魔法少年
可愛げのない着ぐるみだなあ、とは思っていた。丸い体に鋭い歯。このデザインはどうなのだろう、と思ったが、周りを歩く人たちが全く気にしていない辺り、案外普通なのかもしれない。
隣を歩くハヤトを見た。彼は強張った表情で、着ぐるみを見ていた。
「……やっぱりあのデザインはどうかと思うよねえ」
聞こえたら失礼だと思い、着ぐるみの中の人には聞こえないように耳打ちをする。途端に彼は足を止めた。
「マツ、バ」
僕を見る目は大きく見開かれていて、唇も震えていた。驚きの表情。でも、一体何に?
「あれが、見えるのか」
震える声で彼は言う。
「あれって、あの可愛げのない着ぐるみの事?」
「丸くて、歯の生えた」
「そう、それ」
答えた瞬間に手を引かれる。危うく転びかけたがなんとか体勢を立て直し、わけもわからないまま走る。
「ハヤト、何」
「いいから走れ!」
叱責にも近い鋭い声。僕の手首を掴む力を強めて、彼は走る速度を上げる。休日の街はにぎやかだ。のんびりと歩く人の間を縫って僕達は走る。僕達だけは走る。走って、走って、背の高いビルに挟まれた薄暗い路地裏に辿り着く。
彼は突然足を止める。そして僕を庇うように、目の前に立った。彼の肩の向こうに、こちらをじっと見つめる着ぐるみがいた。あれには目などないのに。だけど、確かに僕を見ている。肌が粟立つのがわかった。何かが、おかしい。
「……マツバにも見えるんだな」
「普通は、見えないものなの?」
「うん。でも、見えるなら」
戦うよ、と聞こえた。
「マツバ」
「何?」
「これからマツバが見るものは、全部夢だから」
彼の手首に不思議な形をした模様が浮かび上がる。その模様が青く光ると同時に指先が、腕が、同じ色の光を発する。やがてその光は全身を包み込んだ。眩しさに目を閉じ、数瞬の後に開く。そこにいたのは、あまりにも見慣れない姿をした彼。
細かい模様が彫り込まれた鎧のようなものが肩に乗っていて、そこから薄いグレーのマントが下がっていた。膝より下は鎧と同じ模様が刻まれた頑丈そうなブーツ。膝より上は、動きやすそうな黒のズボンと揃いの色をしたシャツ。どれもこれもいつもの彼とはかけ離れた格好だった。
「見えるって事は、それがマツバの意思だから」
何もない空間に長槍が浮かび上がる。当然のようにそれを手に取り、一振り。着ぐるみは二つに裂け、地面に崩れ落ちる。
「お前達に食べさせるわけにはいかないよ」
二つに裂けた着ぐるみがむくりと起き上がる。着ぐるみの断面から黒い光が流れ出す。どろりと流れ出したその光は、あっという間に僕らに迫る。彼は半歩下がり、その光に槍を突き刺す。青い光に黒の光が飲み込まれる。彼が息をついた瞬間だった。
「うわぁっ!」
黒の光が一瞬で青い光を消し去る。槍を駆け上り、槍を握る手を包む。彼は弾かれたように槍から手を離す。槍は黒い光に飲み込まれ、消えた。
「っ、ハヤト、手」
「……平気」
彼の手から零れるものは、青でも黒でもなく、赤。血の色だった。
「本当の血ではないから」
そうは言うものの、痛みは感じているようだった。赤く染まった右手は小刻みに震えていて、声にも苦痛が滲んでいた。
大丈夫、と呟き、彼は空中に手を伸ばす。その手の中にまた槍が現れる。その槍を黒い光の中に突き刺した。黒が青に侵食される。だけど、さっきと同じ結果になるだけなのだろう。同じ事が起こる前に彼を光から離そうと、僕は一歩踏み出した。
「それ以上こっちに来るな。俺だって、そんなに馬鹿じゃないよ」
こちらを見さえせず、彼は言う。槍を突き刺したまま手を放し、今度は両手に槍を……呼び出す、とでもいうような感じだろうか。両手の槍を着ぐるみの本体に向かって投げる。頭の辺りに槍が刺さる。着ぐるみが後ろに転がる。途端に青の光が勢いを増し、黒の光を消していく。ハヤトは地面を蹴り、一気に本体に迫った。
「終わり」
再び両手に呼び出した槍を口の中に突き刺す。着ぐるみは槍の柄に歯を突き立て、体を左右に激しく振る。抵抗しているのだろう。だがその抵抗も徐々に弱まり、やがて完全に動きを止めた。同時に着ぐるみの体が溶け出した。黒い液体になって、地面に吸い込まれていく。
……今更、体が震え出した。僕は今まで何を見ていた? 夢ではない。だけど夢でないのならば、あれは一体、何だった。
混乱したままぼんやりと彼の背中を見つめる。マントが消え、ブーツが消え、いつもの彼の格好に戻る。そして地面に崩れ落ちる姿が映った。その映像の意味を認識するまでには、随分と時間が掛かってしまった。
「ハヤト」
ハヤトが倒れたのだ、と気付く。混乱した頭の中が一気に静まる。彼に駆け寄り、抱き起こす。きつく目を閉じ、耳を塞ぎ、震えていた。
「ハヤト、どうしたの」
「……いつもの、事だよ。平気。しばらくじっとしていれば」
「平気そうには見えない。もしかして、さっきの怪我……」
耳を塞ぐ右手を見る。傷一つないし、血の一滴だってついていなかった。
「……あの姿でいる時の、怪我は、怪我じゃないんだ」
浅い呼吸を繰り返しながら、震える声で彼は言う。
「怪我ではないけど、全部終わった後に、心にくるんだ」
「心?」
「怖いんだよ。何が怖いのかは全然わからないけど、怪我をした分怖くなるんだ。それだけで死んでしまいそうなぐらいに」
その言葉が本当ならば、今彼を苦しめているのは恐怖という感情という事だろうか。抱く腕を強めると、彼は耳を塞いだ手を放し、僕の服の胸辺りをぎゅっと掴み、縋りつくような格好になる。
「……怖い」
「うん」
「怖いよ、マツバ」
僕は黙って彼の頭を撫でてやる。これで少しでも変われば、いいのだけれど。
聞きたい事はいくらでもあった。あの生き物は何? とか、僕に見えたのは何故? とか。だけど今は聞くべきではないのだろう。
「……マント、似合わないね」
服を掴む手が少し緩んだのがわかった。
「そんな事考えてたのか」
「うん。マントさえなければまだよかったと思う」
「俺に言うなよ。……わけもわからないまま変身してみたら、あの格好だった」
震えは少し収まったようだ。他の事に注意を逸らしてやればいいんじゃないかと思って試してみて、正解だったようだ。
「魔法使いみたいだった」
「魔法、なのかな、あれ」
「そうなんじゃない? 何もない所から槍が出てくるとか、魔法以外じゃありえないよ」
魔法少年、と言ってやると、妙な言い方しないでくれ、と苦笑交じりに答えられた。
「子供が見るアニメみたいにキラキラはしていないよ」
「でも、かっこよかったよ。ヒーローみたいだった」
そう言うと、彼は黙ってしまった。その沈黙が不安になって、髪を撫でる。するとそれに応えるように、額が擦り付けられた。
「……もう大丈夫。帰ろうか」
微かにそんな声が聞こえた。うん、と答えて、立ち上がる。彼は服に付いた汚れを手で払うと僕を見る。凛とした目が僕を見据える。
「マツバの夢、絶対に守るから」
その言葉で、彼の言葉の一つ一つが繋がっていく。彼がどうして、何のために戦っていたのか。
こんなもののために、と思う心を押し殺す。
「それ、プロポーズ?」
茶化してそう言うと、彼は顔を真っ赤にして怒る。違う、という怒鳴り声が路地裏に響いた。
僕は彼の手を取った。指を絡めると、戸惑った表情を向けられる。
「プロポーズでも僕は構わないよ」
「だから、そんなんじゃ」
「……守る、なんて気負わなくても、いいよ」
絡めた指に力を込める。
「……気負わせてよ」
彼の指の力も強くなる。
「気負った方が、頑張れるんだ」
思わず指を放し、手首を握る。あの模様が浮かび上がった場所を握る。
どうか、この力が、頑張り屋のハヤトを食い潰してしまいませんように。僕にできる事など、そう祈る事ぐらい。
(END)
隣を歩くハヤトを見た。彼は強張った表情で、着ぐるみを見ていた。
「……やっぱりあのデザインはどうかと思うよねえ」
聞こえたら失礼だと思い、着ぐるみの中の人には聞こえないように耳打ちをする。途端に彼は足を止めた。
「マツ、バ」
僕を見る目は大きく見開かれていて、唇も震えていた。驚きの表情。でも、一体何に?
「あれが、見えるのか」
震える声で彼は言う。
「あれって、あの可愛げのない着ぐるみの事?」
「丸くて、歯の生えた」
「そう、それ」
答えた瞬間に手を引かれる。危うく転びかけたがなんとか体勢を立て直し、わけもわからないまま走る。
「ハヤト、何」
「いいから走れ!」
叱責にも近い鋭い声。僕の手首を掴む力を強めて、彼は走る速度を上げる。休日の街はにぎやかだ。のんびりと歩く人の間を縫って僕達は走る。僕達だけは走る。走って、走って、背の高いビルに挟まれた薄暗い路地裏に辿り着く。
彼は突然足を止める。そして僕を庇うように、目の前に立った。彼の肩の向こうに、こちらをじっと見つめる着ぐるみがいた。あれには目などないのに。だけど、確かに僕を見ている。肌が粟立つのがわかった。何かが、おかしい。
「……マツバにも見えるんだな」
「普通は、見えないものなの?」
「うん。でも、見えるなら」
戦うよ、と聞こえた。
「マツバ」
「何?」
「これからマツバが見るものは、全部夢だから」
彼の手首に不思議な形をした模様が浮かび上がる。その模様が青く光ると同時に指先が、腕が、同じ色の光を発する。やがてその光は全身を包み込んだ。眩しさに目を閉じ、数瞬の後に開く。そこにいたのは、あまりにも見慣れない姿をした彼。
細かい模様が彫り込まれた鎧のようなものが肩に乗っていて、そこから薄いグレーのマントが下がっていた。膝より下は鎧と同じ模様が刻まれた頑丈そうなブーツ。膝より上は、動きやすそうな黒のズボンと揃いの色をしたシャツ。どれもこれもいつもの彼とはかけ離れた格好だった。
「見えるって事は、それがマツバの意思だから」
何もない空間に長槍が浮かび上がる。当然のようにそれを手に取り、一振り。着ぐるみは二つに裂け、地面に崩れ落ちる。
「お前達に食べさせるわけにはいかないよ」
二つに裂けた着ぐるみがむくりと起き上がる。着ぐるみの断面から黒い光が流れ出す。どろりと流れ出したその光は、あっという間に僕らに迫る。彼は半歩下がり、その光に槍を突き刺す。青い光に黒の光が飲み込まれる。彼が息をついた瞬間だった。
「うわぁっ!」
黒の光が一瞬で青い光を消し去る。槍を駆け上り、槍を握る手を包む。彼は弾かれたように槍から手を離す。槍は黒い光に飲み込まれ、消えた。
「っ、ハヤト、手」
「……平気」
彼の手から零れるものは、青でも黒でもなく、赤。血の色だった。
「本当の血ではないから」
そうは言うものの、痛みは感じているようだった。赤く染まった右手は小刻みに震えていて、声にも苦痛が滲んでいた。
大丈夫、と呟き、彼は空中に手を伸ばす。その手の中にまた槍が現れる。その槍を黒い光の中に突き刺した。黒が青に侵食される。だけど、さっきと同じ結果になるだけなのだろう。同じ事が起こる前に彼を光から離そうと、僕は一歩踏み出した。
「それ以上こっちに来るな。俺だって、そんなに馬鹿じゃないよ」
こちらを見さえせず、彼は言う。槍を突き刺したまま手を放し、今度は両手に槍を……呼び出す、とでもいうような感じだろうか。両手の槍を着ぐるみの本体に向かって投げる。頭の辺りに槍が刺さる。着ぐるみが後ろに転がる。途端に青の光が勢いを増し、黒の光を消していく。ハヤトは地面を蹴り、一気に本体に迫った。
「終わり」
再び両手に呼び出した槍を口の中に突き刺す。着ぐるみは槍の柄に歯を突き立て、体を左右に激しく振る。抵抗しているのだろう。だがその抵抗も徐々に弱まり、やがて完全に動きを止めた。同時に着ぐるみの体が溶け出した。黒い液体になって、地面に吸い込まれていく。
……今更、体が震え出した。僕は今まで何を見ていた? 夢ではない。だけど夢でないのならば、あれは一体、何だった。
混乱したままぼんやりと彼の背中を見つめる。マントが消え、ブーツが消え、いつもの彼の格好に戻る。そして地面に崩れ落ちる姿が映った。その映像の意味を認識するまでには、随分と時間が掛かってしまった。
「ハヤト」
ハヤトが倒れたのだ、と気付く。混乱した頭の中が一気に静まる。彼に駆け寄り、抱き起こす。きつく目を閉じ、耳を塞ぎ、震えていた。
「ハヤト、どうしたの」
「……いつもの、事だよ。平気。しばらくじっとしていれば」
「平気そうには見えない。もしかして、さっきの怪我……」
耳を塞ぐ右手を見る。傷一つないし、血の一滴だってついていなかった。
「……あの姿でいる時の、怪我は、怪我じゃないんだ」
浅い呼吸を繰り返しながら、震える声で彼は言う。
「怪我ではないけど、全部終わった後に、心にくるんだ」
「心?」
「怖いんだよ。何が怖いのかは全然わからないけど、怪我をした分怖くなるんだ。それだけで死んでしまいそうなぐらいに」
その言葉が本当ならば、今彼を苦しめているのは恐怖という感情という事だろうか。抱く腕を強めると、彼は耳を塞いだ手を放し、僕の服の胸辺りをぎゅっと掴み、縋りつくような格好になる。
「……怖い」
「うん」
「怖いよ、マツバ」
僕は黙って彼の頭を撫でてやる。これで少しでも変われば、いいのだけれど。
聞きたい事はいくらでもあった。あの生き物は何? とか、僕に見えたのは何故? とか。だけど今は聞くべきではないのだろう。
「……マント、似合わないね」
服を掴む手が少し緩んだのがわかった。
「そんな事考えてたのか」
「うん。マントさえなければまだよかったと思う」
「俺に言うなよ。……わけもわからないまま変身してみたら、あの格好だった」
震えは少し収まったようだ。他の事に注意を逸らしてやればいいんじゃないかと思って試してみて、正解だったようだ。
「魔法使いみたいだった」
「魔法、なのかな、あれ」
「そうなんじゃない? 何もない所から槍が出てくるとか、魔法以外じゃありえないよ」
魔法少年、と言ってやると、妙な言い方しないでくれ、と苦笑交じりに答えられた。
「子供が見るアニメみたいにキラキラはしていないよ」
「でも、かっこよかったよ。ヒーローみたいだった」
そう言うと、彼は黙ってしまった。その沈黙が不安になって、髪を撫でる。するとそれに応えるように、額が擦り付けられた。
「……もう大丈夫。帰ろうか」
微かにそんな声が聞こえた。うん、と答えて、立ち上がる。彼は服に付いた汚れを手で払うと僕を見る。凛とした目が僕を見据える。
「マツバの夢、絶対に守るから」
その言葉で、彼の言葉の一つ一つが繋がっていく。彼がどうして、何のために戦っていたのか。
こんなもののために、と思う心を押し殺す。
「それ、プロポーズ?」
茶化してそう言うと、彼は顔を真っ赤にして怒る。違う、という怒鳴り声が路地裏に響いた。
僕は彼の手を取った。指を絡めると、戸惑った表情を向けられる。
「プロポーズでも僕は構わないよ」
「だから、そんなんじゃ」
「……守る、なんて気負わなくても、いいよ」
絡めた指に力を込める。
「……気負わせてよ」
彼の指の力も強くなる。
「気負った方が、頑張れるんだ」
思わず指を放し、手首を握る。あの模様が浮かび上がった場所を握る。
どうか、この力が、頑張り屋のハヤトを食い潰してしまいませんように。僕にできる事など、そう祈る事ぐらい。
(END)
1/1ページ