虹色マカロン
玄関の開く音を聞きつけて降りてきたハヤト君にこたつの中から挨拶をし、落ち着いた色の紙袋を渡す。ありがとうございます、と答えて私の向かいに座り、袋の中に軽く目を遣った彼は首を傾げた。
「なんですか、この丸いの」
「マカロンだよ。コガネで見かけたから、たまには変わったものもいいかと思って」
「マカロン……」
わずかに眉を寄せ、彼は更に深く首を傾げる。マツバの家ではせんべいや饅頭が出てくる事が多い。おそらく彼の家でもそうなのだろう。さすがにケーキは食べた事があるだろうけれど、マカロンは初めてかもしれない。
「食べてみるかい?」
「えっ、いいんですか?」
「もちろん」
彼の手から袋を取り上げ、細長い小箱を取り出す。何色がいいかと問い掛けると、彼はバニラのものを指さす。箱を開け、淡いクリーム色のそれをつまみあげる。可愛らしい見た目だけれど、クリームの詰まったマカロンは意外と重い。手のひらに乗せてやると、彼はマカロンの乗った手を目の高さまで上げて、角度を変えては眺めていた。
「いただきます」
恐る恐る一口齧る。最初こそ不思議そうな顔をしていたけれど、徐々に表情は和らいでいく。どうやら気に入ってくれたらしい。
「変わった味ですね……でもおいしいです、甘くて」
「それはよかった」
自分も一口食べようと、水色のマカロンを手に取る。なめらかな表面を割り、しっとりとした生地を齧る。バタークリームの中には塩の粒。そのせいで微かに酸味があるけれど、甘い。
「何味なんですか、ミナキさんのは」
「塩バター、といった所かな」
「塩バターってそんな色になるんですか……」
南国の海のように鮮やかな青。確かに普段見ている食べ物とはかけ離れた色をしている。不安になるのも無理はないだろう。
「見た目の美しさというのも考えて色がつけられているんだろうな。こうやって箱に入っていると宝石みたいだろう?」
「そうですね、本当にお菓子なのかって疑ってました」
すごいな、と彼は小箱の中を眺める。口に合わなくて迷惑になったらどうしようかと少し不安でもあったが、喜んでもらえたようで何よりだ。
「そういえばマツバはジムなのかい?」
「さっき二階に上がってみたら、毛布かぶって昼寝してました」
「しょうがないやつだなあ、せっかくハヤト君が来ているのに」
「本当ですよ。困っちゃいますよね」
そう言いながらも彼は笑っていた。呆れたようにでも、苦笑いでもなく。
自分を放っておく事。放っておいてくれる事。それは自分といる事が相手に自然だという事。家族みたいに。……傍に行ってもマツバが目を覚まさなかったという事からもそれがわかる。
「腹が立ったから、周りに洗濯物敷き詰めてやりました。自分で畳めって」
「それは、起きたら驚くだろうなあ」
そう言ったそばから、ばたばたと階段を下りる足音が聞こえてきた。扉が開いて、目を丸くしたマツバが部屋に入ってくる。
「洗濯物敷き詰めたのハヤトだね? 起きてびっくりしたよ!」
「あー、ごめん」
ハヤト君は全く気持ちの籠っていない声でそう言い、あくびを一つ。
「もう、そりゃあ寝てた僕も悪いけど、遠慮しないで起こしてくれればよかったのに……あ、ミナキ君、来てたんだ」
「お邪魔してるぜ」
やっと気付いたか、と思いながら片手を上げて見せる。おかえり、と何気ない口調で言って、マツバはハヤト君の隣に座る。すっと横にずれてマツバの座る場所を作る仕草が奥さんみたいだと思ったけれど言葉にはしない。
「この丸いの何?」
マツバはハヤト君と同じようにマカロンの入った小箱を指さす。どうやら彼も初めて見るらしい。
「マカロンだ。マツバはどれがいい?」
「うーんと、この茶色いの」
ショコラのマカロンをつまみ上げ、いろいろと角度を変えて眺める。どこかで見た仕草だと思い、そういえばさっき見たばかりだと思い出す。二人が一緒に過ごしてきた時間がどれぐらいか私は知らないけれど、こうして似てきてしまうほどではあるらしい。
「いただきます」
さすがにチョコレートはそれなりに馴染んだ味らしい。おいしい、と思わずといった様子で呟いた。
「他のがすごい色してるからちょっと疑っちゃったけど、変わった感じだけどおいしいね」
「それならよかった。食べてもらえなかったらどうしようかと思ってたんだぜ」
「ミナキ君はこういうの選ぶの上手だよね。僕だったら絶対に普通のお菓子にしちゃうなあ」
お茶淹れるね、とマツバは立ち上がる。床を鳴らしながら台所へと歩いていく背中が、以前よりも少し丸みを帯びたような。
「本当に変わったお菓子ですね」
その声に視線をマツバの背中からハヤト君に移す。どうやらまだマカロンの箱を覗いていたらしい。箱の中からは白が消え、黒が消え、鮮やかな色だけが残っている。
「これはフランボワーズ、シトロン、それから柚子と」
一つ一つ指さして説明をする。小箱を見つめながら聞いていたハヤト君がぱっと顔を上げる。
「えっ、柚子もあるんですか?」
「ああ。抹茶なんかもあるらしい」
「そんなに種類があるんですね。すごいなあ」
「また今度買ってくるよ。私も興味があるからね」
「ありがとうございます。……あ、でも」
何かを思い出したらしい。困ったように眉を寄せ、ハヤト君は声をひそめた。
「最近、マツバが太ってきて」
「太った?」
「はい。もちろんジムで仕事はしてますけど、休みの日にはどこかに連れ出さないとずっとごろごろしているから」
「ふむ、ハヤト君の作ったご飯を食べて、のんびり眠って、という事か」
「……ええ、まあ、そんな感じです」
ハヤト君は照れくさそうに視線を泳がせた。落ち着かない様子でこたつ布団を握り締める。寒くて竦めているかのように肩が上がっていた。
「どうしたの?」
お盆の上に湯呑みを三つ乗せたマツバが姿を現す。湯呑みを置いてさっきのようにハヤト君の隣に腰を下ろすと、お茶を啜りながら疑うような目で私を見た。
「ミナキ君がいじめたんじゃないよね、まさか」
「それは誤解なんだぜ。……マツバが太ったという話をしていただけで」
「しっ……! 失礼だよミナキ君!」
湯呑みを勢いよく机に置く。緑茶が波打って机の上にこぼれる。私は足を伸ばしてマツバの腹を爪先でつついた。
「ふむ、やわらかいんだぜ」
マツバが文句を言おうと口を開く前に、ハヤト君がマツバの脇腹を掴む。
「これはひどいですね」
「なんでハヤトも乗ってるの!」
「事実だからな」
ね、と首を傾げて見せる。それに応えてハヤト君はうなずく。
「そりゃあ、前よりはちょっと丸くなったかもしれないけど……」
二人がかりでいじめなくてもいいのに。そうぼやきながら、マツバは二つ目のマカロンに手を伸ばす。オレンジ色をつまみ上げようとした手をハヤト君が掴み、止める。マツバはそれを振り切ろうとする。じゃれあうような攻防戦。それを見ながら深いピンクのマカロンを手に取る。それはハートの形をしていて、洒落た事をするな、とぼんやり考える。
やめてよ。やだよ。そんなやりとりを繰り返す二人の頭上に来るように、目の前にハート型のマカロンをかざしてみる。からかうハヤト君をたしなめながらもマツバの目は笑っていた。満たされるとはこういう事。
(END)
「なんですか、この丸いの」
「マカロンだよ。コガネで見かけたから、たまには変わったものもいいかと思って」
「マカロン……」
わずかに眉を寄せ、彼は更に深く首を傾げる。マツバの家ではせんべいや饅頭が出てくる事が多い。おそらく彼の家でもそうなのだろう。さすがにケーキは食べた事があるだろうけれど、マカロンは初めてかもしれない。
「食べてみるかい?」
「えっ、いいんですか?」
「もちろん」
彼の手から袋を取り上げ、細長い小箱を取り出す。何色がいいかと問い掛けると、彼はバニラのものを指さす。箱を開け、淡いクリーム色のそれをつまみあげる。可愛らしい見た目だけれど、クリームの詰まったマカロンは意外と重い。手のひらに乗せてやると、彼はマカロンの乗った手を目の高さまで上げて、角度を変えては眺めていた。
「いただきます」
恐る恐る一口齧る。最初こそ不思議そうな顔をしていたけれど、徐々に表情は和らいでいく。どうやら気に入ってくれたらしい。
「変わった味ですね……でもおいしいです、甘くて」
「それはよかった」
自分も一口食べようと、水色のマカロンを手に取る。なめらかな表面を割り、しっとりとした生地を齧る。バタークリームの中には塩の粒。そのせいで微かに酸味があるけれど、甘い。
「何味なんですか、ミナキさんのは」
「塩バター、といった所かな」
「塩バターってそんな色になるんですか……」
南国の海のように鮮やかな青。確かに普段見ている食べ物とはかけ離れた色をしている。不安になるのも無理はないだろう。
「見た目の美しさというのも考えて色がつけられているんだろうな。こうやって箱に入っていると宝石みたいだろう?」
「そうですね、本当にお菓子なのかって疑ってました」
すごいな、と彼は小箱の中を眺める。口に合わなくて迷惑になったらどうしようかと少し不安でもあったが、喜んでもらえたようで何よりだ。
「そういえばマツバはジムなのかい?」
「さっき二階に上がってみたら、毛布かぶって昼寝してました」
「しょうがないやつだなあ、せっかくハヤト君が来ているのに」
「本当ですよ。困っちゃいますよね」
そう言いながらも彼は笑っていた。呆れたようにでも、苦笑いでもなく。
自分を放っておく事。放っておいてくれる事。それは自分といる事が相手に自然だという事。家族みたいに。……傍に行ってもマツバが目を覚まさなかったという事からもそれがわかる。
「腹が立ったから、周りに洗濯物敷き詰めてやりました。自分で畳めって」
「それは、起きたら驚くだろうなあ」
そう言ったそばから、ばたばたと階段を下りる足音が聞こえてきた。扉が開いて、目を丸くしたマツバが部屋に入ってくる。
「洗濯物敷き詰めたのハヤトだね? 起きてびっくりしたよ!」
「あー、ごめん」
ハヤト君は全く気持ちの籠っていない声でそう言い、あくびを一つ。
「もう、そりゃあ寝てた僕も悪いけど、遠慮しないで起こしてくれればよかったのに……あ、ミナキ君、来てたんだ」
「お邪魔してるぜ」
やっと気付いたか、と思いながら片手を上げて見せる。おかえり、と何気ない口調で言って、マツバはハヤト君の隣に座る。すっと横にずれてマツバの座る場所を作る仕草が奥さんみたいだと思ったけれど言葉にはしない。
「この丸いの何?」
マツバはハヤト君と同じようにマカロンの入った小箱を指さす。どうやら彼も初めて見るらしい。
「マカロンだ。マツバはどれがいい?」
「うーんと、この茶色いの」
ショコラのマカロンをつまみ上げ、いろいろと角度を変えて眺める。どこかで見た仕草だと思い、そういえばさっき見たばかりだと思い出す。二人が一緒に過ごしてきた時間がどれぐらいか私は知らないけれど、こうして似てきてしまうほどではあるらしい。
「いただきます」
さすがにチョコレートはそれなりに馴染んだ味らしい。おいしい、と思わずといった様子で呟いた。
「他のがすごい色してるからちょっと疑っちゃったけど、変わった感じだけどおいしいね」
「それならよかった。食べてもらえなかったらどうしようかと思ってたんだぜ」
「ミナキ君はこういうの選ぶの上手だよね。僕だったら絶対に普通のお菓子にしちゃうなあ」
お茶淹れるね、とマツバは立ち上がる。床を鳴らしながら台所へと歩いていく背中が、以前よりも少し丸みを帯びたような。
「本当に変わったお菓子ですね」
その声に視線をマツバの背中からハヤト君に移す。どうやらまだマカロンの箱を覗いていたらしい。箱の中からは白が消え、黒が消え、鮮やかな色だけが残っている。
「これはフランボワーズ、シトロン、それから柚子と」
一つ一つ指さして説明をする。小箱を見つめながら聞いていたハヤト君がぱっと顔を上げる。
「えっ、柚子もあるんですか?」
「ああ。抹茶なんかもあるらしい」
「そんなに種類があるんですね。すごいなあ」
「また今度買ってくるよ。私も興味があるからね」
「ありがとうございます。……あ、でも」
何かを思い出したらしい。困ったように眉を寄せ、ハヤト君は声をひそめた。
「最近、マツバが太ってきて」
「太った?」
「はい。もちろんジムで仕事はしてますけど、休みの日にはどこかに連れ出さないとずっとごろごろしているから」
「ふむ、ハヤト君の作ったご飯を食べて、のんびり眠って、という事か」
「……ええ、まあ、そんな感じです」
ハヤト君は照れくさそうに視線を泳がせた。落ち着かない様子でこたつ布団を握り締める。寒くて竦めているかのように肩が上がっていた。
「どうしたの?」
お盆の上に湯呑みを三つ乗せたマツバが姿を現す。湯呑みを置いてさっきのようにハヤト君の隣に腰を下ろすと、お茶を啜りながら疑うような目で私を見た。
「ミナキ君がいじめたんじゃないよね、まさか」
「それは誤解なんだぜ。……マツバが太ったという話をしていただけで」
「しっ……! 失礼だよミナキ君!」
湯呑みを勢いよく机に置く。緑茶が波打って机の上にこぼれる。私は足を伸ばしてマツバの腹を爪先でつついた。
「ふむ、やわらかいんだぜ」
マツバが文句を言おうと口を開く前に、ハヤト君がマツバの脇腹を掴む。
「これはひどいですね」
「なんでハヤトも乗ってるの!」
「事実だからな」
ね、と首を傾げて見せる。それに応えてハヤト君はうなずく。
「そりゃあ、前よりはちょっと丸くなったかもしれないけど……」
二人がかりでいじめなくてもいいのに。そうぼやきながら、マツバは二つ目のマカロンに手を伸ばす。オレンジ色をつまみ上げようとした手をハヤト君が掴み、止める。マツバはそれを振り切ろうとする。じゃれあうような攻防戦。それを見ながら深いピンクのマカロンを手に取る。それはハートの形をしていて、洒落た事をするな、とぼんやり考える。
やめてよ。やだよ。そんなやりとりを繰り返す二人の頭上に来るように、目の前にハート型のマカロンをかざしてみる。からかうハヤト君をたしなめながらもマツバの目は笑っていた。満たされるとはこういう事。
(END)
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