アップテンポ

 真新しい制服はなんだか落ち着かなくて、バスを待ちながら俺は何度もネクタイを触る。斜めになってはいないだろうか。おかしくはないだろうか。
 4月の空気はぽかぽかと暖かい。バスに乗る前から眠ってしまいそうだった。日当たりのいい自分の席を思い浮かべ、眠気とどう戦うかについて思いを巡らせているうちにバスが来た。
 定期券を見せてバスに乗る。ぴかぴかの定期入れに入った定期券を突き出す俺を、運転手さんは微笑ましそうに見ていた。嬉しいんだから仕方がない。中学へは徒歩で通っていたから、定期券なんてなかった。バス通学なんて、大人な気分。
 この路線のバスは学校から少し離れたバス停にしか止まらない。だからかは知らないが、通学ラッシュの時間なのに空いていた。スーツを着た人と大学生らしき人が数人ずつ。同じ制服を着た人が一人。髪を明るい色に染めていた。どうやら一年生ではないらしい。
 空いていた二人掛けの席に座る。鞄を膝の上に置いて、中からMDプレイヤーを取り出した。今日はフワライダーズの気分。お気に入りの曲は3番目。ドラムの音がかっこいいのだ。
 イヤホンをはめ、早送りボタンを2回押して、再生。

「っ!」

 イントロが爆音で流れ出し、思わず声にならない悲鳴を上げてしまった。前の席に座っていた男の人が不審そうに俺を見た。恥ずかしい。
 俯き、慌ててイヤホンを外す。イヤホンから音が漏れる。音量を下げるボタンを連打すると、やがて外に音は聞こえなくなった。恐る恐るイヤホンを耳に近づける。いつもの音量に戻ったようだ。
 知らない間に何かに押されているのだろうか。たまにこういう事があるのだ。音量が最大になっているらしく、爆音が突然流れてくる。耳に悪い。心臓にも悪い。
 窓の外を眺めながら音楽に耳を傾ける。やっぱり生の演奏と比べると物足りない。先週末に行ったライブを思い出す。今でもはっきりと思い出せる。ベースの音が体の中に流れ込んで、いつの間にか心臓を飲み込んでしまうあの感覚。ドラムがびりびりと足元を震わせるあの感覚。走り回るギターの音。
 次のライブはいつだろう。また1年以上待たないといけないのだろうか。
 フワライダーズは残念ながら……本当に残念ながら、決して有名とはいえない。中学の同級生にフワライダーズ好きはいなかったし、高校のクラスにもどうやらいないらしい。自己紹介カードに好きなバンドを挙げている人は何人かいたけれど、フワライダーズの名前は見なかった。俺はしっかりと書いたが。
 溜め息が零れる。フワライダーズの素晴らしさを語り合う人は……、この際知っているだけでもいいから、どこかにいないだろうか。学校中探せば一人ぐらいはいるだろうか。
 お気に入りの曲を3回リピートして、5番目の曲と8番目の曲を聴いた。9番目の曲に差し掛かった所で、バス停に到着。
 歩きながらイヤホンを外してMDプレイヤーに巻きつけ、鞄に入れる。

「ねえ」

 後ろから声を掛けられた。振り返る。……誰だろう。クラスの人だろうか。

「さっき聴いてたの、フワライダーズ?」
「えっ」

 バスの中で願っていた事。願っていた事だからこそ、言われた事をすぐに理解する事ができなかった。

「あっ、はい、そうです!」
「だよね。間違ってなくてよかった」

 同じバスに乗っていた人だ、と気付く。明るい髪色に整った顔立ち。いかにもバンドマン、という感じ。
 アコースティックギターを抱えた俺を見て、父さんが呟いた言葉を思い出した。「なんだか古臭い」はないだろう。そんなに似合ってなかったのだろうか。

「フワライダーズ、好きなんですか?」
「うん。君も?」
「はい!」

 ぶんぶんと首を振る俺を見て、彼は笑った。

「いいよね、フワライダーズ。この前のライブは行った?」
「はい。もう、最高でした!」
「僕も友達と行ったよ。最前列だったんだ」
「う。うらやましいです……。俺、後ろから数えた方が早いぐらいで。そういえば最前列、大変な事になってましたよね」
「ああ、ダイブしてきた時ね。一緒に行った友達が巻き込まれてたけど、僕は大丈夫だった」

 当時の事を思い出したのか、彼は口元に手を当てて笑う。

「君、名前は?」
「ハヤト、です。えっと……先輩、は?」
「僕はマツバ、二年生。あ、軽音楽部だよ。ギター担当」

 予想通りだった。ギターも似合いそうだ。うらやましい。

「ハヤト君、軽音楽部に興味はない?」
「興味はありますけど、楽器があんまり得意じゃなくて」

 思い切って買ったアコースティックギターも、今は部屋で埃をかぶっている。いろいろと本を読んでみたり映像を見てみたりしたが、どうにも上達しなかった。

「……どうして人間の指は5本なのに、6本も弦があるんだろう」
「ミナキ君と同じ事言うなぁ」

 ミナキ君、というのは、さっきから話に出てくる友達だろうか。

「じゃあさ、いきなりなんだけど、ハードルって得意?」
「ハードル?」

 音楽の話をしていたはずだ。そしてどうやら軽音楽部に勧誘されているような流れだったはずだ。

「まあ、苦手ではないですけど……」

 運動は得意な方だ。走るのはそこそこ速いようだし、跳ぶのにも困った事はない。ハードルを蹴倒したりとかそんな経験はなかったはずだ。

「バレーボールでスパイク打てる?」
「一応は」
「なら、きっと大丈夫。ねえ、よかったらドラムやってみない?」
「ドラムですか?」

 ドラムセットの前に座っている自分を想像した。悪くないな……じゃ、なくて。ドラムなんて買えないし部屋に置く場所もない。

「いや、ドラムセットとか持ってないし……」
「音楽室にあるんだ、昔の部員が置いていったらしくて。ちょっと古いけど、十分使えるはずだよ」
「未経験、どころか、考えた事もないんですけど」
「それでもいいよ。嫌じゃないなら、ぜひ。体験だけでも」

 口説かれているみたいだ、と思った。熱意の籠もった目は紫がかった色をしていた。きれい、と頭の中で俺が呟く。綺麗、ともう一度思った。
 心臓が動いている。当然の事だけど、それを強く自覚した。

「……じゃあ、よろしくお願いします」

 気付いたらそう言っていた。だけど後悔はしていなかった。この人と同じ部活に入りたい、と思っていた。

「よかった。じゃあ、今日の放課後、音楽室で待ってるよ」

 ありがとう、と両手を取られ、上下に振られた。
 また心臓が動くのを感じた。さっきよりも強く、大きく。慣れない、不思議な感じだった。
 だけど、悪くはないと思った。

(END)
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