さよならアネモネ

 どうするのかと眺めていれば。彼は裸足のまま、分厚く積もった雪の上に足を置く。吐いた息が白く浮かび、消えていくのを見送って、歩き出す。

「ハヤト」

 名前を呼ぶと、彼は足を止めて振り返る。起こしたか? と少し申し訳なさそうに笑った。

「足、冷たくないの?」

 雪に触れた彼の足は赤くなっていた。触れるまでもなく、その冷たさが伝わってくるようだった。

「冷たいけど、別に」

 いいんだ、と呟いてまた歩き出す。足音が、足跡が、それだけが、残る。
 彼と同じように裸足で雪を踏む。予想通り冷たかったけれど、靴を取りに行く気にはならなかった。その間に見失ってしまうのではないかと思ったから。
 いつの間にか彼は立ち止まっていた。目の前には低い垣根。ここで終わり、と彼は言う。

「もっと歩いて行きたかったのに」
「どうして?」

 追いついてそう尋ねる。軽く首を傾げて、答える。

「……雪が綺麗だからかな」

 どちらからともなく手を繋いで、立ち尽くす。遠くの空を見つめた。真っ白な雪と、微かに光る夜明け前の空。二つが生み出す薄闇の中で、太陽が世界を照らすのを待った。

「融けてしまうのはもったいないね」
「でも、雪が融けないと春は来ないからな」
「花が咲くね」
「そうだな。タンポポに、スミレに」
「アネモネ」

 そう繋げば、また変わった花を、と苦笑される。

「だけど、確かにアネモネも咲くな」

 目を閉じた。想像する。僕らの周りいっぱいに、タンポポが、スミレが、アネモネが。
 真心の愛、小さな愛、儚い恋。……儚い恋にするつもりは、ない。

「ハヤト」

 そう呼んで、彼の長い前髪をそっと持ち上げる。戸惑った表情を見せたのは一瞬。すぐに両の瞼を下ろす。右の瞼に口づけて、前髪から手を離す。
 右目を押さえて彼は言う。

「……少し、冷たかった」

 瞼を温めるように手を当てたまま、彼は微笑んだ。
 何をどうすれば、儚い恋で終わらずに済むのかはわからないけれど。だけど、ねえ、こうして笑って見せてくれるうちは、大丈夫だと信じていい?

(END)
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