スイングバイ

 彼の体が夕暮れの空を舞う。行っては戻り、行っては戻り。僕も同じように飛びたくなって地面を蹴った。鎖が小さく音を立てただけで、彼のようには飛べなかった。
 隣で、ざり、と砂が鳴った。

「ブランコ、乗った事ないのか?」
「……うん」

 物心ついた頃から修行漬けだったから、公園で遊んだ記憶なんてない。ミナキ君とは時々遊んだけれど、大抵は本を読んだり絵を描いたり、家の中での遊びばかりしていた。

「ハヤトはよく遊んだの?」
「うん。ジャングルジムとか鉄棒も好きだったけど、ブランコが一番好きだったな」

 そう言うと彼は数歩後ろに下がり、勢いよく地面を蹴る。金属の擦れる音が聞こえた。

「飛んでるみたいだもんね」

 地面から離れて、全身で風を受ける。飛ぶのに比べたら高さは足りないけれど、確かに飛ぶのに似ていると思う。

「そうそう。ちなみに一番嫌いだったのはすべり台」
「どうして高い所から低い所へ降りなけきゃいけないんだ、って?」
「ご明察」

 彼は笑った。

「俺は、飛びたいんだ」

 鳥のように、自由に。
 彼は自由になったらどこへ行くのだろう。どこへ行ってしまうのだろう。
 少なくとも、僕のいる地上には二度と戻ってこない。重力に縛られた場所には帰ってこない。飛べない僕は、彼をただ見つめるだけ。
 置いていかないで。

「うわっ」

 突然おかしな動きになったブランコに驚いたのだろう。彼は慌てて足をつき、勢いを殺す。
 鎖を掴んでいた手を離す。ブランコが止まると同時に彼が顔を上げる。

「危ないだろ!」
「ごめん」

 片手はしっかりと鎖を握ったまま、もう片方の手を胸に当てて、彼は溜め息まじりに呟いた。

「ビックリした……」

 相当驚かせてしまったようだ。

「ブランコで怪我する事もあるから気をつけろよな。で、どうした?」

 どうした、んだろう。置いていかれるような気がして急に不安になって、勝手に体が動いていた。
 だけど、置いていかないで、なんて言うのは馬鹿馬鹿しい。彼は飛べない。いくら望んでも、羽が生えて空を飛べるようになるなんて事はありえないのだ。飛べなければ彼はずっと地上にいる。僕と同じ世界にいてくれる。置いていかれるはずなんてない。それぐらいわかっているのに。
 黙りこみ俯いた僕の隣で、彼が立ち上がる気配がした。そして何故か僕の後ろに回る。

「ハヤト?」
「ちゃんとつかまってろ」

 子供に優しく言い聞かせるような声色でそう言われた。そしてすぐに背中に温かい手が触れた。
 ぐ、っと押される。滑るように体が前に押し出される。

「わ、わ」

 慌てて、鎖を握る手に力を入れる。

「足。俺がやってたのと同じようにしてみろ」
「覚えてないよ」

 しょうがないな、と笑いを含んだ声がした。

「言った通りにして」
「うん」

 彼の声に合わせて足を動かしてみる。なんとなく感覚が掴めてきた。少しずつブランコに勢いがついていく。顔に当たる風が心地よい。

「どうだ?」

 いつの間にか背中から手は離れていた。

「僕、飛べてる?」
「ああ」
「じゃあ、もしもハヤトが飛んでいっても、追いかけていけるね」

 ブランコが揺れる音だけが響く。すっかり日が沈み、辺りは静まり返っていた。

「馬鹿だなぁ」

 しばらくの間の後、彼はそう言った。

「そんな事心配してたのか」
「そんな事?」

 地面に足をつけ、ブランコを止める。

「僕には大事な事だよ」
「違う、そうじゃなくて」

 彼が手に触れる。

「……飛んでいったりしないよ」

 囁かれた言葉が何よりも嬉しかった。彼の指に、頬を触れさせる。

「ありがとう。優しいね、ハヤト」

 暗くて顔は見えないが、彼が照れたのはわかった。触れている手が一気に熱くなったから。

「ありがとう」
「べ、別に、何も」

 ぶっきらぼうにそう言いながらも、僕の手を握る手を離そうとはしない。
 マツバも、いなくなるなよ。
 微かに聞こえた声に応えるように、僕は彼の指に口付けた。

(END)
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