。ちくしょう。

「クソッタレ!」

 訓練所仕込みの口汚い言葉。どうしてあんなに汚い言葉を使いたがるのだろうかと最初は思っていたが、ようやくわかった気がした。こうして相手を罵ってみると、戦うのに抵抗がなくなる。相手はこんな言葉がお似合いの最低な人間だ。だったら、殺してしまってもいい。

 敵の本拠地が見えてきた。後ろに味方が何人残っているかは知らないが、ここまで来たらやるしかない。ここさえ壊せば、戦況は多少なりとも変わる。多少でも変えなくてはならない。こちらは圧倒的に不利なのだ。

 残りの体力を振り絞り、全速力で駆ける。せめて、後ろの奴らのために道を開ける事だけでもしなければならない。ここから見える四、五人。それさえ何とかすれば……。

 そこでふと気づく。いくらなんでも、守りが手薄すぎるのではないか? まずい、と敏感になった本能が知らせてくる。

「っ、退がれ!」

 後ろに向かって叫んだ。残った味方が一瞬戸惑った。馬鹿野郎。そんな暇があったら逃げろ!

 腹の中に響く低い音、それから空気を切り裂く高い音。はっと顔を上げる。何かが飛んでくる。これからもたらす結果からはあまりにもかけ離れた、おもちゃのような丸みを帯びた形。

 咄嗟に地面に伏せようとした。だが、わずかに間に合わなかった。爆音が聞こえるのとほぼ同時に、俺の体は吹き飛ばされた。




 気を失っていた。

 腕と頭が痛い。腕は、撃たれて。頭はぶつけるか何かしたのだろう。そうだ、敵陣の目の前で吹き飛ばされたんだった。

 よく生きていたな、と思う。……生きている? 生きているなら戦わなければ。目標の目の前にいて、しかもまだ動かせる体があるのだから。

 勢いよく身を起こした。腕と手首に激痛が走った。声にならない悲鳴を上げ、再び倒れ込む。そこは土の上ではなく、硬いベッドの上だった。どういう事だ。ここはどこだ。

 素早く周りを見回す。俺が寝ているベッドにはカーテンがついている。半分ほど閉じられたカーテンの間からシンプルな机が見えた。医務室のような場所なのだろう。

 次に自分の体を確かめてみる。今度は慎重に体を起こす。じゃら、と音がした。両手首には手錠。ベッドを囲う低い柵に繋がれている。さっき起きた時に手首が痛かったのはこれのせいか。試しに膝を曲げてみると、こちらも何かで繋がれている。

 動けないように拘束された状態。少なくとも、味方側に回収されたわけではない。ならば、逃げないと。逃げ出して戦わないと。俺はまだ動ける。生きている。あの爆発できっと仲間が死んだ。全員ではないかもしれない。だけど、爆発に近かった何人かは確実に。彼らの分まで戦わなければならない。

 渾身の力で手錠を引く。ベッドの柵が音を立てる。手錠が外れなくても、柵を外してしまいさえすれば逃げられる。何度も何度も引いているうちに手首が赤くなり、腕の傷が痛んでまた血が流れるのを感じたが、止めるつもりはない。

 音を聞きつけたのだろう。鍵を開ける音が聞こえた。まずい。扉が開く前に自由にならないと。開いた扉から逃げ出さなければ。

 俺の努力は報われなかった。扉が開き、金髪の男が部屋に入ってきた。

「起きたばかりなのに、ずいぶん元気だね」

 軍人らしからぬ、おっとりとした口調。それでますます腹が立った。今まで以上の力で手錠を引く。彼は眉間に皺を寄せた。

「やめなよ、それを外そうったって無理だよ」

「うるさい」

 うるさい。お前みたいな奴にはできないだろうが、俺たちは少しでも気を抜いたら死ぬような訓練を受けたんだ。絶対に何とかしてやる。

「マツバ、どうした」

 もう一人、薄茶色の髪の男が部屋に入ってきた。彼は俺を見るなり叫んだ。

「何故もっと自分の体を大事にしないんだ!」

 絶対に止めるまいと思っていた腕があっさり止まるのを感じた。あまりにも予想外の言葉だった。お前たちからしたら俺は敵だろう? 敵の体をいたわってどうする。

「さすがミナキ君」

 声が耳元で聞こえた。次の瞬間には肩を押され、のしかかられて動きを封じられる。

「どけ!」

「やだ」

 太いベルトが肩の辺りを横切り、ベッドに縫い付けられる。完全に動きが取れなくなった。

「はい、これでもう暴れられないはずだよ」

「助かる、マツバ」

 薄茶色の髪の方がそう言い、ベッドの隣まで歩いてくる。俺の腕に巻かれていた包帯を解き、顔を顰めた。

「せっかく治り始めてたのに、また傷が開いているんだぜ。痛かっただろうに」

 血を拭い、傷に消毒液を吹きかける。正直ものすごく痛かったが、唇を噛んでこらえる。声など上げるものか。

「マツバ、新しい包帯を頼む」

 そう言うと傷にガーゼを当て、テープで固定する。それから手首を見る。

「全く無茶するんだぜ。どいつもこいつも」

 ぶつぶつと愚痴のようなものを言いながら手首に絆創膏を貼る。せめてもの抵抗に爪でも立ててやろうかと思ったが、それを予想してかしっかりした革の手袋をしているから、きっと爪跡一つ残せないのだろう。

「包帯持って来たよ」

「ありがとう」

 包帯を受け取ると手早く腕に巻いていく。固定し、一つうなずくと彼は傷のあたりを軽く叩いた。

「よし。もう暴れるんじゃないぜ」

 マツバ、後は頼むぞ。そう言い残して彼は部屋を出ていった。

「さて」

 金髪はベッドから少し離れたパイプ椅子に座り、俺を見た。

「まずは自己紹介だね。僕はマツバ。階級……は、いいか。あんまり覚えてないし。とりあえず偉くはないよ。あまりにも戦場で役に立たなさそうなので医療チーム手伝いに回されました、と。さっきの彼が君担当のお医者さん、ミナキ君。僕の古い友人だ」

 君の名前は? と彼が聞く。答えるはずがないだろう。俺は黙って彼をにらみつけた。

「……だよね。まあいいけど。とりあえず今の状況を説明しておくね。ここは君たちの敵側の基地。君たちが襲おうとした建物の中だよ」

 今度君たちの襲撃が成功したら死んじゃうね、と彼は穏やかに笑いながら言った。ふん、と鼻で笑ってやる。人質のつもりかもしれないが、残念ながら俺なんて役に立たないぞ。成功の見込みがあると思えば、ここに捕らえられている味方なんて無視だ。そうするように教えられたし、そうされる覚悟はできている。

「ちなみに君は取り調べが可能な状態と判断されたからここにいます。君と一緒に行動していた人のうちの大半は」

 その言葉にかっと頭に血が上る。

「お前たちが殺したんだろう?」

 怒りで声が震えているのに気づいて、さらに憎しみが湧いてきた。こいつらが殺した。俺たちの仲間を何人も。

「……全員ではないけどね。半分ぐらいは病院に運ばれたよ。基地で治療はできないから」

「そのうちの何人が死ぬか。お前たちのせいだ」

 お前たちのせいだ、と繰り返す。この言葉で全員呪い殺せればいいのに。

 金髪がすっと立ち上がり、こちらへ歩いてきた。俺の顔の横に思い切り足を振り下ろして、低い声で言う。

「自分の事棚に上げてぎゃあぎゃあ騒ぐなよ。クソガキ」

 最初とはあまりにも印象が違う。ただの優男だと思っていたけれど、こいつも一応戦う人間か。

「自分の事を棚に上げて? その言葉そのまま返してやるよ」

 お互いに、直接的であれ間接的であれ誰かを殺した。どちらも人殺し。人殺し同士で相手のやった事を責め合ってもどうしようもない。そうわかっていても怒りは収まらない。こうなったら徹底的に殴ってやる。俺はお前が気に食わない。お前も俺が気に入らないなら、殴り返してくればいい。

「なんだよ、いきなりキレやがって。好きな男でも殺されたのか?」

「僕は男だよ。そんな事もわからないの? 使い物にならないならその目、潰してあげようか?」

「やれるもんならやってみやがれ。その代わりにそのお綺麗な顔をぐちゃぐちゃにしてやる」

 口汚い言葉の応酬。訓練所時代の喧嘩もこんな風だった。いつの間にかこんな喧嘩をする余裕もなくなっていたが。そう、こいつらのせいで。

 それにしても本当に腹が立つ。俺はろくに体を動かせないままでいるのだから暴力で黙らせればいい。こいつがそうしてきたら、俺は自由になった後本気で殺しにいってやるのに。本気で殺しにいけるのに。

「そんな細い腕で? 髪も長いし何から何まで女みたいだよね君。ちゃんとついてるの?」

「お前には言われたくねえよ。お前こそどっかに落としてきたんじゃねえの?」

 こいつの首を掻き切る事を考える。噴き出す血の色だって想像できる。なのに、残念ながら当然視線だけで殺す事はできないわけで。彼は緩く首を横に振る。呆れているような仕草。

「……うん、まあ、気の強い子も嫌いじゃないし、いいかな」

 何かを言っているのは口の動きでわかったが、声は聞こえなかった。彼の足がベッドの上から降ろされる。それに少しだけほっとしたのが悔しかった。

「残念ながらどこにも落としてきてないんだよね」

 笑みを含んだ声でそう告げると、足を振り上げる。今度こそ蹴られるかと思って体にぐっと力を入れたが、その足は俺の腹の上を超えてシーツの上に着地する。

 よいしょ、と気の抜けた声を上げながら彼は身を屈める。そして俺の腿の上に座ると楽しそうに目を細めた。

「教えてあげるよ、お嬢様」

 彼の手が俺の首筋をなぞる。背中がすっと冷えていく。この男に殺されるのだ、と思った。全てを奪われる。めちゃくちゃにされる。怒りと屈辱で目眩がした。殺してやりたい。殺してやりたい。背に走る氷のような感覚とは反対に、触れられた部分が熱くなっていく。

 馬鹿にするかのように口元に口づけられる。咄嗟に首を動かし、その唇に噛みついた。唇の端に血が滲む。それを拭って彼は笑った。

「最低なセックスだよね、本当」

(END)
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