月にさよなら

 しぜんこうえんのベンチに座る。外灯の明かりが僕の髪を照らしている。あまり大切にしてこなかったせいだろう。色はくすんでいるし、ぱさついている。一房つまみ上げた時の感触に思わず苦笑いがこぼれた。
 あの姿を思い出す。僕とよく似た色の髪を持った人。なんとなくなのだが、きっとあの人は、僕よりもこの髪を大切にするのだろうと思う。

「何を笑っているんだ?」

 足音が止まった。足音が止まった事で足音が聞こえていた事に気付いた。

「珍しいね。歩きなんて」

 彼はいつも飛んでくるから、僕は羽の音だけを聞いていればよかった。だから今だって、足音に注意なんて払っていなかった。

「……もう、あいつらはいないからな」

 彼は寂しそうにそう言った。その声色で思い出す。僕の相棒たちも、もういない。

「そう、だったね。ごめん」

 彼は僕の隣に座った。そのまま何も喋らない。彼は俯いていた。悲しげな姿を見ているのが辛くて、僕は彼から目を逸らした。僕らを見下ろす三日月をぼんやりと眺める。
 闇に紛れている時も、地上を明るく照らしている時も。いつまでも月は同じ月のままでいる。
 僕たちは違った。新しい僕らを迎えて、古い僕らは不要になった。彼らと僕らはよく似た姿をしているのに、別の人間だ。

「新しい君は、どうだった?」

 彼は息だけで笑った。

「子供だった。あんな子供にジムリーダーが務まるのか?」
「それは僕も思ったな。あんななよなよしたので大丈夫か、って」
「そんなに頼りない奴なのか?」
「僕に比べればね」
「よく言うよ」

 精一杯の強がりの言葉を重ねて笑う。強がっていないと不安に押しつぶされてしまいそうなのだ。彼も、僕も。
 いらなくなった僕らは、どこへ行くのだろう。
 会話が途切れる。心臓が冷えていく。途切れさせてはいけない。黙ってはいけない。沈黙が、静寂が、怖い。

「……子供だったけど、俺よりはうまくあいつらを育ててくれると思う」

 優しげな声。彼は微笑んで空を見上げていた。

「俺じゃ、強くしてやれなかったから」

 ごめんな、と呟く。彼の相棒達には聞こえない。それがわかっていても。

「君は強かったよ」
「気休めはいらない。俺が一番わかってるさ」

 彼は溜め息をつき、ベンチにもたれかかった。

「俺は弱かった。だけど、あいつらは弱くなんてないんだ」

 まだ手に残る羽毛の感触を確かめるかのように、彼は右手を緩く握る。

「実力を引き出してくれる人間が面倒を見てくれる。それ以上いい事は、ないよ」

 彼の言葉の一つ一つに相棒達への愛情が感じられて、苦しかった。

「君と離れるの、寂しいだろうね」

「朝が来て目覚める頃には俺の事なんて忘れているさ。新しい主人と仲良くやっていくんだ。それまでずっとそうしていたかのように」

 ゲンガーたちも、きっと僕の事は忘れてしまうのだ。いつ忘れてしまうのだろう。朝日が昇ったら? 日付が変わるその瞬間? ……もしかしたら、もうすでに。僕は忘れたりなんかしないのに。死ぬまでずっと。

「だから寂しいのは俺達だけだ」

 それが幸せなのか不幸せなのかはよくわからなかった。

「寂しい者同士」

 彼はすっと立ち上がる。まっすぐに伸びた背筋が綺麗だ、といつも思っていた。

「どこに行こうか」
「どこに行けるの?」
「どこにだって行けるさ。もう飛ぶ事はできないけど、俺にだってちゃんと足がある」

 手を引かれ、思わず立ち上がる。倒れてしまう事はない。僕にだって足はある。

「もうジムの仕事をやる必要はないだろ? 面倒な書類ともさよならだ」
「……時間もたっぷりあるしね」

 また強がりを重ねていく。僕たちに残されている時間は、あとどれだけあるのだろう。

「雪が、見たいな」
「きっと寒いぞ。それでもいいのか?」
「いいよ。ハヤトと一緒なら、いい」

 繋いだままの手に力を込める。彼はためらいがちにそれに応える。

「こうしていれば温かいから」
「……そうだな」

 夜の闇の中に足音が響く。一つ、二つ。三日月は相変わらず僕達を見下ろしている。
 さようなら、と呟いた。

(END)
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