メランコリー

 顔を作り上げるパーツの中から好きなものを一つ選べと言われたら、俺なら唇を選ぶ。目の前で寝息を立てているマツバを見ながらそう気付いた。余程疲れていたようで、俺が来た時には既にこうして眠っていた。風邪を引くから、と布団を掛けても目を覚まさず、今に至る。
 すっかり退屈した俺は彼の横に腹這いで寝転がっている。頬杖をついて、たまに足をぱたぱたとさせながら。……足が畳を叩く音にも、マツバは目を覚まさない。

「起きろよ。つまんないだろ」

 そう呟いても反応はない。寝息の音に合わせて、胸の辺りが上下するだけ。
 俺は頬杖をつくのをやめると、手をマツバの顔に伸ばす。白い肌の中に浮かび上がる薄紅色。唇は少しかさついていた。
 そういえば、と外を見ると木々の葉は色付き始めていた。もうすっかり秋だ。空気も乾燥し始める頃。かさつくのも当然かもしれない。自分の唇にも触れてみれば、同じように乾いている。
 マツバの下唇をつまんで引っ張ってみる。唇の内側の、普段は見えない場所が見える。こちらは潤っていて、それから外側よりも鮮やかな赤をしていた。
 どこまで伸びるか試してみよう、なんていう考えが頭をよぎる。更に引っ張ってみる。

「……うわ」

 いくら整った顔でもこれはさすがに厳しいらしい。不細工、と零して手を離す。伸ばされた輪ゴムのように勢いよく、唇が元の位置に戻る。それでも彼は身じろぎ一つしない。
 起きる気配が全くない。今日はもう起きないかも、という考えまで浮かんできて、俺は溜め息をつく。もう帰ってしまおうか。寒くなってきたし、マツバの寝顔を見ているのも飽きてきたし。……一人でこうしているのも寂しいだけだし。家に帰ればポッポたちがいるから、このまま眠ったままのマツバと二人でいるよりも温かいだろう。マツバは一人で寂しいだろうけど、ずっと寝てる方が悪い。

「せっかく来たのに」

 最後に思い切り鼻をつまんでやって、体を起こそうとした。
 その瞬間、視界が薄暗くなった。顔に触れる布の感触。今までいた所よりも少し温かい空気。マツバの体温。布団を被せられたらしい。布団の端を掴み、顔を出す。目の前には相変わらず目を閉じたままのマツバの顔。

「……いつから?」

 マツバは答えない。代わりに俺の顔にぺたぺたと触れる。口を探し当てると、下唇を引っ張り、そして離す。さっきの俺と同じように。

「起きてるんなら言ってくれよ」

 じんわりとした痛みに口元を押さえながら言うと、彼はうっすらと目を開けた。眠い、と曖昧に呟くとまた目を閉じる。

「そんなに疲れてたのか?」

 微かにうなずく。一応起きてはいたけれど、目を開ける気力はなかったという事だろうか。

「俺、もう帰るから。寝るならちゃんと布団敷いて寝ないと風邪引くよ」

 マツバはうとうとと時折頭を揺らす。自分で布団を敷くのは無理そうだ、と判断した俺は、代わりに布団を敷いてやろうと起き上がる。起き上がろうとした。腰に手を回されて、その動作は遮られてしまったけれど。

「マツバ?」

 腰に回った手に力が籠もる。離さない、と訴えている。

「布団敷くだけだよ。また明日来るから、今日はもう休みなよ」

 彼が何かを言ったのが聞こえた。口元に耳を近づけると、彼は同じ言葉を繰り返した。明日、と言ったようだ。

「明日? うん、また明日」

 彼は俺の服を掴み、首を横に振る。違ったのか、とまた同じ事をする。僕たち、と聞こえた。相槌を打つ。それから聞こえた言葉と今までに聞こえた言葉を繋ぎ合わせて理解する。マツバの頭を撫でてやった。
 明日、僕たち、どうなってるかな。
 根拠のない不安だとわかっている。多分、マツバも。どうにかなる予定なんかないし、どうにかなるかもしれない予定もない。明日もいつも通りの日々が待っているだけ。もちろん確実にそうなるとは言い切れないけれど、ほとんどの場合はそうなる。
 だけど、わかっていても笑い飛ばせない程度には俺も秋に飲み込まれていた。日ごとに世界の色と空気が変わっていく季節。時折何かに胸が締め付けられる季節。
 要するに、いわゆるメランコリーという奴だ。なんだか寂しくて、不安なのだ。

「……やっぱり帰るのやめるよ。泊まっていく」

 寂しい、は一人の特権。それを放棄するには二人でいればいいだけの話。
 腰に回されていた手から力が抜ける。しばらく頭を撫でていると寝息の音が聞こえてきた。それを確認してから、俺はマツバの隣に布団を一枚敷いた。その布団の上になんとか彼を乗せ、隣に潜り込む。掛け布団は二枚。温かい。
 彼の手を探し当てて握る。二人。そう頭の中で繰り返す。あくびを一つする。俺も少し疲れていたようだ。
 幸せ、という言葉が温もりと眠気でふわふわとする頭の中に浮かんできた。二人は幸せ。二人は幸せ。

(END)
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