とある放課後の話
マツバ先輩の目の前に、ずい、とマイクが差し出される。
「単刀直入に聞かせていただきますね。マツバ先輩、彼女はいないんですか?」
「か、彼女?」
珍しい事に、マツバ先輩の表情が硬い。いつもにこやかにしているのに。……まあ仕方がないのかもしれない。練習を始めようと思った矢先に突然音楽室の扉が開き、三人の男子生徒が入ってきたかと思えば、いきなりこんな質問だ。
「彼女なんて、いないけど」
しどろもどろにマツバ先輩は答える。マイクを持っていた青い髪の生徒は、え、とやや不満そうな声を上げる。
「うーん、百歩譲って彼女はいなかったとしても、告白されたり、なんてよくあるんじゃないですか?」
マツバ先輩の困った様子に気付いていないのか、気付いていながら無視をしているのか、彼の追求は止む気配がない。
「ごめんね、練習中なのに」
ドラムの前に座ったままの俺の隣に、いつの間にか緑色の髪をした生徒が立っていた。
「まだ始まってはいなかったからいい……けど」
落ち着いた物腰のせいか年上かと思ったが、上靴を縁取る線は緑色。俺と同じ2年生だ。
「1組のハヤト君だよね? 僕は9組のデント。マイクを持ってるのがコーン、で、ミナキ先輩の隣にいるのがポッド。どっちも僕と同じ9組だよ」
そういえば、と思い出す。9組には三つ子の新聞部員がいる、と聞いた事がある。その話題になった時には大抵誰もが言うのだ。三つ子のわりにはあんまり似ていないけどね、と。
「僕らの調査によると、やっぱりマツバ先輩がすごく人気なんだけどね。でも軽音部はみんな人気なんだよ。君も含めてね」
きょとんとした顔をしているであろう俺に向かって、彼は言う。
「『目立つタイプではないからあんまり知られてないけど、よく見ると綺麗な顔してる』って」
そう言われて悪い気はしない。だけど、本当なんだろうか。女の子に話しかけられる事なんて滅多にない。
「ハヤト君は、付き合ってる人とかいないの?」
「いない、よ」
「そうなんだ。あ、ねえ……」
「マツバ先輩がお前と付き合ってるんじゃないか、って意見もたまーに聞くけど、どうなんだ?」
うお、すげえなこれ、と言いながらドラムを興味深そうに見ているのは赤い髪の……ポッドだったか。
「俺と、なんて」
あるわけないだろ、という言葉は喉に引っかかって出てこない。あるわけがないのだ。悲しい事に。
俺はマツバ先輩を特別な意味で好いているけれど、マツバ先輩もそう思っているなんて事、あるはずがないのだ。
「なんだ。やっぱりガセかぁ」
ポッドは腕を組み、頬を膨らませる。
「ミナキ先輩説もあったけど、それも違うみたいだし」
彼はちらりとミナキ先輩の方を見る。それからキーボードの置かれている方、ツクシの方を見る。
「となると、やっぱりあいつか」
「……ツクシって事もないと思うけど」
「聞いてみなきゃわかんねぇだろ」
バスドラを一度手で叩くと、ポッドはツクシの方に歩いていく。ツクシは女の子扱いされるのが好きではない。地雷だぞ、と思ったが、言ってやらない。そのまま様子を見守っていると、案の定ツクシを怒らせたらしく、焦った顔をしているポッドが見えた。
「だからないって言ったのに……」
「ポッドはとりあえず聞いてみよう、ってタイプだからね。あ、そうだ。軽音部の次のライブはいつだっけ?」
「終業式の辺りでやる予定」
「仕上がりはどう?」
「今の時点ではまあまあ、かな。これから最後の仕上げって所」
部活に関する質問をいくつかされる。相槌を打ちながら、彼はメモ帳に回答を書き込んでいく。
「楽しみにしてるよ。……邪魔しておいてなんだけど、練習、頑張って」
それじゃあ、そろそろお暇するよ、と言って、彼はポッドを回収し、コーンをマツバ先輩から引き離すと、音楽室を出ていった。
三人が去っていった後、大きく溜め息をつくマツバ先輩の姿が見えた。
「大変だったな、マツバ」
ミナキ先輩が声を掛けると、マツバ先輩は苦笑する。
「いきなり彼女がどうの、なんて聞かれるからビックリした。それからさ、実は軽音部の誰かと付き合ってるんじゃないか、とか」
「私も聞かれたんだぜ」
「僕もですよ。……という事は、ハヤト先輩もですか?」
「あ、ああ。俺も聞かれた」
そう答えるとマツバ先輩は、呆れた、とでもいうような様子で肩を竦める。
「そんなわけないのにね」
そんなわけないのにね。そうだ。そんなはずはないのだ。わかってる。
わかっていたはずなのに、俺はまだ何か期待をしていたらしい。
スティックが手から滑り落ちる。床に当たって音を立てた。
「ハヤト、どうかしたか?」
ミナキ先輩が、動かない俺の代わりにスティックを拾い上げ、渡してくれる。
「あ、いや、ちょっと、ぼんやりしてて」
スティックを受け取る瞬間、ミナキ先輩は驚いた顔を見せ、それから、眉を寄せる。何かを言いかけたミナキ先輩を遮るように、俺は早口で言う。
「練習、始めませんか? もうすぐ本番だし」
ミナキ先輩は俺の頭を一度軽く叩くと、ベースをアンプに繋ぐ。前奏を弾き始めれば、マツバ先輩もツクシも準備を始める。
俺は目を一度だけ擦ると、スティックを握り、虚空を睨みつけた。
(END)
「単刀直入に聞かせていただきますね。マツバ先輩、彼女はいないんですか?」
「か、彼女?」
珍しい事に、マツバ先輩の表情が硬い。いつもにこやかにしているのに。……まあ仕方がないのかもしれない。練習を始めようと思った矢先に突然音楽室の扉が開き、三人の男子生徒が入ってきたかと思えば、いきなりこんな質問だ。
「彼女なんて、いないけど」
しどろもどろにマツバ先輩は答える。マイクを持っていた青い髪の生徒は、え、とやや不満そうな声を上げる。
「うーん、百歩譲って彼女はいなかったとしても、告白されたり、なんてよくあるんじゃないですか?」
マツバ先輩の困った様子に気付いていないのか、気付いていながら無視をしているのか、彼の追求は止む気配がない。
「ごめんね、練習中なのに」
ドラムの前に座ったままの俺の隣に、いつの間にか緑色の髪をした生徒が立っていた。
「まだ始まってはいなかったからいい……けど」
落ち着いた物腰のせいか年上かと思ったが、上靴を縁取る線は緑色。俺と同じ2年生だ。
「1組のハヤト君だよね? 僕は9組のデント。マイクを持ってるのがコーン、で、ミナキ先輩の隣にいるのがポッド。どっちも僕と同じ9組だよ」
そういえば、と思い出す。9組には三つ子の新聞部員がいる、と聞いた事がある。その話題になった時には大抵誰もが言うのだ。三つ子のわりにはあんまり似ていないけどね、と。
「僕らの調査によると、やっぱりマツバ先輩がすごく人気なんだけどね。でも軽音部はみんな人気なんだよ。君も含めてね」
きょとんとした顔をしているであろう俺に向かって、彼は言う。
「『目立つタイプではないからあんまり知られてないけど、よく見ると綺麗な顔してる』って」
そう言われて悪い気はしない。だけど、本当なんだろうか。女の子に話しかけられる事なんて滅多にない。
「ハヤト君は、付き合ってる人とかいないの?」
「いない、よ」
「そうなんだ。あ、ねえ……」
「マツバ先輩がお前と付き合ってるんじゃないか、って意見もたまーに聞くけど、どうなんだ?」
うお、すげえなこれ、と言いながらドラムを興味深そうに見ているのは赤い髪の……ポッドだったか。
「俺と、なんて」
あるわけないだろ、という言葉は喉に引っかかって出てこない。あるわけがないのだ。悲しい事に。
俺はマツバ先輩を特別な意味で好いているけれど、マツバ先輩もそう思っているなんて事、あるはずがないのだ。
「なんだ。やっぱりガセかぁ」
ポッドは腕を組み、頬を膨らませる。
「ミナキ先輩説もあったけど、それも違うみたいだし」
彼はちらりとミナキ先輩の方を見る。それからキーボードの置かれている方、ツクシの方を見る。
「となると、やっぱりあいつか」
「……ツクシって事もないと思うけど」
「聞いてみなきゃわかんねぇだろ」
バスドラを一度手で叩くと、ポッドはツクシの方に歩いていく。ツクシは女の子扱いされるのが好きではない。地雷だぞ、と思ったが、言ってやらない。そのまま様子を見守っていると、案の定ツクシを怒らせたらしく、焦った顔をしているポッドが見えた。
「だからないって言ったのに……」
「ポッドはとりあえず聞いてみよう、ってタイプだからね。あ、そうだ。軽音部の次のライブはいつだっけ?」
「終業式の辺りでやる予定」
「仕上がりはどう?」
「今の時点ではまあまあ、かな。これから最後の仕上げって所」
部活に関する質問をいくつかされる。相槌を打ちながら、彼はメモ帳に回答を書き込んでいく。
「楽しみにしてるよ。……邪魔しておいてなんだけど、練習、頑張って」
それじゃあ、そろそろお暇するよ、と言って、彼はポッドを回収し、コーンをマツバ先輩から引き離すと、音楽室を出ていった。
三人が去っていった後、大きく溜め息をつくマツバ先輩の姿が見えた。
「大変だったな、マツバ」
ミナキ先輩が声を掛けると、マツバ先輩は苦笑する。
「いきなり彼女がどうの、なんて聞かれるからビックリした。それからさ、実は軽音部の誰かと付き合ってるんじゃないか、とか」
「私も聞かれたんだぜ」
「僕もですよ。……という事は、ハヤト先輩もですか?」
「あ、ああ。俺も聞かれた」
そう答えるとマツバ先輩は、呆れた、とでもいうような様子で肩を竦める。
「そんなわけないのにね」
そんなわけないのにね。そうだ。そんなはずはないのだ。わかってる。
わかっていたはずなのに、俺はまだ何か期待をしていたらしい。
スティックが手から滑り落ちる。床に当たって音を立てた。
「ハヤト、どうかしたか?」
ミナキ先輩が、動かない俺の代わりにスティックを拾い上げ、渡してくれる。
「あ、いや、ちょっと、ぼんやりしてて」
スティックを受け取る瞬間、ミナキ先輩は驚いた顔を見せ、それから、眉を寄せる。何かを言いかけたミナキ先輩を遮るように、俺は早口で言う。
「練習、始めませんか? もうすぐ本番だし」
ミナキ先輩は俺の頭を一度軽く叩くと、ベースをアンプに繋ぐ。前奏を弾き始めれば、マツバ先輩もツクシも準備を始める。
俺は目を一度だけ擦ると、スティックを握り、虚空を睨みつけた。
(END)
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